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映画監督業は言えないことがいっぱい=緊急事態宣言中も時間なし? [映画業界物語]

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映画監督業は言えないことがいっぱい=緊急事態宣言中も時間なし?

映画人だけでなくテレビマン、マスコミ関係もそうだと思うが、今作業している仕事のことを正直に言えないことがある。テレビなら秋から始まる新作ドラマを担当しても、直前まで秘密。スタッフが勝手にバラしてはいけない。そんなことをFacebookで記事にしたらクビになってもおかしくない。マスコミも同様。ある事件を追っていて新聞やニュースでない場所で伝えたら、更迭されて当然。

映画業界も同じ。製作発表があるまでは新作のタイトル、内容、ストーリーは一切内緒。Facebook、ブログ、Twitter等に書くことはご法度。そのことで問題が発生して製作が中止になることだってある。だから、書けない。で、観た映画のことばかり書いていると「監督、ヒマななんだあ〜」と「飲みに行きませんか?」と「***のライブ来てください」とかいう連絡が来ることがある。

でも、「新作準備中だから!」とは言えない。業界の人ならその辺を察してくれるが、一般の人だと「えー、何撮るんですか〜?」「誰が出るんですか?」と聞かれる。言わないと「どーせ、俺なんて信用できないんでしょう」と拗ねたり「だったら、次から応援しませんから」とか恨まれたりする。なので映画監督たちはあまりFacebookもブログもやらないのかもしれない。そして先のような連絡があると、とても困る。

ただ、僕は作品が出来てから宣伝をスタートしたのでは遅いと考えるので、日頃から映画以外の記事をアップしている。そのために別の問題も起こる。新作準備をしていないのに「本当は新作でしょう? 次は何ですか? 僕にだけ内緒で教えてくださいよ」とか聞いてくれる人がいる。そんな輩に限って他の人にも「特別に君だけに教えるけど、監督は新作を準備中なんだよ」といろんな言い触れ回る。

すると、俳優陣が「えーマジ? 出してもらおう!」と「出演したい」メールがいっぱい来る。でも、新作なんてない。断ると「あー俺なんかじゃダメなんだ。もう頼みません...」と恨みを買う。何もないのに多くの人があれこれ噂し、恨まれたり嫌われたり。時々ある。もし、本当に新作を準備していても同じ。「どこで撮るんですか?」「エキストラで出してください」「大阪の映画館でもやりますか?」とそんな質問がいくつも来る。

その手の質問には答えないと、日頃から言っているので無視する。が、親しい人、お世話になった人からも連絡が来る。流石に返事をするが、そのために時間を取られる。「よーし、またお手伝いするぞ〜」と愛ある人もいるが、返事で準備の時間が削がれる。また、あちこちで書かれたり発信されたりすると、肝心な製作発表の時にマスコミが扱ってくれなくなる。誰も知らないからこそニュースになるのだ。

そんなこともあるので、解禁日までは一切新作については書かないし、伝えない。また、新作でなくても言えないプロジェクトもある。先の「Z計画」も同様。いろいろ難しいことがあり、完成まで内緒で進めた。友人の作品のお手伝いも同様。なので、Facebookにあれこれ書かないからと「監督、ヒマそうだから〜」ではないことお伝えしたい。ちなみに僕は「暇ですることない〜」という時もまずない。緊急事態宣言中もあっと言う間に1日が終わった。不謹慎なことを言えば、もう少し続けて欲しかったくらい。映画監督業とは因果な仕事である。


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シナリオを書くということ。ロデムも、ポセイドンもいない? [映画業界物語]

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シナリオを書くということ。ロデムも、ポセイドンもいない?

物語を作る。というのはどういう作業なのか? 監督業というのは、クリエティブだけではなく、リーダー、指揮官の資質が必要だ。スタッフ、キャストを率いて期日内、予算内で映画を撮り上げるという使命が大きい。ただ、それぞれのエキスパートがいてくれるので、助けられる。極端に言えば、あれこれ知らなくても出来る部分がある。

対して、シナリオライターは物語の題材を把握していないと出来ない仕事だ。だから、彼らはいろんなことを本当によく知っている。仲間をまとめ引っ張るリーダー的資質はいらない。その知識や情報を駆使してそこから物語を作り出す力が要求される。

