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映画監督は「嘘を見抜く」が仕事=嘘を鵜呑み拡散してどうする? [映画業界物語]

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映画監督は「嘘を見抜く」が仕事=嘘を鵜呑み拡散してどうする?

ヒットしたドキュメンタリー映画の監督。その人の本を読み始めたら、アメリカ大統領選に話が出てきた。「トランプが群衆を扇動して暴動を起こした。怖くなった!」と書いている。あの素晴らしいドキュメンタリーは何だったんだ?と思える「見る目」のなさ。先を読む気がなくなった。

沖縄戦題材の映画を作った監督。彼の本には「プーチンは征服者である」的な記述が出てくる。沖縄戦から何を学んだのか?と考えてしまう。だから、あの映画は真実が描かれていないのか?

どちらも映画監督。同業であり先輩だ。監督業は「嘘を見抜く目」が必要。なのに、まんまと誘導、印象操作され、著書で嘘を拡散?している。いや、彼らが問題なのではなく、嘘を見抜く仕事をする監督業さえも巻き込まれるプロパガンダが進んでいるのかもしれない。

いや、やはり、彼らに「見る力」がないだけ?と考えてたりもする。


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劇映画を実名で描く難しさ=「F50」「Minamata」自身への戒めも! [映画業界物語]

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劇映画を実名で描く難しさ=「F50」「Minamata」自身への戒めも!

特定の映画を批判すると「そんなに嫌いなの?」とコメントしてくる人がいる。毎回、馬鹿すぎる!と呆れるが、好きだから褒める。嫌いだから批判すると言うものではない。

今回は自身への戒めでもある。こちらはドキュメンタリーだが、同じ沖縄戦が題材。特にドキュメンタリーにフィクションを持ち込んではいけない。勝手な解釈。未確認の事実を描くのはご法度。細心の注意を払った。それでも「ドキュメンタリー沖縄戦」の時は「***戦を描いていない」「***問題に触れていない」とか、あれこれ批判が来た。1時間45分の上映時間で扱えるものは限られている。自身が興味ある事件がないからと「それでは沖縄戦を描いたことにならない!」と言う輩もいた。

「米軍を美化している」と言う批判もあった。これは先の「島守の塔」で島田知事を美化しているとの批判に近いので詳しく書こう。批判の主は多少、沖縄戦を勉強したことがある人。もしかしたら特定の団体の人かもしれない。ある種の人たちは「日本人は犠牲者だ。俺たちは酷い目にあった!」と言う主張を繰り返す。それによって被害者の立場に自分達を置き、加害者の側面を隠そうとしている。アジアで日本軍が行ったことに目を向けず、沖縄、広島、長崎ばかりに目を向ける。

なのに僕は「沖縄戦」で米軍にも多くの犠牲者が出た話を伝えた。また、住民は米軍より日本軍の方が怖かったと言う話も紹介。それらを曲解。「米軍よりの作品だ!」と思い込み「美化している」と言い出したのだ。「米軍より」すら間違っているが、美化は何なのか? 米兵がおばあちゃんにチョコレートをくれた話を紹介したから? その後の専門家が「それも米軍の作戦」と解説している。

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つまり、その人たちは「日本人は犠牲者だ!」と言う思いがある。その裏には「だから、アジアの人を傷つけない!」「守るための戦争だった」と当時の日本を正当化したいと言う思いがある人たち。そこまで行かなくても、物事の一部だけを見て「おかしい!」「事実ではない」と騒ぐ人たちもいる。その意味で「島守の塔」の問題点を指摘する時も、無神経なないものねだりではなく、嘘を持ち込んだ理由や背景を探り、作り手の意図を理解した上で、問題を考えたかった。(そのために監督の本まで読んだぜ〜)

あの映画の背景はとても大切な教訓となった。主人公の故郷から支援があるからと事実を曲げて偉人にしてしまう。ま、それ以前に知事を「素晴らしい人だ」と思ったところに問題はあるのだが、映画人は事実を描くよりどーしても感動を描こうとしがち。ドキュメンタリー作家ではない。フィクションの世界で仕事をしている。実際、僕が脚本を担当した「乙女」ドラマ編でも似たような意見が出た。

「再現ドラマはフィクションなのだから、自由な発想で作るべきではないか?」

と言うスタッフもいた。通常ならそれでもいいだろう。舞台は沖縄戦でも、主人公を架空の人物にして、戦争反対の思いがある。その葛藤を描く。あり。ただ、実在の人物にそれをさせると歴史の改竄と言われる。それが「島守の塔」だ。島田叡は実在の人物。その人が思っていないこと、やっていないことをやらせて美化。偉人にしてしまった。架空の人物を作り上げ、「住民を救う」と言わせる。その人物と島田がぶつかるならありだ。が、島田の故郷から製作費が出ている。だから彼を偉人にしてしまったのだ。

