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日本人は本当に愚かなのか?=背景にあるのは江戸時代と同じ統治手法? [日本の教育]

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日本人は本当に愚かなのか?=背景にあるのは江戸時代と同じ統治手法?

日本人は愚かだ!ーとよく聞く。昨年は東京都知事にミドリのおばさんを選んでしまう。直接選挙法ではないが、総理はあの人だ。あれだけ問題起こして、あの人まだ議員しているの?という輩も多い。それは彼ら彼女らの選挙区で投票する人が数多くいるから。多くが政治家を批判をするが、そんなダメ議員を選んだのは国民。だから「日本人は愚か」ということになるのだろう。

でも、そこで終わってはいけない。「なぜ、日本人は愚かなのか?」を考えてみよう。日本人はバカなのか? そんなことはない。一時は世界1の経済大国になったし、電気製品、自動車は優秀なものを作っていた。文盲率もアメリカに比べてもずっと低い。勤勉。長時間働く。バスや電車が来る時間も正確。アメリカは時間通りに来ないことが多い。いろんな国の人と話したが、その辺は世界的に凄いレベルだ。

そう考えると「日本人は愚か」とは思えない。むしろ「優秀」だ。そんな優秀な国民がなぜ、ミドリのおばさんや、あの総理を選んでしまうのだろう。自分たちのためにはならない。むしろ国民を搾取、利用する人たち。それを選んでしまうのはやはり「愚か」と思える。では、具体的にどこが愚かなのか?分析する。

日本人は勤勉だし、器用。よく学びよく働く。背景にあるのは学校教育だろう。その教育というのは「与えられたことを確実にこなす」人間を育てること。あれこれ記憶する力。教えたことを再現する能力。つまり、優秀な会社員を育成するためのもの。どんな仕事であろうと、その工程を理解、把握し、与えられた作業をミスしないでこなすための練習が学校教育なのだ。

しかし、そこに抜け落ちているもの。自分で「考える力」を育てる教育だ。与えられたことをする、指示されたことを遂行するのでなく、自分で状況を判断し、問題を把握し、選択、決断、行動する力は教育で育てない。なぜなら、そんな力が育つと会社に逆うこともあり得る。命令が間違っていれば、不利益をもたらすものなら、従わず、反発する。だが、会社側は間違った指示でも疑わずに、反発せずに従って欲しい。

だから、学校では、そのような力を育てないようにしているのだ。要は会社ロボットを育てるということ。指示されたことを疑わない。拒否しない。素直に従う。上からの命令を守る大人にするため。言われないことはしない。勝手な行動は取らない。学校ではそんな従順なロボットになる教育をしている。

上からの命令。会社トップ。政府。マスコミからの指示を素直に受け入れ、従う。反感を持っても「小池百合子、当確」とかマスコミが報じると「どうせ、そうだろうな」と投票しない。「問題あるけど、現役だしな」と投票してしまう。深く考えようとしない。他の候補を調べない。テレビによく出ている小池だけしか知らない。だから、あんなのが当選。

つまり、日本人は労働者や技術者としては有能なのだが、自分で考える力が弱い。教育によって育てられていない。そのため自分で状況把握ができない。物事の本質が見抜けない。だからマスコミに誘導される。これって江戸時代と同じ手法。

農民には読み書きを教えず、情報や知識を得られないようにして、ひたすら米を作らせたのと同じだ。そのバージョンアップ版。当時、一部の侍が多くの農民を支配したように、今は考える力を奪うことで、一部の政治家、企業トップが国民を支配しやすくしている(その誘導役がマスコミ=国民の味方の振りをしながら誘導する)戦争をする時も、似たような手を使うしね。そういうことではないかな?


