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あなたも誘導されている。洗脳されているはずだ! [日本人の問題]

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あなたも誘導されている。洗脳されているはずだ!

僕のFB友達はリテラシーレベルが高い人が多い。政府やマスコミの誘導、印象操作に乗せられず、真実を見極めようとする。理屈に合わないデマを見抜き、距離を置く。テレビや新聞が伝えない情報も持っている。

それでも誘導され、印象操作されている人を時々見かける。その誘導に使われるカードが「感情」だ。感情に訴えることでリテラシーのある人でもコロッと引っかかる。例えば「怒り」ーその人物はこんなに酷い奴なんだーと伝えると「それは許せない!」と理性や論理性を失い攻撃的になる。

それを利用したのがナイラ証言。ありもしないイラク兵の蛮行をクエート人の少女が国連本部でスピーチ。世界中が怒り同情し、湾岸戦争戦争が始まった。太平洋戦争時も同様。「騙し討ちをしたジャップ。多くのアメリカ人が犠牲になった!」そう政府はアピール。国民は反対していた戦争に賛同するようになった。同じことがFB上でも行われている。

本来、意見はその内容で判断するべき。高名な学者だって間違ったことを言うし、犯罪者だって正しいこと言うことがある。だが、FB上では嫌われ者の発言を紹介すると、必ず否定、批判、攻撃コメントが来る。以前は「小池百合子やホリエモンの本を読んでいる」と記事にするだけで「私は読みません!」「こいつ大嫌い!!」と言うコメントが来た。読んでほしいと勧めているわけではないのにだ。

いずれも自分が嫌いな人物が記事に取り上げられたことで感情的になり、嫌悪感が込み上げ、冷静さと論理性を失い、現実を把握できなくなっている。が、僕は嫌われ者に興味がある。なぜ、嫌われるのか?なぜ、嫌われることをするのか? そこが知りたい。

だが、多くの人は嫌われ者を深く知ろうとはしない。では、よく知らない相手をなぜ嫌うのか? それはネットで聞き齧った噂話。批判。誰かの言葉を読んで「それは酷い。許せない!」と思い込んだだけなのだ。それが事実なのか? デマなのか? 検証も確認も取らずに、どこの誰かも分からないコメントを信じて嫌うようになる。その人物について知ろうとしないので憎悪だけが維持される。増幅されて行く。

その心理と反応を利用したのがネガティブ・キャンペーンだ。どこの誰とも知れないツイートを読んで「許せない!」というのなら、著名人、文化人、大手マスコミを利用してデマを流せば、多くは信じてしまい「許せない!」となる。アメリカの政治ではよくその手法が使われる。
あの大統領もその攻撃を受けていた。

日本でも同様。小沢一郎はそれで「悪徳政治家」のレッテルを貼られた。多くが「嫌い」というが、誰に聞いても理由が言えない。「悪い人だから」としか言わない。どんな悪いことをしたのか?言えない。要は印象操作にかかっただけ、彼が不正をやって逮捕されたとか言う話はない。西松建設事件も無罪。そうやって敵勢力が手強い相手のイメージダウンさせる戦術なのだ。

その手法に誘導される日本人は多い。僕のFB友達も例外ではない。嫌う相手のことはマスコミ報道やネット情報だけでしか知らないのに「****は許せない」「断固、辞任を要求する」とか力説する。「断言する」「騙されてはいけない」という人もいる。が、そこまでの確信をどこで持ったのか? 残念ながら、ほとんどが「思い込み」と「怒り」で冷静さを失っているだけ。

「怒り」と共によく使われる感情カードが「恐怖」。それを前にした時人は冷静さをなくし、倫理性を失い、感情的に取り乱し、日頃ではあり得ない失態を繰り返す。間違った判断をしてしまう。それがまさに今だ。多くのリテラシーあるFBフレンドがおかしなコメントを書き込んでくる。その人の発言内容ではなく、その人のイメージだけで判断して感情的なコメントを書き込んでくる。

