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時代は変わりつつあるのに、古い価値観を振りかざし拒否する日本人? [my opinion]

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時代は変わりつつあるのに、古い価値観を振りかざし拒否する日本人?(大好評なので短縮版をアップ)

最近、多くの日本人が感じているであろうこと。僕もその1人だが、2000年代まで「日本は経済大国」と思い込んでいた。それが映画祭でLAに行った時、留学時代と違い、日本の電化製品がほとんど絶滅していて驚愕した。韓国製品だらけ。時代は変わっていたのだ。

また先にも記事にしたが、帰国してから25年ほど、新宿まで歩いていける街に住んでいた。でも、日本は大きく変わり、都会に住まなくても何ら生活に困らない環境がすでに整っていた。それに僕は数年前まで気づかなかった。でも、今は脱都会生活。何ら困ることはない。あるいは会社員なら567禍でzoom会議。そのことで会社に行かなくても仕事ができることに気づいたり。あの満員電車で毎朝の通勤は何だったのか?と思えたり。

つまり、人は同じ生活を繰り返していると、時代が変わったことに気づかない。それどころか、より安く、便利で、クオリティが高いものを生産できるのに、古い方法論にこだわる。さらに新しいやり方を批判、「邪道だ」と排除しようとすさえする。パソコン黎明期にも、オヤジたちは「そんなものがなくても仕事はできる」と言い張っていたが、メールの送り方も分からず顰蹙だった話をよく聞いた。今はその世代は引退し、仕事でパソコンは当然のものとなっている。

ただ、時代の変化というのは、そんな風に人々にも業界にもプラスであったとしても、過去の価値観や習慣に縛られた人たちは拒否し、排除しようとするところがある。時代の変化が大きいほどに、反発も大きい。パソコンを拒否するオヤジ。僕の周りには今も「日本は経済大国」「ただ、不況で苦戦」と思い込んで「日本はまだまだ大丈夫」と高いプライドを持っている奴もいる。今は韓国の方が時給高いことを知らない。

同じように言えること。政府やマスコミは国民のために仕事をしていないことが明確になってきた。これまでは上手くそれを隠し、庶民の味方である芝居をして来たが、時代の変化で、彼らもなりふり構ってられなくなった。同時にネットの普及もあり、事実を多くが知るようになったこともある。「新聞テレビはフェイクだ。誘導されて大変なことになる」と気づいた人は多い。

だが、過去の価値観に縛られた多くの人たちは「テレビが報道するんだから間違いない」「ネットなんて嘘ばかりだ」と思いこんでいる。「政府が国民を犠牲にすることをする訳がない」と思っている人もいるだろう。でも、昔からそうではなかった。「オレ達だけが儲かればいい。生き残ればいい。国民はどうなっても構わない。ただ、後で責任を追及されないようにしなくては!」というのが政府であり、大企業であり、マスコミなのだ。

そこに気づかない人たちがたくさんいる。これはもう、先に気づいた者が伝え続けるしかないのだ。ただ、その種の人たちは昔から変り者と思われており、異端者である場合が多い。だからこそ気づいたのだが、多くの人は「あいつ変わってるからなあ」「あんな奴の言うことなんてなあ」「陰謀論好きだしね」と思ってしまう。時代に置き去りにされている人たちには、どうすれば大切なことが伝わるのか? 心が痛い。



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Facebookに毎日記事をアップする理由④=最後の理由。人に読んでもらうためではなく? [my opinion]

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Facebookに毎日記事をアップする理由④=最後の理由。人に読んでもらうためではなく?

