SSブログ
日本の教育 ブログトップ
前の10件 | -

支配者たちの思惑で「考える力」が育てなかった日本人=あなたはどうか? [日本の教育]

271765208_6794553883952191_1046416890690464113_n.jpg


支配者たちの思惑で「考える力」が育っていない日本人=あなたはどうかな?

僕のFB友達の多くは社会に関心を持ち、マスコミに誘導されにくい鋭い視点を持つ人が多い。だが、ここしばらくコメント欄を見ていると「はあ、何でそんな意見になるの?」ということを書きこんで来る友達がいる。

567やNHK捏造テロップ事件。僕の記事に対する反論ではない。「反論、批判はいらない」といつもお願いしているので、その辺は守ってくれている。記事に賛同した上での意見だ。が、おかしい。

テロップ事件を解説した記事。その先を推理したコメントなのだが、単なる想像。僕が指摘した問題点を踏まえた意見ではなく論理性がない。僕はミステリー小説が好きなので、何事もその手法で考える。例えば、Aさんは怪しい。が、アリバイがある。動機もない。だから犯人ではない。むしろアリバイのあるBさんが怪しい。その理由は....という風に考える。

記事にはその手法で書いているのに「やはりAさんが怪しい」とコメントして来る。それなら論理的にそれを解明するべきなのに、こんな風。

「先に起こった事件の犯人とAさんは似ている。だから犯人だ!」

というような内容。それはもう思い込みでしかない。もし、それを主張するなら先の事件と、今回の類似点を徹底して探し、目的や動機も共通項を挙げて、その上でAさんが犯人であろうという推理を語るべきなのだ。

が、「似ている」というだけでAさんが犯人と指摘。僕の記事は怪しいが彼ではないという記事。読んでもらえばAさんは犯人の可能性は低いこと分かる。その僕の記事を読んだ上でそのコメント。理解不能。ただ、ミステリーマニアの友人はいう。

「多くの人はそれほど深く考えない。理屈でなく印象で判断。見た目が怪しい。だから犯人だ!というレベル。いくら監督が論理的に解説して、それを読み納得しても、けど、怪しいだよな〜と疑い続け。他で根拠ない噂を聞くと、ほら!この説も私と同じだとか主張する。論理性はなく思い込み。自分で考えず、誰かの意見に同調しているだけ。だから、マスコミに騙される」

なるほど、その通りかもしれない。が、それらの人。プロフィールを見ると、そこそこの大学を出ている。社会問題にも関心がある。なぜ、そんな人たちが論理性を無くしているのか? これは僕がいつもいう日本の教育があるのだろう。

与えられたことを疑わず目的も考えずに覚える授業。そんな勉強ばかりしてきた日本人。考える力が育っていない。記憶力はいいが、与えられことしかできない。自分で考えない。だから、政府やマスコミの情報を鵜呑みにする。

ただ、僕のFB友達はそれを疑う人たちが多い。にも関わらず、あれこれ推理すると論理性がなく、単なる想像であったり、すでに指摘された問題点を覆す理論もなく、同じことを主張したりする人も多い。

やはり考える力。特に論理性を持って考えるということができないからだろう。印象だけで決めつける。別の視点から物事を見ない。ステレオタイプに嵌め込もうとする。二段階、三段階という推理をせず、一段階で「怪しい!」と思ったら、あとはその人物が犯人であろうという情報ばかりに飛びついてしまう。

まさにマスコミに誘導され安いタイプ。その種の人を大量に育てたのが日本の教育なのだ。そして成功している。社会問題に関心があり、マスコミ情報を鵜呑みにしなくても、結局は考える力が乏しく、論理的発想が出来ず誘導されてしまう。

頭がいい、悪いではない。論理的に物事を考える教育を受けてない。その種の能力が育ってない。出来ないのは当然。できると巨悪が困る。だから、学校教育では、その能力を育てなかった。江戸時代に農民に読み書きを禁止したのと、同じ目的だったのではないか?


m_m_57611785_2620420724698882_5993821032744484864_n-5dfe5.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

考える力を育てて来なかった日本の教育。今、その成果が? [日本の教育]


90554408_3601586323248979_5360258428247736320_o.jpg

考える力を育てて来なかった日本の教育。今、その成果が?

