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村社会ルールが日本をダメにしている=では、どうすればいいのか? F作戦! [ムラ社会ルール]

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村社会ルールが日本をダメにしている=では、どうすればいいのか? F作戦!

子供の頃から同じ街に長く住んだことがない。ただ、どこも都会とも田舎とも言えない新興住宅地が多い。都会に通う人たちが寝に帰るような街。少し行くと田んぼや畑はあるが、新しいファミレス(当時はそう呼ばなかったが)もあり、国道沿いに大きな本屋もあった。高校は大阪。都会のど真ん中。卒業後は横浜へ行き、映画の勉強を始めた。

映画監督業を始めてから、地方に行くことが多くなる。ロケする街の人たちと親しくなる。応援してもらう。支援してもらう。ただ、個人的なメリットを求めて近づいてくる人たちもいた。最初は愛想よく「監督の情熱に感動した。何でも手伝うよ」と言ってくれるが、実は魂胆がある。

儲かるんじゃないか? 自分の店でロケすれば宣伝になる。俳優と親しくなれる。「俺があの映画、応援したやったんだよ!」と取り巻きに自慢できる。いろんな思いで近づいてくる人がいた。その種の人。マイナスになる。だが、断ると掌返し、抵抗勢力になることがある。

「応援してやったのに、酷い目に遭った」「あいつは感謝というものを知らない」「あの監督はこの街を利用してるだけだよ」「協力すると損するぞ」

そう言いふらす本人こそが自身のメリットを求めて近づいてきたにも関わらず。そのために寄付金が集めにくくなる。協力してくれる人がデマを信じて、手を引いてしまう。一緒になって悪口を言って回るという人も出て来る。そんな時、地元の人が

「それは違うよ」「あの監督はこの街の歴史まで勉強して、この街の魅力を伝える映画を作ろうとしている」「デマなんて信じちゃいけない」「あいつは自分の店でロケされないから、デマを言い回っているだけだよ」

とか説明してくれれば、「そういうことか〜」と誤解が解けるのだが、なかなか言ってくれない。特定の街ではない。どの街でも多かれ少なかれあった。地元をアピールする映画を作るのに、地元の人が邪魔をする。それを止めようとしない。最初は意味が分からなかった。が、ある時、こう言われた。

「監督さんは撮影が終われば、この街から出て行くからいい。でも、わしらはこの街で生きて行かないとならん。デマを言ってる連中とも付き合う必要がある。彼らを注意すれば、そのことで10年、20年と恨まれるかもしれない。仕返しされたり、デマを流されたりするかもしれん。だから、ムカついても我慢して、何事もなかった顔をしなきゃいけないんだよ」

なるほど背景は分かった。地元で揉めないことが大切ということ。僕は子供時代から街を転々としてきたので、その種のしがらみや問題を抱えることがなかった。おまけに性格が真っ直ぐ(破滅型?)で、自分の主張を曲げない。「正しいこと」「間違ったこと」はハッキリさせたい。映画製作でもPが癒着している俳優をねじ込もうとすることがある。絶対に断る。

そのために恨まれ、2度と仕事をくれない。でも、役に合わない俳優を起用すれば作品クオリティが下がる。僕は映画を作る仕事をしている。クオリティが下がってもPの言いなりになれば、また仕事をもらえる。ギャラがもらえる。

それなら会社員になる。理不尽な仕事でもやらねばならないのが会社員。だが、映画監督は「観客が感動する映画」を作るのが仕事。周りのご機嫌を取り、癒着や横槍を受け入れることではない。そこで気づいた。子供の頃から地方で暮らしていれば、僕の知らない村社会ルールを自然理解して行ったのだろう。

大人たちを見ていて、人を批判したり喧嘩しちゃいけない。トラブルが起こっても見て見ぬふりをしなきゃいけない。周りの人たちと仲良く、やることが大事だ。嫌な思いも我慢。でないと10年20年恨まれる。と学ぶのだ。生きていくためにはPがねじ込む俳優も受け入れ、仲良くやらねばならないと理解しただろう。

僕はそれを学んでいない。経験していない。むしろ、そんな習慣を憎んでいる。要は「我慢しろ」「諦めろ」「争うな」「長いものに巻かれろ」ということ。いつもいう「村社会ルール」なのだ。それは地方だけではなく、都会では会社や団体でも根付いていている。いや、日本社会を覆っていると言える。

その反映が国会だ。何もできないくせに、村の付き合いだけで選ばれた者が政治家になり、自民党という村の中で、長い物に巻かれて何もしない。そこで行われる大企業を優遇した政治。でも、国民は不満を言いながらも何もしない。