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似たようなことをしている映画はある。「F50」は最悪だった。福一の原発事故。吉田所長は現実の人物。彼が事件以前にしでかしたことが全電源停止に繋がるのに、それを描かずにヒーローとして描く。でも、決して彼は悪人ではない。事故時の活躍は事実。だが、映画はその部分だけを描き、総理(菅直人)が怒り狂う場面ばかりを紹介した。印象操作で客は総理のために収束が遅れたと感じる。こんな風に事実とフィクションを混ぜて、制作側の意図する方向に観客を誘導することができる。(結果、事故を収束させたのは東電の職員。邪魔したのが菅直人という誘導。収束もしてない)

ただ、事実材の人物を登場させて大きな問題のない映画もある。「ワンスアポンアタイム・イン・ハリウッド」だ。スティーブ・マックイーン。ロマンポランスキー監督、ブルースリー、シャロンテート。チャールズ。マンソンが実名で登場。そこにフィクションを持ち込む。これはどうかなあ〜と言う気もしたが、エンタテイメントとして面白くできている。シャロンテート事件。「結末が現実と違うだろ!」と批判する声も聞かない。ただ、ブルースリーの娘からはクレームがついたと言う。「父はあんな嫌な奴じゃない」と。

「Minamataーミナマタ」も実在の写真家ユージーン・スミスを実名で描き、事件の当事者チッソも実名で紹介される。この作品への日本側からの批判があった。「あの場面は事実と違う」「***はおかしい」「社長は賄賂を渡していない」とか様々。さあ、先の2つと違い、この映画は難しい。僕自身はよくやったと思える。もう、多くの日本人が忘れていた水俣病を今一度、伝えたことは大きい。そのためには実名は大事。

ただ、映画で描く場合。全てを事実通りに描くと逆に繋がらない。真田広之さんの役。実在の3人を1人にしている。映画で3人も出て来られると客は覚えきれない。集約している。それを事実ではない!と批判するのはどうなのか? そして、批判する多くは水俣病に関心があり、知識がある人だ。映画により水俣病を多くに知ってもらうことは大事なのに、なぜ批判してしまうのか? ここに悲しい構図がある。

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僕の「朝日のあたる家」を批判した多くは推進派ではなく、原発に反対し、よく勉強している人たちだった。「内部被曝に触れてない」「プルトニュウムの情報が少ない」「もんじゅの話がない」とか、先の「沖縄戦」と同じであれがない!これがない!この辺は知識の問題ではなく、映画表現を理解できていないことが背景。映画はだいたい2時間。登場人物の整理。簡略化は必要。ドキュメンタリー映画ではない。

その中でどう表現するか?が監督の技量。そんな表現方が理解できないので、重箱の隅をついて批判。あるいは批判することで自分の知識を誇り、映画の不勉強さを指摘したいという意地悪な思いもよく感じる。映画があまり専門的になり過ぎると一般の人は見てくれない。勉強した人たちが満足するようでは一般はチンプンカンプン。ヒットしない。その辺を考えずに批判する人が多い。

だが、一方で制作サイドもしっかり調べずに、「ま、こんなもんでいいだろう〜」と言う人がいる。「金がないから仕方ねだろう」とか、「**した方がドラマティックだしさ〜」と事実を曲げようとするスタッフもいる。そもそも、原作ものだって原型ないほど変えてしまうのが劇映画なのだ。「乙女」のクルーは皆、ドラマの人。だから、僕が厳しく言わねばならない。

「これが劇映画ー白梅の塔ーなら、いいでしょう。でも、ドキュメンタリー、元白梅学徒の方々が証言した後で、あり得ない脚色をした再現ドラマを見せることはできない。証言を踏み躙り、利用したことになる。事実を歴史を伝えるための映画なのだから、そこを踏み外してはいけない。いつもならフィクションとして許されるが、今回は違う!」

シナリオは僕が書いた。現場で勝手に変更したり、付け加えたりしないようにお願いした。監督もスタッフもそれを理解し、超低予算とわずか数日の撮影なのに、いいものを作ってくれた。事実通りにやろうとしても、金がなくて、時間がなくてできない事もある。それはどうすればいいのか?嘘で誤魔化すか?それはダメ。では、事実に近い形で対応。様様な努力をしてくれた。そして、女子学徒は皆、架空の人物にした。取材して聞いた方々の話から、複数を1人にしたり。病院壕には十数人いるはずだが、4人に物語を絞った。

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事実通りに描くことが映画ではない。脚色することで伝わる事もある。複雑な構図をシンプルにする。紹介エピソードを絞る。だが、詳しい人が見ると「あれがない!」「それは事実ではない」と批判する。だから、難しい。100%の事実は伝えられない。何より演じるのは俳優であり、歴史上の人物ではない。また、人にはいくつもの面がある。家庭、職場。親として、息子として、夫として、それぞれに顔が違う。その全てを描くと多重人格に見える。そこも映画では考える。

個人的に思う事だが、「Minamata」は実名の必要がある。だが、「島守の塔」は実名ですべきではなかっただろう。そもそも、偉人でない人を故郷が応援するからと偉人にしたのが間違いの始まり。「ワンスアポン」も全面的な賛同はしない。が、僕が沖縄戦の劇映画を作るとき、どうするか?ただただ、リアルに歴史通り作ればいいと言うことではない。感動も恐怖も描かねばならない。これからの課題。


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いつか神経が切れる日? それがこの業界! [映画業界物語]

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いつか神経が切れる日? それがこの業界!

