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10代の頃から感じていた違和感の正体。ムラ社会ルールに縛られた大人たち。それが日本という国...。  [再掲載]

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高校時代。夏休みは夜起きて、朝寝るという生活をしていた。夜遅くまでテレビで深夜劇場を見て、その後、本を読んだり、書き物をしたり。日が昇る頃に寝る。生活が逆転して、夕方起きて朝寝るというパターン。学校は休みだから問題はない。

当時はビデオデッキはないが、その頃からシナリオを書いていた。昼より夜が調子いい。静かだし、集中できる。邪魔されない。だが、当初は親がうるさく言った。「朝きて夜寝るのが健康的だ」「それが常識だろ」と。学校が始まり、教師との面談の時も休み中の生活を訊かれ素直に答えるとこう言われた。

「そんな不規則な生活をしていたのか!」

不規則ではない。夕方起きて、朝寝る。規則的だ。そういうと怒られる。

「朝早く起きて、頭の冴えている間に勉強して、夜寝るのが当然だろ!」

当然だろうか? 勉強にしろ、シナリオにしろ、夜の方が頭が冴える。なぜ、朝が冴えると決めつけるのか? その後、30代で脚本家デビューしてからも、40代で監督業を始め編集をする時も同じ。夜の作業が集中できて、効率がいい。

ただ、カタギの人たちは朝起きて会社に行き、夜終わって帰宅して寝る。学校も夜ではなく、朝から夕方だ。それは分かる。かと言って個人で活動するのに、なぜ、夕方起きて夜中がいけないのか?誰に迷惑をかける訳でもない。

中学の頃。夏休み。海に近い親戚の家に行く。そこでも朝まで本を読んだりして起きるのは昼頃。大人たちはいう。「子供は朝早く起きろ!」おかしい。朝早いのは老人。子供が朝早い意味があるのか? 小学生ならセミ捕りで朝早くはあるが、こちとら朝方まで勉強(映画のね)していて、早起きしたら睡眠不足になる。

高校を卒業して1人暮らしを始めると、もう誰も何も言わない。自分の仕事に合わせて早起きする時もある。徹夜が続くこともある。でも、それは必要でやる。シナリオを書くのは夜。もう、数十年。それについてうるさくいう人はいない。夜作業したか?昼したか?を問う人はいない。大切なのは面白いシナリオを書くこと。盛り上がる編集をすることなのだ。

だが、その後も大人たちと関わると、あれこれ言われた。「結婚しないの?」「彼女はいるの?」「正月は実家に帰るの?」大きなお世話だ。さほど親しくないのに、そんなことに答える必要があるのか? 子供の頃もそう。近所の人や親戚が

「勉強してるか?」「大学はどこに行く?」「就職は?」

あんたらに関係ないだろ? やがて気づいた。全て「ムラ社会ルール」昔から日本人を縛るあれ。小さな村で問題を起こさず、安泰に生活するための知恵。近隣者を日頃からチェック。人と違うことをする。問題を起こしそうな者を把握。親切の振りをしてあれこれ口を出す。皆と同じでなければならない。効率や価値観は関係ない。

昔から皆がやることを踏襲。皆が同じでないとダメ。朝起きて、昼働き、夜寝る。大学を出て、会社に入る。結婚して子供を作る。ほとんどの日本人と同じ人生を求める。はみ出す者は要注意。トラブルに繋がる。だから、監視し修正する。噂して皆に危険を伝える。それを日本人は無意識にやっている。村の安定を守るために。

それを日本人は無意識にやってしまう。僕はというと中学、高校時代からそのルールを破り続けた。その行き着く先が映画作りという仕事だった。そもそも映画界ははみ出し者の集まり。アーティストやクリエーターというのは普通の生活ができない人。僕からすると親も親戚も教師も近所の人も、みんなが寄って集って人生の邪魔をされているようにしか思えなかった。

