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政治を変える必要はない。国民が変われば政治も変わる=ただ、教育に「考える力」を奪われた人たちをどうすればいいのか? [日本人の問題]

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政治を変える必要はない。国民が変われば政治も変わる=ただ、教育に「考える力」を奪われた人たちをどうすればいいのか?

今からちょうど41年前。高校を卒業。映画監督を目指して本当の意味で人生をスタートさせたのが横浜だった。当時、18歳。様々な思い出がそこにある。青春映画としていつか描きたい思い出の数々。そのための写真もたくさん撮影してきた。が、しばらくは書かないでおく。

失望した!と言う思いもあるが、そもそも特別に民度が高い街と言うことではない。東京よりはマシ?と思っていたが大差はなかった。こちらが勝手に思い出を重ねているだけであり、それは現実ではない。この街の人たちがより幸せになってほしいと言う願いがあっただけ。

青春の日々にお世話になった人。通った店。会話を交わした人たち。迷惑をかけた方々。そんな思いがあるので、ベターデイズを望まずにはいられなかっただけ。だからこそ、カメラと三脚を抱えて金沢文庫まで出かけた。僕は知らない人を応援しない。あの候補は「朝日のあたる家」を観てくれ、応援してくれた。その日以来、何かにつけてメールをくれたり、情報をくれたりした。先日も長野に行き、彼の活躍を聞いたばかりだ。

そんな人が横浜のために身を投げ打って戦おうとしている。何か応援したいと思えた。それでなくても青春の日々を過ごした街。ただ、それは僕の思い入れであり、別の現実が存在する。日本人は幼い頃から「考える力」を育てる教育をしない。与えられたことを確実するだけの人間を作るシステム。その中で、自分のために頑張る人がいても、それには気づかない。与えられた情報に即した行動しかできない。

テレビでよく見る。組織から指示された。マスコミが持ち上げている。そんな人たちに意味を感じてしまう。だから、都民は小池を選び、五輪と567で今も苦しんでいる。ある意味で自業自得。太郎さんなら、今頃毎月10万円給付だったのに。それは東京が特別ではなく、横浜も同様。同じ日本の教育で育った人たちが一票を投じる。全く違う結果が出るはずもなく、組織票が力を発揮したようだ。それに囚われない人たちは100点満点のスーパーヒーローを期待し、頑張る人たちを否定してしまう。

子供の頃から刷り込まれた教育。与えられたことで100点を取ることを求められた。自分で考える必要はない。それはまさに洗脳。簡単に逃れることはできない。だから567で大騒ぎ、枠てんを疑わずに摂取してしまう。でも、政府はそうやって戦後76年。上には逆らわない従順な国民を作り続けてきたのだ。それを数年で引っくり返すことは難しい。今回もそんないち場面に過ぎないのだが、ここ何年も汚されていく思い出の街を見ていると悲しみが込み上げた。

個人ができることには限りがある。特定の候補を応援することぐらい。何よりも大多数を刷り込まれた教育から解放するのは簡単ではない。ただ、映画ならば多くの人を変えることが可能だ。黒澤明は言った。「あと100年あれば、僕は映画で戦争を止めて見せる」100年でなくても何かを変えていけるはず。変えるべきは政治ではない。変えるべきは国民の考え方。そうすれば政治も変わる。気づいた人たちが大切なこと伝えれば、少しずつでも変わるはず。

だが、567は感染拡大。映画撮影はできない。いや、収束しても、そんな話はない。今はただ、自身の無力さを痛感するだけだが、しばらくはそんなことを考えてみる。



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人はなぜ、健康の話になると、知りもしないことをアドバイスし始めるのか? [日本人の問題]

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人はなぜ、健康の話になると、知りもしないことをアドバイスし始めるのか?

