SSブログ
ムラ社会ルール ブログトップ

アカデミー賞を受賞したカズヒロさん。その言葉に強く共感。日本人の問題点「村社会ルール」を浮き彫りにする。 [ムラ社会ルール]

85230651_3467738093300470_3572310259282214912_n.jpg

アカデミー賞を受賞したカズヒロさん。その言葉に強く共感。日本人の問題点「村社会ルール」を浮き彫りにする。

本年度のアカデミー賞を受賞。カズヒロさんはインタビューに答えた。

「日本の教育と社会が、古い考えをなくならせないようになっているんですよね。それに、日本人は集団意識が強いじゃないですか。その中で当てはまるように生きていっているので、古い考えにコントロールされていて、それを取り外せないんですよ。

歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう。人に対する優しさや労りとかは、もちろん、あるんですけど、周囲の目を気にして、その理由で行動する人が多いことが問題。

自分が大事だと思うことのために、自分でどんどん進んでいく人がいないと。そこを変えないと、100%ころっと変わるのは、難しいと思います」

本当にその通りだ。僕がここしばらく何度も書いた記事とほとんど同じことを話している。つまり「村社会ルール」だ。それが日本と日本人をダメにしている。特に地方は強く縛られている。大人たちの言葉にうんざり、若者が都会へ出て行く。戻って来た若者をバカにする。よそ者を排除する。反原発活動でも若手を否定。潰しにかかる。「勉強不足」と批判する。全て「村社会ルール」であり、日本人体質。

映画の世界も同じ。新しい方法論を持ち込むとベテランが否定。潰しにかかる。僕も経験がある。付き合いの長い、信頼するベテランがあれこれ批判を始め、古い方法論を押し付けてくる。さらに高校時代に「映画監督になりたい」と言った時も、親、教師、親戚、同級生。ほとんど全ての人が反対し、批判。止めようとした。カズさんのいう通りだ。

「日本人は集団意識が強い。その中で当てはまるように生きているので、歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう」

そして大きな問題はあれこれ言う人たちに悪意はない。「それじゃダメだ。止めないといけない」という親切心で、頼まれもしないのに言ってくること。そうやって若者を潰す。夢を壊してしまう。新しいことをさせないようにする。結果、金がもらえるわけでもないのに、時間や労力を使い、愛情を持って、夢や新しいことを潰して回るのだ。

その日本人体質が日本をダメにしている。実際、メイドインジャパンを誇っていた電化製品も韓国に抜かれ、映画もアカデミー賞を取るのは韓国映画ということになったのだろう。だが、そういうと、あるいはカズさんの言葉を聞いた人は言う

「でも、日本にはいいところもあります!」

そんなことは分かっている。今は自画自賛して現実から目を逸らしていている時期ではない。村社会ルールやその体質が日本を崩壊させようとしていることを考えてほしい。戦時中の軍国主義は大きな村社会だった。今、日本はそんな村社会に再び縛られ、アジアの後進国に落ちぶれている。どうすればいいのか? そのヒントがカズさんの言葉に隠されている。

村社会ルール過去の記事=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/archive/c2306188818-1

https://nobiciro.com/person/12431/

カズヒロさんの言葉「日本の教育と社会が、古い考えをなくならせないようになっているんですよね。それに、日本人は集団意識が強いじゃないですか。その中で当てはまるように生きていっているので、古い考えにコントロールされていて、それを取り外せないんですよ。

歳を取った人の頑固な考えとか、全部引き継いでいて、そこを完全に変えないと、どんどんダメになってしまう。人に対する優しさや労りとかは、もちろん、あるんですけど、周囲の目を気にして、その理由で行動する人が多いことが問題。自分が大事だと思うことのために、自分でどんどん進んでいく人がいないと。そこを変えないと、100%ころっと変わるのは、難しいと思います」。

「自分が何をやりたいのか、何をやるべきなのかを自覚して、誰に何を言われようと突き進むこと。日本は、威圧されているじゃないですか。社会でどう受け入れられているか、どう見られているか、全部周りの目なんですよね。

そこから動けなくて、葛藤が起こって、精神疾患になってしまうんです。結局のところ、自分の人生なのであって、周りの人のために生きているんではないので。当てはまろう、じゃなくて、どう生きるかが大事なんですよ」。

asahi20_edited-1-f0023.jpg
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

新しいことを淘汰するムラ社会ルール。それが日本を経済大国にし、自滅させようとしている? [ムラ社会ルール]

1545742_769505669790406_6873222122987479215_n.jpg

新しいことを淘汰するムラ社会ルール。それが日本を経済大国にし、自滅させようとしている?

