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「フェイブルマンズ」スピルバーグの自伝的映画。感じることあった。 [映画業界物語]

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「フェイブルマンズ」スピルバーグの自伝的映画。感じることあった。

喘息が悪化する直前に観ることができた。スピルバーグ幼少時代は自伝でも読んでいたし、彼の映画にも何度も投影されていた。馴染みのあるエピソードが多い。「映画界で大成功した青年のサクセスストーリー」という見せ方もあっただろうが、ひたすら家庭内の不和を描き続ける。決して感動的なハートウォミング・ストーリーではない。

どこの家でもあるとも言える話でもあり、究極の不幸に襲われて家族バラバラに!という物語でもない。簡単にいうと母の浮気。それが家族に不協和音を起こしていく。映画ではよく究極の不幸や貧乏が描かれるが、こんな小さな家庭内トラブルでも、子ども達には大きな影響を与える。

もう一つがユダヤ人問題。スピルバーグという名前からしてユダヤ人。そのために受けた差別。日本人から見ると同じ白人だろ?と思えるのだが、その溝には長い長い歴史がある。そんなスピルバーグが子供時代に映画作りに興味を持ち、8ミリカメラを回し始める。

この辺は他人事ではない。僕は高校時代にカメラを持ち、高校の体育祭の記録映画を作った。その後、映画監督を目指し、横浜で自主映画活動をした。映画では分かりづらいが、スピルバーグは高校卒業後、カルフォルニア大学のロングビーチ校に入学。映画科ではなくテレビ&ラジオ学科。在学中に有名なユニバーサル・スタジオ潜入事件があり、20代にしてデビューすることになる。が、それは描かれない。

僕はそんなスピルバーグに憧れて、アメリカ留学。ルーカスの母校である南カルフォルニア大学の映画科へ。スピルバーグやルーカスが多額の寄付をしているところ。全米ナンバー1と言われるシネマスクール。奇跡的に合格した(ま、テストとかないし、英語力も問われない。ただ審査はあり、学期ごとに3人くらいしか合格できない)映画はスピルバーグが監督デビューするまでは描かず、あの人!と出会うところまで(ここが一番の見せ場!)

あれ、事実かな〜?聞いたことないし。でも、大林宣彦監督もあの人が憧れで、自伝的映画で彼と出会う場面を作っている。監督業は似たような発想!で、僕はというと、帰国後に十数年かかって監督デビュー。今、8作目の映画を編集中。スピルバーグのようなヒットメーカーにはなれていないが、好きな仕事をしている。

この映画で一番感銘を受けたのは「好きな仕事をすると必ず失うものがある」ということ。それを何人かの登場人物が口にする。まさに、その通り。安定した生活。愛する人との結婚。子どもたちがいる幸せな家庭。今時の日本の監督業では望めない。もちろん一部には全てを手に入れている人もいるが、その手の人は作品クオリティが次第に落ちて来ているように感じる。

愛する妻がいて、子ども達がいて、安定した生活。それを望むらなら映画ではなく、大手企業のサラリーマンを目指すべきなのだろう。ま、最近はその種の会社でも「安定」とは言えなくなってはいるが、監督業よりはマシだ。そんなことがなぜか?一番、心に刺さった。

一時期。僕を結婚させようと、いろんな人が暗躍?していたが、皆、失敗。まず、相手が嫌がる。そして今にして思えば、体壊して、喘息再発してまで映画を作る夫も父親も、家族は嫌だろう。そんな人たちの反対の中、仕事を続けるのは、更なるストレスが生まれる。だから「好きな仕事をすると必ず失うものがある」なのだ。

実際のスピルバーグはどうなんだろう?女優のケイト・キャンプシャーと結婚。5人ほど子供がいるはず。離婚したという話も聞かないし、失うものなく、栄光を掴んだのか?いやいや、きっと言えない大変な思いを家庭でしているような気がする。映画監督にまっとーな生活は難しい。



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ジャズと太田組作品の共通点? [映画業界物語]

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ジャズと太田組作品の共通点?

先日、ジャズの映画を観た。ジャズはあまり聴かないが、観ていて映画作りとジャズの共通点が多いことに気づいた。ジャズは一人ではできない。映画も一人ではできない。ただ、メンバーが集まればいいというものではない。実力ある者たち。それぞれの個性がぶつかり合うことで、素晴らしい曲になり、作品になる。

それならロック、クラッシックも同じでは?と思う人もいるだろう。だが、ジャズのおもしろいところは「掛け合い」。ピアノとトランペットとか、二人のプレイヤーがアドリブでぶつかり合う場面。ジャズ好きの友人はそこが魅力だという。

実はそれは映画にもある。というより太田組作品はそこが見せ場となる。僕は事前にシナリオ段階でそれを計画。この二人の俳優が対峙するシーンがあれば盛り上がるだろうな?静の魅力の女優さん。動が魅力の若手。その二人がぶつかれば感動が生まれる。それを意識して、脚本を書く。或いはキャストが決まってから脚本を直す。

例えば「朝日のあたる家」では山本太郎さんに出演してもらった。単に姪を見舞うだけでは面白くない。そこで「故郷を捨てない」という父親と対決させようと考えた。まさに「掛け合い」太郎さんは本当に原発反対。当時は「福島から移住しよう」と訴えていた。

対するは文学座出身のベテラン俳優・並木史郎さん。経験、実力ともにトップクラスの方。だから、何ら演出しなくて二人に芝居をしてもらうだけで、感動の名場面が生まれる。ジャズの「掛け合い」と同じ構図。