ヤバイ。ヤバイと思っていたが、ここまで浸透しているとは驚きだ。マスコミが「マスクをしましょう!」というと、日本人のほぼ100%がマスクをし、マスクなしでお店に入ると注意を受ける。

そこまでは分かるが、誰も歩いていない住宅街。マスクをせずに歩いていると、すれ違う自転車に乗った爺さんが「マスクしろよ!」と捨て台詞。「誰もおらへんやろ!」すれ違いは1〜2秒。「お前に感染するんか!」と言い返してやろうと思ったら、もう自転車は遥か彼方。

車を1人で運転するおじさん。マスクをしている。誰から誰に感染るの? つまり、マスコミが告知すれば、その意味や目的を考えずに誰もが従う。マスクをするのだ。枠てんに関しても同じことが言える。あの事件も同様だろう。要は「考えない!」ということ。なぜ、マスクをするのか?=>ウイルスに感染しない。感染させないため。ここで終わってしまうのだ。

ウイルス小さくマスクでは防げない。要は飛沫を飛ばさない効果しかない。飛んで来たウイルスは防げない。そんなことは多くが知っているのに、マスク!マスク! 誰もいなくてもマスク。「車の中。感染しないよな」と考えないんだろうか? マスクしてジョギングしている人もいるが、密になり、人が多いからこそ感染する。誰もいない土手をマスクして走る意味が分からない。逆に「マスクさえすればOK」と多くの人が街に出かけていく。感染が収まるはずがない。

これ全て「考える能力」を育てなかった教育の効果だろう。そもそもは言われたことを疑わずにこなす会社ロボットを育てることが目的だったのだが、それが見事に達成。結果、自分で考えて行動できない大人も大量生産してしまった。

ただ、政府にとってそんな大人たちは別の目的にも有効。戦争が始まれば、最初は反対しても最後は従い、国のために戦ってくれるからだ。オリンピックと同様。マスコミと政府が組めば国民は必ず従う。そのことがよく分かる現実を毎日見ている。



57611785_2620420724698882_5993821032744484864_n.jpg
nice!(2)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

日本人は本当に愚かなのか?=背景にあるのは江戸時代と同じ統治手法? [日本の教育]

172204944_5323327494408178_4372747248284548000_n.jpg

日本人は本当に愚かなのか?=背景にあるのは江戸時代と同じ統治手法?

日本人は愚かだ!ーとよく聞く。昨年は東京都知事にミドリのおばさんを選んでしまう。直接選挙法ではないが、総理はあの人だ。あれだけ問題起こして、あの人まだ議員しているの?という輩も多い。それは彼ら彼女らの選挙区で投票する人が数多くいるから。多くが政治家を批判をするが、そんなダメ議員を選んだのは国民。だから「日本人は愚か」ということになるのだろう。

でも、そこで終わってはいけない。「なぜ、日本人は愚かなのか?」を考えてみよう。日本人はバカなのか? そんなことはない。一時は世界1の経済大国になったし、電気製品、自動車は優秀なものを作っていた。文盲率もアメリカに比べてもずっと低い。勤勉。長時間働く。バスや電車が来る時間も正確。アメリカは時間通りに来ないことが多い。いろんな国の人と話したが、その辺は世界的に凄いレベルだ。

そう考えると「日本人は愚か」とは思えない。むしろ「優秀」だ。そんな優秀な国民がなぜ、ミドリのおばさんや、あの総理を選んでしまうのだろう。自分たちのためにはならない。むしろ国民を搾取、利用する人たち。それを選んでしまうのはやはり「愚か」と思える。では、具体的にどこが愚かなのか?分析する。

日本人は勤勉だし、器用。よく学びよく働く。背景にあるのは学校教育だろう。その教育というのは「与えられたことを確実にこなす」人間を育てること。あれこれ記憶する力。教えたことを再現する能力。つまり、優秀な会社員を育成するためのもの。どんな仕事であろうと、その工程を理解、把握し、与えられた作業をミスしないでこなすための練習が学校教育なのだ。

しかし、そこに抜け落ちているもの。自分で「考える力」を育てる教育だ。与えられたことをする、指示されたことを遂行するのでなく、自分で状況を判断し、問題を把握し、選択、決断、行動する力は教育で育てない。なぜなら、そんな力が育つと会社に逆うこともあり得る。命令が間違っていれば、不利益をもたらすものなら、従わず、反発する。だが、会社側は間違った指示でも疑わずに、反発せずに従って欲しい。

