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誤解される映画監督業はウクライナ問題とダブる?ーデマと思い込みに振り回される日本人 [my opinion]

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誤解される映画監督業はウクライナ問題とダブる?ーデマと思い込みに振り回される日本人

以前にも書いたことがあるが、映画監督業は理解されない。というより圧倒的に誤解される。ありもしないことで妬まれたり、批判されたりする。一般的にイメージする監督像はこうだ。「金持ちだ」「芸術家、文化人」「女優とよく酒を飲みに行く」代表的なのはこんな感じ。芸術家というのは間違いではなく、感動作を作るアーティストではある。が、金持ちというのは違って、日本で金持ちといえる監督は10人いないだろう。ほとんどが貧しく、新人サラリーマン以下の年収。

「映画監督は遊んでばかりいて、仕事しない奴が多いからだよ!」と言う人もいた。全くの外れではないが、その種の人は極々一部。遊んでいるから貧しいのではなく、いくら仕事をしてもギャラが安いから貧しいのだ。それも長期間仕事せねばならない。映画が完成しても宣伝にも協力するのが慣習。そのギャラは出ない。舞台挨拶ツアーで全国をまわっても出るのは旅費だけ。その間の収入はない。

が、自分が作った映画をより多くの人に見て欲しくて、宣伝に協力。ギャラをもらわなくても、映画をアピールできることは大事。インタビューを受けても、テレビ、ネット番組出演しても収入にはならない。キャンペーンが1ヶ月、2ヶ月、3ヶ月と続くこともある。その間の収入はゼロ。映画がヒットしても、その利益はスポンサーに行き、監督には一切入らない。

その辺を知らない人は、宣伝や舞台挨拶でもギャラをもらい、映画がヒットすれば印税生活!と考える。いや、そこまで考えずに「テレビや新聞に出る人は金持ち!」と言う印象なのだろう。芸能人と同じと考える。だから「女優とよく酒飲みに行く」「遊んでばかりいる」と言うゴシップ紙に出る芸能人記事と混同してしまうのだろう。だが、芸能人でも毎晩、六本木で豪遊するのはごく一部。多くのタレントや俳優はアルバイトをしなければ生活できない。

僕の場合。舞台挨拶や宣伝をノーギャラでやる以外にも、予告編製作もタダでやる。本来、外部のプロダクションに発注するのだが費用がかかる。僕の映画の宣伝費はいつも少ない。節約のために僕が作る。ポスター、チラシのデザイン。説明文も僕が書く。最後はプロのデザイナーが仕上げてくれるが、その前部分は全部やる。これもノーギャラ。少しでも宣伝費が有効に使えるように、僕がタダでやれるものはやる。

ブログやFacebook。YouTubeも宣伝に一環。映画が出来てからHPを作っても、なかなか見てもらえない。それなら日頃から発信しておけば、映画公開の時に効果がある。だから毎日、更新しているのだが、その理由を知らない人は「監督。ネット依存症だね?」「毎日更新、暇だね〜」とかいう。ただ、ブログにTwitter、あれこれやるには時間を取られる。時々、本当に嫌になることがある。原稿料がもらえる訳でもない。

それでなくても映画制作では、監督、脚本、プロデュサー、編集、演出部、制作部(ロケハン)、宣伝と7人分の仕事をする。だが、ギャラはもらって2人分。乱暴に会社員で計算すると、残業も入れて1日10時間働くとして、その3人分の仕事をすれば1日30時間労働。寝る間もない。だから3倍のスピードでやる。土日も働く。盆暮なし。正月も仕事という生活がもう10年以上続いている。

だから1本の映画が完成すると、過労で倒れる。それ以前に医者から「いつ死んでもおかしくない!休みなさい」と言われるのだが、制作中は休めない。終わると倒れて数ヶ月寝込む。朝起きたら死んでた?ということになるかもしれない。ただ、それは覚悟。毎回遺作と思っている。観客が感動する作品ができればいい。

ギャラを上げて!とも言わないし、ノーギャラは嫌だとも思わない。十分な予算の作品であれば解決されること。今は低予算作品で倍以上のクオリティを上げたくて奮闘している。予算内で出来ることしても観客を感動させることはできない。貧しい作品になるだけ。なら僕が3倍4倍働くことでクオリティが上がれば!と思っている。