過労でダウンした時は、もう疲れ果てていて思考力ゼロ。ひたすら眠り、養生する。体力の限界を超えて休まずに仕事したので、倒れたのだ。週末に2日休むのが通常の生活。それを1年間ー休まずに働くと、週2日の休日。1ヶ月で8日。年にして96日。それを終了時に強制的に取ることになる。だから寝たきりになる。僕の場合。それが過労だと思える。

「俺だって3年くらい休みなしだよ!」という友人もいるが、その手の人は世渡り上手。何だかんでちゃんと休む。その日は仕事ちょっぴりにする。無茶はしない。批判ではない。大事なことだ。それがアーティステックな性格だと、本当に倒れるまで仕事してしまう。作品作りというのは「これで十分」ということはない。「より良くしたい!もっと面白くならないか?」と全力投球してしまうのだ。

ある時、親しい友人から「監督。もしかしたらうつ病かもしれないよ。そうなってもおかしくないだけの大変な状態だったしね」と言われた。過労とうつ病の症状は似ている。どちらも何もできない。何かしようという気にならない。一度、心療内科に行った。が、「違いますよ!」と医者に笑われた。僕が「寝込んでいても、ここぞ!というときは精神力で起き上がって出かける。そんなことしているから、いつまでも良くならないんです」と話すと、医者は「うつ病なら、どんなに気力を振り絞っても、そんなことはできない。あなたは単なる過労です」と言われた。

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しかし、過労で気力を振り絞り仕事に行くと、過労死が待っていることがある。朝元気に出かけた夫が、夜に会社から電話で「亡くなった」と連絡。以前はよくニュースになった過労死という現実。僕の場合「乙女たちの沖縄戦」公開がほぼ終了でダウンした。現在進行中の仕事も第2章が終わったところで、ほっとしたことが大きい。それで過労死には至らなかったのだろう。

そんな中、今更ながら気がついたこと。肉体的、体力的なこと、疲労もあるが、精神的なことも大きいようだ。これまでの監督生活を振り返る。監督業は経済、時間、天気、暑さ、寒さとの戦い。その上で素晴らしい作品を作るのが使命。だが、約束を果たさぬ取引先。無神経な会社。責任感のないスタッフ。プロとは言えない俳優。そんな人たちとの対応もあり神経が擦り切れる。

近年は素晴らしいスタッフが集まり、大いに助けられている。何も言わなくても良い仕事をしてくれる。だが、時々、そうではない人たちと仕事せねばならないこともある。原発、沖縄、基地問題。そんなトラブルを避けて通れない。原発事故を題材とした映画「朝日のあたる家」もそうだった。原発推進から誹謗中傷あるのは覚悟していた。が、一番、批判してきたのは反原発を掲げる人たち。重箱の隅を突くような指摘。方法論が違う。***をやるべきだ。**が描かれていない。勉強不足だ!無知なだな!「映画作る資格がない」等々。

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原発事故の被害に遭われた方に取材した時も「あなた方、マスコミは酷い!」と批判された。いや、僕はマスコミじゃないけど、、と思うが、被害者からすると取材して来る人は全てマスコミに映る。彼ら彼女らのテレビ、新聞に対する怒り、憎悪をぶつけられる。「許さない!」「酷い」「反省しろ!」容赦ない罵倒をされたこともある。こちらは、そんな人たちの悲しみを伝える映画を作ろうとしているのに、そんな対応。

しかし、それが被災者なのだ。怒りの持って行き場がない。取材に来るやつは全て同じだ。私たちの悲しみで商売している!表面しか伝えない。そんな憤りも分かる。その種のマスコミも多い。ただ、こちらは真剣に原発問題を伝えようとしているのに、憎しみをぶつけられ、やってもいないことで批判、反省を求められても困る。が、心傷ついた被災者に余裕はない。冷静になれというのも無理だろう。黙って耐えて、その言葉に耳を傾けることが大切だ。ただ、そんな日々は本当に厳しい。心がズタズタになる。

好意的な対応をしてくれる人。協力的な方もいる。「自分達の思いを伝えてくれてありがたい」とも言ってくれる。それでも、被災者の話を聞くと、打ちのめされる。何の罪もない人たちが東電や国の無責任のために仕事も、故郷も、家も失い。家族がバラバラになる。その話を聞くだけでも、1日何もできなくなる。「大変ですね〜」なんて、とても言えない。沖縄戦でも同様に、1日にお1人以上の話は聞けない。現実の悲しみとはそういうものだ。