僕だけではない。ムラ社会ルールには縛られない日本人もいる。が、それを実践すると悪意のない多くの大人たちが邪魔しにくる。それがこの日本という国なのだ。



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自分のことが分かるのは50代を過ぎてから?=10代はそれが分からず苦労するのよね [再掲載]

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自分のことが分かるのは50代を過ぎてから?=10代はそれが分からず苦労するのよね

自分のことってなかなか分からないものだ。が、50代になった頃から少しずつ自分ってこう言うタイプ?と思えることがある。

高校時代。毎日が地獄だった。最低の日々。勉強が嫌ということではない。勉強に意味がないと思えたのだ。10年以上勉強しても話せない英語。社会に出て使わない数学の公式。年号を覚えるだけの歴史。もっと意味あることを教えろ!と感じていた。が、教師たちはいう。

「お前は勉強するのが嫌だから、そんなことを言っているだけだ」「怠け者の言い訳」「楽をしたいだけだ!」

でも、今、映画を撮るとき。原発問題でも沖縄戦でも作品に必要なことは徹底して調べる。かなり勉強した。つまり、教師の言うように勉強するのが嫌だったのではなく、意味のないことをするのが嫌だったのだ。与えられた学科や題材を学ぶことに意味が見出せなかったのだ。だからやる気が起こらなかった。

また、学校生活も好きではなかった。毎朝、8時半に登校。6時間の授業を受け。月曜から土曜まで。制服を着て、厳しい校則があり、成績で順位をつける。

そんな学校システムに不満があったのだ。効率的でない。無駄が多い。生徒のためより管理しやすいための校則。意味が見出せなかった。そして教師たちは「お前は怠け者だ」「勉強とは嫌なことでも、我慢して続けるもの。自分を律するものだ」と言っていた。

今となっては分かるが、それは与えられたことを確実にこなす優秀なサラリーマンを育成するための教育であったこと。意味や効率を考えない、ひたすら従うだけの会社員を育てるためのものだった。それを抵抗なく受け入れられれば、日本社会で会社員になれる。その意味で僕は不適合者であり、会社員にはなれないのは当然。だから、今は一般とは違う世界ー映画業界で仕事をしているということなのだろう。

10代から与えられたことをするのは嫌。無意味なことはしたくない。でも、興味を持てば意味を見出せば人の倍やる。「給料分、以上の仕事はしない」と言う会社員の友人の気持ちは分からない。過労で倒れるまで働くので、理解ある友人からは「あまり頑張るなよ」と言われる。あの頃教師からは「怠け者」「楽したいだけだ」と言われたが、そうではなかった。ただ、親を含めて大人は誰も理解してくれず、自分が何者か?分からなかった。今、50代を過ぎ、少しづつ自分が分かって来た。


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日本のテレビはもう真実を伝えることはできない。 でも、出版界はまだまだ真実を伝えている。 そこから見えて来るものが多い。 [再掲載]

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日本のテレビはもう真実を伝えることはできない。

政権や大企業のためのフェイクニュース。偽善の募金番組で儲けることしか考えてない。

でも、出版界はまだまだ真実を伝えている。

そこから見えて来るものが多い。




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戦争が終わって16年後。僕は生まれた。わずか16年であること今更気づく。戦争は遠い昔のことではない。 [再掲載]

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戦争が終わって16年後。僕は生まれた。わずか16年であること今更気づいた。

「この世界の片隅に」を観ながら考えた。太平洋戦争が始まったのが1941年。昭和16年。終戦というか敗戦が1945年。昭和20年。そのことは前から知っている。計算してみた。僕が生まれたのは1961年。昭和36年。つまり、戦争が終わってから16年しか経っていない。昔は16年といえば長い長い年月だったが、30歳過ぎた頃からは5年10年があっという間。

昨年夏、オウム真理教の地下鉄サリン事件の本を読んだのだけど、Facebookに書くと「子供の頃なので、よく覚えていないですけど、確かにあの頃.....」とのコメントが入った。そうか、サリン事件はそんな昔? 忘れもしない1995年だ。計算すると今から25年前!敗戦は僕が生まれる16年前。サリン事件は25年前?