だから、学校では、そのような力を育てないようにしているのだ。要は会社ロボットを育てるということ。指示されたことを疑わない。拒否しない。素直に従う。上からの命令を守る大人にするため。言われないことはしない。勝手な行動は取らない。学校ではそんな従順なロボットになる教育をしている。

上からの命令。会社トップ。政府。マスコミからの指示を素直に受け入れ、従う。反感を持っても「小池百合子、当確」とかマスコミが報じると「どうせ、そうだろうな」と投票しない。「問題あるけど、現役だしな」と投票してしまう。深く考えようとしない。他の候補を調べない。テレビによく出ている小池だけしか知らない。だから、あんなのが当選。

つまり、日本人は労働者や技術者としては有能なのだが、自分で考える力が弱い。教育によって育てられていない。そのため自分で状況把握ができない。物事の本質が見抜けない。だからマスコミに誘導される。これって江戸時代と同じ手法。

農民には読み書きを教えず、情報や知識を得られないようにして、ひたすら米を作らせたのと同じだ。そのバージョンアップ版。当時、一部の侍が多くの農民を支配したように、今は考える力を奪うことで、一部の政治家、企業トップが国民を支配しやすくしている(その誘導役がマスコミ=国民の味方の振りをしながら誘導する)戦争をする時も、似たような手を使うしね。そういうことではないかな?


m_12527945_1003590556381915_2074457293_n.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

今、子供たちに伝えるべきは何なのか? =騙され続けた戦後70年。日本の教育、本当の目的は? [日本の教育]

今、子供たちに伝えるべきは何なのか?
=騙され続けた戦後70年。日本の教育、本当の目的は?

(2019年6月 再掲載)

学生時代。NHKの「若い広場」では「受験戦争」とか「学校」とかをテーマに討論する真面目な番組があった。「何のために勉強をするのか?」という話で、ある生徒が言った。

「何だかんだ言っても自分のためじゃないかなあ。勉強は嫌だけど、好きなことばかりやってられないし、自分を鍛えると言うことだと僕は考えています」

一方でアメリカ人は「楽しむ」と言うことを大事にする。「Aer you enjoing?」(楽しんでいるかい?)とよくいう。だが、日本では「楽しむ」と言うことに罪悪感を持つ部分がある。皆が働いているときに、俺だけ遊んでいていいのか?というような。

「遊んでばかりいたらダメだ。勉強(仕事)しなきゃ!」

そんな強迫観念はないだろうか? 僕より若い世代になる程、その意識が少なくなっているとは思うが、「遊ぶこと」「楽しむこと」はいけないことで「努力する」「学ぶ」「頑張る」と言うことが人として大切なこと。と言う意識が日本人には強い気がする。

だからこそ、戦後、お父さんたちは夜遅くまで働いて、日本を経済大国した。優秀な電化製品を次々に開発して、世界マーケットをを独占した。当時は漫画を見てもスポ根ものが盛ん。ひたすら努力と練習を続ける星飛雄馬がいて、ボクシングに青春をかける矢吹丈がいた。そんな漫画を読んで育った僕らの世代は「遊んでいてはいけない」「努力しなきゃ」と言う思いが強いのだろう。

勉強することは努力すること。自分を鍛えることと思い込んでしまったのではないか? 花形満が体を壊してでも鉄バットで大リーグボール1号を打つ練習をしたり(よく分からない方は読み飛ばしてください)星飛雄馬が腕の筋が切れるのを承知で、大リーグボール3号を投げたり(説明大変なので気にしないでください)力石徹が体重を落とすために倉庫に寝泊まりしたり(先と同じです)

そんな努力を「苦しくても頑張る!」と言う解釈にして、大人は遅くまで仕事をし、子供たちは勉強をした。ある先生がよく金八先生を真似て言っていたこと。

「勉強と言う字はー勉めてー強くなるーと書く。それが勉強だ」

「嫌だと思っても、勉めてやるから強くなる」

それは飛雄馬であり、丈であり、力石だ。そこまで子供が考えてはないが、無意識に感じた。そして大人たちは司馬遼太郎の小説の武将や勤皇の志士たちに自分を重ねた。

先の「若い広場」の生徒の発言。今、考えれば、勉強は「自分のため」ではなく、国が経済大国を目指す重要な戦力(優秀なサラリマン)となるための訓練だった。与えられたことを確実にする優秀なサラリマーンになる努力させられていることに気づかず。「自分のため」と思い込んでいたのだろう。

