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映画監督の仕事とは何か?今の時代は「真実を伝えること」だ! [映画監督のお仕事]

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映画監督の仕事とは何か?今の時代は「真実を伝えること」だ!

高校時代。日本映画は本当に詰まらなかった。名作と言われる文学小説の映画化。アイドルを主演させただけの青春もの。退屈の極み。見るのは金と時間の無駄だと思えた。対してアメリカ映画はエンタテイメント。2時間の間、ハラハラドキドキ。最後は感動して泣ける。「明日からもがんばろう!」と思えた。将来、映画監督になれたら、そんな映画を作ろうと誓った。

それから45年後、映画監督としての仕事を始めた。ずいぶん遠回りしたが、劇場用映画を撮るようになる。もちろんエンタテイメントだったが、作品のテーマは「子供たちに伝える大切なこと」になった。高校時代に、映画からは学んだ大切なことを子供たちに伝え、当時の僕のように悩み迷い、大人や社会に押さえつけられる子たちを元気付ける物語を作ろうと思った。

が、すぐに気づく。「大人がバカだから子供たちが苦しむ」テーマが少し変わった。「親子に伝える大切なこと」になる。親にも大切なことを伝えないと子供がいつまでも苦労するのだ。その後も、同じ路線で映画を作ったが、「向日葵の丘」あたりから「幸せって何だろう?」と言う問いかけが強くなる。幸せの形が見えないから、親子が間違った方向に進んでしまうのだ。金持ちになること、有名になること何かではない、幸せとは何かを追求し始めた。

そして、近年。さらに具体的なものが見えて来た。「真実を伝えること」だ。政府や企業が嘘を流し、国民を誘導するから幸せになれない。だから、映画で嘘を見抜き、真実を伝えることをが大切だと思えて来た。すでに3作目の「朝日のあたる家」から実践していたことだが、それに気づいた。「親子に伝える大切なこと」その先にあったのは世間に騙されず、真実を見抜く力を育てることだと思えた。

「日本の原発は安全です」と言いながら大爆発。原発推進は電力不足のためではなく、既得権益者たちが莫大な利益を得られるから。「直ちに危険はありません」と言い、東京にも放射能が降り注ぐのを伝えない官邸とマスコミ。本当のことを伝え、国民を真剣に救おうと言う政治家たちを貶め、批判するテレビ新聞。567、枠てん、オリンピックも同じ構図だ。多くが政府や企業のフェイクを信じ、誘導されている。

感染を抑えるより利権の大きいオリンピックを強行。それも私たちの税金。それを感染対策や医療に使えばいいのに、都知事は「自宅を入院施設として使ってほしい」それは遺棄と同じ。なのに多くの国民はテレビで五輪見て「元気もらった」「励まされた」と喜ぶ。奴隷としか言いようのない状態。自分たちがどんな状態なのか?を知り、思考停止状態から抜け出すことが大事。それが親子に伝えるべき大切なことではないか?

オリンピックの裏側や567の真相を暴く物語でなくてもいい。沖縄戦を劇映画にして伝えるだけでも伝えられる。すでにドキュメンタリーは製作したが、日本政府と軍部が沖縄県民を見捨て、捨て石にしたがのが沖縄戦である。その間に本土決戦の準備をした。「県民を守る必要はない。時間を稼ぎ、米軍の体力を奪え」それが大本営からの命令だったのだ。同じことが今、日本全土で起きている。

学校では教えない、NHK特集でも伝えないない、その手の映画を大手は絶対に作らない。でも、それを知れば多くの日本人は気づくだろう。「今も同じ!」と。そんなふうに大切なことを伝えるのが、今の時代、映画監督の仕事ではないか?もちろん、映画を作るときは徹底取材し勉強する。原作ものを1冊読んで分かった気で作ってはいけない。その異意味では原発と沖縄戦はかなり勉強した。講演会をしても2時間は喋れる! 

ただ、567禍で映画撮影は厳しい。現場で費用を出してくれるところもないだろう。だからせめてFacebookやブログを通じて伝えたい。本来はマスコミの仕事だが、彼らはもうフェイクを流す側の住人。個人だと間違うこともあるかもしれないが、伝えるべきことはたくさんあるはずだ。


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映画監督は「変人」というだけでなく「捻くれ者」であることが大事!=オウム事件、小沢一郎、トランプ。皆が批判する時は注意! [映画監督のお仕事]

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映画監督は「変人」というだけでなく「捻くれ者」であることが大事!=オウム事件、小沢一郎、トランプ。皆が批判する時は注意!

