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なぜ、映画監督たちはこんな時代に、社会に対して思いを発信しないのだろうか? [映画監督のお仕事]

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まりなちゃん
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これほど酷い世の中なのに、パンクやラップをやっている人たちはなぜ黙っているのだろう。抵抗しないパンクやラップなんて意味がないのに。

このコメントと同じことを思っていた。
なぜ、映画監督たちはこんな時代に、社会に対して思いを発信しないのだろうか?黒澤明、大島渚、伊丹十三、多くの監督たちは社会の問題点を描き、映画だけでなく言葉でも発信してきた。

が、ネットを見ていても、その種の発言をする監督が本当にいない。ドキュメンタリー作家にはいるが、劇映画の人たちが何も言わないのはなぜか?ブログやTwitterを見ても、最近見た映画の感想。今日の昼飯。みたいなことばかり。

著名な監督たちは鋭い視点を持っている。その目で見た今の日本をどう見ているのか?多くに伝えてほしいと思うのだが...なぜ、発言しないのだろう。


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低予算ドキュメンタリー映画。監督とプロデュサー、それぞれの仕事を紹介 [映画監督のお仕事]

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低予算ドキュメンタリー映画。監督とプロデュサー、それぞれの仕事を紹介


まず、監督の仕事から紹介する。沖縄戦が題材なら、その勉強。本を読み、DVDを見まくる。その後の取材でさらに題材を理解。それをどう映像で伝えるか?いかにすれば観客にしっかり理解するか?を考え具現化する。内面に深く沈まねばならない作業。

プロデュサーの仕事。まず、取材する相手を探し、アプローチ。手紙や電話で依頼。熱意を伝え協力を求める。会ったこともない人に電話して事情を説明、協力を得るという作業は神経を使う。言葉使いや表現を間違うことで相手の反感を買って断られることもある。知っている人なら、目の前にいる人なら、さまざまん情報があり、アプローチしやすい。が、顔も知らない人を電話で説得するのは大変。一つの特殊技術とさえ言える。

そして製作費の管理。スタッフの手配。飛行機や宿泊の予約。チケット購入。スタッフの部屋割り。レンタカーの予約。現地の位置関係。どの地区のホテルに泊まるのが効率的か? 取材中の食事のタイミング。毎日、貧しい食事ではスタッフの不満が募る。時には無理してもそこそこの食事も入れねばならない。

監督は「静かに深く題材の世界に入り込み考える」INの作業。Pは「熱く相手に訴えかけ説得する。段取りをして取材がスムーズに進むようにする」OUTの仕事。それぞれに別の資質が必要だ。だから、監督とプロデュサーはそれぞれに1人。複数となる。監督は資料を読み込み、その世界に入り込む。Pは取材相手にコンセプトを説明し、了解を得る。同時に作業を進めるので効率的。

僕は監督とPー両方の仕事をする。資質が違う作業なのでかなり苦戦する、特に、監督が資料を調べ頭に入れる作業と、Pが相手に熱い思いをぶつけ承諾をもらう作業。ベクトルが真逆なので、これを同じ時期にやると神経が切れそうになる。演技で言うと正反対の役を同じ舞台で演じるようなもの。ジギル博士とハイド氏状態になってしまう。両方を同時にやるのは、精神的におかしくなる過酷な作業。

先ほどまで資料を読み、その世界に埋没していたのに、本を置いて電話して交渉というのは脳がショートしそうになる。戦場で戦っていた兵士を瞬時に都会に連れ戻して、裁判所で被告を弁護士しろ!というのに近い。感覚がおかしくなる。作業の資があまりに違う。

僕は監督業もP業もそこそこ出来る。でも、瞬時に切り替えは効かない。監督なら監督ー。PならPをしばらく続けられるが、行ったり来たりはできない。まさに「ジギル博士とハイド氏」戻れなくなる。これを実感してもらうのは難しい。「別に普通に出来るんじゃない?」と言われそうだが、それを分かりやすく説明する術はない。気が変になるとしか言えない。

劇映画ならまだいいのが、ドキュメンタリーは本当に大変。なら、Pを雇えばいい?だが、問題はそのために人件費がかなりかかるということ。また、取材対象を探し出し、交渉して、時間や場所を決めて、監督を連れて訪ねる。取材後のケアもする。

そんな優秀でマメなPなんてなかなかいない。テレビ局ならいるが、フリーではなかなかいない。いても、その人を雇うと製作費が30%増しになってしまう。低予算ではキツ過ぎる。作品クオリティが確実に落ちる。

さらにドキュメンタリーの場合はpも、その題材にある程度、精通してなければならない。劇映画なら映画作りが分かっていればできるが、ドキュメンタリーはそれだけではダメ。あるいはその段で徹底して勉強することが必要。でないと取材相手を探し出すことができない。努力家であり情熱がないとできない。

