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映画作家という生き物? お金ではない。製作費以上のものを作りたい! [再掲載]

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映画作家という生き物? お金ではない。製作費以上のものを作りたい!

映画界では20%の手数料を撮るのが習慣。例えば1000万円の仕事を受ければ800万で製品を作り、200万を会社の儲けにする。阿漕な会社なら製品クオリティを落として500万で作り、残りの500万を儲けにする。もちろん500万ではドラマでも、ドキュメンタリーでも、PVでもロクでもない作品にしかならない。

が、製作会社は思う。「1000万程度で作品作りを頼む方が悪い。こちとら食って行けなくなるだよ!」社員もいるし、事務所代も払う。高熱もいるし、社長は家族を養わねばならない。でも、映画作家からすると、1000万で500万の作品を作ることに我慢ならない。その依頼自体がロクでもないものならまだしも、意味ある作品であれば、なおさら500万レベルで製作したくない。少なくとも1000万全てを作品に使いたい!

だから儲けは極々わずかにして、作品にほとんどの製作費を注ぎ込んでしまう。我が師匠、大林宣彦監督はそんな人だった。ある作品では1億の製作費なのに、そこから儲けを取らず。さらに自社から出資までして映画を完成させた。儲けようという気がないのか? いや、より良い作品を作りたい?というのが映画作家の思いなのだ。

その師匠の影響もあり、僕も製作費以上のものを作りたい!なら、師匠のように自から出資して?いや、悔しいがそれは出来ない。そもそも貯金がない。だから7人分働く。7人分働いて1人分のギャラにすれば、製作費が数百万円増えたのと同じ。タダで6人が働いてくれることになる。僕以外のスタッフも2人分3人分働いてもらう。が、こちらは割り増しギャラを払う。僕自身は何人分働こうとも、1ヶ月最低限の生活ができるだけの1人分のギャラにする。

そのことで500万の作品なら1000万。1000万の作品なら1700万の製作費で作ったのと、同じクオリティにできる。特に今回は50年ぶりに持病が再発するほど働いた。そのことで400万ほど製作費がプラスできたようなもの。キャッシュでもらった訳ではないが、健康を切り売りしたのだ。そのことで映画は良くなる。

スポンサーに不満がある訳ではない。意味ある作品を依頼し、いくらであろうと出資してくれたことに感謝する。そして本来、依頼の額が500万なら500万のものを作ればいいし、1000万なら1000万のものを作ればいい。そこから手数料を抜いて儲けにすればいい。でも、そんなことで良い作品は出来ない。映画作家は我慢できない。それなら身を削り健康を削ることで、7人分働くことで、より良い作品を作れる方が満足できる。

完成すれば多くの人が見て感銘を受ける。今回で言えば「沖縄戦の現実」を多くが知ることができる。テレビでその手の番組はない。そこから戦争について考える。話し合う。いろんな展開がある。なのにもらった製作費だけで作品を作ったら感銘を与えるものは出来ない。沖縄戦の現実を伝え切ることも出来ない。

映画作家はサラリーマンではない。与えられた給与の額分だけ仕事していてはいけない。僕には妻も子もいない。全てを作品に注ぎ込める。作品は僕が死んだ後も残る。だから手を抜けない。全力でかかる。毎回遺作。それが映画作家の定めなのじゃ。ははは。

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騙されてはいけない。誘導されてはいけない。正義感が強く、行動力のあるあなた。ご注意あれ! [再掲載]

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騙されてはいけない。誘導されてはいけない。正義感が強く、行動力のあるあなた。ご注意あれ!


杉下右京は言う。「細かいことが気になる困った性格!」僕も似たようなところがある。だから脚本家という仕事ができるのかも? ただ、嫌がられる。「そんなんこと。どうでもいいだろう!」とよく言われるが、どうでもよくない。

問題ある奴がいる。迷惑ばかりかけている。「なぜ、彼は嫌われることばかりするのか? 何か理由があるんじゃないか?」と言うと、友人は「あいつは単に嫌な奴なんだよ!」と怒る。が、調べていくと、その人は精神病だった。悪意はないが、精神状態が普通でないので無責任なこと、人を傷つける発言が多い。そのためにトラブルが起きていた。

