日本人は考える力がない!⑦ =「教育」と「習慣」で仕事ができる田舎者になる? [ムラ社会ルール]
日本人は考える力がない!⑦
=「教育」と「習慣」で仕事ができる田舎者に?
日本人は考える力がない話。何本か書いた。先にムラ社会ルールの記事を書いたこと。覚えているだろうか? その2つが密接に関係していること説明する。それが日本人を最悪の状況に陥れているのだ。まず、ムラ社会ルールをもう一度紹介。
プラスして日本人は「考える力」を育てる教育を受けておらず、「与えられたことを疑わずに確実にこなす」訓練を10年も行ってきた。それをに上のルールが加わるとこうなる。
①「トラブルが起こっても、見て見ぬふりをする。何事もなかった顔をする」
=そもそも、日本人はトラブルの原因を見抜くための「考える力」が弱い。原因が何であれトラブルがあれば見て見ぬ振りをしてしまう。
②「問題を起こした責任者を追求しない」
=日本人は責任者が誰であるか?突き止める能力が弱い。だから、追求もできない。
③「被害に遭った人が責任者を責めると、みんなで被害者を叩き、トラブルには触れず、無かったことにする」
=見ないようにするので誰が悪いのか?分からないが、誰かがバツシングを始めると乗り遅れないように一緒に叩く。ま、イジメと同じ。参加すれば自分はイジメられない。
④「トラブルを避け、問題を起こさないこと。人と違うことをしない。新しいことを受け入れず、協調を大事にする」
=元々、自分の意見を持つ教育を受けてないので自分なりの考えはない。だから、皆が言うことに合わせて置こうとする。自然に皆と協調できる。
⑤「実質的なメリット。街全体のプラスより、個人のメンツや付き合い平穏を大切にする」
=与えられたことを疑わず、従う教育を受けているので、みんなが言えばそれに従う。教育で上に向かい文句を言わない体質も形成されている。村の年配者に逆らうことはない。
全て合致するでしょう? つまり、日本の教育はムラ社会ルールという昔からある悪しき習慣と、とっても似ている。小さな村で穏便に生活するための知恵(?)と、日本という狭い国で問題を起こさずに生活するルールがほぼ同じ。
さらに国が戦後進めて来た教育もそれに符合する。教育が効果を上げるのは当然なのだ。その両方に都合がいいのは支配者たち。文句を言わない。不正があっても不満を言わない。ただ、大人しく与えられた仕事をする。酷い目に遭っても泣き寝入り。責任を追及すれば皆で叩く。まさに日本という国がよく分かるルールだ。
しかし、現代ではムラ社会ルールも都会では通用しない側面が強い。長年同じ町に住んでいる人ばかりではないので、それに従う必要がない人がたくさんいるからだ。近所との交流を絶っても都会では問題ない。同じように現代では日本村だけでは生きていけない。多くの国と貿易し交流が必要。となると日本ルールが通用しない。
同時に、日本の教育を受けた者では世界を相手に出来ない。単なるサラリーマン・ロボットであり言われてことしかできないからだ。海外から言われたことをしているだけでは、国は衰退する。つまり、今の日本に必要なのは新しい教育なのだ。世界に対して意見が言える。反論ができる。ビジョンを持てる。それを説明し説得できる能力がある人を育てること。
それができていないことが日本衰退の最大の原因。でも、今から始めてもそんな子供が成人するのは20年後だ。悲しい話である。
嫌われることの大切さ。仲良くしないことの重要性?=日本が復活するために必要なこと。 [ムラ社会ルール]
嫌われることの大切さ。仲良くしないことの重要性?