どちらも大変な仕事だ。僕は両方やるが、それぞれにそこそこ。でも、両方足してどうにか得点を稼ぐタイプなのだろう。ただ、どちらが大変かというと現場以上にシナリオが大変。先にも書いた通り、現場には優秀なカメラマンがいるし、助監督が助けてくれるし、照明や録音、美術とエキスパートがいてくれる。まあ、バビル2世のようなもの。ロデム、ロプロス、ポセイドンが付いているのだ。

が、シナリオはそうはいかない。知らないものは描けない。伊丹十三監督は「マルサの女」では徹底して国税庁を取材している。それがあの映画の魅力になっている。題材となる組織、人、存在を徹底して把握。その背景となる時代を理解。その上で、物語を考え出す。すでに事件があるなら、それをどんな視点で、どのように解釈し、描くか?を考える。その独自性、オリジナリティが大事。

時代の価値観というのもある。昔なら時代劇のような「悪代官と哀れな百姓」の構図でよかった。が、多種多様の現代ではそれが通用しない。被害者ビジネスのようなものがある。今の時代、被害者が強いのだ。あえて被害者の振りをして利益を得る人たちもいる。

愛だ。平和だ。という奴に限って胡散臭い。「世界の警察」と言っていたアメリカはマッチポンプの戦争屋だった。「集団的自衛権」はより積極的な平和外交と言い強行採決した。イラク兵が赤ちゃんを殺したと証言したのはイラクに行ったこともないアメリカ生まれの少女だった。まさに悪代官タイプのトランプが実は戦争屋と戦っているのが現代なのだ。

そんな中で、その物語を通し、何を伝えるか? それこそがシナリオの醍醐味であり意味なのだ。脚本家はそれを書く仕事なのである。


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シナリオを書くには膨大な取材をする。調べないと物語は作れない? [映画業界物語]

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シナリオを書くには膨大な取材をする。調べないと物語は作れない?

先に作家になるためには、まず自分の体験を書けという話を書いた。シナリオ学校でも、どこでも物語を作る時は、どの世界でも言われることだ。そのあとに、あれこれ調べて書く。そう書いていて気づいたのだが、僕はその教えを実践していない?

監督第二作「青い青い空」シナリオも僕だが、この時は書道を物凄く勉強して書いた。三作目の「朝日のあたる家」は原発事故に付いて2年勉強した。なのに4作目の「向日葵の丘」は学生時代の体験。8ミリ映画の話だ。5作目の「明日にかける橋」は高校時代の思い出を元に書いた。

2、3作が徹底取材。4、5作が体験がベース。先の「教え」と逆。問題はあるが、どうにか評判はよかったので見逃して欲しい。僕もまた、先の記事で紹介したように、大した経験はない。父が警視庁の鬼刑事という訳でもなく、命を賭けた恋愛もせず、学生時代は映画ばかり見ていた。そのあとに、8ミリ映画をやったが、それは「向日葵の丘」で使ってしまった。やはり、あれこれ取材して新しい物語を作る段階なのだ。

漫画家の本宮ひろ志さん。当初は経験を生かして「男一匹ガキ大将」のようなケンカ漫画を描いていたが、次第に「俺の空」「俺の空」刑事編」「男樹」「サラリーマン金太郎」と刑事、ヤクザ、サラリーマンと違う世界を舞台に漫画を描いている。読んだことがある人なら分かるが、彼の漫画は本当によく取材している。「何! 殺し!」と課長が電話で叫ぶテレビの刑事ものを見て描いてはいない。それぞれに現実を調べた上でフィクションとして物語を作っている。

で、我が身を振り返り考える。実はいくつかオリジナルでやりたい話がある。1つは青春時代。8ミリ映画を始めるまでの学生時代の話。トキワ荘のように「将来は映画監督になる」という連中が集まったアパートがあり、そこでの破茶滅茶な青春もの。1980年代が舞台。これは経験に基づくもの。それと「ドキュメンタリー沖縄戦」を完成させて、どーしてもドキュメントでは描けない部分があることを痛感。それは劇映画でやらねばできないと思えている。そのためには戦争を徹底勉強せねば。

あと、10年以上勉強を続けている精神病についてのドラマ。医者ものか? 医療ものか? 家族ドラマか?どんな枠になるか分からないが、それ。最後にサイコミステリー。これはもう20年前に原作を書いている。女探偵が主人公のドラマ。2時間ドラマではない。近いのは「ジョーカー」。でも、映像化は難しい。ともあれ、4つ。これらを撮るまでは死ねない。「明日にかける橋」も物語は2006年に考えたもの。10年後に映画化。1ヶ月で考えては間に合わない。


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物語ってどんな風にして作るのだろう? [映画業界物語]

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物語ってどんな風にして作るのだろう?

