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日米比較③ LAの銀行は5時まで営業。ATMは24時間無料。=日本人は自国の不自由さに気づかない?(山本太郎発言を考える) [れいわ新選組応援]

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日米比較③ LAの銀行は5時まで営業。ATMは24時間無料。=日本人は自国の不自由さに気づかない?(山本太郎発言を考える)

山本太郎発言で思い出し、書いたLA時代の話が好評なので、もう1本書いてみる。LAに住んでみて驚いたのはアパートの設備や安さ、車を持つことの気軽さ。そうそう、ガソリンも日本より割安というのもある。高速は無料だし、東京にいるとかかるいろんな費用がいらないこと前回書いた。(最後のその記事のアドレスあり)今回は銀行だ。

日本の銀行は午前10時から

午後3時まで営業。僕が子供の頃からそうなので、当たり前だと思っていた。「郵便局は5時までなのに、なぜ、銀行は3時?」と考えることはなかった。また、当時、日本のATMは24時間ではなく、午後7時まで。5時を過ぎると100円の手数料を取られた。文句を言いながらもそれが銀行だと思っていた。

でも、LAの銀行は午後5時まで営業している。

そしてATMは24時間。365日。手数料は一切取られない。アメリカ人に聞くとこう言われた。

「なんで自分の金を引き出すのに手数料が要るの? おかしいじゃない? 俺の金なんだから、銀行に預けてあげてんだから、出したいときに出せるのは当然。それを時間で制限したり、手数料とったりなんておかしい!」

確かにその通り。今まで当たり前だと思えていた日本の銀行だが、アメリカと比べると、いかに銀行側の都合で営業しているか?に気づいた。なぜ、日本の銀行は3時で閉めるのか? 公務員だって5時まで仕事。多くの人は深夜遅くまで。今でこそ24時間ATMがあるが1980年代前半は7時を過ぎるとATMさえ使えなかったのだ。

当時、僕はすでに映像の仕事をしており、

早朝から深夜まで撮影。銀行に行く時間がなく現金を引き降ろすことができない日々が続いた。銀行には金があるのに先輩から借りて生活していたこともある。公共料金の支払いも今のようにコンビニでは払えず、銀行か郵便局。3時か5時で終わりなので、支払いができず、何度も電話を止められた。

そんな不便なことがまかり通ったのは背景がある。結婚していれば夫は会社で働き、金の出し入れ、支払いは自宅で家事をする妻が行う。だから営業終了が3時や5時でも問題ない。それが日本人の典型であり、独身の僕など、とても困るのだが、世間的には銀行を批判せず「だったら結婚すればいい」という考え。夫がしっかり働き、妻が支えるというのが国の方針だったのだ。

戦後はそれでよかったかもしれないが、

80年代頃から晩婚化。市民の生活スタイルは大きく変わった。が、銀行や郵便局は相変わらず古い体制を続ける。対して、アメリカの銀行は当時から5時まで。ATMは24時間ー無料。市民のための環境ができていた。いかに日本は役所、企業の都合が優先されるか?を痛感した。

ちなみに、当時のアメリカでの公共料金支払いは、パーソナルチェック(小切手=銀行に口座があれば誰も発行してもらえる)に金額を書き込んで、電話会社、電力会社、水道会社に郵送するだけ。銀行や郵便局に行かなくてもOK。これも便利。1980年代の話だが、この時代から日本は市民が不自由をし無理をしているのに、企業や役所は市民目線で対応せず。古い体制を維持。それを政府が守ってていたということだ。だから、今でも銀行は3時で閉まる。

「でも、コンビニで24時間降ろせるから今は大丈夫だよ〜」

という友人もいるが、毎回108円の手数料を取られる。アメリカは今でも24時間無料で引き出しができる。日本人はそんな理不尽や不自由をいつしか「当たり前」と思うようになり、企業が保護、優先され、市民が様々な搾取をされていることに気づいていない。庶民の負担の上に企業が栄華を誇るのは今に始まった事ではないのだ。「れいわ新選組」に変えてもらわなければ!

自己責任ではない=> https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2019-08-18-9

アパートと車=>https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2019-08-19


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日米比較② 割安LA生活VS貧乏な東京生活? なぜ、日本では必要のない高い支出をせねばならない?=(山本太郎発言を検証する) [れいわ新選組応援]

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LA生活が東京より快適なのはなぜ? なぜ、日本では必要のない高い支出をせねばならない?=(山本太郎発言を検証する)

アメリカと日本の比較記事。

大好評で400「いいね」超え。山本太郎さんが「貧しいのは自己責任ではない。政府が悪いんですよ」と街頭演説で言ったのを思い出して書いた。

「アメリカは広いから家賃も安いんだよ〜」

と納得しがちだが、それはいろんな理由の1つにしか過ぎない。今回はその辺を説明する。LAでは中流階級はプール付きの一戸建てに住んでいる。大学生でもプール付きのアパートに住んでいることは前回書いた。入居するのに保証人は要らない。学生であると証明するファームがあればOK。礼金も要らない。

アパート探しは不動産屋ではなく、アパートで「For Rent」と言うプラカードが出ているところを探し、そこのマネージャーに部屋を見せてもらう。気に入れば即入居。敷金のようなもの(部屋代の何十%)を払えば、その月からの部屋代を払うだけ。ちなみに僕はUSC(南カルフォルニア大学)に通っていたので、大学とハリウッドとの間にある地区のアパートに住んでいた。

電気代、駐車場代は込み。

ランドリー、プール、ジム。ビリヤードもあった。パーティ用の広いラウンジもある。友人と2人でシェアして借りていたが、1人分の負担は東京のワンルームマンションと同じくらい。部屋は1ベッドルーム、ダイニング、キッチン。バストイレ。家具付き。(ベッドや本棚。ソフアが4つ)冷暖房完備。冷蔵庫もダイニング・テーブルも付いている。

