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山本太郎バッシング=「れいわ」躍進に対する野党の怯えが原因? [都知事選 2020]

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山本太郎バッシング=「れいわ」躍進に対する野党の怯えが原因?

都知事選が終わっても、山本太郎、れいわ新選組への批判が続いている。なぜだろう? 小池百合子が大勝したが、次点は宇都宮さんで正当な評価がなされたし、おかしな人たちは順位低い。太郎さんは3位であり、敵対勢力からすると「ザマーミロ!」で満足ではないか?

なのに、あれこれ批判を続ける人がいる。実は決して多くはないのだけど、狭い世界で問題を探して批判を続けている人たちがいるとのこと。その尻馬に乗って、野党関係者までTwitter等で批判を始めた。共闘を断った腹いせか? でも、自分たちが応援した候補は太郎さんを超える票を集め次点。「れいわに勝った!」とも言える結果が出た今、あれこれ批判する必要はもうない。なのになぜ?この状態から見えて来ることがある。票数を思い出そう。

小池百合子 自民+公明   =360万
宇都宮健児 野党(ほぼ)共闘=80万
山本太郎  れいわ     =65万
小野泰輔 維新        =61万

これなら野党チームは、太郎を怖れる必要はない。次に野党共闘チームの参加団体を見てみよう。日本共産党、立憲民主党、社民党、新社会党、緑の党。あと国民民主党は自主投票。数えると5団体。80万の票を団体数で割ると1団体は16万票。さらに宇都宮さんはこれまでに90万票台を取っていたのに10万票も下がったのは、共闘が原因?とも解釈できる。さあ、見えてきたねえ〜。

対して山本太郎のれいわ新選組は1党で65万票。共闘チームは1団体16万。れいわより少ない。つまり立憲VSれいわ、共産VSれいわで勝負すれば全く勝ち目がないということ。「れいわ」の方が支持されていることが証明されたのだ。「これはマズイ!」と思った野党の皆さん。そんなところに一部の人たちが太郎攻撃を始めた。「これはチャンス」と野党チームも便乗。太郎叩きを始めた。というのが現在の状況だろう。

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このところ「れいわ」の政策「消費税ゼロ」を理解し賛同していたのが共産党。かなりイメージがよくなっていた。なのに志位と小池(都知事でない方)までがTwitterで批判を始めた。太郎はそもそも議員ではない。自民党批判なら分かるが、小さな新しい他党の人事や事件を党の大御所が批判するのは、どういうことなのか? おまけに彼らのツイートには共通する言葉がある。

志位和夫「言語道断、絶対に許されない発言だと思う。公党としてケジメある対応が必要だと思います」

小池 晃「言語道断。政党としてのけじめが求められます」

どちらも「言語道断」という言葉を使い「けじめ」を求めている。共産党としての意見をまとめたと解釈できる。つまり公式の主張だ。「太郎、辞めろ」「れいわ、解党しろ」と言っているのだ。野党共闘を断り、その力を借りなくても善戦、1党単位では他の野党を凌いでいる。そんな「れいわ」が邪魔な存在と感じているのではないか?いや、脅威だと思っているのだろう。

ここで代表が「他党内部のことをあれこれ批判するべきではない」とかコメントすれば共産党の株がさらに上がっただろうに、他党に対して野次馬のような発言する政党だったのか?と思えてしまう。少なくても近年、僕は共産党を見直し、評価していた。昔とは違う!と感じていたが、何も変わっていなかったのだろう。立憲も同様。昨日、記事にした。こちらはトップがあの方だから驚きはないが、こんな発言

「山本氏は総会で大西氏だけを処分し、自ら代表を辞任しないで、反省の弁を述べるにとどめたなら、支持者を裏切る結果につながるでしょう」(立民の参院議員)

まあ、東スポの記事だから当てにはならないが、立憲の議員なら言いそうなこと。これらから言えるのは「恐るべし、れいわ新選組! 山本太郎は脅威だ。今のうちに潰さないと俺たちがやられてしまう!」という恐怖の現れだと思える。政策や主張で戦わず、事件やトラブルを利用して叩く。党の代表自ら批判ツイート。野党が政権取れない理由を実感。それが太郎バッシングの背景だと思えてしまう。もちろん他の側面もあるが、それは別の機会に考える。



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今回の都知事選。これを同じ構図ではないか?答えを探し読んでみる。 [都知事選 2020]


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今回の都知事選。

これを同じ構図ではないか?

