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21世紀を生き延びるのに必要なこと。健康だけではない。新しいことを受け入れられるか?そこが大事。 [my opinion]


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若い頃。友人がいいことを言った。

「20代までは新しいことをすぐに受け入れる。
 30代になると努力が必要になる。
 40代になると拒否し始める。
 50代になると怒り出す」

これ名言だと思う。脳が次第に老化していく様を表している。記憶力もそうだが、新しい習慣、新しい機械、新しい価値観を受け入れらるか?をそれぞれの世代がどう反応するか?も分かる。

CDが登場した時に、僕は20代後半。友人にはCDを嫌い。レコードに固執する友人がいた。早くも新しいものに対する拒否感を持ったのだろう。90年代に入りパソコンが普及。この時も会社のベテランたちが「あんなものはなくても、仕事はできる!」と反発した話をよく聞いた。

Eメールができず、50代の社員が20代に教えてもらうと言う風景もよく見た。僕が30代の頃。シナリオを書き売り込みに行くと、40代以上のPは「詰まらない!」と言うより「よく分からない」と言った。バカではない。映画界で働く第1線のPだ。今なら理由は分かる。

僕のシナリオはSF。当時、日本ではSFはマイナー。子供向けだと思われていた。アメリカでは「スターウォーズ」「ターミネーター」「マッドマックス」と言う映画が大ヒット。SFが主流だったが、日本の40代以上は受け入れることができなかった。もちろん、新しいものを脳が受け付けないのだ。実践したのは大林宣彦監督くらい。

30代前半の若手は理解してくれたが、上が理解できない。「日本でSFは無理ですよ」とさえ言われた。それから30年。今や日本でもSFは主流。タイムスリップもオーケー。「シグナル」だってSFだ。ようやく、そんな時代が来たが、僕も50代。先の格言で言うと「新しいものと出会うと怒り出す」世代。かなりやばい。

編集ソフトを使うのはかなり苦労している。若者のようにすぐに覚えられない。カメラもそう。若いスタッフに教えてもらう。PCもどうにか使っている程度。どのソフトも完全に使いこなせてはいない。

昔は、20代までで覚えたことが、定年まで活用できた。年上の人は若者より知識があった。が、今は違う。年取るほどのダメ。新しいツールを使えない。機械だけでなく、価値観や生活スタイルも変わっているのに、同世代は未だにテレビを見て、新聞を読んで世間を理解した気分になっている。

YouTubeで動画を見る者は少ない。レコードが売れてると聞くと「やはり、いいものは変わらない」と懐古趣味に浸る。NetflixやAmazonプライムを見る同級生はほとんどいない。今もTSUTAYAに行くらしい。なるほど、新しいものが受け入れられないだけでなく、怒りすら感じるのだろう。僕は仕事柄、無理して受け入れるが、次第に同世代とは話が合わなくなってきた。

健康や体力が大切と言うことでジョギングをする年配者は多い。が、頭の方を気にする人はまだまだ少ない。特に男性はアウト。21世紀を生き延びるために必要なのは、体力だけでなく、新しいものを受け入れ、理解する力も大事。そう考えると、日本の政治家。多くがアウトであることも分かる。不況になると公共工事ーいつの時代の話と思える。


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「些細なことが気になる困った性格」を振り返る? [my opinion]

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昔バイト先で「男のくせに細かいのよ!」と中年女性の店長から言われたことがある。だが、細かいことが気になる性格だから、のちに映画の仕事に就けたのだ。監督業は細かいことにこだわる仕事。また、その店長は自分の小さなミスを男性に指摘されたのが悔しかったようだ。「男は黙ってサッポロビール」?であるべき!という古い価値観を持つ人だったのだろう。

ただ、本来なら相手は店長だし「はいはい」と言っておけばいいのに、その女性の心理を分析してしまう。「なぜ、店長のミスを指摘したことで僕を批判するのか? それもー男のくせにーと性別で批判。なぜか? 自分が多少ミスしても女性なのだから、男性は笑って受け止めるべきだ。という男性に対する甘えがある。古い価値観、男は大らかで、細かいことをいうべきではない。という古い発想をするのだろう」とか考えてしまう。

昔からそんな風に「え?」と思うと、「まあ、いいや」とは考えず、理由を考えてしまう。その人の心理を分析する。同世代の友達は子供時代は「なんで?なんで?」と疑問を持つたびに大人に質問していたが、高校時代くらいからは理由の分からない理不尽があっても「世の中、こんなもんだよ」と疑問や憤りを持たず、納得するようになった。これも考えた。