何か事件やトラブルには必ず原因がある。嫌われている人がいたら、彼ら彼女らの背景や生活に何かがある。単に「嫌な奴」なんてあり得ない。ただ、考えるのが面倒という人が多い。「嫌な奴」と決めつけ、済ませてしまう。

「あの政治家は許せない。裏切られた。2度と応援しない!」

と怒る友人もいる。理由を聞く。ほとんどが聞きかじった情報やツイッターでのデマが背景。さらに聞くと、友人はその人を過大評価していた。なのに現実が見えてくると「裏切られた!」「彼は変わってしまった!」と嘆く。もともと、そう言う人なのに...。

あるいは「勝手な思い込み」で、その人を見ていた。現実が見えてくる。「自分の見る目がなかった」とは考えず、「裏切れた」「彼は変わった」と断定。怒りに駆られ、誹謗中傷。バッシング。「俺は裏切られた!」「正義は私にある!」と攻撃。悲しい。ただ、彼ら彼女らは熱く、真面目で、正義感が強い。だから、強い怒りがこみ上げる。悪い人たちではない。むしろ「思い」ある人たち。でも、現実が見えない。

その噂。本当に正しいのか? その情報。本当に事実なのか? 思い込みはないか? 別のことをダブらせていないか? 関係ない怒りを向けてはいないか? そうは考えない。ツイート見る。「何ーーーそれは酷い。許せない!」リツイートして攻撃。誰が、いつ、発信したツイートか確認しない。発信した人物が何者で、どんな背景があるか?確認しない。アイコンがアニメキャラでハンドルネームなのに安易に信じてしまう。

マスコミが「今、日本は**国から攻撃を受け、多くの子供が殺害されました」と報じれば、「何〜許せねえ! 志願して自衛隊に入って戦うぜ!」と言う人が続出するのではないか? アメリカがよく使う手だが、日本も過去に使っている。情報を確かめることは大事だ。いつ、誰が、どんな人が発信したのか? 背景は? 目的は? 裏は? 情報の真偽は? 少し考えるだけで、いろんなことが見えてくるはずだ。


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日本の混迷。全ては戦後教育の間違いから始まった=会社ロボット育成のための学校? [再掲載]

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日本の混迷。全ては戦後教育の間違いから始まった=会社ロボット育成のための学校?

スプリングスティーンの歌で「学校の授業ではなく、レコードから多くを学んだ」という歌詞がある。その曲を聴いたとき、その通りだ!思った。僕は今、映画の仕事をしている。監督するだけでなく、脚本を書き、編集をし、宣伝もする。が、学校の授業で学んだことで役に立ったことはほぼない。高校時代に見た映画、聴いた音楽が今、役立っている。

小学校時代のことはまだプラス。字を覚える。漢字を覚える。足し算、引き算ができる。掛け算もできる。都道府県を覚える。日本史の流れを覚える。それらは今も役に立っている。が、中学、高校と6年間で学んだことは役に立っていない。6年も英語を習ったのに英会話が出来ない。因数分解や連立方程式を使うことがない。古典や漢文も必要ない。そんな役に立たない勉強を6年もしていた。

僕は映画の仕事を選んだが、例えば会社員になった。実家の八百屋を継いだ。飲食店で働いている。そんな人たちは6年の授業が役立っているのだろうか? 多くがさらに4年。大学に行く。友人たちは勉強より、バイトをし、スキーに行き、コンパをして、遊んでいた。が、そんなことが思い出になり、自由に趣味を謳歌することが出来たことが良かったという。そのことで将来の仕事を選ぶ、卒業にその道を進み始めた友人もいる。ま、遊んだだけで4年を終えた友人も多いが。

僕だけでなく、友人たちの話を聞いても、10年間に学校で学んだことで社会に出てから役に立つことは、ほぼなかったようだ。なぜ、日本の教育はそんな無意味な教育をしているのか? 次第に分かって来たのは、政府や企業に都合のいい人材を育てることだったのだろう。数学でも、古典でも、化学でもいい。何ら役に立たない。興味を持てないことでも、与えられたことをする大人を育てるための訓練なのだ。