だから、Pを下手な奴に任せると大変なことなる。サボり屋で題材を勉強しないPが見つけて来た証言者では、取材にならないこともある。面倒臭いからと裏金を払って証言させ、偽のテロップで誤魔化そうと言い出したりするかもしれない。NHKーBSではないので、それはできない。

そう考えると僕自身が担当することが無難。劇映画も三作目以降のプロデュースは全部僕自身。他の監督のPをやったこともある。だが、ドキュメンタリーにはなかなか通用しない。脳がシャッフルされてアジャパーとなりそう。もし、これで監督とP、両方のギャラがもらえれば、つまり2人分の額になるのならまだいいが、そこが低予算。この他に5人分くらいの仕事をこなして、0.8人分くらいのギャラだ。

いや、収入より精神的にキツ過ぎる。Pの仕事を全部こなした上に、監督の仕事。事前に資料を読み込み、取材時にインタビューをする。鬼舞辻無惨の最後のように溶けて分解しそうになる。ま、過去の話だが、思い出すだけでも脳が爆発しそうになる。

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自分のことって、なかなか分からない。 50代になり、あーそういうことか!と思ったこと [映画監督のお仕事]

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自分のことって、なかなか分からない。

50代になり、あーそういうことか!と思ったことが何度もある。長年の謎が解けたりする。長生きするものだ。僕に限ったことではないだろう。人は50代になると脳は、自分が「経験」したこと、培われた「能力」を把握し、機能的に使うことができるようになるらしい。その意味で「若い頃にいろんなことやっておくことが大事」というのは正しいのだ。

この仕事を始めて理解したのが、作業によって使う脳が違うということ。論理的な思考は左脳。感覚的なものは右脳と言われるように、作業や思考によって使う脳が違う。それらを同時に使うことはできない。

その意味で僕の場合は「シナリオを書く」「編集をする」というのは脳が「ライティング・モード」に入るようだ。そうなると話ができない。言葉を司る中枢とは違う部分が活発化するので、声を出して話すという作業能力が落ちるのだろう。逆に「トーキング・モード」に入ると書く、編集するという作業ができなくなる。切り替えはすぐにはできない。どちらもエンジンをかけて回り出すまでに数日かかる。

なので編集中に講演会の仕事とかあると最悪。会の前後に数日間、何もできない日が続いてしまう。だから、執筆中、編集中は人に会わない。電話も取らない。近年、メールはまだいいが(返事しないし)メッセンジャーはダメ。返事を出すとすぐに次のが来てしまい、チャット状態になる可能性がある。そこで世間話とかされると最悪。「ところで、最近どう?」とか一番ダメ。そのことで、あれこれ考えてしまい。作業中の題材から離れてしまう。それを引き戻すのにまた数日かかる。

今は編集中なので「ライティング・モード」ーだから、手紙は書ける。なのにある手紙が書けないで悩んでいる。FB記事は書ける。書くのは大丈夫なはず。なのに、もう1週間以上書けずにいる。あれこれ考えて、その手紙はテンションが高くないと、書けないもののようだ。むしろ「トーキング・モード」の方が、フィットするかもしれない。編集、シナリオ執筆はモードに入らないとできないが、手紙、メールくらいは「トーキング・モード」でも書ける。「書く」だが、「ある種のもの」はこのモードでは対応しないのかも?

或いは「ライティング・モード」を切ることで、その手紙がかけるかもしれない。「トーキングモード」でなくても、ノーマル状態で大丈夫かも? しかし、今のモードを切ったら、また編集作業に戻るのに何日もかかってしまう。それはまずい。どうしたものか?せっかく何週間もかけて、誰とも会わず、話さず、電話もせず、ここまで来たのに!一瞬でそのモードが解除されてしまう。どうすべきか?

こんなことを書くとまた「大きなお世話」コメントが来そうだ。「**したらどうでしょうか?」「私の場合は**します」とか、要らないからね。過労問題もそうだったが、この問題に関して理解できる人はまずいない。業界でも同僚と会話しながら編集する映画人がいる。僕には信じられないが、結構いる。ましてカタギの皆さんは別世界の話。精神異常の世界だろう。編集モード時は通常の10倍感度が高いので、あまり無神経なコメントが来ると即「友達削除」してしまいそうなので、ご注意くだされ。監督業をする人間なんて、皆、奇人変人ですからね。


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編集作業に入る前、少しだけ部屋を片付けた。 [映画監督のお仕事]

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編集作業に入る前、少しだけ部屋を片付けた。

もう、ゴミ屋敷まであと数歩!という状態だった。本棚から出した本はそのまま。資料は整理されずに机の上に積み上がる。Amazonの段ボール箱が散乱。シンクには洗わないままの皿やコップ。ゴミを入れた袋も、いつのものか分からないで置かれていたり!?