つまり、今の時点から、振り返ってみると、戦争が終わって僕が生まれるまでの時間より、サリン事件があってから今までの年月の方が長いということだ!それは阪神大震災にも言える。サリン事件と同じ1995年。その3ヶ月後に神戸の街を訪ねた。まだ、廃墟のビルが残っており、水を配るポンプ車が回っていた。まるで戦争の後のようだったこと。鮮明に覚えている。

それも25年前。つまり、僕がサリン事件や阪神大震災をしっかりと覚えているように、僕が生まれた当時の大人たちは、それよりも短い16年前の戦争を覚えていないはずがない。そして、自身の記憶を手繰れば5歳頃。幼稚園に入った頃の記憶はある。その頃でさえ敗戦から21年。まだ震災よりも時間が経っていない。

当時に見た風景こそが戦争で焼け野原となったところから復興しつつあった日本の姿。まだ、傷痍軍人はいて、商店街で手や足のない人が白い服を着てアコディオンを演奏していた。子供心に怖かった印象があるが、彼らこそ戦争で傷つき帰国した兵士たちだったのだ。しかし、僕はその人たちが太平洋戦争で傷つたことを想像できていなかった。今の若い人が「オウム事件当時は子供だったので」というのと同じ。

敗戦からわずか16年....戦争は遠い遠い昔だと思えていたが、わずか16年なのだ。子供の頃、出会った大人の女性たちこそが「この世界の」すずさんだ。そう、僕らはすずさんに会っている。話している。言葉を交わしている。でも、戦争の話はほとんど聞いていない。

それをリアルに伝えるのが映画でありドラマなのだろう。歴史を知らない子供たちは、戦争を実感できない。そして永遠に戦争を放棄と誓ったこの国が、わずか70年ほどで戦争のできる国に戻ってしまった。狂った指導者はいつまた戦争を始めるか?分からない。それを止めるのはデモや選挙だけではない。「この世界の」のような作品を作り続けること。大事なのだと自らに問いかけた。


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日本の混迷。全ては戦後教育の間違いから始まった=会社ロボット育成のための学校? [再掲載]

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日本の混迷。全ては戦後教育の間違いから始まった=会社ロボット育成のための学校?

スプリングスティーンの歌で「学校の授業ではなく、レコードから多くを学んだ」という歌詞がある。その曲を聴いたとき、その通りだ!思った。僕は今、映画の仕事をしている。監督するだけでなく、脚本を書き、編集をし、宣伝もする。が、学校の授業で学んだことで役に立ったことはほぼない。高校時代に見た映画、聴いた音楽が今、役立っている。

小学校時代のことはまだプラス。字を覚える。漢字を覚える。足し算、引き算ができる。掛け算もできる。都道府県を覚える。日本史の流れを覚える。それらは今も役に立っている。が、中学、高校と6年間で学んだことは役に立っていない。6年も英語を習ったのに英会話が出来ない。因数分解や連立方程式を使うことがない。古典や漢文も必要ない。そんな役に立たない勉強を6年もしていた。

僕は映画の仕事を選んだが、例えば会社員になった。実家の八百屋を継いだ。飲食店で働いている。そんな人たちは6年の授業が役立っているのだろうか? 多くがさらに4年。大学に行く。友人たちは勉強より、バイトをし、スキーに行き、コンパをして、遊んでいた。が、そんなことが思い出になり、自由に趣味を謳歌することが出来たことが良かったという。そのことで将来の仕事を選ぶ、卒業にその道を進み始めた友人もいる。ま、遊んだだけで4年を終えた友人も多いが。