記憶する。教えた方法で理解する。好き嫌いさせない。行動の意味を考えない。言われたことに逆らわず、与えられたことを確実にする会社ロボットに育てるため、社会の部品になる教育だと思える。政府や会社が指示したことに逆らわない。無茶な命令をされても、その意味を考えず、従う。好きだ嫌いだと言わず、与えられたことを黙々とこなす労働力を育てるものだったのだろう。

その能力を測り、比較して、上から優秀なものを一流企業、次に政府が獲得。彼らが日本を運営していく。例えればアリの王国作りを目指したのだろう。女王アリと働きアリ。それがスタートしたのが戦後。働きアリたち真面目に文句を言わず、休みも取らず働き続けた。日本は経済大国となった。が、バブル崩壊。リーマンショックと、戦後と同じでは乗り切れない時代が到来する。

だが、与えられたことしか出来ない人材ばかりの国。当然、トップも同じ。価値観が変わっていく世界で、自分で考えることの出来ない人たちは、古い価値観にしがみつくしか出来ない。そんなトップたちの誤った判断に従い、崩壊の道を突き進んで来た。それが不況の20年となったのだろう。すべては教育から始まっている。今、必要とされるのは、新しい時代に、新しい判断をできる人。自分で考えることができる存在なのだ。

ただ、大きな問題がある。僕らの時代まではまだ管理教育が完結しておらず、はみ出しものがいた。が、それ以降は教育によって完全に型に嵌められてしまい。はみ出すこともできず、指示されなければできない大人が大量に育ってしまった。彼らでは無理。新しい時代を切り抜けられない。急いで教育を改革しても、今の子供が成人するのは20年かかる。それまで日本は混迷を続けるしかないのか? あれこれ考えてしまう。



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日本をダメにしたもの。この2つに尽きる?=教育とムラ社会ルール? [再掲載]

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日本をダメにしたもの。この2つに尽きる?=教育とムラ社会ルール?(再掲載)

なぜ、日本は不況から脱することができないか? なぜ、極悪な政権を止めることができないか? なぜ、経済大国から極貧国に落ちてしまったのか?それら問題の背景......。

①詰め込み教育。 ②ムラ社会ルール。

この2つがとても大きな足かせだと感じる。日本をダメにしている。まず、教育については何度も何度も書いたが、日本の教育は優秀なサラリーマンを育てるもの。上からの指示に逆らわず、疑問を持たず、従順に、理不尽を感じても、意味がなくても、言われたことをする。与えられたことを確実にこなす能力を計り、成績のいい順にキャリア官僚、一流企業から順に採用した。

優秀な製品を作る。そのことで貿易黒字を増やし日本は経済大国になった。が、バブル崩壊以降、不況街道まっしぐら。他の国々は経済成長を続けているのに日本だけがなぜ? それは新しい時代に即した展開ができないから。与えられたことしかできない人たちが国や企業の上にいるから、過去を踏襲するしかできないのだろう。

1970年代。フジテレビも一流大学を中心に新人採用をしていた。そんな中で大学はそこそこだが、ユニークな人材がいた場合。本社ではないが子会社で採用した。80年代になり、その時の個性的な面々が現場に出て大活躍。彼らが作ったのが「THE MANZAI」であり「ひょうきん族」「笑っていいとも!」だった。高視聴率を取りフジは業界のトップに躍り出る。流大学を出たからと業績を上げることはできない。むしろ、はみ出した型破りな人材が新しい時代を築くのだ。

ところが多くの日本企業はそれをしてこなかった。だから人材がいなり海外から呼んだり。業績回復!なのにムラ社会ルールでトップを追放。それがゴーン事件だ。ムラ社会は「仲良しクラブ」本来の目的を忘れて、仲良くすることを優先。組織を腐られせる。教育によって「考える力」が育ってない国民は、あの政権は何だかんだでで支持率が高いよな....すぐマスコミに誘導され諦めてしまう。

以前に書いた「議論」の授業がない教育も問題。自分の意見が持てない。伝えることができない。議論もできない。与えられたマスコミ情報を鵜呑みにするだけ。おまけにムラ社会ルールに縛られているので、意見をいうとトラブルになると考える。仲間が問題を起こしても見てむぬふり。加害者ではなく被害者を叩く。そんなムラ社会ルールに縛られている。日本が抱えるほとんどの問題は①教育 ②ムラ社会ルール。この2つを改善しないと日本人は変われない。