特定の食品を食べて血糖値を測る。それをレポートしている人がいる。そのコメント欄を見ると、その実験と直接関係のない。野次や批判がかなり書き込まれている。目玉焼きの回だと「こんな下手くそな目玉焼きは初めて見た」「まずそう」「オリーブオイルを使った方がいいですね」「作り方、勉強した方がいいよ」的な血糖値と関係のないものが続く。

また、血糖値について書かれたコメントでも、他の人の書き込みから「聞きかじったこと」「思い込み」のものが多い。正確な知識が少ない。僕も健康関連の話を書くと、他の記事以上に、その種の野次馬コメントが来る。明かに知識のない人が、聞いた話を得意げに書き込む。また、本論に関係ないコメントで言えば「もっと痩せた方がいいよ」「スポーツしなきゃダメだ」的な、「そんな話をしているのではない!お前誰?」というものも多い。

どうも、僕のコメント欄だけでなく「健康」関係の記事を挙げると、読者は急に上から目線になったり、的外れなコメントを始めるようだ。だから、最近は「アドバイス、指示、提案は一切いりません」と厳しく書くようにしている。と、前回はコメントゼロ。それだと記事の評判が分からないが、「いいね」の数だけでもいいか? あれこれ無神経なコメントがたくさん来るよりはいい。

しかし、「健康」の記事を読むとき、読者はどんな心理状態になるのか? なぜ、急にあれこれアドバイスしたがるのか? 専門家でもなく、自身で詳しく勉強している訳でもない人がコメント。それも多くの人がいう一般論、ありふれた話を書き込んで来る。それで感謝される?他の人が読んで参考になると思っているのか? どうも他のトピックと違い、レベルが急激に下がり、烏合の衆となりがち。

一つには健康に対する興味は強いはず。「人のために役立ちたい」という優しい気持ちもあるだろう。だが、役に立つコメントはほとんどない。急に素人評論家、素人専門家に変身。無意味なことを書き込む。その辺の背景を考えてみたい。非常に愚かで自己満足な何かが裏にあるように思える。


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昔、「ちょっといいですか?」と声をかけてきた新興宗教信者? [日本人の問題]

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昔、「ちょっといいですか?」と声をかけてきた新興宗教信者?

街角で声をかけてくる新興宗教の若い信者たちがいた。僕は興味あり、(宗教に興味ではなく、それを信じる人たちの心理に興味ある)いつも長々と話しを聞いた。

そのあと、疑問に思ったことをあれこれ質問すると、彼らは決まって怒り出すか、意味不明な言い訳を始める。そして「あなたと話しても無駄ですね」と去って行く。宗教の勧誘も大変だと思った。





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「踊る!大捜査線」映画版が伝える今、一番大切なこと=567も五輪も同様。自分で考え判断すること [日本人の問題]

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「踊る!大捜査線」映画版が伝える今、一番大切なこと=567も五輪も同様。自分で考え判断すること

「踊る大捜査線」というと、もうすっかり昔に流行った刑事ドラマという認識になっている。が、確か映画版の「レイボーブリッジを封鎖せよ」だったと思うのだが、今の時代に大切なテーマが描かれていた。

テレビドラマは面白おかしく、ハラハラドキドキの恋愛を描いているだけと思われがちだが、90年代のドラマはそれだけではない。大切なことを伝えていた。脚本は君塚良一。「チーム」もそうだったが、忘れかけている大切なことが謳われている。「踊る」は大ヒットしたので、織田裕二主演のライトコメディ風刑事物。という軽い印象があるが、あの映画版は凄かった。

警察というのはピラミッド型組織で、下は何も考えなくていい。上が考え決定したことに従い、動けばいいという組織。ローラー作戦を展開しても現場の刑事は、肝心なことを教えられていない。一流大学を出たエリート管理官が全てを仕切る。そんな従来の刑事物とは違う現実を取り入れたのが「踊る」である。まさに日本社会。会社も政治の世界も同じ。支配者層ともいうべき上層部だけが全てを把握し、情報を持ち、下の人たちは何も考えずに従うだけ。

実際、そのために戦後教育は行われてきた。与えられたことを確実にこなすものが優秀とされ、成績で子供たちを分けた。一流大学を出た者が、一流企業に入る。警察で言えば国家試験の第1種に合格したものは警部補からスタート(本来は巡査、巡査長、巡査部長、警部補、警部と昇進していく)40歳前には署長にまでなるコース。キャリアと呼ばれるそんな人たちの指示で現場は動く。