「将来、映画監督になる!」

と言って高校時代に多くの人に反対された。もしかしたら人がやらないことをやると言うと、大人たちは、あれこれ言って邪魔をするものなのか? 何ら迷惑がかかる訳でもないのに、親でも先輩でもない人たちまで、あれこれ意見し、止めようとする。

理由は以前にも説明した通りに背景に「優しさ」がある。嫌な思いをしないようにとの願い。同時に新しい何かをしようとする人を阻害し、潰そうとするものではないか? それこそが「村社会」ルール? 人と違うことをする。新しいことを始めると排除する。「優しさ」からスタートしたように見える「お節介」は、村社会の安定を維持するためのメカニズムなのではないか?アメリカ留学中にも、同じ発言。

「将来は映画監督になりたい!」

そのときの反応は日本とは180度違うもの。「凄い」「いいぞ」「がんばれ」「応援する」「ハリウッドの友人を紹介するよ」誰もが前向き、忠告したり、説教する人は誰もいなかった。日本のそれは、非常に土着的な背景から来たものと痛感した。

考えよう。日本の場合、狭い村の中で勝手なことを始めると、いろんな弊害が出る。始める前に止める。新しいことを始める奴がいると、真似たり、あとに続いたりする人も出て来る。村の調和が乱れる。だから潰す。そういうメカニズムではないか? それを個人個人は「村の調和のため」とは思わず「本人のため」と思い説教する。

江戸時代から村社会の習慣。

それが今も日本人の中で生きている。さらに学校教育。同じ制服を着て、同じ髪型。同じ学科を勉強して、同じように良い成績を求める。そんな学校生活のあとは、サラリーマン生活。同じようなスーツを着て。似たような髪型で、スタンドプレーはしない。目立ってはいけないという社会生活の中で、新しいこと。前例がないことをしてはいけないという意識を持っているからだろう。

その結果、彼らは新しいこと&前例のないことをする者がいると、その行動を止め、潰し、排除。誰が指示しなくても、自発的に新しいことをする人を淘汰する村社会システム。そのことで嫌なことでも一致団結。みんなで突き進み、経済大国となった。だが、激動の時代になると、次々にアジアの国々に追い抜かれてしまった。新しいことをすると潰されるから、新しい時代に乗れないのは当然なのだ。


60764999_2681749791899308_369149531398340608_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

10代の頃から感じていた違和感の正体。ムラ社会ルールに縛られた人たちの攻撃。それが日本という国。 [ムラ社会ルール]

10322653_627490547325253_2301909788386379308_n.jpg

10代の頃から感じていた違和感の正体。ムラ社会ルールに縛られた人たちの攻撃。それが日本という国。

高校時代。夏休みは夜起きて、朝寝るという生活をしていた。夜遅くまでテレビで深夜映画を見て、その後、本を読んだり、書き物をしたり。日が昇る頃に寝る。生活が逆転して、夕方起きて朝寝るというパターン。学校は休みだから問題はない。

当時はビデオデッキはないが、その頃からシナリオを書いていた。昼より夜が調子いい。静かだし、集中できる。邪魔されない。だが、当初は親がうるさく言った。「朝きて夜寝るのが健康的だ」「それが常識だろ」と。学校が始まり、教師との面談の時も休み中の生活を訊かれ素直に答えるとこう言われた。