基本、記事をあげるのは誰かに読んでもらいたいからだ。旅行に行った。友達が読めば「いいなあ」と思ってくれる。お誕生日だ。お祝いコメントもらえる(ちなみにこのお誕生日おめでとうは、本当に嫌い。だからバースデーを公開していない。知っていてもお祝いいらないからね)だが、基本は読んでほしい、伝えたいと言う記事を書く。

ただ、僕が書くいくつかの記事は読んでほしくて書いていない。自分が今、考えていることを整理するために書く。頭で考えると堂々巡りになったり、論理性、客観性をなくしがち。だから、友達の少ない人の説明は分かりづらいことが多い。人ごろから第三者の意見や指摘を聞かないので、矛盾点が分からず、客観性がないからだ。

一番、いいのは人に話すこと。相手が分かるように説明することで、自分の中で考えが整理できる。矛盾があれば、相手が「そこ分からない」と指摘してくれる。その意味でコメント欄に意味不明のことを書く人は友達が少ない。あるいは周りの人が呆れて質問しない。家族から放置されている人が多いはずだ。自分だけ理解し、言葉が足りない、的確な表現ができなくなる。

僕は多くに読んでほしい話でなくても、記事にするのは、例えば567の正体。寅の実態。枠てんの本質。ま、これらは多くの人が興味を持つネタではあるが、その他のことでも、疑問点をあげて、それに対して事実をあげていき、答えを探す。マスコミはこう言うが、矛盾するではないか?とか真相追求の記事を書く。

これはミステリーで「犯人は誰か?」と同じ手法。論理性が何よりも大事。証拠はなくてもいい。裁判ではないし、一般人に捜査はできない。が、いろんな側面から見てきて整合性を考えると、多くの答えは出る。確定はできなくなくても、これが答えだ〜と思えるものにたどり着く。

そのことで自分の考えも整理される。1人で考えると、それがなかなかできない。その意味でFacebookという存在は有用。簡単に書ける。反応も来る。来なくてもいいコメントも来るが、それはすぐに消す。そんな利用もしている。



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Facebookに毎日記事をあげる理由③=書いてはいけない記事もある? [my opinion]

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Facebookに毎日記事をあげる理由③=書いてはいけない記事もある?

映画の企画は決まってもすぐには記事にしない。全ての準備ができてマスコミ発表をするまでは一切書かない。と言うのも、俳優、ロケ地、内容を発表する事で、パクられたり、邪魔をされたりすることがあるからだ。こちらがすでに製作発表までしているのに、同じネタ、同じような物語でタイトルまでパクって映画を製作したテレビ局がある。業界には本当に卑劣な奴がいるので、発表前はより注意せねばならない。

ただ、そんな段階は作品のことは書けないので、あれこれ別の話を書く。と、友人から「ヒマそうだね? 飲みにでも行くか?」とか連絡が来てしまう。ま、親しい友人なので事情を話、分かってもらうが、FB「友達」には言えない。以前もこっそり教えて「太田監督、新作準備中!」とか勝手に発信され困った。

逆に、新作なんてないのに、「実は次回作の準備中でしょう?」「次の作品は123便事件だな!」とかコメントしてくる人もいる。映画作るには億単位の製作費。日航もANAも絶対に協力しない。自衛隊の問題もあるし、大手企業は出資しない。僕のようなインディペンデントの監督が撮れる訳が無い。でも「密かに準備しているに違いない」とか想像されてしまう。

映画を撮るには莫大な金が必要。特に僕がここ数年撮った作品はヤバイネタが多い。まともな企業は絶対に出資しない。(心ある企業もきっとありますよーとか言う人がいるが、その企業名を教えてほしい)123便も、沖縄戦も、劇映画にすべき大切な題材だが、製作費はまず集まらない。そう言うとすぐに「クラウドファンディングで!」と言うが、集まるのはせいぜい1000万円。その額で映画製作は不可能。

映画作りは本当に金がかかる。企業映画の予算は最低でも1−2億円。独立系でも3千万は必要。そう言うと「カメラを止めるな」の話を上げる人がいるが、あれは例外。そして多くが関係者が辛い思いをした。勘違いする人が多いので映画製作事情はいずれ記事にする。今は567でどこも撮影中止、延期で業界はズタズタだ。

話が暗くなった。そんな風にFBで報告できない話もいろいろある。にも関わらず、記事だけ見て分かった気になり、あれこれ言ってくる人がいる。記事はほんの一部の話を紹介しているだけだ。誤解されないように努力しながら、これからもアップする。



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Facebookに毎日記事をアップする理由②=書くとめんどくさい事になる記事も? [my opinion]

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Facebookに毎日記事をアップする理由②=書くとめんどくさい事になる記事も?