答えを探し読んでみる。




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都民は自分たちのレベルに相応しい知事を選んだのかもしれない? [都知事選 2020]

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都民は自分たちのレベルに相応しい知事を選んだのかもしれない?

都知事選で感じた疑問。あれこれ状況を知りたくてTwitterやFacebook。いろんな人のものを読んだ。フェイクニュースも知りたくてメジャー新聞も確認した。いつもTwitterで鋭い意見を発信する人たちも今回、首を傾げる人が多かった中、ブレずに鋭い人とも言葉を交わし感じたことを傲慢に書いてみる。僕はジャーナリストではない。公正中立とか考えないのでよろしく!

まず、小池が知事に再選されたこと。その背景にはテレビ討論ができなかった。マスコミがオリンピック中止公約の候補のネガティブキャンペーンをした。テレビがスポンサーに気遣い、都知事選を報道したなかった等があったことは以前に書いた。もちろん、それらの理由以上に小池側が組織票を動員したことがある。ただ、一番、言えることは都民は圧倒的にアホが多いということではないか?

分かりやすく乱暴に言うと、都民がアホだから小池のような知事がちょうどいい。何もしないでパフォーマンスと横文字のフリップでやってる感出すだけの知事が相応しいのだろう。あの程度の芝居で支持すると言うことは都民もそのレベル。テレビ討論がなくても、ネットで調べればいくらでも街頭演説は見れる。公約もHPで確認できる。それをせずにテレビで知事選紹介しないから〜と言うのは、都民の努力不足ではないか? 

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候補者は努力しているのに(最初から勝つ気がない人もいたが)街頭演説、動画、チラシ、ポスター、ボランティアやスタッフも頑張った(利用しただけの政治団体も多かったが)。対して有権者は「テレビでやらない〜」「新聞読まない〜」「ネットする時間ない〜」「仕事忙しい〜」「誰がやっても同じ〜」と言う人が圧倒的。あるいは「小池さん。頑張ってるー」「横文字かっこいいー」「カイロ大学、凄いー」「テレビに毎日出てるー」と投票する。

努力しない都民に対しては、努力している振りしかしない知事が相応しいのではないか? そんな人たちのために山本太郎や宇都宮健児が知事になり、汗を流す価値があるのだろうか?と思えたりする。また、彼らの支持者でありながら、1番の敵である小池ではなく、互いの支持者を攻撃し合う人たちもいた。

候補者の話を聞き、公約を知り、応援している人たちの一部ですら、そんな状態。それが都民なんだ。と書くと「そんなことはありません!考えている人もたくさんいますよ〜!」と言うズレたコメントしてくる人がいるので書いておくが、もちろん都民全員がアホではない。鋭く世情を感じ取り、問題は何か?に気づいている人もいた。が、多数ではなかった。多数いれば小池は勝たない。その意味で、都民レベルに合った知事を都民は選んだのだろう。

となると、次なる疑問が出てくる。「忙しくてネットみる暇ないー」と言ってた人もいるが、そんなはずはない。風呂で、トイレで、寝る前に5分。ネットをみることはできる。自分たちの生活がかかっている都知事選なのに、なぜ都民はそんな言い訳をして、努力しない努力をするのか? その背景には何があるのか? それを解明し、都民がアホを卒業しなければ、都民のための知事は今後も選べれないだろう。別の機会に考えたい。


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小池を選んだ都民と、こども食堂のクレーマーは同じ?=あたなも気づかぬ内に同類になっている! [都知事選 2020]

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小池を選んだ都民と、こども食堂のクレーマーは同じ?=あたなも気づかぬ内に同類になっている!