「そんな不規則な生活をしていたのか!」

不規則ではない。夕方起きて、朝寝る。規則的だ。そういうと怒られる。

「朝早く起きて、頭の冴えている間に勉強して、夜寝るのが当然だろ!」

当然だろうか? 勉強にしろ、シナリオにしろ、夜する方が頭が冴える。なぜ、朝が冴えると決めつけるのか? その後、30代で脚本家デビューしてからも、40代で監督業を始め編集をする時も同じ。夜の作業が集中できて、効率がいい。

ただ、カタギの人たちは朝起きて会社に行き、夜終わって帰宅して寝る。学校も夜ではなく、朝から夕方だ。それは分かる。かと言って個人で活動するのに、なぜ、夕方起きて夜中がいけないのか?誰に迷惑をかける訳でもない。

  1509202_568670513207257_268704908_n.jpg            

中学の頃。夏休みに海に近い親戚の家に行く。そこでも朝まで本を読んだりして、起きるのは昼頃。大人たちはいう。「子供は朝早く起きろ!」それもおかしい。朝早いのは老人。子供が朝早い意味があるのか? 小学生ならセミ捕りで朝早くはあるが、こちとら朝方まで勉強(映画のね)していて、早起きしたら睡眠不足になる。

高校を卒業して1人暮らしを始めると、もう誰も何も言わない。自分の仕事に合わせて早起きする時もある。徹夜が続くこともある。でも、それは必要でやる。シナリオを書くのは夜。もう、数十年。それについてうるさくいう人はいない。夜作業したか?昼したか?を問う人はいない。大切なのは面白いシナリオを書くこと。盛り上がる編集をすることなのだ。

1548199_712366525504321_7005953535249652856_o.jpg                 

だが、その後もカタギの人と関わると、あれこれ言われた。「結婚しないの?」「彼女はいるの?」「正月は実家に帰るの?」大きなお世話だ。さほど親しくないのに、そんなことに答える必要があるのか? 子供の頃もそう。近所の人や親戚が

「勉強してるか?」「大学はどこに行く?」「就職は?」

あんたらに関係ないだろ? やがて気づいた。全て「ムラ社会ルール」昔から日本人を縛るあれ。小さな村で問題を起こさず、安泰に生活するための知恵。

それが日本人に染み付いている。はみ出す人を日頃からチェック。問題を起こしそうだと、あれこれ口を出してくる。とにかく皆と同じでなければならない。1人だけ別のことをしてはいけない。効率や価値観は関係ない。昔ながらの皆がやることをやる。朝起きて、夜寝る。大学を出て、会社に入る。結婚して子供を作る。ほとんどの日本人と同じ人生を求めてくる。はみ出すことがトラブルに繋がる。だから、監視し修正する。

それを日本人は無意識にやってしまう。僕はというと中学、高校時代からそのルールを破り続けた。その行き着く先が映画作りという仕事だった。そもそも映画界ははみ出し者の集まり。アーティストやクリエーターというのは普通の生活ができない人。僕からすると親も親戚も教師も近所の人も、みんなが寄って集って人生の邪魔をされているようにしか思えなかった。

僕だけではない。ムラ社会ルールには縛られない日本人もいる。が、それを実践すると悪意のない多くの人が人生を邪魔しにくるというのがこの日本という国なのだ。




m_12527945_1003590556381915_2074457293_n.jpg
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

「ムラ社会ルール」に縛られる日本人=崩壊までに気づくだろうか? [ムラ社会ルール]

59762337_2660729574001330_8400508761671729152_n.jpg

「ムラ社会ルール」に縛られる日本人=崩壊までに気づくだろうか?