企業も政治も同じ構図。日本は経済大国になりえた。ただ、それはバブル崩壊まで。その後はアメリカの後追いをしているだけではダメな時代になる。そんな頃に放送されたのが「踊る」である。君塚良一という人はそれを映画にしたのだと思うが、以前と同じことをしているので日本の企業はダメになり、電化製品でも韓国に追い抜かれた。SONYの広告はもうNYのタイムズスクエアにはない、

映画の中で起こる組織犯罪。犯罪とてボスがいて、その指示に従い犯罪を遂行するのだが、その組織はそれぞれが考えて犯罪を行うので、これまでのような捜査では対応できない。上層部の指示通りに現場が動くと裏をかかれ犯罪を止められない。主人公が所属する湾岸署は大混乱となる。そこで織田裕二扮する青島刑事と、彼を理解する室井管理官はいつものように、上から指示を出し、捜査させるのではなく、「上の指示を聞くな。現場の警察官がそれぞれの考えで行動しろ!」と連絡する。

言われることをするだけだった現場の刑事たちが、自分たちで考えたことがなかった戸惑い。だが、彼らが必死に考える。結果、次々に起こるテロを止める。この展開に血が逆流した。そう、今の日本人が、日本が、失った大切なこと。言われることをするだけではなく、自分自身で情報を取り、分析し、考え、行動する。物語はその大切さを観客に訴えていた。そうしないと新しい時代を切り抜けられないと訴えているのだ。

映画からもう20年ほどが経つが、今の日本人に必要なのはまさにそれだ。なのにオリンピックに踊らせる国民。犠牲を考えず強行しても「感動した!」と喜ぶ。どうすべきか?まず、与えられたことをそのまま受け入れない。自分で情報を取る。マスコミ情報を鵜呑みにしない。

それを自分で考えて、分析して、行動する。それができてないから567で慌てふためき、危険だと言われているのに湧く点を打ってしまう。今、多くの日本人に大切なのは「自分で考えて判断すること」「踊る」映画版はまさにそれを伝えていたことを思い出す。



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今、自分が生きている時代がどんな時代なのか?=理解するのは難しい。 [日本人の問題]

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今、自分が生きている時代がどんな時代なのか?=理解するのは難しい。

江戸時代は300年足らずだが、当時の人は「昔から江戸時代は続いていて、これからもずっと続くものだ」と思っていたらしい。その後、1867年に大政奉還があり、翌1868年からは明治時代になるのだが、ずっと続いて来た時代の上にいると、それが崩壊し別の時代になるとは想像しづらいものなのだ。

僕は昭和生まれだが、経済成長が続く日本。それがずっと続くであろうと思っていたら、バブル崩壊、リーマンショックで、まさかの不況が20年以上も続く時代になろうとは想像もしなかった。江戸の人と大差なし。やがて韓国や中国に追い抜かれるであろうことは、経済の流れの中で致し方ないとは思っていたが、ここまでジリ貧の国になるとは考えなかった。

つまり人は自分が歩んで来た30年40年。という短い年月を基本にしてしまい、それが続いて行くと思い込みやすい生き物なのだろう。僕が生きている内に東西ドイツが一つになる。ソ連が崩壊する。なんてことが起きようとも思わなかった。ずっと未来。僕らが死んで何十年も経ってから、戦争のない世界になる。その時にはベルリンの壁も無くなっているかも?と想像するだけだった。

だから、ソ連とアメリカが冷戦を続けている70年代に、「ソ連はやがてなくなる」と予言しても、「そんなことある訳ないだろう!」と誰にも理解されなかったはずだ。それはマゼランが船で世界一周を果たすまで、地球が丸いことさえ、誰も信じようとしなかったのと同じ。今では誰も知ることを当時は重力のことも分からず「地球が丸いと下にいる人は宇宙に落ちる! だから、あり得ない」と思っていたのだ。

