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4Kなんて必要ない!と思っていたが、時代の波は押し寄せる。 [映画業界物語]

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4Kなんて必要ない!と思っていたが、時代の波は押し寄せる。

「乙女たちの沖縄戦」は4Kだった。データカードも高い!おまけに映画館でかける映画は24Pで撮らねばならない。ここは時代遅れ。そしてHDDも大容量が必要。

撮影が終わるとHDDにコピー。万が一を考えて2台のHDDにコピーしておく。SDカードも消さずに置く。万が一、失くしたり消えたら大変。もう一度、撮ることはできない。

ドラマならまだ、多額の出費をしてキャストを再集結して撮影できるが、ドキュメンタリーは無理。あの瞬間だから撮れた絵というのがたくさんある。だから、コピーはかかせない。


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私だって、私だって、疲れるわ〜(元ネタ分かる人凄い) [映画業界物語]

私だって、私だって、疲れるわ〜(元ネタ分かる人凄い)

毎回、①撮影が終わると、あるいは②作品が完成すると、それとも③公開が終わるとダウンする。③の時が一番酷く8ヶ月寝込んだことがある。毎回、7人分の仕事をする。要は過労。あの過労死の過労だが、以前はなかなか理解されず「本当はサボってんだろう?」「倒れるまで働くなんて有り得ねえよ」とかよく言われた。

やる気のないサラリーマンならではのコメント。映画は低予算でいいものはできない。だが、方法はある。僕が7人分働くことで(ギャラは1人分)経費が削減され、いろんな相互効果もあり節約もできることで、予算の2倍3倍をかけねばならない作品ができる。これを当たり前のやり方でやれば、予算通りの作品にしかならない。

ドキュメンタリーで言えばNHKにも及ばない「だから何?」としか思えない作品になる。観客の心に突き刺さる映画にするには予算も時間も労力も必要。だから、僕が7人分働くことで対応。一部のスタッフにも同じ形で頑張ってもらっている。

だが、そこに別の仕事が重なり、同時進行だと疲労度倍! さらにこの先10年後にも、その方法論を維持するのも難しい。健康や病気、老化を考えねばならない。ただ、今はその方法でしか良い作品を作ることはできないが、改良の余地もあるはずだ。あれこれ考える。

え? 何の話って? 分かる人だけ分かればいい。あ〜今日で「乙女たちの沖縄戦」関東公開が終了。ありがとうございました。

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映画監督今昔物語?=昔は花形。今は貧困層? [映画業界物語]

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映画監督今昔物語?=昔は花形。今は貧困層?

いよいよ明日が新作「乙女たちの沖縄戦」東京公開。初日舞台挨拶がある。俳優陣も登壇。華やかな1日となる。これまでの作品では常盤貴子さん。田中美里さん。藤田朋子さん。鈴木杏さんら、絢爛豪華な女優さんたちとも登壇した。「いいなあ〜」と思う人たちもいるが、監督業はそんな華やかな面ばかりではない。

今回の作品は宣伝費がほぼない!状態。その辺の話は以前に書いた。省庁の支援金で作った映画。沖縄戦題材の作品に大手映画会社や企業は出資しない。だから、非常に厳しい予算で制作。どうにか作り上げたが宣伝費がない。チラシとポスターだけで精一杯。チケットも印刷できない。だから、マスコミ関係に取材してもらい、記事にしてもらう方法で行く。新聞に広告を出すと高い広告料を払わねばならないが、取材して記事にしてもらうと、無料!その価値、費用対効果は何百万にもなる。

ただ、誰かが取材を受けねばならない。今回なら沖縄戦について語らなければならない。それができるのは今回のチームでは僕1人。まあ、前作から5年以上勉強を続けている。大丈夫なのだが、何社からも取材を受ける。指定された場所に行く。zoomで取材される。いずれにしても拘束される。数時間はかかる。直前まで他の仕事をしていて・・・という訳にはいかない。全力で話をしてこそ、良い記事にしてくれる。

さらに原稿依頼もある。インタビューの場合は活字に起こした原稿のチェツクをせねばならない。言ったことを文字にして間違いがあってはいけないからだ。ただ、それらの作業は全てノーギャラ。