だが、倒れるまで仕事しても「毎日、遊んでばかりいるんだよね〜」と言いにくる輩がいる。地方で仕事すると「監督料取るの?自分が撮りたい映画を撮っただけだろ?」とか言われた。「映画監督は金持ち」という思い込みがあるので、そう考えてしまう。あるいは「女優と毎晩、飲み歩いてんだ〜ムカつくな〜」と妄想で嫉妬する奴もいる。現実を知らない人たちが、世間の噂やゴシップ紙を鵜呑み。それが赤の他人ではなく映画の関係者だったりもする。誹謗中傷、当て擦り、デマを流す。陰口。まあ、ありもしない事を言って回る。

それを信じてしまう人たちもいて「えー、あの監督。そういう人だったの〜気をつけないと!」と田舎でよくあるパターン。映画を依頼してきた実行委員まで巻き込まれて、デマを拡散。「あんたの街の魅力を伝える映画を作ってんだよ?」と言いたくなる。その街の人から批判される。「あの監督、ギャラ取るんだって!この町が好きだから監督したんじゃないんだよ!ボランティアじゃないんだ」とか、言われたこともある。

まあ、無神経な外野があれこれ批判するのは仕方ない。が、ありもしないことで、考えれば分かるデマを鵜呑みにして関係者が一緒になって「酷い!」「許せない!」「あの監督は悪い人だ。騙されてはいけない!」と言い回る。こんな人もいた「映画?面白そう〜」と寄ってきて、ボランティアでエキストラ。「え?ギャラ出ないの。酷い〜」という。ボランティアって言ったでしょう?なのに「監督に騙された〜」と言い回る人もいた。

そこでウクライナ問題を思い出す。「プーチン悪魔だ!」「ロシアは虐殺をやめろ」「ウクライナに平和を」「ゼレンスキーがんばれ」という人たち。ほとんどがウクライナに行ったこともない。現状も歴史も知らない。テレビが垂れ流す報道を鵜呑みにして「酷い!」「許せない!」と言っているだけ。同じ構図。おまけに「プーチンはなぜ侵攻したのか?」と疑問を持つだけで「ロシア擁護か!許さん〜」とコメントしてくる人たちも多い。戦時中の「非国民!」と同じ。

自分で調べ、考え、判断せずに、聞き齧った情報を鵜呑み、精査せずに信じ込む。その意見と違う人を糾弾。否定する。それをわざわざ本人に伝える。同調圧力をかける。そんな愚かな習性を利用。毎回、戦争は進められて行く。強制されるのではなく、人々が自発的に賛同し、参加して行くのだ。それは今回、急に始まったのではない。この10年の僕自身を取り巻く一部の人たちと同じ行動パターン。

山本太郎さんも同じような環境にいる。「日本を良くしたい。国民の生活を向上させたい」と活動しているのに、その国民が彼を批判し、ありもしないデマを触れ回る。日本を良くしたい彼を、政府に踏みつけられている人たちが攻撃する。こんな悲しいことはない。

僕の場合。最初は誤解を解こうと説明した。が、いずれの場合も理解を得られず、批判を続けるばかり。事実や現実を知ろうとせず、すでに信じ込んだデマや噂から逃れられない。その種の人たちに時間と労力をかけて、理解してもらうことに虚しさを感じた。それより、僕のやろうとしていることを理解、支持してくれる人のために時間と労力を使うべきだと考えるようにした。

ただ、今も思うこと。一時は本当に献身的に応援してくれた人たちが、デマを信じてしまい、手のひらを返して批判を始めたことがある。悪い人たちではないし、むしろ純粋で真っ直ぐ。そのことは今も感謝している。が、どう説明しても「お前に騙された!」と言い続ける。これはもう今後の行動で、いつの日か理解してもらうしかないと考えるようになった。

ただ、友人はいう「お前はいい人たちだったというけど、本当は左右されやすいタイプではなかったのか? 面白そうで近づいて来ても、映画製作は楽しいことばかりじゃない。少し嫌なことがあると、悪い噂を信じてしまう。悪気はなくても多くの人は、現実を判断する力は低い。この国は特にね」