=日本が復活するために必要なこと。
多くの日本人が「嫌われたらどうしよう?」と考えてあれこれ我慢したり、自分を殺して窮屈な生き方していること。感じる。日本人は子供の頃から
「みんなと仲良くしなさい」「誰もに好かれる子に育ってほしい」
と親に言われる。間違いではないのだけど、その背景にあるのが「ムラ社会ルール」のような気がする。狭い村だから、揉め事を起こすと村八分にされるから
「みんなと仲良くしなさい」=目をつけられてイジメられたりしないように
「好かれる子になる」=嫌なことを我慢せねばならない。
ワガママを言わない。自分の思いを抑えて生きることにも繋がる。つまり、みんな一緒。勝手なことはしない。反対意見を持たない。人を批判しない。ムラ社会ルールを遵守する日本人の典型になってしまう。
だが、映画の世界は違う。撮影スタッフに1人、困ったちゃんがいると、トラブルが起こる。そのバカとは仲良くしてはいけない。そのバカに嫌われるからと迎合してはダメ。そのバカは排除して、問題を起こさない人間を補充するべき。バカの行動を阻止する。出ないと、素晴らしい映画を作ることは出来ない。もちろん、組によって違う。困ったちゃんが排除されずにレギュラーになるチームもある。
困ったちゃんに嫌われることを恐れてはいけない。彼らに好かれる、仲良くするということはトラブルを我慢し、仕事のクオリティを下げることになる。だが、その対応が難しいのが、会社や役所だ。
簡単にはクビにできない。だから、ムラ社会ルールを実践してしまう。見て見ぬ振りをする。トラブルに気づかぬ振りをする。嫌われないように仲良くする。だが、そのことで日本の企業や政治はどんどんダメになり、アジアの三流国に落ちぶれたのではないか?
嫌われることを恐れ、皆で仲良くしててダメになったのではないか? これからの時代。大事なことは嫌われることを恐れない。嫌われてもやるべきことはやる。皆と仲良くする必要はない。ということではないか?
「ムラ社会ルール」に縛られる日本人=崩壊までに気づくだろうか? [ムラ社会ルール]
「ムラ社会ルール」に縛られる日本人=崩壊までに気づくだろうか?
ここ数ヶ月の収穫は「ムラ社会ルール」を把握したことだ。この歳まで本当に気づかなかった。誰も教えてくれなかった。まあでも、多くの人が
「私はムラ社会ルールを遵守しています!」
とは思っていない。知らない内に縛られているのだ。子供の頃から親の行動や発言の影響を受け、近所の人たちの対応を見て
「あーこんなことしちゃいけないんだ...」
「こうすれば揉めないんだ...」
と感じ、学んで行くのだろう。元々は江戸時代あたりからの、狭い村で穏便に生きていくための知恵だったのだろう。それが無意識のルールとなり、今もしっかりと生きている。特に地方社会ではそのルールが現代もしっかりと根付いている。
僕よりずっと若い友人。田舎町で頑張っている。故郷のために努力している。そんな彼なのにトラブルがあると沈黙。「俺が何とかする」というのだが、何ヶ月経っても報告がない。なぜ、説明責任を果たさないのか? 問題解決をしないのか?と苛立つ。
問題の主と裏取引しているのか? その相手は村の黒幕なのか?と思っていたが、これもムラ社会ルール。トラブルは見て見ぬ振り。彼の場合は「自分が何とかする」と関係者にいい、何もせず、皆が忘れるのを待つという手法を使うのだ。僕よりずっと若く、故郷愛もある彼が何で?と思ったが、ムラ社会ルールを実践していたのだ。
ただ、彼の村ではそれも通用するだろう。
政府も原発問題を同じ方法で忘れさせる努力をしている。が、映画制作では通用しない。問題が起こっているのに、知らないふりをしていたら大変なことになる。僕の場合でも、以前は監督業より、そちらに多くの時間と労力を必要としたほどだ。最近はあれこれ考えて、トラブルはほとんどなくなったが、他の組ではどうなのだろう?
