親子に伝える何よりも大切なこと(下)子供たちの成長を見守る [始動編]
2012年 春
そんな時代に、何を伝えるべきか?
どんな映画を作るべきなのか?
ただ、そんな時代だから明確になって来たことがある。
これまで親たちは、子供をいい大学に行かせ、大きな企業に就職させ
安定した生活を送ることこそ、幸せだと考えた。
でも、これからは違うだろう。
脱原発デモを取材したとき、福島から参加した主婦
こう言っていた。
”東京に来て驚きました。子供たちが公園で遊び。
皆、普通に犬を散歩させている。
私の町では、もうできないんです。
ついこの間まで、当たり前にやっていたことができない。
放射能に汚染されて、子供たちを外で遊ばせることもできません・・”
重い言葉。そして思った。
幸せというのは、
一流大学に入るより、大手企業に就職するより、
金持ちになるより、有名になることより
子供たちが公園で遊び、食べたいものを食べ、
健康で、病気にかからず、親より長生きすること。
何よりも大切なのは、子供たちが元気でいること。
そんな子供たちの成長、親が見守れること。
それが幸せというものではないか?
それが・・・ハッキリして来たような気がする。
(つづく)
親子に伝える何よりも大切なこと(上) [始動編]
2012年 春
僕の映画のテーマ。”親子に伝える大切なこと”
それを突き詰めて行けば、どうすれば人は幸せになるか?
そして、幸せとは何だろう?
ということになる。
僕が映画を通じて語って来たのは・・。
子供を一流大学に行かせるよりも、
自分らしさを見つけてあげることが大切ではないか?
或いは、親子の絆を確認すること
自分の気持ちを伝えること。
どうすれば絆を強くできるのか?
どうすれば気持ちを伝えることができるのか?
そんなことを”ストロベリーフィールズ””青い青い空”を通して
語って来た。
しかし、3/11から日本は大きく変わってしまった。
地震や災害も本当に大変だが、いつか復興できる。
戦争も悲惨だが、降伏すれば終わる
でも、原発事故。
拡散された放射能は降参しても攻撃をやめない。
セシウムの半減期は30年。プルトニュウムは2万4千年。
人間はそれを無害化することはできない。
特に被害が大きいのは子供。
今後、白血病、癌、心臓疾病、呼吸器の病気が多発する
チェルノブイリでは事故後、正常に産まれてきた子供は15%
多くが奇形児。産まれて来てもすぐに死んでしまう。
甲状腺がんが激増。皆、30歳まで生きられないという。
チェルノブイリと同じなら、日本もそうなって行く。
(つづく)
次回作の話(7)ホームドラマで原発事故を描く? [始動編]
2012年 春
あれこれ考えていて、気づく。
脚本家の山田太一さんのドラマのような構図ではないか?
”岸部のアルバム” ”時にはいっしょに”” ”早春スケッチブック”
のような家族の物語。
いずれも、天変地異が起こるドラマではないが
もし、それら家族が原発事故に巻き込まれたら・・
という形が一番伝わるのでは?
つまり、ホームドラマにするのだ。
反原発映画というより、ホームドラマ。
その物語の背景で原発事故が起きる。
岸部のアルバムの最終回で大雨が降り、家が流されて行くのと同じ発想。
でも、あればパニック映画ではなく、家族の物語。
”青い青い空”で言えば、真子の家族を中心として
原発事故を見つめるドラマにすればいいのだ。
それだ・・・。
それなら僕らしい物語を綴ることができる。
そう考えて、昨年からストーリーを考え続けた・・。
(つづく)
原発映画を作る(6)原発事故を勉強 [始動編]
2012年 春
昨年秋から、いろんな本を読みあさった。
同時に、ニュース番組を片っ端から録画。
原発関連の特集を集めた。
そんな中で、印象的だったのが、朝日新聞に連載された
”プロメテウスの罠”
原発事故で被災した家族をルポしたものが心に響く。
こんなふうに、被災者の目線で事故に巻き込まれて行く物語なら
観客自身が当事者となり、哀しみを見つめることができるはずだ。
しかし、再現ドラマになってはいけない。
それでは本当の恐怖や哀しみは伝わらなくなってしまう。
そのために大事なのはキャラクターだ。
ごく普通の平凡な家族が主人公であるべきだ。
パニック映画のように、科学者や報道記者が主人公で
事件を解明するものとは違う。
あれこれ考えていて、気づいた・・。
(つづく)
原発映画を作る(5)試行錯誤が続く [始動編]
2012年 春
では、どうすればいいのか?
考えた。
センセーショナルなドラマである必要はない。
声高らかに原発反対という作品でもない。
逆にそれでは伝わらないだろう。
誰もが自分のことのように感じる物語が必要だ。
反戦映画で言えば、戦場が出て来る作品ではない。
”戦争と人間” ”人間の条件”
”肉弾” ”ビルマの竪琴”
その種の文芸作品とは違う。
自分らしい物語で描いてこそ、伝わる作品になる。
彼女たちが通う高校の近所に、原発がある。
そこが爆発して、全員が被曝してしまうというドラマはどうか?
トン子が即死、三美子は白血病になり、
みさとは癌になる。そして、順番に死んで行く・・・
酷い・・・考えただけで許せない!
自分で考えたのに、泣きそうになる。
友人に話すと”酷すぎる・・そんな物語、耐えられない”
好感触。
それでこそ、原発事故の悲劇が伝わるのだ。
といって、”青い青い空”の続編で、それを作るのは違う。
同じテイストだが、新たにキャラクターを作り。物語を創造せなば。
イメージは浜岡原発だろう。
今、一番危険な原発だ。
ここがやられたら、静岡県は全滅。風の向きで東京か、名古屋がやられる。
福島以上の惨劇となる。
それを田舎に住む家族の物語で描けないだろうか?
