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脱・都会生活その後は?=LAに近い暮らし。搾取され本来の意味を失う日本人。 [日本人の問題]

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脱・都会生活その後は?=LAに近い暮らし。搾取され本来の意味を失う日本人。

もう、何年も前だが、都会の暮らしをやめた。仕事のことを考えると、高い家賃の都会に住む必要がないからだ。長年、新宿まで歩いて30分のエリアに住んでいたが、全く意味のないことを知った。今、都会でなくても、映画館、大型電気店(あるいはカメラ屋)、ドンキホーテ、ショッピングセンター、ユニクロ、スタバ。何でもある。CDや本は店頭ではなく、amazonで買う。だから何も困らない。

僕の場合。仕事はシナリオと編集が室内。撮影は地方。なので、いずれも都会に住む必要がない。おまけに都会の家賃は高い。その差額を別に回せれば生活水準がアップ?あるいは出費が大幅に抑えられる。ただ、懸念したこともある。一昔前だが都会に住んでいた業界の友人が田舎に引っ越した。年月が経つごとに鋭さが失われ、思考力も落ちて行った。

彼はいう「都会で暮らしていると街を歩くだけでも、看板があり、いろんな新製品の情報が目に入る。街行く人のファッションを見ても季節の移り変わりを感じる。でも、田舎にいると目にするのは田んぼと畑だけ。自分でも鈍くなるのが分かる。テレビを見ているだけでは時代についていけない」特にクリエイティブな仕事をする場合は重要。時代の波についていけなくなる。だが、これは過去の話。現在はネットがあり、都会にいなくても様々な情報が入る。都会と田舎の差は縮まったと思える。

ただ、大きく違うはことがある。都会は電車やバスを使い移動する。コンビニやスーパーは歩いて10分程度のところにある。アメリアでいうとニューヨークに近い。が、非都会(田舎というだけでなく、衛星都市等も含め)は車社会。どこに行くのも車。スーパーも、映画も、電機屋も車で行く。だから、どこへ行っても巨大な駐車場がある。ロスアンゼルスに近い環境だ。車がないと非都会生活は困る。スーパー行くのに歩きで30分。大量に買っても車がないと持ち帰りも大変。

ただ、車は経費がかかるので、僕はバイクに乗っている。税金もガソリン代も安い。駐車場代もいらない。どこでもすぐに行ける。そんなことで脱都会生活を始めてから、生活スタイルが変わった。昔、住んでいたLAの暮らしに近い。都会では映画を見に行くのは電車やバス。LAでは車。今はバイク。アパートからバイクに乗ってシネコンまで。大きな無料駐車場。映画を見たら、そのままバイクで自宅まで。

全くLA時代と同じ。大学も車で通っていたし、まさにあの頃に戻った感じだ。多くの人はそんな自宅から会社に通う。車、あるいは駅まで自転車。そして電車。僕は自宅で仕事することが多い。結局、都会から離れた場所でも問題なかった。そんな暮らしをもう5年前後しているのだが、多くの日本人がアメリカ人のように車がないと生活できない環境にいることを実感している。スーパーに行って大量の食材を買う。家族みんな、車で映画を見に行く。完全にアメリカだ(NYなど例外もあるが多くがそんな感じ)。

なるほど、こんな狭い島国でも車が売れるはずだ。地方ロケに行くと、車がないと生活できないと感じたが、地方だけではない。東京にすぐ近い街でも同様。昭和とは違う生活をスタイルを日本人は送っていること。痛感するし、コロナ禍で進んだテレワークが普及すれば、満員電車や通勤というものもなくなるのではないか?そうなると、もっと別のことに時間もお金も費やせるのでは?と思える。まさに僕がそうだ。

あのまま都会にいれば高い家賃を払うために、やりたくない仕事もやり、映画以外の仕事もせねばならなかっただろう。多くの製作会社はそれでいい映画を作るより、事務所の家賃を払うために仕事をする。だから、ピンはね、中抜き。いい映画を作るより、経費をゴマかすことに頭が行く。都会に事務所を持ったことで、そういう環境に組み込まれてしまう。映画界だけでなく日本人はそんな風にして、時間もエネルギーも有効に使えていないのでは?と思えてくる。



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脱都会生活(下)=都会で暮らすメリットがないことに気づく? [日本人の問題]

脱都会生活(下)=都会で暮らすメリットがないことに気づく?

