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映画監督という生き方? 「人並みな生活がしたい!」と思ったらアウト? [映画業界物語]

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映画監督という生き方? 「人並みな生活がしたい!」と思ったらアウト?

映画監督というと、多くの人は文化人、芸術家。金持ち。女優にモテる?とか思うようだが、かなり違う。もちろん、巨匠と呼ばれる人は文化人であり、芸術家なのだが、多くの監督は単なる現場仕切りの仕事であったりする。

監督で金持ちはほんの一握り。ほとんどが貧乏人といえる状態。新入社員より年収が低いだろう。ただ、熱い思いを持つ人が多く「俺はこれを描きたい!」ということで自分を支えて映画作りに励んでいる。とは言え、低予算でも1本の映画を撮るだけでも、本当に大変なこと。チャンスを掴むだけで宝くじに当たるようなもの。なのに、終わると残るのは借金だけ!ということが多い。

ある意味で劇団で頑張る俳優のようなもので、テレビにも出れない。食えない。アルバイトの毎日。でも、芝居が好きで続けている!というような感じだ。監督業も映画だけでは食えない。あれこれ他の仕事もする。AVに誘われて、そのまま帰って来ない監督も多い。監督作品は1本だけで、その後の十数年、1本も撮っておらず。それでも「監督!」と呼ばれている人もいる。

いや、1本すら監督していない監督もいる。撮り続けるのも大変。ヒットさせるのはまず無理。そして監督できても、自分が好きな作品なんてまず撮れない。企業映画だと「なんじゃこれー」というシナリオを渡されて撮影。評判が悪いと「あいつはダメだな」と烙印。好きでもない作品を撮ってもいいものは出来ない。

本当に自分が撮りたいものを撮れるのは、奇跡を願うようなもの。企業ではバカが寄ってたかって作品をダメにする。ただ、そんな魑魅魍魎たちに言われた通りの、ありきたりの作品を撮らないと、次の仕事ももらえない。映画が撮りたくて入った世界。監督業を続けるには「撮りたくないもの」を撮らねばならず。自分がやりたいもの!なんて、誰も金を出してくれない。それが監督業の現実だ。

そんな中で僕は「自分が撮りたいものしか撮らない!」と決めた。そんな子供のワガママが通用する世界ではない。が、儲けようとか、また仕事をもらおうとか、まともな生活をしょうとか、人並みな幸せを得たいとか思わなければ、できるものだ。ここまで5本の長編映画。2本の長編ドキュメンタリーを監督した。全部、自分がやりたい作品だ。

依頼された作品もあるが、全て「やりたい!」と思ったもの。ただ、やりたいものをやると、結局、人並みな生活は出来ない。結婚も出来ない。家庭も築けない。老後の貯金もない。いつか野垂れ死する覚悟がいる。貯金も出来ない。来月の家賃が払えない!は何度もある。友人たちには迷惑をかける。女優にモテることもなく、フリーターと変わらない、むしろそれ以下の生活水準。

それでも「撮りたい作品を撮る!」ことは意味を感じる。嫌な作品を撮り経済的に恵まれた生活をするか? 撮りたい作品を撮り貧しい生活をするか?どちらがいいのか? いつ、アパートで孤独死してもいいと思えば、それはそれで楽しい生活だ。そこまで覚悟したら「撮りたいものが撮れる」と僕は考える。

長生きしたいとは思わない。だから、毎回「遺作」。これで死んでもいいと思っている。製作中は何ヶ月も血圧が危険値を超える。医者には「休み取りなさい。でないと本当に過労死するよ!」と毎回言われる。完成すると毎回、倒れ、数ヶ月間寝込む。だが、それで死ねなければ「もう1本撮れ!」と映画の神様が言っているのだ。そしてまた次の戦い。だが、60代になり戦いも辛くなる。終わりが来るまで、その繰り返しだ。



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メイキングって何? ドキュメンタリー編集の難しさ?全ては「スターウォーズ」から始まった? [映画業界物語]

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メイキングって何? ドキュメンタリー編集の難しさ?

「メイキング」は30年ほど前から一般にも知られるようになった。映画ファンの間ではさらに10年前。1980年代からすでに認知されている。「スターウォーズ」「レイダース」と言う映画のメイキング・ビデオがアメリカで発売。撮影現場や特撮の裏側を紹介するその輸入盤をファンたちが大喜びで見ていた。

その後、角川映画がメイキング単独のソフトを発売。「天国にいちばん近い島」「Wの悲劇」等。でも、これらはメイキングというよりアイドルビデオで、原田知世や薬師丸ひろ子の撮影現場の様子を記録したものだった。

そもそもメイキングとは映画がどのように作られたか?を記録。紹介するドキュメンタリー。ハリウッドでは昔から大作映画を作るときには必ずメイキングが作られたという。「明日に向かって撃て」もあるらしいが、これは見たことはない。この頃は商品ではなく会社の記録として作られたのだろう。あと「風と共に去りぬ」も記録フィルムがあるはず。テレビ番組等で撮影風景を見たことがある。

それが「スターウォーズ」あたりから、SFXの舞台裏的なものにファンが興味を示し。商品として売られるようになった。僕も先の二作はアメリカ時代に購入して擦り切れるくらいに見た(ベータ、VHSの時代です)