と考えてことあるかな? 多分、こんな風だと思うだろう。脚本家が机に向かい考える「主人公は型破りな刑事。警視庁の特命課。1匹狼で圧力に屈せずに捜査する。敵は麻薬のシンジゲート、政界をも沈黙させるコネクションを持つ」とかなんとか。ま、それが刑事ものであれ、恋愛ものであれ、脚本家を目指す人たちはそんな風に考えながらシナリオを書くことが多い。僕もそんな1人だった。が、それでは人を感動させたり、ドキドキさせたりはできないことに気づいた。

不思議なもので、一般の人でも嘘は見抜く。想像だけで書いた物語。警察機構を知らない人が書いた刑事ものは、どこか胡散臭く感じるのだ。「よく分からないけど、リアリティないなあ〜」と。しっかりと調べて書くと、警察のことを知らない人でも「なんかリアルだなあ〜」と感じる。だから、どこかの国の総理の答弁。多くの人が「本気で思ってないだろう?」と思ってしまう。具体的にどこが違うとは言えなくても胡散臭い。もちろん、コロッと騙される人もいるが、その種の力がない人たち。少数派だ。

では、観客を納得させる物語はどんな風に作ればいいのか? 小説でも、シナリオでも、漫画でもよく言われるのが、「自分の体験を書け」ということ。つまり、自分が知っていることを書く。そうすれば説得力が出る。クラブ活動でも、恋愛でも、家族でも、友達でもいい。そんな話をドラマにする。が、難点が人生にはなかなかドラマティックなことがないこと。学生生活も平凡。家族も普通。父が警視庁の刑事だという人も少ない。だとしても父の職場は見ていない。命を賭けた恋もしていない。

でも、よくよく見つめて行けば、必ずドラマになる題材はある。派手な映画のようなネタを探すから見つからない。それを見つけられるか?も資質を問われる部分。漫画家の友人に聞いたが、彼らの世界も同じで、子供時代から漫画はよく読んでいる。絵もうまい。でも、そんなことばかりしてきたので何の経験もなく、物語が作れない。描かせるとどこかで読んだ有名漫画の作品風の作品になる。自分にオリジナリティがない。経験がないから借り物になるのだ。

僕も学生映画をやっていた頃。友人たちが作る多くが「太陽にほえろ」風ドラマ。「インディジョーンズ」風冒険もの。ジャッキーチェン風クンフードラマのようなものが多く、プロを目指すというより「太陽にほえろ」ごっこ。「インディ」ごっこという感じだった。が、彼らも映画が好きなだけ。「スピルバーグのような映画を撮りたい」という思いが先行。自分の体験は何もない。真面目に勉強し、大学に入り、映画研究部で8ミリ映画を撮っているだけ。僕もそんな1人だった。

「男一匹ガキ大将」の本宮ひろ志さんは、河原で木刀を持って喧嘩するような子供時代を送っていた。その経験を生かしてあの漫画を描いた。水島新司さんは野球好き。だから、野球漫画を描く。何か経験や人に負けない詳しいものがあることが大事なのだ。そんな経験を元に物語を作り。表現力が付いてきたら、次は調べて書く。それこそ刑事ものがやりたければ、警察を勉強、取材して書く。が、テレビの刑事ものを見て描いても観客には伝わらない。不思議な話だが、観客は偽物を見抜くのである。この続きはいずれまた。



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映画のサントラ盤。日本はファンが多いというがよく分かる? [映画業界物語]

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映画のサントラ盤。日本はファンが多いというがよく分かる?