(2020年2月記事)



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「文句を言うな」は「批判するな」?=支配者たちは言葉すり替え、国民をコントロールする [再掲載]

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「文句を言うな!」とよくいう先輩がいる。その言葉を聞くと「グズグズ文句ばっかり言わずに、さっさと行動しろ」という意味だと思える。「文句」という言葉には「言う必要のないこと」「仕方のないことをいうこと」と「愚痴」に近いものと捉え、ダメな後輩を叱咤しているつもりなのだろう。

では、文句ではなく「反論」「批判」と言う言葉に置き換えるとどうなるのか? 先輩の言葉を借りよう。「反論するな!」「批判するな!」これを聞けば先の「文句を言うな」とは違い違和感を持つのではないか?

自分の意見を一方的に押し付けておき「反論するな」では理不尽だ。相手の意見も聞くのがフェア。「批判するな」も同様。自分の言葉や方針を批判されたくない。問題があるので批判されると説明できない。だから「批判するな」と言っているのだとも解釈できる。

「先輩」を「上司」や「政府」に置き換えるともっとよく分かる。部下に無理難題を押し付け、生活を脅かし、犠牲を強いるような指示や命令。「批判」や「反論」を受けた場合。「文句を言うな」はとても便利な言葉なのだ。それを聞いた第三者は上司(政府)は正しいことを指示しているのに、部下(国民)は努力せずに文句を言ってるのだ。と感じるからだ。

その究極が太平洋戦争時。国が戦争を続けることに対して国民は批判も、反論も許されなかった。反対意見や疑問を唱えると「文句を言うな。非国民め」と近所からも憲兵からも叩かれた。「文句を言うな」と言うのは、問題ある行動を無理やり進める時に便利な表現なのだ。

「我に従え」「お上に逆らうな」「言われたことをおとなしくすればいいだよ」「国民は黙っていろ」

支配者たちはそうやって、批判や反論を「文句」だと決めつけて言論を封じようとする。最近、一部の文化人たちがいう「今、政府を批判すべきではない」も同じ。「政府に文句を言うべきではない」「国民は黙ってお上に従え」と言いたいのだ。

つまり失敗続きで効果を上げられないコロナ対策を批判されたくない。多くが感染し死亡者を出しても責任を追及されたくないということ。騙されてはいけない。文句も、批評も、反論もすることが大切なのだ。


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「朝日のあたる家」英語字幕版予告編。ロングバージョンを公開! [再掲載]



海外にお住まいの方。ぜひ、シェアをお願いします。

ロサンゼルス、アリゾナ、シンガポール、ドイツ、ニュージーランドで上映。





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標準血圧が年々下げられている??なぜ?=製薬会社の陰謀? [再掲載]

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標準血圧が年々下げられている??なぜ?=製薬会社の陰謀?

Facebook「友達」の方が教えてくれた薬屋さんが書いたブログに書かれてあったこと。標準血圧値がどんどん下げられている。

以前 「年齢+90」

1970年代 一律「160」

1987年〜 高齢者「180」

1990年代、「140〜60」がグレーゾーン

2000年代 グレーゾーンが消えて「140」と改訂

2014年、基準値「140」「正常高値血圧140未満、
     適正血圧130未満、至適血圧120未満」

こちらのブログから=>https://blog.goo.ne.jp/miyakekazutoyo230910/e/9c3413c03e53d3003784fbf9a7a10d56?fbclid=IwAR0tmsA_QoAfNe2sAaTGAsIs1zuwBY7PEKOYLwEKS6t_MOCFnPJWw-T-GeQ

なぜ、年々、標準値が下げられるのか? 新しい研究でより低い方がいいと分かってきたから。。。とも思えるが、そのことで「危険区域」の人が増える。不安に思う。薬を飲んで下げるーそんな狙いはないだろうか?