それどころか緊急事態宣言下にオリンピック開催する暴挙をしても、「アスリートに励まされた!」「五輪、やって良かった」という人たちまでいる。その影でどのくらいの人が入院できずに、自宅療養で苦しみ、営業できない飲食店があったことか? 収入が激減して首をくくるとこまで来ている人も多いだろう。

その中で「金メダル。がんばりました」という言葉に感動する人たちまでいる。まさに奴隷。皆が賛成するものを反対できない。昔からの伝統やしきたりを否定してはいけないのだ。これもまた村社会ルールなのだ。

それを上手に利用してきたのが自民党。それを組織内で生かして大動員するのが公明党なのだ。日本が変わるには、その村社会ルールを破り、旧体制の目を気にせずに飛び出すことなのだろう。それができない。最近の代表ー枠てん。

「皆が打っているから」「皆に迷惑かけたくないから」

と「2年で死ぬかも?」と言われているものを打ってしまう。村社会ルールの力だ。別の言い方をするなら同調圧力。皆がやれば従う。意味や目的が分からなくても従う。戦時中も同じ。「米英鬼畜」と教えられれば、アメリカ人に会ったこともないのに嫌い憎む。本当に従順な国民なのだ。

そんな国民を育てるために「誰ともでも仲良くできる子供になってほしい」と教える。そのためには村社会ルールに従い、長いものに巻かれ、揉めていても見ないふりする必要が出て来る。そう考えるとこれからの時代に必要なのは、古い日本の価値観やルールを否定することなのだろう。

みんなと仲良くする必要はない。揉めても知らんぷりしないで見つめる。誰が悪いのか?確かめる。10年争うことも躊躇しない。みんなで一緒にではなく、分かり合えるものだけが一緒に頑張ればいい。あこれ言って来る人たちは無視する。意見が違っても構わない。人は皆、違うのだから。と思えば、揉めない。

「こうでなければならない」という発想が対立を生み、憎しみを生む。違うのが当然なら批判したり中傷したりする必要はない。「ま、頑張れば!」で済んでしまう。そこに村社会ルールがあるから、あれこれ言いたくなり、トラブルとなる。だから、見て見ぬふりをする。全ての元凶はそこにあると思える。

人の目を気にするな。大きなお世話は聞かなくていい。つべこべ言って来る人とは付き合う必要がない。ということだ。あれ、これってFacebookと同じじゃないか? 批判して来るやつと議論の必要はないブロックすればいいということだ。何だか、おかしな結論になってしまったな。



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アカデミー賞を受賞したカズヒロさん。日本人の問題点「村社会ルール」を浮き彫りにする。 [ムラ社会ルール]

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アカデミー賞を受賞したカズヒロさん。その言葉に強く共感。日本人の問題点「村社会ルール」を浮き彫りにする。(再掲載)

本年度(2020年)のアカデミー賞ー最優秀メイクアップ賞をもらった日本人アーティスト、カズヒロさんはインタビューにこう答えた。

「日本の教育と社会が、古い考えをなくならせないようになっているんですよね。それに、日本人は集団意識が強いじゃないですか。その中で当てはまるように生きていっているので、古い考えにコントロールされていて、それを取り外せないんですよ。

歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう。人に対する優しさや労りとかは、もちろん、あるんですけど、周囲の目を気にして、その理由で行動する人が多いことが問題。

自分が大事だと思うことのために、自分でどんどん進んでいく人がいないと。そこを変えないと、100%ころっと変わるのは、難しいと思います」

本当にその通りだ。僕がここしばらく何度も書いた記事とほとんど同じことを話している。つまり「村社会ルール」だ。それが日本と日本人をダメにしている。特に地方は強く縛られている。大人たちの言葉にうんざり、若者が都会へ出て行く。戻って来た若者をバカにする。よそ者を排除する。反原発活動でも若手を否定。潰しにかかる。「勉強不足」と批判する。全て「村社会ルール」であり、日本人体質。

映画の世界も同じ。新しい方法論を持ち込むとベテランが否定。潰しにかかる。僕も経験がある。付き合いの長い、信頼するベテランがあれこれ批判を始め、古い方法論を押し付けてくる。さらに高校時代に「映画監督になりたい」と言った時も、親、教師、親戚、同級生。ほとんど全ての人が反対し、批判。止めようとした。カズさんのいう通りだ。

「日本人は集団意識が強い。その中で当てはまるように生きているので、歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう」