国のため、経済大国を目指すため、それ自体は悪いことではない。が、そのために猫も杓子も動員、国のためではなく、自分のためと思い込んでいる。思い込まされていることが恐ろしい。それは戦時中と同じ構図。だが、良い大学=>一流会社=>安定した生活という流れはもう過去のもの。これからは「与えられことをするだけの会社員」では通用しない。大人は、親は、子供達に何を伝えればいいのか?


asahi .jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

日本の戦後教育は国策? =戦時中と同じだったこと。ある取材で痛感。 [日本の教育]

61654713_2708964762511144_8870839184168845312_n.jpg

日本の戦後教育は国策?
=戦時中と同じだったこと。ある取材で痛感。

戦中の教育=「米英鬼畜」「欲しがりません。勝つまでは」という教育と戦後の教育が同じ構図であることを何度も伝えてきた。僕にとって10代の高校時代からの疑問であり、当時から「無意味な勉強」と思えていたが、40年近い月日の中で検証し、答えを得た。

確信するに至ったのは3年に及んだ沖縄戦ドキュメンタリーの取材だった。その中で当時を知る方々からお話を伺い、戦時中の皇民化教育とはどういうものか?を調べた。それがまさに、僕らが幼い頃から受けた戦後教育と同じ方法論であったこと。

「戦争をしろ!」

と上から命じるだけでなく、国民自らが

「戦争をせねば!」

と考え願うようになる教育。そして親や大人たちも推奨し褒め称える。戦後教育も同じ構図。

「しっかり勉強して、一流大学に行こう!」

子供達が自らそれを目指し、親たちもまた戦中と同じようにその考え、行為を褒め称える。国策は押し付けるのではなく、国民の1人1人がその価値観に賛同し、国が求める方向に努力して進むものであること。2つの時代を検証し痛感した。

もちろん、戦後は戦争といっても受験戦争。日本を経済大国にするための国策教育。その全てを否定するものではない。が、

「与えられたことを疑わずに確実にこなす」

そんな人材を育てるものなので、それ以外の素質があって、その素質に著しく欠ける者も、例外なくそのベルトコンベアに乗せられて選別され、それ以外の力を養う機会を失った。

そのような人材ばかりを育てたために、20年も続く不況を脱することができず、日本を三流の後進国に貶めた原因にもなっている。いずれにしても戦時中は戦争に反対すると

「非国民」「死ぬのが怖いのか!」

と言われた。受験戦争を批判すると

「落ちこぼれ」「お前は勉強するのが嫌なだけ!」

と言われた。国が思う方向に子供達を思想教育し育てようとすることは、賛同できないし、非常に危険であり、大きな犠牲を伴う。

だが、いずれも国策は国民全体に浸透し、それを疑うことなく親も子供も従ったことは恐ろしいとしか言えない。もし、戦争が再び起きれば、国は同じ方法論で教育を再開。国民はまた疑うことなく従い、太平戦争の悲劇を繰り返すことになるはずだ。そんなこと「沖縄戦」で取材した当時を知る方々の話を聞いていて強く感じた。その意味でも「ドキュメンタリー沖縄戦」見て頂きたい。

沖縄戦ブログ=>https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp



78333202_3245059878901627_1537660045007781888_o.jpg
nice!(1)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

子供たちの教育。この日本でどうすればいいのだろう? [日本の教育]

132004961_4795164797224453_3512860609686865929_o.jpg

子供たちの教育。この日本でどうすればいいのだろう?