ここ数ヶ月の収穫は「ムラ社会ルール」を把握したことだ。この歳まで本当に気づかなかった。誰も教えてくれなかった。まあでも、多くの人が

「私はムラ社会ルールを遵守しています!」

とは思っていない。知らない内に縛られているのだ。子供の頃から親の行動や発言の影響を受け、近所の人たちの対応を見て

「あーこんなことしちゃいけないんだ...」

「こうすれば揉めないんだ...」

と感じ、学んで行くのだろう。元々は江戸時代あたりからの、狭い村で穏便に生きていくための知恵だったのだろう。それが無意識のルールとなり、今もしっかりと生きている。特に地方社会ではそのルールが現代もしっかりと根付いている。

僕よりずっと若い友人。田舎町で頑張っている。故郷のために努力している。そんな彼なのにトラブルがあると沈黙。「俺が何とかする」というのだが、何ヶ月経っても報告がない。なぜ、説明責任を果たさないのか? 問題解決をしないのか?と苛立つ。

問題の主と裏取引しているのか? その相手は村の黒幕なのか?と思っていたが、これもムラ社会ルール。トラブルは見て見ぬ振り。彼の場合は「自分が何とかする」と関係者にいい、何もせず、皆が忘れるのを待つという手法を使うのだ。僕よりずっと若く、故郷愛もある彼が何で?と思ったが、ムラ社会ルールを実践していたのだ。

ただ、彼の村ではそれも通用するだろう。

政府も原発問題を同じ方法で忘れさせる努力をしている。が、映画制作では通用しない。問題が起こっているのに、知らないふりをしていたら大変なことになる。僕の場合でも、以前は監督業より、そちらに多くの時間と労力を必要としたほどだ。最近はあれこれ考えて、トラブルはほとんどなくなったが、他の組ではどうなのだろう?

会社はどうか? やはり「ムラ社会ルール」が機能する。製作会社でも可能だ。ロクに仕事もせずに肩書きを利用して利益を得るプロデュサーは多い。それを同僚は知っていても何もしない。気づかない振りをする。問題が起きているのに誰も指摘しない。そんな会社で何度も仕事をした。

56608929_2590744574333164_7750076449054261248_n.jpg

部外者の僕が気づいているのに、社員連中が知らない訳がない。意見しても「まあまあ」と言われてしまい、不正や癒着、誤魔化しが続く。そのことで作品のクオリティが落ち、スタッフがやる気をなくす。でも、誰も問題解決をしようとしない。バブル時はそれでも良かったが、不況になりその製作会社は潰れた。

社長は借金を抱え、行方不明になった。小さな会社なので、数年で結果が出たが、大企業や役所だとすぐに倒産、崩壊ということはない。大いなる無駄、癒着、誤魔化しをしながらも継続していく。だが、それも近い内に崩壊しそうな気もしている。

少し事情は違うがアメリカ合衆国も同じだ。

10年に1度戦争をすることで大儲けしてきた。が、ベトナム戦争以降、金持ちは豊かになるが、貧しい国民がどんどん増えた。一時は属国である日本にさえ経済的に脅かされた。(その日本に莫大な国債を買わせて凌いで来たのだけど)金持ちと政治家が組んで、やり放題をしてきたせいで、国が腐っている。

でも、そこが「ムラ社会ルール」の国ではない。負の連鎖を断ち切ろうとする勢力が台頭。「世界の警察」という名の元に侵略を繰り返した方針を転換し、アメリカ・ファーストを打ち出している。「他の国はどうでもいい!」ということ。逆にいうと「他の国をかまっている内に自国が崩壊寸前。それを立て直す」ということだ。

今の日本は少し前のアメリカに似ている。

自国で様々な問題を抱えているのに、首相が海外で金をばらまいている。金持ち優遇で、貧乏人がどんどん増える。そんな政権を支持するのは有権者の20%少々。その人たちが投票するから継続してしまう。後の70%と言わない、40%がある野党に投票すれば簡単に現政権を倒すことができる。

それをせずにいるのは「ムラ社会ルール」に縛られているからだ。政治家たちがどれだけ悪行を続けても見て見ぬ振り、知らん顔。解決しようとしない。先の製作会社の社員と同じ。この先にあるのは日本国の崩壊。それに気づき声を上げる人たちもいる。が、多くが今も目を閉じて、プロパガンダのテレビ番組を見て

「日本は今も経済大国。世界に愛される国なのね〜」

と思い込んでいる。あるいは思い込もうとしている。「ムラ社会ルール」からの脱却が今の日本の最大のテーマではないか?と思えている。また、あれこれ考えて書かせてもらう。


asahi _edited-1.jpg
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

ムラ社会ルールで、問題に気づかない振りをするのではなく、原因を究明し解決することの大事さ。考えてみる。 [ムラ社会ルール]