その後、DVDが登場。映画のソフトを売るために映像特典としてメイキングを付ける。レンタル版には収録されていない。そうやって映画ファンにDVDを買わせる戦略だった。そのために多くの映画は低予算作品でも撮影時にメイキングを撮影するようになった。90年代頃。

ところが、ベテランのスタッフたちからは「邪魔なんだよ!」と嫌われることが多かった。また、古い映画職人の感覚からして「舞台裏の苦労を客に見せるべきではない!」ということもあった。そんな時代。そのメイキングで僕は監督デビューする。1997年のことだ。その作品の評判がよくて、依頼が続き。巨匠・大林宣彦監督の「理由」のメイキングも担当することになる。今も発売されているDVDに収録されている。その辺の話はまた別の機会に。

おまけで話すと、僕が映画を監督するようになってからも毎回メイキングを収録している。流石に自分で監督しながらメイキングは撮れないが(スピルバーグは「1941」の時。休憩時間に自身で8ミリカメラを回しメイキングを撮影したそうだが)上がった素材が良くないことがある。製作費が十分にないのでメイキング担当が「監督を目指す若手」「映画化の大学生」になってしまうからだ。

メイキング出身の僕としては許せないレベル。でも、リテイクすることはできない。彼らに編集させても手抜きのロークオリティ。メイキングを長くやっていたので分かるが、短い時間で完成する方法論で彼らは編集してしまう。時間をかけてもギャラは変わらないので、楽して早く終わらせようということだ。が、それは人様に見せられるものではない。と言ってプロに頼むには予算がない。そこで僕自身が最初から編集しなおす。

「向日葵の丘」「明日にかける橋」は僕自身が編集。特に後者は大学生が撮ったもので怒りが爆発するほど素材が酷かった。経験値が低いからではなく、明らかに楽して撮ったもの。肝心な絵がほとんど撮れていない。天誅殺を下したいほどひどい。でも「メイキングなし」というわけには行かず。誰かに頼んでも良くなるとは思えない。そもそも、まともな素材がほとんどない。

「瀕死の重症の患者を手術しろ!」というようなもの。だが、僕は伊達にメイキングを何本も撮って来た訳ではない。なんとかしてやろうじゃねえか!とブラックジャックのように挑戦。撮影は終了していたが、それ以外の素材を追加撮影。あるだけの素材を集め編集。胃が切れそうになりながら、毎日、血圧が危険値で作業。完成させた。ら、これがとても評判。ははは、メイキング出身者の力を見たかぁ!

という訳で「ドキュメンタリー沖縄戦」も「え?劇映画じゃないのに!専門外でしょう?」と言われた。が、メイキングはそもそもドキュメンタリー。こちらも評判は良かった。一言では説明できないが、ドキュメンタリーもメイキングも、ただ素材をつなぐだけではない。その順番。そして、いろんな素材を集め、つなげるか?が大事。ある意味、劇映画の編集より難しい。が、考えればいろんな手法がある。とは言いながら、今また同様の題材の仕事で苦しんでいる。その辺はまた、詳しく書きます。


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周りを気にしないと潰される日本社会=だから、面白い映画が作れない? [映画業界物語]

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周りを気にしないと潰される日本社会=だから、面白い映画が作れない?

ノーベル賞受賞の日本人研究者。彼の言葉から日本人の体質を考える動画をあげた。それをもう少し考えてみる。彼が言うには「アメリカでは周りの人の気持ちを考えなくてもいい」それがアメリカで研究する利点だと言う。裏を返せば日本だと「周りの人の気持ちを考えねばならない」と言うこと。

つまり、その研究を続けることの大切さーだけでなく、周りの人たちがどう思っているか? 賛同しているのか? 反対しているのか? 妬んでいるのか? 無意味だと思われているのか? そんなことも推しはからねばならないと言うことだろう。

もし、それらの思いを無視すれば? それこそ同調圧力。あれこれ嫌がらせや邪魔が入る。妬まれる。嫌われる。人と違うことをしたり、誰もしないことをするだけで、日本ではあれこれ批判され、口を出してくる人たちがいる。

この話はかなり以前に書いたが、僕が高校時代に「映画監督になる!」と言うと、周りの誰もが反対し、真面目に大学に行くように説得しようとした。アメリカ時代に同じことを言うと、周りの誰もが「Great!」「good」「You can do it!」と賛同し、応援してくれた。そこに日米の大きな差を感じた。それゆえノーベル賞学者ー真鍋さんの言葉に強く賛同する。

人と違うこと、新しいことをすると叩く、邪魔する日本人。それが自分たちに不利益をもたらすならまだ分かるが、そうでなくても、あれこれ口を出し止めようとする。皆、同じ。昔からのスタイルでなくてはならないのだ。日本人にはそんなところがあるので、物理学の研究も、日本ではできない。アメリカなら自由にできる。その成果がノーベル賞に結びついた。

映画会社でも似た構図がある。いい映画を作り、大ヒットさせ儲けることが映画会社の使命。なのに会議で求められるのは関係者の顔を立てること。彼らの思いに応えること。「あの女優を出して欲しい」「私の故郷でロケしてほしい」「うちの商品を映画で出して欲しい」「うちのタレントを使って欲しい」それぞれの思惑がある。映画にプラスかどうかではない。それぞれの希望や思惑だ。