というのも、映画製作が始まると他のことをする余裕がなくなるからだ。「元ある場所に戻すだけでしょう!」と奥さんがいたら叱られそうだが、資料を読むと、想像力が起動。元の場所に戻す思考が働かなくなる。皿を洗う時間がもったいない。映画作りとは考え続けること。朝起きてから寝るまで考える。時には夢の中でも考える。

何か他のことをすると、思考が途切れる。掃除をするにも、ある程度は考えねばならない。「掃除機をかけるのに、この荷物邪魔になるな。どこに片付けようか?」と考える。その時間が勿体無い。編集作業でも同様。集中して考え続ける。

食べる時間も勿体無いので、片手で食べるものしか食べない。「ちょっと休んで、落ち着いて食べればいいでしょう!」とまた言われそうだが、そんなことを言われても止められないので、結婚できなかったのだろう。しかし、映画監督だけでなく、作家でも、ライターでも、漫画家でも、クリエイティブの仕事をする多くは似たようなもの。

ただ、ある先輩監督は違う。いつ部屋を訪ねても綺麗。整頓されている。どんな忙しい時でもクリーン。聞くと「部屋が汚いと落ち着かないんだよ〜」という。が、撮影前の忙しい時に、シナリオの読み込みせずに部屋の掃除をしている。シナリオは一度読めばいいというものではない。当然、その先輩の作品。ロクな作品がない。彼の中では「作品作り」より「部屋が綺麗」の方が優先順位が高いのだ。

作品作りは才能ではない。才能なんて存在しない。その作品をいかに長い時間、考え続けたか?でクオリティが決まる。数週間で準備すればそこそこ、数ヶ月ならまずまず、1年かければそこそこという感じだ。

「才能があれば1週間でも名作が!」なんてことはない。かと言って10年かけて準備すると、その間に飢え死にする。経済との戦いもある。だからこそ、部屋を片付けることに時間と労力を使いたくない。1秒でも多く作品作りに時間を使いたい。

実は567鍋で2年間全く仕事がなくなった時に、今がチャンスだ!と部屋の片付けを始めた。が、そこまで映画製作が続いたので、半端ない散らかりよう。ゴミ屋敷を超えた状態。途中でめげて、しばらくお手上げ状態。そこに昨年末「乙女たちの沖縄戦」の依頼が来て、また片付けは延期。その映画が完成。公開終了時に過労でダウン。今に至る。だから、部屋はゴミ屋敷未満のまま。

今や室内の歩行も困難。物を超えて歩かないと別の場所に行けない。必要なものがあっても、物の山から発掘調査せねばならない。泥棒が入っても分からない。いや、「お!先起こされたか」と思うだろう。夜中に地震が起こり、火事が起こって部屋から出るまでに、必ず転ぶ。逃げ遅れて「さよーならー」と人生を終える?いつ死んでもいいが、映画制作の途中で死ぬのは嫌だ!

そこで編集作業を始める前に、少しだけ片付けをした。まだ、自宅入院状態をようやく脱した病み上がり、リハビリ段階ではあるので大したことは出来ない。が、ゴミや段ボール箱を捨てる。資料の仕分けは出来ないが、まとめて大きな箱に入れる。それだけでも通り道ができた。物を超えなくても真っ直ぐに歩ける。これは嬉しい。

ま、本格的にやると引っ越しに近い労力がいるので、地震の時にすぐ逃げられる。必要なものを短い時間で発掘することができる?これだけでかなり違う。ま、沖縄戦関係の本だけでも、すでに本棚に入りきらないほどある。でも、真剣な片付けは今回の映画が完成してからだ。さあ、本日も編集作業を始める。


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昔は朝起きるとテレビのワイドショーを見た。今はこれ?! [映画監督のお仕事]

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昔は朝起きるとテレビのワイドショーを見た。今はこれ?!

天気や社会情勢を聞いて目を覚ました。音楽を聴いて目を覚ましていた時期もある。クリストファークロスとか聴くと、爽やかに目が覚めた。アメリカ留学時代はラジオだった。ジャンル別のステーションが100ほどあり24時間放送。例えばオールデイズの局だと、朝も夜もオールデイズ。am930がお気に入り、爽やか系だとKーlite100fmだ。

最近は目が覚めると、ベッドの横に置いたiPadを手に取りfacebookを見る。FBFの記事を読む。今やテレビはフェイクニュースしか流さない。そんなものを見ていたら洗脳される。対して僕のFBFたちはリテラシーのある人が多く、どこから仕入れて来たのか?マスコミが流さない情報を書き綴っている。もちろん、疑いながら読む。偉そうに断定している人は思い込みが強い場合が多く危険。信用してはいけない。