毎日、記事を書いていると、僕のことをわかったつもりになり、あれこれ言ってくる「友達」が出てくる。会ったこともないのに、勝手に先輩風。時には師匠になっている。ネットは恐ろしい。でも、実はあまり書かない分野がある。プライベートだ。

「今日は***へ行った」とか「***食べたら美味しかった」「家族で***に旅行」とか言う一番多いタイプの記事がない。一つにはそんな話を紹介して何が面白い? 友人がその種の記事を挙げるのなら「ああ、夏休みで海外ねえ。いいなあ〜」とか思うが、知らない人の行楽を聞いても面白くない。だから僕も書かない。いちいち報告したくない。

あと健康のことを記事にすると、大きなお世話があれこれ来る。大切なテーマなので書かねばと思うのだが、的外れなコメントが来て頭が痛い。「運動した方がいいですー!」とか、お前は誰や!会ったこともない人にアドバイスされたくない。アイコンはアニメ。年齢も職業もなし。覆面した人に街角であれこれ言われるような気持ち悪さしかない。

「太りすぎですねー!」と言いながら、自分のアカウントには一切本人の写真がない女性とか「お前はどうなんや!」と聞きたくなる。無神経な人は勧告なしに、さよなら。テーマ選びは大事。無神経な人がやってくるネタは慎重に書かねば。

続く



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Facebookに毎日記事をアップする理由=あれこれあるが改めて紹介 [my opinion]

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Facebookに毎日記事をアップする理由①=あれこれあるが改めて紹介

一番は映画の宣伝。今なら「ドキュメンタリー沖縄戦」が #京都みなみ会館 での公開中の情報。そして、映画公開される段で情報発信始めても多くは気を止めない。

Twitterの映画公式アカウント。公開直前から始めることが、それではフォロワー数も少ないし、情報拡散できない。アホやなと思う。それ以前からアカウントを作り、あれこれ情報を発信しておけば、公開前にはすでに多くのフォロワーがいる。拡散できる。

それを僕はFacebookでやっている。だから、日頃からあれこれ書く。「面白い人だ」と思ってくれれば、「友達」申請が来て、記事を読んでくれる。すると企画段階から伝えることができ、撮影、編集、そして公開となると、作品に強い関心を持ってくれる。そのためにFBを始めた。

が、別の側面も出て来た。映画監督業は映画を使ってメッセージを発信する。僕の作品に共通するのは「親子に伝える大切なこと」である。ただ、映画は1本作るのに莫大な製作費がかかる。簡単には撮れない。また、時間もかかる。最低でも企画から公開まで1年はかかる。しかし、伝えたいことが、あれこれある。

映画にはできないが、FBで記事にすれば多くが読んでくれる。また、映画にできても1年もかかると遅すぎ!ということもある。そんな時は、その日の内に発信できるNSNは早い。事件があった直後、報道されたあと、皆が忘れない内に伝えることができる。ただ、僕はジャーナリストという訳ではない。現場に行き、取材し、それを報道する仕事をしてるのではない。

僕なりの見解、推理を記事にする。と書くと自分でも「偉そうに!」と思うが、まあネットが普及してからは誰でも皆、評論家時代。でも、これが意外に好評。単にテレビニュースを見てあこれ言うだけだと意味ないが、調べる。大統領選、567、枠てんなどはマスコミは事実を伝えない。だから、その裏をあれこれ探る。「朝日」以降はいろんな世界の事情通さんがあれこれ[マル秘]?情報を教えてくれたりする。

