日本人はなぜ感情を見せないのか?人前で大笑いする、号泣する。激怒するは恥ずかしいと思うようになったのか? [ムラ社会ルール]
日本人はなぜ感情を見せないのか?人前で大笑いする、号泣する。激怒するは恥ずかしいと思うようになったのか?
20過ぎにアメリカ留学。ハリウッド映画は子供の頃から見ている。アメリカについてはとても詳しい!と思っていたが、住んでみるとあれこれ知ることがあった。ただ、一番学んだのはアメリカ人より日本人とは何か?である。比較することで日本人というものが分かってくる。
日本人は大人になると、人前で大笑いしたり、声を上げて泣いたり、怒りにまかせて怒鳴ったりすることは恥ずかしいと考える。「大人げない」「子供っぽい」「常識がない」などと批判される。感情を顔に出すことさえしなくなる。仕事ではそれこそ能面を被ったように感情を出さず、指示されたことに不満を示さずに作業するのが大人で有り、社会人だという認識のようだ。
そんなことがあるので外国人から見ると「日本人は何を考えているか?分からない」となるのだ。嬉しいのか? 悲しいのか? 怒っているのか? 分からない。もちろん、日本人が外国人と対峙した時に、英語が分からずにどうしていいのか?分からないので、笑みを浮かべるしかないということもあるだろう。だが、笑ったり、泣いたりしない日本人は理解できないのも頷ける。
対して、アメリカ人はよく笑い、ちょっとしたことで激怒し、悲しい時に泣く、とても分かりやすい。中国や韓国の人でも日本ほど感情を抑えない。悲しい事件で「哀号!」と泣き叫ぶ韓国のおばちゃんの映像はテレビでも見る。が、日本人は大きな悲劇を目の当たりにしても、ハンカチで涙を抑える程度だ。なぜ、日本人は感情を抑えることが大人であり、社会人であるという国になってしまったのか?
専門家ではないが、侍の時代が長かったからではないか? 侍は悲しいからと泣き叫んではいけない。人前で怒りを爆発することは恥ずかしい。戦国時代ではなく、安定した江戸時代からの習慣ではないか? 人前で大笑いしたり、泣いたり、怒ったりすることは秩序を乱す可能性がある。平穏な時代を乱すかもしれない。そういうことを抑え、排除する意識が生まれて来たのではないか?
殿様がいて、幹部がいて、その下に多くの侍がいる。だが、戦いはない。将軍は謀反を起こさないように、各藩を監視。危険性があれば潰しにかかる。参勤交代で金を使わせる。そんな背景もあり、感情を見せず、大人しくしていることが大事だったのではないか?
また、今も続く村社会ルール。影響があるはずだ。人と違ったことをしない。新しいことをしない。皆と同じように生活する。狭い村で排除されない。揉めないための知恵から、その種のルールが生まれた。感情を見せないのも。同じ背景があるのではないか? 怒る。泣く。笑う。という人の内面が伝わる反応をしないことで、本心を悟られないように、誤解されないようにしたのではないか? それを徐々にコントロール。抑えることができた人を大人と評するようになった。
なんだか寂しい気もする。感情を抑え込むのが大人という発想。自身で抑え込む。互いに本心を探られないようにする? この国ではそうやって生きて行かねばならない。対してアメリカ人をみると、怒りたい時に怒り、泣きたい時に泣く。おかしければ大笑いする。どちらが人間として自然なのか?と考えてしまう。
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