そんな記事を含めて検証しながら読む。今や時代は自分で事実を探さねばならない時代。テレビや新聞を信用していたら誘導され、健康を損なうだけではなく、命まで奪われる。しかし、事実を見抜くのは難しい。情報通のFBFの記事でも間違いがある。思い込みもある。911、原発事故の現実は見抜いても、大統領選で罠に落ちたFBFがいた。

「寅は差別主義者だ!」というニュースで引っかかった。その人はとても真面目で差別を嫌う人。感情的に許せない!と誘導され、寅批判を始めた。また、寅問題はクリアーしたのに、567で罠に落ちたFBFもいる。彼は健康オタクで、その種のことに異常なほどの注意を払う。テレビがウイルスの危険性を報じると「マスコミ信用できない!」と言ってたくせに鵜呑み。二重にマスクをしている。

そんなふうに、それぞれの弱いところ。ウイークポイント突かれると多くが罠にハマる。なので情報通のFBFの記事でも、その人の性格を把握した上で読まないと危険。その意味でプロフィールに年齢も職業も書かず。顔写真も経歴もなし。という人は何を書いても信用できない。そんな奴に限って、あれこれ批判コメントしてくる。議論を挑んでくる。背景の分からない奴と話をしても無駄なのだ。

FB記事を読んでいて、知らない事件や事象があると、Google等で検索する。いろんな情報が上がる。大手マスコミの記事は信用できないが、疑いの目で読むといろいろ分かる。彼らが指摘する反対がたいてい事実なのだ。「**国が悪い」と言えばその逆。「***は悪魔だ」と批判すれば彼こそが正義?であったりする。フェイクニュースを使い事実を検証できる。

そんな風に情報を探ると、テレビや新聞を見なくても状況が分かる。ただ、悲しいのは本物の情報を発信している人ほど、「デマ野郎」「フェイクニュース」と批判されがち。そんな批判する人の多くはリテラシーが低く、マスコミ情報を鵜呑みにしている。十八番の台詞は「それ陰謀論だよ」である。その背景は以前に説明した。

この状況。戦時中と同じ。「日本はこの戦争に勝てない」と言おうものなら「非国民!」「売国奴!」と批判された。同じことが現在も行われている。真実を伝えると叩かれる。つまり見えない戦争が行われている。だから情報統制が行われている。そのことに多くが気づいていない。などと書くとまた、困ったちゃんが寄ってくるので、この辺にする。

あれこれ問題あるFBだが、そんな使い方をすればプラスになる。最近はそんな形で目を覚ます。


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映画の題材を勉強せずに、撮影してしてしまう監督たち? [映画監督のお仕事]

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映画の題材を勉強せずに、撮影してしてしまう監督たち?


「議員さん。選挙で落ちればタダの人」という言い方をするが、「映画監督、映画撮れなきゃ、プー太郎」と言われそうな気もする。議員なら元の仕事に戻るとか、他にも仕事ができそうだが、映画監督なんて映画作る以外に何もできない。そのくせ、いざ映画を監督する日のための準備もせねばならない。その日まで別の仕事をして待とう!ではダメだ。

大工さんなら仕事がなくて休んでいても、依頼が来ればまた大工道具を持って仕事に行けばいい。職人さんなら皆、それで大丈夫。でも、監督業は作る作品の題材を徹底して勉強せねばならない。まあ、全く戦争の取材をせずに、戦争を背景とした映画を作る監督もいるけど、そういうのって本当に許せないし、観客を感動させる作品にはならない。

だが、その題材を勉強するのは本当に大変。時間もお金もかかる。監督には依頼を受けてから1週間くらいで、ちょこちょこと題材と同じ漫画を読んで、「はい。勉強しました〜」という人もいるが、そんなで映画撮ってしまうなんてあり得ない。僕が「青い青い空」を監督する前には書道を4年勉強した。「朝日のあたる家」では原発の取材を3年した。「ドキュメンタリー沖縄戦」では戦争。これは3年したが、今も続けている。各分野ともに、何年勉強しても十分ということはない。

特に戦争は沖縄戦が題材でも、それだけではなく太平洋戦争。ヨーロッパ戦線。ナチスドイツ。大本営。戦後の日本も勉強せねば見えて来ない。関係者に話を聞き、専門家の教えを乞い、本や資料を読み漁る。監督がその分野を徹底して把握してこそ、映画として形にできるのだ。だから、「青い青い空」の後は書家の先生方の会で1時間の講演、「朝日の」後は原発についての講演会に呼ばれた。

少なくても、その分野について講演会ができるくらいの知識と情報を持たなければ、それを題材に映画を作る資格は得られないと考える。その辺を実践する監督が最近は少なく、聞きかじっただけの知識で全く取材もせずに「記者」ものを作ったり、戦争の話を避けて戦争体験者の物語を作っている若手がいる。だったら、別の題材でやれ!と言いたくなる。