あれこれ書くが、いろんな「友達」と交流したいと言う思いは全くない。時々、コメントに返事はするが、基本はしない。「この監督、いい人だ!」とか思われると、あれこれ質問されたり、相談されたりする。一番、嫌な展開。拒否すると「裏切られた!」「そんな奴とは思わなかった?」「騙された」「利用された!」と騒ぐ人もいる。変な期待はしないでほしい。監督業にろくなやつはいない。

あれこれ書いたが、全て映画の宣伝が基本にある。そして隠れた目的がもう一つ。毎日、更新すると関係者に「お、監督は過労死したり、自宅で孤独死せずに生きているな!」と伝えることができる。毎回、映画が終わると過労で数ヶ月寝たきりとなるので、心配される。でも、関係者全員に連絡もできない。ま、一人暮らしのお年寄りの無事を知らせる湯沸ポットのような効果もFBは兼ねているのだ。興味ある人はこれからも読んでほしい。


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考える力のこと。よく書くが、それだけではダメなんだ。テレビや新聞が伝えない情報が大切。 [my opinion]

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考える力のこと。よく書くが、それだけではダメなんだ。

テレビや新聞が伝えない情報が大切。

知識がないと騙される。




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「時代は変わる」大きく変わる。いつまでも酷暑は続かない? [my opinion]

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「時代は変わる」大きく変わる。いつまでも酷暑は続かない?

10年とか20年に1度。「時代の風が変わるな...」と思うことがある。多少、個人的な環境の変化もあるだろうが、そんな時に時代が変わる。

1980年。高校を卒業して横浜へ。映画学校に通った。何の役にも立たないことしか教えてくれなかったが、時代が大きく変化するのを感じた。音楽、映画、ファッション、文化。70年代とは違う波が押し寄せた。映画界で監督は老人と決まっていたのが、20歳前後の監督が次々にデビューした。が、その波は5年ほどで終わり。僕はそれに乗り遅れた。

80年前半は「Drスランプ アラレちゃん」と「うる星やつら」の時代だと思える。あと「オレたちひょうきん族」「笑っていいとも」皆、パロディ主流。それが後半になると「ドラゴンボール」「めぞん一刻」とひたむきな物語がうけるようになる。芸能界もアイドルよりバンド系に。そんな80年台の真ん中。「このまま日本にいても何も展開できない」と留学を決意。ロスアンゼルスの南カルフォルニア大学の映画科を目指す。

2年目。目的の映画科に合格。憧れのジョージルーカスの後輩になれたのだが、この学校も役に立つことを学べなかった。多くを学んだのは6年間のアメリカ生活。その間に日本はバブル経済に突入。世界一の金持ち国家になった。それを外から見つめた。その間、アメリカは自動車産業の不振等から不況が続き、アメリカ帝国の没落を感じた。それが90年頃から、また時代の風が変わる。帰国して日本で映画監督を目指すことにした。

時代は変わったのだが、思惑は大外れ。帰国した途端に日本のバブルが崩壊。そこから20年に及ぶ不況の時代が始まる。それでも帰国後5年で脚本家デビュー。2年後に監督業を始める。ただ、映画監督デビューは帰国から15年がかかった。ただ、そこからの15年はノンストップ。6本の映画を監督。何度も過労で倒れ、医者から「過労死するから休め」と繰り返し言われる年月となる。その間にリーマンショック、東日本大震災、があった。

そして今、帰国から30年。また時代の風が吹き始めている。原発事故で日本は大きく変わった。が、本当に意味では変わらなかったが、なのに今大きな時代の変化が始まった。567はその要因の一つに過ぎない。オリンピック も変化を感じるフォクターの1つ。まだ、言葉で明確に説明することはできないが、80年、85年、90年に感じた以上の変化を感じる。宗教は嫌いなので、お告げとかではない。