宣伝費がないのだから、記事にしてくれるだけでも感謝なのだが、僕個人はそのために何日も稼働せねばならず、その日の収入はゼロとなる。舞台挨拶も同様。交通費もギャラも出ない。全て、監督が「1人で多くの人に見てほしい」という気持ちだけで対応している。僕だけではない。監督業なら皆、同じだ。

この1ヶ月。そんな日々を過ごす。収入にはならない上に、生活のための仕事を止める、休むということが続く。1日2日ではない。今回は違うが、これで大阪宣伝、地方での舞台挨拶があると、交通費と宿泊費は出るが、ノーギャラ。そんなで数ヶ月。毎回、映画公開時には無給で働く。文句を言っているのではない。これが映画界の慣習。そして監督たちは誰も不満を持たない。「皆で作った作品を見てほしい!」その一念。

だが、確実に生活は脅かされる。貯金がある監督なんて何人いるだろう?それどころか多くが借金を背負っている。スタッフは映画が終われば次の仕事。生活のために働けるが、監督はそうは行かない。中には「映画がヒットすると歩合がもらえるでしょう!頑張って〜」という人がいるが、もらえない。映画が何億稼ごうが監督には1円も入らない。だから、今の時代はスタッフの方が生活が安定する。昔は監督の方が儲かったのだが、今は逆。

それでも多くに映画を見てもらいたい。その想いだけで宣伝する。もし大ヒットすれば、「また監督依頼が来るかも?」という希望だけを抱き締めて宣伝。だが、僕の場合は毎回遺作。その作品が公開され、観客がエンディングで拍手してくれれば、そこで死んでいいと思ってやっている。でも、次回作が決まれば死ねない。本当の意味で遺作が来るまで何とか生きていれれば、それでいい。金持ちになりたければ監督業は選ばない。明日は舞台挨拶だ。多くの観客に来てほしい。



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誤解されやすい仕事=映画監督?!=「愚痴をいうな!」「寄付をくれ〜」? [映画業界物語]

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誤解されやすい仕事=映画監督?!=「愚痴をいうな!」「寄付をくれ〜」?

映画制作の苦労話を書くと「愚痴をいうな!」と言ってくる輩がいる。「苦労話」と「愚痴」の違いが分からない。さらにある種の日本人は苦労を見せずに頑張るという姿が好きなようだ。

ただ、苦労話を書かず良いことばかり書いていると、無神経な想像をしてあれこれ頼み事をしてくる輩がいる。「映画監督は金持ち!」と思い込み「私たちの団体に寄付してください」「**市に来てトークしてください(ギャラなし。交通費自腹で)」との連絡。日本の映画監督80%が貧乏と言っていい現実を知らず、ハリウッド監督をダブらせて、あれこれ要望してくる。ありもしないことを妄想。あるいは、僕がやってもいない、言ってもないことを批判してくる。「どうーせ。監督なんて」「女優と毎晩、飲み歩いてるはず!」という思い込みでそんな罵詈雑言が出てくる。

その辺はもう無視するしかないが、苦労話は大事。僕も巨匠監督の苦労話からいろんなことを学んだ。成功した話より、その手の話の方が勉強になる。また、関西人は自慢話より、苦労話をおもしろ可笑しくするのが好きなところがある。関西育ちの私は似たようなところがあるだろう。だから、その手の話をよく書く。

けど、気になるのが、応援してくれる人が誤解してあれこれ注意してくること。親切心からなのだが、誤解に基づいた注意。指摘。それをいちいち訂正するのもどうか? 時間も取られる。手間もかかる。その種の人に説明すると、さらに誤解して「失望したよ!」とブロックされる。芸能関係の職業に対する先入観や思い込みが強く、悲しい結末になることもある。そんなこともあるので、日頃から苦労話。舞台裏の話はよく記事にする。映画監督の実態を書く。そんな話の一つをこの後、紹介する。



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映画監督という生き方? 「人並みな生活がしたい!」と思ったらアウト? [映画業界物語]

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映画監督という生き方? 「人並みな生活がしたい!」と思ったらアウト?