ただ、そこまで調べて勉強しても、映画が中止になることがある。そこまでかかった費用も時間も全て無駄になる。多くの監督はそれを恐れて、できる限り労力を使わずに済ませようとするのだ。依頼がなくても「いつか、その題材で撮るぞ!」と思っていても、製作費が集まらず、形にならないことも多い。生活に追われて、資料を買い、取材をする経費も出ないので、依頼が来てから本格的に勉強しようと思い、年月が過ぎて行く。

それでは例え依頼が来ても、そこから勉強したのでは間に合わない。結果、不十分な知識で監督することになる。だから、僕は依頼がなくても自分が興味があれば調べる。原発についても、そもそもは映画を作るために勉強した訳ではない。

テレビがしっかりと伝えない事故の真相を知りたくて取材を始めた。結果、映画にしたが、その間の取材費等は製作費が超低予算だったので、もらっていない。「青い青い空」の書道の資料代は、製作会社が理不尽にも支払いを拒否。そんな目に遭うこともあるのも、監督たちが題材の勉強をできる限りしないで済ませる一因。

だが、それでは作品が軽くなる。力がなくなる。説得力を持たない。感動を呼びおこせない。事実と知識の積み重ねばリアリティを産み、観客の心を揺さぶる。そのために題材を勉強し、把握することこそが映画監督の仕事だと思う。ま、いろいろ大変なのだけどね。


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先日のワークショップで嬉しかったこと?出会い。 [映画監督のお仕事]

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先日のワークショップで嬉しかったこと?出会い。

80年代の映画やドラマを見るとお父さんは田中邦衛か宍戸錠。お母さんは吉行和子か由紀さおりみたいことが多かった。おじいさんは大滝秀治や笠智衆。皆、名優なのだが、頻繁に見かけると、その作品の現実味が落ちてしまう。田中邦衛が出て来ると「北の国から」を思い出し、息子は吉岡秀隆かと感じてしまう。

が、自身が映画監督の仕事をし出して理由が分かった。20代30代までは無名の新人がたくさんいる。だから、力ある無名を選ぶことができる。が、その後、食えなくて辞める人が多い。女性は結婚してしまう。すると年齢が上がるにつれて俳優人口は減り、ピラミッド状に上に行くほと人数が少ない。

だから、4〜50代の両親を演じる人で知名度のある俳優は限られて来て、同じような人たちが演じることになる。そして選ぶ側も安易なので、よく見かける名優を選んでしまう。その悪循環だったのだ。

実際、今も、同じ俳優が別の作品で同じような役を演じている。「シグナル」で刑事の主人公の上役を演じていた渡部篤郎は「マスカレードナイト」でも警察幹部の役を演じている。同じ役かと思ってしまう。これも先と同じ背景。製作側も相変わらず、同じような役で同じ俳優にオファーしているということなのだ。

が、僕自身。40代50代で無名の実力派を探そうとしても、難しいことを実感した。その年齢の俳優は無名でも芸歴がある。なので、オーディションに来て欲しいとキャスティング・スタッフに頼んでも「難しい」と言われる。事務所側も「売れてなくても長年やっている彼らにオーディションに行けと言いづらい」ようだ。

そんなことで、事前に会うこともできず、よくおじいさん役をやる俳優さんに出てもらったことがある。が、全然ダメで、老後の趣味で芝居をしているのか?という演技。キャバクラではないが、写真だけ見て指名するのは危険。だが、どうすれば40代、50代で顔の知れていない俳優を選べばいいのか?

そんな時、先週のワークショップ。30代以上、60代までの俳優さんたちが参加してくれた。こんなありがたいことはない。時間をかけて皆さんの芝居を見せてもらえる。実力やキャラ。得意技?も把握できる。すぐにでも出演して欲しい人が何人もいた。実際、以前のワークショップから4人に出演してもらった。通常のオーディションだと1人3分しか面接できないことが多い(大量の参加者と会うので)それが30人ほどの参加者だが、6時間対峙できた。

ぜひ、次回作にお願いしたい俳優が今回も数多くいた。そして僕の場合。シナリオを書いてそれに相応しい俳優を探すより、よく知る俳優をイメージして役を作り、物語を書くことが多い。先に役を作ると、それに100%合う俳優を見つけるのは困難。60%だとした時に物語が崩れる可能性がある。だが、当て書きなら100%で行ける。

僕の中では太田組俳優部であり、劇団のようなもの。その中から選び役を作る。そのメンバーがかなり増えた。より物語を広げることもできる。こんなありがたいことはない。


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映画監督の仕事とは何か?今の時代は「真実を伝えること」だ! [映画監督のお仕事]

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映画監督の仕事とは何か?今の時代は「真実を伝えること」だ!