その「恐怖」のカードが使われるのが「戦争」。だから、理不尽なことでも強行されてしまう。冷静さをなくした人々は、その理不尽に従う。いや、自らそれを実践、他人にまで強要。それは自然発生ではない。多くの人は歴史の1ページであるかのように耐え、従う。が、その効果を知っている人たちが仕掛け、誘導し、実践しているのだ。そうして大儲けし、支配を続ける。

怒りや恐怖を訴える事象には注意が必要。安易に信じてはいけない。乗せられてはいけない。何よりテレビ新聞。そして政府の発表を鵜呑みにしてはいけない。まあ、FBでは問題ある友達は全部、さよならしたと思ったけど、リテラシーある友達も乗せられているのを見ると悲しい。ま、僕も人のことは言えない。映画屋はリアルな嘘を作る仕事。見抜くのも得意だが、それでも引っかかる。それだけ彼らの誘導は巧妙なのだ。考えてみてほしい。



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日本がいかにダメな国であるか?よく分かる記事「ノーベル賞に日本人」 [日本人の問題]

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日本がいかにダメな国であるか?よく分かる記事「日本人がノーベル賞!」

記事より真鍋氏「アメリカでは自分のしたいようにできます。他人がどう感じるかも気にする必要がありません。実を言うと、他人を傷つけたくありませんが、同時に他人を観察したくもありません。何を考えているか解明したいとも思いません。私のような研究者にとっては、アメリカでの生活は素晴らしいです」

「アメリカでは自分の研究のために好きなことをすることができます。私の上司は、私がやりたいことを何でもさせてくれる大らかな人で、実際のところ、彼はすべてのコンピュータの予算を確保してくれました」

つまり、日本では「自分のしたいようにできない」「他人がどう感じるかを気にする必要がある」「他人を観察(どう思われているか?注意)せねばならない」「日本では研究のために好きなことができない」「上司はやりたいことを何もさせてくれない」という意味だ。

村社会ルールがあり、同調圧力がある。研究よりも調和や噂を気にせねばならない。だから、日本では研究ができないということだ。それをマスコミは「日本人がノーベル賞!」と騒ぐ。

https://globe.asahi.com/article/14456228




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社会が多様化し、何が正しくて何が間違っているか?見抜くのが難しい。 [日本人の問題]

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社会が多様化し、何が正しくて何が間違っているか?見抜くのが難しい。

昨年までは「安倍、辞めろ」で済んだが、今は誰が「諸悪の根源」で、誰が「期待できる」のか?分からない。この間まで「安倍、辞めろ!」と言っていた人が安倍の傀儡議員を応援し、安倍の息の根を止める可能性ある議員を「最悪!」と批判している。なんとも悲しい。

そもそも教育によって「考える力」を奪われている日本人。世の中は時代劇ではないので、悪代官がいて、正直な農民がいる訳ではない。農民にも酷い奴がいるし、代官にも志ある者がいる。あるいは悪代官の振りをして、別の思いを抱いている者もいる。が、それを見抜くことができず、「最悪!」となじる国民が多い。

また、「枠店のことを言わないから、あの議員はダメだ」とか言うまっすぐな人も多い。今、枠店の正体を明かしても無意味な攻撃を受けるだけ。それが分かっているから触れないのだ。自分で考える力のないバカな国民に全ての真実を明かしても反発を喰うだけ。

それよりも国民に分かる問題の解決を訴える方が理解を得られる。枠店の真実を知る人は情報通であり、考える力もある。だが、それを特定の議員が触れないから「あいつはダメだ」と批判するようでは、その人もまた考える力に欠けていると思える。

そして、多くが嫌う人がいた場合。必ず裏で扇動する連中がいる。「みんなが嫌っている」は本当はいい奴であることが多い。特定の勢力に都合が悪いから、デマやディスインフォメーションで中傷し、信頼を落とそうとしているのだ。そこそこ考える力があり、情報を持っている人もそれに乗せられることが多い。