会社はどうか? やはり「ムラ社会ルール」が機能する。製作会社でも可能だ。ロクに仕事もせずに肩書きを利用して利益を得るプロデュサーは多い。それを同僚は知っていても何もしない。気づかない振りをする。問題が起きているのに誰も指摘しない。そんな会社で何度も仕事をした。
部外者の僕が気づいているのに、社員連中が知らない訳がない。意見しても「まあまあ」と言われてしまい、不正や癒着、誤魔化しが続く。そのことで作品のクオリティが落ち、スタッフがやる気をなくす。でも、誰も問題解決をしようとしない。バブル時はそれでも良かったが、不況になりその製作会社は潰れた。
社長は借金を抱え、行方不明になった。小さな会社なので、数年で結果が出たが、大企業や役所だとすぐに倒産、崩壊ということはない。大いなる無駄、癒着、誤魔化しをしながらも継続していく。だが、それも近い内に崩壊しそうな気もしている。
少し事情は違うがアメリカ合衆国も同じだ。
10年に1度戦争をすることで大儲けしてきた。が、ベトナム戦争以降、金持ちは豊かになるが、貧しい国民がどんどん増えた。一時は属国である日本にさえ経済的に脅かされた。(その日本に莫大な国債を買わせて凌いで来たのだけど)金持ちと政治家が組んで、やり放題をしてきたせいで、国が腐っている。
でも、そこが「ムラ社会ルール」の国ではない。負の連鎖を断ち切ろうとする勢力が台頭。「世界の警察」という名の元に侵略を繰り返した方針を転換し、アメリカ・ファーストを打ち出している。「他の国はどうでもいい!」ということ。逆にいうと「他の国をかまっている内に自国が崩壊寸前。それを立て直す」ということだ。
今の日本は少し前のアメリカに似ている。
自国で様々な問題を抱えているのに、首相が海外で金をばらまいている。金持ち優遇で、貧乏人がどんどん増える。そんな政権を支持するのは有権者の20%少々。その人たちが投票するから継続してしまう。後の70%と言わない、40%がある野党に投票すれば簡単に現政権を倒すことができる。
それをせずにいるのは「ムラ社会ルール」に縛られているからだ。政治家たちがどれだけ悪行を続けても見て見ぬ振り、知らん顔。解決しようとしない。先の製作会社の社員と同じ。この先にあるのは日本国の崩壊。それに気づき声を上げる人たちもいる。が、多くが今も目を閉じて、プロパガンダのテレビ番組を見て
「日本は今も経済大国。世界に愛される国なのね〜」
と思い込んでいる。あるいは思い込もうとしている。「ムラ社会ルール」からの脱却が今の日本の最大のテーマではないか?と思えている。また、あれこれ考えて書かせてもらう。
ムラ社会ルールで、問題に気づかない振りをするのではなく、原因を究明し解決することの大事さ。考えてみる。 [ムラ社会ルール]
ムラ社会ルールで、問題に気づかない振りをするのではなく、原因を究明し解決することの大事さ。考えてみる。
同じ地方に長い年月住んでいたことがないので、この歳まで実感がなかったが、地方には「ムラ社会ルール」が存在すること。記事にした。その後、あれこれ考えて原発問題もムラ社会ルールでなかったことにしようとしていることに気づいた。地方だけではない、政府も企業も同じルール。つまり、日本人全体がムラ社会ルールに縛れているのだ。
その原因は以前に書いた。狭き地域社会で揉め事を起こすと、その人と何十年も顔突き合わせて行かねばならない。だから、トラブルがあっても知らないふりをする。関わらない。さらに責任者を被害者が追求したら被害者を叩き、泣き寝入りを強要する。その被害者さえ黙っていればトラブルにはならないからだ。それがムラ社会ルール。
そのルールは役所や大企業でも通用する。ことなかれ主義にも近い。市民や消費者にプラスになることをするより、何もしないことが一番大事。トラブルが起これば同じ対応。見ない振りして、なかったことにしてしまう。だから、腐敗して行く。汚職がはびこる。
映画の世界で生きる僕にとっては、見て見ぬ振りをすることはできない。正義感が強いてなことでもない。トラブルを解決しないとプロジェクトを前に進めることができないからだ。役所や企業ならプロジェクトが潰れても大きな問題ではない。それどころか新しいこと、面倒なことを潰して回る役所も多い。