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日本の戦後教育は国策? =戦時中と同じだったこと。ある取材で痛感。 [日本の教育]

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日本の戦後教育は国策?
=戦時中と同じだったこと。ある取材で痛感。

戦中の教育=「米英鬼畜」「欲しがりません。勝つまでは」という教育と戦後の教育が同じ構図であることを何度も伝えてきた。僕にとって10代の高校時代からの疑問であり、当時から「無意味な勉強」と思えていたが、40年近い月日の中で検証し、答えを得た。

確信するに至ったのは3年に及んだ沖縄戦ドキュメンタリーの取材だった。その中で当時を知る方々からお話を伺い、戦時中の皇民化教育とはどういうものか?を調べた。それがまさに、僕らが幼い頃から受けた戦後教育と同じ方法論であったこと。

「戦争をしろ!」

と上から命じるだけでなく、国民自らが

「戦争をせねば!」

と考え願うようになる教育。そして親や大人たちも推奨し褒め称える。戦後教育も同じ構図。

「しっかり勉強して、一流大学に行こう!」

子供達が自らそれを目指し、親たちもまた戦中と同じようにその考え、行為を褒め称える。国策は押し付けるのではなく、国民の1人1人がその価値観に賛同し、国が求める方向に努力して進むものであること。2つの時代を検証し痛感した。

もちろん、戦後は戦争といっても受験戦争。日本を経済大国にするための国策教育。その全てを否定するものではない。が、

「与えられたことを疑わずに確実にこなす」

そんな人材を育てるものなので、それ以外の素質があって、その素質に著しく欠ける者も、例外なくそのベルトコンベアに乗せられて選別され、それ以外の力を養う機会を失った。

そのような人材ばかりを育てたために、20年も続く不況を脱することができず、日本を三流の後進国に貶めた原因にもなっている。いずれにしても戦時中は戦争に反対すると

「非国民」「死ぬのが怖いのか!」

と言われた。受験戦争を批判すると

「落ちこぼれ」「お前は勉強するのが嫌なだけ!」

と言われた。国が思う方向に子供達を思想教育し育てようとすることは、賛同できないし、非常に危険であり、大きな犠牲を伴う。

だが、いずれも国策は国民全体に浸透し、それを疑うことなく親も子供も従ったことは恐ろしいとしか言えない。もし、戦争が再び起きれば、国は同じ方法論で教育を再開。国民はまた疑うことなく従い、太平戦争の悲劇を繰り返すことになるはずだ。そんなこと「沖縄戦」で取材した当時を知る方々の話を聞いていて強く感じた。その意味でも「ドキュメンタリー沖縄戦」見て頂きたい。

沖縄戦ブログ=>https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp



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子供たちの教育。この日本でどうすればいいのだろう? [日本の教育]

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子供たちの教育。この日本でどうすればいいのだろう?

10代から映画監督を目指し、戦いの連続だった。幸せな家庭を持つことなく、今日まで来てしまった。最近は街を歩いていると、僕よりずっと若い兄ちゃんが幼い子供を連れてショッピングしているのを見かける。もし彼の立場ならどうだろうと考えることがある。子供の教育だ。

いつも書くことだが、日本の教育は今も優秀なサラリーマンを作り上げることしかしない。今の時代に一番大事な「自分で考える」力を育てることをしない。そんな教育を小学校から受けていたら、10年後の世界では絶対に通用しない。まあ、日本は指導者に逆らわず、しっかりと働き、管理しやすい大人を生産して来たのだが、10年後どころか、今現在でも、自分で考えて行動できない者は、もう大変なことになる(なっている?)と思える。

もし、僕に子供がいたらどうしただろう? 小学校はまだいい。中学も義務教育。でも、高校は? 僕自身。高校時代は本当に無意味だったと思える。社会に出て何ら役に立たないことしか学んでいない。そんな授業より、映画を見たり、レコードを聴いたことの方が100倍役になった。受験勉強をせずに、読んだ映画雑誌が今、意味を持っている。

アメリカに留学したが、もっと早くに行けば語学力はもっと伸びただろう。20歳を超えてからだと厳しいことも実感。そして、日本にずっといては視野が狭くなる。そう考えると我が子がいても「いい高校に行け」とは言えない。高校自体に意味を感じない。

10代の多感な時期に暗記中心の教育を受け、考えることを必要しない授業で過ごすのは本当にもったいない。無意味。というより悪影響しかない。でも、こんな日本で本当に意味ある教育を受けるのは難しい。もし、子供がいたら、僕はどうしただろう? そんなこと。街でショッピングする若い親子を見ていて考えていた。


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日本の間違った教育が日本人をダメにした=高校時代に教師が言った言葉を考えた? [日本の教育]

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日本の間違った教育が日本人をダメにした=高校時代に教師が言った言葉を考えた?