日本では海外で発売されていないサントラ盤が手に入る。あのタレンティーノ監督が「なんで、この映画のサントラが日本で売ってるんだ。アメリカでも発売していないのに!」と驚愕したこともあるそうだ。多分、それは「続・荒野の用心棒」だと思うのだが、僕も持っている。

というのは、日本にはサントラ・ファンが多く、当時で言えばレコードを出せば数千枚は必ず売れるからと聞いた。日本の映画ファンというのは、映画を見て楽しむだけでなく、帰りにパンフレットを買う。これはアメリカにはない。彼らは映画館で楽しんだらそれで終わり。チラシもないので記念品が残らない。が、日本人は映画館で見て楽しみ、パンフを買って家で思い出し、さらにサントラ盤を聴いて感動を噛みしめるファンが多いのだ。

僕もそんな1人で高校時代から気に入った映画のサントラ盤を集めていた。ま、日本のレコードは高く、当時は2500円もした。高校生の小遣いは1ヶ月5000円くらいなもの。かなりの値段。それでもこれは!というものは買って1ヶ月くらい毎日聴いていた。が、レコードを聴くとすり減るので、カセットテープにダビングして聴いた。

写真はCDだが、元々はレコードでも持っていたものも多い。「サタデーナイトフィーバー」「ゴッドファーザーPARTⅡ」「カサンドラクロス」「タクシードライバー」「太陽を盗んだ男」「フォローミー」まだまだあるが、音楽を聴くと、映画の名シーンが蘇る。受験勉強せず、それらサントラを聴きながら「スクリーン」や「ロードショー」を読んでいた。

が、それは今、とても役立っている。自分の監督作。シナリオを書く段階から「今回はあの映画のメインテーマ風」とか決めて、その曲を聴きながら執筆。ダビングして俳優にもその曲を聴かせる。そして、撮影が終わると、映像にその曲をつけて編集。音楽家さんにも、その曲のようなイメージで!とお願いする。

曲のイメージを伝えるのは難しい。「明るい感じ」「泣ける感じ」では分からない。でも、あの映画のあのテーマの感じというと、伝わる。さらにそれを映像につけて見せる。

「ストロベリーフィールズ」は「ブラザーフッド」。「青い青い空」は「セントエルモストファイヤー」他の映画もイメージ曲がある。「ドキュメンタリー沖縄戦」は「愛と哀しみの旅路」だ。音楽家さんをそれを理解した上で、その方向性で作曲してくれる。高校時代から聴いた膨大なサントラ。今、役立っている。



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悪意はないのに陥る心理。人はなぜ、価値観を押し付けたがるのか? [映画業界物語]

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俳優は人気商売。ファンにはおかしな人もいても、公然とは批判できない。映画監督はスタッフであり、本来は裏方だが、表に出なければならない時もあるし、巨匠になると下手な俳優よりも有名だったりする。黒澤明監督しかり、大林宣彦監督しかり。芸術家であり、文化人でもある。それゆえ俳優と同じような悩みやトラブルも出てくる。

僕の先輩監督。さほど有名ではないが、先輩のファンも多い。「あの監督が撮ったのなら見なければ」と言う観客もいる。監督作品も多く、業界では「何であいつが撮れんだよ?」と妬まれるが、それだけ努力している。そんな先輩に憧れて、撮影現場まで来るファンもいる。ボランティアでお手伝い。ロケ地での寝泊まりも自腹。先輩の映画が愛されていることを実感する。

だが、先輩も悩みがある。最初は応援してくれたファン。一緒に飲み食いしている内に、スタッフ気分になって来る。「次はあの俳優さんを呼びましょう」「あの事件を映画化するといいですよ」最初はファンの要望として聞いていたが、そのキャストを採用しないと文句を言い出す。「あの子を入れないなんて酷い。彼女も監督の作品に出たいと言っていたし、可哀相ですよ」

先輩は何も言わなかったが、それは僕が意見したい。映画製作はサークル活動ではない。仲良しクラブではない。「いい子だから」「頑張っているから」は関係ない。その役に相応しいか? 素晴らしい演技ができるか?が問題なのだ。つまり、その人は映画製作という視点も見ていない。そもそも、スタッフでもない、スタッフだとしてもキャスティングにあれこれ言うべきではない。にも関わらず、監督と親しくなったと言うだけで、あれこれ言って自分の意見が通らないと文句を言うのはおかしい。