それらを全て持ち込むと、役にふさわしくない俳優が多数出演。おかしなロケ地。コマーシャルのように特定の商品が画面に映し出される。そしてよくあるストーリー。結局、監督はそのまとめ役になり、やる気をなくす。やりたいことが何一つ実現されない。プロデュサーは関係者たちのご機嫌を取るばかりで、はまらないピースを監督に無理やりはめろと言うばかり。

それで面白い映画ができる訳が無い。関係者の思いを気にすることが、面白い映画を作るよりも優先されている。これもノーベル賞学者が指摘する日本の問題点と同じ構図だろう。関係者の意見や思いを優先。皆が納得するストーリーやキャストというのは無難なものになりがち。だから面白くならない。「これは違うんじゃねえの?」と誰かが言い出すような企画こそが大ヒットに繋がるのだ。

その意味で、僕は大手で仕事ができない。いろんな人の意見を気にして脚本や演出はできない。大手でなくても、製作会社では必ず揉める。関係者があれこれ古い価値観を押し付けて来た。全部拒否したら、皆に心底恨まれた。彼らがいう「いい監督」というのは、自分たちの思いを拒否せずに、物語が破綻しても笑顔で受け入れる監督のことなのだ。だが、そんなタイプが作る映画は毒にも薬にもならない。

詰まらない映画を毎回撮っている監督がいるが、そのタイプ。関係者の意見を受け入れて映画を作る。だから、面白いものができない。でも、また次の依頼が来る。会社では評判がいい。逆に僕は一度仕事をした製作会社から2度と依頼が来ない。「あいつはわがままだ」「人間としてダメだ」「協調性がない」と言われる。

要はノーベル賞学者の言う「周りの人の思いを気にしない」と言うのを実践したからだ。本当に面白い映画を、観客が喜ぶ映画を作ろうとしたので、周りに嫌われてしまった。日本人としての伝統を破ってしまったのだ。製作中もあれこれ嫌がらせ、邪魔、誹謗中傷。人格否定。でも、だから観客が涙する作品を作ることができた。

結局、大手と仕事するといいものは出来ない。だから、低予算の仕事している。ただ、近年は理解あるスタッフと、インデペンデントで製作するので、周りの思いを気にすることなく、観客のための映画作りに専念できる。

ここ数年のスポンサーは「監督の思うようにやっていい」と理解を示してくれた。大手ではこうは行かない。著名な俳優さんたちも「出たい!」と言ってくれる。周りを気にせず、新しいこと、違うことをするからいいものが作れる。ノーベル賞学者が言うことは正しい。



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低予算映画の戦い(下)=いかにして「素晴らしい作品」を作るか?発想の転換。 [映画業界物語]

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低予算映画の戦い=いかにして「素晴らしい作品」を作るか?発想の転換。

先に紹介したように、3千万という低予算映画でも、実際に映画に使えるのは2千万弱である。そうしないと製作会社は存続できない。社員や社員の家族が生活が成り立たない。1千万を超える手数料を取ることもやむなし。と思えるが、映画製作ー「より良い映画を作る」という観点から考えると、その1千万あれば、いろんなことができる。クオリティが上がる!と思ってしまう。

僕は監督なので、どうしてもそちら側から見てしまい、ピンハネや中抜きをする会社を許せなかった。予算を下げ自社の利益を上げるためにスタッフを踏みつけるPや社長。撮影が終わってから「赤字が出たので監督料。半分にして欲しい」というPもいた。「それはお前の責任だろ!」と言いたいが、彼らは決して自分のギャラは削らず。絶対に辞めない者にリスクを押し付ける。

監督料なし。約束の額が払われないこともあった。後輩からも、その手の話をよく聞くが、一番よく働いて、一番バカを見るのは監督であることが多い。どの監督も「この映画を撮りたい!」という熱い思いがあるので利用されやすい。僕も似たようなことが何度もあり、映画が完成して残るのは借金の山だけだった。が、耐えているだけでは何も変わらない。そんな環境にいては「より良い映画は作れない」考えた。

昔、読んだ矢沢永吉の本。彼が契約したレコード会社は通常以上にバンドを縛り、ギャラもピンハネ。立場も弱かった。会社により良い歌を作ろうという思いはなく、儲かればなんでもいいという姿勢。最初は単なるロック小僧だった矢沢だが、そんな不満を抱え、あれこれ勉強、権利や立場を取り戻して行く。単にアーティストとして歌うだけでなく、プロデュースも担当。やがて興行を取り仕切るようになる。そのことでより良いアルバムを、ライブをできるようにした。という話を思い出す。

映画を監督してから、あれこれ勉強。制作費の使い道、流れ、儲け、利率。権利。著作権。慣習。あれこれ誤魔化している会社が多いことが分かる。誤魔化しどころか、えげつないところも多い。信頼していた人に裏切られ、騙された。全ての元凶は製作会社だ(彼らに事情があることは前回の記事で紹介した)そしてP。ただ、それらがないと映画は作れない。

それなら僕自身がやればいい。数本の映画であれこれ学んだ。ルーカスやスピルバーグだって監督でありpなのだ。ある作品から、監督、プロデュサー、脚本、編集を全て担当。さらに製作部がすべきロケハン。完成後の宣伝。1人7役をこなすようにした。

だが、ギャラは7人分もらわない。せいぜい2人分だ。そのことで5人分の人件費が節約。さらに製作会社を排除。これで30%(時にはそれ以上)もの手数料を取られずに済む。その分、僕が働けけばいい。節約した額は全て映画製作費につぎ込む。

