政治を変える必要はない。国民が変われば政治も変わる=ただ、教育に「考える力」を奪われた人たちをどうすればいいのか? [日本人の問題]
政治を変える必要はない。国民が変われば政治も変わる=ただ、教育に「考える力」を奪われた人たちをどうすればいいのか?
今からちょうど41年前。高校を卒業。映画監督を目指して本当の意味で人生をスタートさせたのが横浜だった。当時、18歳。様々な思い出がそこにある。青春映画としていつか描きたい思い出の数々。そのための写真もたくさん撮影してきた。が、しばらくは書かないでおく。
失望した!と言う思いもあるが、そもそも特別に民度が高い街と言うことではない。東京よりはマシ?と思っていたが大差はなかった。こちらが勝手に思い出を重ねているだけであり、それは現実ではない。この街の人たちがより幸せになってほしいと言う願いがあっただけ。
青春の日々にお世話になった人。通った店。会話を交わした人たち。迷惑をかけた方々。そんな思いがあるので、ベターデイズを望まずにはいられなかっただけ。だからこそ、カメラと三脚を抱えて金沢文庫まで出かけた。僕は知らない人を応援しない。あの候補は「朝日のあたる家」を観てくれ、応援してくれた。その日以来、何かにつけてメールをくれたり、情報をくれたりした。先日も長野に行き、彼の活躍を聞いたばかりだ。
そんな人が横浜のために身を投げ打って戦おうとしている。何か応援したいと思えた。それでなくても青春の日々を過ごした街。ただ、それは僕の思い入れであり、別の現実が存在する。日本人は幼い頃から「考える力」を育てる教育をしない。与えられたことを確実するだけの人間を作るシステム。その中で、自分のために頑張る人がいても、それには気づかない。与えられた情報に即した行動しかできない。
テレビでよく見る。組織から指示された。マスコミが持ち上げている。そんな人たちに意味を感じてしまう。だから、都民は小池を選び、五輪と567で今も苦しんでいる。ある意味で自業自得。太郎さんなら、今頃毎月10万円給付だったのに。それは東京が特別ではなく、横浜も同様。同じ日本の教育で育った人たちが一票を投じる。全く違う結果が出るはずもなく、組織票が力を発揮したようだ。それに囚われない人たちは100点満点のスーパーヒーローを期待し、頑張る人たちを否定してしまう。
子供の頃から刷り込まれた教育。与えられたことで100点を取ることを求められた。自分で考える必要はない。それはまさに洗脳。簡単に逃れることはできない。だから567で大騒ぎ、枠てんを疑わずに摂取してしまう。でも、政府はそうやって戦後76年。上には逆らわない従順な国民を作り続けてきたのだ。それを数年で引っくり返すことは難しい。今回もそんないち場面に過ぎないのだが、ここ何年も汚されていく思い出の街を見ていると悲しみが込み上げた。
個人ができることには限りがある。特定の候補を応援することぐらい。何よりも大多数を刷り込まれた教育から解放するのは簡単ではない。ただ、映画ならば多くの人を変えることが可能だ。黒澤明は言った。「あと100年あれば、僕は映画で戦争を止めて見せる」100年でなくても何かを変えていけるはず。変えるべきは政治ではない。変えるべきは国民の考え方。そうすれば政治も変わる。気づいた人たちが大切なこと伝えれば、少しずつでも変わるはず。
だが、567は感染拡大。映画撮影はできない。いや、収束しても、そんな話はない。今はただ、自身の無力さを痛感するだけだが、しばらくはそんなことを考えてみる。
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