映画監督の多くは変人である!という話を書いた。が、僕の場合はただ変人というだけでなく「捻くれ者」でもある。人が「右」と言えば、「左」に進みたくなる。NHKでは絶対に仕事はできないだろう。高校時代も角川映画がテレビでガンガン宣伝。日頃、映画を見に行かない同級生まで「人間の証明」や「野生の証明」を見に行った。が、映画をよく見る僕だが、当時から捻くれ者で両作品とも映画館では見ていない。

特に「読んでから見るか? 見てから読むか?」なんてキャッチコピーのCMをされると「読まないし、見ない!」と思った。角川に恨みはなく、むしろ他のメジャー社より斬新で、型破り、かなり注目していたのだが、捻くれ者なので大ヒット作のどちらも見ていない。そんな性格だから、皆が「いいー!」というものは「いやーーー」と思う。何かが流行すると、それだけは絶対に追いかけない!という徹底ぶりだった。

大人になっても歪んだ性格は変わらない。オウム地下鉄サリン事件の時も、多くの人が「麻原は死刑だ!」「絶対に許せない!」とか被害に遭ってない人までがテレビの前で怒りをぶつけていた。が、まだ、オウム幹部が強制捜査で逮捕された段階。裁判も受けていない、取り調べもまだ、幹部の村井は殺害。そんな状態でオウムがまだサリン事件の犯人かどうか?決まっていないのに「死刑だ!」というのはおかしいと感じた。

が、ほとんどの友人は「オウムに間違いない!」「やりそうだ!」「あいつらに決まっている!」「麻原を殴りたい!」とさえ言っていた。なぜ、治安国家で、裁判を経ずに市民が「死刑だ」なんていう必要があるのか? 事件の真相解明も終わっていない。裏に別の組織がありオウムは利用されたのかもしれない。そして麻原の言動や行動を見ていると、そんな大それた犯罪をするだけの人物ではないと思えた。

なのに友人たちは家族が被害に遭ったかのように「許せない!」「破防法適用だ!」「全員死刑だ!」と憎しみをぶつけた。僕が疑問を投げかけると彼らは「お前はオウムの味方か?」「だったら入信しろ!」「サリン事件の被害者の気持ちを考えろ!」といわれた。戦時中と同じ。誰もが「戦争だ!」という時に「戦争は必要だろうか?」と疑問を呈すると「非国民!」「許せない!」「共産主義化!」と罵倒されたのと同じ構図?

いや、戦時中なら分かる。そのための洗脳教育。世論の誘導が行われていた。が、オウムはテレビが報道するだけ、その情報だけで「オウム憎し」「麻原許せない!」と多くの人が憎しみをぶつけたのだ。これって危険。麻原に会った訳でもなし、信者と知り合いでもなく、テレビの報道を鵜呑みにして「許せねー」と盛り上がる。で、気づいたのは常識ある普通の人たち、カタギの友人たちの方が、捻くれ者の僕より「非常識」で冷静さを失っていたと思える。

その頃から「捻くれ者」の方が真実に気づくことが多いのではないか?と考えた。それでも小沢一郎が検察の標的にされた「陸山会事件」では検察が正しい。小沢は悪代官だと感じていた。多くの人が同様に小沢一郎の逮捕、有罪を信じ、願っただろう。しかし、無罪。「許せねー」「逃すな!」「あいつが悪の権化だ〜」という声が上がった。が、あれこれ小沢一郎を勉強していくと、言われているような人ではないと思えてきた。

やはり、本人をナマで見ないと!と彼の講演会にも参加。どのような人か?確かめた。その少し前に山本太郎が自由党に参加したこともあり、確信を得た。彼は嵌められたんだ。事情通の知人から小沢に対する数百億円のネガティブキャンペーンが行われたことも聞いた。マスコミも協力。印象操作と誘導が行われた。捻くれ者の僕もそれにハマっていたのだ。

その後に突然、オウム事件関係者の処刑が行われ、麻原は何も自白せぬままこの世から姿を消す。やはり、喋られてはまずいことがあったのではないか? サリン事件の実行犯は彼らだとしても、その背景に別の団体がいたのではないか? 石原慎太郎との関わりもテレビ新聞は一切報じないし。そんな頃から「捻くれ者」であることの大切さを感じた。