彼はなぜ、そんな勘違いを始めたのだろう。先輩の話から推理した。彼はとても熱いタイプで、先輩の映画を絶賛する。行動力もあり、駄目元で撮影現場に押しかけてボランティアスタッフになった。明るく、元気なので、スタッフにも可愛がられた。監督にはいい作品を撮って欲しいと言う思いから、少しでも役に立とうとあれこれ意見を出した。が、一つも採用されない。当然のことで、映画のプロでない者だと、どうしても現実に即した提案はできない。

例えば、大好きな寿司屋があり、応援したいと思っても、寿司の味や素材を素人が意見しても有効ではない。職人さんからすると迷惑でさえある。だが、彼は先輩の作品を愛するが故に、黙ってられず意見を言うようになった。が、一つも採用されない。「なぜだ? 素人であることは分かっている。でも、一つくらい取り上げてくれてもいいだろう。俺の努力が伝わっていないのか? 俺の思いを分かってくれないのか?」そう考えるようになる。

先輩の話からすると彼は思い込みは激しいが、とてもいい奴だと思える。だが、残念ながら彼の発想はむしろストーカーの発想に近い。ストーカーは被害者を憎んではいない。愛している。彼女を守らなければ!と尾行し、危険がないようにと頑張る。が、彼女から見れば付きまとわれて怖い。恋人であってもそんなことをされたら恐怖。まして単なる顔見知りだと。だが、多くのストーカーは「彼女を脅かしている」ではなく「守っていた!」と考える。

先輩のチームでも、彼の行動や発言は問題になり、出入り禁止となった。そのことで彼は激怒。「こんなに尽くしてきたのに切り捨てるのか!」と冷静さを失う。もともと熱いタイプ。行動力もある。応援に費やしたエネルギーを先輩の誹謗中傷を振りまくことに注ぐようになった。「あの人は酷い」「利用された」「許せない」Twitterで毎日のように拡散。ネット上で先輩を実名で批判し続けた。その先輩は言う。

「でも、あいつは悪い奴じゃない。愛があるいい奴だ。手伝ってくれて、ありがたかった。悪いのは俺だよ。彼に勘違いさせた俺が悪いんだよ...」

映画の世界に限った話ではない。愛しさ余って憎さ百倍。悲しい...。



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芸能人と接すると一線を越える人たち。隣の家に有名俳優が住んでいたら、あたなはどうする? [映画業界物語]

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芸能人と接すると一線を越える人たち。隣の家に有名俳優が住んでいたら、あたなはどうする?

かなり以前に書いたが「人気俳優を悩ませる近所の奥さん」の話を覚えている人もいるだろうか? あるとき、マンションの隣の住人が有名俳優であることを知った主婦。最初は握手してください。次に写真をお願いします。そしてサイン。その後は「友達の分もお願いします」と100枚も色紙を持ってくる。「SMAPのチケット取って欲しいです〜」と頼みごと。断ると「失望した。いい人だと思ったのに!」と近所にいい触れ回る。彼は引越しを余儀なくされた。

主婦の心理を分析する。最初は「憧れ」「わー凄い!」「お隣さん。昨日のテレビに出てた!」「サインもらおう〜」「友達に話した。私もサイン欲しい!」「いい人だから頼んじゃおう〜」「ドラマ通りのいい人だ!」「芸能人だからSMAPのチケットも取れるかも〜」「いつもソールドアウトだし...」「いい人だし、何とかしてくれる!」と言う展開だ。悪意はない。

が、芸能人の彼にとっては、「握手やサインくらいは構わない」「本当はプライベートだし騒がれたくないけど、お隣さんだし、仕方ない」「自分の分のサインなら分かるけど、何で友達の分まで!」「それも100人」「夜はセリフ覚えないといけないのに!」「時間取られる」「けど、揉めたくないし」「えーSMAPのチケット!何で俺がそんなことしなきゃいけないの?」「事務所違うし、まあ、友達の友達に頼めば何とかなるけど、親しくもないお隣さんのために、友達に迷惑かけたくない」「いい加減にしろよな」「俺はダフ屋じゃねえんだよ」「けど、揉めると嫌だなあ」と言う感じだ。

考えたら分かるのに、その主婦は全く彼の負担を考えていない。「だっていい人だから!」その思い込みだけ。似たような話を思い出した。昔、深夜ラジオであるお笑い芸人さんがこんな話をしていた。「師匠に連れられて高級なクラブに飲みに行った。ホステスのお姉ちゃんは**さんと俺のことを呼んでくれた。が、その内に師匠と懇ろになり、Hしたら、店で俺のことを***ちゃんと呼ぶようになった!あなたもワイン飲む?って。女は出世が早いと言うけど、これなんだと思ったね〜」あるあるだなと感じる。