そして、単に原発事故の悲劇を描くだけではなく
家族の絆。家族の一番大切なことを伝える作品にできるのではないか?
あーでもない、こーでもないと
昨年から考え続けた。
(つづく)
原発映画を作る(4)どんな物語が有効なのか? [始動編]
2012年 春
原発事故を題材とした映画を作るなら
いろんなパターンが考えられる。
福島を舞台に311の事故をリアルに描くこと
しかし、
現段階を描いても、報道やドキュメンタリーには敵わない。
その上、マスコミもようやく、事実を報道し出している。
それを映画にしても意味がない。
大切なのは5年後。
今なら間に合う、子供たちを救える。
そのためには5年後の姿を描くことが有効だろう。
でも、それではSF映画になってしまう。
1960年代、数多くあった原爆戦争の映画のパターンだ。
日本人はSFが苦手、近い将来こうなる!といっても
リアリティを持って見ることはできないだろう。
また、5年後にどうなっているのか?
正確に予想することはむずかしい。
ウソがあってはリアリティが失われる。
では、どうすればいいのか?
(つづく)
原発映画を作る(3)映画で原発事故を描きたい [始動編]
2012年 春
岩井俊二監督は、多くの人をインタビュー
ドキュメンタリーで原発事故の真実を伝えた。
今関あきよし監督は、7年以上も前に、ロシアに行き、
”カリーナの林檎 チェルノブイリの森”を製作した。
でも、まだ、誰も日本を舞台にした原発事故の物語を描いていない。
それを作ろう・・。
その映画で、原発事故がいかに恐ろしいもので
放射能がどれだけ子供たちを苦しめるか?
それをリアルに伝えよう!
もちろん、小品だとしても製作費は高額になる。
そんな費用をどうするか?
原発を批判する映画に投資する企業はまだまだないだろう。
例え完成しても映画館では上映してくれないかもしれない。
ある意味で、
戦争中に”戦争反対”というのに近い行為である。でも、
”親子に伝える大切なこと”
それがテーマで映画を作って来た僕が今、一番、親子に伝えるべきことは、
まさに放射能の恐怖だろう。
製作費はさておき、とりあえず勉強。そして
シナリオを書こう。
というより、物語を作ろう!
そう、密かに決意したのが、昨年の暮れである・・。
(つづく)
原発映画を作る(2)子供たちが危ない [始動編]
2012年 春
昨年、秋頃から、隠されていた原発事故の真実が
報道されるようになって来たが、未だに多くが伝えられていないことがある。
放射能の影響だ。
広島でもそうだったが、その後、多くの人が放射能による原爆病で命を失い
或いは、今も苦しんでいる。
チェルノブイリでは多くの人が放射能によって病気になり、死んで行った。
癌や白血病等にかかりやすくなる。
特に顕著なのが子供。
大人の4倍の影響を受ける。
それも事故後すぐにではない、4−5年経ってから
多くの子供たちが病気になった。そして死んで行った。
そして、奇形児の出産率が極めて高くなる。
それが日本で起きないと誰が言えようか?
なのに、チェルノブイリで避難した地区と同じ放射線量がある福島県の町
今も子供たちが住んでいる。
汚染された地区の野菜を
”食べて応援!”
と政府はキャンペーン。
日本中の子供たちは、汚染された食材を食べている。
東北だけではない、東京でも放射線量の高いホットスポットがいくつも存在。
なのに、ある学者などは”ニコニコと笑っていれば、放射能は来ない”とか
”少量の放射能は健康にいい!”
なんていうが、そんなバカなことはない。
チェルノブイリ原発事故のあと。ロシアの子供たちが元気になったという話は聞かない。
日本でも確実に放射能による被害者が増えて行くだろう。
何とかせねば・・と思えた。
でも、僕に何ができる?
山本太郎さんのようにデモの先頭に立つこともできない
小出裕章さんのように原子力の問題を伝えることもできない。
上杉隆さんのように、真実を報道することもできない。
僕には何もできない。
が、このまま、おとなしくしていていいのか?
前作で抱えた借金を返済するために、働くだけでいいのか?
しかし、何も・・・できない・・。
そう考えていて、思いついた。
映画なら作れる・・
いや、映画なら作ることができると気づいた。
(つづく)
原発映画を作る(1) [始動編]
2012年 春
昨年の春から半年あまり。
重度の過労で、寝たきり、自宅入院状態。
5年に及んだ”青い青い空”プロジェクトで、心も体もボロボロ。
テレビを見るのさえ、やっと・・という体力。
”過労死しても、おかしくなかったんだよ!”
医者にはそう言われた。
当時は311から、まだ数ヶ月。毎日のように震災の報道があった。
そんな中で興味を持ったのが原発事故だ。
入院状態で見るテレビ。
政府関係者、専門家は口を揃えてこういっていた。
”放射能は漏れていない”
”水素爆発に放射能は含まれていない”
”メルトダウンはしていない”
そこから興味を持ち、原発事故について勉強を始めた
やがて・・。
政府発表や学者の発言、全てウソだったことが分かる。
僕が動けずに寝たきりになっている間に、福島第一原発から日本中に
広島型原爆の168個分の放射能
が降り注いでいたのだ。
そのことは長い月日をかけてマスコミも伝えるようになって来たが、
未だに伝えようとしない事実が。
一部の人たちしか発信しないことがある。
(つづく)