が、捻くれ者の僕でもマスコミによって印象操作され、小沢一郎の本質を見抜けなかった。やはり、テレビで見ているだけでは誘導される。編集、切り取り、脚色。自分が仕事でやっていることなのに、印象操作されていた。それ以降、何事も疑ってかかる。皆が批判する人物を一緒になって批判しない。むしろ「何かある!」と考える。トランプはまさにそれだった。そう考えると「捻くれ者」であること「右と言えば、左」という性格であることは大事だと思えてきた。少なくても映画作りには必要だと思えている。


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映画監督がなぜ「真実の見つけ方」なんて記事を書くの?=映画屋は嘘を作り上げるのが仕事。嘘を見抜くのも得意なのだ! [映画監督のお仕事]

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映画監督がなぜ「真実の見つけ方」なんて記事を書くの?=映画屋は嘘を作り上げるのが仕事。嘘を見抜くのも得意なのだ!

「フェイクニュースの見破り方」という記事も書いた。「ジャーナリストを気取ってんじゃないの? 映画監督だろう?」と言われそうだが、自身でもふとそれを感じた。そもそもはドラマを作る仕事。現実ではなく、現実には起きないドラマティックな物語を作り、退屈な日常を送る人たちを励まし、ドキドキしてもらうのが映画監督の仕事だ。

ただ、嘘の作り話を映画にするにしても、リアリティが必要だ。可哀想な少女が主人公だとして、どんな風に可哀想か?を考える。あまりにもありえない設定だと、観客が「可哀想!」と思ってくれない。同情したり共感したりしない。今でこそ「貧しい家庭の子供」は多いのでリアルな設定として通用するが、バブル時代にそれをやると「そんな子供おらんやろ〜」と言われただろう。

つまり、嘘の話であっても、いかにもありそうな嘘でなければならない。それがドラマなのだ。そんな物語を作り、いかにも可哀想な少女俳優を起用、貧しい家のセットを作り、貧しい衣装、いかにもという近所の人が意地悪する。こうして観客が同情し、応援したくなる主人公を作り上げる。が、全てありそうな嘘。さあ、分かってもらえただろう。

映画屋は巧妙な嘘を作りだす仕事。だから、他の人や団体、あるいは政府やマスコミが嘘を流しても、他の人以上にそれを敏感に感じ取る。だって、いつも自分たちがやっている事だから。ただ、映画屋は嘘で人を幸せにするが、政府やマスコミは嘘で国民を誘導、自分たちが利益を得る事が目的だ。

違いがあれど、どちらも方法論は同じ。映画でもリアリティというのは90%の真実と10%の嘘を混ぜる事だ。全部が嘘だとバレやすいし、100%真実だとドラマティックでない事が多い。なので、映画も嘘ばかりではいけない。貧しい少女なら「今時の貧しさ」を取材する。戦後の貧困とは違うから。そんな映画を限りなく事実をもとに作る監督がアランパーカーやクリントイーストウッドだ。

「ミシシッピーバーニング」「ライフ・オブ。デビッドゲイル」は実際にあった事件。嘘の部分はほとんどない。ただ、ドラマにする場合に脚色は必要。それが通常の嘘にあたる部分だ。イーストウッドの映画も事実に基づいたものが多い。「アメリカンスパイナー」「ハドソン川の奇跡」も実際にあった事件。事実を描くとリアリティが凄い。それを突き詰めて行くとドキュメンタリーに行き着く。僕の「ドキュメンタリー沖縄戦」はそれだ。

が、事実を事実として描いたのでは伝わりづらい。そこで嘘ではなく演出というものが必要になる。でないと情報が錯綜、混乱、第三者が理解しづらいものになる。事実はシンプルでない事も多い。いかに真実を曲げずに、伝えるか?がドキュメンタリーという世界。そんな仕事をしているので、マスコミの嘘はかなり気づく。編集、映像、音楽、テロップ、様々な部分で誇張や印象操作は可能なのだ。

今、多くのマスコミ報道はドキュメンタリーというより、ドラマに近いものが多い。都合のいいように曲げる。削除する。脚色する。誇張する。事実は10%しか残らない。が、巧妙に作業している。ただ、映画屋なら見ててそれが分かる。それに誘導され、印象操作されている日本人がとても多い。「朝日のあたる家」や「ドキュメンタリー沖縄戦」を作った者として、あれこれ言いたくなる。「騙されてはいけない!」そんな記事を最近はよく書いている。



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毎日、ブログ記事を上げる理由?=いろんな意味があるけど、一番はあれ! [映画監督のお仕事]

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毎日、ブログ記事を上げる理由?=いろんな意味があるけど、一番はあれ!