忘れてはいけない。私たち日本人は10年に渡る教育で「考える力」が育たないようにされて来た。与えられたことを鵜呑みにする教育を受けて来たのだ。その洗脳からは簡単に逃れられない。全てを疑い。全ての裏を想像しよう。え? 俺は大丈夫。騙されない?いえいえ。「私はオレオレ詐偽には絶対にかからない」と言うタイプこそが引っかかる。それと同じなのだ。


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政治を変える必要はない。国民が変われば政治も変わる=ただ、教育に「考える力」を奪われた人たちをどうすればいいのか? [日本人の問題]

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政治を変える必要はない。国民が変われば政治も変わる=ただ、教育に「考える力」を奪われた人たちをどうすればいいのか?

今からちょうど41年前。高校を卒業。映画監督を目指して本当の意味で人生をスタートさせたのが横浜だった。当時、18歳。様々な思い出がそこにある。青春映画としていつか描きたい思い出の数々。そのための写真もたくさん撮影してきた。が、しばらくは書かないでおく。

失望した!と言う思いもあるが、そもそも特別に民度が高い街と言うことではない。東京よりはマシ?と思っていたが大差はなかった。こちらが勝手に思い出を重ねているだけであり、それは現実ではない。この街の人たちがより幸せになってほしいと言う願いがあっただけ。

青春の日々にお世話になった人。通った店。会話を交わした人たち。迷惑をかけた方々。そんな思いがあるので、ベターデイズを望まずにはいられなかっただけ。だからこそ、カメラと三脚を抱えて金沢文庫まで出かけた。僕は知らない人を応援しない。あの候補は「朝日のあたる家」を観てくれ、応援してくれた。その日以来、何かにつけてメールをくれたり、情報をくれたりした。先日も長野に行き、彼の活躍を聞いたばかりだ。

そんな人が横浜のために身を投げ打って戦おうとしている。何か応援したいと思えた。それでなくても青春の日々を過ごした街。ただ、それは僕の思い入れであり、別の現実が存在する。日本人は幼い頃から「考える力」を育てる教育をしない。与えられたことを確実するだけの人間を作るシステム。その中で、自分のために頑張る人がいても、それには気づかない。与えられた情報に即した行動しかできない。

テレビでよく見る。組織から指示された。マスコミが持ち上げている。そんな人たちに意味を感じてしまう。だから、都民は小池を選び、五輪と567で今も苦しんでいる。ある意味で自業自得。太郎さんなら、今頃毎月10万円給付だったのに。それは東京が特別ではなく、横浜も同様。同じ日本の教育で育った人たちが一票を投じる。全く違う結果が出るはずもなく、組織票が力を発揮したようだ。それに囚われない人たちは100点満点のスーパーヒーローを期待し、頑張る人たちを否定してしまう。

子供の頃から刷り込まれた教育。与えられたことで100点を取ることを求められた。自分で考える必要はない。それはまさに洗脳。簡単に逃れることはできない。だから567で大騒ぎ、枠てんを疑わずに摂取してしまう。でも、政府はそうやって戦後76年。上には逆らわない従順な国民を作り続けてきたのだ。それを数年で引っくり返すことは難しい。今回もそんないち場面に過ぎないのだが、ここ何年も汚されていく思い出の街を見ていると悲しみが込み上げた。

個人ができることには限りがある。特定の候補を応援することぐらい。何よりも大多数を刷り込まれた教育から解放するのは簡単ではない。ただ、映画ならば多くの人を変えることが可能だ。黒澤明は言った。「あと100年あれば、僕は映画で戦争を止めて見せる」100年でなくても何かを変えていけるはず。変えるべきは政治ではない。変えるべきは国民の考え方。そうすれば政治も変わる。気づいた人たちが大切なこと伝えれば、少しずつでも変わるはず。

だが、567は感染拡大。映画撮影はできない。いや、収束しても、そんな話はない。今はただ、自身の無力さを痛感するだけだが、しばらくはそんなことを考えてみる。



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人はなぜ、健康の話になると、知りもしないことをアドバイスし始めるのか? [日本人の問題]

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人はなぜ、健康の話になると、知りもしないことをアドバイスし始めるのか?