薬害エイズ事件でも、HIVウイルスが非加熱製剤に入っていることを製薬会社は知りながら在庫が多くあったので売り続けたことで、感染者が増大した。厚生省もその事実を知りながら、天下り先確保のために目を瞑った。さらには真相を知りながら矛先を他に向けるため「エイズはゲイの病気」というデマまで流している。

人命より儲け。製薬メーカーにはそんなところがあるのではないか? いや、薬だけではない。食品でも、何でも、健康より儲けというのが企業だ。放射能値の高い野菜や米が出れば、基準値を上げて「これは基準内で安心です」と食べて応援させる国だ。

日本だけではないマイケル・ムーア監督の「シッコ」を見ればアメリカも酷い。そんな現実を見ていると標準血圧値も、患者予備軍を大量に生み出すために年々下げているのではないか?と思えてくる。

2019年の記事。再掲載。


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10代の頃から感じていた違和感の正体。ムラ社会ルールに縛られた大人たち。それが日本という国...。  [再掲載]

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高校時代。夏休みは夜起きて、朝寝るという生活をしていた。夜遅くまでテレビで深夜劇場を見て、その後、本を読んだり、書き物をしたり。日が昇る頃に寝る。生活が逆転して、夕方起きて朝寝るというパターン。学校は休みだから問題はない。

当時はビデオデッキはないが、その頃からシナリオを書いていた。昼より夜が調子いい。静かだし、集中できる。邪魔されない。だが、当初は親がうるさく言った。「朝きて夜寝るのが健康的だ」「それが常識だろ」と。学校が始まり、教師との面談の時も休み中の生活を訊かれ素直に答えるとこう言われた。

「そんな不規則な生活をしていたのか!」

不規則ではない。夕方起きて、朝寝る。規則的だ。そういうと怒られる。

「朝早く起きて、頭の冴えている間に勉強して、夜寝るのが当然だろ!」

当然だろうか? 勉強にしろ、シナリオにしろ、夜の方が頭が冴える。なぜ、朝が冴えると決めつけるのか? その後、30代で脚本家デビューしてからも、40代で監督業を始め編集をする時も同じ。夜の作業が集中できて、効率がいい。

ただ、カタギの人たちは朝起きて会社に行き、夜終わって帰宅して寝る。学校も夜ではなく、朝から夕方だ。それは分かる。かと言って個人で活動するのに、なぜ、夕方起きて夜中がいけないのか?誰に迷惑をかける訳でもない。

中学の頃。夏休み。海に近い親戚の家に行く。そこでも朝まで本を読んだりして起きるのは昼頃。大人たちはいう。「子供は朝早く起きろ!」おかしい。朝早いのは老人。子供が朝早い意味があるのか? 小学生ならセミ捕りで朝早くはあるが、こちとら朝方まで勉強(映画のね)していて、早起きしたら睡眠不足になる。

高校を卒業して1人暮らしを始めると、もう誰も何も言わない。自分の仕事に合わせて早起きする時もある。徹夜が続くこともある。でも、それは必要でやる。シナリオを書くのは夜。もう、数十年。それについてうるさくいう人はいない。夜作業したか?昼したか?を問う人はいない。大切なのは面白いシナリオを書くこと。盛り上がる編集をすることなのだ。

だが、その後も大人たちと関わると、あれこれ言われた。「結婚しないの?」「彼女はいるの?」「正月は実家に帰るの?」大きなお世話だ。さほど親しくないのに、そんなことに答える必要があるのか? 子供の頃もそう。近所の人や親戚が

「勉強してるか?」「大学はどこに行く?」「就職は?」

あんたらに関係ないだろ? やがて気づいた。全て「ムラ社会ルール」昔から日本人を縛るあれ。小さな村で問題を起こさず、安泰に生活するための知恵。近隣者を日頃からチェック。人と違うことをする。問題を起こしそうな者を把握。親切の振りをしてあれこれ口を出す。皆と同じでなければならない。効率や価値観は関係ない。

昔から皆がやることを踏襲。皆が同じでないとダメ。朝起きて、昼働き、夜寝る。大学を出て、会社に入る。結婚して子供を作る。ほとんどの日本人と同じ人生を求める。はみ出す者は要注意。トラブルに繋がる。だから、監視し修正する。噂して皆に危険を伝える。それを日本人は無意識にやっている。村の安定を守るために。