10代から映画監督を目指し、戦いの連続だった。幸せな家庭を持つことなく、今日まで来てしまった。最近は街を歩いていると、僕よりずっと若い兄ちゃんが幼い子供を連れてショッピングしているのを見かける。もし彼の立場ならどうだろうと考えることがある。子供の教育だ。

いつも書くことだが、日本の教育は今も優秀なサラリーマンを作り上げることしかしない。今の時代に一番大事な「自分で考える」力を育てることをしない。そんな教育を小学校から受けていたら、10年後の世界では絶対に通用しない。まあ、日本は指導者に逆らわず、しっかりと働き、管理しやすい大人を生産して来たのだが、10年後どころか、今現在でも、自分で考えて行動できない者は、もう大変なことになる(なっている?)と思える。

もし、僕に子供がいたらどうしただろう? 小学校はまだいい。中学も義務教育。でも、高校は? 僕自身。高校時代は本当に無意味だったと思える。社会に出て何ら役に立たないことしか学んでいない。そんな授業より、映画を見たり、レコードを聴いたことの方が100倍役になった。受験勉強をせずに、読んだ映画雑誌が今、意味を持っている。

アメリカに留学したが、もっと早くに行けば語学力はもっと伸びただろう。20歳を超えてからだと厳しいことも実感。そして、日本にずっといては視野が狭くなる。そう考えると我が子がいても「いい高校に行け」とは言えない。高校自体に意味を感じない。

10代の多感な時期に暗記中心の教育を受け、考えることを必要しない授業で過ごすのは本当にもったいない。無意味。というより悪影響しかない。でも、こんな日本で本当に意味ある教育を受けるのは難しい。もし、子供がいたら、僕はどうしただろう? そんなこと。街でショッピングする若い親子を見ていて考えていた。


m_12527945_1003590556381915_2074457293_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

日本の間違った教育が日本人をダメにした=高校時代に教師が言った言葉を考えた? [日本の教育]

IMG_2988.JPG

日本の間違った教育が日本人をダメにした=高校時代に教師が言った言葉を考えた?

高校時代に「こんな勉強をしていて何の役に立つんだろう?」と思えた。それから勉強をやめ映画ばかり見ていた。家ではレコードを聴きながら、映画関係の本や雑誌を読んでいた。当然、成績は下がる。担任に呼び出されて注意された。「何でしっかり勉強しない!」そう聞くから答えた。「あんな勉強をしても意味がないと感じるからです。大学まで10年も英語を勉強しても英会話ができない。それって意味あることですか?」担任は一瞬黙った。彼は英語担当だった。が、教科書を読むことしかできない。にも関わらず、その問いには答えずこう言った。

「あのなあ。勉強というのは自分を鍛えるためにするものだ。大人になりちゃんとした社会生活ができるようになるための訓練なんだ」そういうので訊いた。「社会に出ると古典や漢文。因数分解や連立方程式が役に立つんですか?」そういうと怒鳴られた。「いい加減にしろ。お前は勉強するのが嫌だから、屁理屈を言ってるだけだ! ちゃんとした成績を取らないと留年するだけぞ」これ以上言っても無意味と思えて話を止めた。なぜ、担任は質問に答えず、社会に出るための訓練なんて綺麗事を言ったのか?

社会に出て仕事をする今、役に立っているのは学校時代に習った足し算引き算。後、割り算と掛け算くらい。連立方程式や因数分解を必要としたことはない。古文も漢文も使わない。化学も必要ない。英語も高校を出たレベルでは役に立たず、留学して英会話ができるようになった。日本の大学に進学した同級生はさらに4年、英語を学んだが英会話はできない。友人たちに聞いても学校で学んだことで役に立っていることを聞いても、皆答えられなかった。要は担任が言うように「社会に出るためのもの」ではなかったのだ。

何より僕の質問に答えられなかったのは、担任自身が具体的にどう役立つのか?を理解していない。実感していないからであり、一般論、綺麗事でまとめようとしたのだろう。おまけに突っ込んで聞くと怒り出し「勉強をしたくないだけ」と決めつけて話を逸らす。教師というのはその程度の存在なのだと当時は大いに失望した。が、今考えると、彼は20代。大学を出てすぐに教師になった。社会経験も少ない。会社経験もない。顔を合わせるのは生徒と教師。そしてPTAだけ。そんな狭い世界にいて「社会に出てから」を語るのは無理。中には骨のある教師もいたが、ほとんどの教師は子供たちに伝える「何か」を持たず、決められたカリキュラムを教える。それだけだったのだ。