高校時代。日本映画は本当に詰まらなかった。名作と言われる文学小説の映画化。アイドルを主演させただけの青春もの。退屈の極み。見るのは金と時間の無駄だと思えた。対してアメリカ映画はエンタテイメント。2時間の間、ハラハラドキドキ。最後は感動して泣ける。「明日からもがんばろう!」と思えた。将来、映画監督になれたら、そんな映画を作ろうと誓った。

それから45年後、映画監督としての仕事を始めた。ずいぶん遠回りしたが、劇場用映画を撮るようになる。もちろんエンタテイメントだったが、作品のテーマは「子供たちに伝える大切なこと」になった。高校時代に、映画からは学んだ大切なことを子供たちに伝え、当時の僕のように悩み迷い、大人や社会に押さえつけられる子たちを元気付ける物語を作ろうと思った。

が、すぐに気づく。「大人がバカだから子供たちが苦しむ」テーマが少し変わった。「親子に伝える大切なこと」になる。親にも大切なことを伝えないと子供がいつまでも苦労するのだ。その後も、同じ路線で映画を作ったが、「向日葵の丘」あたりから「幸せって何だろう?」と言う問いかけが強くなる。幸せの形が見えないから、親子が間違った方向に進んでしまうのだ。金持ちになること、有名になること何かではない、幸せとは何かを追求し始めた。

そして、近年。さらに具体的なものが見えて来た。「真実を伝えること」だ。政府や企業が嘘を流し、国民を誘導するから幸せになれない。だから、映画で嘘を見抜き、真実を伝えることをが大切だと思えて来た。すでに3作目の「朝日のあたる家」から実践していたことだが、それに気づいた。「親子に伝える大切なこと」その先にあったのは世間に騙されず、真実を見抜く力を育てることだと思えた。

「日本の原発は安全です」と言いながら大爆発。原発推進は電力不足のためではなく、既得権益者たちが莫大な利益を得られるから。「直ちに危険はありません」と言い、東京にも放射能が降り注ぐのを伝えない官邸とマスコミ。本当のことを伝え、国民を真剣に救おうと言う政治家たちを貶め、批判するテレビ新聞。567、枠てん、オリンピックも同じ構図だ。多くが政府や企業のフェイクを信じ、誘導されている。

感染を抑えるより利権の大きいオリンピックを強行。それも私たちの税金。それを感染対策や医療に使えばいいのに、都知事は「自宅を入院施設として使ってほしい」それは遺棄と同じ。なのに多くの国民はテレビで五輪見て「元気もらった」「励まされた」と喜ぶ。奴隷としか言いようのない状態。自分たちがどんな状態なのか?を知り、思考停止状態から抜け出すことが大事。それが親子に伝えるべき大切なことではないか?

オリンピックの裏側や567の真相を暴く物語でなくてもいい。沖縄戦を劇映画にして伝えるだけでも伝えられる。すでにドキュメンタリーは製作したが、日本政府と軍部が沖縄県民を見捨て、捨て石にしたがのが沖縄戦である。その間に本土決戦の準備をした。「県民を守る必要はない。時間を稼ぎ、米軍の体力を奪え」それが大本営からの命令だったのだ。同じことが今、日本全土で起きている。

学校では教えない、NHK特集でも伝えないない、その手の映画を大手は絶対に作らない。でも、それを知れば多くの日本人は気づくだろう。「今も同じ!」と。そんなふうに大切なことを伝えるのが、今の時代、映画監督の仕事ではないか?もちろん、映画を作るときは徹底取材し勉強する。原作ものを1冊読んで分かった気で作ってはいけない。その異意味では原発と沖縄戦はかなり勉強した。講演会をしても2時間は喋れる! 

ただ、567禍で映画撮影は厳しい。現場で費用を出してくれるところもないだろう。だからせめてFacebookやブログを通じて伝えたい。本来はマスコミの仕事だが、彼らはもうフェイクを流す側の住人。個人だと間違うこともあるかもしれないが、伝えるべきことはたくさんあるはずだ。


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村上龍の言葉。その意味が分かってくる。「夢を追う」ではない。それしか出来ないのだ? [映画監督のお仕事]

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村上龍の言葉。その意味が分かってくる。「夢を追う」ではない。それしか出来ないのだ?

「スーツを着てネクタイを締め。アタッシュケースを持って颯爽と街を歩くような仕事をしたい」というクラスメートがいた。高校時代である。要はトレンディ・ドラマに出てくるようなサラリーマンをイメージしているのだが、僕らの世代。男の子はほぼ「将来は会社員になるんだろうなあ」思いを持っていた。

実家が魚屋、肉屋、八百屋だとしても、後を継がずに会社に就職。多くがそんな感じだった。大学は都会。卒業しても実家に帰って農業をするのは嫌だ。田舎で就職も嫌。だから、都会に残って、会社に就職。そんな友人も多かった。

それ以外、作家になりたい。歌手になりたい。俳優になりたい。カメラマンになりたい。という友人も極々、わずかにいたが、大学時代に諦めて卒業後は会社員になった。映画学校では「俺は第二のクロサワになる」「キョンキョン主演で映画を撮る」という監督志望者がたくさんいたが、ほとんどが夢破れ、カタギの仕事に就いた。