それを日本人は無意識にやってしまう。僕はというと中学、高校時代からそのルールを破り続けた。その行き着く先が映画作りという仕事だった。そもそも映画界ははみ出し者の集まり。アーティストやクリエーターというのは普通の生活ができない人。僕からすると親も親戚も教師も近所の人も、みんなが寄って集って人生の邪魔をされているようにしか思えなかった。

僕だけではない。ムラ社会ルールには縛られない日本人もいる。が、それを実践すると悪意のない多くの大人たちが邪魔しにくる。それがこの日本という国なのだ。



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映画監督の仕事とは何か?今の時代は「真実を伝えること」だ! [再掲載]

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映画監督の仕事とは何か?今の時代は「真実を伝えること」だ!

高校時代。日本映画は本当に詰まらなかった。名作と言われる文学小説の映画化。アイドルを主演させただけの青春もの。退屈の極み。見るのは金と時間の無駄だと思えた。対してアメリカ映画はエンタテイメント。2時間の間、ハラハラドキドキ。最後は感動して泣ける。「明日からもがんばろう!」と思えた。将来、映画監督になれたら、そんな映画を作ろうと誓った。

それから45年後、映画監督としての仕事を始めた。ずいぶん遠回りしたが、劇場用映画を撮るようになる。もちろんエンタテイメントだったが、作品のテーマは「子供たちに伝える大切なこと」になった。高校時代に、映画からは学んだ大切なことを子供たちに伝え、当時の僕のように悩み迷い、大人や社会に押さえつけられる子たちを元気付ける物語を作ろうと思った。

が、すぐに気づく。「大人がバカだから子供たちが苦しむ」テーマが少し変わった。「親子に伝える大切なこと」になる。親にも大切なことを伝えないと子供がいつまでも苦労するのだ。その後も、同じ路線で映画を作ったが、「向日葵の丘」あたりから「幸せって何だろう?」と言う問いかけが強くなる。幸せの形が見えないから、親子が間違った方向に進んでしまうのだ。金持ちになること、有名になること何かではない、幸せとは何かを追求し始めた。

そして、近年。さらに具体的なものが見えて来た。「真実を伝えること」だ。政府や企業が嘘を流し、国民を誘導するから幸せになれない。だから、映画で嘘を見抜き、真実を伝えることをが大切だと思えて来た。すでに3作目の「朝日のあたる家」から実践していたことだが、それに気づいた。「親子に伝える大切なこと」その先にあったのは世間に騙されず、真実を見抜く力を育てることだと思えた。

「日本の原発は安全です」と言いながら大爆発。原発推進は電力不足のためではなく、既得権益者たちが莫大な利益を得られるから。「直ちに危険はありません」と言い、東京にも放射能が降り注ぐのを伝えない官邸とマスコミ。本当のことを伝え、国民を真剣に救おうと言う政治家たちを貶め、批判するテレビ新聞。567、枠てん、オリンピックも同じ構図だ。多くが政府や企業のフェイクを信じ、誘導されている。

感染を抑えるより利権の大きいオリンピックを強行。それも私たちの税金。それを感染対策や医療に使えばいいのに、都知事は「自宅を入院施設として使ってほしい」それは遺棄と同じ。なのに多くの国民はテレビで五輪見て「元気もらった」「励まされた」と喜ぶ。奴隷としか言いようのない状態。自分たちがどんな状態なのか?を知り、思考停止状態から抜け出すことが大事。それが親子に伝えるべき大切なことではないか?

オリンピックの裏側や567の真相を暴く物語でなくてもいい。沖縄戦を劇映画にして伝えるだけでも伝えられる。すでにドキュメンタリーは製作したが、日本政府と軍部が沖縄県民を見捨て、捨て石にしたがのが沖縄戦である。その間に本土決戦の準備をした。「県民を守る必要はない。時間を稼ぎ、米軍の体力を奪え」それが大本営からの命令だったのだ。同じことが今、日本全土で起きている。

学校では教えない、NHK特集でも伝えないない、その手の映画を大手は絶対に作らない。でも、それを知れば多くの日本人は気づくだろう。「今も同じ!」と。そんなふうに大切なことを伝えるのが、今の時代、映画監督の仕事ではないか?もちろん、映画を作るときは徹底取材し勉強する。原作ものを1冊読んで分かった気で作ってはいけない。その異意味では原発と沖縄戦はかなり勉強した。講演会をしても2時間は喋れる! 