製作会社の手数料というのは、事務所の家賃(都内の大きな街にに構えると月20万前後かかる)社員の人件費。光熱費。通信費。そして社長が家族を養うための給与等に使われる。でも、製作会社を入れなければ、その種の費用は必要ない。僕は自宅。社員はいない。打ち合わせは喫茶店。家族もいない。安アパートなので多額の収入も必要ない。先の例に従えば、1000万円浮かすことができる。つまり、制作費の全額を映画に注ぐことができる。

さらに、地方ロケ。地元から熱い支援応援を頂く、そのことで宿泊、食事、移動(車やバス)の協力をしてもらう。これも金額に換算すると1千万近くになる。こうして計算すると、通常の映画では例えば予算が3千万でも、2千万の作品(深夜ドラマクラス)しかできないのだが、僕のやり方だと4〜5千万クラスの映画を作れることになる。だから、俳優陣も毎回、豪華。

ただ、儲からない。製作会社ならすぐ倒産。だが、儲けるつもりはない。監督料はもらっているので最低限の生活はできる。贅沢をしようとか、家を買おうとか、外車に乗りたいという思いはない。素敵な映画を作ることが何より大切。これ矢沢的発想(彼の場合は儲かって億万長者になったが、映画界ではそうはいかない)ともう一つ。見習ったのは我が師匠・大林宣彦監督の方法論。

彼はPSCという会社を持っていたが、電話番の人が1人いるだけ。製作会社として監督作の手数料を取っていないかったのではないか? コピーするときも、すでにプリントアウトした用紙の裏を使い、徹底した節約。僕も仕事をさせてもらったことがあるが、巨匠とは思えない質素な事務所。打ち合わせの後に、その部屋のキッチンで料理してスタッフと夕食ということも。とにかく「制作費は映画のために使う!」そんな方針。

僕の場合も金儲けではない。会社を経営、都心に事務所を借りていて、社員もいれば高額の手数料を取る必要があるが、脱都会暮らし。だから3千万で作れば6千万。5千万で作れば1億相当の映画ができる。ただ、予算超過すると僕が借金を背負う。監督料がなくなる。毎回、7人分働くので完成後は過労で数ヶ月はダウン。

医者から毎回「過労死する前に休め!」と言われる。僕のスタイルをマネするバカはいない。なので紹介した。今回の記事もシェアしたり転載しないように。興味本位でしか読まない人には、読んでもらいたくない。映画作りは命がけの戦い。よろしく。


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低予算映画の戦い(上)製作費っていくら?=搾取とピンハネ。低予算作品の苦悩? [映画業界物語]

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映画製作費ってどのくらいかかるの?=搾取とピンハネ。低予算作品の苦悩?

日本映画。大手で製作すると最低1ー2億円。派手なアクションもスペクタルもない。地味な青春映画でもそのくらいはかかる。アクションもの。豪華スター共演。時代劇は数倍の製作費。インディペンデトでは最低3ー5千万円(それ以下も多いが後日、説明)深夜ドラマのようなレベル、ボーイ・ミーツ・ガールのような物語しかできない。当然、有名俳優は出ないし、銃撃戦や爆破シーン等もない。

ちなみにハリウッド映画。メジャー作品の最低制作費は現在10億円ほど。大作は100億円。話題の作品はもっとかかっている。スケールで勝てないのは当然だろう。そんな時代でも、低予算に苦しみながらも日本の映画人は少しでもいいものを作ろうと頑張っている。が、それを阻害するのが多くの場合、製作会社やプロデュサーである。マイナーの場合はかなり厳しい現実がある。

例えば3000万円の映画を小さな制作プロダクションが受けたとしよう。業界の慣習として20%前後の手数料を取る。計算してみる。600万。3千万から引くと2400万。それで映画を製作せねばならないのだが、最低1年はかかる。都心に事務所がある場合。家賃は最低でも15万はする。かける12ヶ月。180万。

電話番に若い女性。若手のPを1人。社長と3人の会社だとする。電話番の給料が1ヶ月15万。Pを20万とする。それぞれに1年の給与は180万と240万。合わせて420万。ボーナスはなし。家賃と合わせると600万。これでもう手数料はなくなる。光熱費や水道代。社長の給与が出ない。そこで慣習である20%を30%にする。900万円だ。

そこから給与と家賃を引くと300万。これが社長の給与とあれこれ。月給は30万弱。映画界で長年生きて来た50過ぎの社長。妻も子供もいる。自宅のマンション代も払う。教育費も必要。これで生活できるのか? また、会社では関係者を集めて忘年会等もする。だから、手数料を40%にする。と映画に使えるのは1800万円になる。つまり、これが実質の製作費になる。

これでは有名俳優を使えないだけでない。アクションも、カーチェイスも、CGもダメ。それこそ深夜ドラマのような地味な物語しか作れない。また、撮影期間も限られてくる。近年の映画は2時間ものを3週間ほどで撮影する。が、それを2週間。1週間に短くする。人件費を抑える。食事代を減らす。宿泊費を下げる。

ただ、スタッフの労働時間は長くなる。3週間かかるものを1週間で撮るにはスタッフは不眠不休で働く必要がある。いいものを作る!ではなく、何とか最後まで撮影する。が目的になる。当然、クオリティを気にしてられない。「面白い!感動した!」以前に撮り切ることが目標となる。それでもスタッフは俳優は、「少しでもいいものを作りたい!」と思う者が多くいる。

