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映画監督は「変人」というだけでなく「捻くれ者」であることが大事!=オウム事件、小沢一郎、トランプ。皆が批判する時は注意! [映画監督のお仕事]

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映画監督は「変人」というだけでなく「捻くれ者」であることが大事!=オウム事件、小沢一郎、トランプ。皆が批判する時は注意!

映画監督の多くは変人である!という話を書いた。が、僕の場合はただ変人というだけでなく「捻くれ者」でもある。人が「右」と言えば、「左」に進みたくなる。NHKでは絶対に仕事はできないだろう。高校時代も角川映画がテレビでガンガン宣伝。日頃、映画を見に行かない同級生まで「人間の証明」や「野生の証明」を見に行った。が、映画をよく見る僕だが、当時から捻くれ者で両作品とも映画館では見ていない。

特に「読んでから見るか? 見てから読むか?」なんてキャッチコピーのCMをされると「読まないし、見ない!」と思った。角川に恨みはなく、むしろ他のメジャー社より斬新で、型破り、かなり注目していたのだが、捻くれ者なので大ヒット作のどちらも見ていない。そんな性格だから、皆が「いいー!」というものは「いやーーー」と思う。何かが流行すると、それだけは絶対に追いかけない!という徹底ぶりだった。

大人になっても歪んだ性格は変わらない。オウム地下鉄サリン事件の時も、多くの人が「麻原は死刑だ!」「絶対に許せない!」とか被害に遭ってない人までがテレビの前で怒りをぶつけていた。が、まだ、オウム幹部が強制捜査で逮捕された段階。裁判も受けていない、取り調べもまだ、幹部の村井は殺害。そんな状態でオウムがまだサリン事件の犯人かどうか?決まっていないのに「死刑だ!」というのはおかしいと感じた。

が、ほとんどの友人は「オウムに間違いない!」「やりそうだ!」「あいつらに決まっている!」「麻原を殴りたい!」とさえ言っていた。なぜ、治安国家で、裁判を経ずに市民が「死刑だ」なんていう必要があるのか? 事件の真相解明も終わっていない。裏に別の組織がありオウムは利用されたのかもしれない。そして麻原の言動や行動を見ていると、そんな大それた犯罪をするだけの人物ではないと思えた。

なのに友人たちは家族が被害に遭ったかのように「許せない!」「破防法適用だ!」「全員死刑だ!」と憎しみをぶつけた。僕が疑問を投げかけると彼らは「お前はオウムの味方か?」「だったら入信しろ!」「サリン事件の被害者の気持ちを考えろ!」といわれた。戦時中と同じ。誰もが「戦争だ!」という時に「戦争は必要だろうか?」と疑問を呈すると「非国民!」「許せない!」「共産主義化!」と罵倒されたのと同じ構図?

いや、戦時中なら分かる。そのための洗脳教育。世論の誘導が行われていた。が、オウムはテレビが報道するだけ、その情報だけで「オウム憎し」「麻原許せない!」と多くの人が憎しみをぶつけたのだ。これって危険。麻原に会った訳でもなし、信者と知り合いでもなく、テレビの報道を鵜呑みにして「許せねー」と盛り上がる。で、気づいたのは常識ある普通の人たち、カタギの友人たちの方が、捻くれ者の僕より「非常識」で冷静さを失っていたと思える。

その頃から「捻くれ者」の方が真実に気づくことが多いのではないか?と考えた。それでも小沢一郎が検察の標的にされた「陸山会事件」では検察が正しい。小沢は悪代官だと感じていた。多くの人が同様に小沢一郎の逮捕、有罪を信じ、願っただろう。しかし、無罪。「許せねー」「逃すな!」「あいつが悪の権化だ〜」という声が上がった。が、あれこれ小沢一郎を勉強していくと、言われているような人ではないと思えてきた。

やはり、本人をナマで見ないと!と彼の講演会にも参加。どのような人か?確かめた。その少し前に山本太郎が自由党に参加したこともあり、確信を得た。彼は嵌められたんだ。事情通の知人から小沢に対する数百億円のネガティブキャンペーンが行われたことも聞いた。マスコミも協力。印象操作と誘導が行われた。捻くれ者の僕もそれにハマっていたのだ。

その後に突然、オウム事件関係者の処刑が行われ、麻原は何も自白せぬままこの世から姿を消す。やはり、喋られてはまずいことがあったのではないか? サリン事件の実行犯は彼らだとしても、その背景に別の団体がいたのではないか? 石原慎太郎との関わりもテレビ新聞は一切報じないし。そんな頃から「捻くれ者」であることの大切さを感じた。

が、捻くれ者の僕でもマスコミによって印象操作され、小沢一郎の本質を見抜けなかった。やはり、テレビで見ているだけでは誘導される。編集、切り取り、脚色。自分が仕事でやっていることなのに、印象操作されていた。それ以降、何事も疑ってかかる。皆が批判する人物を一緒になって批判しない。むしろ「何かある!」と考える。トランプはまさにそれだった。そう考えると「捻くれ者」であること「右と言えば、左」という性格であることは大事だと思えてきた。少なくても映画作りには必要だと思えている。


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