特定の食品を食べて血糖値を測る。それをレポートしている人がいる。そのコメント欄を見ると、その実験と直接関係のない。野次や批判がかなり書き込まれている。目玉焼きの回だと「こんな下手くそな目玉焼きは初めて見た」「まずそう」「オリーブオイルを使った方がいいですね」「作り方、勉強した方がいいよ」的な血糖値と関係のないものが続く。

また、血糖値について書かれたコメントでも、他の人の書き込みから「聞きかじったこと」「思い込み」のものが多い。正確な知識が少ない。僕も健康関連の話を書くと、他の記事以上に、その種の野次馬コメントが来る。明かに知識のない人が、聞いた話を得意げに書き込む。また、本論に関係ないコメントで言えば「もっと痩せた方がいいよ」「スポーツしなきゃダメだ」的な、「そんな話をしているのではない!お前誰?」というものも多い。

どうも、僕のコメント欄だけでなく「健康」関係の記事を挙げると、読者は急に上から目線になったり、的外れなコメントを始めるようだ。だから、最近は「アドバイス、指示、提案は一切いりません」と厳しく書くようにしている。と、前回はコメントゼロ。それだと記事の評判が分からないが、「いいね」の数だけでもいいか? あれこれ無神経なコメントがたくさん来るよりはいい。

しかし、「健康」の記事を読むとき、読者はどんな心理状態になるのか? なぜ、急にあれこれアドバイスしたがるのか? 専門家でもなく、自身で詳しく勉強している訳でもない人がコメント。それも多くの人がいう一般論、ありふれた話を書き込んで来る。それで感謝される?他の人が読んで参考になると思っているのか? どうも他のトピックと違い、レベルが急激に下がり、烏合の衆となりがち。

一つには健康に対する興味は強いはず。「人のために役立ちたい」という優しい気持ちもあるだろう。だが、役に立つコメントはほとんどない。急に素人評論家、素人専門家に変身。無意味なことを書き込む。その辺の背景を考えてみたい。非常に愚かで自己満足な何かが裏にあるように思える。


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昔、「ちょっといいですか?」と声をかけてきた新興宗教信者? [日本人の問題]

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昔、「ちょっといいですか?」と声をかけてきた新興宗教信者?

街角で声をかけてくる新興宗教の若い信者たちがいた。僕は興味あり、(宗教に興味ではなく、それを信じる人たちの心理に興味ある)いつも長々と話しを聞いた。

そのあと、疑問に思ったことをあれこれ質問すると、彼らは決まって怒り出すか、意味不明な言い訳を始める。そして「あなたと話しても無駄ですね」と去って行く。宗教の勧誘も大変だと思った。





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「踊る!大捜査線」映画版が伝える今、一番大切なこと=567も五輪も同様。自分で考え判断すること [日本人の問題]

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「踊る!大捜査線」映画版が伝える今、一番大切なこと=567も五輪も同様。自分で考え判断すること

「踊る大捜査線」というと、もうすっかり昔に流行った刑事ドラマという認識になっている。が、確か映画版の「レイボーブリッジを封鎖せよ」だったと思うのだが、今の時代に大切なテーマが描かれていた。

テレビドラマは面白おかしく、ハラハラドキドキの恋愛を描いているだけと思われがちだが、90年代のドラマはそれだけではない。大切なことを伝えていた。脚本は君塚良一。「チーム」もそうだったが、忘れかけている大切なことが謳われている。「踊る」は大ヒットしたので、織田裕二主演のライトコメディ風刑事物。という軽い印象があるが、あの映画版は凄かった。

