「朝日のあたる家」撮影中。7年前。 山本太郎さん(中央のマスクをつけた人物)の場面。 [思い出物語]
「朝日のあたる家」撮影中。7年前。
山本太郎さん(中央のマスクをつけた人物)の場面。
見舞いが終わり帰るシーン。
「マスクしーや!」のセリフのとこ。
2台のカメラ(手前左)で撮影した。
静岡県湖西市ロケ。
東電は事故の9年前から津波の危険性を把握していた?=想定外はウソ! [原発問題]
東電は事故の9年前から津波の危険性を把握していた?=想定外はウソ!
朝日新聞の科学記者だった添田孝史著「原発と大津波 警告を葬った人々」(岩波新書 2014年)に次のような一文がある。引用する。
「東日本大震災が引き起こした津波を専門家は予測していた。地震の9年前に専門家がまとめた政府の公式な報告書で、岩手から茨城にかけてどこでも10メートル級の高い津波が起きることを警告していた。それにも関わらず政府も東電も対策を取らず、多くの使者と原発事故の大きな原因となった。対策が難しい自身は『起こらないもの』と決めつけて無視し、備えを取らない」(P52)
東電トップは9年前から大津波の危険は専門家に指摘されていたのだ。さらに
「想定を超えた津波は、すぐに炉心損傷を引き起こすことを2002年までに東電は把握していた。それにも関わらず対策に動かなかった」(P118)
津波によってメルトダウンの可能性があることも9年前から把握していたという。そして、2008年の東電社内文章にはこう書かれている。
「大津波にすぐ備えない説明が『いくらなんでも時期尚早』という科学的根拠ない言葉であることに、東電に姿勢がよく表れていると思った」(P116)
東電のトップが事故後に「1000年に1度の津波。想定外だった」と発言しているが、それは真っ赤な嘘。把握しているのに、費用がかかるので対策を講じなかったというのが事実なのだ。あの映画でも、その辺の東電の怠慢は描かず、東電側の主張通りに「想定外の大津波」という物語になっている。やはり、東電を弁護し、再稼働を応援するための映画なのだ。
俳優について=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-09
製作面について記事=https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-07
要は東電賞賛映画?=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-08
毎度、騙す政府、毎度、騙される国民? [A政権について]
先日の首相会見。舞台裏を推理? [コロナウイルス]
戦後75年。今も騙され続ける日本人=「Fukushima50」にダマされてはいけない。 [Fukushima50を検証]
戦後75年。今も騙され続ける日本人=「Fukushima50」にダマされてはいけない。
「Fukushima50」を見て「感動した!」「事故を止めるために頑張った50人がいたなんて知らなかった!」「涙が止まらなかった!」という感想をネットで見かける。悲しい。でも、原発事故の詳細を知らなければ当然であり、そう思うように誘導する巧妙な映画である。
「映画はフィクションだから、目くじら立てなくても」という人もいるが、あの作品は冒頭に「真実の物語」と表示し、エンディングにも「この作品はフィクションであり...」というテロップは出さない。宣伝でもチラシ、ポスターには「映画だから語れる。真実の物語」と書かれている。製作サイドは「ノンフィクション。事実である」という姿勢なのだ。にも関わらず、いくつもの嘘を事実のように描いている。
事実を歪めることで「事故は天災によるもの!」「混乱させたのは菅総理と民主党政権!」「吉田所長と50人は命がけで頑張った!」「彼らが日本を救った!」と伝える。福島県民が受けた被害、その後の惨状もほとんど描かず、事故はすでに終息したかのような演出。
事実は事故=人災。大津波は何年も前から予見され、対策を東電は迫れられていたが、安倍総理が第一次内閣時代に「全電源喪失はあり得ない」と対策を講じず。吉田所長も津波は専門ではないのに「大津波は来ない」と対策を握りつぶした。そこは映画では描かれていない。だから自然災害の見えてしまう。映画は意図的に事実の隠蔽を行い、嘘を描く確信犯なのだ。
事故原因を災害と描くことで「東電の責任はない。むしろ日本を救ったのが東電社員なのだ!」という嘘の物語が出来上がる。詳細を知らないと、騙され誘導されるのは当然。そして「感動した!」「泣けた!」とコメントして、「東電は責任がない。吉田所長と50人が日本を救った。事故は終息した。よかったよかった!」と思ってしまう。そこに誘導するプロパガンダ映画なのだ。
同じ手法を使って若者を戦場に送ったのが太平洋戦争。「日本を守るため」「お国のために死ぬのが名誉」嘘と誘導で洗脳された多くの日本人が進んで戦争に行き、犠牲となった。また、近年はその酷い戦争を美化。再び「あれは日本を守るための戦いだった」「戦死者は英霊だ」「彼らが日本を守った」という人たちがいる。それにまた乗せられる若者も多い。現政権は再び戦争をしたいと考えている。そのためのアピールだ。
もう、騙されるのはやめよう。物事を見抜く目を育てよう。これはニュースも同じ。NHKはすでに大本営発表。民放もほぼ同じ。一部の金持ちと政治家が都合のいいように国民を誘導するツールなのだ。彼らは事実と嘘を混ぜて、巧妙にコントロールしてくる。疑ってかかれ。嘘を見抜け。彼らに利用されるのは終わりにしよう。
俳優について=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-09
製作面について記事=https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-07
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「風の電話」もまた311と原発事故の物語=涙が止まらない。人はなぜ悲しまなければならないのか? [映画感想]
「風の電話」また311と原発事故の物語=涙が止まらない。人はなぜ悲しまなければならないのか?