その意味で言うと、数年で中国共産党が無くなっても不思議ではない。アメリカ合衆国が亡くなってもおかしくないのだ。ソ連も設立から70年ほどで崩壊している。中国共産党もそろそろ、それくらい。だが、多くの人は「そんな訳ないだろう?」と言うが何ら根拠はなく、「自分が生まれてからずっとあるのだから、これからもなくならないだろう」と言うだけの理由で言っているはずだ。

歴史に学ぶことは大切だが、同じ繰り返しばかりではない。「567が終わったら戦争が来る」と言う人を時々見かけるが、根拠はほとんどないだろう。「悪いことは続く」と言うネガティブな思いが、そう感じさせているだけのことが多い。多分、今が戦争中なのだ。ミサイルを使って攻撃するのではなく、ウイルスという武器を使った新しい形の戦争。だが、経験したことのないことを多くは理解しない。

戦車や戦闘機が攻撃して来なければ「戦争」と言う実感が持てない。だから、不自由だが、今の生活を平気で続けているのではないか?ただ、気づいても個人にはどうすることもできないが、その新しい形の戦争は何のために行われているのか?を考えれば違ってくる。昔の戦争は植民地化すること。今は? 言われているように人類削減? 収束後に倒産寸前の店や会社を中国が買いたたくための計画?

ウイルスで脅かし、枠てんに飛びつかせる流れ。マスコミの煽りを見ていると、誘導があり、何かの計画が進んでいてもおかしくない。が、それを指摘しようものなら「陰謀論だ」「映画の見過ぎだ」と批判を受ける。江戸時代に「侍の支配は終わる」と言った時の反応も同じようなものだったろう。あるいは昭和40年代にソ連が崩壊すると予言するようなもの。戦前に原爆の破壊力は理解できないようなものかもしれない。

誰もが「そんなのあり得ない。夢みたいなことを言うな!」と言うレベルなのだ。が、それら歴史を振り返れば、過去になかったことが現実に登場し、時代を大きく変えることが何度もあった。人は、後になってから理解、把握することになる。その意味で、今、何が起こっているのか?は歴史に学びながらも、過去に縛られない発想がなければ理解することはできないのだろう。


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あなたの奴隷国民度は? YES幾つかな? [日本人の問題]

あなたの奴隷国民度は? YES幾つかな?

①「テレビ、新聞から正しい情報を得ています!」
②「オリンピック。元気をもらった。感動!」
③「予防接種。ちゃんと二回しました!」
④「24時間テレビ。毎年寄付します。大切!」
⑤「マスク大事。1人で車運転する時もします!」

以上に全てYESなら、あなたは立派な奴隷国民!?

戦後教育の成果が反映されていますよ。


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脱・都会生活その後は?=LAに近い暮らし。搾取され本来の意味を失う日本人。 [日本人の問題]

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脱・都会生活その後は?=LAに近い暮らし。搾取され本来の意味を失う日本人。

もう、何年も前だが、都会の暮らしをやめた。仕事のことを考えると、高い家賃の都会に住む必要がないからだ。長年、新宿まで歩いて30分のエリアに住んでいたが、全く意味のないことを知った。今、都会でなくても、映画館、大型電気店(あるいはカメラ屋)、ドンキホーテ、ショッピングセンター、ユニクロ、スタバ。何でもある。CDや本は店頭ではなく、amazonで買う。だから何も困らない。

僕の場合。仕事はシナリオと編集が室内。撮影は地方。なので、いずれも都会に住む必要がない。おまけに都会の家賃は高い。その差額を別に回せれば生活水準がアップ?あるいは出費が大幅に抑えられる。ただ、懸念したこともある。一昔前だが都会に住んでいた業界の友人が田舎に引っ越した。年月が経つごとに鋭さが失われ、思考力も落ちて行った。

彼はいう「都会で暮らしていると街を歩くだけでも、看板があり、いろんな新製品の情報が目に入る。街行く人のファッションを見ても季節の移り変わりを感じる。でも、田舎にいると目にするのは田んぼと畑だけ。自分でも鈍くなるのが分かる。テレビを見ているだけでは時代についていけない」特にクリエイティブな仕事をする場合は重要。時代の波についていけなくなる。だが、これは過去の話。現在はネットがあり、都会にいなくても様々な情報が入る。都会と田舎の差は縮まったと思える。