高校時代に「こんな勉強をしていて何の役に立つんだろう?」と思えた。それから勉強をやめ映画ばかり見ていた。家ではレコードを聴きながら、映画関係の本や雑誌を読んでいた。当然、成績は下がる。担任に呼び出されて注意された。「何でしっかり勉強しない!」そう聞くから答えた。「あんな勉強をしても意味がないと感じるからです。大学まで10年も英語を勉強しても英会話ができない。それって意味あることですか?」担任は一瞬黙った。彼は英語担当だった。が、教科書を読むことしかできない。にも関わらず、その問いには答えずこう言った。

「あのなあ。勉強というのは自分を鍛えるためにするものだ。大人になりちゃんとした社会生活ができるようになるための訓練なんだ」そういうので訊いた。「社会に出ると古典や漢文。因数分解や連立方程式が役に立つんですか?」そういうと怒鳴られた。「いい加減にしろ。お前は勉強するのが嫌だから、屁理屈を言ってるだけだ! ちゃんとした成績を取らないと留年するだけぞ」これ以上言っても無意味と思えて話を止めた。なぜ、担任は質問に答えず、社会に出るための訓練なんて綺麗事を言ったのか?

社会に出て仕事をする今、役に立っているのは学校時代に習った足し算引き算。後、割り算と掛け算くらい。連立方程式や因数分解を必要としたことはない。古文も漢文も使わない。化学も必要ない。英語も高校を出たレベルでは役に立たず、留学して英会話ができるようになった。日本の大学に進学した同級生はさらに4年、英語を学んだが英会話はできない。友人たちに聞いても学校で学んだことで役に立っていることを聞いても、皆答えられなかった。要は担任が言うように「社会に出るためのもの」ではなかったのだ。

何より僕の質問に答えられなかったのは、担任自身が具体的にどう役立つのか?を理解していない。実感していないからであり、一般論、綺麗事でまとめようとしたのだろう。おまけに突っ込んで聞くと怒り出し「勉強をしたくないだけ」と決めつけて話を逸らす。教師というのはその程度の存在なのだと当時は大いに失望した。が、今考えると、彼は20代。大学を出てすぐに教師になった。社会経験も少ない。会社経験もない。顔を合わせるのは生徒と教師。そしてPTAだけ。そんな狭い世界にいて「社会に出てから」を語るのは無理。中には骨のある教師もいたが、ほとんどの教師は子供たちに伝える「何か」を持たず、決められたカリキュラムを教える。それだけだったのだ。

ただ、その後、振り返って見て、ある意味であの担任は正解だったことにも気付いた。「社会に出るための訓練」は正しいのだ。英会話ができない、必要のない古典、漢文。役に立たない連立方程式。年号を覚えるだけの歴史。社会で全く必要がなく子供たちが興味を持てない。そんな科目でも真面目に取り組む。ひたすら暗記する、与えられた方法で公式を解く。これは会社に入ってからとても役に立つこと。つまり、どんな無意味に仕事を与えられてもいやがらずにこなす。上から言われた方法論やルールで仕事をこなす。文句を言わない。従う。あれこれ考えない。そんな会社ロボットになるための訓練だとすると、とても意味のある教育と言える。

つまり「意味がない」「役に立たない」と不満をいう僕のような生徒は会社に入っても、文句ばかり言って働かない。上司に逆らう。問題を起こす。異分子となる。だから、あれこれ言わないで、言われたことを真面目にこなす大人に矯正するのが教育の場なのだ。要は会社が使いやすい人材を大量生産しているのである。そんな人材は政府にとっても便利。何も考えないから誘導しやすい。不正に気づかない。マスコミが報じれば鵜呑みする。会社、社会の支配者たちが扱いやすい国民を育ててきたのだろう。ただ、成果は上がった。言われたことを逆らわずにやる。多くを搾取されても日本人はよく働き、経済大国になった。戦後の焼け野原から日本は立ち直り、金持ちの国になる。その意味であの教育は正解だったのだ。