そうかもしれない。そしてウクライナ問題ではそれが正解だろう。太郎さんの件も同じ。この間まで「がんばれ!太郎」と言ってた人が「太郎は変わった。初心を思い出せ!」と批判している。僕から見ると彼は何も変わっていない。移り変わる現実を理解し、新しい対策を打ち出しているのだ。その新しい現実を理解できない人たちが、批判をしているだけ。これも同じ背景。

大切なのは分からない人たちに、理解させることではないだろう。分かる者同士が集まり行動すること。あれこれ言ってくる人たちとは関わらないこと。彼らは愚かだが悪人ではない。結論が出れば理解するはずだ。その途中段階が理解できないだけ。ただ、デマを正義だとして、あれこれ言って来られても困る。無意味なことを強制されるのも邪魔になるだけ。悲しいが、例え罵倒されても、その種の人たちとは線を引き、自分が信じる方向に進むしかない。

答えが出るのは遠い未来ではないだろう。もう少しで誰もが分かる時代の答えが見えてくるはず。そこから新しい時代がスタート。だが、僕は今、かなり疲れている。この時期にあれこれ言って来られても、別の価値観を押し付けられるのも困る。Facebookと同じ。その種の人はブロックするしかない。見捨てるのではない。しばらくは遠くで見ていて欲しいのだ....。



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「陰謀論好きだね〜」と言って来る人。こう言うタイプが多い?! [my opinion]


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「陰謀論好きだね〜」と言って来る人。こう言うタイプが多い?!

「与えられたことを疑いもせずに、鵜呑みにして、言われたことしかしない人たち」まさに戦後教育で洗脳された典型。自分で考えない会社ロボット。そこに「村社会ルール」皆と違うことをする人(言う人)を同調圧力で潰す!という日本人体質が加わる。理論的に語れる人へのコンプレックスも強い。そして努力せずに、マウントを取りたいタイプ?

そんな輩が「陰謀論だよ、それー!」と他人に絡んで喜ぶ。その種が多いことが日本をアジアの極貧国に転落させた背景でもある。支配者から言われないと何もできない。自分で調べ考えることをしない。だから支配者が愚かな指示をすると、国民全てが無意味なことを続ける。当然、経済はガタガタ。それが今の日本。


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FBでは「批判はお断り」といつもお願いしている。が、 [my opinion]

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FBでは「批判はお断り」といつもお願いしている。が、

本当は意見が違ってもいい。理路整然と自分の意見を主張できるならば...。それは有益な交流になる。でも、批判コメントしてくる人の多くは意見が違うと敵視、見下し、マウントを取り。論理性のない、思い込みで、感情的なコメントを書き込んでくる。勝ち負けにこだわる。

説明しても最後は感情論、人格攻撃。学校教育で議論の仕方を教わらないことが背景だが、まともに相手にできない。批判コメントで一度でも「なるほど!」と思ったものはない。目的もほとんどがストレス解消。名前も顔も隠して、親方マスコミで攻撃し喜ぶだけ。

「お前はまだ分かんないのか〜?」と得意げになりたいようだ。日頃の欲求不満解消。正義中毒を相手にしても無意味。会ったことも無い人、本名も知らない、仕事も分からない人に時間と労力を尽くし、あれこれ説明するのも大変。だから、批判はお断りしている。



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ジャーナリストでなくてもできる!真実を探し出す方法。 [my opinion]

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真実を探し出す方法?