大人になると理不尽なことがあっても、個人レベルで解決できないことが多い。学校、会社、国。大きな組織が理不尽を行っていても個人は対応できない。だから、友人たちは諦め、受け入れ、世の中そんなもんだと考える。そして、なぜ理不尽が行われるか?を分析しようとはせず「考えても無駄!」と考える。それがどうやら高校生くらいから始まるようだ。そんな人が30歳を超え、50歳を超えたら余計に「考える」作業をしなくなる。本人は「俺だって考えるよ」とはいうが、「夕飯は何を食べようかな?」というレベルの「考える」。

でも、僕は諦めたくない。些細なことでも、気になることは考えてしまう。答えを見つけたいのだ。そのために嫌な思いをするし、血圧も上がる。が、背景を理由を動機を知りたくなる。そこから解決の糸口が掴めるかもしれない。理不尽を押し返せるかもしれない!そんな性格だから映画業界が向いていたのだろう。

旅客機がWTCビルに突っ込んだ。ビル倒壊?何で倒壊したのか?と気になる。調べると飛行機の機体を作る金属は柔らかく、ビルの支柱となる鋼鉄を砕くことはできない。つまりビル内に飛行機が入り込むことはない。正面で砕け散る。でも、ニュース映像はそうではない(やっぱCGね!)そんな風にあれこれ考えてしまう。原発も、沖縄戦も、同じようなきっかけで興味を持った。それを映画にした。

何年も考える。時間があれば調べる。人に聞く。そうすると、いつか答えが見つかる。ただ、そこまでする人は少ない。「お前、変わっているな〜」と昔から言われるが「些細なことが気になる困った性格なのだ」ただ、映画業界には向いていたようだ。



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20%の新しさを人は称賛するが、それを超えると拒絶?理解不能になる [my opinion]

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人の許容範囲。80年代、僕は映画学校で学んでいた。高校時代なら映画のポスターを見ると「おう、こんな映画が公開されるのか!」と感じるだけだったが、その頃になると、監督や俳優の記載だけでなく、配給やずらいどこなのか? あと、デザイン。コピー等も気になるようになった。

東横線の駅には渋谷の映画館で上映中の作品。ポスターが貼られていた。そんな中の1枚。何度も何度もデザインは目にしていたのに、それが映画のポスターだと気づかないものがあった。海外でも評価される監督。当然、僕は名前を知っているし、その作品も数年前から制作されていることを聞いていた。エキストラ出演した友人もいる。でも、その映画だと気づかなかった。

なぜか?その両隣の映画は認識していたのに? その映画ポスターのデザインがあまりにもアバンギャルドだったからだ。通常、映画のポスターのメインビジュアルは主演俳優。銃を構えていればアクションもの。涙していればラブストーリーや青春もの。そのパターンは今も同じだ。
車が弾けていればカーチェイスがある。野球やサッカーも衣装で分かる。そしてキャッチコピー。タイトルは大きめに上か下。

なのに、そのポスターはそれらの定義を全て無視。全体に意味不明のイラスト。赤と黒のイメージ。俳優の写真もない。映画のポスターとはとても思えない。拳銃も、車も、スポーツの衣装もない。まあ、そんなジャンルではないのだが、とにかく映画と分からない。と言ってスキーや観光のポスターでないのも分かる。当時、パルコの宣伝がwアレンやcベリーを使った斬新なもの(意味不明とも言える)が多く、話題を呼んだが、それに近い感じ?

あるいは美術展の宣伝?と言う感じだったが、よく注意してみると*月*日公開 ***監督作品と書かれていて、あー映画だ!と気付いたのだ。その間、数週間。さて、この事件をどう解釈するか? 当時、映画学校のシナリオ授業では講師がよく言った。「新しさがない!」「オリジナリティがない」なので、その辺が大事と思っていた。が、ポスターの場合。主演俳優の顔写真なし、拳銃なし、車なし、青春なし。意味不明のイラストはとても斬新なのだが、それでは映画ポスターと認識されない。