しかし、時代が変わり、製品を作り売ればいいと言う時代ではなくなった。バブル崩壊、リーマンショック後の低迷。支配者層もまた与えられたことをこなすだけの教育で育った人たち。新しい時代をどう切り開くか?分からない。国民の多くは従うだけの存在。20年の不況。アジアの国に抜かれて行く。僕らの世代はまだ、教育の枠からはみ出して生きる連中がいた。そんな人たちは様々な業界で活躍している。ま、クリエーターが多いのだが。しかし、あとの世代は管理教育がさらに行き届き、多くが与えられないと何もできない大人になってしまった。「夢を諦めるな」と言うと「その夢がないんだよ!」と嘆く。子供時代から自分の意思で何かをすることがなかったのだろう。

先日、教育関係で働く友人と話した。今後、文科省は「考える力を育てること」に教育方針を変えると言う。数年内に実施。しかし、効果が上がるのは早くて10年後? 彼らが会社の中堅になるのはさらに10年?現在の政府を見ていても、何らか日本復活プランを持つ者はいないだろう。コロナ感染を利用して業界からリベートをもらうことしか考えず、感染収束ではなく拡大させてしまう人たちだ。全く期待できない。そんな中、海外で進行中のあの事件。もしかしたら、それが日本を変えるきっかけになるかも知れぬ....。と密かに期待している。



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与えられたことするだけの存在。自分で考えることができない人材。 [日本の教育]

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今の教育からはリーダーは出て来ないし、

そんな教育で育った人がリーダーになったら大変なことになるよ。

与えられたことするだけの存在。自分で考えることができない人材。

あ、すでにそんな人達がリーダー......だから今の日本。




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子供たちの教育。この日本でどうすればいいのだろう? [日本の教育]

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子供たちの教育。この日本でどうすればいいのだろう?

10代から映画監督を目指し、戦いの連続だった。幸せな家庭を持つことなく、今日まで来てしまった。最近は街を歩いていると、僕よりずっと若い兄ちゃんが幼い子供を連れてショッピングしているのを見かける。もし彼の立場ならどうだろうと考えることがある。子供の教育だ。

いつも書くことだが、日本の教育は今も優秀なサラリーマンを作り上げることしかしない。今の時代に一番大事な「自分で考える」力を育てることをしない。そんな教育を小学校から受けていたら、10年後の世界では絶対に通用しない。まあ、日本は指導者に逆らわず、しっかりと働き、管理しやすい大人を生産して来たのだが、10年後どころか、今現在でも、自分で考えて行動できない者は、もう大変なことになる(なっている?)と思える。

もし、僕に子供がいたらどうしただろう? 小学校はまだいい。中学も義務教育。でも、高校は? 僕自身。高校時代は本当に無意味だったと思える。社会に出て何ら役に立たないことしか学んでいない。そんな授業より、映画を見たり、レコードを聴いたことの方が100倍役になった。受験勉強をせずに、読んだ映画雑誌が今、意味を持っている。

アメリカに留学したが、もっと早くに行けば語学力はもっと伸びただろう。20歳を超えてからだと厳しいことも実感。そして、日本にずっといては視野が狭くなる。そう考えると我が子がいても「いい高校に行け」とは言えない。高校自体に意味を感じない。

10代の多感な時期に暗記中心の教育を受け、考えることを必要しない授業で過ごすのは本当にもったいない。無意味。というより悪影響しかない。でも、こんな日本で本当に意味ある教育を受けるのは難しい。もし、子供がいたら、僕はどうしただろう? そんなこと。街でショッピングする若い親子を見ていて考えていた。


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子供たちの未来は大人の責任?=芸能界で活躍したい女子高生。その現実 [日本の教育]

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子供たちの未来は大人の責任?=芸能界で活躍したい女子高生。その現実