「昔の彼女に宛ててメッセージしているんでしょう?」

「あれこれ批評するのは評論家の仕事じゃないか?」

「最近は取材した記事が少ないですよ。努力が足りませんね〜」

とかコメントしてくる人がいる。その意味は「映画監督は作品で語るべき」「ジャーナリストなのに努力が足りない」であり、双方共に勘違いだ。

黒澤明も昔は一切マスコミに登場せず、インタビューにも答えなかった。「作品で語るべき」「宣伝は宣伝部がするべき」と考えていたのだ。が、晩年は積極的にテレビにも出て話をした。監督作をアピールするには監督自身が前に出ることが大事。そんな時代なのだと理解したからだ。「作品で語るべき」というのは映画黄金期1960年代の発想。

また、僕はジャーナリストではない。ただ、以前にはライターをやっており、あれこれルポルタージュも書いたし、インタビューもやった。メジャー誌でも何度か記事を掲載された。そのせいで文体からジャーナリスト?と勘違いする人もいるのだろう。でも、今は映画監督業をする者として、日常を綴る、あるいは考えを語るエッセイのようなものを書いているだけだ。

それと黒澤明も考えたように、作品をアピールするには監督自身が前に出て発言することは大事。現在では宣伝時、監督はあれこれキャンペーンする時代。ただ、映画公開がないときは発信しない。著名な監督はそれでいいが、僕のようなものが宣伝になってから動いても大して注目されない。テレビ番組で番宣もさせてくれない。

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そこで日頃からあれこれ記事を書き、アップすることで、関心を持ってもらおうと、10数年前にブログを始めた。そこにFacebookが加わった形だ。最初は映画業界を目指す人。映画ファンが関心のある映画関係の話を書いていた。が、「朝日のあたる家」で原発問題に取り組んだこともあり、社会派の話も書くようになった。

原発を勉強すると、政治、企業、報道、日米関係、戦争、電力会社、広告代理店、商社、と様々な背景や闇の部分が見えて来た。そして自身の映画のテーマである「親子に伝える大切なこと」は、そんな社会問題をも見つめないと答えが出ないことにも気づいた。今の時代。単なるエンタテイメントでは観客に届く作品ができないことも痛感している。

映画は時代の反映。80年代前半は「嫌な日常を忘れさせてくれる娯楽作品」が持て囃されたが、今は「もう一度、社会を見つめ直す」作品が必要とされているように思える。昨年大ヒットの「「天気の子」も「ジョーカー」も社会性を持った作品だ。社会問題を記事にすることで、そんなタイプの映画を作るヒントになることが多い。

「ネットで愚痴を書くな!」と叱られたこともある。が、愚痴をいくらアップしても問題は解決しないが、文章を書き、問題を考えると論点が整理され答えが見つかる。それが目的なのだ。そして基本は宣伝。文章を読んで「面白い監督だなあ」と思ってもらえれば、映画にも関心を持ってもらえる。公開直前では遅い。そんな思いで毎日、記事をアップしている。


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「自分の立場を認識する力」とは何か?=映画の世界で考える [映画監督のお仕事]

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「自分の立場を認識する力」とは何か?=映画の世界で考える

心理学の用語ではないが「自分の立場を認識する力」と言うのがある。言葉通り自分がどんな立場にいるのかを把握する力だ。

会社でも先輩と共に営業に行けば、先輩を立てる。商品説明で先輩が間違ったことを言っても「それは違うでしょう!」と先輩を批判したりしない。2人はチームであり、営業先の人が不安になるような言動や態度は取らない。営業マンという立場。先輩後輩という関係。それを理解し認識する能力だ。

これは多くの人が把握している。学校のクラブ活動では先輩後輩の関係を学ぶ。校内でも1年生は上級生を一目置く。教師と生徒の関係。教師の中でも校長は一番偉いとか、それぞれの立場を把握し、関係性を壊したり、踏み外したりしないことを学ぶ。

映画の世界でも同じだ。決めるのは監督。もちろん、カメラマンも、照明部も意見はいう。だが、最終的に決めるのは監督。それをカメラマンが「それは違うよ。次のシーンはここから撮影するべきだ!」なんて言い張るのはダメ。時々、そんな人はいるが、避けられて行くことが多い。