42748032_2188963914511234_3578087780569317376_n.jpg

ムラ社会ルールで、問題に気づかない振りをするのではなく、原因を究明し解決することの大事さ。考えてみる。

同じ地方に長い年月住んでいたことがないので、この歳まで実感がなかったが、地方には「ムラ社会ルール」が存在すること。記事にした。その後、あれこれ考えて原発問題もムラ社会ルールでなかったことにしようとしていることに気づいた。地方だけではない、政府も企業も同じルール。つまり、日本人全体がムラ社会ルールに縛れているのだ。

その原因は以前に書いた。狭き地域社会で揉め事を起こすと、その人と何十年も顔突き合わせて行かねばならない。だから、トラブルがあっても知らないふりをする。関わらない。さらに責任者を被害者が追求したら被害者を叩き、泣き寝入りを強要する。その被害者さえ黙っていればトラブルにはならないからだ。それがムラ社会ルール。

そのルールは役所や大企業でも通用する。ことなかれ主義にも近い。市民や消費者にプラスになることをするより、何もしないことが一番大事。トラブルが起これば同じ対応。見ない振りして、なかったことにしてしまう。だから、腐敗して行く。汚職がはびこる。

映画の世界で生きる僕にとっては、見て見ぬ振りをすることはできない。正義感が強いてなことでもない。トラブルを解決しないとプロジェクトを前に進めることができないからだ。役所や企業ならプロジェクトが潰れても大きな問題ではない。それどころか新しいこと、面倒なことを潰して回る役所も多い。

だが、映画製作は1本1本が勝負。時間も、お金も、労力もかけて準備する。それが潰れれば多くの人が傷つき、落胆する。全てが無駄になる。だから、トラブルが起これば見て見ぬふりをするのではなく、原因を究明して解決せねばならない。そのためには人集めの段階からトラブルを起こしそうな人材を見抜きブロックすることも大切だ。

とは言え、監督デビューした初期の頃はそんな輩が必ず入り込んで来て、製作費を抜いたり、作品を歪めたりした。ノミ、シラミのような連中が映画界には多い。また、協調性がない。批判ばかりしている。主導権を奪いたがるという困ったちゃんもいた。

しかし、作品を作るごとに素晴らしいスタッフと出会い、問題ある者はブロック! 二度とチームにはいれない。あと、様々な対策をして今では邪魔をするだけの者はおらず、素晴らしい作品を作ろう!という思いのある素敵なメンバーばかりだ。

ただ、以前はトラブルの連続。何度も崩壊の危機があった。実際、そんなことで映画のレベルが低くなってしまった友人が何人もいる。トラブルを起こす人間がいると、その人自体ではなく、巻き込まれ、利用され、トラブルに加担する者も出てくる。

隠れて危険なことをする輩。トラブルの原因が見えなこともある。その原因を探り、誰に問題があるか? なぜ、問題が起きたか? その動機は何か?を考えることが大事。単にみんな仲良く仕事するだけではダメだ。トラブルに気づかない振りをするのは一番ダメ。問題を解決し、皆が作品作りに専念できる環境作りは絶対だ。

以前は映画を作る以上に、そちらに時間と労力を取られることが多かった。本来はPの仕事だが、そのP自身がトラブルの張本人ということも多かった。「ムラ社会ルール」で対応するのではなく、問題を解決するとはどういうことか?を考えるには過去の映画製作を思い返すことも有効ではないか?と思えている。


57611785_2620420724698882_5993821032744484864_n.jpg
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

原発事故を取り巻く状態も、ムラ社会ルールそのもの!=日本人はトラブルを見て見ぬ振りをし、そして無かったことにする。 [ムラ社会ルール]