長年住んでいたのは新宿まで25分の距離にあるアパート。銀行でも、スーパーでも、コンビニでも、歩いて5ー10分で行ける。だが、脱都会生活で住み始めた街はどこへ行くのも30分。往復で1時間かかる。これ結構、大変。だが、これも解決策を考えていた。以前にも記事にしたオートバイが活躍する。免許はアメリカ時代に取っている。が、都会暮らしだとほとんど乗る必要がない。むしろ面倒。特にオートバイで移動すると都心は駐車場がない。車が多くて飛ばせない。

アパートの駐輪場も狭く、バイクを置くと嫌がられる。だが、脱都会生活はその辺が全部クリアー。どこに行ってもバイクの駐車場あり。ほぼ無料。逆にバイクがないと大変。仕事中にプリンターのインクがなくなる。買いに行くのに往復1時間。作業に戻ると、あ、明日は土曜日。銀行に行かないと!また1時間。と無駄が多い。バイクがあれば往復10分。都会暮らしの頃でも、インクは近所で買えず、新宿のヨドバシカメラまで行かねばならない。往復1時間。むしろ都会生活より今の方が便利なのだ。

ただ、1つ。打ち合わせの時は新宿等まで行かねばならず、電車で1時間かけて行く。が、問題はそれくらい。家賃は以前の半額。広い部屋で編集室も作った。大量の資料は書庫に入り、小さな映画製作会社となっている。これを新宿近辺で実現するには、高額の維持費が必要になる。そして、脱都会生活を続けると、あれこれ考えたこともなかった事実を知ることになるのだが、それはまた別の記事にする。

結論。20年前は大切だと思っていた価値観(都会に住む利便性。必要性)が年月と共に無意味になっていた。にも関わらず、それにこだわり、多額の出費を続けていたこと。そのことに全く気づかないでいたこと。痛感する。アパートだけでなく、他のことでも同じことをしていないだろうか? すでに価値のないことを続けていたり、他で代用した方が格安で時間もかからないことを古臭い手法でやっていたり。

今の日本にはそんなことが多いのでは? 教育もそうだ。相変わらず社会で役に立たないことしか教えていない。昔なら無駄でも優秀な成績を取り一流大学に入れば一流企業に入れただろう。でも、その一流が潰れたり、リストラしたり。会社入れば安泰!の時代ではない。なのに親たちは無意味な勉強を強いる。もっと役に立つ何かを学ぶ機会を作るべきなのに、高い教育費を払い古い価値観を今も実践している。あれこれ見直す時期が来ている。


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脱都会生活を実践(上)=都会から離れて暮らしても困らない? [日本人の問題]


脱都会生活を実践(上)=都会から離れて暮らしても困らない?

アメリカ留学から戻り、25年ほどはずっと新宿まで歩いて30分の街に住んでいた。と言っても高層ビルもない。駅前商店街のある小さな街なのだが、ある事件で郊外に引っ越した(事件のことは先に三回に渡り記事で紹介)。田舎町という感じではなく、住宅街。近所に畑もない。ま、高層ビルもない。新宿までは電車で1時間ほどかかる。ただ、家賃はめちゃ安。以前の半分。

なのに部屋も広い。2dk。繁華街は近所にないが、そんな街で暮らして5年ほど経つ。困ることはほとんどない。まず、僕の場合は映画館。新宿に近いと、あれこれ週に何度も通った。昔ならこの街から電車で1時間かけて新宿や渋谷まで行かねばならなかったが、今はシネコンがある。近隣に5館もある。新宿でやっているメジャーな映画ならほぼ網羅できる。

次によく行くのが本屋。紀伊國屋のような店があると便利。だが、都内でも次々に本屋は潰れている。どうなのか? 最近はamazon。たいていの本は手に入る。送料無料。紀伊國屋がなくても平気。映画屋にとって大切なのは大型量販店。パソコン関係、カメラ関係、データのカード等で行くことが多い。けど、今は都会でなくてもヤマダ電機やKsデンキがあり困らない。