つまり、新し過ぎてもダメなのだ。結論から言うと、映画ポスターは20%くらいの新しさで、あとは従来の定義を踏まないと、斬新でも、人々が映画ポスターとして認知してくれないのだ。要は30%40%と新しいものを人は受け入れづらい。50%を超えるともう拒絶。認識してもらえない。業界でもよく「新しさ」と言われるが、その比率はせいぜい20%くらいなのだろう。


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常に疑え、自分が正しいと思うな。時代を生き延びる条件はそれだ。 [my opinion]

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「僕のFacebook友達はレベルが高い!」と思っていたが、そうでもないようだ。ここしばらく、コメント欄を見ていると、誘導されている人、印象操作に引っかかてる人。狭い視野で分かった気になっている人。結構いることに気づく。

マスクのこと。戦争のこと。アメリカのこと。もっと疑った方がいい。いい大人が整合性も論理性もないコメント。読んでいて辛い。一見、広い視野で意見を書いてるように見えるが、中身ゼロもよくある。ただ、厳しく言えないのは、日本人のほとんどは「考える力」を育む教育を受けていない。与えられたことしかできない。だから、意見を言ってるつもりで、ニュースキャスターの受け売りをしているだけの人も多い。レベル低いのが当然かも?

僕も偉そうなことは言えない。勉強を始めたのは原発事故から。そして沖縄戦でさらに学んだ。両方とも背景は同じ。そんな機会があって、いろんな人から情報ももらうので、かなり謎が解けた。ラッキーなだけかも?だから、そのことをかなり記事にして来た。その手の話題に興味を持つ人が友達申請をくれたと思っていた。が、そうでもないようだ。特に年配の男性のレベルが低い。「####は分かってないな!」とか上から目線で特定の人を批判しているが、「分かってないのは、あんたやでー」上から目線の人ほど分かってないことが多い。

まず、自分の意見を疑え、正しいのは自分でなく、相手かもしれないと考えること。ま、「お前もな」と言われそうだが、その通りだ。目の前の現実を疑え、背景を考えろ。誘導されてはいけない。時代を超えるためには、それが必要だ。



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日本人はなぜテレビを見なくなったのか?=局の怠慢、慢心。没落するのが当然の背景? [my opinion]

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テレビは長らく大きな力を持って来たが、やはり、その立場にあぐらをかき努力を怠った。その間に時代は変わり、視聴者のニーズも変わる。にも関わらず今も昔と同じスタイルを変えようとしない。終焉を迎えるのも当然のだ。昔はその番組見たさに学校が終わったら飛んで帰る!と言うことがあった。が、仕事でどうしても帰れないと言うこともある。登場したのはビデオデッキ。タイマー録画できる。

これは視聴者側の努力。「その番組が見たい!」と言う強い思いがあった。しかし、テレビ局は安易な番組作りを始める。人気タレントを並べるだけ。似たようなドラマを繰り返し放送する。また、テレビというのは最大公約数的な番組が多い。多くの人が楽しめるもの=視聴率が取れる。が、2000年代に入り趣味嗜好の多様化が進む。

例えばスポーツ。昔は野球だけで皆、喜んだ。それがサッカーがブームになる。プロレスも多様化し、全日本と新日本だけではなくなった。誰もが喜ぶ番組というのがなくなり、小さなサークルがたくさん出来て行った。ドラマでも昔は木村拓哉や中山美穂が出れば視聴率が取れたが、今は誰が出たからと番組を見るということが減っている。

そんな趣味の多様化にテレビというメディは対応出来なくなって行く。それにも関わらず人気俳優に依存するドラマ。人気タレントにお任せのバラエティ。クオリティはどんどん下がって行く。趣味の多様化にも対応できない。多くが見たい!と思うもの自体が存在しなくなる。高視聴率が取れないのも当然。

そのことで細分化に対応できるCATVや衛星放送が登場する。時代劇専門、日本映画専門、スポーツ専門、科学番組専門、どれも昔のテレビのような視聴率は取れない。が、様々な趣味の人たち、小さなグループには支持された。こうして従来の番組から離れて行く。

そして視聴者はタイマー録画するほどの番組がないことに気づく。また、オンタイムで見れない番組を録画して見れること。80年代は便利!と感じたが、次第に面倒になる。新聞で見たい番組を探し、日時をセットする。あとで気づいても、もう見れない。

昔なら「仕方ない」だったが、現代人は忙しい。朝から晩まで安い賃金で働く。土日も仕事ということがある。新聞を読む暇もない。テレビガイドを買うのももったいない。そんな人たちに「番組を見たければ毎日、新聞をチェックして、タイマー録画しな!」というのがテレビ局側の姿勢。しかし、町では買い物したい時に買い物ができる真夜中も営業するスーパーやコンビニがある。銀行のATMだって今は24時間引き出せる。なぜ、テレビだけが視聴者が局の姿勢に合わせて、努力せねばならないのか?