映画監督というと、多くの人は文化人、芸術家。金持ち。女優にモテる?とか思うようだが、かなり違う。もちろん、巨匠と呼ばれる人は文化人であり、芸術家なのだが、多くの監督は単なる現場仕切りの仕事であったりする。

監督で金持ちはほんの一握り。ほとんどが貧乏人といえる状態。新入社員より年収が低いだろう。ただ、熱い思いを持つ人が多く「俺はこれを描きたい!」ということで自分を支えて映画作りに励んでいる。とは言え、低予算でも1本の映画を撮るだけでも、本当に大変なこと。チャンスを掴むだけで宝くじに当たるようなもの。なのに、終わると残るのは借金だけ!ということが多い。

ある意味で劇団で頑張る俳優のようなもので、テレビにも出れない。食えない。アルバイトの毎日。でも、芝居が好きで続けている!というような感じだ。監督業も映画だけでは食えない。あれこれ他の仕事もする。AVに誘われて、そのまま帰って来ない監督も多い。監督作品は1本だけで、その後の十数年、1本も撮っておらず。それでも「監督!」と呼ばれている人もいる。

いや、1本すら監督していない監督もいる。撮り続けるのも大変。ヒットさせるのはまず無理。そして監督できても、自分が好きな作品なんてまず撮れない。企業映画だと「なんじゃこれー」というシナリオを渡されて撮影。評判が悪いと「あいつはダメだな」と烙印。好きでもない作品を撮ってもいいものは出来ない。

本当に自分が撮りたいものを撮れるのは、奇跡を願うようなもの。企業ではバカが寄ってたかって作品をダメにする。ただ、そんな魑魅魍魎たちに言われた通りの、ありきたりの作品を撮らないと、次の仕事ももらえない。映画が撮りたくて入った世界。監督業を続けるには「撮りたくないもの」を撮らねばならず。自分がやりたいもの!なんて、誰も金を出してくれない。それが監督業の現実だ。

そんな中で僕は「自分が撮りたいものしか撮らない!」と決めた。そんな子供のワガママが通用する世界ではない。が、儲けようとか、また仕事をもらおうとか、まともな生活をしょうとか、人並みな幸せを得たいとか思わなければ、できるものだ。ここまで5本の長編映画。2本の長編ドキュメンタリーを監督した。全部、自分がやりたい作品だ。

依頼された作品もあるが、全て「やりたい!」と思ったもの。ただ、やりたいものをやると、結局、人並みな生活は出来ない。結婚も出来ない。家庭も築けない。老後の貯金もない。いつか野垂れ死する覚悟がいる。貯金も出来ない。来月の家賃が払えない!は何度もある。友人たちには迷惑をかける。女優にモテることもなく、フリーターと変わらない、むしろそれ以下の生活水準。

それでも「撮りたい作品を撮る!」ことは意味を感じる。嫌な作品を撮り経済的に恵まれた生活をするか? 撮りたい作品を撮り貧しい生活をするか?どちらがいいのか? いつ、アパートで孤独死してもいいと思えば、それはそれで楽しい生活だ。そこまで覚悟したら「撮りたいものが撮れる」と僕は考える。

長生きしたいとは思わない。だから、毎回「遺作」。これで死んでもいいと思っている。製作中は何ヶ月も血圧が危険値を超える。医者には「休み取りなさい。でないと本当に過労死するよ!」と毎回言われる。完成すると毎回、倒れ、数ヶ月間寝込む。だが、それで死ねなければ「もう1本撮れ!」と映画の神様が言っているのだ。そしてまた次の戦い。だが、60代になり戦いも辛くなる。終わりが来るまで、その繰り返しだ。



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メイキングって何? ドキュメンタリー編集の難しさ?全ては「スターウォーズ」から始まった? [映画業界物語]

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メイキングって何? ドキュメンタリー編集の難しさ?