スーパーやコンビニは当然ある。若い頃のように飲み会にも行かない。終電まで飲んだりしない。あの頃はタクシー使わずに新宿から歩いて帰れる距離に住んでて便利だったが、そこまで飲まない。仕事はシナリオと編集は自宅。新宿が近い必要はない。撮影は地方。これが都内の撮影が多いと、都心に住む方が便利なのだが、僕の場合まず近場の撮影はない。

つまり、25年前はめっちゃ便利だった新宿まで歩いて30分のアパートも今では全く意味がなくなっていた。それどころか部屋代高い。全く意味のないことを数年間続けていたのだ。監督デビューから16年。忙しすぎて考える暇がなかったが、時代は変わり、都会の周辺に住まなくても何も困らない時代になっていたのだ。

ただ、1つだけ困ること。脱都会でも駅の周辺はそれなりの値段になる。少しでも安い部屋を!と探すと、いい物件があったが、駅から遠い。歩くと30分。以前なら新宿に行ける距離。今は、駅からさらに1時間かけないと新宿まで行けない。ま、新宿まで行く用がほとんどないのだが、駅まで30分。スーパーも遠い、電気屋も少しある。歩いて5分の距離に吉野家はない。

最初は健康のために歩こうと思ったが、意外に面倒。移動で時間を取られる。都会生活やめたの失敗か? しかし、簡単な解決法があった!もちろん、それを考えた上でのことだった。 続く


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ある事件で知った「時代は変わる」ということ③=日本は変わった。都会に住む必要がない! [日本人の問題]

ある事件で知った「時代は変わる」ということ③=日本は変わった。都会に住む必要がない!

元のアパートに戻る? でも、膨大な資料がある。捨てられないものも多い。いつか別の映画を作るための編集室もほしい。会議はできなくてもいい。あれこれ考えて、元の狭いアパートに戻るのはマイナスだと考えた。それと今回のことは一つの節目で、「次のステップに上がれ!」という映画の神様のお告げではないか?とも考えた。このまま都会に住み続けることがいいのか? あまりにも忙しくて考えたことがない。というより帰国以来、気にもしなかった。

帰国から20年以上が経っている。まず、歳も歳。終電まで飲むことがなくなった。そもそも飲み会に行かなくなった。そして先輩から急に連絡が来ることもなくなった。依頼は事前にあり、日を決めて打ち合わせ。居酒屋でバイトすることもない(これからまた、あるかもしれないが!)さらによく行く大スクリーンの映画館。新宿プラザやミラノは閉館。シネコンの時代になっていた。紀伊國屋に行かずともマニアな本もAmazonで買える。タワーレコードなくても、音楽配信で困らない。

つまり、新宿まで歩いて30分という立地条件。そのプラスがほぼなくなっていることに気づいた。にも関わらず、僕はそれに拘っていた。時代は変わり。歳を取り、いろんなことが変化していることに気づかなかった。これっていい大人が未だに「メイドイン・ジャパンは世界のブランド」と思っているようなもの。忙しく仕事をしていると時代の変化に気づかないのだ(変わらないのは日曜日の「サザエさん」だけか?)

新宿に近い必要はない。今は小さな街にもシネコンがある。本屋やレコードはそもそも多くが潰れたが、amazonで注文すれば問題なし。田舎でもOK。都会と地方の差がほとんどない時代になっていた。問題は通勤くらいだろう。だが、僕の場合。ロケはほぼ地方。泊まり込みで撮影。編集は自宅。都会に住む必要はない。

新宿に近くなくても、それこそ東京でなくても、日本でなくても、困らないということだ。ま、沖縄や北海道に住むのは素敵だが、打ち合わせの時に東京まで行かねばならず、zoomもあるけど、やはり面と向かうことは大事なので遠すぎる。が、関東であれば全然、OKではないか?

そこであちこち調べて、家賃の安い、広い部屋がある街を探した。まあ、どことは言わないけど、ありました! その時に住んでいた新宿に近い2DKの部屋と全く同じ間取り広さのアパート。値段はずばり半額!これならバイトをしても払える。シネコンは1〜3駅間に3館ある。駅前に商店街もある。スーパーもコンビニもある。そこに引っ越すことにした。もうかなり昔の話だが。

今回の567禍で感じた人も多いだろうが、都会に住む必要性がかなり下がっている。地方にいてもほとんど困らない。会議はzoomでも対応できる。なんで、満員電車に揺られて、会社に通わねばならないのか? その通勤時間で別のことができる。高い家賃は必要ない。安いところに住み、差額を趣味のために回す。生活水準がグッと上がる。時間にもゆとりが出る。今まで何だったの?と思った人が多いに違いない。まさに僕も同じだった。

