”朝日のあたる家”とは、どんな物語なのか? [脚本]
このところ、こんな質問がよく寄せられる。
”朝日のあたる家ーはどんな物語なのですか?”
んーーーー、ご紹介したいが、それはまだできない。
僕の作品。
必ず、ストーリーやタイトルが似た作品が後発で出て来る
(その上、そちらが先に公開されることが!)
明らかにパクったな!というのもあって
ブログ等では紹介するとヤバい。
で、以前に紹介した感想文を再掲載することで
そこからストーリーを想像してほしい。
それはそれで面白いと思うぞ。
(つづく)
第1稿完成。直し開始(下)原発事故の哀しみ [脚本]
2012年 7月
今回は執筆中
シナリオを読み直すことをしなかった。
最後まで書いてから、今夜初めて全編を通して読んだ。
「もしかしたら、とんでもない詰まらない物語になってはいないか?」
原発事故の恐怖や哀しみ、出ていないのではないか?
そんな不安もあった。
細かなところは小さな問題があったが
冷静に読んでいても、引きずり込まれ、最後は泣きそうになる。
書いているときに泣けても、あとで読むと臭いだけ・・ということがときどきあるが
今回は大丈夫だった・・・
小品だが、なかなかの感動作。
自分で言うのもなんだけど・・。
また、劇中に5回くらい涙が止まらない場面もある。
もう少し直したら、一度、封印。
時間を置いてからもう一度読み直して行ければオーケーだ。
(つづく)
第1稿完成。直し開始(上)原発事故の恐怖 [脚本]
2012年 7月
原発事故の哀しみを映画いたシナリオ。
第一稿を書き上げ。どっと疲れが出ると思ったが、
早く直しをしたい!という思いが勝ち。
今夜もネットカフェにいる。
初校というのは、
とりあえずスタート地点からゴールまでたどり着いたという状態。
道路でいえば、とにかく東京から大阪まで道路を作った」という感じ
でも、まだまだ、道を舗装したり、橋を補強したり、トンネルを整備したりという
そんな仕事が残っている。
物語も同じ。細かいところを直したり、伏線を張りなおしたり
キャラクターを深めたり。よりよくして行くことが必要。
もしかすると、一部ルートを変更することもあるし、
ゴール地点を変えねばならないこともある。
冷静に物語を読みなして、さらに面白くする。そんな作業が直しである。
(つづく)
シナリオ執筆、いよいよ大詰め(5ー終) [脚本]
2012年 6月
最初、結末は
”ゴッドファーザーPARTⅡ”かと思っていたが
どうも、”マイホームタウン”になりそう。
映画ではない、ブルーススプリングスティーンの名曲
あの”マイホームタン”だ。
そんなエンディングが相応しいのではないか?と思い始めた
映画ではなく、歌だけど・・。
それがラストに流れるということではない。
前作の”青い青い空”を一言でいうと、ボブディランの”時代は変る”だ。
それと同じ意味。
今回はスプリングスティーンの”マイホームタウン”で
間違いないだろう・・。
でも、この感じを分かってくれるのは、静岡県のある方だけかもしれないが・・。
その結末を考えながらアパートへの帰り道を歩いていると
あかねの、舞の、光太郎の生き様を目の当たりにしてしまい
また、泣きそうになってしまった・・。
想像しただけで痛々しい・・。
今回のシナリオ。当初は山田太一さんのホームドラマ風物語と思えたが
何だか、アランパーカーか、オリバーストーンになってきて
その後、パニック映画か?と思えてきて
でも、今回も木下恵介監督か・・と思えて
やはり、スプリングスティーンに落ち着きそうだ。
”青い青い空”を越える、涙の名作になる可能性を感じる。
いよいよ、明日、明後日で第1稿が完結!
(つづく)
シナリオ執筆、いよいよ大詰め(4)/結末が見えて来た! [脚本]
2012年 6月
僕はもう作家というより、
この家族の行く末を見守るだけの存在だ。
叶うなら、この家族にもう一度だけ幸せな日々を送らせてたい。
だが、それは可能なのか?
あと2-3日で、物語は結末までたどり着きそうだ。
あかねは? 舞はどうなるのか?
父と母は? そして光太郎伯父さんは?
さあ、今夜も執筆スタートだ。
**********
と、5時間後。本日の執筆終了。
あーーー壮絶だった・・・。
今夜も涙しながら、書いた・・。ついに・・112ページ!
舞やあかねが、哀れでならない。
そして、光太郎伯父さんがいい味を出している。
光太郎VS父の場面。
”ストロベリーフィールズ”の鉄男(波岡一喜)VS父(飯島大介)のシーンを彷彿とする。
さらに、物語を遡って、光太郎のシーンを追加。
彼の意味が大きくなる。
そして、とうとう、終わりが見えて来た。
やはり、僕が考えていたのとは違う結末になりそうだ。
(つづく)
シナリオ執筆、いよいよ大詰め(3)/登場人物が暴走? [脚本]
2012年6月
まあ、シナリオの続きは
自分で書かないといけないのだけど
自分で書いているより、もうここまで来ると書かされているという感じ。
その意味でも霊が降りてきたという表現は分かりやすい。
物語を書いたことのない人には「頭おかしいんじゃないの?」としか思われないが
それが物語を作るということだ。
もう「24」を見ている感覚で、早くレンタル店に行って次のDVDを借りないと!
そういう感じで、本日は超疲れているのに、またネットカフェにいる。
ーーーー物語はクライマックスへ
光太郎伯父さんも再登場。除染も開始される。
舞は入院したまま、具合はよくない。大量の放射能を浴びたせいだ。
この家族はどうなっていくのか?