そして大きな問題はあれこれ言う人たちに悪意はない。「それじゃダメだ。止めないといけない」という親切心で、頼まれもしないのに言ってくること。そうやって若者を潰す。夢を壊してしまう。新しいことをさせないようにする。結果、金がもらえるわけでもないのに、時間や労力を使い、愛情を持って、夢や新しいことを潰して回るのだ。

その日本人体質が日本をダメにしている。実際、メイドインジャパンを誇っていた電化製品も韓国に抜かれ、アメリカのアカデミー作品賞を取るのも韓国映画ということになったのだろう。だが、そういうと、あるいはカズさんの言葉を聞いた人はこう言う。

「でも、日本にはいいところもあります!」

そんなことは分かっている。今は自画自賛して現実から目を逸らしていている時期ではない。村社会ルールやその体質が日本を崩壊させようとしていることを考えてほしい。戦時中の軍国主義は大きな村社会だった。今、日本はそんな村社会に再び縛られ、アジアの後進国に落ちぶれている。どうすればいいのか? そのヒントがカズさんの言葉に隠されている。

村社会ルール過去の記事=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/archive/c2306188818-1

https://nobiciro.com/person/12431/

2020−4


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10代の頃から感じていた違和感の正体。ムラ社会ルールに縛られた大人たち。それが日本という国...。  [ムラ社会ルール]

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高校時代。夏休みは夜起きて、朝寝るという生活をしていた。夜遅くまでテレビで深夜劇場を見て、その後、本を読んだり、書き物をしたり。日が昇る頃に寝る。生活が逆転して、夕方起きて朝寝るというパターン。学校は休みだから問題はない。

当時はビデオデッキはないが、その頃からシナリオを書いていた。昼より夜が調子いい。静かだし、集中できる。邪魔されない。だが、当初は親がうるさく言った。「朝きて夜寝るのが健康的だ」「それが常識だろ」と。学校が始まり、教師との面談の時も休み中の生活を訊かれ素直に答えるとこう言われた。

「そんな不規則な生活をしていたのか!」

不規則ではない。夕方起きて、朝寝る。規則的だ。そういうと怒られる。

「朝早く起きて、頭の冴えている間に勉強して、夜寝るのが当然だろ!」

当然だろうか? 勉強にしろ、シナリオにしろ、夜の方が頭が冴える。なぜ、朝が冴えると決めつけるのか? その後、30代で脚本家デビューしてからも、40代で監督業を始め編集をする時も同じ。夜の作業が集中できて、効率がいい。

ただ、カタギの人たちは朝起きて会社に行き、夜終わって帰宅して寝る。学校も夜ではなく、朝から夕方だ。それは分かる。かと言って個人で活動するのに、なぜ、夕方起きて夜中がいけないのか?誰に迷惑をかける訳でもない。

中学の頃。夏休み。海に近い親戚の家に行く。そこでも朝まで本を読んだりして起きるのは昼頃。大人たちはいう。「子供は朝早く起きろ!」おかしい。朝早いのは老人。子供が朝早い意味があるのか? 小学生ならセミ捕りで朝早くはあるが、こちとら朝方まで勉強(映画のね)していて、早起きしたら睡眠不足になる。

高校を卒業して1人暮らしを始めると、もう誰も何も言わない。自分の仕事に合わせて早起きする時もある。徹夜が続くこともある。でも、それは必要でやる。シナリオを書くのは夜。もう、数十年。それについてうるさくいう人はいない。夜作業したか?昼したか?を問う人はいない。大切なのは面白いシナリオを書くこと。盛り上がる編集をすることなのだ。

だが、その後も大人たちと関わると、あれこれ言われた。「結婚しないの?」「彼女はいるの?」「正月は実家に帰るの?」大きなお世話だ。さほど親しくないのに、そんなことに答える必要があるのか? 子供の頃もそう。近所の人や親戚が

「勉強してるか?」「大学はどこに行く?」「就職は?」

あんたらに関係ないだろ? やがて気づいた。全て「ムラ社会ルール」昔から日本人を縛るあれ。小さな村で問題を起こさず、安泰に生活するための知恵。

それが日本人に染み付いている。はみ出す人を日頃からチェック。問題を起こしそうだと、あれこれ口を出してくる。とにかく皆と同じでなければならない。1人だけ別のことをしてはいけない。効率や価値観は関係ない。昔ながらの皆がやることをやる。朝起きて、夜寝る。大学を出て、会社に入る。結婚して子供を作る。ほとんどの日本人と同じ人生を求めてくる。はみ出すことがトラブルに繋がる。だから、監視し修正する。