また、ジャズには「ソロ」というのもある。一人のプレイヤーが延々と演奏。他の人はお休み?という場面。トランペットならトランペット。ピアノならピアノ。単独で演奏。もちろん、他の楽器の助けはない。その人に実力がなければ、客を惹きつけることはできない。だが、プレイヤーにとっては独断場。やりがいあるシーン。

映画も同じ。これも太田組ではシナリオ時から準備。長台詞だ。他の俳優はお休みで、一人だけが延々と喋る。これも俳優に実力がなければできない。他の俳優の助けはない。「向日葵の丘」で常盤貴子さんにそれをやってもらった。上映会でのスピーチシーン。5分ほどの長台詞。それをワンカットワンシーンで撮る。台詞を覚えるのが大変なだけでなく、言葉だけで5分持たすのは大変。

誰か他の俳優と一緒なら、何とか持たせることもできるが、一人でのスピーチ。これは常盤さんの実力を見込んだ上で、彼女の合わせて書いた場面だ。結果、感動の名場面が生まれた。

同じように「明日にかける橋」では鈴木杏ちゃんにスピーチ同等の場面を作った。神社で街の人たちに訴える場面。「ストロベリーフィールズ」では佐津川愛美さんと、谷村美月さんが延々と告白する場面。「青い青い空」では三美子役の橋本わかなさんが雨の中、一人で叫ぶ。どれも感動的な場面となった。

先の「掛け合い」でいうと「明日にかける橋」では鈴木杏ちゃんと板尾創路さんがお寺の前で親子のことを語り合う場面。見事なコンビネーションだった。「朝日のあたる家」では、太郎さんが姪である舞の病室を訪ねたシーン。涙なしで見られない掛け合いとなった。

太郎さんは力ある人だが、相手役の橋本わかなさんも天才的な若手女優。でなければ太郎さんに圧倒されて終わる。双方ともに力がり、個性がないと成立しない。

そんなふうに考えていくと、ジャズと映画作りは似ていると思える。そして太田組の芝居は、まさにジャズにおける「掛け合い」と「ソロ」を見せ場としたシナリオ作りをしている。だから、会話するだけの場面でも泣けたり。スピーチのシーンで感動したりする。俳優もジャズプレイヤーと同様に、それらの場面は見せ場であり、力が入る。全身全霊でかかる。だから、演奏が盛り上がる。映画が感動的になる。

そんなこと映画を観ながら感じていた。あ、映画は「ブルージャイアント」というアニメ映画。ジャズに詳しくない僕でも楽しめた。



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映画作家という生き物? お金ではない。製作費以上のものを作りたい! [映画業界物語]

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映画作家という生き物? お金ではない。製作費以上のものを作りたい!

映画界では20%の手数料を撮るのが習慣。例えば1000万円の仕事を受ければ800万で製品を作り、200万を会社の儲けにする。阿漕な会社なら製品クオリティを落として500万で作り、残りの500万を儲けにする。もちろん500万ではドラマでも、ドキュメンタリーでも、PVでもロクでもない作品にしかならない。

が、製作会社は思う。「1000万程度で作品作りを頼む方が悪い。こちとら食って行けなくなるだよ!」社員もいるし、事務所代も払う。高熱もいるし、社長は家族を養わねばならない。でも、映画作家からすると、1000万で500万の作品を作ることに我慢ならない。その依頼自体がロクでもないものならまだしも、意味ある作品であれば、なおさら500万レベルで製作したくない。少なくとも1000万全てを作品に使いたい!

だから儲けは極々わずかにして、作品にほとんどの製作費を注ぎ込んでしまう。我が師匠、大林宣彦監督はそんな人だった。ある作品では1億の製作費なのに、そこから儲けを取らず。さらに自社から出資までして映画を完成させた。儲けようという気がないのか? いや、より良い作品を作りたい?というのが映画作家の思いなのだ。

その師匠の影響もあり、僕も製作費以上のものを作りたい!なら、師匠のように自から出資して?いや、悔しいがそれは出来ない。そもそも貯金がない。だから7人分働く。7人分働いて1人分のギャラにすれば、製作費が数百万円増えたのと同じ。タダで6人が働いてくれることになる。僕以外のスタッフも2人分3人分働いてもらう。が、こちらは割り増しギャラを払う。僕自身は何人分働こうとも、1ヶ月最低限の生活ができるだけの1人分のギャラにする。

そのことで500万の作品なら1000万。1000万の作品なら1700万の製作費で作ったのと、同じクオリティにできる。特に今回は50年ぶりに持病が再発するほど働いた。そのことで400万ほど製作費がプラスできたようなもの。キャッシュでもらった訳ではないが、健康を切り売りしたのだ。そのことで映画は良くなる。

スポンサーに不満がある訳ではない。意味ある作品を依頼し、いくらであろうと出資してくれたことに感謝する。そして本来、依頼の額が500万なら500万のものを作ればいいし、1000万なら1000万のものを作ればいい。そこから手数料を抜いて儲けにすればいい。でも、そんなことで良い作品は出来ない。映画作家は我慢できない。それなら身を削り健康を削ることで、7人分働くことで、より良い作品を作れる方が満足できる。

完成すれば多くの人が見て感銘を受ける。今回で言えば「沖縄戦の現実」を多くが知ることができる。テレビでその手の番組はない。そこから戦争について考える。話し合う。いろんな展開がある。なのにもらった製作費だけで作品を作ったら感銘を与えるものは出来ない。沖縄戦の現実を伝え切ることも出来ない。

映画作家はサラリーマンではない。与えられた給与の額分だけ仕事していてはいけない。僕には妻も子もいない。全てを作品に注ぎ込める。作品は僕が死んだ後も残る。だから手を抜けない。全力でかかる。毎回遺作。それが映画作家の定めなのじゃ。ははは。

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生活の安定化?貧しくても思うように生きるか?映画監督の場合。 [映画業界物語]

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生活の安定化?貧しくても思うように生きるか?映画監督の場合。

映画監督業は長時間労働。1年間休みなし。ブラック企業を超える仕事だ。なのに低賃金で多くが生活苦。金持ちなのは日本で5人くらい?