だが、映画製作は1本1本が勝負。時間も、お金も、労力もかけて準備する。それが潰れれば多くの人が傷つき、落胆する。全てが無駄になる。だから、トラブルが起これば見て見ぬふりをするのではなく、原因を究明して解決せねばならない。そのためには人集めの段階からトラブルを起こしそうな人材を見抜きブロックすることも大切だ。
とは言え、監督デビューした初期の頃はそんな輩が必ず入り込んで来て、製作費を抜いたり、作品を歪めたりした。ノミ、シラミのような連中が映画界には多い。また、協調性がない。批判ばかりしている。主導権を奪いたがるという困ったちゃんもいた。
しかし、作品を作るごとに素晴らしいスタッフと出会い、問題ある者はブロック! 二度とチームにはいれない。あと、様々な対策をして今では邪魔をするだけの者はおらず、素晴らしい作品を作ろう!という思いのある素敵なメンバーばかりだ。
ただ、以前はトラブルの連続。何度も崩壊の危機があった。実際、そんなことで映画のレベルが低くなってしまった友人が何人もいる。トラブルを起こす人間がいると、その人自体ではなく、巻き込まれ、利用され、トラブルに加担する者も出てくる。
隠れて危険なことをする輩。トラブルの原因が見えなこともある。その原因を探り、誰に問題があるか? なぜ、問題が起きたか? その動機は何か?を考えることが大事。単にみんな仲良く仕事するだけではダメだ。トラブルに気づかない振りをするのは一番ダメ。問題を解決し、皆が作品作りに専念できる環境作りは絶対だ。
以前は映画を作る以上に、そちらに時間と労力を取られることが多かった。本来はPの仕事だが、そのP自身がトラブルの張本人ということも多かった。「ムラ社会ルール」で対応するのではなく、問題を解決するとはどういうことか?を考えるには過去の映画製作を思い返すことも有効ではないか?と思えている。
原発事故を取り巻く状態も、ムラ社会ルールそのもの!=日本人はトラブルを見て見ぬ振りをし、そして無かったことにする。 [ムラ社会ルール]
原発事故を取り巻く状態も、ムラ社会ルールそのもの!=日本人はトラブルを見て見ぬ振りをし、そして無かったことにする。
映画製作ではよくトラブルが起こる。これを「ムラ社会ルール」(以前に何度も記事にしたあれー島国根性とも言えるもの)で対応すると、大変なことになり、多くの関係者が困り、傷つき、落胆する。そして製作中止なることが多い。
ただ、これが役所や企業だと、それでも成り立ったしまうことがある(一つのプロジェクトが潰れても大きな問題にはならない)が、僕が参加するような独立プロ系の、あるいは実行委員会方式だと、「中止」は全てを失うことであり、関係者の努力が全て無になってしまう。
基本、地元の方々は「町の魅力をアピールしたい!」という熱い思いで参加するが、中には「金儲けで利用できそうだ」「有名俳優と仲良くなれる」という別の目的で近づいてくる人たちもいる。魂胆を隠して「何か協力したくて」とか「共感しました!」とか言って入り込もうとする。
その種の人が参加すると必ず揉める。つまり「素晴らしい映画を作ろう。町の魅力が詰まった作品にしよう!」という目標なのに、その人たちは「金儲けに繋げよう」「有名女優に近づこう」が目的なので、他は二の次、三の次になる。時には嘘をついたり、筋の通らぬことを無理やり進め自分の利益に繋げる。
それがトラブルの始まり。だが、その種の人々はなかなか尻尾を出さない。隠れていけないことをしたり、裏で根回しして真面目なメンバーを引き込んだり、脅したり、透かしたり、自分の目的が達成できる方向に持って行こうとする。「素敵な映画を作ること」「町の魅力を伝えること」なんて考えていない。
そんなことをしていると必ず、歪みが起き、トラブルとなる。が、地方では先の「ムラ社会ルール」が発動され(?)真面目に頑張っている地元の人たちが黙ってしまう、トラブルを見て見ぬ振りをする。犯人が誰だか分かっていないも触れない指摘しない。
「同じ町でこの先何十年も生活するので、注意して揉めたくない」