それを日本人は無意識にやってしまう。僕はというと中学、高校時代からそのルールを破り続けた。その行き着く先が映画作りという仕事だった。そもそも映画界ははみ出し者の集まり。アーティストやクリエーターというのは普通の生活ができない人。僕からすると親も親戚も教師も近所の人も、みんなが寄って集って人生の邪魔をされているようにしか思えなかった。

僕だけではない。ムラ社会ルールには縛られない日本人もいる。が、それを実践すると悪意のない多くの大人たちが邪魔しにくる。それがこの日本という国なのだ。



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人と違うことをする。新しいことを始めると、止めに来る大人たち。それがムラ社会ルール。日本がダメになった背景!? [ムラ社会ルール]

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「将来、映画監督になる!」


高校時代。そう言ったら多くの大人たちに反対された。親、教師、親戚、先輩たちが「子供みたいなことを言うな!」「現実を見ろ!」と意見し、止めようとした。何ら迷惑がかかる訳でもないのに? 大人たちはあれこれ言って邪魔をした。

背景にはまず「優しさ」がある。「この子は現実を知らない。世の中をなめている。将来、後悔し嫌な思いをしないように止めねば」との思い。同時に新しい何かをしようとする人を阻害し、潰そうとする心理も感じる。それこそが「村社会」ルール。人と違うことをする。新しいことを始めると排除。「優しさ」からスタートしたように見える「お節介」は、村社会の安定を維持するためのメカニズムなのだ。アメリカ留学中にも、同じ発言をした。

「将来は映画監督になりたい!」

反応は日本とは180度違った。アメリカ人たちは「凄い!」「いいぞ!」「がんばれ!」「応援する!」「ハリウッドの友人を紹介するよ!」誰もが前向き。忠告したり、説教する人は1人もいなかった。

なのに日本はなぜ? 考えた。日本の多くは狭い村。その中で誰かが勝手なことを始めると、いろんな弊害が出る。秩序が乱れ、安定が壊れる。だから始める前に止める。真似たり、あとに続いたりする人も出て来る。子供たちにも悪影響がある。だから潰しておく。長い年月で出来上がった田舎特有のメカニズムではないか? だが、奇妙なのは個人としては「村の調和のため」とは思わず「本人のためだ!」と思い説教し、止めようとする。

江戸時代頃から続く村社会。その習慣。それが今も日本人の中で生きているだろう。さらに学校教育。同じ制服を着て、同じ髪型。同じ学科を勉強して、同じように良い成績を求める。そんな学校生活のあとは、サラリーマン生活。同じようなスーツを着て。似たような髪型で、スタンドプレーはしない。目立ってはいけないという社会生活の中で、新しいことをしてはいけないという意識が育つ。

結果、彼らは前例のないことをする者がいると、その行動を止め、潰し、排除。誰が指示しなくても、自発的に新しいことをする人を淘汰する。それがムラ社会ルール。学ばなくても村社会で育つと、それをマスターしている。それが日本人。そのことで個人が間違っている、違うと思っても一致団結。みんなで突き進み、経済大国となった。だが、激動の時代になるとアジアの国々に追い抜かれた。新しいことをすると潰される環境では新しい時代に乗れない。それが今、日本をダメにしている背景ではないか?



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日本人はなぜ感情を見せないのか?人前で大笑いする、号泣する。激怒するは恥ずかしいと思うようになったのか? [ムラ社会ルール]

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日本人はなぜ感情を見せないのか?人前で大笑いする、号泣する。激怒するは恥ずかしいと思うようになったのか?

20過ぎにアメリカ留学。ハリウッド映画は子供の頃から見ている。アメリカについてはとても詳しい!と思っていたが、住んでみるとあれこれ知ることがあった。ただ、一番学んだのはアメリカ人より日本人とは何か?である。比較することで日本人というものが分かってくる。

日本人は大人になると、人前で大笑いしたり、声を上げて泣いたり、怒りにまかせて怒鳴ったりすることは恥ずかしいと考える。「大人げない」「子供っぽい」「常識がない」などと批判される。感情を顔に出すことさえしなくなる。仕事ではそれこそ能面を被ったように感情を出さず、指示されたことに不満を示さずに作業するのが大人で有り、社会人だという認識のようだ。