個人の情報収集というのは難しい。何が本当か分からない。特に今の時代。大手マスコミ情報が一番当てにならない。というより誘導のための広報。有名人、文化人もダメ。真面目に発信する個人情報を複数見つけて常に読み続ける。

怪しげな人でも長く見つめていると姿勢や信念。情報分析の力量も分かる。その種の人たちの情報を常に把握。それ以外のガセやデマも収集。それらを比較する。整合性や論理性を持って徹底して考える。

と、これが事実であろうか?と見えてくる。裁判と同じ、被告と原告の証言を聞き比較、分析して真相を推理。判決を出す。時間がかかり面倒だが、それを実践すればジャーナリストでなくても答えが分かる。

と言おうか、ジャーナリストでそれができる人が意外に少ない。ある種の団体の提灯持ちをする方が彼らは儲かるからだ。信用してはいけない。自分で情報収集。自分で考えよう。


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相変わらず文章をしっかり読まずに、あれこれ反論してくるFB友達がいる。 [my opinion]


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相変わらず文章をしっかり読まずに、あれこれ反論してくるFB友達がいる。

僕にあれこれ反論しても意味はないし、議論はしないと何度もfacebookで告知している。だが、今回紹介するのはそれではなく、記事をしっかり読まずに勘違いなコメントしてくる人たち。例えば「多くの」「ほぼない」「あまり聞かない」という意味。考えてほしい。

表現法で「多くの」=>全員ではない。「ほぼない」=>少しはある。「あまり聞かない」=>少しは聞くという意味だ。なのにこんなコメントが来る。「多くの」=「そうでない人もいます!」「ほぼない」=>「少しはあるはずです!」「あまり聞かない」=>「あなたが聞いたことないだけでしょう!」という指摘が時々ある。

反論にすらなっていない。例えば「多くの人がそう言う」と記事に書くと「そう言わない人もいます!」とコメントしてくる。だから、「多くの」と書いているだろ!当然、その意味は「そう言わない人もいる」ということも含む。なのに「そう言わない人もいますよ!」「それは違う!」「納得できない!」「おかしい!」と反論されても、お相手できない。「勘違いしていますよ」とお返事するのも時間と労力が惜しい。

そのコメントを放置すると、別の勘違いな人がそれに反論したり(その人も文章を読めていないことがほとんど!勘違い同士が議論を始める)「その通りだ!」「この記事はおかしい!」と賛同したりする人も出てくる。いずれも文章を正確に読めていないだけ。もう、その種の人とは関わりたくない。友達同士の無意味な議論が始まるのも悲しいので、その種のコメントは注意せずに即、削除するね。消されたら、そう言うことだと気づいて。よろしく!


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批判は大切だ! [my opinion]

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批判は大切だ!

「批判はやめよう!」ー立憲民主党のようなこと言う人がいる。が、批判は悪口とは違う。批判は大切だ。

まず批判するー

バカにするー

相手の愚かさを知るー

憐れむー

どーすれば理解してくれるか?考えるー

相手が分かる言葉を探す。

それを伝える。いろいろ試す。

人は賢明ではない。知る者は知らない者に対して、
そんなプロセスでしか前に進むことができない。

その第一歩が「批判」なのだ。




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この国の正体? [my opinion]

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この国の正体?


この国では、子供時代から「考える力」を伸ばさない教育。与えられたことだけ確実にやる人間を大量に育て、長時間、過労死するまで働かせる。テレビという名の洗脳装置で思想操作。まともに働いても裕福にはなれない。

高い税金を課した上に、不必要なものをあれこれ買わせ、稼いだ金をさらに吸い上げる。安くて危険な食品を食べさせて、企業が大儲け。病気になったら医療費を吸い上げる。そして危険な薬を投与。また儲ける。

挙句の果てに恐怖で誘導。年金、保険料を払わずに済むようにアレで大量処分? 家畜以下の存在と思われているのか? 国と企業が組んで、国民を働かせた上で全てを吸い上げて、用済みになると処分ということか? 

だが、国民は「考える力」がないので、その現実に気づかない。それどころか事実を指摘する人たちを「陰謀論者!」とバッシングし否定。「そんな訳ないだろう!」と深く考えずに、いつもの生活に戻ってしまう。それがこの国の住人? 哀れ.....。てなことを考えてしまう。


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日本人はみんな同じでないと不安。 [my opinion]

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日本人はみんな同じでないと不安。

だから、変わり者や捻くれ者を排除したがる。その背景にあるのはお馴染みの「村社会ルール」人と違うことをする、人と違うことを言う者は平穏な村の秩序を壊す可能性がある。だから排除。

逆にいうと多くの人と同じことをすることで安心できる。だから意味を考えずクリスマスや初詣をする。マスクをする。枠店を打つ。みんなと同じ!だから安心。そこに意味や理由を求めない。それが基本的な日本人だろう。



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捻くれ者の呟き=何も考えず、与えられると何でも受け入れる日本人? [my opinion]

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捻くれ者の呟き=何も考えず、与えられると何でも受け入れる日本人?