映画製作がキャンセルされたことは悲しい。でも、そのことで大都会に住む必要がないことを痛感。そんなことでもないと多分、死ぬまで都会で暮らしていただろう。そのことで、いろんなことを発見する。多くのメリット。少しばかりのマイナス。知らなかったこと。あれこれ感じている。

「で、どこに住んでいるの?」と質問はしないように、敵も多いし、答えるつもりはない。あと、これはもう、かなり前の話。お誕生日とか、引っ越しましたとか、は記事にしないが、567とダブるので今回初めて記事にした。この後、小さな問題が発覚。それが大きなプラスに結びつく話を紹介する。続きはまた。



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ある事件で知った「時代は変わる」ということ②=大きなチャンスから奈落の底へ? [日本人の問題]

ある事件で知った「時代は変わる」ということ②=大きなチャンスから奈落の底へ?

アメリカ留学から帰国後。1990年代。僕は新宿まで歩いて30分の街に住んでいた。と言っても決して都会ではない。高層ビルもない。よくある駅前商店街がある街。家賃もさほど高くない。新宿での飲み会で終電を逃しても歩いて帰れる。先輩から連絡を貰えば、すぐに会社に駆け付けられる。歌舞伎町の映画館街にも歩いて行ける。オールナイトもOK。そんな街に住んでいた。

帰国から5年で脚本家デビュー。7年で監督デビュー。だが、映画監督になるのは15年かかった。そこからが本当の戦いで16年間、ノンストップ。決して恵まれた仕事ばかりではない。僕をよく知るスタッフは「太田監督は毎回、死闘ですからね?」と言う。それでも続けて映画を撮ることができた。

ある時、依頼されていた映画。これまでで最高額の製作費が出る。出来が良ければ毎年とってほしいとも言われた。そのためにアパートを引っ越し。というのも、僕の映画は既成の製作会社を入れない。多額の手数料を抜くから。スタッフルームも借りない。レンタル料がかかる。だから、スタッフとの打ち合わせは、喫茶店やファミレス。これで経費削減。でも、次はでかい作品なので、部屋で会議ができるくらいのアパートに変わった。と言っても6人くらいの会議だけど。喫茶店[喫茶店]?代節約?

また、これまでの映画の資料が膨大にあるので書庫を作らないと、倉庫に住んでいるような状態。編集室も作りたかった。毎回編集は3ヶ月以上かかる。機材を置き、データを並べ、いちいち片付けて、そのテーブルで飯を食わずに済む、専用スペースが欲しかった。大きな作品で監督料もドカンと入るし、広いへやに引っ越しだ。費用も抑えられるよう近所で探して移った。

が、その依頼された映画がキャンセル。衝撃!!! 1年以上もスケジュールを開けている。急に他の仕事はできない。特に監督業は「では、他の作品!」とは行かない。新しい部屋の家賃は高額。払う当てもない。バイトで払える額じゃない!目の前真っ暗。どーすりゃいいの?

ただ、その会社にも事情があり、どうしても映画製作ができなくなったという。それを丁寧に説明され、キャンセル料も出してくれた。この種の事件。多くの会社や団体は投げ出したまま説明もなく、逃げ回ることが多い。悪質なところが多いのだが、その会社は筋をとおしてくれたし、事情も理解できるものだった。幸い、スタッフやキャストも集めていない段階。

問題はアパート。2DKの広い部屋。新宿まで歩いて30分。家賃はそれなりだ。それ以前に収入が完全にない。どーすればいい? また引っ越すか? あれこれ考えていて、この20年考えたことのなかった現実に、気づくことになる。そう「時代は変わる」日本の価値観は劇的に変化していたのだ。

続く


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ある事件で知った「時代は変わる」ということ①=新宿まで歩いて30分のアパートに住んだ頃 [日本人の問題]

ある事件で知った「時代は変わる」ということ①=新宿まで歩いて30分のアパートに住んだ頃

あまりプライベートなことは書かないが、そこから大切なことが見えてくることがある。そんな1つ。数年前、かなり前だが、引っ越しをした。アメリカから帰国してから数回越しているのだが、一番大きなものとなった。