分かりやすく言えば、暑い暑い夏が続くが、ふと秋風を感じる。セミの死骸が転がっている。入道雲が鱗雲に変わる。季節を知っていれば「秋が近づいているんだなあ」と思うが、夏しか知らない者でも鋭い人は「あれ、何か違うな」と思う。夏しか知らない人は「何だかんだ言っても、まだまだ暑い日が続くんだよ!」と分かった顔でいうだろう。でも、秋は確実にやってくる。時代も同じ日々はいつまでも続かない。必ず次の季節がやってくる。それを感じる。

いい時代とは限らない。ただ、ここ1年の変化を見ていると、この30年。いや、戦後以来の大きな変化ではないか? 価値観が大きく変わる。そんな大転換があるのでは?という予感がする。だが、そこに至るまでにまだまだ厳しい暑さが続くだろう。時代を変える台風もあるかもしれない。いかに、その期間を耐えて、生き延びるか?が問われるのだろう。分かった顔をして「夏は簡単に終わらないだよ!」なんて言っていると、次の時代が来た時、慌てふためくことになる。そのための準備をする時期なのだ。どんな準備か? 人それぞれに違うのだが...。


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人の想像力は貧しい。だから歴史に学ぶ [my opinion]

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もし歴史を知らない人が

「昔、ゴジラのような生物が地球上に存在した」

と言われても

「あれは映画の産物。実際にいる訳ないだろ〜」

と答えるかもしれない。

同じく沖縄戦で政府が県民を死に追いやった歴史を知らない人は

「政府が国民を殺したりしないよ〜」

と言う。だから歴史に学ばなければならない。





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誹謗中傷、批判されることが増えた?!=監督業はつらいよ? [my opinion]

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誹謗中傷、批判されることが増えた?!=監督業はつらいよ?

先日も「沖縄戦」再公開に際して、無断で僕の写真を盗用、「左翼監督、許さん!」というツイートをされた。それ以前にも「レイシスト」「右翼監督」(どっちなの?)とか名指しで攻撃する輩がいる。

数年前には炎上。分かったのは、そんな時はいつも応援してくれている人がコメントをくれなくなる。巻き込まれるのが嫌だからだろう。それは分かる。だが、友人から「攻撃されるお前に問題がある」と言われるのは悲しかった。日本の風土は加害者ではなく被害者を叩きがち。567も感染者は被害者なのに、患者を叩き差別し、批判することが多い。同じ構図だろう。

以上のケースで攻撃するのはネトウヨとか、正義中毒のネトサヨが多い。が、一般個人からもある。ありもしないことで、あるいは的外れな批判や中傷を受けたことがある。以前、応援してくれた人が何か、僕の発言で気に入らないことがあったのか攻撃。「裏切られた!」「そんな人とは思わなかった!」「許せない!」ー思い込みの強い人なのだ。だから応援する時も熱いが批判も熱い? あと、精神状態が不安定な人もいる。僕のことを美化しておいて失望する人もいる。そもそも映画監督なんてわがままで無謀な存在。期待する方が問題なのだ!?

その辺はハンドルネームの人たちなので、日頃の欲求不満解消が背景にある。だが、実名で、そこそも知名度ある人たちから攻撃されることが出てきた。「こいつ、まだ監督してんだ?」と書く先輩監督。「この監督には映画を撮る資格はない」とあちこちでいう映画作家。「借金取りに追われて、逃げ回っている」と吹聴していたPもいる。この辺の背景は何だろう? 先の批判者は「朝日のあたる家」を撮った頃からいた。しかし、実名でFacebookやTwitterをやっているのに、名指しで批判する。業界でそれなりに仕事しているのに、あちこちで批判して回る連中。これはこの1−2年だ。

理由を考えてみると、やはり「ドキュメンタリー沖縄戦」が話題になったことがありそうだ。多くのマスコミが取り上げた。NHKでも紹介。読売新聞等の全国版にも掲載。多くの著名人も称賛、応援してくれた。「朝日のあたる家」に続いて大ヒット。危険な題材だが、それに挑戦したことも評価された。同じ業界で、それを横目で見ていると悔しい。さらに、僕は数年に1本、映画を監督。どれも評判がよく、そこそこヒットする。豪華キャストが毎回出演。