前にも書いたが、日本という国は夢を追おうとすると、皆が寄ってたかって潰そうとする。止める。邪魔する。否定する。「いい加減に大人になれ」「現実は甘くない」そんな風に諭して、就職を進める。社会も国民も、若者を会社員にしたいかのような感じがする。

昔は終身雇用制で一度、入社すれば定年まで勤められて、安定した生活が送れて安心。定年後も年金がもらえた。が、今は違う。会社が潰れる。リストラされる。クビになる。会社員は安心安全ではない。にも関わらず、今も若者は会社員を目指し、大人たちはそれを後押ししている。

そんな時代でも「作家になんてなれない」「歌手になるのは才能が必要」「俳優は別の世界の人」という風に思い込み。夢を追う努力より、社会に溶け込み、迎合する努力を続ける。何だかプロパガンダのようだ。多くが芸能やクリエイティブの世界に行ってしまわないように、怖がらせ、失望させ、脅しているように思える。

戦時中の「鬼畜米英」のようなもの。「アメリカは卑劣。残忍。だから、日本を守るために戦わねば!」という誘導をした。今でいうとウイルス感染の恐ろしさを煽り、枠店を自主的にさせるようなものだろう。恐怖と不安で国民を誘導する。

僕が20代の時。村上龍はすでに人気作家だった。ベストセラーを連発。テレビ番組の司会までやっていた。ある人が聞いた。「どうすれば作家になれるんですか?」彼は答える。「作家にしかなれない人間しか、作家になれないんですよ」これは「才能がある人しか作家になれない」という意味にも聞こえるが、そうではない。

その意味は次第に分かってきた。「会社員になれる人には作家にはなれない。作家になれる人には会社員になれない。作家以外のどんな仕事をしても、うまく行かない。まともに仕事が出来ない人。ものを書くしか出来ない人だけが作家になれる」という意味なのだ。努力して作家になるとかいうのではない。もちろん努力はするが、その他の仕事ができるようではダメということ。

僕は現在、映画監督という仕事をしている。友人の中には「高校時代からの夢を貫徹した」とか「多くが諦め故郷に帰ったのに、お前は頑張った」と褒めてくれる奴もいる。が、それは違う。村上龍の言う通りなのだ。他の仕事が出来ない。会社員になっていれば3日で上司を殴って辞めていただろう。昔は同級生たちと違い「会社員にはなりたくない」と思っていたが、実は「会社員にはなれない」が正解だったのだ。

バイト時代もよく揉めた。理不尽を許せない。店長の筋が通らない指示によく抗議した。先日、紹介した話も同様。スポーツクラブに入会しても数日で辞めることになる。マスクの件だ。「いつまでも子供だな。我慢が足りないよ」と言う人がいるが、なぜ、多くは我慢できるのか?不思議でならない。ただ、理不尽を我慢できないから、その背景を調べ、追求し解決したくなる。

だから、上の人間と揉める。上は自分たちが都合のいいように、しわ寄せを下に押し付ける。おとなしく下が従えばトラブルにならない。なのに、僕は異議を申したるので対立してしまう。バイトの時は辞める形で終わったが、映画の仕事を始めてからは違う。Pと対立したら「だったら、俺がPをやる!」と言う解決法を取った。理不尽は許せない。そんな思いが原発事故の悲劇を描いた「朝日のあたる家」や「ドキュメンタリー沖縄戦」に繋がった。

原発がある街に住む人たちがなぜ、あんな理不尽な思いをせねばならないのか? 沖縄の人たちがなぜ本土防衛のための捨て石にされたのか? その背景を調べ伝えずにはいられなかった。そういう性格だから会社員は務まらない。バイトをしても揉める。だが、映画を作る仕事なら、それを作品に出来る。他の仕事は務まらなくても、これなら出来る。

村上龍の言うのは、こう言うことではないか? 作家は文章で、僕は映像で思いを伝える。伝えずに生きて行けない。そんなはみ出し者が表現の仕事をするのだろう。すでに60代。同年代は定年の年齢。映画の仕事がなくなっても、もう会社に就職することは出来ない。若い頃は散々「今からでも就職しろ」と親族に言われたが、もう無理だ。

長生きしたいとは思わない。が、死ぬまでにあと数本の映画は撮らねばならない。世の中、理不尽なことだらけ。伝えたいことはまだまだある。




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映画監督は「変人」というだけでなく「捻くれ者」であることが大事!=オウム事件、小沢一郎、トランプ。皆が批判する時は注意! [映画監督のお仕事]

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映画監督は「変人」というだけでなく「捻くれ者」であることが大事!=オウム事件、小沢一郎、トランプ。皆が批判する時は注意!