また、撮影部や照明部が演出部に口出しをしない。演出部が製作部にあこれやり方を押し付けないというのもある。「お願い」というのはあるが、それぞれのパートはトップに技師がいて、その人のセンスや判断で仕事をする。それらを別のパートが「そのやり方はおかしい」「そこは***するべきだ」などと指示、批判するのはご法度。専門分野は専門家に任す。俳優が演出や技術に指示するのも同様にやってはいけないこと。同時に監督以外が俳優の演技に口出しするのもアウトだ。

そんな風に映画の世界でも「自分の立場を認識する力」は大切。それを忘れて、カメラマンが演出に口出したり、照明部が俳優に演技のダメ出しをすると、現場がグチャグチャになる。にも関わらず、たまにそんな人がいる。若手監督が斬新な演出をすると、ベテランの技術スタッフがあれこれ文句を言う。「それは違うだろ」「映画じゃねえよ」と。結果、監督が困る。そのスタッフは信頼されなくなる。作品の質が下がる。そんなことに繋がる。

だが、この辺のことはどんな業界でも多くの人が理解している。自分の立場を認識していない日本人は数ない。むしろ、上が悪いことをしていても、立場を理解し、それに加担すると言う政界というところもある。大企業でも同じ。その意味のこの能力は日本人はしっかり把握している?と言える。しかし、会社から出た途端にその力を失う人もいる。次回、解説する。


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映画監督は探偵に近い職業!=主演俳優を選ぶのと、トランプ問題を推理するのは同じ? [映画監督のお仕事]

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映画監督は探偵に近い職業!=主演俳優を選ぶのと、トランプ問題を推理するのは同じ?

僕のFacebookをいつも読んでくれている人は気づいていると思うが「トランプ」等の社会ネタの記事を書くとき。或いは映画界や俳優についての記事。何だか新聞記者と映画監督が交互に書いているかのようにジャンルが違う。

が、社会ネタでも映画界の話でも、僕からすれば同じ。どちらも現状を見て、それを分析し、問題が何であるか? 解決策は何か?というようなことを綴っているのだ。それがトランプであり、映画界の問題であり、俳優の力というトピックであるというだけ。

実は子供の頃からミステリー小説が好きで、大きくなったら探偵になろう!と思っていたくらい。だから、今も事件があると真相は何か?犯人は誰か?謎解きしたくなる。だから、ホームズではないが、疑問があると起きてから寝るまで考えてしまう。

「トランプはなぜ、あれほど批判されるのか? 嫌いな人がいるのは分かるが、誰も褒めない。これはおかしい。どんなクズでも、必ず支持する人がいるのに。不自然だ。何かあるな? 背景に何があるんだろう?では、トランプが嫌われて得するのは誰か?」

なんて考えてしまう。その考え方が大人になって持続されて「なぜ?」どうして?」と常に思ってしまう。それが意外に監督業に向いていたのだ。例えば、

「この俳優さん。いいな。いつも強い役をしている。確かに強そうだし、元気なキャラだ。でも、時々インタビュー等で見せる顔。不安げな。周りに気を使う。それに***が好き。もしかしたら、見かけは強そうだが、本当は繊細で気の弱い人かも? だったら、そんな役を演じたら、いつもと違う芝居が観れて、新しい魅力が出るのでは?」

とか考えてキャスティングする。それが大正解で、その俳優さんの作品のベスト3に入る映画だと言われたりする。その俳優の経歴、趣味、好きな映画、音楽、それらを確認し、その人が何に一番関心があるか? どんな役を演じる時に輝くか? それらを推理して、その俳優さんをイメージして役を作る。

監督業だけでなく、脚本家もそんな発想が大事。どちらも探偵のような資質が大切なのである。そんなだから、原発問題でも、沖縄戦でも、そこからいろんなことを導き出してしまう。それで見つけた答えを伝えたくなる。一つは映画で、もう一つはブログで。まだ、スゲーネタがあるんだけど、流石に書けないものもある。徐々にあれこれ紹介したい。


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今の時代は企業経営も映画監督業も同じ発想が必要 [映画監督のお仕事]

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今の時代は企業経営も映画監督業も同じ発想が必要

「モーニングショー」を見ていて感じたのだが、ITが把握できていない社長の会社がダメになるという話。映画も同じだということ。企業の社長と映画監督は共通するものが多いこと感じた。もちろん、50ー100人しかスタッフのいない撮影チームと、何万人も社員を抱える企業では規模が違うが、構図は同じなのだ。

社長が新しいシステムを導入する。そのことで経営が合理化され、無駄がなくなる。映画も同じ。フィルム撮影からデジタルに移行して現像代やフィルム代が節約。パソコン編集が可能になり、編集室レンタルも必要なくなった。そのため、映画制作費はかなりの低予算でも可能となっている(そのための悪影響も多大ですが!)