49077051_2365391983535092_3450355075229155328_n.jpg

原発事故を取り巻く状態も、ムラ社会ルールそのもの!=日本人はトラブルを見て見ぬ振りをし、そして無かったことにする。

映画製作ではよくトラブルが起こる。これを「ムラ社会ルール」(以前に何度も記事にしたあれー島国根性とも言えるもの)で対応すると、大変なことになり、多くの関係者が困り、傷つき、落胆する。そして製作中止なることが多い。

ただ、これが役所や企業だと、それでも成り立ったしまうことがある(一つのプロジェクトが潰れても大きな問題にはならない)が、僕が参加するような独立プロ系の、あるいは実行委員会方式だと、「中止」は全てを失うことであり、関係者の努力が全て無になってしまう。

基本、地元の方々は「町の魅力をアピールしたい!」という熱い思いで参加するが、中には「金儲けで利用できそうだ」「有名俳優と仲良くなれる」という別の目的で近づいてくる人たちもいる。魂胆を隠して「何か協力したくて」とか「共感しました!」とか言って入り込もうとする。

その種の人が参加すると必ず揉める。つまり「素晴らしい映画を作ろう。町の魅力が詰まった作品にしよう!」という目標なのに、その人たちは「金儲けに繋げよう」「有名女優に近づこう」が目的なので、他は二の次、三の次になる。時には嘘をついたり、筋の通らぬことを無理やり進め自分の利益に繋げる。

それがトラブルの始まり。だが、その種の人々はなかなか尻尾を出さない。隠れていけないことをしたり、裏で根回しして真面目なメンバーを引き込んだり、脅したり、透かしたり、自分の目的が達成できる方向に持って行こうとする。「素敵な映画を作ること」「町の魅力を伝えること」なんて考えていない。

IMG_2538.JPG

そんなことをしていると必ず、歪みが起き、トラブルとなる。が、地方では先の「ムラ社会ルール」が発動され(?)真面目に頑張っている地元の人たちが黙ってしまう、トラブルを見て見ぬ振りをする。犯人が誰だか分かっていないも触れない指摘しない。

「同じ町でこの先何十年も生活するので、注意して揉めたくない」

そんな思いがあるからだ。そのことは「町の魅力を発信しよう」という思いを超えることが多く、トラブルを解決できない。映画製作が崩壊する可能性があっても黙り込む人たちもいる。非常に日本人的な対応をする。

多分、同じことは地方社会だけでなく、役所や企業の中でも起こっているだろう。地元や自治体、会社のために大きなプラスになることでも、一部の人間がトラブルを起こすと止めようとせず、黙り込み、皆で無かったことにする。そのいい例が原発事故だ。未だに収束できず。放射能を出し続けているのに、それをしっかりと伝えないマスコミや政府。被害はなかったかのように振る舞う。

「平成の出来事」という番組でも事故に触れず、原発事故はなかったかのように思わせようとする組織と人々もいる。事故は現在進行形なのにこう思う人たちが増える。

「結局、大した被害はなかったよね」「無事に収束してよかったね」「原発事故はもう過去のことだしさ」「福島の人はみんな故郷に帰れたし」

まさに「ムラ社会ルール」の見本である。地方映画でも同じように進行形のトラブルを見て見ない振りをする人たちが出る。タイタニック号のようにこのままでは沈むというのに、多くが知らない振りをしていることがある。それでも近作でいうと「明日にかける橋」の時の地元メンバーは本当に頑張った。いろんなことがあったはずだが、様々なトラブルを超えて完成させた。

が、それは特殊な例かもしれず、多くはトラブルを解決しようとせず、プロジェクトが崩壊。地元の有志の努力が無駄になる。にも関わらず、トラブルの主はこういう。

「残念だったなあ。僕も応援したんだけどね〜」

なのに誰も責める事はせず、問題に触れることもしない。原発事故と同じ構図だ。「ムラ社会ルール」は地方だけでなく、企業や国にも蔓延しているのである。まだまだ書かねばならないことあるが、長くなったので今回はここまで。別の形で続きを書かせてもらう。

ムラ社会ルール記事=>https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp/2019-03-08-2


asahi _edited-1.jpg
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画
ムラ社会ルール ブログトップ