ただ、難しいのは文化芸術というカテゴリー。生活が安定しないからと、製作会社等に就職。契約社員になった友人がいる。そこで演出、監督業を続ける。確実に仕事がもらえて月給が出る。そこで売れて、やがてフリーになり撮りたい映画を撮る!と考えた。

ところが、生活が安定すると、やりたくもない仕事ばかりやらされる。いいものが撮れなくなる。だが、フリーに戻れば生活苦。友人は葛藤した。やがて感性が腐ってしまい、平凡なものしか撮れなくなる。やりたい仕事ができないので、やる気もなくす。と言ってフリーに戻り再び生活苦と闘うのは怖い。

こうして多くの若手監督、あるいは監督志望の人たちは家畜のようになり、朽ち果てて行く。生活が安定しないと不安だ。でも、社員になるとクリエイティビティを失って行く。不安や不満を抱え、怒りに燃えるから作品が作れる。安定して落ち着くと、素晴らしい作品を作ろう!と言う思いも薄らいで行く。会社の仕事を優先にせねばならず、作りたいものを作る時間もとれなくなる、

また、売れっ子女優が彼女の監督。彼女が稼いでくれるので生活には困らない。凄い映画を撮る人なのに、気づくと30年映画を撮ってない。やはり生活が安定すると、別のものを失うのか? 監督業はやるせない。



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映画監督は「嘘を見抜く」が仕事=嘘を鵜呑み拡散してどうする? [映画業界物語]

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映画監督は「嘘を見抜く」が仕事=嘘を鵜呑み拡散してどうする?

ヒットしたドキュメンタリー映画の監督。その人の本を読み始めたら、アメリカ大統領選に話が出てきた。「トランプが群衆を扇動して暴動を起こした。怖くなった!」と書いている。あの素晴らしいドキュメンタリーは何だったんだ?と思える「見る目」のなさ。先を読む気がなくなった。

沖縄戦題材の映画を作った監督。彼の本には「プーチンは征服者である」的な記述が出てくる。沖縄戦から何を学んだのか?と考えてしまう。だから、あの映画は真実が描かれていないのか?

どちらも映画監督。同業であり先輩だ。監督業は「嘘を見抜く目」が必要。なのに、まんまと誘導、印象操作され、著書で嘘を拡散?している。いや、彼らが問題なのではなく、嘘を見抜く仕事をする監督業さえも巻き込まれるプロパガンダが進んでいるのかもしれない。

いや、やはり、彼らに「見る力」がないだけ?と考えてたりもする。


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劇映画を実名で描く難しさ=「F50」「Minamata」自身への戒めも! [映画業界物語]

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劇映画を実名で描く難しさ=「F50」「Minamata」自身への戒めも!

特定の映画を批判すると「そんなに嫌いなの?」とコメントしてくる人がいる。毎回、馬鹿すぎる!と呆れるが、好きだから褒める。嫌いだから批判すると言うものではない。

今回は自身への戒めでもある。こちらはドキュメンタリーだが、同じ沖縄戦が題材。特にドキュメンタリーにフィクションを持ち込んではいけない。勝手な解釈。未確認の事実を描くのはご法度。細心の注意を払った。それでも「ドキュメンタリー沖縄戦」の時は「***戦を描いていない」「***問題に触れていない」とか、あれこれ批判が来た。1時間45分の上映時間で扱えるものは限られている。自身が興味ある事件がないからと「それでは沖縄戦を描いたことにならない!」と言う輩もいた。

「米軍を美化している」と言う批判もあった。これは先の「島守の塔」で島田知事を美化しているとの批判に近いので詳しく書こう。批判の主は多少、沖縄戦を勉強したことがある人。もしかしたら特定の団体の人かもしれない。ある種の人たちは「日本人は犠牲者だ。俺たちは酷い目にあった!」と言う主張を繰り返す。それによって被害者の立場に自分達を置き、加害者の側面を隠そうとしている。アジアで日本軍が行ったことに目を向けず、沖縄、広島、長崎ばかりに目を向ける。

なのに僕は「沖縄戦」で米軍にも多くの犠牲者が出た話を伝えた。また、住民は米軍より日本軍の方が怖かったと言う話も紹介。それらを曲解。「米軍よりの作品だ!」と思い込み「美化している」と言い出したのだ。「米軍より」すら間違っているが、美化は何なのか? 米兵がおばあちゃんにチョコレートをくれた話を紹介したから? その後の専門家が「それも米軍の作戦」と解説している。

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つまり、その人たちは「日本人は犠牲者だ!」と言う思いがある。その裏には「だから、アジアの人を傷つけない!」「守るための戦争だった」と当時の日本を正当化したいと言う思いがある人たち。そこまで行かなくても、物事の一部だけを見て「おかしい!」「事実ではない」と騒ぐ人たちもいる。その意味で「島守の塔」の問題点を指摘する時も、無神経なないものねだりではなく、嘘を持ち込んだ理由や背景を探り、作り手の意図を理解した上で、問題を考えたかった。(そのために監督の本まで読んだぜ〜)