いい話ではないが、僕は自分で編集する。そのために編集者を別に雇う必要はない。だが、同世代の監督でデジタル編集できる人はあまりいない。パソコンにソフトを入れて、少し勉強すれば誰でもできるのに皆、やろうとしない。だから、技術ある者を雇い、指示して編集させる。完全に編集を任せ、直しだけを指示するならそれでいいが、ずっと立ち会うなら、自分でやった方が早いし、経済的だ。

デジタルだけではない。特に太田組は新しいアイディアを取り入れる。思いついたら実践する。年配のスタッフがいると猛反対を食うが、今のチーム(決して若い人ばかりではないが!)面白がってくれる。これは企業経営と同じではないか? 新しい挑戦をすぐにできるか? 古くからの伝統を止められるか? 組織が大きくなるほどに難しくなる。

が、映画の場合。監督が言い出せば理解されることが多い。企業映画の場合。古い製作会社の場合は上から文句が来ることがあるが、監督に信頼があればそれができる。ただ、監督も古い監督に長年師事して来た人はその古い方法論から離れられないことが多い。反対に僕のように自主映画出身で、アメリカで勉強した輩はあれこれ、変なことを思いつきスタッフを振り回しがち?

伊丹十三監督が数々のヒット作が撮れたのも、監督になるために修行した人ではなく、俳優であり、エッセイストであり、翻訳家、タレント、デザイナーと様々な経験があるから、従来の映画にない方法論で撮影したからだと思える。メイキングを本格的に導入したのも彼。映画日記を出版したのも伊丹さん。僕はそれに学び、映画制作時には必ず日記を書く。それがまた宣伝にもなる。

今の時代は企業経営も映画監督業も同じ発想が必要なのだろう。意外だ。


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人生は謎解き?疑問を解決するから楽しい。=僕が論理性に拘る背景? [映画監督のお仕事]

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人生は謎解き?疑問を解決するから楽しい。=僕が論理性に拘る背景?

映画は感情や感覚の表現が大事だ。だのに僕は実生活では「合理性」とか「論理的」と言うことにこだわる。が、日本人の多くー僕の印象かもしれないがーは、そんなことより習慣とか昔ながらのルールを遵守しがちだと感じる。矛盾があっても、合理的でなくても習慣だから、ルールだから、と従う。

役所など特におかしなルールが多い。

窓口でムカつくことがある。筋が通らないことを説明すると、担当者は「その通りですけど.....決まりですので...」と言われる。同じことは教育でもある。何度も書いたが英語教育。なぜ、英会話がないのか? 日本語訳と文法ばかりの授業。10年も勉強するのに会話ができない。これって意味ある?

その答えも何度も書いたが、日本の英語教育の目的は「国際性を育てる」とか「英語によるコミニュケーション能力」を育てるではなく、与えられた作業を確実にこなせる、優秀なサラリーマンを育成するために、その能力を測るための材料でしかない。国際人を育てるための勉強ではないのだ。

             *

しかし、管理教育は「考える力」を育てないので、「英語教育は意味ある?」という疑問さえ、多くの子供たちは持たずに勉強を続ける。本当に目的を悟ったとしても「大学受験のためだ」と割り切って勉強する。高校時代は同級生から「勉強が嫌なら学校辞めて働け」と言われた。彼らは完全に管理教育にはめられていたのだろう。

だが、それは合理的ではない。

意味がない。おまけに無意味な勉強で判断する大学なら、それも意味がない!と、僕は大学進学を拒否。話せもしない英語を勉強する時間が勿体無い。それを将来のための別のことに使いたいと考えた。が、アメリカの大学に行きたい!と言う思いがあり、日本の高校を卒業という資格が必要。なので中退はしなかった。