自分の中では一応の結末は考えているのだが、
本当にそうなるかどうか?
まだ分からない。
そして、家族の幸せとは、親子の絆とは何か?
本当に大切なこととは何か?
物語はその核心に迫るべく、怒涛のクライマックスを突き進んでいる・・。
最初は舞とお姉さんが中心で、父と母は脇役的存在だったのに
途中からお父さんがバンバン前に出てきて、主人公の座を奪いそうなくらいだ。
さらに、お母さんも馬力全開となり、お父さんの存在を抜いていく。
登場人物たちは成長し、一人歩きを始めた。
もう、僕のいうことは聞かない。「青い青い空」のときも同じだった。
みさとは僕が止めるのも聞かず、ハマコー先生に殴りかかるし。
八代先生が止めてくれなければ、物語が別の方向へ行くところだった。
そんなふうに、キャラクターたちが暴走を始める。
でも、そんな感覚に襲われたときは、素晴らしいシナリオが完成する。
(つづく)
シナリオ執筆、いよいよ大詰め(2)/タレントとマネージャーを演じる? [脚本]
2012年 6月
執筆開始直後だと、「・・・書けない」と感じることが多い。
今回のような体調不良だけではない。その理由を自身で探り
自分を書けるように仕向ける努力をせねばならない。
つまり、わがままタレントと、そのマネージャーの両方を
演じているようなもの。
マネージャーはタレントを
煽てたり、透かしたりしながら、書くように誘導する。
だが、タレントもタダ者ではなく、最初はゴネていても、その気になると凄い。
延々、何時間でも書き続けたり、予定以上の行動までしてしまう。
疲労困憊でも作業をとめようとしない。血を吐きながらでも続ける勢い。
この表現も、ようは霊が降りてくるというのと同じ。
霊は降りてきづらいが、いったん降りてくるとなかなか帰ってくれない。
現在がその状態だ。
本日はかなり体調が悪かったが、昼寝をしたら「お、書けるかも?」と思えてきて
またネットカフェに来てしまった。
先週は1週間書いて1日休んだのに、今週は休んでいない。
こうなると、作家というより、観客の気持ち。
「次はどうなるんだろう? 舞はどうなるの? お父さんは?」
と続きが気になって仕方がないのだ!
(つづく)
シナリオ執筆、いよいよ大詰め(1)/舞台俳優と同じ? [脚本]
2012年6月
シナリオを毎日書くというのは、
連日、舞台に立ち芝居をする・・・というのに近いかもしれない。
自分でない別人になり、上演時間内はその人の人生を生きる。
芝居が終わっても、引きずり完全に自分には戻れない
「彼はなぜ、あのときああ言うのか?」
と台詞の意味をな何度も問いなおす。
「よし、明日はこんな感じでやってみよう・・」
その繰り返し。それは体力と精神力の戦い。
毎晩、別の人生を体験するというのは、想像以上に神経を酷使する。
シナリオを書くというのも、それに近い体験だ。
それも1人だけではなく、すべての登場人物の人生を体験する。
言い換えれば、何人分ものイタコの霊を呼び出し
毎日、その人たちの言葉を伝えるようなものだ。
そう考えてもらうと「疲れそうだなあ・・」と想像してもらえるかもしれない。
本日は朝起きたときから体調が悪く、
さすがに執筆は休もうと思った。
「書けそう・・」という感覚がないと、パソコンに向かっても書けない。
本人的には「書かねば!」「書きたい!」という思いがあるのだが、駄目。
でも、逆に多少疲れていても、「書ける!」と感じると、書けてしまう。
(つづく)
次回作のシナリオ(原発事故が題材)100P突破!(下 ) [脚本]
2012年 6月
物語というのは、次第に波が大きくなる海のようなもので
途中で大きな波が来ると、そのあとが盛り上がらなくなる。
大掛かりだからと、盛り上がるということもなく
会話だけでも、感動の渦ということもある。
”太陽を盗んだ男”でスゴイのは、
クライマックスがカーチェイスではなく
沢田研二VS菅原文太の肉弾戦。
なのに、カーチェイスより盛り上がった・・。
そのことを忘れてはいけない。
もう1週間以上、人と話しをしていない。
ここまでくれば、全開で執筆! 肩はガチガチ。体はボロボロだが
書くのを止めることができない。
今日もネットカフェで泣きそうになりながら書いた・・。
オープンシート(オウムの高橋が行った店みたいな感じ)なので
他の客と顔を合わせる。泣きながらパソコンに向かっていると
??????と思われる。
(つづく)
シナリオ(原発事故が題材)100P突破!(上 ) [脚本]
2012年 6月
原発事故を題材とした次回作
そのシナリオ。本日もネットカフェで缶詰になり執筆。
ついに100Pを越える。
執筆と言っても、起きてから寝るまで書いている訳ではない。
どんな作家でも1日に100Pも書かない。
1日数ページということもある。
書く・・・のは単なる動作であり、物語を考える時間の方が圧倒的に長い。
なので、朝起きてから寝るまで、物語についtて考えるが
書くのは数時間ということも多い。
さて、本日は4時間ほど。
物語はついに****まで。
重要なキャラクターの光太郎オジさんが登場!
そして、お父さんが家の除染を始めるところまで
しかし、今イチ。引っかかる。
放射能の影響を伯父さんより、姉の友人が説明する方がいいのではないか?
そして、伯父さんの登場はもっとあとがいいのではないか?
書き終わっても、スッキリしないものが残る。
(つづく)
2012-09-08 20:00
nice!(0)