そんな情熱に乗っかって(利用して?)多くの製作会社は映画を作っている。悪徳社長!と思えるが、考えてみよう。彼もまた家族を養うためには慣習以上の手数料を取らねばならない。つまり、制作費が2億円なら20%でも4千万。社長も阿漕なことをしなくてもいい。頑強は3千万で映画を作ろう!なんてスポンサーがいること。だが、不況が続く時代。2億も出して失敗したら大変。どんどん制作費が下がって来た。

3千どころか、1千。500万。という信じられないような額で作られた映画まである。200万の映画を見たが、映画学校の実習のような出来。そんなものを1800円取って映画館で見せている。でも、日本の映画人口が減り。2億かけても回収できない。いや、3千でもできない。だから、どんどん下がっていくという背景もある。

では、どうしたらいいのか? それは次回紹介する。考えて欲しいのは、悪徳社長でも最初は「感動する映画を作ろう」と思っていること。それが生活が苦しくなり、リスクが高まり、いかにピンはねして中抜きして、金を残すか?を考えるようになる。次第に映画への情熱をなくし、スタッフの生き血を吸うだけの存在になっていく。これって政治家も同じ。最初は国民のため。それが次第に癒着。生き残りしか考えなくなり。国民を踏みつけるのと同じ構図。そんなことも考えてみて欲しい。

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もう日本で反戦映画は作れない?=その背景にあるもの [映画業界物語]

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もう日本で反戦映画は作れない?=その背景にあるもの

今の日本映画界。戦争ものを作るなら「日本軍は素晴らしかった!」「勇敢だった!」「彼らが日本を守った!」という方向でないと、どこの企業も金を出さないようだ。

あるいは「戦争はいけませんよ〜」「多くの人が亡くなり悲しいですね〜」(といいながら誰の責任か?なぜ戦争になったか?は描かない)そんな上っ面だけの作品しか製作されていない。原発事故の映画と同じ。大企業が出資するのは「東電職員は命がけで日本を守ったんだよ〜!」という嘘800=加害者を被害者にして賛美する「Fukushima」なんとかという映画だけだ。

戦争法を強行採決した政府が「右!」というのを「左!」というマスコミや大企業や団体は存在しない。NHKだけではない。塚本晋也監督が作った「野火」。父の遺産を注ぎ込んで製作。彼のような有名な映画監督の作品でさえ戦争ものだと、どの企業も費用を出そうとはしなかった。インタビューでこう答えている。「次第に戦争映画が作れない空気が広がっているのを感じた。早く作らないと作れなくなってしまう」その空気がもう日本に溢れている。

オリンピックがまさにそれ。緊急事態宣言下。感染者がどんどん増えているのに強行。国民の半分以上が反対しているのに、政府は止めようとしない。これが戦争ならどうか? 政府は同じことをするだろう。その戦争を進めるために何年も前から教科書を書き換え「日本は悪くなかった」と子供たちに教える。沖縄戦の集団自決の記述を削除。悲惨な戦争映画を作らせず、日本賛美の映画ばかりにして「日本軍は素晴らしかった」「彼らが国を守った」と刷り込む。

特に沖縄戦を描く映画などあり得ない。「軍が県民を犠牲にして本土を守った」ーなんていう酷い事実を絶対に知らせたくないだろう。すべては来るべき戦争のための準備。オリンピックを見ていると、そう思えてしまう。本当に必要なのは悲劇を伝える作品なのだ。が、それを作ろうとする映画会社も企業もない。



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「567で映画界は壊滅状態ですよ」と言う業界の友人。 [映画業界物語]

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「567で映画界は壊滅状態ですよ」と言う業界の友人。

まさにその通りだ。彼が続ける「まず、撮影ができない。アクション映画も、恋愛映画も濃厚接触が必要。毎日、検温、感染予防。セット、ロケ地の消毒。そのために対策チームまで設置。その人員のギャラを払わねばならない。

大きなロケバスで移動ができない。小さな車に分かれて乗る。そのためにレンタカー代もかかる。地方ロケ。地元に嫌がられる。ー東京から何十人も来られたら感染が広がる!ー恐れられる。宿も拒否されがち。エキストラも集まらない。それでもテレビは無理してやっているが、宣言で撮影中止になったところも多い。

多くの映画が撮影延期、中止。スタッフ、キャストの仕事がなくなる。補償はなく、貯金を削って生活する人多数。映画館にも人が来ない。一度も感染が出ていないのに緊急事態宣言で、書き入れ時に休業要請。莫大な収入を失っている。多額の宣伝費が無駄になる。公開延期も同様。映画は*月公開と決まったら、そこに合わせて半年以上前から宣伝を開始。延期すればそれが無意味。そこからまた宣伝せねばならない。そのためにまた多額の経費がかかる。567で映画界は壊滅状態ですよ!」

全く彼の言う通りだ。そんなことがもう1年以上も続いている。やがて潰れる映画館も出てくるだろう。独立系のミニシアターは特に厳しい。それらが潰れると大手しか残らず、隠れた名画やマイナーな名作を見るチャンスがなくなる。公開もできなくなる。安易に作った大手の映画だけが上映される。ミニシアターこそが思いある人たちが奮闘。地域に芸術文化を伝える仕事をしている。そんな彼らが不必要な自粛を迫られ苦しんでいる。音楽や演劇も同じ。

