「未来は、本当は子供達の手にあるものなのに、」 [応援]
いつも素敵なコメントをくれる
和歌山県の梅茶さん
今回も心に染みるメッセージをくれた。
ご紹介する
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by 梅茶
子供は親より早く死んではならない…、
本当にそうですよね。
けれど、放射能に対する感度は、子供の方が大人より数倍高いと言われています。
今、原発問題で議論を戦わしているのは、
大人達…、 未来は、本当は子供達の手にあるものなのに、
今現在のエネルギー需要や、経済動向、国際関係をもとに議論を戦わしても、
実際に未来の現場で、汗を流すのは、今、蚊帳の外にいる子供達なのです。
いくら、親の世代が、良かれと思ってしたことでも、
子供達の世代に、放射能による健康被害が多数あらわれたり、
奇形や死産、不妊が続出したりして、
社会自体が成り立たたなくなる恐れも、 ないとは言えません。
もはや、今の大人の常識が通用しなくなる世界を引き起こしてしまう、
そんな危険性をはらんでいるのが、 放射能、および原発問題、なのかもしれません。
親の思いが、ちゃんと子に届く社会…、
そんな社会を守っていくために、
今の大人達、子供達の記憶に残していきたい…、
そんな映画ですね…。
大切な何かを伝えてくれる作品。 [応援]
このところのシリーズを読んで
和歌山県の小玉虫パパさんが
メッセージをくれた。
以下でご紹介する。
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映画って様々なジャンルがあります。
ベストセラーを映画化したもの。 アニメを実写化したもの。 テレビドラマを延長したもの。
特撮やSF超大作などなど…
出演する俳優さんも様々。 超人気俳優。 売れっ子アイドルなどなど…
もちろん実力派俳優さんが出てて こちらの期待以上に見応えがあって
『観にきて良かったー!』ってのも少なくないです。
日本では低予算映画・地方映画も含めると 1日1本以上の割合で撮られてるそうです。
僕も年に何回か映画館に足を運びます。 邦画を観ることが多いです。
やはり『観たい映画』が多いんですよね。
残念ながら和歌山県で上映される映画は大変限られています。
邦画でも洋画でもCMでバンバン宣伝されてる映画しかこないです。
でも、それを観に行っても期待外れってこともあったりして。
低予算でも心に響く作品。 大切な何かを伝えてくれる作品。
生き方を教えてくれる作品があります。
我が家では「ストロベリーフィールズ」がそうでした。
「 青い青い空」がそうでした。
これらは『観たい映画』じゃなくて『観るべき映画』なんですよね。
実際、ウチの娘たちは「ストロベリーフィールズ」と「青い青い空」に
大切なことを教わりました。
そして「朝日のあたる家」もまた。
娘たちはまだ観れてませんが、すでに大切なことを教わりつつあります。
ていうか、「朝日のあたる家」は日本人に大切なことを教えてくれると思います。
湖西市での完成披露上映会に訪れた3000人の方々は
ラストのあかねと舞の叫びを聞いた瞬間、
平田家の5番目の家族に、なったのではないでしょうか?
そして原発事故は決して収束していない。
人と放射能は共存できないと知り得たのではないでしょうか?
「朝日のあたる家」は間違いなく『観るべき映画』だと思います。
原発事故の悲惨さを思い起こす映画でした。 [応援]
「朝日のあたる家」の感想をブログに書いてくれました。
http://monogusa-fumifumi.cocolog-shizuoka.com/blog/2013/07/post-92f4.html
福島原発事故から2年以上の月日がたち、
人の心から、当時の気持ちが風化しつつあります。
原発事故の悲惨さを思い起こす映画でした。
改めて原発事故の悲惨さを思い起こし、
今尚苦しんでいる福島県民の思いに心を馳せ、
原発再稼動の是非を考えて欲しいものです。
(つづきは上のアドレスから)
山本太郎さんが語った「皆の祈りみたいな映画」 [応援]
映画「朝日のあたる家」の長文の感想文を頂いた
ご紹介する。
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by Mr.H
映画などの作品レビューを書く際に、僕がいつも悔しい思いをするのが、幸運にも心から素敵だと思えた作品と巡り会った時に、「良かった」だとか「素晴らしかった」とか「面白かった」とか、そんな陳腐で限られた言葉でしか表現する手段を持ち得ていないことだ。
正直、僕の語彙力の無さを曝け出す形になって格好悪いだけなのだけれど、とにかくこの心の高まりを、もっと的確に!もっとリアルに!もっとドラマチックに!…他者に伝える術はないものだろうか…と。
結局あれこれ考えて時間ばかりが過ぎていく。
そんな想いを内に秘め。
この『朝日のあたる家』の感想を書くにあたって、幾つかの書き出しの言葉を考えた。
しかしどれもしっくり来ない。
考えすぎ…それもその筈。
この作品について、何か一つでも形容する言葉を綴ることに、数限りない熟考が必要だった。
少なくとも、僕にとって、いつもネット上で書き散らかしているような、普段通りの言葉遣いでこの作品を語ることは憚られた。
それだけ、この映画が内包しているテーマは、今を生きている人々にとって、とても重要なものだし、この作品に関わったすべての方々の想いが、半端なく真摯で強靭なものであることを知っていたからである。
でもしかし、そのことと、映画の出来不出来は別物で、関係者が一生懸命…それこそ命を削って作った作品であっても、いざ完成して観てみたら、あんまり…大したこと無かったよな。。。という経験は、実はそれなりにあった。
とてもとても残念ながら。
では、果たして、この『朝日のあたる家』は如何だろうか?