そんなことがあるので外国人から見ると「日本人は何を考えているか?分からない」となるのだ。嬉しいのか? 悲しいのか? 怒っているのか? 分からない。もちろん、日本人が外国人と対峙した時に、英語が分からずにどうしていいのか?分からないので、笑みを浮かべるしかないということもあるだろう。だが、笑ったり、泣いたりしない日本人は理解できないのも頷ける。

対して、アメリカ人はよく笑い、ちょっとしたことで激怒し、悲しい時に泣く、とても分かりやすい。中国や韓国の人でも日本ほど感情を抑えない。悲しい事件で「哀号!」と泣き叫ぶ韓国のおばちゃんの映像はテレビでも見る。が、日本人は大きな悲劇を目の当たりにしても、ハンカチで涙を抑える程度だ。なぜ、日本人は感情を抑えることが大人であり、社会人であるという国になってしまったのか?

専門家ではないが、侍の時代が長かったからではないか? 侍は悲しいからと泣き叫んではいけない。人前で怒りを爆発することは恥ずかしい。戦国時代ではなく、安定した江戸時代からの習慣ではないか? 人前で大笑いしたり、泣いたり、怒ったりすることは秩序を乱す可能性がある。平穏な時代を乱すかもしれない。そういうことを抑え、排除する意識が生まれて来たのではないか?

殿様がいて、幹部がいて、その下に多くの侍がいる。だが、戦いはない。将軍は謀反を起こさないように、各藩を監視。危険性があれば潰しにかかる。参勤交代で金を使わせる。そんな背景もあり、感情を見せず、大人しくしていることが大事だったのではないか? 

また、今も続く村社会ルール。影響があるはずだ。人と違ったことをしない。新しいことをしない。皆と同じように生活する。狭い村で排除されない。揉めないための知恵から、その種のルールが生まれた。感情を見せないのも。同じ背景があるのではないか? 怒る。泣く。笑う。という人の内面が伝わる反応をしないことで、本心を悟られないように、誤解されないようにしたのではないか? それを徐々にコントロール。抑えることができた人を大人と評するようになった。

なんだか寂しい気もする。感情を抑え込むのが大人という発想。自身で抑え込む。互いに本心を探られないようにする? この国ではそうやって生きて行かねばならない。対してアメリカ人をみると、怒りたい時に怒り、泣きたい時に泣く。おかしければ大笑いする。どちらが人間として自然なのか?と考えてしまう。


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アカデミー賞を受賞したカズヒロさん。その言葉が日本の「村社会ルール」を浮き彫りにする。 [ムラ社会ルール]

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アカデミー賞を受賞したカズヒロさん。その言葉に強く共感。日本人の問題点「村社会ルール」を浮き彫りにする。



本年度(2020年)のアカデミー賞ー最優秀メイクアップ賞をもらった日本人アーティスト、カズヒロさんはインタビューにこう答えた。

「日本の教育と社会が、古い考えをなくならせないようになっているんですよね。それに、日本人は集団意識が強いじゃないですか。その中で当てはまるように生きていっているので、古い考えにコントロールされていて、それを取り外せないんですよ。

歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう。人に対する優しさや労りとかは、もちろん、あるんですけど、周囲の目を気にして、その理由で行動する人が多いことが問題。

自分が大事だと思うことのために、自分でどんどん進んでいく人がいないと。そこを変えないと、100%ころっと変わるのは、難しいと思います」

本当にその通りだ。僕がここしばらく何度も書いた記事とほとんど同じことを話している。つまり「村社会ルール」だ。それが日本と日本人をダメにしている。特に地方は強く縛られている。大人たちの言葉にうんざり、若者が都会へ出て行く。戻って来た若者をバカにする。よそ者を排除する。反原発活動でも若手を否定。潰しにかかる。「勉強不足」と批判する。全て「村社会ルール」であり、日本人体質。

映画の世界も同じ。新しい方法論を持ち込むとベテランが否定。潰しにかかる。僕も経験がある。付き合いの長い、信頼するベテランがあれこれ批判を始め、古い方法論を押し付けてくる。さらに高校時代に「映画監督になりたい」と言った時も、親、教師、親戚、同級生。ほとんど全ての人が反対し、批判。止めようとした。カズさんのいう通りだ。

「日本人は集団意識が強い。その中で当てはまるように生きているので、歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう」

そして大きな問題はあれこれ言う人たちに悪意はない。「それじゃダメだ。止めないといけない」という親切心で、頼まれもしないのに言ってくること。そうやって若者を潰す。夢を壊してしまう。新しいことをさせないようにする。結果、金がもらえるわけでもないのに、時間や労力を使い、愛情を持って、夢や新しいことを潰して回るのだ。