最初はホステスさんにとって師匠も弟子も「お客様」だった。が、ホステスが師匠の愛人になったら「自分の男の弟子」になり、立場が上だと思うようになったのだろう。しかし、愛人になろうが店では客は客なのだ。それを上から目線で対応するのは違う。が、そんな勘違い、時々見かける。

昔の話だが、Facebookでも「友達承認」をした途端に「何で映画監督になったの?」「どんな映画作ったの?」「女優の***の噂、本当なの?」「女優と付き合ったことあるの?』とメッセンジャーで質問して来た。即「友達削除」したが、想像するに「承認」されれば本物の友達になったと思い込んだのだろう。

これらに共通するのは、皆、自分の立場を勘違いしていると言うことだ。隣に住んでいると言うだけで、芸能人にあれこれ頼むのは非常識。ホステスと愛人の立ち位置を混同している。Facebookなのに本当の友達と思い込む。しかし、彼ら彼女らは決して頭が悪いとか、常識がないと言うのではない。共通するのは「芸能」が絡むことだ。僕のFacebook話は芸能とは言い難いが、僕も一応、映画監督なので同じカテゴリーにする。芸能が絡むと人は常識から外れがちになるのか?

街角で有名人を見かけると無断で写真を撮る。サインを求める。それはあくまで相手の好意でもらうものなのに断ると、怒る。「もう、応援しない」とか思う。手を振るが無視された。「実は嫌な奴だった」とツイートする。なぜ、芸能が絡むと人そうなるのか? そこには「あの人はいい人だ。親切だ。頼めば笑顔で答えてくれるはずだ」と言う勝手な思い込みが存在するのだ。勝手に思い込み、それが違うと「許せない」「2度と応援しない」となる。が、彼ら彼女らは悪意がある訳ではない。でも、トラブルが起こりがち。

俳優ほどではないが、僕も映画監督業をやっていると、例え顔が売れていないのに、似たようなことがある。誰も悪くないのに、問題が起こり、互いに傷つく。先の俳優さん。こう話していた。「バレたら引っ越す。それが一番。昔は芸能人になることに憧れたけど、こんなことがあるんなて考えなかった...」



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夢破れた友人たちの言葉「世の中甘くない。いつまでも夢を追うのは子供だ」ーそこにある心理を分析した。 [映画業界物語]

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夢破れた友人たちの言葉「世の中甘くない。いつまでも夢を追うのは子供だ」ーそこにある心理を分析した。

人は苦労して成長するが、逆に苦労してダメになることもある。「超えられない試練を神は与えない」というが、それは違う。大きな危機や絶望でダメになる人は多い。僕の周りにもたくさんいた。そんな彼ら彼女らを観ていて気づいたことがある。

例えば夢を追う若者たち。「俳優になりたい!」「歌手になりたい!」専門学校に通う。劇団に入る。アルバイトをしながら頑張る。でも、5年10年と年月が経つと、流石に考える。「俺には才能ないのかな?」「やっぱ、大手プロダクションに入らないとダメだな」あれこれ理由を考える。そして、こう考える。

「夢はしょせん夢なんだ。子供だったんだよ。現実を見つめないと。世の中甘くないからな。大人になって、自分に合った仕事を見つけよう」

そう言って夢を諦めた友人は数多い。だが、この考え方にはおかしいところがある。「世の中甘くない」というが、夢を掴んだ人たちもいる。世の中甘いのか? そこから言えるのは、「世の中甘くない」の前に、自分はそれだけの努力をしたか?を問っているか? 努力が足りなかったのを「世の中」のせいにしてはいないか? そしてその「努力」の方向は間違っていないか? それを検証したか?少なくても僕の周りで夢破れた人たちで、それらを検証した者はいない。

つまり「世の中」が甘くない。厳しいから夢を果たせなかった。自分は努力した。頑張った。悪いのは世の中だ。それを理解し、私は大人になるのだ。という論法。これのメリットは自分が傷つかずに済む。俺は悪くない。世の中が悪いのだ。それを悟った。大人になった。負けたのではない、むしろ賢くなったのだと考える。もちろん、いつまでも夢を追い続け、目的が果たせないと、どんどん自分が惨めになる。だから、努力せずに自分を救い出す論法を考えてしまうのだ。