都知事選でテレビ討論が行われたないこと。その理由を考え記事にした。オリンピック・スポンサーの陰謀も考えた。が、その後、総括をしていて、ある友人に言われた。

「マスコミにも問題はある。でも、マスコミは商売。視聴者が何もせずに、あれすべきだ。これすべきだと言ってるだけ。マスコミを正義の味方と感じ違いしてるんじゃないか? 自分で調べろと言いたいな」

僕も原因追求に頭が行き忘れていたが、その通りだ。こんなのことを思い出す。コメントが来た。

「監督の映画。いつも楽しく見せてもらっています。新作も楽しみにしていたのですが、気が着いたら地元の映画館上映が終わっていました。とても残念です。ぜひ、もう一度、地元の映画館で上映してください。よろしくお願いします」

ファンの方だ。いつも見てくれるのは嬉しい。しかし、それなら新作の公開日はチェックするだろう。公式HP見ればいい。カレンダーに赤丸つければいい。僕のFacebook、ツイッターでは毎回、公開日は何十回も告知している。映画は最低2週間上映される。応援団の皆さんは毎回、僕の記事をリツイート、シェア。感想等も書いてくれる。それでも見れなかったのは、よほど仕事忙しくてネットをみる暇がなかった?いや、そうじゃないだろう。公開日を知る努力をしていなかっただけだろう。真剣に見たければ努力する。

努力しないから見逃したのに、「もう一度、映画館でやってほしい」ー誰じゃお前ーー!。一般の方なので、それが出来ないこと知らないとは思うが、自身の反省せずに「もう一度上映」と言うメンタリティがおかしい!

彼ら彼女らは都知事選時の都民の発想と同じなのだ。テレビ討論がなかったから、候補が分からない。だから、名前も顔も分かる小池に入れた。もし、テレビ討論があれば別の人に入れたかもしれない。が、進んでテレビ討論を見たりはしない。たまたま、見た場合の話。テレビの視聴率は1%で100万人。放送すればかなりの人が見る。そうすれば知事選の結果も多少は違ったかもしれない。

だから僕は、マスコミの責任は大きい。小池を応援したのと同じ(実際応援していた)と批判した。が、そもそも、都民は自分たちの生活を左右する知事なんだから、テレビでやらなくても自分で努力して候補者を調べて投票するべきなのだ。それをしないのは先のファンと同じ。真剣ではない。いずれも努力せず、テレビに、監督に、映画館に「もっともっと」を求めているだけだ。

「こども食堂」に集める近所のオヤジ達も同じ。貧しい子供達のために無料で食事を提供する食堂の親方に、近所の連中が店に集まり「自然食が大事だ!」「手作りがいいよ!」「勉強も教えたらどうだ!」とあれこれ提案(要求)するだけで、自分たちは何もしない。やがて親方は嫌気がさしてやめてしまう。好意を潰しているだけ。

先に聞いた話ー山本太郎のボランティアがポスター貼りに来たら「金を刷れって何?」と批判する。自分で調べろ。太郎は都民のために給付金をすると言ったのだ。それを「バラマキ」と批判する人までいた。皆同じ。自分で努力しない。知ろうとしない。それでいて相手に要求ばかり。都知事選の都民だけでなく、多くの日本人に言えることではないか? なぜ、そんな風になってしまったのか? そんなことを考えている。


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都知事選の問題は小池ではなく、都民自身だった?=「YouTube見る暇が無い」? [都知事選 2020]

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都知事選の問題は小池ではなく、都民自身だった?=「YouTube見る暇が無い」?

ボランティアで山本太郎を応援。ポスターを貼りに行った方がこんなコメントをくれた。

「『新ポスターはお断りします』の声を何度も聞きました。山本太郎を応援して来た家、もしくは個人商店ばかりです。なぜですか?『最近の太郎さんの発言やポスターをキャッチコピーがネットやらない人には理解しにくい』『お金印(ス)れ!ってどうゆう意味ですか?』『底上げってどうゆう意味ですか?』『私らは商売しててネットYouTube見てる暇がないのですよ!』」

いろいろ考えねばならない指摘だ。まず、今回の状況を思い出してみよう。テレビはオリンピック・スポンサーに気を使い討論なし。新聞もスポンサーなので太郎叩きの記事多し。そんな中でネットを見る余裕のない人にどう伝えるのか? だから街頭演説をした。太郎さんはそこで情報拡散を聴衆に訴えかけた。が、小池作戦の前に拡散はできなかった。それが今回の残念な構図。

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次に注目したいのは「商売していてYouTubeみる暇がない」という言葉。引っかかる。「会社が忙しくて帰宅したら報道ステもNEWS23も終わっている」という友人がいる。けど、そんな人でも通勤電車でスマホでネットは見れる。商売の人だって客が来ない時間帯。トイレに入るとき、風呂に入るときに、スマホで動画やニュースを見る時間があるはず。5分なら1日のどこかで取れる。「商売していて暇がない」という人は時間ではなく、そもそもネットを見ない層ではないか? 