収束時期が見えないのも辛い。今年で収束!とか分かれば、苦しくても、それまで撮影を延期すればいい。来年1月に撮影ができるように、今から準備できる。が、準備しても、1月にはまだ567が蔓延しているかもしれない。と、その準備がまた無意味。費用も無駄になる。そう考えると中止にした方が被害が少ないことにもなる。僕の予想だと、この秋にも収束が始まると踏んでいたが、逆に感染が増えている。

その理由の1番はオリンピックだ。「五輪やるなら、もう大丈夫だろ!」と緊急事態宣言にも慣れた国民が動き出した。「マスクしているから問題ない!」と街に繰り出す。こうして、過去最高の感染者が何日も続くことなった。小池や菅が利権を優先したため。「安全安心」なんかじゃないのに。結局、彼らがやっているのは、収束させるより感染拡大を願い。日本の経済をズタズタにすることなのだろう。

567禍で依頼もない。そのために多くの映画人が収入の道を閉されている。特に監督や脚本家はアルバイトもできない。同世代はもういい歳なので、居酒屋のバイトも出来ない。いや、その居酒屋が自粛要請で閉めている。飲食業はまだ協力金がもらえるが、映画人には何もない。物凄く手続きが面倒な芸術給付金もあったが、額も知れており1回切りだった。Netflixの支援金は申請殺到。開始数時間で終了。それも監督と脚本家は対象外。

先の友人はいう。「都知事の言うー自宅を病室として使うーは1人暮らしの映画人を死に追いやるかもしれない。567感染での死亡ではなく、餓死。俺も他人事ではない。そんな中でオリンピック。ー苦しかったけど、頑張ってよかったです〜ーと金メダルを見せる選手。拍手を送る気にならない。多くの日本人は今も苦しいのによー。金メダルを噛みちぎりたくなる」同感だった。ー


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映画監督の仕事は娯楽作品を作るだけではないーマスコミが伝えない真実を伝えるのも仕事? [映画業界物語]

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僕はジャーナリストではない。映画監督だ。映画館で2時間の間、ドキドキ、ワクワクして、感動。泣ける作品を作る。文芸作品と言っても退屈なものは作りたくない。テーマは「親子に伝える大切なこと」「幸せって何だろう」というもの。題材はエンタテイメントでも、そのテーマを毎回語っている。

原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」を作ってからは社会派作品も手がけるようになった。昨年公開の「ドキュメンタリー沖縄戦」もその路線。劇中で紹介したエピソードは新しく発掘したスクープではないが、多くの人が知らない衝撃の事実が多数あった。いかにマスコミが報道しないか?伝えないか?ということ。毎年、夏になると終戦記念日前後にいろんなドキュメンタリー番組が放送されるが、多くが上部だけ。政権に都合の悪いことには触れない。悲しい歴史の1ページ的なノリで、責任追及や原因解明はしない。

映画でも沖縄戦で有名な作品は「ひめゆりの塔」と「沖縄決戦」しかない。他にも少しばかりあるが、多くの人は知らない。「沖縄決戦」でさえ映画ファンでも知らないことが多い。広島、長崎の原爆。東京大空襲。真珠湾奇襲、ミッドウェイ海戦。多くが映画やドラマ、漫画になっているのに、沖縄戦が描かれないのはなぜか? だから現在も続く沖縄の苦悩に多くの人が無頓着なのだ。

その背景にあるのがマスコミも、映画も、ドラマも、漫画も、沖縄戦を伝えないということ。伝えると都合の悪い人たちがいるということでもある。当時、軍は沖縄で何をしたのか? その軍に命令した大本営は何を考えていたか? それを多くに知られたくない人たちがいる。封印しておきたい団体がある。再び戦争をしたい勢力にとっては、その辺を知られることを危惧する。歴史を書き換え、日本軍は素晴らしかった!としたい人たちもいる。

だから映画も、ドラマも、漫画も、沖縄戦に触れずらいのだろう。テレビや大手映画会社はしがらみがある。基地問題にも繋がる。だから慰霊の日も上部だけしか報じない。「ドキュメンタリー沖縄戦」はそれを破る作品を目指した。実はかなり危険な作品。テレビでは絶対に作れないドキュメンタリーだ。それを映画館で全国公開すれば、嫌がる人たちも出てくるだろう。邪魔もされるはず。

ましてDVDにして全国でレンタル。地上波、ケーブルで放映されたら堪らない。映画館公開どころでない反響がある。多くの日本人が沖縄戦を知ってしまう。実際、見てくれた人のほとんどが「知らなかった。ここまで酷いことが行われていたなんて...」と驚愕したという。そして誰もが「多くの人が見るべきだ!」という。逆に「これを見せてはヤバイ」と思う人たちもいるだろう。「主戦場」も未だにDVDになっていない。あちらはあれこれ事件になり、話題になったが、内容的にはこちらも近いものがある。よく、特殊な団体が街宣車で来なかったなあ?と内心思っていた。

公開をほぼ終えたとき考えた。映画監督の仕事はエンタテイメントでお客を楽しませることだけではなく、封印された、多くが知らない現実を全国に伝えるという仕事もあるのだと。本来、それはジャーナリズムの仕事だが、テレビ、新聞はすでに、その使命を果たすことができない。巨大組織は管理され、政府の広報機関でしかない。が、フリーの映画監督がインデペンデントで作るなら、真実を伝える作品作りがまだ可能だ。