ただ、その後、振り返って見て、ある意味であの担任は正解だったことにも気付いた。「社会に出るための訓練」は正しいのだ。英会話ができない、必要のない古典、漢文。役に立たない連立方程式。年号を覚えるだけの歴史。社会で全く必要がなく子供たちが興味を持てない。そんな科目でも真面目に取り組む。ひたすら暗記する、与えられた方法で公式を解く。これは会社に入ってからとても役に立つこと。つまり、どんな無意味に仕事を与えられてもいやがらずにこなす。上から言われた方法論やルールで仕事をこなす。文句を言わない。従う。あれこれ考えない。そんな会社ロボットになるための訓練だとすると、とても意味のある教育と言える。

つまり「意味がない」「役に立たない」と不満をいう僕のような生徒は会社に入っても、文句ばかり言って働かない。上司に逆らう。問題を起こす。異分子となる。だから、あれこれ言わないで、言われたことを真面目にこなす大人に矯正するのが教育の場なのだ。要は会社が使いやすい人材を大量生産しているのである。そんな人材は政府にとっても便利。何も考えないから誘導しやすい。不正に気づかない。マスコミが報じれば鵜呑みする。会社、社会の支配者たちが扱いやすい国民を育ててきたのだろう。ただ、成果は上がった。言われたことを逆らわずにやる。多くを搾取されても日本人はよく働き、経済大国になった。戦後の焼け野原から日本は立ち直り、金持ちの国になる。その意味であの教育は正解だったのだ。

しかし、時代が変わり、製品を作り売ればいいと言う時代ではなくなった。バブル崩壊、リーマンショック後の低迷。支配者層もまた与えられたことをこなすだけの教育で育った人たち。新しい時代をどう切り開くか?分からない。国民の多くは従うだけの存在。20年の不況。アジアの国に抜かれて行く。僕らの世代はまだ、教育の枠からはみ出して生きる連中がいた。そんな人たちは様々な業界で活躍している。ま、クリエーターが多いのだが。しかし、あとの世代は管理教育がさらに行き届き、多くが与えられないと何もできない大人になってしまった。「夢を諦めるな」と言うと「その夢がないんだよ!」と嘆く。子供時代から自分の意思で何かをすることがなかったのだろう。

先日、教育関係で働く友人と話した。今後、文科省は「考える力を育てること」に教育方針を変えると言う。数年内に実施。しかし、効果が上がるのは早くて10年後? 彼らが会社の中堅になるのはさらに10年?現在の政府を見ていても、何らか日本復活プランを持つ者はいないだろう。コロナ感染を利用して業界からリベートをもらうことしか考えず、感染収束ではなく拡大させてしまう人たちだ。全く期待できない。そんな中、海外で進行中のあの事件。もしかしたら、それが日本を変えるきっかけになるかも知れぬ....。と密かに期待している。



m_12527945_1003590556381915_2074457293_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

与えられたことするだけの存在。自分で考えることができない人材。 [日本の教育]

131951373_4794431850631081_5529041400396803204_n.jpg

今の教育からはリーダーは出て来ないし、

そんな教育で育った人がリーダーになったら大変なことになるよ。

与えられたことするだけの存在。自分で考えることができない人材。

あ、すでにそんな人達がリーダー......だから今の日本。




m_12527945_1003590556381915_2074457293_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

子供たちの教育。この日本でどうすればいいのだろう? [日本の教育]

132004961_4795164797224453_3512860609686865929_o.jpg

子供たちの教育。この日本でどうすればいいのだろう?

10代から映画監督を目指し、戦いの連続だった。幸せな家庭を持つことなく、今日まで来てしまった。最近は街を歩いていると、僕よりずっと若い兄ちゃんが幼い子供を連れてショッピングしているのを見かける。もし彼の立場ならどうだろうと考えることがある。子供の教育だ。

いつも書くことだが、日本の教育は今も優秀なサラリーマンを作り上げることしかしない。今の時代に一番大事な「自分で考える」力を育てることをしない。そんな教育を小学校から受けていたら、10年後の世界では絶対に通用しない。まあ、日本は指導者に逆らわず、しっかりと働き、管理しやすい大人を生産して来たのだが、10年後どころか、今現在でも、自分で考えて行動できない者は、もう大変なことになる(なっている?)と思える。

もし、僕に子供がいたらどうしただろう? 小学校はまだいい。中学も義務教育。でも、高校は? 僕自身。高校時代は本当に無意味だったと思える。社会に出て何ら役に立たないことしか学んでいない。そんな授業より、映画を見たり、レコードを聴いたことの方が100倍役になった。受験勉強をせずに、読んだ映画雑誌が今、意味を持っている。

