報道ステ」が2度と放送しない特番ー「古舘伊知郎が語る緊急事態条項の危険性」 [2023]
古舘伊知郎が語る緊急事態条項の危険性「報道ステーション」
だが、まさに今これが国会で審議されているのに
古舘なき「報道ステ」は触れようとしない。
https://youtu.be/VTGrfueq4Ts @YouTubeより
今、国会で審議されている緊急事態条項の危険性。知ってる? [2023]
今、国会で審議されている緊急事態条項の危険性。知ってる?
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映画作家という生き物? お金ではない。製作費以上のものを作りたい! [再掲載]
映画作家という生き物? お金ではない。製作費以上のものを作りたい!
映画界では20%の手数料を撮るのが習慣。例えば1000万円の仕事を受ければ800万で製品を作り、200万を会社の儲けにする。阿漕な会社なら製品クオリティを落として500万で作り、残りの500万を儲けにする。もちろん500万ではドラマでも、ドキュメンタリーでも、PVでもロクでもない作品にしかならない。
が、製作会社は思う。「1000万程度で作品作りを頼む方が悪い。こちとら食って行けなくなるだよ!」社員もいるし、事務所代も払う。高熱もいるし、社長は家族を養わねばならない。でも、映画作家からすると、1000万で500万の作品を作ることに我慢ならない。その依頼自体がロクでもないものならまだしも、意味ある作品であれば、なおさら500万レベルで製作したくない。少なくとも1000万全てを作品に使いたい!
だから儲けは極々わずかにして、作品にほとんどの製作費を注ぎ込んでしまう。我が師匠、大林宣彦監督はそんな人だった。ある作品では1億の製作費なのに、そこから儲けを取らず。さらに自社から出資までして映画を完成させた。儲けようという気がないのか? いや、より良い作品を作りたい?というのが映画作家の思いなのだ。
その師匠の影響もあり、僕も製作費以上のものを作りたい!なら、師匠のように自から出資して?いや、悔しいがそれは出来ない。そもそも貯金がない。だから7人分働く。7人分働いて1人分のギャラにすれば、製作費が数百万円増えたのと同じ。タダで6人が働いてくれることになる。僕以外のスタッフも2人分3人分働いてもらう。が、こちらは割り増しギャラを払う。僕自身は何人分働こうとも、1ヶ月最低限の生活ができるだけの1人分のギャラにする。
そのことで500万の作品なら1000万。1000万の作品なら1700万の製作費で作ったのと、同じクオリティにできる。特に今回は50年ぶりに持病が再発するほど働いた。そのことで400万ほど製作費がプラスできたようなもの。キャッシュでもらった訳ではないが、健康を切り売りしたのだ。そのことで映画は良くなる。
スポンサーに不満がある訳ではない。意味ある作品を依頼し、いくらであろうと出資してくれたことに感謝する。そして本来、依頼の額が500万なら500万のものを作ればいいし、1000万なら1000万のものを作ればいい。そこから手数料を抜いて儲けにすればいい。でも、そんなことで良い作品は出来ない。映画作家は我慢できない。それなら身を削り健康を削ることで、7人分働くことで、より良い作品を作れる方が満足できる。
完成すれば多くの人が見て感銘を受ける。今回で言えば「沖縄戦の現実」を多くが知ることができる。テレビでその手の番組はない。そこから戦争について考える。話し合う。いろんな展開がある。なのにもらった製作費だけで作品を作ったら感銘を与えるものは出来ない。沖縄戦の現実を伝え切ることも出来ない。
映画作家はサラリーマンではない。与えられた給与の額分だけ仕事していてはいけない。僕には妻も子もいない。全てを作品に注ぎ込める。作品は僕が死んだ後も残る。だから手を抜けない。全力でかかる。毎回遺作。それが映画作家の定めなのじゃ。ははは。