実際に作品を観たのは現時点で2回。
ジャパンプレミアin湖西の会場で販売されていたレア物パンフレットも購入し、シナリオも最初から最後までしっかり読んだ。
監督の太田隆文さんは、僕が高校生だった30年前から良く知る人で、己の人生の歩みを振り返ってみた中で、実に絶妙なタイミングで幾度かのエポックを与えてくださっていることに気が付く。
また、太田監督と同様、ずっと長いこと同じ時間や記憶を共有してきた旧友もスタッフで参加しているし、自分自身も作品に僅かばかりの支援もさせていただいた。
なので、多少というか、かなり贔屓目で観てしまっているのだけれど、そのようなことを差し引いても、この『朝日のあたる家』は、相当高いポテンシャルを僕の中で確保してしまった。
要は優れた良い作品であることは当然、さらに優れた期待を抱かせる作品だったのだ。
その中でも一つ、特に思いを強く感じたのは、太田監督もさんざん語っていたが、演者さんのすこぶる心を打つ名演技の数々。
役者の良い演技を讃える言葉には、「迫真の」とか「鬼気迫る」とか様々な形容がある。
しかし、この映画のすこぶる優れた俳優陣の演技を的確に表現するにはどれも役不足だった。
この文を書くに当たって、あれこれ言葉を探してみたがどうにもしっくり来ない。
そんな行き詰まりを抱えながら腑と出会ったのが、この映画に出演された俳優の山本太郎さんが公開当日の舞台挨拶でいみじくも語った「皆の祈りみたいな映画」という言葉。
http://youtu.be/Ff5wESxGjL8
来た!これだ!
「祈り」。
正に「祈りのような芝居」。
人の内面の更に精錬された先にあるものが「祈り」であるとするならば。
正しくそんな「祈り」の芝居が、観る人の心を打たない筈が無い。
お父さん、お母さん、あかね、舞、そして光太郎おじさん…。
その全ての台詞や表情に、その演者一人びとりの心の先にある「祈り」が、目には見えないけれども、私たちの心に確かにしっかりと届いていた。
だからこそ、その届いた「祈り」に心揺さぶられ、多くの人が感動し泣いたのだと思う。
僕も映画の途中までは、何とか耐えに耐えていたが、最後の最後に耐え切れず泣けた。
恐らくラストの、「とある別離」のシーンは、僕がこれまで観た作品の中で…、そして恐らくこれから生涯に渡って観るであろう映画の中でも…、決して忘れることのない稀に見る名場面の一つであることは間違いないと断言したい。
誇張ではなく、事実ありのままの報告として。
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そして、この『朝日のあたる家』を語るにおいて、避けて通れないのは原発のこと。
実は、この感想を書く際、なんとかこの話題には触れずに、純粋に映画的感想だけで構成しようと試行錯誤してみたがどうにも無理が出た。
だから少し。
この作品は、福島で実際にあった原発事故をモチーフにしていることもあり、善きに悪しきに何かと色眼鏡で論じてしまう向きが多いかもしれない。
そもそも、そこに抵抗を感じてしまう映画ファンの人も当然いるだろう。
実際のところ僕自身、脱原発の理想には共感することも多く、出来れば早く原発が無くなれば良いと思ってはいるけれども、熱心にデモや市民運動に参加している人々とは、違和感や温度差を感じている人でもある。
所謂、ある政治家が言った「フワっとした世論」の中の1人なのだと自分では思っている。
でも、そんな人だからこそ、この「映画の中での原発事故」は、様々なことを見つめ直す良いきっかけになったのではないのだろうか?