警察というのはピラミッド型組織で、下は何も考えなくていい。上が考え決定したことに従い、動けばいいという組織。ローラー作戦を展開しても現場の刑事は、肝心なことを教えられていない。一流大学を出たエリート管理官が全てを仕切る。そんな従来の刑事物とは違う現実を取り入れたのが「踊る」である。まさに日本社会。会社も政治の世界も同じ。支配者層ともいうべき上層部だけが全てを把握し、情報を持ち、下の人たちは何も考えずに従うだけ。

実際、そのために戦後教育は行われてきた。与えられたことを確実にこなすものが優秀とされ、成績で子供たちを分けた。一流大学を出た者が、一流企業に入る。警察で言えば国家試験の第1種に合格したものは警部補からスタート(本来は巡査、巡査長、巡査部長、警部補、警部と昇進していく)40歳前には署長にまでなるコース。キャリアと呼ばれるそんな人たちの指示で現場は動く。

企業も政治も同じ構図。日本は経済大国になりえた。ただ、それはバブル崩壊まで。その後はアメリカの後追いをしているだけではダメな時代になる。そんな頃に放送されたのが「踊る」である。君塚良一という人はそれを映画にしたのだと思うが、以前と同じことをしているので日本の企業はダメになり、電化製品でも韓国に追い抜かれた。SONYの広告はもうNYのタイムズスクエアにはない、

映画の中で起こる組織犯罪。犯罪とてボスがいて、その指示に従い犯罪を遂行するのだが、その組織はそれぞれが考えて犯罪を行うので、これまでのような捜査では対応できない。上層部の指示通りに現場が動くと裏をかかれ犯罪を止められない。主人公が所属する湾岸署は大混乱となる。そこで織田裕二扮する青島刑事と、彼を理解する室井管理官はいつものように、上から指示を出し、捜査させるのではなく、「上の指示を聞くな。現場の警察官がそれぞれの考えで行動しろ!」と連絡する。

言われることをするだけだった現場の刑事たちが、自分たちで考えたことがなかった戸惑い。だが、彼らが必死に考える。結果、次々に起こるテロを止める。この展開に血が逆流した。そう、今の日本人が、日本が、失った大切なこと。言われることをするだけではなく、自分自身で情報を取り、分析し、考え、行動する。物語はその大切さを観客に訴えていた。そうしないと新しい時代を切り抜けられないと訴えているのだ。

映画からもう20年ほどが経つが、今の日本人に必要なのはまさにそれだ。なのにオリンピックに踊らせる国民。犠牲を考えず強行しても「感動した!」と喜ぶ。どうすべきか?まず、与えられたことをそのまま受け入れない。自分で情報を取る。マスコミ情報を鵜呑みにしない。

それを自分で考えて、分析して、行動する。それができてないから567で慌てふためき、危険だと言われているのに湧く点を打ってしまう。今、多くの日本人に大切なのは「自分で考えて判断すること」「踊る」映画版はまさにそれを伝えていたことを思い出す。



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今、自分が生きている時代がどんな時代なのか?=理解するのは難しい。 [日本人の問題]

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今、自分が生きている時代がどんな時代なのか?=理解するのは難しい。

江戸時代は300年足らずだが、当時の人は「昔から江戸時代は続いていて、これからもずっと続くものだ」と思っていたらしい。その後、1867年に大政奉還があり、翌1868年からは明治時代になるのだが、ずっと続いて来た時代の上にいると、それが崩壊し別の時代になるとは想像しづらいものなのだ。

僕は昭和生まれだが、経済成長が続く日本。それがずっと続くであろうと思っていたら、バブル崩壊、リーマンショックで、まさかの不況が20年以上も続く時代になろうとは想像もしなかった。江戸の人と大差なし。やがて韓国や中国に追い抜かれるであろうことは、経済の流れの中で致し方ないとは思っていたが、ここまでジリ貧の国になるとは考えなかった。