「メイキング」は30年ほど前から一般にも知られるようになった。映画ファンの間ではさらに10年前。1980年代からすでに認知されている。「スターウォーズ」「レイダース」と言う映画のメイキング・ビデオがアメリカで発売。撮影現場や特撮の裏側を紹介するその輸入盤をファンたちが大喜びで見ていた。

その後、角川映画がメイキング単独のソフトを発売。「天国にいちばん近い島」「Wの悲劇」等。でも、これらはメイキングというよりアイドルビデオで、原田知世や薬師丸ひろ子の撮影現場の様子を記録したものだった。

そもそもメイキングとは映画がどのように作られたか?を記録。紹介するドキュメンタリー。ハリウッドでは昔から大作映画を作るときには必ずメイキングが作られたという。「明日に向かって撃て」もあるらしいが、これは見たことはない。この頃は商品ではなく会社の記録として作られたのだろう。あと「風と共に去りぬ」も記録フィルムがあるはず。テレビ番組等で撮影風景を見たことがある。

それが「スターウォーズ」あたりから、SFXの舞台裏的なものにファンが興味を示し。商品として売られるようになった。僕も先の二作はアメリカ時代に購入して擦り切れるくらいに見た(ベータ、VHSの時代です)

その後、DVDが登場。映画のソフトを売るために映像特典としてメイキングを付ける。レンタル版には収録されていない。そうやって映画ファンにDVDを買わせる戦略だった。そのために多くの映画は低予算作品でも撮影時にメイキングを撮影するようになった。90年代頃。

ところが、ベテランのスタッフたちからは「邪魔なんだよ!」と嫌われることが多かった。また、古い映画職人の感覚からして「舞台裏の苦労を客に見せるべきではない!」ということもあった。そんな時代。そのメイキングで僕は監督デビューする。1997年のことだ。その作品の評判がよくて、依頼が続き。巨匠・大林宣彦監督の「理由」のメイキングも担当することになる。今も発売されているDVDに収録されている。その辺の話はまた別の機会に。

おまけで話すと、僕が映画を監督するようになってからも毎回メイキングを収録している。流石に自分で監督しながらメイキングは撮れないが(スピルバーグは「1941」の時。休憩時間に自身で8ミリカメラを回しメイキングを撮影したそうだが)上がった素材が良くないことがある。製作費が十分にないのでメイキング担当が「監督を目指す若手」「映画化の大学生」になってしまうからだ。

メイキング出身の僕としては許せないレベル。でも、リテイクすることはできない。彼らに編集させても手抜きのロークオリティ。メイキングを長くやっていたので分かるが、短い時間で完成する方法論で彼らは編集してしまう。時間をかけてもギャラは変わらないので、楽して早く終わらせようということだ。が、それは人様に見せられるものではない。と言ってプロに頼むには予算がない。そこで僕自身が最初から編集しなおす。

「向日葵の丘」「明日にかける橋」は僕自身が編集。特に後者は大学生が撮ったもので怒りが爆発するほど素材が酷かった。経験値が低いからではなく、明らかに楽して撮ったもの。肝心な絵がほとんど撮れていない。天誅殺を下したいほどひどい。でも「メイキングなし」というわけには行かず。誰かに頼んでも良くなるとは思えない。そもそも、まともな素材がほとんどない。

「瀕死の重症の患者を手術しろ!」というようなもの。だが、僕は伊達にメイキングを何本も撮って来た訳ではない。なんとかしてやろうじゃねえか!とブラックジャックのように挑戦。撮影は終了していたが、それ以外の素材を追加撮影。あるだけの素材を集め編集。胃が切れそうになりながら、毎日、血圧が危険値で作業。完成させた。ら、これがとても評判。ははは、メイキング出身者の力を見たかぁ!

という訳で「ドキュメンタリー沖縄戦」も「え?劇映画じゃないのに!専門外でしょう?」と言われた。が、メイキングはそもそもドキュメンタリー。こちらも評判は良かった。一言では説明できないが、ドキュメンタリーもメイキングも、ただ素材をつなぐだけではない。その順番。そして、いろんな素材を集め、つなげるか?が大事。ある意味、劇映画の編集より難しい。が、考えればいろんな手法がある。とは言いながら、今また同様の題材の仕事で苦しんでいる。その辺はまた、詳しく書きます。


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周りを気にしないと潰される日本社会=だから、面白い映画が作れない? [映画業界物語]

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周りを気にしないと潰される日本社会=だから、面白い映画が作れない?