311の津波で家族を亡くした少女ハル。叔母に引き取られ広島で暮らしている。もう17歳になる。ある日、叔母が倒れ入院。1人になった彼女は生まれ故郷である大槌まで、ヒッチハイクで行こうとする。その姿をドキュメンタリー映画のようにカメラは延々と映し出す。
少女と出会う人たち。ボケた母親と2人暮らしのオヤジ。嫁と娘は出て行ってしまった。旦那はいないが出産しようとする40代の女性。同じく家族を津波で亡くした男性。彼は福島第一原発で働いていた。避難解除になり福島に戻ってきた老人。「死ぬときは故郷で死にたい」と呟くが、近所の若い人たちは誰も帰還していない。
そんな人たちとの出会いがあり、少女は故郷大槌に辿り着き。津波に流され、基礎部分しか残っていない自宅を訪ねる。どのシーンも涙が溢れた。高名なコピーライターが原発事故の映画を見て「2時間泣きっぱなし」とツイートしていたが、僕はこの映画で泣きっぱなしだった。
あの著名人はなぜ、津波対策を握りつぶし、全電源喪失を引き起こした「責任者」が「英雄」として描かれる嘘の物語で感動できたのか? 本当に悲しいのは、そのために犠牲を強いられた住民たちのはず。それが全く描かれない映画でどう涙したのだろう?
職員たちが奮闘したのは事実だが、日本を救ったりしていない。そして放射能だけでなく、大津波は多くを巻き込み、多くの家族を絶望の底に突き落とした。それを彼は想像しなかったのか?そして、この映画に登場する人たちもまた津波や放射能だけでなく、様々な不幸を抱えながら生きている。少女は家族を亡くした元福1の職員に言う。
「死んだら家族に会えるんじゃないかな...あなたは死のうと思ったことないの?」
人はなぜ、悲しまなければならないのか? どうして辛い人生を生きて行かねばならないのか? 様々な思いの交差。やがて少女は死んだ人と話せる「風の電話」の存在を知り、その公衆電話を訪れる。出演者も本当に素晴らしい。他の映画と違い、芝居を超えた好演。「F50」を見るなら、この映画を見て欲しい。
コロナウイルスがサラダバーを襲う? [コロナウイルス]
「Fukushima50」が隠した事実=大津波の対策を潰したのは吉田所長!そのために津波が防波堤を超え、日本が危機に? [Fukushima50を検証]
大津波の対策を潰したのは吉田所長!