「シン仮面ライダー」の謎を紐解く=映画作家が抱える十字架。長い記事だぞ。 [映画感想]
「シン・仮面ライダー」個人的には面白くなかったが、非常に興味深い作品だった。それを解説するためには「ライダー」だけ見ても分かり辛い。全ては「シン・ゴジラ」から始まっている。もっと言えば「エヴァンゲリオン」なのだが、とりあえず「シン・ゴジラ」だ。
あれは実によくできていた。「ゴジラ」シリーズ数ある中でリアルゴジラとして描いている。SFにならないように、社会派ドラマのような設定。現代の反映がある。1作目のゴジラが原爆、戦争をダブらせた。東京を破壊するゴジラは東京に原爆が落ちた!あるいは戦争により東京が再び崩壊したという表現。そのことで原爆や戦争の恐ろしさを伝えた。
対して「シン」制作サイド、あるいは庵野秀明監督は考えた。「あの時代は原爆、戦争。では今は?」その種のテーマを無くしたその後の「ゴジラ」シリーズは力をなくし、単なる怪獣ものに成り果てて行く。その種のテーマは大事。それが「原発事故」=福島の原発事故が東京で起きたというイメージなのだ。
つまり「動く原発事故」=ゴジラ。そのことで東京がメチャメチャになる。そこには20年を超える不況も、イメージされているかもしれない。メチャメチャになった日本。海外からの圧力。しかし、お役所の縦割りではなく、垣根を越えて優秀な人材を集めて対処すれば、日本は立ち直る!それが「シン・ゴジラ」のメッセージなのだ。
また、この映画のベースとなるストーリーは庵野監督が大好きな「帰ってきたウルトラマン」の1エピソード「決戦!怪獣対MAT」である。ウルトラマンでも倒せない怪獣を処理するために、小型原爆スパイナーを使おうとする上層部。対立するMAT隊員たちという物語。これが「シンゴジラ」のベース。
庵野監督はこれと同じストーリーで、学生時代に8みり映画も作ったほど。思い入れのあるエピソード。そんなふうに映画というのは監督の強い思い。現代性。テーマがとても大事。そのことで観客を感動させる。
ところが2作目の「シン・ウルトラマン」では、それらが全く見えない。テーマは何だったのか? 監督の思いはどこにあったのか? 現代性は? 現代性に関しては科特隊をビートルに乗って戦う団体ではなく、科学的な発想で怪獣に対応するチームとして描いた。「シン・ゴジラ」路線を踏襲している。
が、「ゴジラ」では登場しないウルトラマンという存在。これをどう現代性を持たせるか? そして宇宙からの侵略が当時のテレビシリーズそのままで、宇宙人が怪獣を使って攻撃してくる。ここに現代性を持ち込めた。中国による日本の土地買収。韓国経済に敗れた日本。海外企業による水道事業買取。堤未果さんの「日本が買われる」を読めば、その種の話は事欠かない。
なのに、その種の現実が物語に持ち込まれていない。「シンゴジ」では原発事故、不況という現代の反映があったのに「シンウル」ではない。それどころか、登場するメフィラス星人。オリジナル「禁じられた言葉」では少年の心に挑戦する哲学的な話であり、暴力で侵略しないという設定なのだが、映画版ではザラブ星人と変わらぬ侵略者として描かれている。(私の好きな言葉ですーはウケたが)
どちらも知能犯の宇宙人であることも、物語を盛り下げている。多種多様な敵が出て来るから面白いのに、なぜ、似たようなキャラを出したのか? そしてクライマックスの敵はゾフィーが操るゼットン。当時の初期設定にあった話らしい。が、これも盛り上がらない。地球絶対の危機を救うウルトラマンという流れではあるが、何だか他人事に思えた。