その種の話を毎日聞く。心がボロボロになる。もちろん、被災者の人たちはもっと大変な思いを毎日している。悲しみを伝えるには、同じ思いを共有せねばならない。取材が続く。すると原発でも沖縄戦でも、馬鹿なことを言い出す関係者が出てくる。勉強もせず、あーだこーだ!口出しするだけの者。ドキュメンタリー制作に参加したことない奴が、あれこれ指示を始める。

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ボクシングの試合で、ボコボコに殴られている選手に対して、セコンドがボクシングをまるで知らず「回し蹴りで行け!何で、そこに気づかないんだ!」と指示するようなもの。相手の選手ではなく、セコンドにパンチを入れたくなる。それに近いようなことが取材現場でも起こる。

そんな日々が続くと体力だけでなく、精神的に消耗する。長期間続ければ、それこそうつ病になる可能性もある。うつ病というのは「もう限界。これ以上、苦しい思いを続けると心が壊れる!」という時に、体が強制停止する状態。先の友人はそんな僕の現場を知っていたので「大変な状態だったしね」と言ったのだ。

振り返ると、この9ヶ月間も近いことがあった。以前ほどのバカヤローはいない。スポンサーも制作会社も以前とは違う。スタッフも良くやってくれる。だが、困ったちゃんが複数登場して、やらなくてもいいことを次々にやってくれて、僕が謝って回った。トラブルの後始末をした。

2本のプロジェクトが同時進行。取材先のホテルから深夜に謝罪や説明メールを出した。本来なら翌日の取材のため睡眠を取る。あるいは翌日の取材の準備や確認をする時間。要は睡眠時間を削らねば、本来の仕事に影響する。さらにイライラが続き、血圧が上がる。その辺を思い出し、これは疲れるわ〜と再確認。

昔は毎回、そんな感じ。一番の原因がプロデュサーと制作会社だったりした。その辺は順番に排除。作品作りに専念できる時代が続いていたので忘れていたが、その種の問題に対応することで心が擦り切れて行くことを思い出す。同時に、天気の心配。経費のこと。宿泊地を考慮。飛行機をどうするか? 応援してくれる人への挨拶。お礼状。気難しい人へのアプローチ。お礼参り。完成後の報告。その辺も神経をすり減らす。それだけで十分にボロボロなのだが、そこに「困ったちゃんズ」登場ということなのだ。

その種の治療というか、ケア。気づいた。人と会わないこと。連絡をしないこと。神経を使わないこと。気遣いをしないこと。数日ではない。できれば1ヶ月以上、そんな状態で過ごすことで、擦り切れた神経が正常になって来る。立場違えど、俳優も似たような経験をしている人が多いはず。

俳優業も物凄く神経を使い、気遣いをせねばならない仕事。元々、彼ら彼女らは通常以上に過敏で神経質。繊細で傷つきやすい感性。だから、あの有名俳優のように銀座のバーで馬鹿騒ぎをしてしまう。非常識なことをする。だが、それが彼に取って「壊れそうな心」を修復する作業なのだろう。もちろん世間は容認しないが、彼の気持ちも分からないではない。

結局、俳優は酒でウサを晴らすか? 新興宗教に入るか? 休業して精神科で治療受けるか?死を選ぶか? そんな展開になる背景、彼の事件で感じる。そういう世界なのだ。


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ドキュメンタリー映画は劇映画と違った作り方をする。特に太田組は得意?! [映画業界物語]

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ドキュメンタリー映画は劇映画と違った作り方をする。特に太田組は得意?!

体調というのも本当に少しずつしか回復しないものだ。現在は脱都会生活6年目。新宿、渋谷まではかなり時間がかかる。そこまで行く体力がまだない。あるスタジオにHDDを届けなければならないので、近日中に代々木アタックをせねばならない。

映画製作というのは撮影ばかりではない。その準備、資料探し、読み込み。構成。その辺をしっかりとやった上で撮影する。また、ドキュメンタリーの場合、一気に全てを撮影しないことが多い。ある段階で取材内容を振り返り、当初の構成で行けるか?を振り返ることも必要。

特に僕の場合。テレビ番組のようにガチガチの企画書を作り、取材も始まっていないのに結論を決めるようなことはしない。ドキュメンタリーは生き物。作りながら形を変えて行く。プラモデルではない。むしろ子育てに近い。最初、親が「将来は新聞記者になってほしい!」と思って、その種の教育をしていても、次第に子供自身(作品)が意思を持ち行動を始める。

それを無理やり親の意思を強制しても、親子断絶が起こるだけ(あるいは子供が我慢して歪んで行く)子供が生まれた時の時代背景と、大学を出て就職というときの社会はかなり違う。そこに昔からの親の願いを押し付けるべきではない。時代遅れで、古い価値観を振り回すだけだ。

ドキュメンタリーも同じ。スタート時の時代背景は1年も経たずに変化してしまう。例えば、この春に安倍総理に関する悪行を追う作品を作り始めたとしても、夏には暗殺。それ以上、悪行はできないので、もう追求できない。テーマを別の切り口にせねばならない。清和会を追求する作品だとしても、壺問題でガタガタ。消滅しそうだ。