僕だけでなく、友人たちの話を聞いても、10年間に学校で学んだことで社会に出てから役に立つことは、ほぼなかったようだ。なぜ、日本の教育はそんな無意味な教育をしているのか? 次第に分かって来たのは、政府や企業に都合のいい人材を育てることだったのだろう。数学でも、古典でも、化学でもいい。何ら役に立たない。興味を持てないことでも、与えられたことをする大人を育てるための訓練なのだ。

記憶する。教えた方法で理解する。好き嫌いさせない。行動の意味を考えない。言われたことに逆らわず、与えられたことを確実にする会社ロボットに育てるため、社会の部品になる教育だと思える。政府や会社が指示したことに逆らわない。無茶な命令をされても、その意味を考えず、従う。好きだ嫌いだと言わず、与えられたことを黙々とこなす労働力を育てるものだったのだろう。

その能力を測り、比較して、上から優秀なものを一流企業、次に政府が獲得。彼らが日本を運営していく。例えればアリの王国作りを目指したのだろう。女王アリと働きアリ。それがスタートしたのが戦後。働きアリたち真面目に文句を言わず、休みも取らず働き続けた。日本は経済大国となった。が、バブル崩壊。リーマンショックと、戦後と同じでは乗り切れない時代が到来する。

だが、与えられたことしか出来ない人材ばかりの国。当然、トップも同じ。価値観が変わっていく世界で、自分で考えることの出来ない人たちは、古い価値観にしがみつくしか出来ない。そんなトップたちの誤った判断に従い、崩壊の道を突き進んで来た。それが不況の20年となったのだろう。すべては教育から始まっている。今、必要とされるのは、新しい時代に、新しい判断をできる人。自分で考えることができる存在なのだ。

ただ、大きな問題がある。僕らの時代まではまだ管理教育が完結しておらず、はみ出しものがいた。が、それ以降は教育によって完全に型に嵌められてしまい。はみ出すこともできず、指示されなければできない大人が大量に育ってしまった。彼らでは無理。新しい時代を切り抜けられない。急いで教育を改革しても、今の子供が成人するのは20年かかる。それまで日本は混迷を続けるしかないのか? あれこれ考えてしまう。



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映画「Fukushima 50」事実でないことを描く=生前に吉田所長自身が否定したことまで!? [再掲載]

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映画「Fukushima 50」事実でないことを事実として描く。=生前に吉田所長自身が否定したことまで!?

劇中で「総理の視察のせいで、ベントが遅れた」という描き方をしている。が、それは事実ではないこと。吉田所長自身が生前に否定。説明している。

(2014年9月17日 東京新聞記事より、福1吉田所長のインタビュー)

<官邸には現場の苦闘が伝わらず、十二日朝、菅直人首相がヘリコプターで福島第一に乗り込んだ>
 -首相は何を話したか。

 「かなり厳しい口調で、『どういう状況になっているんだ』と聞かれたので、『要するに電源がほとんど死んでいます。制御が効かない状態です』と。『何でそうなったんだ』ということで、『はっきり津波の高さも分かりません。津波で電源が全部水没して効かないです』という話をしたら、『何でそんなことで原子炉がこんなことになるんだ』と原子力安全委員会の班目(まだらめ)春樹委員長に質問していました。『ベントどうなった』というから、『われわれは一生懸命やっていますけれども、現場は大変です』という話はしました。記憶はそれくらいしかない。時間はそんなに長くなかったと思います」

 -いかに現場が厳しい状況になっているかは説明したか。

 「なかなかその雰囲気からしゃべれる状況ではなくて、現場は大変ですよということは言いましたが、何で大変か十分説明できたとは思っていません」

 -首相が来たことで、ベントが遅れたか。

 「全くないです。早くできるものは(首相のヘリに汚染蒸気を)かけてしまったっていいじゃないかぐらいですから。私だって、格納容器の圧力を下げたくてしようがないわけですよ。総理が飛んでいようが、炉の安全を考えれば、早くしたいというのが、現場としてはそうです」