局の怠慢。何を放送しても高視聴率を取っていた頃のスタイルを変えず、努力を怠っているということ。その上、番組レベルも下がっている。そんな時に登場したのがamazonやNETFelixだ。見たい時に、見たい番組が、どこでも見れる。スマホやiPadでもOK。電車の中でも見れる。様々なジャンルの番組がある。テレビでは放送されていない面白いドラマ。現代の日本人事情に対応。金を払っても見たいと思う。

こうして地上波のテレビは無料でも見たくない。録画してまで見ないということになる。シンプルにテレビ局の怠慢、慢心だ。この20年の生活スタイルの変化にも対応せず、番組レベルの向上にも努めず。タレントに頼り、大きな圧力には屈して、視聴者よりスポンサーにばかり顔が向いていたこと。それが不要のメディアにしてしまったのだ。

さらにYouTubeの台頭。「報道ステ」よりユーチューバーNEWSの方が面白い。そして、視聴者は何が事実で何がデマなのか?を考えながら見るようなる。その意味でもテレビはもう見る価値がないと言える。いつの時代も努力しない者は淘汰される。



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カテゴリー分けしたがる日本人=なぜ、自分の目で見て判断しないのか? [my opinion]

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カテゴリー分けしたがる日本人=なぜ、自分の目で見て判断しないのか?

ある地方のラジオ番組に出た時、こう聞かれた。「監督はどちらの出身ですか?」「その質問、絶対に盛りませんよ」捻くれ者の僕はそう答えた。でも、DJは聞きたがるので「和歌山県です」と答えた。すると和歌山について質問を始めるのが「よく知りません...」と答えるしかない。そうなんだ。幼い頃に数年住んでいただけで、他の街の方が長い...。「ほら、盛り上がらないでしょう?」というとDJさん困っていた。なんと意地悪なゲストだ〜!

人は生まれた街で育つ、思い出を作ると、彼は思ったのだろう。だから、故郷について訊いた。が、僕は例外。和歌山生まれだが、親の仕事の都合で関西を転々とした。そして、どこの街に住んでも「お前は変わっている!」と言われた。その後、横浜の映画学校に進学。クラスメートに言われた。「関西人は変わっている」

その後、LA留学。こういうアメリカ人がいた。「日本人は変わっているなあ」結局、どこへ行っても変わり者(ただ、アメリカ人はカテゴリー分けする人は少ない。人は皆、違うと思っている)それを皆、「関西人だ」「日本人だ」というカテゴリー分けしたがるが、どの街でもどの国でも「変わり者」と言われた。関西人だから日本人だから変わっている訳ではない。そもそもが「変人」なのだ。

なぜ、人はカテゴリー分けしたがるのか?政権を批判したら「左翼」、アニメが好きなら「オタク」、何で分けたがるのか?「ブルーカラー」「ホワイトカラー」「落ちこぼれ」「反日」「アベガー」本当に下らない。昨年の夏、れいわ 新選組が2議席を獲得。話題になった時も、ある雑誌がこんな見出しをつけた

「左派ポピュリズムの台頭」ーはあ?何それ? 何でそんな分け方するの?「山本太郎のれいわ が2議席獲得」でいいだろう?あんたは昆虫学者か!その理由。あることで気づいた。多くの日本人は「考える力」が弱い。分類してあげないと分からない。自分の目で見て、その人を理解し把握することができない。

昔のドラマでいえば「正義の味方」「悪い奴」という分け方。時代劇なら「正義の侍」と「悪代官」ー今の時代、もうそんなドラマは存在しない。なのに現実社会では未だにカテゴリー分けしている。従来の分け方では分類できない人物や事象が次々に出てくるのに、分けたがる。「考える力」を育てる教育をしていないこの国では、そうやって分類してあげないと理解できない人が多いのだろう。

それをレッテル化して悪用する人たちもいる。アニメーションを見ていたら「オタク」。政権を批判したら「左翼」「反日」。少し前は原発に反対すると「プロ市民」とも言われた。戦時中の「非国民」「売国奴」と同じ。レッテルを貼って貶めたいのだ。「一流大学卒」=「賢い」「関西人」=「面白い人」というのも同じ。関西人でも面白くない人もいる。一流卒でもバカがいる。