ただ、大きく違うはことがある。都会は電車やバスを使い移動する。コンビニやスーパーは歩いて10分程度のところにある。アメリアでいうとニューヨークに近い。が、非都会(田舎というだけでなく、衛星都市等も含め)は車社会。どこに行くのも車。スーパーも、映画も、電機屋も車で行く。だから、どこへ行っても巨大な駐車場がある。ロスアンゼルスに近い環境だ。車がないと非都会生活は困る。スーパー行くのに歩きで30分。大量に買っても車がないと持ち帰りも大変。

ただ、車は経費がかかるので、僕はバイクに乗っている。税金もガソリン代も安い。駐車場代もいらない。どこでもすぐに行ける。そんなことで脱都会生活を始めてから、生活スタイルが変わった。昔、住んでいたLAの暮らしに近い。都会では映画を見に行くのは電車やバス。LAでは車。今はバイク。アパートからバイクに乗ってシネコンまで。大きな無料駐車場。映画を見たら、そのままバイクで自宅まで。

全くLA時代と同じ。大学も車で通っていたし、まさにあの頃に戻った感じだ。多くの人はそんな自宅から会社に通う。車、あるいは駅まで自転車。そして電車。僕は自宅で仕事することが多い。結局、都会から離れた場所でも問題なかった。そんな暮らしをもう5年前後しているのだが、多くの日本人がアメリカ人のように車がないと生活できない環境にいることを実感している。スーパーに行って大量の食材を買う。家族みんな、車で映画を見に行く。完全にアメリカだ(NYなど例外もあるが多くがそんな感じ)。

なるほど、こんな狭い島国でも車が売れるはずだ。地方ロケに行くと、車がないと生活できないと感じたが、地方だけではない。東京にすぐ近い街でも同様。昭和とは違う生活をスタイルを日本人は送っていること。痛感するし、コロナ禍で進んだテレワークが普及すれば、満員電車や通勤というものもなくなるのではないか?そうなると、もっと別のことに時間もお金も費やせるのでは?と思える。まさに僕がそうだ。

あのまま都会にいれば高い家賃を払うために、やりたくない仕事もやり、映画以外の仕事もせねばならなかっただろう。多くの製作会社はそれでいい映画を作るより、事務所の家賃を払うために仕事をする。だから、ピンはね、中抜き。いい映画を作るより、経費をゴマかすことに頭が行く。都会に事務所を持ったことで、そういう環境に組み込まれてしまう。映画界だけでなく日本人はそんな風にして、時間もエネルギーも有効に使えていないのでは?と思えてくる。



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脱都会生活(下)=都会で暮らすメリットがないことに気づく? [日本人の問題]

脱都会生活(下)=都会で暮らすメリットがないことに気づく?

長年住んでいたのは新宿まで25分の距離にあるアパート。銀行でも、スーパーでも、コンビニでも、歩いて5ー10分で行ける。だが、脱都会生活で住み始めた街はどこへ行くのも30分。往復で1時間かかる。これ結構、大変。だが、これも解決策を考えていた。以前にも記事にしたオートバイが活躍する。免許はアメリカ時代に取っている。が、都会暮らしだとほとんど乗る必要がない。むしろ面倒。特にオートバイで移動すると都心は駐車場がない。車が多くて飛ばせない。

アパートの駐輪場も狭く、バイクを置くと嫌がられる。だが、脱都会生活はその辺が全部クリアー。どこに行ってもバイクの駐車場あり。ほぼ無料。逆にバイクがないと大変。仕事中にプリンターのインクがなくなる。買いに行くのに往復1時間。作業に戻ると、あ、明日は土曜日。銀行に行かないと!また1時間。と無駄が多い。バイクがあれば往復10分。都会暮らしの頃でも、インクは近所で買えず、新宿のヨドバシカメラまで行かねばならない。往復1時間。むしろ都会生活より今の方が便利なのだ。