元記事=>https://genpatsu.tokyo-np.co.jp/page/detail/12

***********************

つまり、吉田所長が否定していることを、映画では「事実」として描いている。「総理のためにベントが遅れた」=>「事故対応の邪魔をした存在」ドラマでいう「悪役」。そのことで、職員50人は「それに耐えて頑張った英雄」という存在にできる。劇映画の手法だ。

ただ、それをこの映画でしていいのか? 映画冒頭に「真実の物語」とテロップを出し、エンディングに「この映画はフィクションであり、登場する人物は架空のものです」とは出さない。吉田所長も、東電も実名。つまり、全て真実ーノンフィクションということだよね?そんな作品で事実でないこと。嘘を描く?

さらに佐野史郎演じる「総理」は菅直人という名前では一度も呼ばれない。一方、吉田所長は「吉田所長」であり実名。ここから分かること。先の「総理がベントを遅らせた」という事実でないエピソードを描いたのは「勘違い」や「知らなかった」という理由ではないという事だ。事実ではないことを知りながら挿入したエピソードだと言える。

なぜなら「事実ではない!」と告訴された時に「あれは菅総理ではない。総理という名の架空の人物だ」と弁明するために「菅直人」という名前を使わず「総理」にしてあるのだろう。そこからもこの映画は意図的に嘘を交えて「悪いのは天災と官邸。東電は頑張った。日本を救った」という解釈を広めたいという事か? 似たことをした国がある。汚染水が溢れているのに総理が「アンダーコントロール」と嘘を言い、オリンピックを誘致。同じ手法なのだ。

俳優について=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-09

製作面について記事=https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-07

要は東電賞賛映画?=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-08


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人と違うことをする。新しいことを始めると、止めに来る大人たち。それがムラ社会ルール。日本がダメになった背景!? [再掲載]

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「将来、映画監督になる!」


高校時代。そう言ったら多くの大人たちに反対された。親、教師、親戚、先輩たちが「子供みたいなことを言うな!」「現実を見ろ!」と意見し、止めようとした。何ら迷惑がかかる訳でもないのに? 大人たちはあれこれ言って邪魔をした。

背景にはまず「優しさ」がある。「この子は現実を知らない。世の中をなめている。将来、後悔し嫌な思いをしないように止めねば」との思い。同時に新しい何かをしようとする人を阻害し、潰そうとする心理も感じる。それこそが「村社会」ルール。人と違うことをする。新しいことを始めると排除。「優しさ」からスタートしたように見える「お節介」は、村社会の安定を維持するためのメカニズムなのだ。アメリカ留学中にも、同じ発言をした。

「将来は映画監督になりたい!」

反応は日本とは180度違った。アメリカ人たちは「凄い!」「いいぞ!」「がんばれ!」「応援する!」「ハリウッドの友人を紹介するよ!」誰もが前向き。忠告したり、説教する人は1人もいなかった。

なのに日本はなぜ? 考えた。日本の多くは狭い村。その中で誰かが勝手なことを始めると、いろんな弊害が出る。秩序が乱れ、安定が壊れる。だから始める前に止める。真似たり、あとに続いたりする人も出て来る。子供たちにも悪影響がある。だから潰しておく。長い年月で出来上がった田舎特有のメカニズムではないか? だが、奇妙なのは個人としては「村の調和のため」とは思わず「本人のためだ!」と思い説教し、止めようとする。

江戸時代頃から続く村社会。その習慣。それが今も日本人の中で生きているだろう。さらに学校教育。同じ制服を着て、同じ髪型。同じ学科を勉強して、同じように良い成績を求める。そんな学校生活のあとは、サラリーマン生活。同じようなスーツを着て。似たような髪型で、スタンドプレーはしない。目立ってはいけないという社会生活の中で、新しいことをしてはいけないという意識が育つ。

結果、彼らは前例のないことをする者がいると、その行動を止め、潰し、排除。誰が指示しなくても、自発的に新しいことをする人を淘汰する。それがムラ社会ルール。学ばなくても村社会で育つと、それをマスターしている。それが日本人。そのことで個人が間違っている、違うと思っても一致団結。みんなで突き進み、経済大国となった。だが、激動の時代になるとアジアの国々に追い抜かれた。新しいことをすると潰される環境では新しい時代に乗れない。それが今、日本をダメにしている背景ではないか?