ノーベル賞受賞の日本人研究者。彼の言葉から日本人の体質を考える動画をあげた。それをもう少し考えてみる。彼が言うには「アメリカでは周りの人の気持ちを考えなくてもいい」それがアメリカで研究する利点だと言う。裏を返せば日本だと「周りの人の気持ちを考えねばならない」と言うこと。

つまり、その研究を続けることの大切さーだけでなく、周りの人たちがどう思っているか? 賛同しているのか? 反対しているのか? 妬んでいるのか? 無意味だと思われているのか? そんなことも推しはからねばならないと言うことだろう。

もし、それらの思いを無視すれば? それこそ同調圧力。あれこれ嫌がらせや邪魔が入る。妬まれる。嫌われる。人と違うことをしたり、誰もしないことをするだけで、日本ではあれこれ批判され、口を出してくる人たちがいる。

この話はかなり以前に書いたが、僕が高校時代に「映画監督になる!」と言うと、周りの誰もが反対し、真面目に大学に行くように説得しようとした。アメリカ時代に同じことを言うと、周りの誰もが「Great!」「good」「You can do it!」と賛同し、応援してくれた。そこに日米の大きな差を感じた。それゆえノーベル賞学者ー真鍋さんの言葉に強く賛同する。

人と違うこと、新しいことをすると叩く、邪魔する日本人。それが自分たちに不利益をもたらすならまだ分かるが、そうでなくても、あれこれ口を出し止めようとする。皆、同じ。昔からのスタイルでなくてはならないのだ。日本人にはそんなところがあるので、物理学の研究も、日本ではできない。アメリカなら自由にできる。その成果がノーベル賞に結びついた。

映画会社でも似た構図がある。いい映画を作り、大ヒットさせ儲けることが映画会社の使命。なのに会議で求められるのは関係者の顔を立てること。彼らの思いに応えること。「あの女優を出して欲しい」「私の故郷でロケしてほしい」「うちの商品を映画で出して欲しい」「うちのタレントを使って欲しい」それぞれの思惑がある。映画にプラスかどうかではない。それぞれの希望や思惑だ。

それらを全て持ち込むと、役にふさわしくない俳優が多数出演。おかしなロケ地。コマーシャルのように特定の商品が画面に映し出される。そしてよくあるストーリー。結局、監督はそのまとめ役になり、やる気をなくす。やりたいことが何一つ実現されない。プロデュサーは関係者たちのご機嫌を取るばかりで、はまらないピースを監督に無理やりはめろと言うばかり。

それで面白い映画ができる訳が無い。関係者の思いを気にすることが、面白い映画を作るよりも優先されている。これもノーベル賞学者が指摘する日本の問題点と同じ構図だろう。関係者の意見や思いを優先。皆が納得するストーリーやキャストというのは無難なものになりがち。だから面白くならない。「これは違うんじゃねえの?」と誰かが言い出すような企画こそが大ヒットに繋がるのだ。

その意味で、僕は大手で仕事ができない。いろんな人の意見を気にして脚本や演出はできない。大手でなくても、製作会社では必ず揉める。関係者があれこれ古い価値観を押し付けて来た。全部拒否したら、皆に心底恨まれた。彼らがいう「いい監督」というのは、自分たちの思いを拒否せずに、物語が破綻しても笑顔で受け入れる監督のことなのだ。だが、そんなタイプが作る映画は毒にも薬にもならない。

詰まらない映画を毎回撮っている監督がいるが、そのタイプ。関係者の意見を受け入れて映画を作る。だから、面白いものができない。でも、また次の依頼が来る。会社では評判がいい。逆に僕は一度仕事をした製作会社から2度と依頼が来ない。「あいつはわがままだ」「人間としてダメだ」「協調性がない」と言われる。

要はノーベル賞学者の言う「周りの人の思いを気にしない」と言うのを実践したからだ。本当に面白い映画を、観客が喜ぶ映画を作ろうとしたので、周りに嫌われてしまった。日本人としての伝統を破ってしまったのだ。製作中もあれこれ嫌がらせ、邪魔、誹謗中傷。人格否定。でも、だから観客が涙する作品を作ることができた。