そんな分類をしている人は「考える力」がない人だということにも気づく。理解力があればカテゴリー分けせずに、自分の目で見て判断できる。それができない人がマスコミ、政府等に誘導されてやすい。現実を把握できないことが多い。今、日本人に一番必要なのはやはり「考える力」なのではないか? ところで最近は「映画監督」という肩書があるので、こう言われる「映画監督って変わってるな」ーはい。それは正解。常識あると出来ない仕事なので!


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なぜ、人はレッテル貼りを貼りたがるのか?ー=彼らのが抱えるコンプレックスとは? [my opinion]

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なぜ、人はレッテル貼りを貼りたがるのか?ー=「左翼」「反日」彼らのが抱えるコンプレックスとは?

こんなことを言う人がいる。「あいつは右だ」「**は左翼だ」「***はオタクだ」「**は活動家だ」「**は共産主義者だ」とすぐにレッテルを貼りたがる。以前にも記事にしたが、カテゴリー分けをするのは「考える力」がない人が多い。自分で見て考えて把握する力がないから、すでに言われているカテゴリーに嵌めて理解しようとする。もしかすると、大学受験でマークシートになって、三択問題が増えたことの影響かもしれない。

自分で枠組みを考えず、すでにあるものに当てはめる。昔は「非国民」「売国奴」「アカ」と言うのがあった。戦争に疑問を持つだけでも、それらレッテルを貼り批判する。蔑む。本当に酷い話だが、その手法はとても効果的なのだ。「あいつは戦争を反対している。日本は間違っていると言うとんでもない奴だ」と説明すると長くなる。それを「あいつは非国民だ」「あいつはアカだ」と言うと簡単に伝わる。

聞いた方も「えーそうなの!」「関わらないようにしよう」と思ってしまう。それを「どんなタイプの非国民なの?」「どんな主張をするアカなの?」と聞く人はいない。とにかく「非国民」「アカ」と言われる人とは関わらない。でないと仲間だと思われてバッシングされる。学校のイジメと同じで、イジめる側に回らないとイジメられる。非国民、アカと呼ばれないように注意。自身が潔白であることを示すために、その種の人を嫌い、蔑むように勤める。戦争推進するための手法なのだ。

同じ構図が今もある。安倍批判をすると「左翼だ」とか「左」とか言う人達がいる。「安倍を批判する人」「安倍が嫌いな人」でいいじゃないか? でも、レッテルを貼ることで貶め、印象を悪くするのが狙い。最近では「パヨク」とか「反日」とか言う輩もいる。が、本当に気持ち悪い。これらレッテルを貼ることで、戦時中と同じように、バッシングされないように、安倍批判を控えるようにするためだ。安倍支持者に取っては有効な手法なのだ。ま、褒められたものではないが。

安倍支持で反対派にあれこれイチャモンを付ける人たちは「ネトウヨ」と呼ばれる。「ネット右翼」の略だが、本当の右翼ではない。この呼び名も感心できない。「安倍を支持する人」でもいいと思うのだが、ネット上でヤブ蚊のようにやって来て、執拗に批判、罵倒、中傷する人達。気持ち悪い。単に「安倍を支持する人」ではないので、ネーミングがないと、第三者に伝えにくいものはある。まさに「ネトウヨ」なのだが、感心できるカテゴリー名ではない。

僕も経験があるが、原発事故の映画を作ると「左翼監督」と言う奴がいた。大統領選を記事にすると「ネトウヨに転向?」「陰謀論者!」と言うやつがいる。極々僅かだが、そんなにカテゴリー分けしたいなら動物学者になり「これはイヌ科。こちらはネコ科」と分ける仕事をすればいいと思える。ただ、そこから見えてくるもの。その種のカテゴリー分けをする人たち。総じて頭が悪い!あ、失礼。

「考える力」がない。自分で見て考えて独自の把握する力がない。すでにあるカテゴリーに嵌めないと理解できない人達なのだ。「陰謀論」を代表として、レッテルを貼ることで、あれこれ考えなくて済む。頭を使わなくて済む便利なもの。それでいて「やーい、左翼のバカ〜」「陰謀論なんてないんだよ〜」とか上から目線で、優越感に浸れると言う特典?がある。