そこに現代社会が反映されていないからだ。「シン・ゴジ」では不況の中に生きる私たち。原発事故で知った政府や東電の阿漕さ。それを反映したゴジラを倒すことで、日頃の不満が解消される。が、「シン・ウル」にはその種の反映はない。侵略者に中国やアメリカはダブらない。最後のゼットンに至っては何?という感じ。
ここからは同業者としての推理だが、庵野監督が「シン・ウル」に熱い思いがなかったのではないか? 前作は「あのゴジラを俺が撮れる!すげー」ということで、あれこれオリジナル版と比較して何を作るべきか?考えている。その前後に「エヴァ」の完結編。そこで彼も作家として完結。
次が「ウルトラマン」リメイク。もちろん、子供の頃から見ている大好きなシリーズ。でも、「今、それをリメイクする意味は何か?」彼はそれを見出せなかった。また、一番好きなのは「帰ってきたウルトラマン」その最愛のエピソードは「シンゴジ」で使ってしまった。
また、映画作家、特に特撮系の人に言えることだが、社会に対する関心が薄い。前作では原発事故を持ち込んでいるが、それほど詳しく勉強したわけではないだろう。ただ、ゴジラ=戦争=原発事故はうまくマッチした。今回も侵略ということで言えば、先に紹介した国際情勢をマッチさせられるのだが、庵野さん。その辺に興味はないように思える。
往々にして特撮監督は、特撮ものには詳しいが社会に興味がなく、学生時代も部屋でビデオを見ていたタイプが多い。他人(人間)に対する興味も低い。自分のことしか考えていないことが多い。だから、特撮アニメには詳しいが世間知らず。人付き合いも悪い。映画ファンにもそれが言える。というのも僕自身もそうだったから。映画のことしか知らない。興味がなかった。その種の作家が「ウルトラマン」をリメイク。困っただろう。
熱い思い入れがある訳ではない。おまけに「エヴァ」完結編で作家としても完結している(この話は後でも出て来るので覚えておいてほしい)社会を反映させるにも世間を知らない。そんな時、特撮マニアが考えること。「実現しなかったオリジナルの企画を映像化すると面白いかも?」それがゾフィが操るゼットン。
マニアな観客が見れば「おーそう来たか!庵野、よく勉強してるなあ」となるが、単なる旧作ファンから見ると「ゼットン。ちゃんと人型になり戦ってよ〜」と不満。一般客から見ると社会の反映がないので、他人事。おまけに人型でないので戦闘場面もない。だが、特撮マニア監督が思いつくのは、それしかなかったのだろう。
結果、「シン・ゴジ」のリアル社会設定を引き継ぎながら、宇宙人ヒーローものなので、それも途中で崩壊。現代社会を反映させることもできず。マニアな発想でオリジナル設定を復活させるしかできなかった。つまり、庵野監督は「シン・ウル」に乗っていない。やりたくなかったのだろう。あるいは、客を楽しませるためではなく「幻のオリジナル設定を映像化するとどうなるか?」それを確かめたかっただけかもしれない。
そのため、ファン、マニアな観客は喜んでも、一般の客は楽しめなかった。「シンゴジラ」のようにはならなかった。ネームバリューと前作の評判で大ヒットしたが、庵野監督の熱い思いはどこからも感じられなかった。いや、一つだけ。彼は主演の長澤まさみには思いがあったと思える。これもマニアックな背景があり、詳しく説明するのは憚れる。特撮ファンにありがちなヒロインに対するサディステックな思い。そこは楽しみでいたように思える。
さて、その次が「シン仮面ライダー」。この流れで来ると庵野監督はこの企画もさほど乗ってないことが予想される。だが、彼は徹底した作家で「適当にやっちゃおう〜」とは考えない。自分なりに真剣に考えた。結果、どうしたか? 前2作の現代の反映を持ち込む路線をあえて止めた。ショッカーをイスラム国やオウム真理教のような設定にして、リアリティを持たせていない。