「その辺を妬まれるんだよ」とある先輩に言われた。「監督したくても、もう何年も監督作のない奴が多い。何で太田ばかりが!と嫉妬する輩も出てくる。おまけに、ドキュメンタリーまで撮る。それもヒット。いい加減にしろ!と思う。特に映画監督なんてする奴は嫉妬深いからなあ」と説明された。なるほど、そうか.....僕も監督デビュー前、ある監督、本当に詰まらない映画しか撮らない人が毎年、監督しているのを見て、許せない気持ちになったことがある。「何で、あいつが!」その背景にあるのが嫉妬。「俺に撮らせればもっといいものが撮れるのに!」という思いだ。

だが、映画を作るのと同じくらいの苦労が、映画製作をスタートするまでにある。その段階で疲れ果て、ズタズタになる。(作品依頼をしてきて、こちらは何ヶ月も準備しているのに投げ出すスポンサーもいる。そして何の補償もせず。経費は全て僕の借金になることが何度かあった)監督作がないとその辺を想像できず、映画が撮れたことだけを羨み、嫉妬。それをストレートに言わず「あいつは才能ないのによ〜」とか「あんな作品を撮るようじゃ終わりだ」とか批判に変えて発言。それに同意してもらうことで、悔しさを紛らわそうとしているのだろう。

映画監督というのはクリエーターであり、アーティスト。そして芸能人の側面もある。黒澤明や大林宣彦。大島渚監督らは下手な芸能人より有名だ。そこまで行かなくても、そこそこ名が知られる。評価も受けるが、嫉妬もされ、批判もされ、ターゲットにもされる。大島渚監督は毎年正月に「今年こそ*してやる!」という脅迫の年賀状が来たという。伊丹十三監督はヤクザに顔を斬り付けられ負傷した。監督業はそんな覚悟をせねばならない。

ただ、攻撃されるというのは、信頼され、評価されている証でもある。どんなことでも10人いれば8人が褒めても2人は批判する。千人なら2百人。評価が高まるにつれて批判や中傷の数も増える。そして、評価する人たちはサイレントマジョリティであることが多い。対して批判派は負のエネルギーが強く、腹いせ、欲求不満解消、正義中毒で、すぐに攻撃したがる。だから、目立つ。でも、その種の人たちが増えたということは、評価も高まったということだ。ま、監督業はそうした仕事なのだろう。批判は評価のバロメーターだ。

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ズレてしまった友人たち=古い価値観でしか世の中を見れない。誘導されても気づかない? [my opinion]

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ズレてしまった友人たち=古い価値観でしか世の中を見れない。誘導されても気づかない?

この1〜2年特に感じること。同世代の友人たちが鋭さをなくしている。凄くズレたことを堂々と発言する。いつの時代の話?ということを持ち出す。誘導されていることに全く気付いていない。論理性のないことを信じてしまう。過去の価値観で判断する。ついこの間まで、原発事故の時は電力会社やマスコミのフェイクを見破って批判していたのに、今ではコロッと騙されて、乗せられて、利用されている。自分の意識で批判しているようで、誘導されていることに気づかない。

もしかしたら、彼らが正常で僕がズレているのかも?とも考えた。が、似たような思いを綴るFacebook記事を見つけた。同じことを感じている。僕の周りだけではないようだ。同世代たちは新しい情報を積極的に取り入れようとはしていない。テレビ新聞の情報しか知らない。ネットもやるが新しい情報はスルーしているようだ。いや、アンテナに引っかからないようだ。だから、気づかない。そして過去の価値観で考えてしまう。

ただ、考えてみると僕の世代は間も無く60代。すでに50代。高校時代は50歳というともうジジイと思えていた。あの頃の親の世代が40代。教師でも30代。その辺でさえ「ズレてる」「分かってない」「バカか?」と思えていた。まさに「大人は判ってくれない」と感じていたのだが、それはやはり年齢が大きく影響していた。