そんなふうに短い月日で社会情勢は大きく変わる。求められるものも違ってくる。人々の声や風をしっかりと感じ取り、それを作品に反映することが大事なのだ。

「ドキュメンタリー沖縄戦」の時は3年で8回、沖縄に行った。一度の取材で4〜5人にインタビュー。帰京したら、その人について、その事件について勉強。最初は白紙で取材に挑むのだが、帰れば徹底して調べる。最初からしっかり勉強して行くと、先入観を持ってしまう。

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また、情報や知識がないことで、取材相手も初歩から分かりやすく話をしてくれる。これは重要。映画館に来てくれる観客と同じ知識量でインタビューすることで、観客も見やすくなる。インタビュアーがあれこれ知った上で質問しても、その前提が観客には分からない。専門的なドキュメンタリーでは時々、それに陥ってしまうことがある。知識がある観客しか見られなくなる。

しかし、知識がないと作品を仕上げることはできない。ナレーション原稿も書けない。だから毎回、取材後に徹底して勉強。背景を説明する場面を作る。記録映像や現在の風景。地図。それらにナレーションやテロップを入れる。沖縄戦の知識なしにそれら作業はできない。

そして基本は時系列で沖縄戦を紹介しながらも、一部は前後させてある。タランティーノの「パルプフィクション」もそうだが、時間の流れを前後させることで興味を引くという手法。ドキュメンタリーの場合。多くが教科書的であり、作家は「退屈でも大切な歴史だから、我慢してしっかりと見なさい!」と観客に求めがち。だが、なぜ、入場料を払い映画館まで来た人たちに、そんなことを強制するのか?

もし、テレビ放送なら、DVDなら、ケーブルなら、途中で見るのをやめてしまう。大切な歴史というのなら、最後まで見てしまう演出と構成で作ればいい。その努力をせずに「大切な歴史だから」と客に我慢を強要するのは努力不足としか思えない。だが、こちとら劇映画の監督。観客を退屈させるのは罪悪とさえ思っている。ドキュメンタリーであっても最後まで客を惹きつける作品を目指す。

もちろん、改ざんや脚色はご法度。最近、その種の劇映画が続けて制作されているが、過度な改ざんは劇映画でも許されるものではない。それでは大本営発表と同じ。誘導と印象操作でしかない。特に沖縄戦は難しい題材。勝手な思い込みや想像だけで作るべきではない。

ドキュメンタリー映画に戻る。シナリオがあり、撮影した映像をその通りに繋いで行く劇映画とは違う。毎回の取材があるたびに、その素材を吟味して、構成や流れをさらに考えること、大切なのだ。「沖縄戦」の時は、そんな感じで、取材と取材の合間も、資料読み込みと構成を考えていたこと。思い出す。



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独立系のドキュメンタリーが面白い理由=大手テレビがダメな訳? [映画業界物語]

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独立系のドキュメンタリーが面白い理由=大手テレビがダメな訳?

8月の終わり頃から急に涼しくなり、エアコンを1日つけてなくてもいい日が続いている。エアコンはつけたり消したりする方が電力が必要で電気代が高くなるというので、今年はなるべく消さないようにしてみた。果たしてお値段は?秋のお楽しみ?あるいは恐怖となっている。

過労でダウンして1週間が過ぎ、今回は9ヶ月の戦いだったので1ヶ月も寝込むことはなさそう。とは言え、今も近所のスーパーやコンビニに行く程度の体力しかない。以前なら新宿や渋谷に行けるようになるのが回復の目安だったが、最近では大都会に行く必要がない。映画館も、家電量販店も、居酒屋も小さな衛星都市に揃っているからだ。

おまけに居酒屋も滅多に行かない。567を恐れているのではなく、感染以前から外で飲むことが減った。ただ、部屋では毎晩。1人で飲んでいる。過労のせいで缶ビール1本で頭がグルグルするが、1日が終わりビールを飲むと夏を感じることができる。

リハビリ中ではあるが、仕事も少しづつしている。今の予定で行くと来年の2ー3月頃に編集真っ最中ということになる。申告のための準備を今からしておく。また、あれこれ考えるのも大事なこと。作業するばかりが仕事ではない。取材、撮影、シナリオ、編集、という作業をしていると他のことを考える余裕がない。それらのない期間に考える。

まだ、あまり詳しくは書けないが、構成を考えるというのも大事。え? 構成って企画段階で考えるんでしょう?と言われそうだが、そうばかりと言えない。テレビドキュメンタリーは最初に決めた通りに進める。でも、そのことでリサーチと現実が違うことも出てくる。なのにリサーチ通りの結論でまとめ要することがある。地元の人に『:::と証言してほしい」などと用意したコメントを求める。

上層部が承認した案件なので変更できないということなのだ。が、そんな馬鹿な話はない。要は後で上から注意を受けたくない。上は上で、急に変更されて問題になったら責任を取らされる。という、どちらも責任逃れが背景にある。なので取材中に新しいネタと出会う。重要な証言を得ても、企画通りでなければパス。スルーということにもなる。