ただ、それは違うと思う。「現実に気づいた」のではない。現実を都合よく解釈しただけだ。「才能がない」も違う。そもそも「才能」なんて存在しない。誰もが「俺は努力した」と思いたいが、なぜ「俳優」になりたいと思ったのか? それを突き詰めて考えたか? 「モテるから」「金持ちになれるから」「有名になれるから」それが理由なら向いていない。俳優とはそもそも、どんな仕事でどんな資質が必要か?を考えいていない。単なる憧れだけ。

それで「世の中、甘くない」はないだろう?だが、人は壁にぶつかると、厳しい現実に対峙すると、努力せず、どこかの政権の様に「解釈」を変えて「俺は子供だった」「大人になった」「世の中は厳しい」と自分を正当化する。そして、次世代に対して、子供達に対して「世の中、甘くないぞ!」と説教をする。そんな大人もたくさん見てきた。夢を諦めるなといいたいのではない。現実をしっかりと見て考えろ、都合よく解釈して誤魔化すなということ、その上で、自分の行き方を考えるべきではないか?そう思えている。



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物語はどうやって作られるのか?=「朝日のあたる家」の場合。 [映画業界物語]


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物語はどうやって作られるのか?=「朝日のあたる家」の場合。

「太田監督の映画はいつも感動的だけど、シナリオもご自身で書いているんですよね? どうやって物語って考えるんですか?」

とたまに聞かれる。物語を考えると言うのは、あまりすることではないので不思議に思えるようだ。僕の場合。最初はネタから。前作の「明日にかける橋」ならタイムスリップ。「朝日のあたる家」なら原発事故。「青い青い空」なら書道。「ストロベリーフィールズ」なら幽霊という風にネタというか、題材を決める。分かりやすい例は「朝日」だ。



まず、原発事故の悲劇を伝える映画を作ろうと考えた。しかし、原発自体を描くと億単位の製作費が必要。あと、それではパニック映画になるし、本当の意味での原発事故の恐怖は描けない。被害者である住民を描いてこそ恐怖や悲しみが伝わる。戦争映画でもそうだが、軍部視点で描くと、戦争の進行は分かりやすいが、悲劇の部分が伝わりにくい。

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そこで「朝日」は住民を視点で描いた。ある家族を中心にして、周りの人たち。原発内部、官邸の内側も一切見せず、一般人の視点で見えるものだけを描いた。この手法は過去にある。スピルバーグの「宇宙戦争」あれはトムクルーズの家族だけを描き、政府、軍部、宇宙人側は一切描かない。主人公が見るものだけを観客が見る。それゆえに不安感が増大する。その手法だ。

もう一つが山田太一の「岸辺のアルバム」。新築の家を舞台に悩める家族模様が描かれ、最後は大水でその家が流されてしまうまでを描く。そのことで家族とは何か?を見せつける。この2つの作品の方法論を参考に、原発事故に巻き込まれた家族の物語を描いてみた。登場するエピソードは全て本当に福島で起こったこと。だから、机の上で考えた話ではなく、胸に突き刺さる。

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次に家族構成。平凡な家庭がいいので、お父さん。お母さん。娘2人。1人は大学生。1人は高校生とする。娘上は美大で絵の勉強。娘下は犬が好きな子。お父さんはいちご農家。お母さんは主婦。ここまで出来れば、そこに原発事故があればどうなるか?を考えれば物語ができる。が、この手の物語で大切なのは専門家。怪獣が登場するなら怪獣博士がいる。この場合は原発と放射能に詳しい存在。

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それがいしだ壱成さん演じる反原発活動家。そのことであれこれ説明と解説をしてもらえる。「ゴジラ」なら志村喬の役割。あと、主人公の1人、お父さん(並樹史朗)と対立するキャラも必要。そのことでよりドラマが深まる。それが山本太郎さんが演じてくれた伯父さんだ。

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ここまでくればもう、想像するのではなく、実際の原発事故に合わせて家族の反応や行動を推理していけば物語ができていく。別の映画のパターンもまた紹介する。


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「ダークナイト」と若き映画監督の悲しみ=そこに山本太郎の葛藤を見る? [映画業界物語]

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「ダークナイト」と若き映画監督の悲しみ=そこに山本太郎の葛藤を見る?