添田孝史著「原発事故と大津波 警告を葬った人々」(岩波新書)を読むと、東電がいかにいい加減で隠蔽体質の強い組織であるか?が説明されている。朝日新聞の科学記者(科学的な知識を持ち事故を取材する記者)によって書かれたものだ。
大津波が来ることは311以前から何度も指摘されており、保安院からも注意を受けていた。にも関わらず、東電側は費用がかかる対策をしたく無いので先延ばし、無視、別の資料を作り検討し直しということを繰り返していた。
つまり大津波は「想定外」ではなく「1000年に1度の大津波」でもなく、想定されていたものであり、その対策を東電と福島第一原発側が怠っただけなのだ。さらに、想定された大津波の対策を拒否し、握りつぶした人物こそ、映画のメインキャラの1人。渡辺謙が演じた吉田所長その人なのである。
決死の活躍で、部下たちと共に原発を守り、事故対策をする姿が描かれていたが、その事故を起こすきっかけを作ったのが吉田所長その人。当時は所長ではなかったが、彼は津波の専門家では無い。にも関わらず「大津波は来ない」と対策を拒否した。原発事故で本人がその責任を取ることなった。つまり、彼は映画で描かれたように「日本を救うために頑張った」のではなく、自身が津波対策をしなかったために、日本を危機に陥れ、部下の命を危険に晒したのである。
その罪深い人物の、そんな背景を一切描かず、隠して、英雄として描いたのが「Fukushima50」という映画。隠蔽、改ざん、嘘で固めて、やるべきことをやらない。映画も東電も同じ体質なのだ。
俳優について=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-09
製作面について記事=https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-07
要は東電賞賛映画?=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-08
映画「Fukushima 50」事実でないことを事実として描く=生前に吉田所長自身が否定したことまで!? [Fukushima50を検証]
映画「Fukushima 50」事実でないことを事実として描く。=生前に吉田所長自身が否定したことまで!?
劇中で「総理の視察のせいで、ベントが遅れた」という描き方をしている。が、それは事実ではないこと。吉田所長自身が生前に否定。説明している。
(2014年9月17日 東京新聞記事より、福1吉田所長のインタビュー)
<官邸には現場の苦闘が伝わらず、十二日朝、菅直人首相がヘリコプターで福島第一に乗り込んだ>
-首相は何を話したか。
「かなり厳しい口調で、『どういう状況になっているんだ』と聞かれたので、『要するに電源がほとんど死んでいます。制御が効かない状態です』と。『何でそうなったんだ』ということで、『はっきり津波の高さも分かりません。津波で電源が全部水没して効かないです』という話をしたら、『何でそんなことで原子炉がこんなことになるんだ』と原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長に質問していました。『ベントどうなった』というから、『われわれは一生懸命やっていますけれども、現場は大変です』という話はしました。記憶はそれくらいしかない。時間はそんなに長くなかったと思います」
-いかに現場が厳しい状況になっているかは説明したか。
「なかなかその雰囲気からしゃべれる状況ではなくて、現場は大変ですよということは言いましたが、何で大変か十分説明できたとは思っていません」
-首相が来たことで、ベントが遅れたか。
「全くないです。早くできるものは(首相のヘリに汚染蒸気を)かけてしまったっていいじゃないかぐらいですから。私だって、格納容器の圧力を下げたくてしようがないわけですよ。総理が飛んでいようが、炉の安全を考えれば、早くしたいというのが、現場としてはそうです」
元記事=>https://genpatsu.tokyo-np.co.jp/page/detail/12
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つまり、吉田所長が否定していることを、映画では「事実」として描いている。「総理のためにベントが遅れた」=>「事故対応の邪魔をした存在」ドラマでいう「悪役」。そのことで、職員50人は「それに耐えて頑張った英雄」という存在にできる。事実を曲げて嘘で描いている。
そんなことをこの映画でしていいのか? 映画冒頭に「真実の物語」とテロップを出し、エンディングに「この映画はフィクションであり、登場する人物は架空のものです」とは出さない。吉田所長も、東電も実名。つまり、全て真実ーノンフィクションということ。そんな作品で事実でないことを描き、嘘を描く?
さらに佐野史郎演じる「総理」は菅直人という名前では一度も呼ばれない。一方、吉田所長は「吉田所長」であり実名。ここから分かること。先の「総理がベントを遅らせた」という事実でないエピソードを描いたのは「勘違い」や「知らなかった」という理由ではないという事だ。事実ではないことを知りながら挿入したエピソードだと言える。
なぜなら「事実ではない!」と告訴された時に「あれは菅総理ではない。総理という名の架空の人物だ」と弁明するために「菅直人」という名前を使わず「総理」にしてあるのだろう。そこからもこの映画は意図的に嘘を交えて「悪いのは天災と官邸。東電は頑張った。日本を救った」という解釈を広めたいという事か? 似たことをした国がある。汚染水が溢れているのに総理が「アンダーコントロール」と嘘を言い、オリンピックを誘致。同じ手法なのだ。
俳優について=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-09
製作面について記事=https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-07
要は東電賞賛映画?=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-08