だからと言って新しい趣向があるわけではなかったろう。敵の最初の怪人・クモ男(劇中の名前は違うが)が丁寧語で喋る。途中で「私の好きな言葉です」と言い出すのではないか?と思えたほど。繰り返すが、「シン・ウル」の前に庵野のライフワークである「エヴァ」は20年ほどかけて完結している。彼の人生を叩きつけた作品。その後の「シン仮面」。
つまり、手持ちカードは使い果たし、新たな興味も見つからない。大好きな「帰ってきたウルトラマン」を持ち込んだ大好きな「ゴジラ」シリーズも作った。「エヴァ」も完結。作家としても完結。だから、過去カードを使うしかない。それをクモ男のセリフでまず感じた。
この作品。ショッカーによる市民攻撃はほぼない(1箇所だけ大量の人間を消去するが通常の破壊工作とは違う)政府や企業も攻撃しない。これも特撮マニアのサガ。社会に興味がないことの反映。コウモリ男のエピソードで「人類削減計画」という話が出てくるが、これも聞き齧ったことで取り入れただけの設定。展開はしない。ただ、今回は社会を描かない理由がある。
監督は「今回はどうしようか?」と考えた。前二作のノリではできない。また、それではやる気が起きない。それでなくても「やる気」はなかっただろう。そこで先のクモ男と同じ。以前に使ったカードを持ち込む。「エヴァ」である。あれはどういう話だったか?思い出してほしい。簡単にいうと碇シンジの「本当の自分探し」の物語。アイデンティティの確認がテーマなのだ。
それをSF設定のロボットものに投入した。正義や平和がテーマではない。そこが斬新であり、自分を感じられない若い人たちの共感を得た。その意味で現代が持ち込まれていた。シンジは庵野監督自身であり、周りにいる美女たちアスカ、綾波、ミサトらに支えられて、父・ゲンドウとの葛藤を乗り越え、アイデンティティを見つけるという話。
要は傷ついた心の回復の物語。実際、庵野秀明にも実の父との葛藤があり、それを彼は物語を作ることで答えを探したのだ。つまり、純文学。だからこそ、単なるロボットアニメではない感動や感銘があり20年もヒットを続けた。絵空ごとではない。ただ、そのテーマは完結している。と言って「シン・ウル」のような絵空事だけの作品をもう一度、やる訳にはいかない。作家として自分を許せない。
そこで決心したこと。「シン仮面ライダー」に「エヴァ」を持ち込んだのだ。本郷猛がシンジ。緑川ルリ子が綾波。ショッカーとの戦いの中、本郷はルリ子によって励まされ、教えられ、成長していく。「エヴァ」と同じ構図。そしてショッカーは敵ではない。本郷、ルリ子を含んだ家族なのだ。その葛藤を描いたのが今回の映画。
だから、市民を犠牲にしたり、企業や政府を攻撃する話は必要ない。家族の中で誤解があり、争いになり、血のつながった同志が傷つけ合う。これは「エヴァ」におけるシンジX父・ゲンドウの構図なのだ。愛されたいのになぜ、お父さんは分かってくれない!その思いを再び描いたのだ。
家族に犠牲が出て、愚かな争いだと気づく。だが、すでに遅い。その希望を託したのが、弟とも言える存在。一文字隼人。これは仮面ライダーの形を借りた家族の悲しい物語。だから、「仮面ライダー」を期待した人には???と思えるだろうし、一般の客にはもっとよくわからない作品に見えるはず。
持ちカードを全て使い尽くした作家が、あえてもう一度、自分が抱えていた血のカードを使った作品なのだ。作家が抱える痛みこそが一番、観客に伝わる。でも、逆に言えばそのカードを再度使わねばならないほど、手持ちのカード。つまり、描きたいことがないということ。その全ては「エヴァ」完結編で完結した。その後の「シンウルトラマン」「シン仮面ライダー」の企画にさほど乗れないながら、新しさを求めて苦闘する作家。そのの姿を感じる2作となった。他人事ではない。全ての映画作家が抱える悲しい十字架である。
話題の「シン・仮面ライダー」を観た=作家の苦悩が溢れる作品?序章 [映画感想]
話題の「シン・仮面ライダー」を観た=作家の苦悩が溢れる作品?