その日本人体質が日本をダメにしている。実際、メイドインジャパンを誇っていた電化製品も韓国に抜かれ、映画もアカデミー賞を取るのは韓国映画ということになったのだろう。だが、そういうと、あるいはカズさんの言葉を聞いた人は言う

「でも、日本にはいいところもあります!」

そんなことは分かっている。今は自画自賛して現実から目を逸らしていている時期ではない。村社会ルールやその体質が日本を崩壊させようとしていることを考えてほしい。戦時中の軍国主義は大きな村社会だった。今、日本はそんな村社会に再び縛られ、アジアの後進国に落ちぶれている。どうすればいいのか? そのヒントがカズさんの言葉に隠されている。

村社会ルール過去の記事=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/archive/c2306188818-1

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カズヒロさんの言葉「日本の教育と社会が、古い考えをなくならせないようになっているんですよね。それに、日本人は集団意識が強いじゃないですか。その中で当てはまるように生きていっているので、古い考えにコントロールされていて、それを取り外せないんですよ。

歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう。人に対する優しさや労りとかは、もちろん、あるんですけど、周囲の目を気にして、その理由で行動する人が多いことが問題。自分が大事だと思うことのために、自分でどんどん進んでいく人がいないと。そこを変えないと、100%ころっと変わるのは、難しいと思います」。

「自分が何をやりたいのか、何をやるべきなのかを自覚して、誰に何を言われようと突き進むこと。日本は、威圧されているじゃないですか。社会でどう受け入れられているか、どう見られているか、全部周りの目なんですよね。

そこから動けなくて、葛藤が起こって、精神疾患になってしまうんです。結局のところ、自分の人生なのであって、周りの人のために生きているんではないので。当てはまろう、じゃなくて、どう生きるかが大事なんですよ」。

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新しいことを淘汰するムラ社会ルール。それが日本を経済大国にし、自滅させようとしている? [ムラ社会ルール]

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「将来、映画監督になる!」

高校時代。そう言ったら多くの大人たちに反対された。親、教師、親戚、先輩たちが「子供みたいなことを言うな!」「現実を見ろ!」と意見し、止めようとした。何ら迷惑がかかる訳でもないのに? 大人たちはあれこれ言って邪魔をした。

背景にはまず「優しさ」がある。「この子が嫌な思いをしないように」との願い。だが、同時に新しい何かをしようとする人を阻害し、潰そうとする心理も感じる。それこそが「村社会」ルール。人と違うことをする。新しいことを始めると排除する。「優しさ」からスタートしたように見える「お節介」は、村社会の安定を維持するためのメカニズムなのだ。アメリカ留学中にも、同じ発言。

「将来は映画監督になりたい!」

そのときの反応は日本とは180度違った。「凄い!」「いいぞ!」「がんばれ!」「応援する!」「ハリウッドの友人を紹介するよ!」誰もが前向き、忠告したり、説教する人はいなかった。日本のそれは、非常に土着的な背景から来たものと痛感した。

なのに日本はなぜ? 考えた。狭い村の中で勝手なことを始めると、いろんな弊害が出る。秩序が乱れ、安定が壊れるかもしれない。だから始める前に止める。新しいことを真似たり、あとに続いたりする人も出て来る。子供たちにも影響がある。だから潰しておく。田舎特有のメカニズムではないか? それを個人個人は「村の調和のため」とは思わず「本人のため」と思い説教する。

江戸時代からの村社会。その習慣。それが今も日本人の中で生きている。さらに学校教育。同じ制服を着て、同じ髪型。同じ学科を勉強して、同じように良い成績を求める。そんな学校生活のあとは、サラリーマン生活。同じようなスーツを着て。似たような髪型で、スタンドプレーはしない。目立ってはいけないという社会生活の中で、新しいこと。前例がないことをしてはいけないという意識が育つ。

結果、彼らは新しいこと&前例のないことをする者がいると、その行動を止め、潰し、排除。誰が指示しなくても、自発的に新しいことをする人を淘汰する。それが村社会システム。でも、そのことで嫌なことでも一致団結。みんなで突き進み、経済大国となった。だが、激動の時代になると、次々にアジアの国々に追い抜かれた。新しいことをすると潰されるから、新しい時代に乗れない。それが今、日本をダメにしているメカニズムではないか? それがムラ社会ルール。


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新しいことを淘汰するムラ社会ルール。それが日本を経済大国にした? [ムラ社会ルール]

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新しいことを淘汰するムラ社会ルール。それが日本を経済大国にした?