あの映画の背景はとても大切な教訓となった。主人公の故郷から支援があるからと事実を曲げて偉人にしてしまう。ま、それ以前に知事を「素晴らしい人だ」と思ったところに問題はあるのだが、映画人は事実を描くよりどーしても感動を描こうとしがち。ドキュメンタリー作家ではない。フィクションの世界で仕事をしている。実際、僕が脚本を担当した「乙女」ドラマ編でも似たような意見が出た。

「再現ドラマはフィクションなのだから、自由な発想で作るべきではないか?」

と言うスタッフもいた。通常ならそれでもいいだろう。舞台は沖縄戦でも、主人公を架空の人物にして、戦争反対の思いがある。その葛藤を描く。あり。ただ、実在の人物にそれをさせると歴史の改竄と言われる。それが「島守の塔」だ。島田叡は実在の人物。その人が思っていないこと、やっていないことをやらせて美化。偉人にしてしまった。架空の人物を作り上げ、「住民を救う」と言わせる。その人物と島田がぶつかるならありだ。が、島田の故郷から製作費が出ている。だから彼を偉人にしてしまったのだ。

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似たようなことをしている映画はある。「F50」は最悪だった。福一の原発事故。吉田所長は現実の人物。彼が事件以前にしでかしたことが全電源停止に繋がるのに、それを描かずにヒーローとして描く。でも、決して彼は悪人ではない。事故時の活躍は事実。だが、映画はその部分だけを描き、総理(菅直人)が怒り狂う場面ばかりを紹介した。印象操作で客は総理のために収束が遅れたと感じる。こんな風に事実とフィクションを混ぜて、制作側の意図する方向に観客を誘導することができる。(結果、事故を収束させたのは東電の職員。邪魔したのが菅直人という誘導。収束もしてない)

ただ、事実材の人物を登場させて大きな問題のない映画もある。「ワンスアポンアタイム・イン・ハリウッド」だ。スティーブ・マックイーン。ロマンポランスキー監督、ブルースリー、シャロンテート。チャールズ。マンソンが実名で登場。そこにフィクションを持ち込む。これはどうかなあ〜と言う気もしたが、エンタテイメントとして面白くできている。シャロンテート事件。「結末が現実と違うだろ!」と批判する声も聞かない。ただ、ブルースリーの娘からはクレームがついたと言う。「父はあんな嫌な奴じゃない」と。

「Minamataーミナマタ」も実在の写真家ユージーン・スミスを実名で描き、事件の当事者チッソも実名で紹介される。この作品への日本側からの批判があった。「あの場面は事実と違う」「***はおかしい」「社長は賄賂を渡していない」とか様々。さあ、先の2つと違い、この映画は難しい。僕自身はよくやったと思える。もう、多くの日本人が忘れていた水俣病を今一度、伝えたことは大きい。そのためには実名は大事。

ただ、映画で描く場合。全てを事実通りに描くと逆に繋がらない。真田広之さんの役。実在の3人を1人にしている。映画で3人も出て来られると客は覚えきれない。集約している。それを事実ではない!と批判するのはどうなのか? そして、批判する多くは水俣病に関心があり、知識がある人だ。映画により水俣病を多くに知ってもらうことは大事なのに、なぜ批判してしまうのか? ここに悲しい構図がある。

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僕の「朝日のあたる家」を批判した多くは推進派ではなく、原発に反対し、よく勉強している人たちだった。「内部被曝に触れてない」「プルトニュウムの情報が少ない」「もんじゅの話がない」とか、先の「沖縄戦」と同じであれがない!これがない!この辺は知識の問題ではなく、映画表現を理解できていないことが背景。映画はだいたい2時間。登場人物の整理。簡略化は必要。ドキュメンタリー映画ではない。

その中でどう表現するか?が監督の技量。そんな表現方が理解できないので、重箱の隅をついて批判。あるいは批判することで自分の知識を誇り、映画の不勉強さを指摘したいという意地悪な思いもよく感じる。映画があまり専門的になり過ぎると一般の人は見てくれない。勉強した人たちが満足するようでは一般はチンプンカンプン。ヒットしない。その辺を考えずに批判する人が多い。

だが、一方で制作サイドもしっかり調べずに、「ま、こんなもんでいいだろう〜」と言う人がいる。「金がないから仕方ねだろう」とか、「**した方がドラマティックだしさ〜」と事実を曲げようとするスタッフもいる。そもそも、原作ものだって原型ないほど変えてしまうのが劇映画なのだ。「乙女」のクルーは皆、ドラマの人。だから、僕が厳しく言わねばならない。

「これが劇映画ー白梅の塔ーなら、いいでしょう。でも、ドキュメンタリー、元白梅学徒の方々が証言した後で、あり得ない脚色をした再現ドラマを見せることはできない。証言を踏み躙り、利用したことになる。事実を歴史を伝えるための映画なのだから、そこを踏み外してはいけない。いつもならフィクションとして許されるが、今回は違う!」

シナリオは僕が書いた。現場で勝手に変更したり、付け加えたりしないようにお願いした。監督もスタッフもそれを理解し、超低予算とわずか数日の撮影なのに、いいものを作ってくれた。事実通りにやろうとしても、金がなくて、時間がなくてできない事もある。それはどうすればいいのか?嘘で誤魔化すか?それはダメ。では、事実に近い形で対応。様様な努力をしてくれた。そして、女子学徒は皆、架空の人物にした。取材して聞いた方々の話から、複数を1人にしたり。病院壕には十数人いるはずだが、4人に物語を絞った。

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事実通りに描くことが映画ではない。脚色することで伝わる事もある。複雑な構図をシンプルにする。紹介エピソードを絞る。だが、詳しい人が見ると「あれがない!」「それは事実ではない」と批判する。だから、難しい。100%の事実は伝えられない。何より演じるのは俳優であり、歴史上の人物ではない。また、人にはいくつもの面がある。家庭、職場。親として、息子として、夫として、それぞれに顔が違う。その全てを描くと多重人格に見える。そこも映画では考える。

個人的に思う事だが、「Minamata」は実名の必要がある。だが、「島守の塔」は実名ですべきではなかっただろう。そもそも、偉人でない人を故郷が応援するからと偉人にしたのが間違いの始まり。「ワンスアポン」も全面的な賛同はしない。が、僕が沖縄戦の劇映画を作るとき、どうするか?ただただ、リアルに歴史通り作ればいいと言うことではない。感動も恐怖も描かねばならない。これからの課題。


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いつか神経が切れる日? それがこの業界! [映画業界物語]

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いつか神経が切れる日? それがこの業界!