ただ、567禍で映画撮影は厳しい。現場で費用を出してくれるところもないだろう。だからせめてFacebookやブログを通じて伝えたい。本来はマスコミの仕事だが、彼らはもうフェイクを流す側の住人。個人だと間違うこともあるかもしれないが、伝えるべきことはたくさんあるはずだ。


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車の中で1人。マスクをして運転する人?=ここから日本の教育が見える? [再掲載]

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車の中で1人。マスクをして運転する人?=ここから日本の教育が見える?

近所を歩いていると、車とすれ違う。運転手の多くはマスクをしている。1人で運転しているにも関わらずだ。誰から感染することを恐れているのか?どう見ても自家用車。いろんな人が交代で運転するとは思えない。だとしても窓を開け、しばらく走れば車内の空気は入れ替わる。567は飛沫感染を言われる。誰かが喋り飛沫が飛ばなければウイルスも飛ばず、感染もしない。なのに多くの運転手。1人で運転するのにマスクをしている。

それどこか先日は誰もいない住宅街をマスクを外して歩いていると、自転車に乗る老人から「マスクしろ!」と怒られた。誰から誰に感染るというのだろう? 運転中にマスクするのは自由だが、それを人に押し付ける者までいる。ここに日本の教育の成果を見ることができる。今、上げたようにウイルス感染の危険性はほぼない。

にも関わらずマスクをするのは、その人が「マスクをする」という理由を考えていない。理解していないからだ。マスコミが「感染予防のためにマスクをしましょう」と言えば、それに従う。理由は「感染予防」=>行為は「マスクをする」これは学校教育と同じ。そこで習ったことを繰り返している。

「1853年。ペリーが浦賀に来航。開国を迫る」という事実を「テストに出るので暗記しましょう」と言われる。生徒は暗記する。その際になぜ、その事実を暗記する必要があるのか?その理由。意味は考えない。指示されたから暗記する。ペリーが浦賀に来る前にはどこに行ったか?帰る時はどこかに寄ったのか?とか考えない。実は行き帰り共に沖縄に帰港しているのだが、教科書には書かれていないし、それを自分で調べたりしない。言われたことだけを覚える。

マスクも同じだ。「マスクをしましょう」とマスコミが言えば、マスクをする。「感染予防のためです」というので、「マスクすれば感染予防になると理解する」それを疑わない。しかし、ウイルスがどのように感染するか? は考えない。想像もしない。そもそもマスクでウイルスは防げない。通り抜ける。が、自身の飛沫を抑える効果はある。感染しないためではなく、感染させない効果は少しある。にも関わらず「マスク」「感染防止」と考え外に出るとマスク。

さらに「飛沫感染」なのに、飛沫が飛ばない車内でもマスクをする。窓を開ければ空気は入れ替わるのに、マスクを外さない。理由や目的を考えれば「1人で運転する車内では要らないな」と気づくのに、着けたまま。ストレートに言えば「アホやろ?」ということだ。が、その多くの人は決して学歴がない訳ではない。多分、そこそこの学校を卒業しているはず。いや、むしろ、しっかりと教育を受けた人こそが、そんな愚かな行為をしているはずだ。

なぜなら、指示されたことを疑わず、目的や理由を考えずに行動するという習慣を長年かかった学校で刷り込まれているからだ。その延長線にあるのが「コロナ怖い。早くワクチン、打とう!」という発想。例年のインフエンザの方が感染者も死者も多いのに、コロナで大騒ぎ。マスコミが煽れば怯えて慌てる。臨床実験もしないワクチンに群がる。これも教育の成果だと思える。理由を考えない。意味を考えない。指示されたことを疑わない。自分で考えることができない。

日本人は言われなければ、何もできないこと。言われたことを鵜呑みにして行動する民族であること。明快になってしまった。誘導し、意のままに操ることはとても簡単だと思える。それが目的であれば、見事に成功している。ただ、日本人には捻くれ者も僅かだが存在する。誘導に気づく人もいる。そんな鋭い人たちが、数多く僕のブログ記事を読みに来てくれる。ありがたい。



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