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「文句を言うな」は「批判するな」?=支配者たちは言葉すり替え、国民をコントロールする [再掲載]

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「文句を言うな!」とよくいう先輩がいる。その言葉を聞くと「グズグズ文句ばっかり言わずに、さっさと行動しろ」という意味だと思える。「文句」という言葉には「言う必要のないこと」「仕方のないことをいうこと」と「愚痴」に近いものと捉え、ダメな後輩を叱咤しているつもりなのだろう。

では、文句ではなく「反論」「批判」と言う言葉に置き換えるとどうなるのか? 先輩の言葉を借りよう。「反論するな!」「批判するな!」これを聞けば先の「文句を言うな」とは違い違和感を持つのではないか?

自分の意見を一方的に押し付けておき「反論するな」では理不尽だ。相手の意見も聞くのがフェア。「批判するな」も同様。自分の言葉や方針を批判されたくない。問題があるので批判されると説明できない。だから「批判するな」と言っているのだとも解釈できる。

「先輩」を「上司」や「政府」に置き換えるともっとよく分かる。部下に無理難題を押し付け、生活を脅かし、犠牲を強いるような指示や命令。「批判」や「反論」を受けた場合。「文句を言うな」はとても便利な言葉なのだ。それを聞いた第三者は上司(政府)は正しいことを指示しているのに、部下(国民)は努力せずに文句を言ってるのだ。と感じるからだ。

その究極が太平洋戦争時。国が戦争を続けることに対して国民は批判も、反論も許されなかった。反対意見や疑問を唱えると「文句を言うな。非国民め」と近所からも憲兵からも叩かれた。「文句を言うな」と言うのは、問題ある行動を無理やり進める時に便利な表現なのだ。

「我に従え」「お上に逆らうな」「言われたことをおとなしくすればいいだよ」「国民は黙っていろ」

支配者たちはそうやって、批判や反論を「文句」だと決めつけて言論を封じようとする。最近、一部の文化人たちがいう「今、政府を批判すべきではない」も同じ。「政府に文句を言うべきではない」「国民は黙ってお上に従え」と言いたいのだ。

つまり失敗続きで効果を上げられないコロナ対策を批判されたくない。多くが感染し死亡者を出しても責任を追及されたくないということ。騙されてはいけない。文句も、批評も、反論もすることが大切なのだ。


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映画「Fukushima50」が隠した事実=大津波の対策を潰したのは吉田所長!だから津波が防波堤を越え、日本が危機に? [再掲載]

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大津波の対策を潰したのは吉田所長!=ということは、彼のために全電源喪失が起き日本を危機にした?

添田孝史著「原発事故と大津波 警告を葬った人々」(岩波新書)を読むと、東電がいかにいい加減で隠蔽体質の強い組織であるか?が説明されている。朝日新聞の科学記者(科学的な知識を持ち事故を取材する記者)によって書かれたものだ。

大津波が来ることは311以前から何度も指摘されており、保安院からも注意を受けていた。にも関わらず、東電側は費用がかかる対策をしたく無いので先延ばし、無視、別の資料を作り検討し直しということを繰り返していた。

つまり大津波は「想定外」ではなく「1000年に1度の大津波」でもなく、想定されていたものであり、その対策を東電と福島第一原発側が怠っただけなのだ。さらに、想定された大津波の対策を拒否し、握りつぶした人物こそ、映画のメインキャラの1人。渡辺謙が演じた吉田所長その人なのである。