「ダークナイト」あのヒースレジャーがジョーカーを演じて評判となったあの映画。友人が見て大共感したという。彼も映画監督。僕と同じように地方で映画を撮ることが多い。まず、その街を好きになるところから始める。街の風土、歴史、伝統も調べて撮影。その町の魅力を伝える作品を作る。所謂、町おこし映画なので、低予算だが、完成度は高い。そんな彼がいう。

「いつも地元の人たちの応援で映画を作ります。地元の応援なしでは作れない。ただ、どこで撮っても必ず、誹謗中傷する人たちがいます。協力しないのは構わない。でも、邪魔をしたり、デマを振りまいたり。僕はその町の良さを伝える作品を作っているのに、何でそんなことをするのかと...」

いろんな理由があるらしい。映画を作る地元グループと敵対しているグループの場合。自分たちが注目されない。ライバルが賞賛される。だから「ロクでもない映画だ」と吹聴。あるいは店でロケしてもらい宣伝にしようと思ったが、断られた。その腹いせに批判するとか。そんなことらしい。

「よくあるので、受け流すのですが、いつだったの作品。結構、評判になり、地元の人たちも喜んでくれました。それが後になって、俺たちは監督に利用された。この映画で大儲けしているのに、地元には利益が来ていない!監督が横取りしていると言い出した人がいたんです」

映画は少しばかりヒットしても、本当にわずかな利益にしかならない。その上、監督には1銭も入らないシステム。なのに、誰かが勘違いして、ありもしないデマを言い出した。配給会社から地元には興行成績が送られる。それを見れば一目瞭然。なのに、一緒に映画作りにガンバった地元の人たちが、そのデマを否定するどころか。黙り込んで何も言わなかったと言う。

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そんな時、彼が見たのが「ダークナイト」ゴッサムシティのために犯罪者と戦ったバットマン。犯罪が激減。だが、ジョーカーが「バットマンを差し出さないと、毎日1人ずつ市民を殺す」と言えば、多くの市民が市役所を囲んで「バットマンを差し出せ!」とデモ。最後は悪に落ちた検事の身代わりとなり、自ら汚名を着る。街を救った英雄が市民からありもしない批判を受け、身を隠すことになる。それを見た友人は号泣。自分がダブったと言う。

「本当に美しい街だし、その魅力を全国に伝えたかった。監督料も僅か、残ったのは借金だけ。でも、地元の方が喜んでくれればと思っていたけど、まるでダークナイト。やりきれません...」

僕も似たような経験がある。地方では揉めないでおこうと言う意識が強い。トラブルがあっても見て見ぬ振りをする。諍いが起こると同じ町に住む同士。どこかで顔を合わせる。下手すると親子三代に渡る対立。真相を知っていても黙っていることがある。ただ、若く熱い友人にはそれがショックだったのだ。その後も批判グループは無記名で彼に「騙されましたよ」と手紙を書いてきたり、あちこちでいい触れ回ったりしたらしい。応援してくれた人たちからの連絡もなくなったと言う。

彼に伝えた。それなら町全員がお前に感謝し、褒め称えてくれればいいのか? そんなことはあり得ない。山本太郎を見ろよ。国民のために政治を変えようと頑張っている。なのに、その国民の多くが彼を批判し、否定し、誹謗中傷を続けている。デマを信じ、太郎さんのことを何も知らない奴が「目立ちたがり」「政策は無茶苦茶」「お騒がせ野郎」と言う。御用評論家の批判を鵜呑みにして吹聴する。それでも彼は言う。

「そんなあなたも救いたい!」

政権や評論家に批判されるのはまだいい。でも、国民から攻撃される。時には彼の支持者だった人からまで「あいつはダメになった」と言われる。どんな気持ちだろう? そして何が彼を支えているのだろう? 500円ハゲができるのも当然。心はボロボロ。でも、日本を変えたい。国民の暮らしを良くしたい。そんな思いのはず。

映画作りも同じ。その町の人だけの映画じゃない。お前が作った作品を全国の人が見て感動してくれる。心無い批判をする人たちと同じ価値観で考えてはいけない。それが映画だよ。そう話すと彼は黙って頷いた。


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