つまり人は自分が歩んで来た30年40年。という短い年月を基本にしてしまい、それが続いて行くと思い込みやすい生き物なのだろう。僕が生きている内に東西ドイツが一つになる。ソ連が崩壊する。なんてことが起きようとも思わなかった。ずっと未来。僕らが死んで何十年も経ってから、戦争のない世界になる。その時にはベルリンの壁も無くなっているかも?と想像するだけだった。

だから、ソ連とアメリカが冷戦を続けている70年代に、「ソ連はやがてなくなる」と予言しても、「そんなことある訳ないだろう!」と誰にも理解されなかったはずだ。それはマゼランが船で世界一周を果たすまで、地球が丸いことさえ、誰も信じようとしなかったのと同じ。今では誰も知ることを当時は重力のことも分からず「地球が丸いと下にいる人は宇宙に落ちる! だから、あり得ない」と思っていたのだ。

その意味で言うと、数年で中国共産党が無くなっても不思議ではない。アメリカ合衆国が亡くなってもおかしくないのだ。ソ連も設立から70年ほどで崩壊している。中国共産党もそろそろ、それくらい。だが、多くの人は「そんな訳ないだろう?」と言うが何ら根拠はなく、「自分が生まれてからずっとあるのだから、これからもなくならないだろう」と言うだけの理由で言っているはずだ。

歴史に学ぶことは大切だが、同じ繰り返しばかりではない。「567が終わったら戦争が来る」と言う人を時々見かけるが、根拠はほとんどないだろう。「悪いことは続く」と言うネガティブな思いが、そう感じさせているだけのことが多い。多分、今が戦争中なのだ。ミサイルを使って攻撃するのではなく、ウイルスという武器を使った新しい形の戦争。だが、経験したことのないことを多くは理解しない。

戦車や戦闘機が攻撃して来なければ「戦争」と言う実感が持てない。だから、不自由だが、今の生活を平気で続けているのではないか?ただ、気づいても個人にはどうすることもできないが、その新しい形の戦争は何のために行われているのか?を考えれば違ってくる。昔の戦争は植民地化すること。今は? 言われているように人類削減? 収束後に倒産寸前の店や会社を中国が買いたたくための計画?

ウイルスで脅かし、枠てんに飛びつかせる流れ。マスコミの煽りを見ていると、誘導があり、何かの計画が進んでいてもおかしくない。が、それを指摘しようものなら「陰謀論だ」「映画の見過ぎだ」と批判を受ける。江戸時代に「侍の支配は終わる」と言った時の反応も同じようなものだったろう。あるいは昭和40年代にソ連が崩壊すると予言するようなもの。戦前に原爆の破壊力は理解できないようなものかもしれない。

誰もが「そんなのあり得ない。夢みたいなことを言うな!」と言うレベルなのだ。が、それら歴史を振り返れば、過去になかったことが現実に登場し、時代を大きく変えることが何度もあった。人は、後になってから理解、把握することになる。その意味で、今、何が起こっているのか?は歴史に学びながらも、過去に縛られない発想がなければ理解することはできないのだろう。


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あなたの奴隷国民度は? YES幾つかな? [日本人の問題]

あなたの奴隷国民度は? YES幾つかな?

①「テレビ、新聞から正しい情報を得ています!」
②「オリンピック。元気をもらった。感動!」
③「予防接種。ちゃんと二回しました!」
④「24時間テレビ。毎年寄付します。大切!」
⑤「マスク大事。1人で車運転する時もします!」

以上に全てYESなら、あなたは立派な奴隷国民!?