高校時代「将来、映画監督になる!」と言って多くの人に反対された。もしかしたら人がやらないことをやると言うと、大人たちは、あれこれ言って邪魔をするものなのか? 何ら迷惑がかかる訳でもないのに、親でも先輩でもない人たちまで、あれこれ意見し、止めようとする。

理由は以前にも説明した通りに背景に「優しさ」がある。嫌な思いをしないようにとの願い。同時に新しい何かをしようとする人を阻害し、潰そうとするものではないか? それこそが「村社会」ルール? 人と違うことをする。新しいことを始めると排除する。「優しさ」からスタートしたように見える「お節介」は、村社会の安定を維持するためのメカニズムなのではないか?

アメリカ留学中にも、同じ発言をした。「将来は映画監督になりたい!」そのときの反応は日本とは180度違うもの。「凄い」「いいぞ」「がんばれ」「応援する」「ハリウッドの友人を紹介するよ」誰もが前向き、忠告したり、説教する人は誰もいなかった。日本のそれは、非常に土着的な背景から来たものと痛感した。

考えよう。日本の場合、狭い村の中で勝手なことを始めると、いろんな弊害が出る。始める前に止める。新しいことを始める奴がいると、真似たり、あとに続いたりする人も出て来る。村の調和が乱れる。だから潰す。そういうメカニズムではないか? それを個人個人は「村の調和のため」とは思わず「本人のため」と思い説教する。

江戸時代から村社会の習慣。それが今も日本人の中で生きている。さらに学校教育。同じ制服を着て、同じ髪型。同じ学科を勉強して、同じように良い成績を求める。そんな学校生活のあとは、サラリーマン生活。同じようなスーツを着て。似たような髪型で、スタンドプレーはしない。目立ってはいけないという社会生活の中で、新しいこと。前例がないことをしてはいけないという意識を持っているからだろう。

その結果、彼らは新しいこと&前例のないことをする者がいると、その行動を止め、潰し、排除。誰が指示しなくても、自発的に新しいことをする人を淘汰する村社会システム。そのことで嫌なことでも一致団結。みんなで突き進み、経済大国となった。だが、激動の時代になると、次々にアジアの国々に追い抜かれてしまった。新しいことをすると潰されるから、新しい時代に乗れないのは当然なのだ。


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日本をダメにしたもの。この2つに尽きるん?=教育とムラ社会ルール? [ムラ社会ルール]

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日本をダメにしたもの。この2つに尽きるんじゃない?=教育とムラ社会ルール?

なぜ、日本は不況から脱することができないか? なぜ、極悪な政権を止めることができないか? なぜ、経済大国から極貧国に落ちてしまったのか?それら問題の背景......。

①詰め込み教育。 ②ムラ社会ルール。

この2つがとても大きな足かせだと感じる。日本をダメにしている。まず、教育については何度も何度も書いたが、日本の教育は優秀なサラリーマンを育てるもの。上からの指示に逆らわず、疑問を持たず、従順に、理不尽を感じても、意味がなくても、言われたことをする。与えられたことを確実にこなす能力を計り、成績のいい順にキャリア官僚、一流企業から順に採用した。

優秀な製品を作る。そのことで貿易黒字を増やし日本は経済大国になった。が、バブル崩壊以降、不況街道まっしぐら。他の国々は経済成長を続けているのに日本だけがなぜ? それは新しい時代に即した展開ができないから。与えられたことしかできない人たちが国や企業の上にいるから、過去を踏襲するしかできないのだろう。

1970年代。フジテレビも一流大学を中心に新人採用をしていた。そんな中で大学はそこそこだが、ユニークな人材がいた場合。本社ではないが子会社で採用した。80年代になり、その時の個性的な面々が現場に出て大活躍。彼らが作ったのが「THE MANZAI」であり「ひょうきん族」「笑っていいとも!」だった。高視聴率を取りフジは業界のトップに躍り出る。流大学を出たからと業績を上げることはできない。むしろ、はみ出した型破りな人材が新しい時代を築くのだ。

ところが日本の企業はそれをしてこなかった。だから海外から呼んだりする。業績回復!なのにムラ社会ルールでトップを追放。それがゴーン事件だ。ムラ社会は「仲良しクラブ」本来の目的を忘れて、仲良くすることを優先。組織を腐られせる。教育によって「考える力」が育ってない国民は、あの政権は何だかんだでで支持率が高いよな....すぐマスコミに誘導され諦めてしまう。