過労でダウンした時は、もう疲れ果てていて思考力ゼロ。ひたすら眠り、養生する。体力の限界を超えて休まずに仕事したので、倒れたのだ。週末に2日休むのが通常の生活。それを1年間ー休まずに働くと、週2日の休日。1ヶ月で8日。年にして96日。それを終了時に強制的に取ることになる。だから寝たきりになる。僕の場合。それが過労だと思える。

「俺だって3年くらい休みなしだよ!」という友人もいるが、その手の人は世渡り上手。何だかんでちゃんと休む。その日は仕事ちょっぴりにする。無茶はしない。批判ではない。大事なことだ。それがアーティステックな性格だと、本当に倒れるまで仕事してしまう。作品作りというのは「これで十分」ということはない。「より良くしたい!もっと面白くならないか?」と全力投球してしまうのだ。

ある時、親しい友人から「監督。もしかしたらうつ病かもしれないよ。そうなってもおかしくないだけの大変な状態だったしね」と言われた。過労とうつ病の症状は似ている。どちらも何もできない。何かしようという気にならない。一度、心療内科に行った。が、「違いますよ!」と医者に笑われた。僕が「寝込んでいても、ここぞ!というときは精神力で起き上がって出かける。そんなことしているから、いつまでも良くならないんです」と話すと、医者は「うつ病なら、どんなに気力を振り絞っても、そんなことはできない。あなたは単なる過労です」と言われた。

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しかし、過労で気力を振り絞り仕事に行くと、過労死が待っていることがある。朝元気に出かけた夫が、夜に会社から電話で「亡くなった」と連絡。以前はよくニュースになった過労死という現実。僕の場合「乙女たちの沖縄戦」公開がほぼ終了でダウンした。現在進行中の仕事も第2章が終わったところで、ほっとしたことが大きい。それで過労死には至らなかったのだろう。

そんな中、今更ながら気がついたこと。肉体的、体力的なこと、疲労もあるが、精神的なことも大きいようだ。これまでの監督生活を振り返る。監督業は経済、時間、天気、暑さ、寒さとの戦い。その上で素晴らしい作品を作るのが使命。だが、約束を果たさぬ取引先。無神経な会社。責任感のないスタッフ。プロとは言えない俳優。そんな人たちとの対応もあり神経が擦り切れる。

近年は素晴らしいスタッフが集まり、大いに助けられている。何も言わなくても良い仕事をしてくれる。だが、時々、そうではない人たちと仕事せねばならないこともある。原発、沖縄、基地問題。そんなトラブルを避けて通れない。原発事故を題材とした映画「朝日のあたる家」もそうだった。原発推進から誹謗中傷あるのは覚悟していた。が、一番、批判してきたのは反原発を掲げる人たち。重箱の隅を突くような指摘。方法論が違う。***をやるべきだ。**が描かれていない。勉強不足だ!無知なだな!「映画作る資格がない」等々。

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原発事故の被害に遭われた方に取材した時も「あなた方、マスコミは酷い!」と批判された。いや、僕はマスコミじゃないけど、、と思うが、被害者からすると取材して来る人は全てマスコミに映る。彼ら彼女らのテレビ、新聞に対する怒り、憎悪をぶつけられる。「許さない!」「酷い」「反省しろ!」容赦ない罵倒をされたこともある。こちらは、そんな人たちの悲しみを伝える映画を作ろうとしているのに、そんな対応。

しかし、それが被災者なのだ。怒りの持って行き場がない。取材に来るやつは全て同じだ。私たちの悲しみで商売している!表面しか伝えない。そんな憤りも分かる。その種のマスコミも多い。ただ、こちらは真剣に原発問題を伝えようとしているのに、憎しみをぶつけられ、やってもいないことで批判、反省を求められても困る。が、心傷ついた被災者に余裕はない。冷静になれというのも無理だろう。黙って耐えて、その言葉に耳を傾けることが大切だ。ただ、そんな日々は本当に厳しい。心がズタズタになる。

好意的な対応をしてくれる人。協力的な方もいる。「自分達の思いを伝えてくれてありがたい」とも言ってくれる。それでも、被災者の話を聞くと、打ちのめされる。何の罪もない人たちが東電や国の無責任のために仕事も、故郷も、家も失い。家族がバラバラになる。その話を聞くだけでも、1日何もできなくなる。「大変ですね〜」なんて、とても言えない。沖縄戦でも同様に、1日にお1人以上の話は聞けない。現実の悲しみとはそういうものだ。

その種の話を毎日聞く。心がボロボロになる。もちろん、被災者の人たちはもっと大変な思いを毎日している。悲しみを伝えるには、同じ思いを共有せねばならない。取材が続く。すると原発でも沖縄戦でも、馬鹿なことを言い出す関係者が出てくる。勉強もせず、あーだこーだ!口出しするだけの者。ドキュメンタリー制作に参加したことない奴が、あれこれ指示を始める。