結局、大手と仕事するといいものは出来ない。だから、低予算の仕事している。ただ、近年は理解あるスタッフと、インデペンデントで製作するので、周りの思いを気にすることなく、観客のための映画作りに専念できる。

ここ数年のスポンサーは「監督の思うようにやっていい」と理解を示してくれた。大手ではこうは行かない。著名な俳優さんたちも「出たい!」と言ってくれる。周りを気にせず、新しいこと、違うことをするからいいものが作れる。ノーベル賞学者が言うことは正しい。



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低予算映画の戦い(下)=いかにして「素晴らしい作品」を作るか?発想の転換。 [映画業界物語]

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低予算映画の戦い=いかにして「素晴らしい作品」を作るか?発想の転換。

先に紹介したように、3千万という低予算映画でも、実際に映画に使えるのは2千万弱である。そうしないと製作会社は存続できない。社員や社員の家族が生活が成り立たない。1千万を超える手数料を取ることもやむなし。と思えるが、映画製作ー「より良い映画を作る」という観点から考えると、その1千万あれば、いろんなことができる。クオリティが上がる!と思ってしまう。

僕は監督なので、どうしてもそちら側から見てしまい、ピンハネや中抜きをする会社を許せなかった。予算を下げ自社の利益を上げるためにスタッフを踏みつけるPや社長。撮影が終わってから「赤字が出たので監督料。半分にして欲しい」というPもいた。「それはお前の責任だろ!」と言いたいが、彼らは決して自分のギャラは削らず。絶対に辞めない者にリスクを押し付ける。

監督料なし。約束の額が払われないこともあった。後輩からも、その手の話をよく聞くが、一番よく働いて、一番バカを見るのは監督であることが多い。どの監督も「この映画を撮りたい!」という熱い思いがあるので利用されやすい。僕も似たようなことが何度もあり、映画が完成して残るのは借金の山だけだった。が、耐えているだけでは何も変わらない。そんな環境にいては「より良い映画は作れない」考えた。

昔、読んだ矢沢永吉の本。彼が契約したレコード会社は通常以上にバンドを縛り、ギャラもピンハネ。立場も弱かった。会社により良い歌を作ろうという思いはなく、儲かればなんでもいいという姿勢。最初は単なるロック小僧だった矢沢だが、そんな不満を抱え、あれこれ勉強、権利や立場を取り戻して行く。単にアーティストとして歌うだけでなく、プロデュースも担当。やがて興行を取り仕切るようになる。そのことでより良いアルバムを、ライブをできるようにした。という話を思い出す。

映画を監督してから、あれこれ勉強。制作費の使い道、流れ、儲け、利率。権利。著作権。慣習。あれこれ誤魔化している会社が多いことが分かる。誤魔化しどころか、えげつないところも多い。信頼していた人に裏切られ、騙された。全ての元凶は製作会社だ(彼らに事情があることは前回の記事で紹介した)そしてP。ただ、それらがないと映画は作れない。

それなら僕自身がやればいい。数本の映画であれこれ学んだ。ルーカスやスピルバーグだって監督でありpなのだ。ある作品から、監督、プロデュサー、脚本、編集を全て担当。さらに製作部がすべきロケハン。完成後の宣伝。1人7役をこなすようにした。

だが、ギャラは7人分もらわない。せいぜい2人分だ。そのことで5人分の人件費が節約。さらに製作会社を排除。これで30%(時にはそれ以上)もの手数料を取られずに済む。その分、僕が働けけばいい。節約した額は全て映画製作費につぎ込む。

製作会社の手数料というのは、事務所の家賃(都内の大きな街にに構えると月20万前後かかる)社員の人件費。光熱費。通信費。そして社長が家族を養うための給与等に使われる。でも、製作会社を入れなければ、その種の費用は必要ない。僕は自宅。社員はいない。打ち合わせは喫茶店。家族もいない。安アパートなので多額の収入も必要ない。先の例に従えば、1000万円浮かすことができる。つまり、制作費の全額を映画に注ぐことができる。