戦後教育の成果が反映されていますよ。


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脱・都会生活その後は?=LAに近い暮らし。搾取され本来の意味を失う日本人。 [日本人の問題]

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脱・都会生活その後は?=LAに近い暮らし。搾取され本来の意味を失う日本人。

もう、何年も前だが、都会の暮らしをやめた。仕事のことを考えると、高い家賃の都会に住む必要がないからだ。長年、新宿まで歩いて30分のエリアに住んでいたが、全く意味のないことを知った。今、都会でなくても、映画館、大型電気店(あるいはカメラ屋)、ドンキホーテ、ショッピングセンター、ユニクロ、スタバ。何でもある。CDや本は店頭ではなく、amazonで買う。だから何も困らない。

僕の場合。仕事はシナリオと編集が室内。撮影は地方。なので、いずれも都会に住む必要がない。おまけに都会の家賃は高い。その差額を別に回せれば生活水準がアップ?あるいは出費が大幅に抑えられる。ただ、懸念したこともある。一昔前だが都会に住んでいた業界の友人が田舎に引っ越した。年月が経つごとに鋭さが失われ、思考力も落ちて行った。

彼はいう「都会で暮らしていると街を歩くだけでも、看板があり、いろんな新製品の情報が目に入る。街行く人のファッションを見ても季節の移り変わりを感じる。でも、田舎にいると目にするのは田んぼと畑だけ。自分でも鈍くなるのが分かる。テレビを見ているだけでは時代についていけない」特にクリエイティブな仕事をする場合は重要。時代の波についていけなくなる。だが、これは過去の話。現在はネットがあり、都会にいなくても様々な情報が入る。都会と田舎の差は縮まったと思える。

ただ、大きく違うはことがある。都会は電車やバスを使い移動する。コンビニやスーパーは歩いて10分程度のところにある。アメリアでいうとニューヨークに近い。が、非都会(田舎というだけでなく、衛星都市等も含め)は車社会。どこに行くのも車。スーパーも、映画も、電機屋も車で行く。だから、どこへ行っても巨大な駐車場がある。ロスアンゼルスに近い環境だ。車がないと非都会生活は困る。スーパー行くのに歩きで30分。大量に買っても車がないと持ち帰りも大変。

ただ、車は経費がかかるので、僕はバイクに乗っている。税金もガソリン代も安い。駐車場代もいらない。どこでもすぐに行ける。そんなことで脱都会生活を始めてから、生活スタイルが変わった。昔、住んでいたLAの暮らしに近い。都会では映画を見に行くのは電車やバス。LAでは車。今はバイク。アパートからバイクに乗ってシネコンまで。大きな無料駐車場。映画を見たら、そのままバイクで自宅まで。

全くLA時代と同じ。大学も車で通っていたし、まさにあの頃に戻った感じだ。多くの人はそんな自宅から会社に通う。車、あるいは駅まで自転車。そして電車。僕は自宅で仕事することが多い。結局、都会から離れた場所でも問題なかった。そんな暮らしをもう5年前後しているのだが、多くの日本人がアメリカ人のように車がないと生活できない環境にいることを実感している。スーパーに行って大量の食材を買う。家族みんな、車で映画を見に行く。完全にアメリカだ(NYなど例外もあるが多くがそんな感じ)。

なるほど、こんな狭い島国でも車が売れるはずだ。地方ロケに行くと、車がないと生活できないと感じたが、地方だけではない。東京にすぐ近い街でも同様。昭和とは違う生活をスタイルを日本人は送っていること。痛感するし、コロナ禍で進んだテレワークが普及すれば、満員電車や通勤というものもなくなるのではないか?そうなると、もっと別のことに時間もお金も費やせるのでは?と思える。まさに僕がそうだ。

あのまま都会にいれば高い家賃を払うために、やりたくない仕事もやり、映画以外の仕事もせねばならなかっただろう。多くの製作会社はそれでいい映画を作るより、事務所の家賃を払うために仕事をする。だから、ピンはね、中抜き。いい映画を作るより、経費をゴマかすことに頭が行く。都会に事務所を持ったことで、そういう環境に組み込まれてしまう。映画界だけでなく日本人はそんな風にして、時間もエネルギーも有効に使えていないのでは?と思えてくる。



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