そんな仕事も、今の時代は映画監督の仕事の一つなのだろう。幸い、僕は失うものはない。妻も子もいない。コンクリート詰にされて東京湾?ーーでも、止める気はない。「朝日」のときから、その覚悟でやっている。だが、敵は様々な手で足を引っ張り、真実を伝えるのを止めようとする。心なき人たちがあれこれ、陰口を振りまいている。でも、心ある人たちの支援や応援があれば出来る! 戦いは続く。


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「監督は自分が撮りたい映画を撮っているだけだ!」と批判する人たち?=映画作りというものが分からないと勘違いする。 [映画業界物語]

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「監督は自分が撮りたい映画を撮っているだけだ!」と批判する人たち?=映画作りというものが分からないと勘違いする。

地方映画の場合。一般の人が実行委員となり、映画製作をする。最初は「監督、よく頑張るなあ」「凄いなあ」と評価してくれるが、完成後にギャラを請求すると「金を取るのか!」「結局、金のためか!街を愛してくれたので、頑張っていると思ったに失望した」と言われたことがる。考えれば分かるが、1年も映画に専念して、どうやって生活をするのか? 家賃、食費、交通費。物凄い金持ちで道楽に映画を撮っていて「ギャラなんていりませんよ」なんて奴。見たことない。けど、そう思い込む。ゲゲゲの鬼太郎か? 妖怪退治して金も貰わずに去っていく。それを期待したのか?

でも、地元の社長とか、それなりの街の名士でも、そんなことをいう人もいた。こちらは監督料をもらっても完全に赤字。残るのは借金の山だったりする。それを全く想像しないで、失望したと言われ、批判される。あるいはこう言われる。「監督は撮りたい映画を、俺たちを騙して撮ったんだ」と言われたこともある。これも誤解がある。映画監督は自分が撮りたい映画を撮ってこそ、いいものが出来る。嫌なものをいやいや撮ってもダメ。それを「自分が作りたいものを作っただけ」といわれる。もし、街の魅力を語る映画なのに、意味不明の実験映画やホラーものになっていたら、その指摘も分かる。が、映画館では皆、大感動していても、そう言われる。

その背景にあるのは「仕事は嫌だけど、やらなければならないもの」「趣味は楽しく好きでやるもの」という思いがある。多くの人は好きな仕事を選べず、いやだけど会社員になる。工場で働く。その代わりに固定給をもらう。映画監督は好きで選んだ仕事。その代わり生活は不安定。だけど、自分が信じるものを作る。根本的に違う。また、映画監督でも押しつけられたものを嫌々やる人がいる。が、僕は自分が「これ!」と思わないものは絶対にやらない。その代わりに最高のものを作る。そこが理解されない。だから「自分の撮りたい映画を撮っている」=「好きでやるのは趣味だ」「俺たちは利用されたんだ」という判断をする人が出てくるのだ。

映画の評判が悪ければまだ理解するが、ほとんどの人が「よかった」「感動した」と言ってくれる。そして、それこそが僕が目指したもの。感動し、泣けて、希望を感じる映画が作りたい。その意味でも自分のやりたいことをやっている。映画界でも僕のように「本当にやりたいものだけ作る」監督は少ない。だから業界でも「わがまま」「身勝手」と批判する人もいる。あるいは「物凄く恵まれている。悔しい」と思われる。が、そう思うなら「やりたい映画だけ監督すればいい」それができないなら他人を嫉妬するな。思いを突き通すのは大変。毎回、遺作のつもりでやらないと出来ない。その手の人に説明しても分からないので、相手にしない。理解される必要はない。批判されるということは、自分の思いを貫いているということ。そう考えている。


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「最近の映画監督は社会政治に興味ないのか?」と指摘されたこと。そうかもしれない? [映画業界物語]

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「最近の映画監督は社会政治に興味ないのか?」と指摘されたこと。そうかもしれない?

ある映画ライターさんに言われた。「最近の映画監督はどーなっているのか? 昔は大島渚監督が深夜の討論番組に出て鋭い意見をいい、時にはバカヤローと叫んだ。黒澤明監督は原子爆弾や原発に関心を持ち、多くの監督たちが反戦映画を作った。伊丹十三監督も社会に切り込んだ作品を作り、それを語った。

なのに、最近の監督たち。Twitterを見ていても映画のことしか語らない。芸能人じゃないんだから、政治発言だ!なんて批判されることはない。むしろ、政治発言をするのが文化人たる映画監督の使命の一つなのに発言しない。新作の***はどうだとか、名作***は何度見てもいいとか、そんなことばかり。それでは映画作家ではなく、映画ファン。

567とか、枠てんとか、ウイグル問題、寅とか、梅とか、安倍菅政治とか、今、世界はいろんな問題を抱えているのだから、それらについて切り込み、語るべきではないか? 韓国映画にパワーでも、技術でも、製作費でも近年は負けているけど、何より監督のレベルが下がっている。映画ファンがそのまま監督になるような状態だから、いいものが作れないのではないか?」

そんな指摘を受けた。確かにそれを感じることが多い。僕より上の世代。先輩たちは社会や政治について語っていたが、下の世代は映画の話しかしない。特に政治の話はしない。まるで大学のコンパみたいな会話であることが多い。ただ、考えてみると、上の世代は大学時代から酒を飲みながら政治について語ると聞いたが、僕らの学生時代は飲み会で政治の話なんて、皆無だった。むしろ「政治なんてダサいものに興味ないよ!」という感じ。普通の大学生たちはファッションや車の話。旅行、どんな料理が今旬か?てな、広告代理店の会議のようなことしか話さなかった。