それまでは新宿まで歩いて30分ほどで行ける場所に住んでいた。と書くと知らない人は大都会のように思えるが、西新宿から中野区方面は私鉄沿線の駅によくある小さな街があり、都会というより、商店街があるよくあるタイプの地域。電車だと2、3駅で新宿。歩いても30分という距離なのだ。

帰国時にいろいろ考えた。すぐに監督業を始められるものじゃない。それまでアルバイトをしながら生活する。新宿ならバイトできる店もたくさんある。また、業界の友人(すでに映画の仕事をする者が何人もいた)と飲み会をするのも新宿。真夜中まで飲み明かしてタクシーで帰るのに、遠い街だと大変な出費。それなら歩いて帰れる距離に住んだ方がいい。と考えたのだ。

また、新宿は映画館がたくさんある。新宿プラザ、ミラノのような大スクリーンの劇場もある。紀伊國屋、タワーレコード。その辺には頻繁に行くのに遠くに住むと交通費だけでも大変。調べてみると新宿からある程度離れると家賃は安くなるが、調布や八王子という大きな街に近づくと高くなる。だから、多くの友人は新宿からさほど遠くなく、それでいて大きな街まで行かない距離に住んでいた。

が、先の映画館に通う。紀伊國屋に行く。というために交通費と時間を使うことにはなる。調べると、新宿区の家賃は高いが、歩いて30分の距離だと安い物件もある。もちろん狭いアパートだが、交通費、時間。そして深夜まで飲んでも歩いて帰れる。また、業界の先輩から急に電話があり「今から来れる?」といわれて対応できることも大事。

都会から遠くの安いアパートに住んでも、新宿に出るのに時間を取られる、交通費がかかる。深夜まで飲めない。月に1度タクシーを使えば安アパートの意味がなくなる。あれこれ考えて、歩いて帰れる30分の距離にアパートを探した。

そうやって東京生活が始まる。新宿の居酒屋で皿洗いのアルバイト。昼はレンタルビデオの店員。バイトを終えてからシナリオ執筆。そうやって映画監督を目指す人生がスタートした。アパートは何度か変わったが、先の定義は毎回守り、新宿まで30分の場所にした。それがまさに正解で、先輩たちから「今から来れる?手伝ってほしいことがある」連絡を受けて駆けつけ、業界の仕事をもらったことが何度かあった。

そして、ある電話「今から30分くらいで来れるなら頼みたい仕事がある」と言われ現場に駆けつけた。ら「お前、ピザ屋みたいだな!」と言われた。15分くらいで着いた。たまたま、アパートに近いスタジオだったのだが、やはり新宿に近いとそんな施設もたくさんある。そのピザ屋の仕事。いや、先輩からの連絡がきっかけで、あれこれあって監督デビューすることになる。

しかし、そんな便利な場所にあるアパートにも問題が出て来る。にも関わらず、忙しさの中。それに気づかずに過ごしていた。大きな危機が訪れ、八方塞がりになるまで分からない。時代の推移。新しい時代になることで古い価値観に意味がなくなり、様々なものの意味が違って来たのだ。当時、僕はもう映画監督して多忙な年月を送っており、それに全く気づかなかった。だが、絶体絶命の危機で、時代が変わったことを知ることになる。続きはまたいずれ。



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日本人はなぜ、自分が嫌いな政治家を支持する人を批判、攻撃するのか? [日本人の問題]

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日本人はなぜ、自分が嫌いな政治家を支持する人を批判、攻撃するのか?

商売柄。いろんな政治家に興味を持ち分析する。特に嫌われている人には関心がある。小池百合子、石破茂、安倍晋三、菅義偉、あれこれ調べて分析記事を書くと「お前、小池なんて応援するのか!」というコメントが来る。記事を読めば応援していないことはすぐ分かる。読んでいない。アップしたその政治家の写真だけを見て判断するようだ。

あるいは、嫌われ政治家の知られざる一面を紹介しただけでも「そんな人を支持しているのですか!失望しました。もう、監督の映画は見ません!」というコメントも来た。要は嫌われ者に対しては全否定しないと、日頃の怒りに火がつき、攻撃されてしまうのだろう。嫌いな人の写真や名前があるだけで感情的になり、記事を読まずに批判。読んでも冷静に読めていないことが多い。