ただ、1つ。打ち合わせの時は新宿等まで行かねばならず、電車で1時間かけて行く。が、問題はそれくらい。家賃は以前の半額。広い部屋で編集室も作った。大量の資料は書庫に入り、小さな映画製作会社となっている。これを新宿近辺で実現するには、高額の維持費が必要になる。そして、脱都会生活を続けると、あれこれ考えたこともなかった事実を知ることになるのだが、それはまた別の記事にする。

結論。20年前は大切だと思っていた価値観(都会に住む利便性。必要性)が年月と共に無意味になっていた。にも関わらず、それにこだわり、多額の出費を続けていたこと。そのことに全く気づかないでいたこと。痛感する。アパートだけでなく、他のことでも同じことをしていないだろうか? すでに価値のないことを続けていたり、他で代用した方が格安で時間もかからないことを古臭い手法でやっていたり。

今の日本にはそんなことが多いのでは? 教育もそうだ。相変わらず社会で役に立たないことしか教えていない。昔なら無駄でも優秀な成績を取り一流大学に入れば一流企業に入れただろう。でも、その一流が潰れたり、リストラしたり。会社入れば安泰!の時代ではない。なのに親たちは無意味な勉強を強いる。もっと役に立つ何かを学ぶ機会を作るべきなのに、高い教育費を払い古い価値観を今も実践している。あれこれ見直す時期が来ている。


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脱都会生活を実践(上)=都会から離れて暮らしても困らない? [日本人の問題]


脱都会生活を実践(上)=都会から離れて暮らしても困らない?

アメリカ留学から戻り、25年ほどはずっと新宿まで歩いて30分の街に住んでいた。と言っても高層ビルもない。駅前商店街のある小さな街なのだが、ある事件で郊外に引っ越した(事件のことは先に三回に渡り記事で紹介)。田舎町という感じではなく、住宅街。近所に畑もない。ま、高層ビルもない。新宿までは電車で1時間ほどかかる。ただ、家賃はめちゃ安。以前の半分。

なのに部屋も広い。2dk。繁華街は近所にないが、そんな街で暮らして5年ほど経つ。困ることはほとんどない。まず、僕の場合は映画館。新宿に近いと、あれこれ週に何度も通った。昔ならこの街から電車で1時間かけて新宿や渋谷まで行かねばならなかったが、今はシネコンがある。近隣に5館もある。新宿でやっているメジャーな映画ならほぼ網羅できる。

次によく行くのが本屋。紀伊國屋のような店があると便利。だが、都内でも次々に本屋は潰れている。どうなのか? 最近はamazon。たいていの本は手に入る。送料無料。紀伊國屋がなくても平気。映画屋にとって大切なのは大型量販店。パソコン関係、カメラ関係、データのカード等で行くことが多い。けど、今は都会でなくてもヤマダ電機やKsデンキがあり困らない。

スーパーやコンビニは当然ある。若い頃のように飲み会にも行かない。終電まで飲んだりしない。あの頃はタクシー使わずに新宿から歩いて帰れる距離に住んでて便利だったが、そこまで飲まない。仕事はシナリオと編集は自宅。新宿が近い必要はない。撮影は地方。これが都内の撮影が多いと、都心に住む方が便利なのだが、僕の場合まず近場の撮影はない。

つまり、25年前はめっちゃ便利だった新宿まで歩いて30分のアパートも今では全く意味がなくなっていた。それどころか部屋代高い。全く意味のないことを数年間続けていたのだ。監督デビューから16年。忙しすぎて考える暇がなかったが、時代は変わり、都会の周辺に住まなくても何も困らない時代になっていたのだ。

ただ、1つだけ困ること。脱都会でも駅の周辺はそれなりの値段になる。少しでも安い部屋を!と探すと、いい物件があったが、駅から遠い。歩くと30分。以前なら新宿に行ける距離。今は、駅からさらに1時間かけないと新宿まで行けない。ま、新宿まで行く用がほとんどないのだが、駅まで30分。スーパーも遠い、電気屋も少しある。歩いて5分の距離に吉野家はない。

最初は健康のために歩こうと思ったが、意外に面倒。移動で時間を取られる。都会生活やめたの失敗か? しかし、簡単な解決法があった!もちろん、それを考えた上でのことだった。 続く


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ある事件で知った「時代は変わる」ということ③=日本は変わった。都会に住む必要がない! [日本人の問題]

ある事件で知った「時代は変わる」ということ③=日本は変わった。都会に住む必要がない!