僕ら映画ファンはもっぱら映画。スピルバーグの新作はどうだ?ILMの特撮はいつも凄いとか、日本映画は相変わらず詰まらないとか、そんな話を朝までしていた。そんな世代が映画界で仕事をするようになっても、いきなり安倍菅政治について語ったりは出来ないのだろう。だから、相変わらず映画の話。もともと、政治に興味がない人たちが業界で働いているのだ。ただ、近年、311からは政治や社会に関心なしにいられなくなった。原発事故によって様々な闇が明らかになった。安倍晋三の登場、暗黒の時代が始まる。戦争法の強行採決。原発再稼働。そしてアメリカ大統領選、567、枠てん、混迷の時代が続く。

一般の人の関心も、少し前までは旅行、グルメ、SEXだったが(テレビや雑誌はそれらさえ扱えば視聴率が取れ、売れた)今1番の関心は567だ。感染であり、枠てんのこと。そしてオリンピックの中止?強行開催? 10年前とはかなり様変わりしている。一般の関心が社会や政治に向かっているのに、相変わらず映画人たちは新作映画のことしか語らない。とライターさんは指摘するのだ。

理由は先に説明した通りだが、映画という狭い世界の中で生きて来た人たちが、いきなり政治を語れない。ただ、ライターさんのいう通り、一般の人たちでさえ、関心を持つ問題にほとんど触れないのはどういうことだ?というのも頷ける。先輩監督たちが世に問うて来たのに、今の世代は何も言えないでいるということなのだ。それで多くの観客を感動させる。あるいは感銘を与える作品が作れるのか?と問われた。

我が身を振り返る。僕も少し前までは指摘される通りだった。映画にしか興味がなかった。本棚に並ぶのはスピルバーグや黒澤明の本。後は映画のDVDだ。スポーツにも、車にも興味はなかった。それが311で原発事故。高校時代に見た映画「チャイナシンドローム」がダブり関心を持つ。昔から映画にしか興味はないが、事件は好きで、JFK暗殺、宮崎勉事件、オウム真理教事件、三浦和義事件、薬害エイズ事件と、その種の報道はテレビにかじりついて見ていた。その延長で「女子高生コンクリート事件」のVシネマの脚本も担当。徹底的に取材。そのノリで原発事故を調べた。

結果、マスコミが報じるどころではない大変なことになっていて、東京全滅の可能性すらあることを知る。何かしなければ!と強く感じた。震災や事故があるとボランティアで出かける気徳な人たちがいるが、僕はその種の思いはなく、無関心、無感動世代らしく、自分から何かをすることはなかった。なのに何かをせねば!と感じた。多分、山本太郎さんも同じような思いを感じて、政治家への道を進み始めたと思える。僕は原発事故の映画を作った。それまで爽やかな青春ものばかりだったのが、いきなり社会派! 

そこから関心を持ち、原子力ムラの存在、アメリカの支配、日米地位協定とか、日米原子力協定の存在を知り、政治家たちが国民に知って欲しくないことがあれこれあるのに気付く。そんな勉強を始めた。そうしたところに来た依頼が「ドキュメンタリー沖縄戦」だ。取材を進めると、沖縄戦と原発事故は同じ構図であることが分かる。沖縄戦を知るには太平洋戦争を把握せねばならないことが分かる。さらには日中戦争、日露戦争。第二次世界大戦時のヨーロッパ戦線。ナチスドイツ。日本以外の戦争も知り、比較することの大切さを感じた。

そんなことで気付くと、Facebookでも、ブログでも政治や社会のことばかり書いていた。そんなだからこそ、ライターさんは僕にそんな話をしたのだろう。だが、偉そうなことは言えない。全ては311の原発事故からだ。あれでたまたま興味を持ったので勉強したが、そもそもは映画ファンのまま映画監督になっている。映画しか興味がなかった。

かつて漫画家の本宮ひろ志が言った。「今時の若手漫画家は社会の実体験がない。子供の頃から漫画ばかり読んでいて、自分でも漫画を書き出す。自分が好きな漫画の模倣。たまたま、面白いものが描けてデビューしても、社会経験がないから1発で終わる」その言葉は衝撃だった。まさに、若き日の僕そのものだった。それもあってアメリカ留学を考えた。映画を見ているだけではダメだ。それでは映画は作れない。そして311。作家業としてはラッキーだった。でなければ、僕も未だに映画のことしか言わない映画ファンの延長線に立っていたはずだ。もちろん、時代が今のようにならなければ、それでも問題はなかった。が、世間の人たちが社会に目を向けているのに、クリエーターが映画にしか興味がないようでは始まらない。

いつもFacebookで記事を拝見する先輩監督。あれこれ社会に対する思いを綴っている。恐怖をモチーフにした作品を作る方で、海外でも評価が高い。やはり、関心が映画だけでないからこそ、数多くの作品を作り続けられるのだと思える。果たして僕はどうなるか?分からないが、ライターさんの指摘は正解。映画にしか興味ない映画人は、やがて時代に淘汰されていくように思えてしまう。僕もしっかり勉強を続けよう。今は戦争について、もっともっと知りたい。


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