そんな思いがあるからだ。そのことは「町の魅力を発信しよう」という思いを超えることが多く、トラブルを解決できない。映画製作が崩壊する可能性があっても黙り込む人たちもいる。非常に日本人的な対応をする。
多分、同じことは地方社会だけでなく、役所や企業の中でも起こっているだろう。地元や自治体、会社のために大きなプラスになることでも、一部の人間がトラブルを起こすと止めようとせず、黙り込み、皆で無かったことにする。そのいい例が原発事故だ。未だに収束できず。放射能を出し続けているのに、それをしっかりと伝えないマスコミや政府。被害はなかったかのように振る舞う。
「平成の出来事」という番組でも事故に触れず、原発事故はなかったかのように思わせようとする組織と人々もいる。事故は現在進行形なのにこう思う人たちが増える。
「結局、大した被害はなかったよね」「無事に収束してよかったね」「原発事故はもう過去のことだしさ」「福島の人はみんな故郷に帰れたし」
まさに「ムラ社会ルール」の見本である。地方映画でも同じように進行形のトラブルを見て見ない振りをする人たちが出る。タイタニック号のようにこのままでは沈むというのに、多くが知らない振りをしていることがある。それでも近作でいうと「明日にかける橋」の時の地元メンバーは本当に頑張った。いろんなことがあったはずだが、様々なトラブルを超えて完成させた。
が、それは特殊な例かもしれず、多くはトラブルを解決しようとせず、プロジェクトが崩壊。地元の有志の努力が無駄になる。にも関わらず、トラブルの主はこういう。
「残念だったなあ。僕も応援したんだけどね〜」
なのに誰も責める事はせず、問題に触れることもしない。原発事故と同じ構図だ。「ムラ社会ルール」は地方だけでなく、企業や国にも蔓延しているのである。まだまだ書かねばならないことあるが、長くなったので今回はここまで。別の形で続きを書かせてもらう。
ムラ社会ルール記事=>https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp/2019-03-08-2
「どうせ俺が投票しても日本は変わらない...」と思い込む多くの日本人=「私には何も出来ない...」と考える人たち [ムラ社会ルール]
「どうせ俺が投票しても日本は変わらない...」と思い込む多くの日本人=「私には何も出来ない...」と考える人たち
なぜ、戦争法案が強制採決されても多くの日本人は怒らず、何もしようとしないのか?について先日書いた。
①LAを旅行する日本人と同じ。危険なLAの現実を事前に説明しても、犯罪者に狙われる行動をする。注意すると「うるさいなあ〜」と不満そう。犯罪に巻き込まれるという想像が全くできない。日本と同じ気分でいる。危険察知の能力がない。
②ムラ社会ルール。誰かがトラブルを起こしても知らない振りをする。狭い村で相手の責任を追及するとあとあとまで揉めから。だから知らん顔。それを批判する人がいると、その人を叩く。黙って知らん振りして、皆で無かったことにする。
これに加えて「どうせ、俺なんか....」という非力感が強いと思える。自分を大した人間だと思っていない。大きな事は出来ない。いや、何も出来ない。だから、なるべく安定した大きな会社に就職し、嫌々でも仕事して、どうにか食って行く。その程度が目標になる。
「夢なんて叶わない」「夢を追う奴は馬鹿だ」
そんな風に考えて最初から努力しない。その姿勢を「努力不足」と考えず
「私は大人で世間を知っているから夢を追わないのだ」
「夢なんて世間を知らない子供が追うもの。世の中甘くない。私はそれを理解しているから、夢を追いかけたり、努力で何かを成し得るなんて考えない。だって大人だから」
何もしないことを大人の行動と正当化。努力する人を夢追う人を
「世間知らず」「甘いなあ」「夢はしょせん夢でしかない」
と高いところから批判。そして自分は嫌な現実を受け入れ、低賃金で、長時間労働。「世の中甘くないから」と納得しようとする。「戦争法」が可決される。
「政府なんてそんなもの。国民のことなんて考えない。私が1人反対しても何も変わらない。選挙に行っても無意味...」
そして棄権。これが毎回、選挙に行かない約50%の有権者の多くを占めるタイプではないか?