昨年の「シン・ウルトラマン」大いに疑問だらけで、あれこれ考えていたが、この作品を見て全ての謎が解けた。なるほど、そういうことか!僕は「ゴジラ」シリーズ、「ウルトラシリーズ」(第1期、2期)そして「仮面ライダー」シリーズも1号編から見ていた世代。
なので、「シン」シリーズはそれぞれに注目した。「シンゴジラ」は見事!「シン・ウルトラマン」は疑問がいっぱい。今回も首を捻ることが多かった。ドラマ部分だけ見るとそうなる。そこで視点を変えてみた。
これら作品の監督(総監督)である庵野秀明は僕より歳が1つ上だが、同世代。彼も上記シリーズをオンタイムで見た世代。そして庵野監督ほどの大ヒット映画は作っていないが、僕も映画監督業をしている。なので、作品を見るときにどうしても「監督は何を考えて、この作品を作ったのだろう?」と考えてしまう。
その視点であれこれ考えながら、今回の「シン・仮面ライダー」を見た。なぜ、一般市民が犠牲になる場面がないのか? なぜ、本郷猛が藤岡弘らしくないのか? 緑川ルリ子はなぜ、あんなキャラなのか?なぜ、クモ男(劇中の名前は別)は丁寧語で喋り、今にも「私の好きな言葉です」と言い出しそうで、言わないか?
やがて謎が解けた。庵野秀明の苦悩が見えて来た。なるほど、そういうことか。クリエーターの苦しみが、そこにあった。長くなるので、また、いつか長編分析記事で書かせてもらう。
追伸、個人的には「ロンリー仮面ライダー」が流れるのは嬉しい。今でも歌詞カードを見ずに歌える。
自家製のパンを作る店。そのパンを食べている。 [コオロギーパン騒動]
自家製のパンを作る店。そのパンを食べている。
確かに高い、PASCOのの倍。ただ、PASCOは健康イメージで売っており「イーストフード」は入っていないが、マーガリン(危険)は使っている。他にも様々なケミカルが入っていて、他のメーカーよりは少ないというだけのことだ。
(マーガリン=トランス脂肪酸の過剰摂取により、心筋梗塞などの冠動脈疾患が増加する可能性が高いとされています。また、肥満やアレルギー性疾患についても関連が認められています)(厚労省)
今、食べているパンはその辺が何も入っていない。だから、カビが生えるのも早い。店員は「明後日までに食べてほしい」という。対して、PASCOのパンは1週間ほどOK。ヤマザキに至っては1ヶ月でも大丈夫。大量の防腐剤が入っているということだ。
パンが安い。近所で買えるからと、その防腐剤を僕らはパンと一緒に食べて来たのだ。それが積もり積もると、ドラム缶いっぱいの防腐剤を僕らは何年もかけて飲んで来たのと同じ。そう考えると、値段が多少高くても、コオロギだけでなく、防腐剤の入ってないパンを食べたい。
ただ、スーパーなどに入った焼きたてのパン屋は危険。工場で防腐剤入りのパンを作り、それを店に運んで焼くだけ。コンビニのパンと大差ない。
「妖怪の孫」やっと見ることができた!安倍の悪行ー総括ドキュメンタリー? [映画感想]
やっと見ることができた!安倍の悪行ー総括ドキュメンタリー?