              *

今回は教育の話ではない。

合理性と論理性だ。英語教育を論理的に考えれば無意味。そんなあたりから日本の教育を考え始め、先のサラリーマン育成が本当の目的であるという答えに辿り着いた。しかし、何で、そんな風に論理性や合理性にこだわるようになったのだろう。あれこれ考えて、子供の頃から推理小説が好きで読みまくっていたこととを思い出す。

ミステリーは論理性だ。物理的に不可能と思える犯罪を論理的に解き明かす。飛躍や矛盾があってはいけない。コナンドイル、アガサクリスティ、江戸川乱歩、子供の頃からそんな本ばかり読んでいたので、その辺が刻まれているのだろう。本来、映画監督業は理屈や論理を超えた想像力や感性が勝負の仕事。なので監督には理不尽な人や筋の通らないことを言い張るタイプが多い。

しかし、論理性を追求すれば、あれこれ答えが見つかるので面白い。人生は謎解きだ。疑問を解決するからこそ楽しい。



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高級寿司や天麩羅が好きでも、頻繁に会食はマイナス?=映画の世界も同じ! [映画監督のお仕事]

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高級寿司や天麩羅が好きでも、頻繁に総理に会うのはマイナス?=映画の世界も同じ!

プロデュサーの仕事の一つはトラブル解決だ。揉め事や事件が起こらないように気を配る。問題が起これば大きな騒ぎにならないように対処する仕事だ。そんなPの1人に風変わりな男がいる。ちゃんと仕事はするが、人を寄せ付けない雰囲気を持っているのだ。聞いてみると、こう言われた。

「僕は結構、気がつく方で事前にトラブルを見抜いて対処してしまうんですよ。若手のスタッフでも、あーこの子は何か悩んでいるなあとか察ししてしまう。昔は、何かあったの? と声をかけたり、相談に乗ったりしていたんです。

けど、その内に大したこともないのに相談に来られたり、それ仕事じゃないだろ?ということまで頼って来られたりして、時間を取られるばかり。それ以降、声をかけ辛い、相談し辛い、態度を取るようにしているんです」

面白い。

僕も昔はお節介で、俳優を目指す若い子たちの面倒を見ていた。熱血青春ものの教師のように、何かあると呼び出して説教していた。意外に嫌われることなく、相談を受けたり、アドバイスしたりしていた。ところが親切にし面倒をみると、Pの状況と同じように、若い連中が親しみを持ち、いつしか兄貴や父親的な存在になってしまう。

何をしても監督は許してくれる。

遅刻しても大丈夫、飯奢ってもらっても平気、勉強のために貸したビデオテープも何ヶ月も見ない。返さない。言われてから返せばオーケー。

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これは彼ら彼女が「人との距離の取り方」を勘違いしているからだ。分かりやすく今風に言うとFacebookだ。「友達申請」をする。「承認される。「友達」になる。でも、それはFacebookの世界内での話。本当の友達ではない。なのに「承認」された途端に本物の友人気分になる。承認早々にこんなコメントが入る。

「このお調子者! 何バカ言ってんだ?!」

お前は誰?って感じ。勘違い甚だしい。それに近い感覚。監督と俳優の卵という関係を勝手に、親子や兄弟、友達に置き換えてしまう。電話しても、メールしても、返事がなかなか来ない。そもそも、仕事関係以外では連絡はしないのだが、

「オーディションあるけど、行ってみる?」

とか知らせても、2日後に「その日、バイトなんすよね」と言ってくる。次のエピソードも別件で書いたが、僕はダチじゃない。同じことは地方で映画を作ってもある。地元の人があれこれ撮影協力をしてくれた。それはありがたいし、感謝している。でも、地元のルールを押し付けらえても困る。

「世話になったんだから、正月に挨拶に来るのが当然だろう?」

と怒られる。僕はその街の住人ではない。そもそも、地元の皆さんは街のために映画を作ったのに、なぜ、僕が地元に感謝することを求める? 低予算なのに評価される、街をアピールする映画ができたんだから、僕が感謝されてもいいんだけど(監督料も水準以下だし)逆に感謝を求めてくる人がいる。本来、映画というのは

「撮ってくれてありがとう[黒ハート]撮らせてくれてありがとう[黒ハート]

という気持ちが大事。地元もプロも一緒に頑張った。それを一方的に感謝を求めてくる人たちもいる。当然、正月に東京からその街まで行く余裕もない。すると

「俺たちは利用された。騙された。酷いやつだ....挨拶もない!」

その辺の話は何度か書いた。先のプロデュサーだ。彼は問題に気づいても、自分から対応しない。問題が起こって誰かが言い出すまで動かない。率先して動くと「Pがやってくれるよね?」と当たり前になってしまうのだという。