また「お金刷れ」「底上げ」で疑問に思ったなら、それこそネットで調べるべきだ。調べすにポスターを貼りに来たボランティアに疑問や怒りをぶつけるのは筋違い。過去の太郎発言で支持したとしても今回は都知事選、コロナ禍で以前とは事情が違う。新しい公約や提案を知ろうとせずに、疑問を調べず「どういう意味?」というのは怠慢と言える。

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候補者は公約を伝える努力。そして有権者はその公約を知り考え選ぶ努力をするべき。それを「忙しいから」と過去の発言と今回聞きかじった言葉を比較して不信感を持つ。それは有権者側の努力不足だ。「忙しい」「ネット見れない」「ネットはしない」「テレビも見れない」「新聞読めない」というなら、それはある意味で「おんぶに抱っこ」を求めているのと同じ。

選挙は「新商品を買ってください!」という話ではない。自分たちの生活をより良くするための政治家を選ぶこと。なのに「ネットしない」「忙しくて見れない」は有権者側の怠慢。都民が「自分たちは何をすべきか?」を考えることが第1歩。もし、「忙しい」「ネット見れない」「太郎の発言おかしい」「でも、調べない」「小池嫌い」「投票したい人いない」「棄権」だとしたら、それは小池に一票と同じ。まさに小池作戦にハマったということだ。

ここしばらくの都知事選を見ていて感じるのは、都民の努力不足。怠慢。自分たちの生活がかかっているのに「時間がない」「過去の発言しか知らない」では、小池都政が続くのは当然。その意味でテレビ討論を封印した小池作戦は大成功と言える。また、忙しさを理由に答えを探そうともしなかったのなら、あと4年小池都政に耐えるのも仕方ないこと。第二波が来ても何もしないであろう都知事に耐えるのは都民の選択なのだから。

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もちろん、候補者がその種の層にアピールすることも大事。だが、都民は情報をくれるのを待つのではなく、自分から進んで情報を取りに行くべき。自分たちの生活のことなのだから。「忙しいからネット見れない」では生活が良くならない。例えば「商売で忙しい」だったら1日、店を休む。「そんなことしたら収入が減る!」というだろう。でも、小池都政が続けば、もっと大きな代償を支払うことになる。店1日締めた以上の損害を被ることになるとは考えない。目先のことで精一杯。

店閉めなくても、風呂でスマホを見ればいい。街頭演説の動画ー5分見れば違ってくる。それすらをしないのは、怠慢と言えるのでは無いか?今回、テレビが封じられても、多くの都民がネットで検索。「山本太郎」や「宇都宮健児」の公約や人柄を調べて投票すれば、小池を降ろすこともできた。それをしなかったから、「テレビ討論ないから!」ということで、他候補を知る努力をしな買った結果が、小池都政を選んだ。我慢の選択したのと同様なのだ。まずそこに都民が気づくことがスタートではないか?


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なぜ彼らは否定し合ったのか? その根底にあるもの=戦時中を思い出させた都知事選? [都知事選 2020]

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なぜ彼らは否定し合ったのか?=戦時中を思い出させた都知事選?

今回の都知事選。最大の敵である小池百合子を批判せずに、ライバル候補者を批判。誹謗中傷する人が多かったのはなぜか? もちろん、自分が支持する候補への応援の一環ではあるが、それなら小池を批判するのが得策。また、ライバルの批判より支持する候補の魅力を訴える方が知らない人たちにはアピールする。

他の候補を中傷した場合。「へーーそんなに酷い奴なのか?」と思い、その候補に投票するのを止める人もいるが、逆に「あんな風に誹謗中傷する人が支持する候補って嫌だなあ〜」と思われマイナスになる場合もある。にも関わらず、ライバル候補への批判や中傷が多かったのは、それらの人たちは冷静さを失い、支持候補への熱い思いよりも、「ライバル候補が許せない」という憎しみを持ってしまったからではないか?