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ボクシングの試合で、ボコボコに殴られている選手に対して、セコンドがボクシングをまるで知らず「回し蹴りで行け!何で、そこに気づかないんだ!」と指示するようなもの。相手の選手ではなく、セコンドにパンチを入れたくなる。それに近いようなことが取材現場でも起こる。

そんな日々が続くと体力だけでなく、精神的に消耗する。長期間続ければ、それこそうつ病になる可能性もある。うつ病というのは「もう限界。これ以上、苦しい思いを続けると心が壊れる!」という時に、体が強制停止する状態。先の友人はそんな僕の現場を知っていたので「大変な状態だったしね」と言ったのだ。

振り返ると、この9ヶ月間も近いことがあった。以前ほどのバカヤローはいない。スポンサーも制作会社も以前とは違う。スタッフも良くやってくれる。だが、困ったちゃんが複数登場して、やらなくてもいいことを次々にやってくれて、僕が謝って回った。トラブルの後始末をした。

2本のプロジェクトが同時進行。取材先のホテルから深夜に謝罪や説明メールを出した。本来なら翌日の取材のため睡眠を取る。あるいは翌日の取材の準備や確認をする時間。要は睡眠時間を削らねば、本来の仕事に影響する。さらにイライラが続き、血圧が上がる。その辺を思い出し、これは疲れるわ〜と再確認。

昔は毎回、そんな感じ。一番の原因がプロデュサーと制作会社だったりした。その辺は順番に排除。作品作りに専念できる時代が続いていたので忘れていたが、その種の問題に対応することで心が擦り切れて行くことを思い出す。同時に、天気の心配。経費のこと。宿泊地を考慮。飛行機をどうするか? 応援してくれる人への挨拶。お礼状。気難しい人へのアプローチ。お礼参り。完成後の報告。その辺も神経をすり減らす。それだけで十分にボロボロなのだが、そこに「困ったちゃんズ」登場ということなのだ。

その種の治療というか、ケア。気づいた。人と会わないこと。連絡をしないこと。神経を使わないこと。気遣いをしないこと。数日ではない。できれば1ヶ月以上、そんな状態で過ごすことで、擦り切れた神経が正常になって来る。立場違えど、俳優も似たような経験をしている人が多いはず。

俳優業も物凄く神経を使い、気遣いをせねばならない仕事。元々、彼ら彼女らは通常以上に過敏で神経質。繊細で傷つきやすい感性。だから、あの有名俳優のように銀座のバーで馬鹿騒ぎをしてしまう。非常識なことをする。だが、それが彼に取って「壊れそうな心」を修復する作業なのだろう。もちろん世間は容認しないが、彼の気持ちも分からないではない。

結局、俳優は酒でウサを晴らすか? 新興宗教に入るか? 休業して精神科で治療受けるか?死を選ぶか? そんな展開になる背景、彼の事件で感じる。そういう世界なのだ。


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ドキュメンタリー映画は劇映画と違った作り方をする。特に太田組は得意?! [映画業界物語]

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ドキュメンタリー映画は劇映画と違った作り方をする。特に太田組は得意?!

体調というのも本当に少しずつしか回復しないものだ。現在は脱都会生活6年目。新宿、渋谷まではかなり時間がかかる。そこまで行く体力がまだない。あるスタジオにHDDを届けなければならないので、近日中に代々木アタックをせねばならない。

映画製作というのは撮影ばかりではない。その準備、資料探し、読み込み。構成。その辺をしっかりとやった上で撮影する。また、ドキュメンタリーの場合、一気に全てを撮影しないことが多い。ある段階で取材内容を振り返り、当初の構成で行けるか?を振り返ることも必要。

特に僕の場合。テレビ番組のようにガチガチの企画書を作り、取材も始まっていないのに結論を決めるようなことはしない。ドキュメンタリーは生き物。作りながら形を変えて行く。プラモデルではない。むしろ子育てに近い。最初、親が「将来は新聞記者になってほしい!」と思って、その種の教育をしていても、次第に子供自身(作品)が意思を持ち行動を始める。

それを無理やり親の意思を強制しても、親子断絶が起こるだけ(あるいは子供が我慢して歪んで行く)子供が生まれた時の時代背景と、大学を出て就職というときの社会はかなり違う。そこに昔からの親の願いを押し付けるべきではない。時代遅れで、古い価値観を振り回すだけだ。

ドキュメンタリーも同じ。スタート時の時代背景は1年も経たずに変化してしまう。例えば、この春に安倍総理に関する悪行を追う作品を作り始めたとしても、夏には暗殺。それ以上、悪行はできないので、もう追求できない。テーマを別の切り口にせねばならない。清和会を追求する作品だとしても、壺問題でガタガタ。消滅しそうだ。

そんなふうに短い月日で社会情勢は大きく変わる。求められるものも違ってくる。人々の声や風をしっかりと感じ取り、それを作品に反映することが大事なのだ。

「ドキュメンタリー沖縄戦」の時は3年で8回、沖縄に行った。一度の取材で4〜5人にインタビュー。帰京したら、その人について、その事件について勉強。最初は白紙で取材に挑むのだが、帰れば徹底して調べる。最初からしっかり勉強して行くと、先入観を持ってしまう。

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また、情報や知識がないことで、取材相手も初歩から分かりやすく話をしてくれる。これは重要。映画館に来てくれる観客と同じ知識量でインタビューすることで、観客も見やすくなる。インタビュアーがあれこれ知った上で質問しても、その前提が観客には分からない。専門的なドキュメンタリーでは時々、それに陥ってしまうことがある。知識がある観客しか見られなくなる。

しかし、知識がないと作品を仕上げることはできない。ナレーション原稿も書けない。だから毎回、取材後に徹底して勉強。背景を説明する場面を作る。記録映像や現在の風景。地図。それらにナレーションやテロップを入れる。沖縄戦の知識なしにそれら作業はできない。

そして基本は時系列で沖縄戦を紹介しながらも、一部は前後させてある。タランティーノの「パルプフィクション」もそうだが、時間の流れを前後させることで興味を引くという手法。ドキュメンタリーの場合。多くが教科書的であり、作家は「退屈でも大切な歴史だから、我慢してしっかりと見なさい!」と観客に求めがち。だが、なぜ、入場料を払い映画館まで来た人たちに、そんなことを強制するのか?