寅記事を書いた時も「陰謀論者!」「差別主義者を応援か!」と感情的なコメントが限りになく来た。読めば分かるが、「寅支持!頑張れ」なんて一度も書いてない。あれこれ謎を解明し、彼が本当にアメリカのために戦っているのか?を検証する記事を書いているのだが、決めつけと誹謗中傷が絶えなかった。

興味深いのは、その種の人たちは反安倍、反自民、原発反対が多いのだが、難癖つけて、本質を考えようともせず、攻撃してくるのはネトウヨそっくり。もちろん、彼らはネトウヨを嫌っている。なのに、同じことをしている。まさにネトサヨ。その背景にあるのは何か?あれこれ考えた。

床屋さんで聞いた話だが、床屋で「政治」と「宗教」の話はタブーだという。冗談でも「安倍、早く辞めて欲しいなあ」となんて言って、お客が安倍支持者だと激怒して、2度と店に来てくれなくなることもある。僕の周りでは宗教団体は笑いのネタになるが、床屋ではそれもタブー。団体から店自体にクレームが来るかもしれない恐怖もある。

アメリカでは普通に政治の話をする。「俺は民主支持だ。私は共和党だ」と、でも、日本人はそんなオープンに話さない。そこには先のネトサヨと同じように、嫌いな政治家を支持すると、憎しみをぶつけられるという不安があるのだろう。どうも日本人は支持政党や支持者が違うだけで(宗教も同様に)その人を全否定してしまうところがある。

多くの価値観があるのに、支持政党だけで友達関係終わり!という極端な人が少なからずいる。その原因を探るとまた長くなるので、今回はそんなところが日本人にはあるという結論にしたい。その発想はとても危険であり、アホだと思う。調べたことがあるが「小沢一郎が嫌い」という人で、「小沢がどんな酷いことをしたか?」言える人と会ったことがない。

また、「石破」というと「嫌い」「軍事オタク」「戦争好き」という典型的な答えが必ず返ってくる。が、それ以上のことを知らない。要は「**嫌い」という人たちはよく知らないのに、世間で言われるイメージで嫌っているだけなのだ。その世間で言われるイメージは、その政治家たちと敵対する勢力やマスコミが流したデマや誇張であることが多い。それに乗せられている。

そもそも、政治家を「好き」「嫌い」で判断してどうする? AKBの選挙ではない。有能か?無能か? **分野では功績あり。**は苦手と具体的に判断することが大事では? 好き嫌いーそんな低いレベルでしか政治家、政治を見ない日本人がとても多いということだ。だから、嫌われている政治家がいると調べたくなる。本当に問題あるのか?有能だから敵にイメージダウン攻撃を受けているのか?知りたくなる。

我が身を振り返っても感じること。僕が唯一、公言している支持政党はれいわ新選組。監督作「朝日のあたる家」の出演者である山本太郎のことはよく知っているし、信頼できる存在だからだ。彼が選挙に出れば必ず応援する。そのれいわ支持者であれこれ僕を誹謗中傷してくる人がいる。デマを吹聴する人もいる。だからと言ってれいわを嫌いにはならない。

れいわ支持者には熱い思いの人が多いが、とんでもないバカもいる。太郎さんに近づくことで自分も有名になろうという野心家も目に付く。また純粋で真っ直ぐな支持者だけではダメ。おかしな支持者もいるというのは、れいわ支持者が広がったという証明でもある。大事なこと。話を戻す。つまり、この政治家を支持しているからOK!とはいえない。さらに太郎さんを批判する人が、僕を応援してくれたりというのもある。支持者や支持政党で人を判断してはいけない。

安倍支持でも、他のことに関しては冷静な判断をする人もいる。ま、単なるネトウヨの方が多いが。政党、政治家だけでその人を判断するのは危険。その発想が分断を生み、日本人が政治の話をしない背景になっている。「誰を支持するか?」は「和食が好きか? 洋食が好きか?」レベルの問題だ。「中華が好きだと?それでも日本人か!」なんて怒る人はいない。それと同じ。別問題。分けて考えるべきなのだ。



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意味不明のコメントがよく来る=良い大学出てるのに表現力がない日本人? [日本人の問題]

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意味不明のコメントがよく来る=良い大学出てるのに表現力がない日本人?