元々がバカなので、失礼。考える力がなく、他人から評価されることの少ない人たちなので、どこかで上に立ちたい。バカにされるのではなく、人をバカにする側に廻りたいと言う願望がある。その種の人たちにとってレッテル貼りというのはとても便利、楽していい気分になれるものなのだ。

先にも書いたが戦争が始めると、その種のレッテルを国は多用し、国民同士が監視しあう環境を作る。安倍政権が批判をかわすためにやったのも同じ手法だ。そしてケネディ暗殺事件のとき。オズワルドを犯人にするため。他の説を潰すためにCIAが作った言葉が「陰謀論」である。それは日本でも浸透。「考える力」がない人たちに愛用されている。だね?



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服装に騙される日本人。中身や政策を判断する力がないから? [my opinion]

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服装に騙される日本人。中身や政策を判断する力がないから?

政権に問題がある!という話は何年も書き続けてきた。が、コロナ禍で、もう一つの問題を強く感じている。政権がアホなだけでなく、国民もアホなのだということ。先に書いた記事。田舎のおじさんが映画監督に対して「スーツにネクタイでないと信用されない」と言った記事が好評だった。格好だけで判断する人が多く、同じように呆れた思いをした人が多かったのだと思う。

映画監督なんて、よほどの場合でないとスーツなんて着ない。表現者は「縛られたくない!」という思いも強い。もし、スーツ姿で「私は映画監督です」と言って来たら怪しいと思った方がいい。だが、その町ではスーツを着て来た別の映画人には4000万円も出資してしまった。結果は騙されたような形。なんで服装や肩書きだけで?と思ったが、実はそれに左右される日本人は多いことを思い出す。

災害時。政府の会見では歴代総理。皆、作業服を着ている。中にはヘルメットまで被っていた人もいた。最近ではシャベルを持っていた人も! あんたが被災地で作業する訳じゃないでしょう?と思う。そもそも国会内での会見に作業服やヘルメット。シャベルが必要なのか? マットーに考えればおかしい! それが慣習化しているのは、その会見を見た視聴者。つまり国民に評判がいいからだろう。

「総理。やる気あるな!」と頼もしく思う。が、ちょっと考えれば、彼らは官邸で指示するだけ、災害が終わってから視察するだけ。会見でそんな服装をする必要はない。なのに、そう考える人は少数派で、多くが「やる気感じるなあ〜」と思うので、あのパフォーマンスは続いているのだろう。ということは、意味もないのに、服装を変えるだけでいかに多くが支持、信用してしまうか?

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先のスーツにネクタイと同じ。それだけで信頼。だから映画監督にまで「スーツで来い」という田舎のおじさんがいる。服装ではない。いかにその人が強い思いを持っているか? どんなプランを用意しているのか? そちらが大事だが、それを聞いて判断する力がない。だから、ちゃんとした服装なら、ちゃんとした人だと思ってしまう。スーツにネクタイで来られるとコロッと騙され大金を出してしまう。それが多くの日本人。だから、総理は災害になると作業服で会見するのだろう。



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あなたも真実を見抜ける。ジャーナリストでなくても大丈夫! [my opinion]

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あなたも真実を見抜ける。ジャーナリストでなくても大丈夫!

DS、トランプ、あの総理とヤバイ話を続けて書いた。と言っても、僕が調査して調べた話ではない。そしてネットで拾った話でもない。事情通の知人から聞いた話。さらに別のジャーナリストから補足してもらった情報を精査し自分なりにまとめている。アップすると、すぐに「いいね」が来るが、この種の記事はすぐにコメントは付かない。きっと「マジかよ〜」「この監督、頭おかしいんじゃーねーのー?」とか思うのだろう。

あるいは「これ絶対に本当の話と思うけど、コメントでそう書くと、お前も陰謀論者か!と言われそうだからな〜」と不安になって書けない。誰かが賛同コメントをすると、続けてコメントが書き込まれる。皆、不安なのだろう。この手の記事でよく言われるのは「だったら、証拠を出せよ!」という批判。が、裁判をしている訳ではない。こちらも一般人。捜査権がある訳でもなく、鑑識に調べてもらうこともできない。だが、報道されている情報を精査。矛盾点や疑問点をあげる。そこに情報通から得たものと比較。整合性、合理性、を考えるだけでも、かなり事実に近づけると思える。