北京オリンピックが始まったらしい。が、全く興味はない。ただ、昨年の東京オリンピックは物凄く腹立たしくて、どんなものなのか?興味があり開会式を少しだけ見た。でも、競技は見ていない。そもそもスポーツ観戦に興味がない。捻くれ者なのだ。不健全。プロ野球も見ない。格闘技は興味あるのでK1は見ていた。が、紅白も見ない。大河ドラマも見ない。

初詣も行かない。クリスマスも祝わない。誕生日もしない。祝われるのも嫌い。友人の誕生日を祝うのは構わないが。豆まきもしない。恵方巻きも食べない。今年も正月は仕事をしていた。おせち料理も雑煮もなし。餅も食べない。でも、別に寂しくも残念でもない。何か祝い事は誰かに乗せられているような気がする。

恵方巻きも、そもそも関西でさえ、さほどポピュラーではなかった。それをセブンイレブンが仕掛けて全国区にした。ハロウィンも広告代理店の仕業。30年前ほどから毎年盛り上げようとして、ようやくここ数年定着。でも、そもそもハロウィンって何か?日本人は知っているのか?仮装行列の日ではない。クリスマスはキリスト教。除夜の鐘は仏教。初詣は神社。全部違う宗教。なのに日本人は何でも受け入れる。

それは構わない。理由をつけて酒を飲むのと同じ。ただ、僕はそれらに興味がない。なぜ、それを祝うのか?が理解できない。納得できない。「だって、今日はクリスマスだから!」そもそもクリスマスを何で祝うの?仏教徒のあんたが?そして年始には神社?そう思うともう賛同できない。

高校時代もそうだった。英語を教える教師が英語を話せない。学校では英会話の授業がない。文法とリーダーだけ。それって意味あるの? 数学で微分積分、連立方程式。将来役に立つの?そう思うと真剣に勉強する気がなくなった。が、同級生たちは疑わず、嫌々ながら勉強していた。与えられたものは何でも受け入れる。

これって「今日はクリスマスだ!」とその意味を考えずにツリーを飾る日本人と同じ発想だろう。「英語の授業を始めま〜す」といわれても意味を考えずに従う。大学まで10年勉強しても基本的な英会話もできない。これは無意味だ。それと季節のイベントを重ねると、どちらも意味や背景を考えずに、受け入れて従う日本人が見える。

オリンピックといえば「がんばれ!ニッポン」とテレビにかじりつく。国民は567で自粛させれてるのに、なぜ、選手だけは試合ができるの? 演劇やコンサート中止でなぜオリンピックはいいの? なのに「選手に励まされた!開催してよかった!」という人。馬鹿だね?僕らの税金だよ。バッハがどういう奴か今回分かったよね?

オリンピックは利権。金儲け。その税金を自粛中の居酒屋に配る。仕事無くした人に上げる。その方がよほど有益。なのに「オリンピックで励まされた!」バカすぎる。でも、その下地が日頃の季節のイベントや学校教育でできている。深く考えることができず、上から与えられれば何でも受け入れる。奴隷と同じ?支配者にとって都合のいい国民なのだ。

これまではそれでよかった。クリスマス商戦で、バレンタインデー(これも菓子メーカーの陰謀)で儲ける企業。年始年末には寺や神社が大儲け。それでも大きな問題はなかった。が、昨年のオリンピックは最悪。多くの人が気づいた。ただ「励まされた」という人たちが50%ほどいたようだ。誘導され、利用されていることに気づかない。

そんな中「我々がオリンピックを呼び。我々はそれを楽しんだ」と印象操作する映画監督もいる。それを庇う国営放送?NHK。いやいや、それ以前に「マスク着用!」「枠店、打とう!」という新しいイベントが日本では流行っている。ウイルスはマスクを通り抜けるんだよね? 枠店打っても感染するよね?無意味なそれらを他人に強制する人たち。もう戦中と同じ。あの頃「竹槍では米兵に勝てない」という疑問を持たなかった。今は情報があるのに理解しない。戦中以下かもしれない。

捻くれ者なので、そんなことを考えている。こうして一般の人とは生活するのが難しくなる。それでも理解できないこと。無意味なことに同調はできない。


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感情的批判をする人は誘導されやすい? [my opinion]

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感情的批判をする人は誘導されやすい?