これらは大きな組織でありがち。慎重に間違うわないで、作品を作ろうとしながらも、その姿勢が「責任を取りたくない」という逃げにつながり、与えられたことを確実にするというだけの番組作りになってしまう。当然、クレームが来るのを恐れる。NHKなど最たるもので、どこからもクレームが来ない番組作りをしている。

NHKでは沖縄戦を扱っても「アメリカ兵に住民が殺された」「日本兵に住民が殺された」という表現を避ける。「戦争によって犠牲者が出た」的な言い方をする。つまりアメリカからも日本からもクレームがつかないようにしている。戦争が悪い!と言っても戦争からクレームは来ない。両国の残酷な行為はできる限り描かない。それが巨大組織NHK的な番組作りである。

しかし、弱小のプロダクションなら上のようなしがらみに縛られる必要はない。スタッフは少なく上司もいない。取材中にいいネタが見つかれば取り入れられる。上から文句は来ない。リサーチと結論が違えば変更すればいい。近年、独立系のドキュメンタリー映画が面白いにはそれが可能だからではないか? テレビと違いあれこれクレームを気にせずに制作できるからだろう。

製作費やギャラは安くても本当に大切なことを伝える作品を作ることができる。組織のルールや上司の顔色を気にする必要がない。だから、面白いものができる。そんなことも考えながら、この段階でまた構成を考え直している。ま、そもそも、最初に決めた通りに行く方がおかしい。そして結果、いつもそれでうまく行く。へへへ。



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ドキュメンタリー制作の難しさと太田組の方法論? [映画業界物語]

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ドキュメンタリー制作の難しさと太田組の方法論?

真夏の撮影。とにかく、その日の予定を最後まで取り上げること。ダウンせずに撮影を続けること。体力の消耗や熱中症に注意して、その日できる最高の撮影をすることに全力を尽くす。

だが、そんな時は長期的展望でものを考えることはできない。せいぜい翌日の撮影を視野に入れる程度。目の前の問題をどうクリアして、予定を消化するか?それで精一杯なのだ。劇映画の場合はスタートすると、3〜4週間ノンストップ。勢いで突っ走るしかない。

対してドキュメンタリーの場合は何度かに分けて取材をすることがある。「ドキュメンタリー沖縄戦」の時は3年で8回。スタッフ体制は最小限であり、かなり厳しい予算だと思えたが、「乙女たちの沖縄戦」は不可能実行指令だったので、今考えるとかなり楽だった。複数に分けて取材となると、前回の問題点を反省することができる。

真夏の沖縄で、その日の反省をするのは難しいが、帰京して涼しい部屋であれこれ考えると、あれこれ見えてくる。ある時、スタッフがかなりバテて脱落者が出るのでは?という時があった。1人なら、そのスタッフの体調が良くなくて暑さでダウン?と思えるが、半数が参っていた。理由の1番は暑さだろう。が、沖縄の暑さは何度も体験している。それだけではない。

問題はレンタカーだった。エアコンがあまり効かない。そのために移動中もスタッフが高温の中。体を十分に冷やすことができずに次の現場に到着。そのために体力を消耗した。

さらに、ホテルが古いのでエアコンが強、中、弱という調整しかできない。弱で寝ると寒くて夜中に目が覚める。消して寝ると暑くて眠れない。そんなことも疲労回復を邪魔する背景となり、スタッフはかなり参ってしまったのだ。

そのホテルも以前に泊まったことがあったが、さほど暑くない季節だったのか?その種の問題は感じず。また、レンタカーのエアコン問題が重ならなければ何とか斬り抜けたかも知れず。トラブルというのはいろんな形で、複合的にやってくるものだと認識する。

対策として次回は早めに予約してまともレンタカーを借りる。宿泊費をケチらず、もう少しまともなホテルに泊まる。でも、そのためには経費と相談。取材対象者とも相談。ルービックキューブの複数面を合わせる努力が必要となる。

次の取材まで1〜2ヶ月あると、他にもいろいろと考える。あるときに苦労したのは申告シーズン。その2月にまさかや!の編集。領収書整理もせねばならない!編集はスタートすると集中力。下手したら春まで戻れない。

そこで領収書整理を先にやった。編集の締め切りがどんどん近づいてくるが、申告手続きも1週間はかかる。そのイライラ。ストレス。そんな時に馬鹿野郎があれこれ連絡して来た。神経が切れそうになり、今度こそ発狂するか?と思えた。一般の人に編集作業がどれだけ神経をすり減らすか?説明しても理解はできない。

その後は申告シーズンから逆算して、作業を行うようにしている。「あーそういえば来月、申告だよなあ」というのがこれまで。考えれば分かるのだが、目の前の問題と対峙していると、そのことで精一杯。経理スタッフがいる訳でもなく、僕自身が全てせねばならない。

なので今は、取材中に領収書の打ち込みをする。これも本来はPが金を管理、監督は旅費や宿泊費。食費を気にせずに取材をするのだが、それを監督である僕が担当した上で、ホテルの部屋ではその日使った費用をエクセルに打ち込む。