いつも多くの「友達」がコメントをくれ、感謝。あれこれ批判や誹謗中傷を書き込む「困ったちゃん」もいなくなり(みな、追放!)朝、FBを見て「血圧が危険値!」と言うこともなくなり、ありがたい。

ただ、コメント見ていると、何が言いたいか?分からない人が若干いる。悪意はなく、批判でもない。何を伝えようとしているのだが、意味不明。そんな方のプロフィールを覗く。大学もそこそこのところ。仕事も大手企業。そこだけで判断するのも何だが、まとも以上の背景がある。

そんな人のコメント。何が問題なのか?分析。主語と目的語が分からない。日本語では主語が省略されがちだが、それは想像がつく場合であり、伝わらないのなら書き込む必要がある。なのに、ない!「私」なのか? 「あなた」なのか? それとも記事であげた菅首相なのか? 分からない。

例えば「許せない!」とコメント。それは記事を書いた私に言っているのか? 記事内で私が批判した菅なのか? 記事に書かれた「癒着の話」なのか? もし、僕に対して「許せない」なら大きなお世話だ。批判はいらないといつもお願いしている。

菅が許せないなら分かる。が、どこが許せないか?具体的に書くべき。「許せない。*****」という短いコメントだと便所の落書きと同じ。また、不満や怒りをわざわざ書き込んでくれなくていい。

ただ、その人は何かを伝えたいのだろう。なのに、自分の思いを整理して言葉にできておらず。僕だけでなく他の「友達」も意味不明で終わる。嫌がらせや悪口ではないのに、意図が伝わらず残念。なぜ、そうなってしまうのか?

一つには学校教育。日本では自分の思いを言葉にして相手に伝えると言う練習をしない。小中学校では感想文を書いたりするが、僕の場合。高校時代はなかった。漢字やことわざは教えても、表現力を鍛える授業はない。いつも書くがアメリカのようなディベートのクラスもない。だから、話しても、書いても、自分の思いを伝えるのが日本人は非常に下手なのだ。

さらに、表現が苦手なだけでなく、考える力も育てないから、「自分なりの考え」と言うものがない。事実、電車の中で話を聞いているとサラリーマンから女子高生。主婦まで、ほとんどが「事実」を伝えているだけだ。「昨日、こんなことがあって」とか「あの番組見た?」「***が不倫だって」全部、事実。自分の思い、考えは「タレントの***ってほんとバカだよな」というもの。「バカ」が本人の意見なのだ。

主婦の話を聞いていても「誰々さんが何をした。***が値段が高くても困る。***社の給料はいい」とか全部事実の伝達。意見の部分は最後に「怖いわね」「それいいね」「気をつけないとね」と言う言葉のみ。テレビで聞いた話を鵜呑みにして伝える。体験したことを伝える。それに対する意見、分析はない。そこそこの大学を出ても、大手企業で働いていても大差ない。中学生の会話レベルなのだ。

その原因は教育現場で「考える力」を育てない。表現の練習もしない。書く話すディベート。何もしない。だから、普通に日本の教育を受けていると、そんな風になる。その意味で僕のFB友達には自分の言葉で意見をコメントする人が多い。むしろ、それらが普通なのだ。意味不明なことを書く人こそ、一般的な日本人なのだろう。

江戸時代に農民は読み書きを学ばなかった。変に知識をつけられては支配層が困るから。もしかしたら、今も同様かもしれない。「菅、最悪だな」とは言えるが、菅の何が問題で、どうすれば解決することができるのか?考えない。

考えない上に「政治に失望した」と投票にも行かない。全て彼らの思惑通りなのではないか? 「安倍はダメだ」「菅もダメだ」「自民はダメだ」そんなことを百回言っても意味はない。では、どうすれば自民を倒せるか?を考えるべき。なのに「枝野もダメだ」「山本太郎も期待できない」とか否定ばかり。そんな不満をFBにコメント。その背景にあるのは「考える力」がない、表現力がないから。その教育をしないのも支配者側の思惑なのではないか?

学校で教えてくれなくても自分で考えて、表現すればいい。コメント欄に思いを綴ればいい。伝わらない人の特徴は、伝わっていないことに気付いていない。言葉が少ない。それは何度もいう便所の落書き。主語や目的語を入れよう。書いていると表現力は向上する。そこから何かが始まるのではないか?