以前に書いた「議論」の授業がない教育も問題。自分の意見が持てない。伝えることができない。議論もできない。与えられたマスコミ情報を鵜呑みにするだけ。おまけにムラ社会ルールに縛られているので、意見をいうとトラブルになると考える。仲間が問題を起こしても見てむぬふり。加害者ではなく被害者を叩く。そんなムラ社会ルールに縛られている。日本が抱えるほとんどの問題は①教育 ②ムラ社会ルール。この2つを改善しないと日本人は変われない。


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10代の頃から感じていた違和感の正体。ムラ社会ルールに縛られた人たちの攻撃。それが日本という国。 [ムラ社会ルール]

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高校時代。夏休みは夜起きて、朝寝るという生活をしていた。夜遅くまでテレビで深夜劇場を見て、その後、本を読んだり、書き物をしたり。日が昇る頃に寝る。生活が逆転して、夕方起きて朝寝るというパターン。学校は休みだから問題はない。

当時はビデオデッキはないが、その頃からシナリオを書いていた。昼より夜が調子いい。静かだし、集中できる。邪魔されない。だが、当初は親がうるさく言った。「朝きて夜寝るのが健康的だ」「それが常識だろ」と。学校が始まり、教師との面談の時も休み中の生活を訊かれ素直に答えるとこう言われた。

「そんな不規則な生活をしていたのか!」

不規則ではない。夕方起きて、朝寝る。規則的だ。そういうと怒られる。

「朝早く起きて、頭の冴えている間に勉強して、夜寝るのが当然だろ!」

当然だろうか? 勉強にしろ、シナリオにしろ、夜の方が頭が冴える。なぜ、朝が冴えると決めつけるのか? その後、30代で脚本家デビューしてからも、40代で監督業を始め編集をする時も同じ。夜の作業が集中できて、効率がいい。

ただ、カタギの人たちは朝起きて会社に行き、夜終わって帰宅して寝る。学校も夜ではなく、朝から夕方だ。それは分かる。かと言って個人で活動するのに、なぜ、夕方起きて夜中がいけないのか?誰に迷惑をかける訳でもない。

中学の頃。夏休み。海に近い親戚の家に行く。そこでも朝まで本を読んだりして起きるのは昼頃。大人たちはいう。「子供は朝早く起きろ!」おかしい。朝早いのは老人。子供が朝早い意味があるのか? 小学生ならセミ捕りで朝早くはあるが、こちとら朝方まで勉強(映画のね)していて、早起きしたら睡眠不足になる。

高校を卒業して1人暮らしを始めると、もう誰も何も言わない。自分の仕事に合わせて早起きする時もある。徹夜が続くこともある。でも、それは必要でやる。シナリオを書くのは夜。もう、数十年。それについてうるさくいう人はいない。夜作業したか?昼したか?を問う人はいない。大切なのは面白いシナリオを書くこと。盛り上がる編集をすることなのだ。

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だが、その後も大人たちと関わると、あれこれ言われた。「結婚しないの?」「彼女はいるの?」「正月は実家に帰るの?」大きなお世話だ。さほど親しくないのに、そんなことに答える必要があるのか? 子供の頃もそう。近所の人や親戚が

「勉強してるか?」「大学はどこに行く?」「就職は?」

あんたらに関係ないだろ? やがて気づいた。全て「ムラ社会ルール」昔から日本人を縛るあれ。小さな村で問題を起こさず、安泰に生活するための知恵。

それが日本人に染み付いている。はみ出す人を日頃からチェック。問題を起こしそうだと、あれこれ口を出してくる。とにかく皆と同じでなければならない。1人だけ別のことをしてはいけない。効率や価値観は関係ない。昔ながらの皆がやることをやる。朝起きて、夜寝る。大学を出て、会社に入る。結婚して子供を作る。ほとんどの日本人と同じ人生を求めてくる。はみ出すことがトラブルに繋がる。だから、監視し修正する。

それを日本人は無意識にやってしまう。僕はというと中学、高校時代からそのルールを破り続けた。その行き着く先が映画作りという仕事だった。そもそも映画界ははみ出し者の集まり。アーティストやクリエーターというのは普通の生活ができない人。僕からすると親も親戚も教師も近所の人も、みんなが寄って集って人生の邪魔をされているようにしか思えなかった。

僕だけではない。ムラ社会ルールには縛られない日本人もいる。が、それを実践すると悪意のない多くの大人たちが邪魔しにくる。それがこの日本という国なのだ。




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