この会社の作品。いつも思うのだが、物足りない。切り込みが足りない。が、僕もドキュメンタリー映画を作る身。あまり同業者の批判はしたくないし、立場はよく分かる。ドキュメンタリーは実力だけでなく運も大きい。その現場に居合わせてたまたまた事件を撮影できた!と言うこともある。
締め切りもあるので、じっくり考えて編集できないこともある。この映画の前作とも言える菅総理を描いた作品も、完成する頃に菅は辞任していた。ドキュメンタリーというのは、そういうことがあるから難しい。
そんな中で、今回は「電波止めるで〜」と発言した高市早苗が現在、追い詰められている状態。その発言時の映像もあり、タイムリーだ。国会質問をする山本太郎の場面もある。
この映画。一言で言うと安倍1、2次政権で彼が何をしてきたか?を描いた作品。「ああ、そんなこともあったなあ〜」と思い出し、安倍はひたすら日本を破壊して来たことを痛感。その延長戦上にあるのが現在、岸田政権なのだ。
そんな「おさらい」が出来て、何がどうなって、マスコミは白旗を上げたか?も分かる。その意味で多くの日本人がもう一度、確認すべき犯罪記録。ただ、あえて言うなら、映画で描かれている内容のほとんどはテレビでも報じられたこと。岸信介とCIAの関係性を劇中で指摘しながら、詳しくは説明しない。ここまでならNHKスペシャルでも描く。
最後に指摘する「明治憲法回帰」も、なぜ、そうなのか?まで突っ込まない。その辺が悔しく、残念である。が、それでも切り込んだ話もあり「えー、そうだったの!」というエピソードもある。ぜひ、見てほしい。
「沖縄戦」シリーズ第三弾の監督日記も連載中! [2023]
いつも読んで頂いている、こちらのブログは「朝日のあたる家」監督日記。
もう10年も連載が続いている。
もともとは映画「朝日のあたる家」の制作スタートから、
公開までをお伝えするためのもの。
題材である原発問題のことを書いている内に、
さまざまな社会問題についても触れるようになった。
安倍政権、トランプ問題、コロナ禍、ワクチン、安倍暗殺事件、
興味を持った事件を推理、解明する記事が中心となっている。
このブログとは別に、僕の最新作であり「沖縄戦」シリーズの第三弾
その監督日記も連載中。
沖縄戦を見つめるのは単に歴史の勉強ではない。
現代の日本が見えてくる。世界が見えてくる。
問題を解決する鍵がそこにある。
ぜひ、読んでほしい。以下のアドレスから飛ぶことができる。
こちら=> https://okinawa2017.blog.ss-blog.jp
他人の痛みは実感できない=病気だけでない。原発も沖縄問題も同じだ!(改訂版) [沖縄問題]
他人の痛みは実感できない=病気だけでない。原発も沖縄問題も同じだ!(改訂版)
喘息で発作が出るので、ベッドで横にならず座ったまま寝ている。当然、熟睡できず、疲労が溜まっていく。もう2週間もそんな日々が続く。体調自体も良くなく、胃や腸の機能も低下。こんなふうに毎日詳しく闘病記を書いているのに、常連さんから超的外れなコメントが来る。病気に関わらず他人の苦しみは、分からないものなのだ。
逆の話もある。私の花粉症は毎年、極めて軽い。朝、少し鼻水が出る程度。日中、目が痒いことがあるが、すぐに忘れる。特別な対策は何もしない。対して多くの友達は花粉症で苦しみ「目の痒みが耐え難い。目玉を取り出して洗いたいほど!」と嘆く。大変そうだが、実感として分からない。
また逆に、私が胃痛で苦しんだ時も同様。強度のストレスで胃酸が出過ぎて胃自体を傷つける。穴が開きそうな痛み。疼くまり歩けなくなる。そんな時、薬がなければ何か食べることで、胃液を本来の消化に使い、意を守り痛みを止めるしかない。
その場にいた友人に「何でもいいから食べたい....」というと、胃痛経験のない友人は「いい大人が、子供みたいだぞ〜!」と笑っていた。実感できないのだ。
他人の「痛み」「苦しみ」というのはそういうものなのだ。「可愛そう」とか「哀れ」と上から目線で同情することしか出来ない。それは「戦争」「原発事故」も同じ。「気の毒だね」「寄り添いたいね」と言っても他人事。人はどうすれば自身が、その不幸を体験したような気持ちになれるか?
それを実践したのが映画「朝日のあたる家」である。原発事故に巻き込まれるとどうなるか?を体験してもらうために作った。今、話題の大臣はかつて「原発事故で死亡者は出ていない訳だし、このまま推進すべきでは?」と発言した。が、死ななくても家や仕事を奪われ、家族がバラバラになり、故郷を奪われることをどう思うのか?福島の悲しみを実感していないからこそ、あのような無神経な発言ができたのだ。
高市だけではない。多くの日本人は原発だけでなく、沖縄の現実も実感できない。「基地。大変だね〜」それで終わり。では、どうすれば県民の「苦しみ」や「悲しみ」を痛感してもらえるか? それを実践するのが私の次回作。現在、編集中。自分のことのように怒り、悲しみ、黙ってられなくなる。それを実感してもらえる映画にしたい。