ただ、気にになるのは、その種の発言が多かった人たちが支持したのは、庶民の味方であり、どちらも多くの人に支持される実績ある候補。嫌われる自公の議員たちではない。評価はしても誹謗中傷する背景はあまりない。にも関わらず、汚い言葉で批判する人がいたというのは「憎悪」が背景にあったと思える。では、そんな庶民派の候補たちへの憎悪は、どこから生まれて来たのか?そこを考えたい。

思い出すのは「近親憎悪」ー国語辞典で意味を調べた。「親族どうし、または階層や性質などの似た者どうしが、ひどく憎み合うこと」つまり、近い価値観を持つからこそ、小さな違いが気になり、許せなくなるということだ。一般から見たら小さな違いなのだが、自分たちの価値観、理想。「これしかない!」ーある候補者に理想が重なる。「この人しかいない。他はダメだ!」逆に、ライバル候補には理想が一部重ならない。「こいつはダメだ。100点じゃない」でも、悪意はない。熱い理想に燃える人たち。何もせずに文句をいうだけの、選挙にも行かない連中とは違う。

ただ、熱いから、理想に燃えるからこそ。小さな違いが許せず。こうでなければならないという価値観を持ってしまい、100点を取らないと全否定という極端な発想に縛られてしまったのではないか? これは選挙や原発だけの話ではない。映画ファンの世界でも「映画は***でなければならない。ハリウッド映画なんて映画とは言えない」という高尚なマニアがいる。「スピルバーグなんてクソだ。ベルイマンのような作品を映画と呼ぶんだよ」という友人もいた。彼の価値観でしかないのだが、「でも、俺はルーカスの映画が好き」というと「お前は何も分かってないな。最低だ。2度とうちに来るな!」と縁を切られたこともある。

高校時代を思い出す。僕の周りは親も、教師も、同級生も「成績がいい」=「素晴らしい人」「成績が悪い」=「人として最低」という価値観だった。「成績が全てではない」というと「勉強が嫌だから言い訳するんだ!」と言われた。「落ちこぼれ」と言われた。これが戦時中だと、子供達はこう考えた。「大人になったら立派な兵隊さんになり日本を守る」そんな時代に「戦争なんて無意味だ」というと「非国民!」とのししられた。「戦争に勝つ!」が絶対的な価値観だったのだ。

そんな風に一つの価値観を絶対視することは危険。なのに、平和を願う候補たちを支持しながら、自分の価値観から離れられず、他者を否定、誹謗中傷するのはどういうことだろう? 戦時中の価値観とどう違うのか? 「こうでなければならない!」「我に正義あり」それはもう価値観ではなく、危険な思想だと思える。が、熱くなり真剣になると、それに気づかなくなる。まさに戦中の国民と同じ?と感じてしまう。


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都知事選で思い出した話。「朝日のあたる家」を一番批判したのは反原発を唱える人たちだった? [都知事選 2020]


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都知事選で思い出した話。「朝日のあたる家」を一番批判したのは反原発を唱える人たちだった?

今回の都知事選。何度も書いたがライバル候補を批判するだけならいいが、誹謗中傷する支持者たちが多く残念だった。それがネトウヨレベルの人たちなら分かるが、日頃は鋭い意見をツイートしている人まで、そのレベルに下がっていた。そして罵詈雑言をいうのではなく、間違った情報による批判。デマをもとにした発言。それがとても悲しかった。現政権を批判するときは、正確な情報を探し出し発信したり、「なるほど!」という指摘をするのになぜ、あんなレベルになってしまったのか?