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FBのコメントから見えくるもの=時代についていけない日本人。 [日本人の問題]

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FBのコメントから見えくるもの=時代についていけない日本人。

僕のFB友達はレベルが高い。といつも書く。が、レベルはコメントを読むことで分かる。ということはコメントを頻繁にくれる常連さんが中心となる。だから、その他の人たちがどうなのか?は正直にいうと分からない。FBの機能では「いいね」や「シェア」をしないと、その人の記事が流れて来なくなる。まあ、全員のが流れてくると、物凄い数になるので大変だが、FB社はそんな嫌らしいシステムにしている。

見たこともないアイコンの人が突然にコメントしてくることがある。常連ではない。見たこともない。かなり昔に「承認」した友達だろう。単なる映画好きの人で、「おー映画監督!」と申請してくれたかもしれない。その種の場合、ごく一般の人であることが多く、常連さんのように、567や枠てんの真相。寅事件解明に情熱を燃やすタイプではない。また最近の僕の記事も読んでいない。

そして、その種の人のコメントはたいてい的外れ。理由は何だろう?誤解のないように説明せねばならないが、僕は映画屋であり、昔はライターもやっていた。世間や時代を把握せねば仕事ができない。また、性格的に仕事でなくても原発や安倍政権。ウイルスや枠てんには興味を持つ。「裏があるのでは?」と疑う。趣味が「謎解き」のようなもの。

対して会社員とか主婦とか、生活のために仕事をする人。会社でも嫌なことがある。ご近所さんとトラブルがある。子供の教育。夫婦関係。不況の日本。寅問題や原発に興味を持つ余裕がない人たちも多い。仕事で忙しい。テレビは見る。新聞は読む。でも、ネットでマイナーな情報は探さない。そうなると完全に企業や政府に誘導された状態。枠てん接種のお知らせが来れば、疑わずに受けてしまう。「だって、コロナは怖いから」と思っている。

多分、そういう人たちが日本のマジョリティなのだろう。それでも一部の人たちは、YouTubeで新しい情報を取り込む。「スピン」という言葉を覚える。政治的に発表できない。あるいは発表しても注目されたくない時に、別の大きな事件をあえて報道してかき消してしまう作戦。芸能人が覚醒剤で逮捕。というのがそれに使われがち。警察や検察を使い。以前から狙っていた芸能人をその時期に逮捕させる。それは本当のことだが、ある人がこんなコメントをくれた。

「カルロスゴーンが逮捕された。これはスピンに違いない。他に重要な事件が起こっているのだ」

それは違う。芸能人と違いゴーンのような大物は簡単に逮捕できない。その背景も以前に記事したが、スピンの解釈が間違っている。こんなのもあった。都議会選の時にFBが「オリンピックに反対する候補」を応援するアカウントのシェアをできないようにした。それは言論封殺だ!と記事にしたら、「僕もシェアできない」「私も」というコメントが多数届いた。こんなコメントもあった。

「どこの誰がシェアを止めているのか? どこで作業しているのか?」

いやいや、どちらも問題ではない。シェアを止めているのはFB社。どこで作業ーサーバーを操作できるところ。考えれば分かる。問題は誰がFB社に指示したのか? である。これが「朝日新聞社で爆弾騒ぎがありました」なら、「誰がやったんだ?」「どこの支社で起きたんだ?」は意味がある。先のスピンと合わせて、現代の事象、環境がよく分からない人が多いということだろう。人のことは言えない。次々と新しいテクノロジーが登場。僕も使いこなせないでいる。社会構造も変化が激しく、50代を超えると頭がパンクしそうだ。

ただ、困るのはその種の的外れコメントに限って、上から目線で「お前は気付いていないので教えてやるが」的な文体で書き込んでくることが多い。あまり外れているのは削除する。他の人が読んで「そうか!」と思うのも困るので。新しい価値観や環境を理解しないで、昔の発想や観点で物事を見ても真実には辿り着けないということ。そんなこともFBのコメント見ていて感じる。


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祈ります?! [日本人の問題]



いくら仏や神に祈っても、

戦争も原発

オリンピックさえも止められない。

「祈ります」by. A夫人。

だからー意味ないってー


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