芸能プロダクションの知り合いが嘆く。「10代の若い女の子がよく事務所を訪ねて来るんです。で、女優になりたいのかと思うと、何でもいい。有名になれれば歌手でもタレントでもいいって。その上、事務所があれこれやって売り出してくれる。テレビや映画に出してくれると思い込んでいて....この世界、これがやりたい!という強い思いがないとダメなのに...でも、そんな子が多いんですよ」

よく分かる話だ。昔は芸能界を目指そうという子はかなりはみ出していて、バイタリティもあった。が、それらの子ははみ出していない。普通の子だ。何かを与えられないと出来ない。指示されない動けないのだ。学校授業と同じ。この問題をやりなさい。この公式を覚えなさい。言われないことをしない。してはいけない。そんな生活の中で、自分がやりたことすら分からなくなる。誰かが指示してくれない出来ない。

でも、学校では成績のいい子しか認められない。男女共学なら可愛ければ注目される。が、女子から嫌われたりする。学校生活でアイデンティティーが認められることは少ない。社会の部品を作るための教育だ。個性を伸ばそうというものではない。大人になる頃には「自分らしさ」を消去されてしまい会社の部品になっている。が、若い頃は足掻きたくなる。私を見て!私を褒めて!私を愛して!そんな思いがある。

だから、自分らしい何かを始めて認知されようと頑張る。そんな認知欲求がある。が、今の子たちは何をしていいか?分からない。芸能人になればチヤホヤされる? 愛される? そう思って芸能事務所を訪ねる。歌手になりたい!女優になりたい!という思いはない。何でもいい有名になれれば。あー悲しい。教育は若い子たちをそんなふうにしてしまったのだ。そこまで追い詰めてしまった。でも、友人はいう。

「そんな動機で来た子は全部断ります。それで成功した子はいません。全部、事務所がやってくれると思い込んでいて、努力しない。勉強が嫌だから、他のことで楽して認められたいという思い。芸能界で大手事務所に入ればテレビに出してもらえる。事務所の力は凄いとか聞き齧った。そんな甘いものではないのに、でも、そんな子が多いんですよ」

友人はその子たちを責めるが、そうだろうか? 考える力を育てようとしない学校の中で、考える力のない子供責めるのはどうのか? 与えられることをするだけの教育を受けて来た子たちは、芸能界でも何かを与えてくれると思うのは当然。気付ける訳がない。ただ、一昔前の会社なら就職すれば、あれこれ教わりながら給料をもらえた。が、今は即戦力が必要とされていると聞く。その子たちが会社員になっても、会社があれこれしてくれると思うかもしれない。

芸能界だけではなく、一般社会でも生きていくのが大変かもしれない。友人たちはいう。「最近の若い連中はダメだな」でも、教育がダメにしているのだ。僕らの時代は今ほどの管理教育ではなかった。だから、僕ははみ出し、勝手なことをして、それが今、生きている。でも、今の子供たちは学校が、社会が、親が、教師が、友人が、よってたかって部品になる教育に押し込んでしまう。子供に自主性に期待しても無理。大人がそのシステムを変えてやる必要があるのでは?そう思えている。


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日本の混迷。全ては戦後教育の間違いから始まった=会社ロボット育成のための学校? [日本の教育]


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日本の混迷。全ては戦後教育の間違いから始まった=会社ロボット育成のための学校?

スプリングスティーンの歌で「学校の授業ではなく、レコードから多くを学んだ」という歌詞がある。その曲を聴いたとき、その通りだ!思った。僕は今、映画の仕事をしている。監督するだけでなく、脚本を書き、編集をし、宣伝もする。が、学校の授業で学んだことで役に立ったことはほぼない。高校時代に見た映画、聴いた音楽が今、役立っている。

小学校時代のことはまだプラス。字を覚える。漢字を覚える。足し算、引き算ができる。掛け算もできる。都道府県を覚える。日本史の流れを覚える。それらは今も役に立っている。が、中学、高校と6年間で学んだことは役に立っていない。6年も英語を習ったのに英会話が出来ない。因数分解や連立方程式を使うことがない。古典や漢文も必要ない。そんな役に立たない勉強を6年もしていた。