その意味でいうと、僕は先の俳優の卵たちにも、街の人たちにも頻繁に接して、親しみを持ってもらえた。そのために監督ではなく「友達」モードになり「ご近所さん」モードになってしまったのだろう。それを逆に利用しているのが今の官邸だ。テレビ局の社長や会長と首相が頻繁に会食する。そのことで「友達」モードにしてしまい、厳しい政権批判がし辛い環境を作っているのだ。

ということは監督業も、いくら応援や感謝の気持ちがあっても、俳優や地元の方々とはあまり仲良くしてはいけないのだ。同じくマスコミのトップもいくら寿司や天麩羅が好きでも、首相と頻繁に飯を食うのは大きなマイナス。ということなのだろう。


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【「幸せって何だろう?」それを子供たちに伝えるのが僕の映画ー後編】 [映画監督のお仕事]

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【「幸せって何だろう?」それを子供たちに伝えるのが僕の映画ー後編】

(前回の続きです)

 同時に、考えねばならないのは教育。親たちが望む一流大学に入るには、いや、一流でなくても大学、高校、中学校、そして小学校で我々日本人が受ける教育は、暗記が中心。与えられたことを確実にこなすという勉強。考える。想像する。分析する。という自発的なことではなく、命令されたことを確実にこなすという作業。つまり、優秀なサラリーマンを育てるための教育。

 命令に逆らわず、言われた以外のことはしない。余計なことは考えない。優秀なサラリーマン・ロボットになるための教育システム。そんなタイプの人間を大量に育てたことで日本は経済大国になった。

 が、今はもう、それでは立ち行かない。いくら優秀なサラリーマン・ロボットでも上からの命令が間違っていれば、優れた結果は出せない。それが現代。時代の行き先が見えなくなったことで、企業のトップは正しい指示をできなくなった。海外の企業に追い抜かれる。倒産に追い込まれる。その失敗の責任を自分たちではなく、社員に押しつける。それがリストラであり、規定を超える長時間労働。

 そんな時代。言われたことしかできないサラリーマン・ロボットでは生き延びることができない。与えられたことをやっているだけではダメだ。昔から「金持ちになること」=「幸せ」だと思われがちだが、今の時代、金持ちどころか、安定した生活をして行く事すら難しい。



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 さらに、考える力を育てる教育を受けずに大人なると、自分の力で時代の風を感じ、危険を察知し、考えて、切り抜けることができない。テレビが「都知事選は主要三候補」といえば他にには関心を持たない。国が「景気が良くなりました」「電気は足りません」というと受け入れてしまう。政治家が「汚染水はコントロールされている」というと信じる。

 皆、16年に及ぶ教育の成果だろう。そんなふうに疑うことを知らず、踏みつけられても気付かない大人を生み出した背景が、今の教育。なのに親たちは今もそんな教育をする学校に子供たちを送り込んでいる。

 極端な例を上げれば、あのオウム真理教のサティアンに子供たちを預け、幸せになってほしいと願っているようなもの。師・麻原彰晃のいうことを疑いもせず信じて、サリンまで巻いてしまう信者。それを批判した大人たちも同じことをしているのだ。親たちが子供たちに立派な大人になることを望み、子供たちの幸せを願うのであれば、これまで通りの教育を受けさせているだけではダメだということ。

 親たちが時代の流れを感じ「大切なことは何か?」を悟り、子供たちに伝えること。それでこそ子供たちは幸せになれる。「幸せ」とは何か?を考えていると、そう思えて来た。

 当初、僕のテーマは「子供たちに伝える大切なこと」だったが、いつしか、子供たちを一番不幸にしているのは親たちだと気付いた。だからテーマは「親子に伝える大切なこと」になった。その親子に伝えるべきことが「幸せとは何か?」なのである。

 しかし、その親たち自身が「考える力」を育てない教育を受けて大人になっている。与えられないことはしない。教育システムを疑うこともしない。世の中の変化にも気付いていない。以前はそれでよかったのだけど、今はもう違う。そこにまず、気付かなければ、子供たちを幸せにすることはできない。それを物語を通じて、いろんな形で伝えることこそが、僕の映画のテーマなのだと思える。




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