もし、テレビ放送なら、DVDなら、ケーブルなら、途中で見るのをやめてしまう。大切な歴史というのなら、最後まで見てしまう演出と構成で作ればいい。その努力をせずに「大切な歴史だから」と客に我慢を強要するのは努力不足としか思えない。だが、こちとら劇映画の監督。観客を退屈させるのは罪悪とさえ思っている。ドキュメンタリーであっても最後まで客を惹きつける作品を目指す。

もちろん、改ざんや脚色はご法度。最近、その種の劇映画が続けて制作されているが、過度な改ざんは劇映画でも許されるものではない。それでは大本営発表と同じ。誘導と印象操作でしかない。特に沖縄戦は難しい題材。勝手な思い込みや想像だけで作るべきではない。

ドキュメンタリー映画に戻る。シナリオがあり、撮影した映像をその通りに繋いで行く劇映画とは違う。毎回の取材があるたびに、その素材を吟味して、構成や流れをさらに考えること、大切なのだ。「沖縄戦」の時は、そんな感じで、取材と取材の合間も、資料読み込みと構成を考えていたこと。思い出す。



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独立系のドキュメンタリーが面白い理由=大手テレビがダメな訳? [映画業界物語]

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独立系のドキュメンタリーが面白い理由=大手テレビがダメな訳?

8月の終わり頃から急に涼しくなり、エアコンを1日つけてなくてもいい日が続いている。エアコンはつけたり消したりする方が電力が必要で電気代が高くなるというので、今年はなるべく消さないようにしてみた。果たしてお値段は?秋のお楽しみ?あるいは恐怖となっている。

過労でダウンして1週間が過ぎ、今回は9ヶ月の戦いだったので1ヶ月も寝込むことはなさそう。とは言え、今も近所のスーパーやコンビニに行く程度の体力しかない。以前なら新宿や渋谷に行けるようになるのが回復の目安だったが、最近では大都会に行く必要がない。映画館も、家電量販店も、居酒屋も小さな衛星都市に揃っているからだ。

おまけに居酒屋も滅多に行かない。567を恐れているのではなく、感染以前から外で飲むことが減った。ただ、部屋では毎晩。1人で飲んでいる。過労のせいで缶ビール1本で頭がグルグルするが、1日が終わりビールを飲むと夏を感じることができる。

リハビリ中ではあるが、仕事も少しづつしている。今の予定で行くと来年の2ー3月頃に編集真っ最中ということになる。申告のための準備を今からしておく。また、あれこれ考えるのも大事なこと。作業するばかりが仕事ではない。取材、撮影、シナリオ、編集、という作業をしていると他のことを考える余裕がない。それらのない期間に考える。

まだ、あまり詳しくは書けないが、構成を考えるというのも大事。え? 構成って企画段階で考えるんでしょう?と言われそうだが、そうばかりと言えない。テレビドキュメンタリーは最初に決めた通りに進める。でも、そのことでリサーチと現実が違うことも出てくる。なのにリサーチ通りの結論でまとめ要することがある。地元の人に『:::と証言してほしい」などと用意したコメントを求める。

上層部が承認した案件なので変更できないということなのだ。が、そんな馬鹿な話はない。要は後で上から注意を受けたくない。上は上で、急に変更されて問題になったら責任を取らされる。という、どちらも責任逃れが背景にある。なので取材中に新しいネタと出会う。重要な証言を得ても、企画通りでなければパス。スルーということにもなる。

これらは大きな組織でありがち。慎重に間違うわないで、作品を作ろうとしながらも、その姿勢が「責任を取りたくない」という逃げにつながり、与えられたことを確実にするというだけの番組作りになってしまう。当然、クレームが来るのを恐れる。NHKなど最たるもので、どこからもクレームが来ない番組作りをしている。

NHKでは沖縄戦を扱っても「アメリカ兵に住民が殺された」「日本兵に住民が殺された」という表現を避ける。「戦争によって犠牲者が出た」的な言い方をする。つまりアメリカからも日本からもクレームがつかないようにしている。戦争が悪い!と言っても戦争からクレームは来ない。両国の残酷な行為はできる限り描かない。それが巨大組織NHK的な番組作りである。

しかし、弱小のプロダクションなら上のようなしがらみに縛られる必要はない。スタッフは少なく上司もいない。取材中にいいネタが見つかれば取り入れられる。上から文句は来ない。リサーチと結論が違えば変更すればいい。近年、独立系のドキュメンタリー映画が面白いにはそれが可能だからではないか? テレビと違いあれこれクレームを気にせずに制作できるからだろう。

製作費やギャラは安くても本当に大切なことを伝える作品を作ることができる。組織のルールや上司の顔色を気にする必要がない。だから、面白いものができる。そんなことも考えながら、この段階でまた構成を考え直している。ま、そもそも、最初に決めた通りに行く方がおかしい。そして結果、いつもそれでうまく行く。へへへ。



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ドキュメンタリー制作の難しさと太田組の方法論? [映画業界物語]

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ドキュメンタリー制作の難しさと太田組の方法論?