僕は映画の仕事を選んだが、例えば会社員になった。実家の八百屋を継いだ。飲食店で働いている。そんな人たちは6年の授業が役立っているのだろうか? 多くがさらに4年。大学に行く。友人たちは勉強より、バイトをし、スキーに行き、コンパをして、遊んでいた。が、そんなことが思い出になり、自由に趣味を謳歌することが出来たことが良かったという。そのことで将来の仕事を選ぶ、卒業にその道を進み始めた友人もいる。ま、遊んだだけで4年を終えた友人も多いが。

僕だけでなく、友人たちの話を聞いても、10年間に学校で学んだことで社会に出てから役に立つことは、ほぼなかったようだ。なぜ、日本の教育はそんな無意味な教育をしているのか? 次第に分かって来たのは、政府や企業に都合のいい人材を育てることだったのだろう。数学でも、古典でも、化学でもいい。何ら役に立たない。興味を持てないことでも、与えられたことをする大人を育てるための訓練なのだ。

記憶する。教えた方法で理解する。好き嫌いさせない。行動の意味を考えない。言われたことに逆らわず、与えられたことを確実にする会社ロボットに育てるため、社会の部品になる教育だと思える。政府や会社が指示したことに逆らわない。無茶な命令をされても、その意味を考えず、従う。好きだ嫌いだと言わず、与えられたことを黙々とこなす労働力を育てるものだったのだろう。

その能力を測り、比較して、上から優秀なものを一流企業、次に政府が獲得。彼らが日本を運営していく。例えればアリの王国作りを目指したのだろう。女王アリと働きアリ。それがスタートしたのが戦後。働きアリたち真面目に文句を言わず、休みも取らず働き続けた。日本は経済大国となった。が、バブル崩壊。リーマンショックと、戦後と同じでは乗り切れない時代が到来する。

だが、与えられたことしか出来ない人材ばかりの国。当然、トップも同じ。価値観が変わっていく世界で、自分で考えることの出来ない人たちは、古い価値観にしがみつくしか出来ない。そんなトップたちの誤った判断に従い、崩壊の道を突き進んで来た。それが不況の20年となったのだろう。すべては教育から始まっている。今、必要とされるのは、新しい時代に、新しい判断をできる人。自分で考えることができる存在なのだ。

ただ、大きな問題がある。僕らの時代まではまだ管理教育が完結しておらず、はみ出しものがいた。が、それ以降は教育によって完全に型に嵌められてしまい。はみ出すこともできず、指示されなければできない大人が大量に育ってしまった。彼らでは無理。新しい時代を切り抜けられない。急いで教育を改革しても、今の子供が成人するのは20年かかる。それまで日本は混迷を続けるしかないのか? あれこれ考えてしまう。



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論理性を問う日本人は嫌われる=その背後に潜むこの国の正体?< [日本の教育]

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論理性を問う日本人は嫌われる=その背後に潜むこの国の正体?

50年以上生きてきてやっと気づいたのだが、僕は「合理性」ということにこだわるようだ。合理的でないと許せない。映画という仕事は「芸術」分野であり、高校は「文系コース」だったので、理屈では説明できない感覚や感性が重要なファクターになるべきもの。なのに「論理性」のこだわる。

高校時代も制服について問題を感じた。6月1日から夏服というが、それ以前に猛暑の日がある。でも、あの黒い詰襟の制服を着ていかねばならない。それでなくても教科書やノートが学生鞄に入っていて重い。生徒のほとんどは電車通学。もちろん毎朝満員。その中で制服を着ていると汗だくになる。また、脱いで手に持っても邪魔。猛暑の日には必要のないもの。なのに、学校側は夏服で登校することを認めない。

これは理屈に合わない。論理性がない。暑い日に冬服を着て登校することに何の意味もない。が、教師にいうと「規則だからな」といい。同級生にいうと「決まりだから、シャーないやろ」(大阪の高校でした)という。逆に夏服時期でも寒くてもyシャツで登校せねばならない理不尽なこともある。だが、クラスメイト達は不満を持っていても文句も言わず、耐えていた。