さらに、地方ロケ。地元から熱い支援応援を頂く、そのことで宿泊、食事、移動(車やバス)の協力をしてもらう。これも金額に換算すると1千万近くになる。こうして計算すると、通常の映画では例えば予算が3千万でも、2千万の作品(深夜ドラマクラス)しかできないのだが、僕のやり方だと4〜5千万クラスの映画を作れることになる。だから、俳優陣も毎回、豪華。

ただ、儲からない。製作会社ならすぐ倒産。だが、儲けるつもりはない。監督料はもらっているので最低限の生活はできる。贅沢をしようとか、家を買おうとか、外車に乗りたいという思いはない。素敵な映画を作ることが何より大切。これ矢沢的発想(彼の場合は儲かって億万長者になったが、映画界ではそうはいかない)ともう一つ。見習ったのは我が師匠・大林宣彦監督の方法論。

彼はPSCという会社を持っていたが、電話番の人が1人いるだけ。製作会社として監督作の手数料を取っていないかったのではないか? コピーするときも、すでにプリントアウトした用紙の裏を使い、徹底した節約。僕も仕事をさせてもらったことがあるが、巨匠とは思えない質素な事務所。打ち合わせの後に、その部屋のキッチンで料理してスタッフと夕食ということも。とにかく「制作費は映画のために使う!」そんな方針。

僕の場合も金儲けではない。会社を経営、都心に事務所を借りていて、社員もいれば高額の手数料を取る必要があるが、脱都会暮らし。だから3千万で作れば6千万。5千万で作れば1億相当の映画ができる。ただ、予算超過すると僕が借金を背負う。監督料がなくなる。毎回、7人分働くので完成後は過労で数ヶ月はダウン。

医者から毎回「過労死する前に休め!」と言われる。僕のスタイルをマネするバカはいない。なので紹介した。今回の記事もシェアしたり転載しないように。興味本位でしか読まない人には、読んでもらいたくない。映画作りは命がけの戦い。よろしく。


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低予算映画の戦い(上)製作費っていくら?=搾取とピンハネ。低予算作品の苦悩? [映画業界物語]

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映画製作費ってどのくらいかかるの?=搾取とピンハネ。低予算作品の苦悩?

日本映画。大手で製作すると最低1ー2億円。派手なアクションもスペクタルもない。地味な青春映画でもそのくらいはかかる。アクションもの。豪華スター共演。時代劇は数倍の製作費。インディペンデトでは最低3ー5千万円(それ以下も多いが後日、説明)深夜ドラマのようなレベル、ボーイ・ミーツ・ガールのような物語しかできない。当然、有名俳優は出ないし、銃撃戦や爆破シーン等もない。

ちなみにハリウッド映画。メジャー作品の最低制作費は現在10億円ほど。大作は100億円。話題の作品はもっとかかっている。スケールで勝てないのは当然だろう。そんな時代でも、低予算に苦しみながらも日本の映画人は少しでもいいものを作ろうと頑張っている。が、それを阻害するのが多くの場合、製作会社やプロデュサーである。マイナーの場合はかなり厳しい現実がある。

例えば3000万円の映画を小さな制作プロダクションが受けたとしよう。業界の慣習として20%前後の手数料を取る。計算してみる。600万。3千万から引くと2400万。それで映画を製作せねばならないのだが、最低1年はかかる。都心に事務所がある場合。家賃は最低でも15万はする。かける12ヶ月。180万。

電話番に若い女性。若手のPを1人。社長と3人の会社だとする。電話番の給料が1ヶ月15万。Pを20万とする。それぞれに1年の給与は180万と240万。合わせて420万。ボーナスはなし。家賃と合わせると600万。これでもう手数料はなくなる。光熱費や水道代。社長の給与が出ない。そこで慣習である20%を30%にする。900万円だ。

そこから給与と家賃を引くと300万。これが社長の給与とあれこれ。月給は30万弱。映画界で長年生きて来た50過ぎの社長。妻も子供もいる。自宅のマンション代も払う。教育費も必要。これで生活できるのか? また、会社では関係者を集めて忘年会等もする。だから、手数料を40%にする。と映画に使えるのは1800万円になる。つまり、これが実質の製作費になる。