Pなら取材中に外で、取材費があといくら残っていて、食費を節約せねばならないなあ〜とか計算する余裕があるが、監督は室内でインタビュー。経費の把握する時間がない。なので仕事が終わり、部屋に戻ってから領収書整理。そのことで経済状態を把握する。

さらに、取材終了後に帰京。すぐに領収書を整理。貼り付けをして、計算間違いはないか?今回の赤字は?次回の取材はいくら削るか?頑張れば、あと何回、取材に行けるか?などの算段をする。

つまり、監督とPと経理の3人分の仕事をしている。取材が複数回だからこそ、帰京してからの作業もできるが? これ全て現地で行うと、完全に監督業が疎かになる。そして現地では必ずトラブルが起きる。

先の暑さ事件。あるいは取材対象者が急に断ってくる。スケジュールを変えてほしいと連絡が来る。スタッフが問題を起こす。やるべきことをやらない。あれこれも文句ばかりいう。

ある時、スポンサーから来たスタッフは映像のプロではなく、一般の人。その手の人は映画作りを何も知らないのに、あれこれ口を出すことが多い。自分の価値観を押し付けて「あーするべきだ」「こーするべきだ」と言いたがる。それが一番邪魔であり、神経を逆撫でされる。

最後には僕も爆発。その人物を太田組出入り禁止にしたが、もっと早くすべきだった。ドキュメンタリー制作を知らない者があれこれ口を出して、マイナスこそあれ、プラスには絶対にならない。

次の取材までにあれこれ反省。よりスタッフが快適に取材してもらえるような体制を考えるのも監督の仕事。本来はPが、より監督に快適に仕事してもらえるように環境づくりをする。それも僕がやる。そのことで人件費削減。

問題点は何か? どうすれば効率が上がるか? でも、あまりスタッフに無茶はさせられない。でも、問題を続けて起こす人には外れてもらわねばならない。「沖縄戦」での経験が生きる。大切なのは、素晴らしい作品を作ることである。



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4Kなんて必要ない!と思っていたが、時代の波は押し寄せる。 [映画業界物語]

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4Kなんて必要ない!と思っていたが、時代の波は押し寄せる。

「乙女たちの沖縄戦」は4Kだった。データカードも高い!おまけに映画館でかける映画は24Pで撮らねばならない。ここは時代遅れ。そしてHDDも大容量が必要。

撮影が終わるとHDDにコピー。万が一を考えて2台のHDDにコピーしておく。SDカードも消さずに置く。万が一、失くしたり消えたら大変。もう一度、撮ることはできない。

ドラマならまだ、多額の出費をしてキャストを再集結して撮影できるが、ドキュメンタリーは無理。あの瞬間だから撮れた絵というのがたくさんある。だから、コピーはかかせない。


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私だって、私だって、疲れるわ〜(元ネタ分かる人凄い) [映画業界物語]

私だって、私だって、疲れるわ〜(元ネタ分かる人凄い)

毎回、①撮影が終わると、あるいは②作品が完成すると、それとも③公開が終わるとダウンする。③の時が一番酷く8ヶ月寝込んだことがある。毎回、7人分の仕事をする。要は過労。あの過労死の過労だが、以前はなかなか理解されず「本当はサボってんだろう?」「倒れるまで働くなんて有り得ねえよ」とかよく言われた。

やる気のないサラリーマンならではのコメント。映画は低予算でいいものはできない。だが、方法はある。僕が7人分働くことで(ギャラは1人分)経費が削減され、いろんな相互効果もあり節約もできることで、予算の2倍3倍をかけねばならない作品ができる。これを当たり前のやり方でやれば、予算通りの作品にしかならない。

ドキュメンタリーで言えばNHKにも及ばない「だから何?」としか思えない作品になる。観客の心に突き刺さる映画にするには予算も時間も労力も必要。だから、僕が7人分働くことで対応。一部のスタッフにも同じ形で頑張ってもらっている。

だが、そこに別の仕事が重なり、同時進行だと疲労度倍! さらにこの先10年後にも、その方法論を維持するのも難しい。健康や病気、老化を考えねばならない。ただ、今はその方法でしか良い作品を作ることはできないが、改良の余地もあるはずだ。あれこれ考える。

え? 何の話って? 分かる人だけ分かればいい。あ〜今日で「乙女たちの沖縄戦」関東公開が終了。ありがとうございました。

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映画監督今昔物語?=昔は花形。今は貧困層? [映画業界物語]

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映画監督今昔物語?=昔は花形。今は貧困層?