映画監督の多くは変人である!という話を書いた。が、僕の場合はただ変人というだけでなく「捻くれ者」でもある。人が「右」と言えば、「左」に進みたくなる。NHKでは絶対に仕事はできないだろう。高校時代も角川映画がテレビでガンガン宣伝。日頃、映画を見に行かない同級生まで「人間の証明」や「野生の証明」を見に行った。が、映画をよく見る僕だが、当時から捻くれ者で両作品とも映画館では見ていない。

特に「読んでから見るか? 見てから読むか?」なんてキャッチコピーのCMをされると「読まないし、見ない!」と思った。角川に恨みはなく、むしろ他のメジャー社より斬新で、型破り、かなり注目していたのだが、捻くれ者なので大ヒット作のどちらも見ていない。そんな性格だから、皆が「いいー!」というものは「いやーーー」と思う。何かが流行すると、それだけは絶対に追いかけない!という徹底ぶりだった。

大人になっても歪んだ性格は変わらない。オウム地下鉄サリン事件の時も、多くの人が「麻原は死刑だ!」「絶対に許せない!」とか被害に遭ってない人までがテレビの前で怒りをぶつけていた。が、まだ、オウム幹部が強制捜査で逮捕された段階。裁判も受けていない、取り調べもまだ、幹部の村井は殺害。そんな状態でオウムがまだサリン事件の犯人かどうか?決まっていないのに「死刑だ!」というのはおかしいと感じた。

が、ほとんどの友人は「オウムに間違いない!」「やりそうだ!」「あいつらに決まっている!」「麻原を殴りたい!」とさえ言っていた。なぜ、治安国家で、裁判を経ずに市民が「死刑だ」なんていう必要があるのか? 事件の真相解明も終わっていない。裏に別の組織がありオウムは利用されたのかもしれない。そして麻原の言動や行動を見ていると、そんな大それた犯罪をするだけの人物ではないと思えた。

なのに友人たちは家族が被害に遭ったかのように「許せない!」「破防法適用だ!」「全員死刑だ!」と憎しみをぶつけた。僕が疑問を投げかけると彼らは「お前はオウムの味方か?」「だったら入信しろ!」「サリン事件の被害者の気持ちを考えろ!」といわれた。戦時中と同じ。誰もが「戦争だ!」という時に「戦争は必要だろうか?」と疑問を呈すると「非国民!」「許せない!」「共産主義化!」と罵倒されたのと同じ構図?

いや、戦時中なら分かる。そのための洗脳教育。世論の誘導が行われていた。が、オウムはテレビが報道するだけ、その情報だけで「オウム憎し」「麻原許せない!」と多くの人が憎しみをぶつけたのだ。これって危険。麻原に会った訳でもなし、信者と知り合いでもなく、テレビの報道を鵜呑みにして「許せねー」と盛り上がる。で、気づいたのは常識ある普通の人たち、カタギの友人たちの方が、捻くれ者の僕より「非常識」で冷静さを失っていたと思える。

その頃から「捻くれ者」の方が真実に気づくことが多いのではないか?と考えた。それでも小沢一郎が検察の標的にされた「陸山会事件」では検察が正しい。小沢は悪代官だと感じていた。多くの人が同様に小沢一郎の逮捕、有罪を信じ、願っただろう。しかし、無罪。「許せねー」「逃すな!」「あいつが悪の権化だ〜」という声が上がった。が、あれこれ小沢一郎を勉強していくと、言われているような人ではないと思えてきた。

やはり、本人をナマで見ないと!と彼の講演会にも参加。どのような人か?確かめた。その少し前に山本太郎が自由党に参加したこともあり、確信を得た。彼は嵌められたんだ。事情通の知人から小沢に対する数百億円のネガティブキャンペーンが行われたことも聞いた。マスコミも協力。印象操作と誘導が行われた。捻くれ者の僕もそれにハマっていたのだ。

その後に突然、オウム事件関係者の処刑が行われ、麻原は何も自白せぬままこの世から姿を消す。やはり、喋られてはまずいことがあったのではないか? サリン事件の実行犯は彼らだとしても、その背景に別の団体がいたのではないか? 石原慎太郎との関わりもテレビ新聞は一切報じないし。そんな頃から「捻くれ者」であることの大切さを感じた。

が、捻くれ者の僕でもマスコミによって印象操作され、小沢一郎の本質を見抜けなかった。やはり、テレビで見ているだけでは誘導される。編集、切り取り、脚色。自分が仕事でやっていることなのに、印象操作されていた。それ以降、何事も疑ってかかる。皆が批判する人物を一緒になって批判しない。むしろ「何かある!」と考える。トランプはまさにそれだった。そう考えると「捻くれ者」であること「右と言えば、左」という性格であることは大事だと思えてきた。少なくても映画作りには必要だと思えている。


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