社会に出ても同じ。例えば、家賃の更新料に1ヶ月分の家賃を払うという習慣も変。不動産屋に礼金として、1ヶ月分の家賃と同額を払うのもおかしい。なぜ、1ヶ月分なのか? なぜ、手数料ではないのか? LAのアパートでは不動産屋を通さず、直接アパートと交渉。デポジット(敷金)を払うだけだ。更新料もいらない。手続きだけだ。非常に合理的であり、納得行く。その辺も友人と話したことがあるが、「昔からの習慣だからな」とか「シャーないやんか!」(大阪の友達)と言われ「だったら、アメリカに住めよ」という奴までいた。

どうも日本は合理性、論理性よりルール、習慣を優先して、無意味なことに金や時間、労力を使わなければならないことが多い。高校時代の話に戻るが、おかしな規則がいくつもあった。それを指摘しても、「俺たちにどうすることも出来ない」「嫌なら、学校辞めろ」とまで言われた。なぜ、皆、我慢するのか?自分たちの学校であり、無意味な校則で、そのために余計な出費や労力を使うことを無駄とは思わないのか?

髪の検査があった。耳にかかるとアウト。床屋に行けと言われる。少し前に床屋に行ったばかりでも、耳にかかるとダメ。月に2回床屋に行かねばならない。当時は3500円くらいだったか? 検査があり、アウトだと7000円の出費となる。1ヶ月経ち髪が伸びれば床屋に行くのに、中途半端な時期に検査するから無駄な費用がかかる。でも、それがルールだといい。生徒たちは誰も逆らわない。

校則だけではない。授業そのものが全く無意味だった。10年も勉強するのに英会話ができない。社会に出て全く使わない数学。年号を覚えるだけの歴史。小説の断片だけを読ませる国語。役に立たないことだらけ。「おかしい」というと「それを我慢してやるのが勉強だ。勉めて強くなると書くだろう」と説教をされる。が、無味なことに10代の貴重な時間を費やして何の意味がある?ある時から勉強を辞めた。ひたすら映画を見て、「スクリーン」や「ロードショー」を読んで、ロックのレコードを聴き続けた。それが今、とても役に立っている。

社会に出て気づいた。皆、あれこれ不満を抱えているが、声をあげず耐えている。カラオケでウサを張らし、飲み屋で愚痴を言って我慢する。政権批判をすると「日本から出て行け」といわれる。あー、高校時代と同じだ。矛盾した習慣やルールを受け入れ、我慢している。不満をいうと周りから叩かれる。そうか、高校時代はそんな社会に出るための訓練だったのだ。無意味なことをやらされても、矛盾したことを言われても受け入れ我慢する。

そうして大人になり、立派な日本人になって行く。それがこの国なのではないか?なのに僕は論理性にこだわる。矛盾したことを押し付けられて我慢できない。だからはみ出した。「落ちこぼれ」と言われた。つまり、支配する側に都合のいい社会なのだ。軍隊と同じ。上が命令したら意味など考えずに、言われた通りに動く。そんな社会だ。

そのために庶民が反抗しないように教育している。論理性を持ち、「無意味だ」「理不尽だ」と逆らわないようにしつける。それが日本の教育。論理性を持たず、与えられたことだけをする。そんな大人を育てる。社会に出てから支配層に逆らわないように、理不尽に耐えられる人材を育成している。その意味で僕は不適合者。失格なのだ。なるほどね。と考える冬の日。



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なぜ?「トランプ嫌い!」とか、政治家を好き嫌いで判断する人が多いのか? [日本の教育]

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なぜ、「トランプ嫌い」と、政治家を好き嫌いで判断する人が多いのか?

「考える力」が育っていない人(日本の教育を受けているとそうなる)は「考える」のが苦手なので、人間の根源的な判断基準。「好き」「嫌い」で判断しがち。

「トランプ嫌い」「進次郎、好き」という言い方をする人が多いのはそのせい。タレントではないのだから、政治家を「好き」「嫌い」で判断するのはおかしい。が、「考える力」が乏しいので、いろんな角度から検証、比較できない。結果、そんな判断をしてしまう。



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