若い内は感性のアンテナが鋭く、新しいもの、時代の流れを敏感に感じ取ることができる。が、歳を取ると錆び付いて、新しい動きを理解できなくなる。友人たちも30歳を過ぎた頃から「もう流行を追うのはやめた」などと言い出した。「流行を追う」のではなく「時代の流れ」を感じることが大切。それを勘違い。時代についていけなくなる自分を嘆くのではなく、時代についていく=流行を追う=そんなことはもうしない=俺は大人なのだ。という理屈でアンテナを閉じてしまう奴が増えていった。

40代になると、その兆候はさらにひどくなり、「俺は流されない」「流行を追う奴はバカだ」「新しいものをありがたがるのは愚か」と時代の新しい流れを拒否するようになって来た。そこからさらに10年。ズレてしまうのは当然であり、僕らが10代の時、バカだ。愚かだ。ズレていると思った大人を超えた年齢に同世代が到達したということなのだ。考えると、それは当然のことであり、仕方のないことかもしれない。ただ、話をしていたり、その人のFacebookきじやツイートを読んでいて、悲しい思いをするだけだ。

では、私はどうか? 偉そうなことを言いながらも、間も無く60代突入。アンテナが錆び付いていないはずがない。若い人から見ると「時代遅れのジジイ」に思えるはずだ。ただ、映画屋という仕事をしているので、どうしても時代を見つめ感じなくてはならない。これも流行を追うのではない。時代の流れを感じる。そこからズレたものを作っても観客には受け入れらない。が、他の業界は70年代。80年代の方法論で、当時の価値観であっても通用する仕事もある。そのことでアンテナが錆び付いても困らない環境にいるのだ。

その意味で倒産の心配がない公務員、大手企業に勤める人たちは時代に置き去りにされやすい。それは分かる。が、見ていると原発反対を訴えていた若者、ミュージシャン、アーティスト、芸能人等さえも大きな力に誘導されて、利用され、本質を見抜けていないことが多い。これはアンテナとは別の問題かもしれないが、時代の流れを理解できていれば誘導されたり、騙されたりしない。

思い出すのは地方に住み、昔ながらの仕事をするお年寄り。自民に誘導され「やっぱ自民でないと〜」といい「安倍さんはよく頑張っている!」と応援してしまう。高度経済成長の時代は自民でも良かったが、今は国民を食い物にして私腹を肥やす人たちの集まりに過ぎない。時代と共に政党も変わるのに、それに気づかない地方のお年寄り。その構図に似ている。

原発反対の友人たちも、もう50歳前後。安倍という巨大な敵がいなくなったことで、次は何を目標にすればいいか?という喪失感もある。今は仕方なく菅を批判しているが、誰も分かるダメさ加減。力が入らない。その力を間違った方向に向けている人がいる。そっちを叩いてどうするの? 政治中毒のネトサヨはそれが生きがいだが、心ある行動力ある人たちまでもが、大きな力に誘導され、見えていないことが多い。原発事故で日本人は目が覚め、もう騙されない。誘導されない!と思ったのが、こんな僅かな期間で戦中と同じ状態にまで、引き戻されているのに驚きと悲しみを感じる。

「いやいや、ズレているのはお前だよ!」ーと言われそうだし「最近、監督、言ってることがおかしい」と実際に言われた。が、その友人は仕事が忙しく世の中の進展をまるで把握していない。過去の常識でしか思考できていない。同時に、世の中の価値観が急激に変化している。ついていくのも大変。この100年で最大の変化が進んでいるかもしれない。

これまで「白」と言われていたものが「黒」と呼ばれるようになりそう。「その変化を見つめよう!」という気がなければ気づかない。「世の中、簡単には変わらないよ」と思っていたら置き去りされる。いずれ答えは見えてくる。今は巨大なフェイクをいかに見抜き、何を価値観として掲げるか?それを考える時期だと思えている。


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