また、事実を踏まえていない人もおり、彼らは「熱さ」と「思い込み」だけで応援しているのではないか?という気もした。一方、当選した小池の支持者はというとネットでの応援者はほとんど見られず、テレビでの感染対策パフォーマンスで「知事、頑張ってるなあ」と評価した人と、あとは組織票ではないか? もちろん、候補者の公約に賛同し、まっすぐに応援し、ライバル候補を中傷したりしないマットーな方が圧倒的多数なのだが、いつもはリテラシーある一部の人たちが何かを無くしているように感じた。

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思い出すこと。「朝日のあたる家」を作ったとき。一番注意したのは原発推進派からの攻撃だった。「原発映画はタブー。監督は2度と商業映画は撮れない」と言われていた。それを覚悟で監督。なんらかしらの圧力、嫌がらせはあると思っていた。しかし、意外なところからの批判に驚かされる。原発反対を訴える人たちから一番批判が多かった。「不勉強だ!」「内部被曝が描かれていない!」「福島の事故と同じ展開。ありえない!」(あえて、そういているのだが)そんな批判を数多く見かけた。中には直接、僕自身に言いに来る人たちもいた。

誤解なきように言うが、一番応援してくれたのも原発反対の人たち。彼ら彼女らの応援なしにあの映画の成功はなかった。どの町でもチケットを売ってくれる人、宣伝してくれる人、メディアに告知してくれる人。本当に支えられた。が、同じく原発反対!と唱える人たち。こちらは少数ではあるが、その人たちがあれこれ批判していた。推進派からの批判もあったが、反対派からの批判が遥かに多かった。「朝日」は原発事故の悲劇を全国に伝えるものだ。それを同じ意思を持つ一部の人たちがなぜ、批判するのか?当時は理解できなかった。

その後、分かったこと。一部の人たち。彼らには「原発の反対はこうあるべきだ!」という頑な思いがあった。ある人は「危険性を訴えるだけではダメだ。これからは内部被曝の怖さを伝えねばならないのに、この映画はまるで触れていない。これでは意味がない!」と考えた。またある人は「この映画で描かれたことは全部知っている。こんな初心者向きの映画では何の意味もない。努力が足りない!」と不満を持った。多くの人が原発に対する知識がない時期。基本的なことを伝えることが大事と僕は考えたのだが、その人は自分の知識を基準にしてそれ以下だからダメだと判断したのだ。

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また、別の人は「俺はチェルノブイリから反原発を訴えているんだ。それが福島で事故があった途端に映画にしやがって、遅いんだよ!」と怒る。が、あの当時、僕はまだ学生であり監督業には就いていない。批判するなら映画会社にどうぞ!と思える。何より当時は今以上に原発映画はタブーの時代。なのに、長年、原発に触れない映画、テレビに対する怒りを僕の作品にぶつけていた。

こうして見ていくと、原発事故を描くこと自体を批判しているのではなく、その描く対象、レベル、時期を批判していた。言葉にはしないが原発事故を映画にすることは良しとする。「まだまだ努力が必要がですね〜。そんなことじゃダメだな!」という意味だ。ただ、この目線は教師が生徒に対するものと同じ。師匠が弟子を叱責するときのものに近い。熱い思いのある人たちなので「もっと努力しろ!」と言いたいのだろう。だが、彼らは師匠でも先生でもない。勘違いをしている。

確かに彼らの方が早い段階から原発を反対してきただろう。チェルノブイリ以降から、福島の後でも非常に深く勉強し、知識を持っている。それなら文句を言う前に、チェルノブイリ直後に自分たちで原発映画を作ればよかったのだ。「朝日」の後にでも自分たちが気に入る原発映画を作ればいいのだ。僕は金持ちだからあれが作れたのではない。多くの人の協力で寄付を集めて制作した。どこの企業からも一切の投資は受けていない。彼らも同じようにやればいい。監督を雇って撮らせればいい。誰もそれをせず「あれがない!」「これが足りない!」「努力が足りない!」と高いところから批判するばかり。

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「こども食堂」と同じ構図。貧しい子供達のために無料で食事を提供するこども食堂。その店に近所の大人たちがやってきて「手作りの料理にすべきだ」「自然食品がいい」「勉強も教えるべきだ」と自分たちは何もせずに、あれこれ提案と指示ばかりする。やがて食堂のオヤジは愛想尽きて「こども食堂」をやめてしまう。何もしないくせに口だけ出す。そして自分たちは正しいことをしているつもりでいる。「朝日」を批判した反原発オヤジたちも同じ背景だった。