FBでもTwitterでも石原慎太郎批判が数多く見られる。それに反論するつもりはない。それ以前に石原のことを詳しくは知らない。作家で、議員で、問題発言を多く、裕次郎の兄ということくらい。あと、先に選挙で落ちた息子がいること。もう一人はお天気お兄さんだということしか知らない。が、多くの人のコメントを見ていて気になることがあった。

ヘイトスピーチ、人権侵害、差別主義者。その種の発言を指摘する声が多い。批判というより「嫌い!」「許せない!」「悼む気にならない」「虫唾が走る」というものばかり。石原の議員時代、都政の政策について批判するものはほとんど見られない。つまり政治家としてより、人間として許せないというものなのだろう。そして、その種の差別発言をする人間を現代人はとても嫌う、憤りを感じるものなのだと痛感。

もちろん、差別や人権侵害は許されない。が、それは政治家以前の問題。では、政治家としての石原はどうだったのか? 新銀行問題に触れる意見が少しあったが、その他の政策について批判する声は非常に少ない。つまり、政治家としての手腕より、差別する奴は許せん!という人として容認できない「怒り」を持つ人が多いということだろう。

これは以前にも書いたが「憎しみ」「怒り」に駆られる人たちは誘導されやすい。「恐怖」や「不安」と同じく、コントロールしやすい感情なのだ。真珠湾攻撃の後、アメリカは「卑怯者のジャップを許すな」「リメンバーパールハーバー」と声を上げ国民を誘導した。ベトナムでも、湾岸戦争でも同じ手法で戦争を始めた。

カダフィやフセインを悪の枢軸として批判し、世界の敵に仕立て上げた。アメリカが正義となり、彼らを悪とした。そうして戦争の口実を作った。同じようにマスコミが揃って「差別主義者」「民主主義を破壊した」と糾弾した政治家がアメリカにいた。が、調べると、そんな事実はない。別の話を捻じ曲げ、脚色して差別主義者に祭り上げていた。そんなマスコミに誘導され、多くの日本人もバッシングを続けた。

その時に誘導されなかった人が僕のFB友達には多い。原発推進の誘導に乗らず、先のアメリカ人政治家の話にも惑わされず、567疑惑にも引っ掛からなかった人たち。でも、石原慎太郎を感情的に批判している。ただ、今回の場合、彼が差別発言をしたことは事実。先のアメリカ人とは違う。にしても政治家としての問題ではなく、差別、人権の部分のみを感情的に批判するのは危ういものを感じる。

567、枠てんの罠にかからなかったとしても、また「彼は差別主義者だ!」と誰かが叫べば乗せられてしまう可能性がないとは言えない。最近、その手法を使いイメージダウンを計ったのが維新。菅直人の批判に「ヘイトスピーチだ」などと因縁をつけた。が、あっさり返り討ちに合った。でも、ヘイトスピーチ、差別主義者というレッテルを貼り、印象操作をする輩はこれからも出てくるのだろう。

そんな中、リテラシーある人たちが石原を感情的に批判するだけという光景を見ていると、なんだか引っかかってしまう。批判というより憎しみを感じる。誘導されやすいタイプだと思える。などと書くと「お前は石原信者か!」とか言ってくる困ったちゃんが必ず出るので面倒。多くの人が批判した場合。一緒に批判しないと、その人をも敵視して攻撃する。これも同調圧力。村社会ルールだ。

この種の意見は発言が難しい。が、大切なのは冷静に、客観的に、物事を見ること。好き嫌いで見ないこと。何より感情的にならないこと。それを忘れないようにしたい。


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