元のアパートに戻る? でも、膨大な資料がある。捨てられないものも多い。いつか別の映画を作るための編集室もほしい。会議はできなくてもいい。あれこれ考えて、元の狭いアパートに戻るのはマイナスだと考えた。それと今回のことは一つの節目で、「次のステップに上がれ!」という映画の神様のお告げではないか?とも考えた。このまま都会に住み続けることがいいのか? あまりにも忙しくて考えたことがない。というより帰国以来、気にもしなかった。

帰国から20年以上が経っている。まず、歳も歳。終電まで飲むことがなくなった。そもそも飲み会に行かなくなった。そして先輩から急に連絡が来ることもなくなった。依頼は事前にあり、日を決めて打ち合わせ。居酒屋でバイトすることもない(これからまた、あるかもしれないが!)さらによく行く大スクリーンの映画館。新宿プラザやミラノは閉館。シネコンの時代になっていた。紀伊國屋に行かずともマニアな本もAmazonで買える。タワーレコードなくても、音楽配信で困らない。

つまり、新宿まで歩いて30分という立地条件。そのプラスがほぼなくなっていることに気づいた。にも関わらず、僕はそれに拘っていた。時代は変わり。歳を取り、いろんなことが変化していることに気づかなかった。これっていい大人が未だに「メイドイン・ジャパンは世界のブランド」と思っているようなもの。忙しく仕事をしていると時代の変化に気づかないのだ(変わらないのは日曜日の「サザエさん」だけか?)

新宿に近い必要はない。今は小さな街にもシネコンがある。本屋やレコードはそもそも多くが潰れたが、amazonで注文すれば問題なし。田舎でもOK。都会と地方の差がほとんどない時代になっていた。問題は通勤くらいだろう。だが、僕の場合。ロケはほぼ地方。泊まり込みで撮影。編集は自宅。都会に住む必要はない。

新宿に近くなくても、それこそ東京でなくても、日本でなくても、困らないということだ。ま、沖縄や北海道に住むのは素敵だが、打ち合わせの時に東京まで行かねばならず、zoomもあるけど、やはり面と向かうことは大事なので遠すぎる。が、関東であれば全然、OKではないか?

そこであちこち調べて、家賃の安い、広い部屋がある街を探した。まあ、どことは言わないけど、ありました! その時に住んでいた新宿に近い2DKの部屋と全く同じ間取り広さのアパート。値段はずばり半額!これならバイトをしても払える。シネコンは1〜3駅間に3館ある。駅前に商店街もある。スーパーもコンビニもある。そこに引っ越すことにした。もうかなり昔の話だが。

今回の567禍で感じた人も多いだろうが、都会に住む必要性がかなり下がっている。地方にいてもほとんど困らない。会議はzoomでも対応できる。なんで、満員電車に揺られて、会社に通わねばならないのか? その通勤時間で別のことができる。高い家賃は必要ない。安いところに住み、差額を趣味のために回す。生活水準がグッと上がる。時間にもゆとりが出る。今まで何だったの?と思った人が多いに違いない。まさに僕も同じだった。

映画製作がキャンセルされたことは悲しい。でも、そのことで大都会に住む必要がないことを痛感。そんなことでもないと多分、死ぬまで都会で暮らしていただろう。そのことで、いろんなことを発見する。多くのメリット。少しばかりのマイナス。知らなかったこと。あれこれ感じている。

「で、どこに住んでいるの?」と質問はしないように、敵も多いし、答えるつもりはない。あと、これはもう、かなり前の話。お誕生日とか、引っ越しましたとか、は記事にしないが、567とダブるので今回初めて記事にした。この後、小さな問題が発覚。それが大きなプラスに結びつく話を紹介する。続きはまた。



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