分かりやすいのは「トランプは戦争屋だ!」という批判。しかし、彼は4年の人気を終えようとしているが戦争を未だにしていない。そんな大統領は近年存在しない。その事実からも彼は「戦争屋」と言えないのでは?ということが導き出せる。「けど、空爆してんだろ!」という人もいるだろう。だが、オバマと比較すれば、どれだけ少ないか?分かる。そして、その種の批判をする人の多くは見た目だけで判断している。

オバマは細身で真面目そうな顔立ち。平和主義者と言われる。トランプは見るからに悪人顔。不動産で金儲けをした不届き者。けれどもオバマの方が空爆の量は圧倒的なのだ。在任中にDS(軍産複合体)を儲けさせなければならないからだ。それをしないで来たトランプ。DSの皆様がご不満ではないか? そんなことができるということは、彼はDS配下ではないということ。

それなら排除されそうなものだ。が、大統領を続けているというのは、強力なバックがいる? 当然それは反DSとなる。ということはトランプはDSと敵対している?と解釈できる。敵対するということは「戦争で金儲けはしない」ということ。となると北朝鮮と戦争しなかったのも頷ける。そうなると目的は? 別にジャーナリストでなくても、ここまで推理することはできる。

そんな風に情報通の知人が教えてくれた話を精査。それが本当かデマかを分析し、他からの情報とも照合。比較して矛盾がなければ信ぴょう性は高いということが言える。それを記事にして書いたのが、ここ数日のものだ。怪しい記事というのは、出所を書かない。自分で調べたのか? マスコミ情報か? ネット情報か? それすら書いておらず「トランプは***である」と断定するものは信用しずらい。難しいのは、その手の記事でも疑わずに鵜呑みにする人が多いこと。逆に情報を精査して記事にしても「陰謀論好きだね〜」としか言えない人も多い。

ただ、言えるのはジャーナリストでなくても真実に近づくことはできる。いろんな角度から物事を見て、比較、照合、精査、すればある程度は分かる。これだけメディアが発達しても、ほとんどが嘘である時代。自分の目で見て、聞いて、調べて、事実を見極めてほしい。


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なぜ、人はレッテルを貼りたがるのか?=政府にとって都合がいい! [my opinion]

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なぜ、人はレッテルを貼りたがるのか?=政府にとって都合がいい!

「あの人は左翼だ」「あいつは反日だ」とかいう人がいる。所謂、レッテル貼りだ。「左翼」とか「右翼」とか、そんな分類をしてどうなるのか?と思える。なぜ、そんなことをしたがるのだろう?

これも「考える力」が育っていないからだろう。日本の教育は「与えられたことを確実にする」力を伸ばすだけのもの。自分で考えて判断する力は育てない。特に今のような複雑に入り組んだ時代には、その人を、その団体をどういうものであるか?を把握するのが難しい。そこで「左だ」「右だ」「反日だ」と聞くことで、「ああ、そういう人なんだ」と考える。それが簡単だから。

「落ちこぼれ」「オタク」「マニア」もその種のレッテルだ。そんな「レッテル貼りはしないでください」というどこかの国の総理がいるが、その政府こそが、ある種の人たちを使い、レッテル貼りをして国民を誘導しようとしている。政府に批判的な人たちを「反日」ーそもそもは日本に批判的な国を反日と言ったのを自国民に当てはまるのはおかしいが、そのことで「政府」=「日本」というイメージをも伝えている。

同じく政府に批判的な人たちを「左翼」と呼ぶ風潮。これは昔、共産主義者を「アカ」と呼んだのと同様。悪いイメージを作り上げるためだ。戦時中は「非国民」という言い方もした。戦争に反対する人たちのことだ。「戦争反対主義者」とは呼ばない。非国民ー国民にあらずというのだ。そんなレッテルを貼り、弾圧、迫害した。今もそうやって批判的な人たちを封じ込めるために、レッテル張りが復活したのだろう。

考える力がないから、レッテルを貼られた人たちを安易に「おかしな人」「危険な人」と考える。政府も考える力のない国民だから、レッテル貼りを利用して、批判的な人は問題ある人だと思わせようとする。とても有効なやり方であり、本当はどういう考えの人か? 何を求めているのか?を想像させず、「左」=「危険」「反日」=「過激」というイメージを持たせるのが目的。ここでも「考える力」が育っていない日本国民は便利な存在となっている。


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