話が長くなったが、都知事選に戻る。今回、リテラシーがありながらライバル候補をあれこれ批判していた人たち。同じところに陥っていると思える。ライバル候補の公約や言葉の中に、自分が望む全てがないと批判。先の「朝日」批判も、都知事選の誹謗中傷も、どちらも100点を求めている。あの候補は90点だからダメだ。あの公約は10点減点。「はい。アウト!」みたいな感じ。何の見返りも求めず、完全にクリーンで、自分の理想通りの公約を掲げ、一切の誤解を持たせない。そんな候補を求めているように見えた。そのレベルに達していないと否定。攻撃。批判。同じ目的を持つ仲間を潰しているだけではないか? 候補者には100%の理想を求める必要はない。現実の中でできる何かを探し、70点でもまず勝たせて、応援によって理想に近づける。そういったことも大事ではないか?




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今回の都知事選を総括。一体、誰が得をしたのか? なぜ、マスコミは沈黙したのか? [都知事選 2020]

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今回の都知事選を総括。一体、誰が得をしたのか? なぜ、マスコミは沈黙したのか?

小池勝利の一因。テレビ討論等をせず、他の候補をテレビに出さなかったことだろう。そのことで彼らを露出させず、都民に印象付けない。同時に討論で山本太郎や宇都宮健児に鋭い指摘をされて、反論できない情けない姿を都民に晒さずに済む。それよりも連日、テレビに出て英語を交えた能書きを垂れ、フリップを掲げる方が「知事、頑張ってるなあ!」という印象をアピールできる。そのためにテレビ討論を避けたのだ。

街頭演説をしないのも同様。それをテレビに取材されて、勢いある太郎候補や論客の宇都宮候補と並べて放送されたら、やはり見劣りする。しかし、テレビは制約があり各候補の放送は同じ分数、秒数でなくてはならない。演説をしない小池。彼女の映像無くして他の候補だけを映し出すと不公平。だから放送できないという事情もある。それでも初期は小池分だけはネット映像を使い放送したが、不公平感を指摘されたのか?すぐに見なくなくなった。小池作戦は機能したのだ。

そして多くのマスコミによる小池応援。読売、毎日、朝日、日経という新聞は全てオリンピック・スポンサー。万が一、太郎候補や宇都宮候補が勝ち中止にされたら敵わない。そこで直接ではないが、彼らのイメージを悪くするネガティブキャンペーンを行なった。こき下ろす記事を流した。さらに、マスコミ以外にも大手企業がスポンサー。テレビはそれらに気を使い、都知事選報道を自粛。ほんの僅かに触れる程度で終わらせた。

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そうすればスポンサーから睨まれない。同時に小池作戦を強く後押しするものである。そのため都民は候補者の街頭演説を聞きに行く、ネットで彼らの公約を確認するという努力をしなければ候補者の主張を知ることもできなかった。ネットの時代とは言われるが、まだまだテレビは強い。影響力はある。

そのテレビ。さらに新聞社等が一致団結。オリンピックのために(というより儲けるために)小池作戦に協力。他の候補を封じ込めたのが今回の都知事選である。ある意味で原発推進と同じ、多くの大企業やマスコミが束になって進め、マイナス情報を全て封印してしまう。国民は事態を知ることができず、一部の情報に誘導される。問題があることにすら気づかない。同じ構図なのだ。

もちろん小池勝利の理由はそれだけではないが、そこが今回の特徴と言える。ただ、面白いのはそこまでして大企業やマスコミが守ろうとしたオリンピック、中止になるだろう。1年後にコロナ感染が終息。ワクチンが開発されているはずがない。実はすでに中止は決定されているという情報もある。

なぜ、それを発表できないか?というと、スポンサーが莫大な投資をしている。大きな迷惑をかけることになる。多くの儲けを失うことになる。そのために時間をかけて小出しに中止を感じさせる情報を出し「やっぱ無理かな〜」という空気を作り、世論も「仕方ないよな」となったあたりで発表という段取りではないか? 