アメリカに留学したが、もっと早くに行けば語学力はもっと伸びただろう。20歳を超えてからだと厳しいことも実感。そして、日本にずっといては視野が狭くなる。そう考えると我が子がいても「いい高校に行け」とは言えない。高校自体に意味を感じない。

10代の多感な時期に暗記中心の教育を受け、考えることを必要しない授業で過ごすのは本当にもったいない。無意味。というより悪影響しかない。でも、こんな日本で本当に意味ある教育を受けるのは難しい。もし、子供がいたら、僕はどうしただろう? そんなこと。街でショッピングする若い親子を見ていて考えていた。


m_12527945_1003590556381915_2074457293_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画

子供たちの未来は大人の責任?=芸能界で活躍したい女子高生。その現実 [日本の教育]

131930087_4795245027216430_629772632319027944_o.jpg

子供たちの未来は大人の責任?=芸能界で活躍したい女子高生。その現実

芸能プロダクションの知り合いが嘆く。「10代の若い女の子がよく事務所を訪ねて来るんです。で、女優になりたいのかと思うと、何でもいい。有名になれれば歌手でもタレントでもいいって。その上、事務所があれこれやって売り出してくれる。テレビや映画に出してくれると思い込んでいて....この世界、これがやりたい!という強い思いがないとダメなのに...でも、そんな子が多いんですよ」

よく分かる話だ。昔は芸能界を目指そうという子はかなりはみ出していて、バイタリティもあった。が、それらの子ははみ出していない。普通の子だ。何かを与えられないと出来ない。指示されない動けないのだ。学校授業と同じ。この問題をやりなさい。この公式を覚えなさい。言われないことをしない。してはいけない。そんな生活の中で、自分がやりたことすら分からなくなる。誰かが指示してくれない出来ない。

でも、学校では成績のいい子しか認められない。男女共学なら可愛ければ注目される。が、女子から嫌われたりする。学校生活でアイデンティティーが認められることは少ない。社会の部品を作るための教育だ。個性を伸ばそうというものではない。大人になる頃には「自分らしさ」を消去されてしまい会社の部品になっている。が、若い頃は足掻きたくなる。私を見て!私を褒めて!私を愛して!そんな思いがある。

だから、自分らしい何かを始めて認知されようと頑張る。そんな認知欲求がある。が、今の子たちは何をしていいか?分からない。芸能人になればチヤホヤされる? 愛される? そう思って芸能事務所を訪ねる。歌手になりたい!女優になりたい!という思いはない。何でもいい有名になれれば。あー悲しい。教育は若い子たちをそんなふうにしてしまったのだ。そこまで追い詰めてしまった。でも、友人はいう。

「そんな動機で来た子は全部断ります。それで成功した子はいません。全部、事務所がやってくれると思い込んでいて、努力しない。勉強が嫌だから、他のことで楽して認められたいという思い。芸能界で大手事務所に入ればテレビに出してもらえる。事務所の力は凄いとか聞き齧った。そんな甘いものではないのに、でも、そんな子が多いんですよ」

友人はその子たちを責めるが、そうだろうか? 考える力を育てようとしない学校の中で、考える力のない子供責めるのはどうのか? 与えられることをするだけの教育を受けて来た子たちは、芸能界でも何かを与えてくれると思うのは当然。気付ける訳がない。ただ、一昔前の会社なら就職すれば、あれこれ教わりながら給料をもらえた。が、今は即戦力が必要とされていると聞く。その子たちが会社員になっても、会社があれこれしてくれると思うかもしれない。

芸能界だけではなく、一般社会でも生きていくのが大変かもしれない。友人たちはいう。「最近の若い連中はダメだな」でも、教育がダメにしているのだ。僕らの時代は今ほどの管理教育ではなかった。だから、僕ははみ出し、勝手なことをして、それが今、生きている。でも、今の子供たちは学校が、社会が、親が、教師が、友人が、よってたかって部品になる教育に押し込んでしまう。子供に自主性に期待しても無理。大人がそのシステムを変えてやる必要があるのでは?そう思えている。


m_12527945_1003590556381915_2074457293_n.jpg
nice!(0)  コメント(0) 
共通テーマ:映画
前の10件 | - 日本の教育 ブログトップ