決死の活躍で、部下たちと共に原発を守り、事故対策をする姿が描かれていたが、その事故を起こすきっかけを作ったのが吉田所長その人。当時は所長ではなかったが、彼は津波の専門家では無い。にも関わらず「大津波は来ない」と対策を拒否した。原発事故で本人がその責任を取ることなった。つまり、彼は映画で描かれたように「日本を救うために頑張った」のではなく、自身が津波対策をしなかったために、日本を危機に陥れ、部下の命を危険に晒したのである。

その罪深い人物の、そんな背景を一切描かず、隠して、英雄として描いたのが「Fukushima50」という映画。隠蔽、改ざん、嘘で固めて、やるべきことをやらない。映画も東電も同じ体質なのだ。


俳優について=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-09

製作面について記事=https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-07

要は東電賞賛映画?=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-08


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戦後75年。今も騙され続ける日本人=「Fukushima50」にダマされてはいけない。 [再掲載]

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戦後75年。今も騙され続ける日本人=「Fukushima50」にダマされてはいけない。


「Fukushima50」を見て「感動した!」「事故を止めるために頑張った50人がいたなんて知らなかった!」「涙が止まらなかった!」という感想をネットで見かける。悲しい。でも、原発事故の詳細を知らなければ当然であり、そう思うように誘導する巧妙な映画である。

「映画はフィクションだから、目くじら立てなくても」という人もいるが、あの作品は冒頭に「真実の物語」と表示し、エンディングにも「この作品はフィクションであり...」というテロップは出さない。宣伝でもチラシ、ポスターには「映画だから語れる。真実の物語」と書かれている。製作サイドは「ノンフィクション。事実である」という姿勢なのだ。にも関わらず、いくつもの嘘を事実のように描いている。

事実を歪めることで「事故は天災によるもの!」「混乱させたのは菅総理と民主党政権!」「吉田所長と50人は命がけで頑張った!」「彼らが日本を救った!」と伝える。福島県民が受けた被害、その後の惨状もほとんど描かず、事故はすでに終息したかのような演出。

事実は事故=人災。大津波は何年も前から予見され、対策を東電は迫れられていたが、安倍総理が第一次内閣時代に「全電源喪失はあり得ない」と対策を講じず。吉田所長も津波は専門ではないのに「大津波は来ない」と対策を握りつぶした。そこは映画では描かれていない。だから自然災害の見えてしまう。映画は意図的に事実の隠蔽を行い、嘘を描く確信犯なのだ。

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事故原因を災害と描くことで「東電の責任はない。むしろ日本を救ったのが東電社員なのだ!」という嘘の物語が出来上がる。詳細を知らないと、騙され誘導されるのは当然。そして「感動した!」「泣けた!」とコメントして、「東電は責任がない。吉田所長と50人が日本を救った。事故は終息した。よかったよかった!」と思ってしまう。そこに誘導するプロパガンダ映画なのだ。

同じ手法を使って若者を戦場に送ったのが太平洋戦争。「日本を守るため」「お国のために死ぬのが名誉」嘘と誘導で洗脳された多くの日本人が進んで戦争に行き、犠牲となった。また、近年はその酷い戦争を美化。再び「あれは日本を守るための戦いだった」「戦死者は英霊だ」「彼らが日本を守った」という人たちがいる。それにまた乗せられる若者も多い。現政権は再び戦争をしたいと考えている。そのためのアピールだ。

もう、騙されるのはやめよう。物事を見抜く目を育てよう。これはニュースも同じ。NHKはすでに大本営発表。民放もほぼ同じ。一部の金持ちと政治家が都合のいいように国民を誘導するツールなのだ。彼らは事実と嘘を混ぜて、巧妙にコントロールしてくる。疑ってかかれ。嘘を見抜け。彼らに利用されるのは終わりにしよう。

俳優について=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-09

製作面について記事=https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-07

要は東電賞賛映画?=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-03-08


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