真夏の撮影。とにかく、その日の予定を最後まで取り上げること。ダウンせずに撮影を続けること。体力の消耗や熱中症に注意して、その日できる最高の撮影をすることに全力を尽くす。

だが、そんな時は長期的展望でものを考えることはできない。せいぜい翌日の撮影を視野に入れる程度。目の前の問題をどうクリアして、予定を消化するか?それで精一杯なのだ。劇映画の場合はスタートすると、3〜4週間ノンストップ。勢いで突っ走るしかない。

対してドキュメンタリーの場合は何度かに分けて取材をすることがある。「ドキュメンタリー沖縄戦」の時は3年で8回。スタッフ体制は最小限であり、かなり厳しい予算だと思えたが、「乙女たちの沖縄戦」は不可能実行指令だったので、今考えるとかなり楽だった。複数に分けて取材となると、前回の問題点を反省することができる。

真夏の沖縄で、その日の反省をするのは難しいが、帰京して涼しい部屋であれこれ考えると、あれこれ見えてくる。ある時、スタッフがかなりバテて脱落者が出るのでは?という時があった。1人なら、そのスタッフの体調が良くなくて暑さでダウン?と思えるが、半数が参っていた。理由の1番は暑さだろう。が、沖縄の暑さは何度も体験している。それだけではない。

問題はレンタカーだった。エアコンがあまり効かない。そのために移動中もスタッフが高温の中。体を十分に冷やすことができずに次の現場に到着。そのために体力を消耗した。

さらに、ホテルが古いのでエアコンが強、中、弱という調整しかできない。弱で寝ると寒くて夜中に目が覚める。消して寝ると暑くて眠れない。そんなことも疲労回復を邪魔する背景となり、スタッフはかなり参ってしまったのだ。

そのホテルも以前に泊まったことがあったが、さほど暑くない季節だったのか?その種の問題は感じず。また、レンタカーのエアコン問題が重ならなければ何とか斬り抜けたかも知れず。トラブルというのはいろんな形で、複合的にやってくるものだと認識する。

対策として次回は早めに予約してまともレンタカーを借りる。宿泊費をケチらず、もう少しまともなホテルに泊まる。でも、そのためには経費と相談。取材対象者とも相談。ルービックキューブの複数面を合わせる努力が必要となる。

次の取材まで1〜2ヶ月あると、他にもいろいろと考える。あるときに苦労したのは申告シーズン。その2月にまさかや!の編集。領収書整理もせねばならない!編集はスタートすると集中力。下手したら春まで戻れない。

そこで領収書整理を先にやった。編集の締め切りがどんどん近づいてくるが、申告手続きも1週間はかかる。そのイライラ。ストレス。そんな時に馬鹿野郎があれこれ連絡して来た。神経が切れそうになり、今度こそ発狂するか?と思えた。一般の人に編集作業がどれだけ神経をすり減らすか?説明しても理解はできない。

その後は申告シーズンから逆算して、作業を行うようにしている。「あーそういえば来月、申告だよなあ」というのがこれまで。考えれば分かるのだが、目の前の問題と対峙していると、そのことで精一杯。経理スタッフがいる訳でもなく、僕自身が全てせねばならない。

なので今は、取材中に領収書の打ち込みをする。これも本来はPが金を管理、監督は旅費や宿泊費。食費を気にせずに取材をするのだが、それを監督である僕が担当した上で、ホテルの部屋ではその日使った費用をエクセルに打ち込む。

Pなら取材中に外で、取材費があといくら残っていて、食費を節約せねばならないなあ〜とか計算する余裕があるが、監督は室内でインタビュー。経費の把握する時間がない。なので仕事が終わり、部屋に戻ってから領収書整理。そのことで経済状態を把握する。

さらに、取材終了後に帰京。すぐに領収書を整理。貼り付けをして、計算間違いはないか?今回の赤字は?次回の取材はいくら削るか?頑張れば、あと何回、取材に行けるか?などの算段をする。

つまり、監督とPと経理の3人分の仕事をしている。取材が複数回だからこそ、帰京してからの作業もできるが? これ全て現地で行うと、完全に監督業が疎かになる。そして現地では必ずトラブルが起きる。

先の暑さ事件。あるいは取材対象者が急に断ってくる。スケジュールを変えてほしいと連絡が来る。スタッフが問題を起こす。やるべきことをやらない。あれこれも文句ばかりいう。

ある時、スポンサーから来たスタッフは映像のプロではなく、一般の人。その手の人は映画作りを何も知らないのに、あれこれ口を出すことが多い。自分の価値観を押し付けて「あーするべきだ」「こーするべきだ」と言いたがる。それが一番邪魔であり、神経を逆撫でされる。

最後には僕も爆発。その人物を太田組出入り禁止にしたが、もっと早くすべきだった。ドキュメンタリー制作を知らない者があれこれ口を出して、マイナスこそあれ、プラスには絶対にならない。

次の取材までにあれこれ反省。よりスタッフが快適に取材してもらえるような体制を考えるのも監督の仕事。本来はPが、より監督に快適に仕事してもらえるように環境づくりをする。それも僕がやる。そのことで人件費削減。

問題点は何か? どうすれば効率が上がるか? でも、あまりスタッフに無茶はさせられない。でも、問題を続けて起こす人には外れてもらわねばならない。「沖縄戦」での経験が生きる。大切なのは、素晴らしい作品を作ることである。



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