いよいよ明日が新作「乙女たちの沖縄戦」東京公開。初日舞台挨拶がある。俳優陣も登壇。華やかな1日となる。これまでの作品では常盤貴子さん。田中美里さん。藤田朋子さん。鈴木杏さんら、絢爛豪華な女優さんたちとも登壇した。「いいなあ〜」と思う人たちもいるが、監督業はそんな華やかな面ばかりではない。

今回の作品は宣伝費がほぼない!状態。その辺の話は以前に書いた。省庁の支援金で作った映画。沖縄戦題材の作品に大手映画会社や企業は出資しない。だから、非常に厳しい予算で制作。どうにか作り上げたが宣伝費がない。チラシとポスターだけで精一杯。チケットも印刷できない。だから、マスコミ関係に取材してもらい、記事にしてもらう方法で行く。新聞に広告を出すと高い広告料を払わねばならないが、取材して記事にしてもらうと、無料!その価値、費用対効果は何百万にもなる。

ただ、誰かが取材を受けねばならない。今回なら沖縄戦について語らなければならない。それができるのは今回のチームでは僕1人。まあ、前作から5年以上勉強を続けている。大丈夫なのだが、何社からも取材を受ける。指定された場所に行く。zoomで取材される。いずれにしても拘束される。数時間はかかる。直前まで他の仕事をしていて・・・という訳にはいかない。全力で話をしてこそ、良い記事にしてくれる。

さらに原稿依頼もある。インタビューの場合は活字に起こした原稿のチェツクをせねばならない。言ったことを文字にして間違いがあってはいけないからだ。ただ、それらの作業は全てノーギャラ。

宣伝費がないのだから、記事にしてくれるだけでも感謝なのだが、僕個人はそのために何日も稼働せねばならず、その日の収入はゼロとなる。舞台挨拶も同様。交通費もギャラも出ない。全て、監督が「1人で多くの人に見てほしい」という気持ちだけで対応している。僕だけではない。監督業なら皆、同じだ。

この1ヶ月。そんな日々を過ごす。収入にはならない上に、生活のための仕事を止める、休むということが続く。1日2日ではない。今回は違うが、これで大阪宣伝、地方での舞台挨拶があると、交通費と宿泊費は出るが、ノーギャラ。そんなで数ヶ月。毎回、映画公開時には無給で働く。文句を言っているのではない。これが映画界の慣習。そして監督たちは誰も不満を持たない。「皆で作った作品を見てほしい!」その一念。

だが、確実に生活は脅かされる。貯金がある監督なんて何人いるだろう?それどころか多くが借金を背負っている。スタッフは映画が終われば次の仕事。生活のために働けるが、監督はそうは行かない。中には「映画がヒットすると歩合がもらえるでしょう!頑張って〜」という人がいるが、もらえない。映画が何億稼ごうが監督には1円も入らない。だから、今の時代はスタッフの方が生活が安定する。昔は監督の方が儲かったのだが、今は逆。

それでも多くに映画を見てもらいたい。その想いだけで宣伝する。もし大ヒットすれば、「また監督依頼が来るかも?」という希望だけを抱き締めて宣伝。だが、僕の場合は毎回遺作。その作品が公開され、観客がエンディングで拍手してくれれば、そこで死んでいいと思ってやっている。でも、次回作が決まれば死ねない。本当の意味で遺作が来るまで何とか生きていれれば、それでいい。金持ちになりたければ監督業は選ばない。明日は舞台挨拶だ。多くの観客に来てほしい。



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誤解されやすい仕事=映画監督?!=「愚痴をいうな!」「寄付をくれ〜」? [映画業界物語]

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誤解されやすい仕事=映画監督?!=「愚痴をいうな!」「寄付をくれ〜」?

映画制作の苦労話を書くと「愚痴をいうな!」と言ってくる輩がいる。「苦労話」と「愚痴」の違いが分からない。さらにある種の日本人は苦労を見せずに頑張るという姿が好きなようだ。

ただ、苦労話を書かず良いことばかり書いていると、無神経な想像をしてあれこれ頼み事をしてくる輩がいる。「映画監督は金持ち!」と思い込み「私たちの団体に寄付してください」「**市に来てトークしてください(ギャラなし。交通費自腹で)」との連絡。日本の映画監督80%が貧乏と言っていい現実を知らず、ハリウッド監督をダブらせて、あれこれ要望してくる。ありもしないことを妄想。あるいは、僕がやってもいない、言ってもないことを批判してくる。「どうーせ。監督なんて」「女優と毎晩、飲み歩いてるはず!」という思い込みでそんな罵詈雑言が出てくる。

その辺はもう無視するしかないが、苦労話は大事。僕も巨匠監督の苦労話からいろんなことを学んだ。成功した話より、その手の話の方が勉強になる。また、関西人は自慢話より、苦労話をおもしろ可笑しくするのが好きなところがある。関西育ちの私は似たようなところがあるだろう。だから、その手の話をよく書く。

けど、気になるのが、応援してくれる人が誤解してあれこれ注意してくること。親切心からなのだが、誤解に基づいた注意。指摘。それをいちいち訂正するのもどうか? 時間も取られる。手間もかかる。その種の人に説明すると、さらに誤解して「失望したよ!」とブロックされる。芸能関係の職業に対する先入観や思い込みが強く、悲しい結末になることもある。そんなこともあるので、日頃から苦労話。舞台裏の話はよく記事にする。映画監督の実態を書く。そんな話の一つをこの後、紹介する。



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