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だとすると、この都知事選とは何だったのだろう? できるはずもないオリンピックのために大企業とマスコミが一致団結し、都民のことなど眼中になり小池が当選。都民の生活を真剣に考える候補たちが落選。都民は詳しい情報を与えられることもなく、次の都知事が決まった。

さらに言うと、その知事=小池は次の国政選挙で知事を辞めて出馬する可能性が高い。多くの報道陣が「任期を最後まで勤めますね?」と質問したが(池上質問が秀悦だったが)小池は一度もそれに答えていない。あとで「嘘をついた」と批判されないためであり、やはり国政を目指すつもりだからだ。こうして彼女に投票した360万人は裏切られる。色々と考えることの多い都知事選だった。


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なぜ、あの候補のチームは次々に問題を起こしたのか?=信じられない上層部の行動 [都知事選 2020]

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なぜ、あの候補のチームは次々に問題を起こしたのか?=信じられない上層部の行動

先にも野党(ほとんど)共闘チームの問題を指摘したフリーライターの記事を紹介したが、同じような構図を別のところで感じた。なぜ、こんなことを追求するか?というと山本太郎も宇都宮健児も都民のための都政をしたくて出馬した人たち。

それを利用しようとする人たちがいたと思える。デマを流す。それに乗せられる人たち。互いに誹謗中傷。その背景を具体的に検証したい。そんな一つ。次の発言は太郎さんのライバル陣営の選対。その上層部の人の言葉。高名な方で、社会的地位も高い。業績も素晴らしい。その方が選挙初頭にこんなツイートを発信している。

「山本太郎が知事選に強行出馬した背景とは? https://dot.asahi.com/aera/2020061500049.html
古参の支持者から異論。取り返しがつかない禍根を残す。宇都宮さんと敵対してまで選挙に出る理由は党そのものが実は資金難で、次期衆院選に向けてカネ集めと、政治的に埋没しないよう知名度を上げておく戦略だという人さえいる」

青字のアドレスは以前に紹介した「AERA」のクソ記事だ。どれだけフェイクか?このブログで解説もした。まともな人が読めばあの記事はプロパガンダだと分かる。記事のアドレスをわざわざ挙げて、記事の一部を抜き出し。太郎候補の批判を紹介。この記事。読むと分かるが「だという人さえいる」これは事実かどうか?分からないことを、伝聞で紹介しているに過ぎない。

そのような批判をする人が当時いたのは知っているが、単なる憶測であり、根拠のあるものではなかった。簡単にいうとデマだ。それを記事にしたものを、ライバル候補の選対の上層部の人間が抜き出してツイートしている。これが一般の支持者。あまり常識のない人なら分かる。が、選対のトップがツイートするのはどうなのか?ちなみに彼のフォロワーは2万人ほど。

その人は社会的に高い立場におり、法律にも詳しい。なのになぜ、こんなことをしたのか? Twitterの意味を理解していない? それとも確信犯で、ライバルを貶めるため? いずれにしてもダメだろう。これでは彼が押す候補者まで信頼を失う。選対の上層部がこれでは候補者も大変。クリーンで有名な人なのだから。

その方の活躍は僕も知っているので、確信犯ではないと解釈したいが、それでは選対の力となれない。Twitterは重要な宣伝媒体。投票日には推薦した団体のトップが違法スレスレのツイートをして批判を浴びた。こんな人たちが上にいて勝てる訳がないと思えてくる。一体、どうなっていたのか? 首を傾げるばかりだ。


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またまた出ました! Yahoo!ニュースのフェイク記事。誘導と印象操作のオンパレード? [都知事選 2020]

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またまた出ました! Yahoo!ニュースのフェイク記事。誘導と印象操作のオンパレード?

中立を装いながら太郎さんを貶める内容。今回の都知事選。詳しい状況を知らない人が読むと「山本太郎もダメだね〜終了!」と思うし、少ししか知らない人が読んでも「太郎さん。やばいんだ〜」と誘導する内容。

もし、読む人は巧妙なので、誘導されないように読んでほしい。いや、読む必要ないか? プロパガンダですからね。あと、くれぐれもシェアなさらぬように、僕のコメントなしで記事だけシェアされてしまいますから

聞くと、このライターさん。以前にも「れいわ」を批判する記事を書いており、政権べったりの方とのの話。スシローを目指している?との指摘もあり、さもあらんと言うところか?


https://news.yahoo.co.jp/byline/azumiakiko/20200707-00186946/?fbclid=IwAR2axznDttfqvmCzHQMJNxzwSkBp9dD05ZdevvvpDQG9YKBltEmEkC_vcSc



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