これでは有名俳優を使えないだけでない。アクションも、カーチェイスも、CGもダメ。それこそ深夜ドラマのような地味な物語しか作れない。また、撮影期間も限られてくる。近年の映画は2時間ものを3週間ほどで撮影する。が、それを2週間。1週間に短くする。人件費を抑える。食事代を減らす。宿泊費を下げる。

ただ、スタッフの労働時間は長くなる。3週間かかるものを1週間で撮るにはスタッフは不眠不休で働く必要がある。いいものを作る!ではなく、何とか最後まで撮影する。が目的になる。当然、クオリティを気にしてられない。「面白い!感動した!」以前に撮り切ることが目標となる。それでもスタッフは俳優は、「少しでもいいものを作りたい!」と思う者が多くいる。

そんな情熱に乗っかって(利用して?)多くの製作会社は映画を作っている。悪徳社長!と思えるが、考えてみよう。彼もまた家族を養うためには慣習以上の手数料を取らねばならない。つまり、制作費が2億円なら20%でも4千万。社長も阿漕なことをしなくてもいい。頑強は3千万で映画を作ろう!なんてスポンサーがいること。だが、不況が続く時代。2億も出して失敗したら大変。どんどん制作費が下がって来た。

3千どころか、1千。500万。という信じられないような額で作られた映画まである。200万の映画を見たが、映画学校の実習のような出来。そんなものを1800円取って映画館で見せている。でも、日本の映画人口が減り。2億かけても回収できない。いや、3千でもできない。だから、どんどん下がっていくという背景もある。

では、どうしたらいいのか? それは次回紹介する。考えて欲しいのは、悪徳社長でも最初は「感動する映画を作ろう」と思っていること。それが生活が苦しくなり、リスクが高まり、いかにピンはねして中抜きして、金を残すか?を考えるようになる。次第に映画への情熱をなくし、スタッフの生き血を吸うだけの存在になっていく。これって政治家も同じ。最初は国民のため。それが次第に癒着。生き残りしか考えなくなり。国民を踏みつけるのと同じ構図。そんなことも考えてみて欲しい。

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もう日本で反戦映画は作れない?=その背景にあるもの [映画業界物語]

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もう日本で反戦映画は作れない?=その背景にあるもの

今の日本映画界。戦争ものを作るなら「日本軍は素晴らしかった!」「勇敢だった!」「彼らが日本を守った!」という方向でないと、どこの企業も金を出さないようだ。

あるいは「戦争はいけませんよ〜」「多くの人が亡くなり悲しいですね〜」(といいながら誰の責任か?なぜ戦争になったか?は描かない)そんな上っ面だけの作品しか製作されていない。原発事故の映画と同じ。大企業が出資するのは「東電職員は命がけで日本を守ったんだよ〜!」という嘘800=加害者を被害者にして賛美する「Fukushima」なんとかという映画だけだ。

戦争法を強行採決した政府が「右!」というのを「左!」というマスコミや大企業や団体は存在しない。NHKだけではない。塚本晋也監督が作った「野火」。父の遺産を注ぎ込んで製作。彼のような有名な映画監督の作品でさえ戦争ものだと、どの企業も費用を出そうとはしなかった。インタビューでこう答えている。「次第に戦争映画が作れない空気が広がっているのを感じた。早く作らないと作れなくなってしまう」その空気がもう日本に溢れている。

オリンピックがまさにそれ。緊急事態宣言下。感染者がどんどん増えているのに強行。国民の半分以上が反対しているのに、政府は止めようとしない。これが戦争ならどうか? 政府は同じことをするだろう。その戦争を進めるために何年も前から教科書を書き換え「日本は悪くなかった」と子供たちに教える。沖縄戦の集団自決の記述を削除。悲惨な戦争映画を作らせず、日本賛美の映画ばかりにして「日本軍は素晴らしかった」「彼らが国を守った」と刷り込む。

特に沖縄戦を描く映画などあり得ない。「軍が県民を犠牲にして本土を守った」ーなんていう酷い事実を絶対に知らせたくないだろう。すべては来るべき戦争のための準備。オリンピックを見ていると、そう思えてしまう。本当に必要なのは悲劇を伝える作品なのだ。が、それを作ろうとする映画会社も企業もない。



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