そこに描かれているのは、どこにでもある平凡な家庭生活や、生まれ育ったところとの関係性を理不尽にも引き裂かれてしまった人々の姿である。
しかもそれは、現在進行形で、全く何も解決されずに、未だになお、どっちに転ぶか分からない微妙なバランスの中で日々推移している。
そして、余り関係がないと思っている私たちの普段の日常に、実は気が付いていないだけで大きな影響を及ぼしているということに想いが至ることになる。
太田監督によれば、全国一般での映画館公開等の交渉は、苦戦が続いていると伝えられている。
これはとっても忌々しき事態だ。
出来れば1人でも多くの方々に観ていただきたい素晴らしい映画なので、何とかもっと大きなムーブメントへの、ささやかな一助にならないかとの思いで、この拙文を寄せさせていただいた。
これからより多くの人々の目に触れることを心からお祈りして、いったん筆を置きます。
ではまた3回目の鑑賞の後にでも。
ありがとうございました。
地震が来ても浜岡原発も”大丈夫”と思っていた [応援]
本当に嬉しい感想を頂いた。
ありがとうございます。
ご紹介させてもらいます。
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By 一湖西市民
6/29の上映会、一湖西市民として興味を持ち、雀の涙ほどの寄付をさせていただいた上で、拝見させていただきました。 私は、浜岡原発の中部電力の電気を使用している某自動車関連の会社に勤務している者であります。
今回のこの映画のことを知るまでは、震災後、すぐ浜岡が止められ、2011年は会社が土日出勤、木金休みとなり、家内、子供と休みが合わず、休日も一人ぼっちですることがなく、
浜岡が止められなければ、こんなことにならなかったのに・・・
と、正直思っていました。
何故かと言えば、全くの言い訳になりますが、当時のTVの報道番組では、映画の中と全く同じように、”健康被害はない”、”放射能は洩れいてない”、”放射の葉洩れたが、除染をすれば改善される”と言った報道が繰り返しなされており、私はそれを100%信じてしまい、地震が来ても、
浜岡原発も同様に”大丈夫”なのではないか?
と思っていたのです。
しかし、この映画のことを知り、太田監督のブログを拝見させて頂くにつれ、初めて真実を知ろうとせず、TVの報道番組でしか情報入手をしなかった自分の勉強不足を大いに痛感し、大変情けない思いで一杯になり、自分も何かしなければということで、まずは映画に寄付しよう、そして
映画を見ようという結論
に達しました。
実際の映画は、更に私の想像を絶するものであり、
真実はこういうことだったのか
ということを痛感したとともに、本当の幸せとは、一家団らんの何気ない瞬間のようなものであり、決して右肩上がりの経済成長を継続し続け、金銭的に更に裕福になることではないのだ(日本は他の先進国同様、もうそういう時代はとっくに終わったのだ)ということを確信致しました。
これ以上、私の貧弱な表現ではとても感想を述べられるものではありません。 ただ一つ言えることは、まだ映画をご覧になっていない方の街にも、早く上映が実現され、
より多くの方にご覧になって頂きたい
と願うばかりです。
そのために私は何も出来ませんが、せめて今後も少しばかりの寄付を継続するという形で協力してゆきたいと考えています。 太田監督並びに関係者の皆様、今後もお忙しい日々が暫く続くとは思いますが、くれぐれもお体には気を付けてください。
「だから、 今、 この映画を少しでも多くの人に見てもらいたい…」 [応援]
いつも素敵なコメントをくれる和歌山県の梅茶さん
今回も心に染みるコメントを頂いた。
本欄でご紹介する。
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by 梅茶
今、私達は、戦争のさなかにいるのかもしれません。
実際に戦場を経験した人、 戦場に家族を送りこまれた人、
そういう経験を持たなければ、戦争の本当の苦しみがわからない…、
そんな時代と同じ、なのかもしれません。
原発事故を経験した人と、 そうでない人…、
そこには、 戦争によって苦しめられた家族を持つ人と、
そうでない人、の間に存在する溝と同じようなものがあります。
実際の経験は、確かに何ものにも代え難いものがあります。
けれど、 少しでも、経験者との間の溝を埋めたくて、
人は、映画、という物語の世界を求めるのだと思います。
少しでも、彼らと思いを同じくしたい…、
本当に危険なことには、はっきりとノーを言いたい…、
私達は、そうやって積み上げられた思いを
映画という世界に浸ることで、 培っていこうとします。
先の戦争で、それができていたなら、
尊い命がこんなにも失われなかったかもしれない…。
だから、 今、 私達は、 この映画を、
少しでも多くの人に見てもらいたい…、 そう、思うのです…。
読者の梅茶さんからのメッセージ [応援]
読者の梅茶さんからのコメントを頂いた。
ありがとうございます。
とてもいい内容なので、本欄でも掲載させて頂く。
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喉元過ぎれば熱さ忘れる…、
そんな諺がありますよね。
そんな私達の気質を戒めるために、
昔の人々は、そんな諺を、スマホも携帯もない時代に、人々に広めてきました。
おそらく、永い時の流れが必要だったのかもしれません。
その時間の中で、何度も訪れた災禍によって、
少しずつ、人々は、大事なことを後世に伝えようと思いを繋いでいったのです。
自分たちの子孫たちが、悲しい運命を呼び込まないように、
必死で、言霊の灯をともし続けてきたのです。
監督さん、
DVDは確かに作られて欲しいですが、
昔の人々ができたこと、今の私達にできないことはないのです。
まして、今はスマホや携帯、インターネットがあります。
メディアが邪魔しようと、いわれのない圧力をかけられようと、
この映画を見た人々の心によって、
今もなお苦しんでいる人々の熱さ、その体感を喉元に残しつつ、
今、やらなければならないこと、心の連携プレーが、広がっていき、
諺のように人々の心に染み付いていく…。
映画の持つ底知れない力…、信じていきたいです。
by 梅茶 (2013-06-10 06:24)