あとは忙しくて時間がない。政治に全く関心がない。でも、それらは一部だろう。ほとんどが現実に失望。無力感を持ち、何もせずに耐えることが大人と自身に言い聞かせている人たちではないだろうか? では、なぜ、そうなってしまったか? 別の機会に考える。
戦争ができる国になっても、平然としている日本人の背景にあるもの?=え、あれに縛られているの!愚かー [ムラ社会ルール]
戦争ができる国になっても、平然としている日本人の背景にあるもの?=え、あれに縛られているの!愚かー
戦争法案が可決されても多くの人は平気。
と言って「戦争賛成!」ではない。ほとんどが「戦争はいけない!」と思っている。にも関わらず反対するのは一部の人たちだけ。その背景には何があるのか? ずっと考えていた。いろんな記事を書いていて、あーこれか!ということが分かってきたので整理してみる。
①LAに来た友人たち。危険なLAの現実を事前に説明しても、犯罪者に狙われる行動をする。注意すると「うるさいなあ〜」と不満そう。犯罪に巻き込まれるという想像が全くできない。日本と同じ気分でいる。
②ムラ社会ルール。誰かがトラブルを起こしても知らない振りをする。狭い村で相手の責任を追及するとあとあとまで揉める。だから知らん顔。それを批判する人がいると、その人を叩く。黙って知らん振りして、皆で無かったことにする。
この2点が大きな影響を及ぼしているだろう。①で言えること。想像力のなさ。情報があっても、自分が被害に遭わないと実感できない。危険があることを伝える人がいても、うるさいとしか思わない。「戦争法案」である「集団的自衛権」「特定秘密保護法」をリアルに感じることができないのも同じ背景。
「昨日までいた日本は安全だ。だから、今いるLAも安全だろう」
という根拠にならないことを感じている。「日本は70年戦争をしていない。だから今後も戦争はしない」同じ発想だ。そんな根拠にならないことで安心。戦争法案が通っても平気でいられる。
②から言えること。政権が「戦争法案」を可決した。ある種の人たちは「かなりヤバイ!」と思っている。が、「ムラ社会ルール」ではトラブルを起こす人たちがいても、知らない振りをする。それを批判「首相、辞めろ」という人たちを叩く。何も気づいていない振りをして、皆が忘れるのを待つ。
まとめると、①は想像力のない能天気なグループ。②は事態に気付いているが、知らない振りをするグループ。多くの日本人がこのどちらかのグループ内に属するということだろう。だから、何もしない。行動しない。反対しない。内輪で不満を言うだけ。そしていずれのグループも、何事もなかった顔で、これまでと同じ生活を続ける。それが多くの日本人のあり方なのだ。
つまり、背景にあるのは
「ムラ社会ルール」国際化社会になっても島国根性が抜けないこと。そして、想像力の欠如。これは「考える力」とも言える。それが育ってないからである。バカではない。日本人は優秀なところがある。では、なぜ、想像力、推察する力が育ってないのか? 次回、それを説明する。