電気代を払うアパートに住んだこともあるが、水道、ガス合わせても日本よりずっと安い。と言うか日本の電力会社が総括原価方式という悪名高い方法で、必要以上の利益を加算しているので異常に高いのだ。多くのアパートは電気代こみなので、大学生は夏にエアコン付けっ放しで外出する。

アパートは2年毎の更新料もない。

引っ越すときは私物を運ぶだけ。引越しセンターに頼まず、自分の車で何回か往復すれば十分。ほとんどが家具付きアパート。

車検はない。日本車は優秀なのになぜ、日本では車検が必要なのか? アメリカ車はすぐ故障するのに車検はない。中古車も業者ではなく、個人売買が多い。マーケット等に「For Sele」と書かれた張り紙があり、その連絡先に電話。車を見せてもらい、気に入れば買う。かなり安く車が手に入る。例えば休日にビーチに遊びに行く。高速道路はフリーウェイと呼ばれ、名前通りに無料。サンタモニカビーチ等有名なところは駐車料金が必要だが、少し離れれば公営の安いパーキングがある。

つまり、LAはお金をあまりかけずに住むことが出来て、レジャーも格安で住む。ただ、レストラン等の人が作った料理は高め。人件費が高いからだ。でも、これは働く人たちの賃金。今、日本のレストラン等が安いのは、皆が安い賃金で長時間労働をして、料理の値段を下げているから。逆にLAでは調理されていないものは安い。肉、野菜、果物。僕が住んでいた頃より、いろんな値段は上がっているが、食材に関しては今も日本より安い。

酒類も日本より安い。

バドワイザーは1ドル前後。100円くらい。発泡酒ではない。アメリカで一番人気のビール。他も同じ。こう考えていくと、日本は都会で住むと住居、電気、高速道路、駐車場、更新料、礼金、車検と、LAでは必要のない支払いがある。日本のビールは高い税金がかかっている。高速道路は完成時に「いずれ無料」と謳ったいた。なぜ、LAは最初から無料なのに、日本は未だに有料。それも値上げが止まらない。

つまり、いろんな会社、外郭団体が、政府に守られ、本来取らなくてもいい利益を取っているということ。そのために日本人は必要のない出資を強いられる。貧しくなるのは当然。想像しよう。礼金、更新料は要らない。車検はなし。高速料金はタダ。電気料金は安い。部屋代も安い。ビールは100円。どれだけ今の生活が楽になるか?ここからも、日本政府の方針が既得権益を優遇、庶民から金を吸い上げていることが分かる。山本太郎が指摘したのも、これと同じことだ。

前回の記事読んでない方は=> https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2019-08-18-9



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日米比較① 日本人が貧しいのは自己責任ではない!=LAと東京を比べてみた(山本太郎発言も検証) [れいわ新選組応援]

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日本人が貧しいのは自己責任ではない!=LAと東京を比べてみた

今の日本。東京で餓死する家族、

貧困に苦しむ家族がある。車も買えない。家も買えない。若い人は夢も希望も持ていないという。そう考えていて、LA留学時代に聞いた話を思い出した。お世話になっていた日系2世のおじさん。こう話してくれた。

「大きな声では言えないけど、日本人は優秀なんだよ。特に優秀でなくても、普通の日本人なら、アメリカでそれなりの成功できる。大きな家に住んで、車も持てる。日本人は真面目だし、勤勉だ。普通に働くだけで金持ちになれる。アメリカ人には真似できないんだよ」

確かにそうだ。当時のダウンタウンに行くと、もの凄い数の浮浪者がいた。立ち止まると寄ってきて「Give me a quarter?」と25セント硬貨をねだってきた。服はボロボロ。顔は汚れていて、凄い匂いがする。だが、そんな浮浪者の中に日本人はいない。日本人どころか、中国人も、韓国人もいない。白人と黒人だけだ。だから日系のおじさんはこう言った。

「大きな声で言えないけど」

「アメリカ人は怠け者だ」という意味に取られるといけないから。でも、普通の日本人が普通に働けば金持ちになれる。それは本当だ。実際、LAで働く日本人の友人は1年で高級マンションを購入。別の知人夫婦はプール付きの家に住んでいた。当時は「アメリカだからね!」と思っていた。が、やはり日本人は有能でよく働く。それを正当に評価すれば、それだけの見返りがある。それなりの裕福な生活ができて当然なのだ。

対して日本はどうか? 

真面目に働く日本人が多い。なのに、狭いアパートに住み、車も買えず、プール付きの家など夢のまた夢。アメリカ人より遅くまで働き、休日返上の人も多い。それで生活が苦しい。最近は自己責任と言われる。

「デモしている暇があれば働いて税金納めろ」

と暴言を吐く人もいる。そんな時、山本太郎がこう言った。

「貧しいのを自己責任という人がいる。違うでしょう? 国が悪いんですよ。政策が悪いんです!」

その通りなのだ。なぜ、同じ日本人が働いて、日米で大きな差が開くのか? それは日本にいる日本人が国や企業に搾取されているから。高い税金、高い消費税、高い家賃、安い月給。そして国は集めた税金を海外でばら撒き。アメリカに貢ぐ。会社は儲けても賃金に反映させず内部留保。だから、国民に回ってこないのだ。それは自己責任ではない。政府が悪い。そのために国民が苦しんでいる。

LAではプール付きの家

に住むのが中産階級。車は誰でも持っている。日本のテレビ番組では超金持ちと超貧しいアメリカ人しか紹介しないから分からないが、中流でもかなりな金持ち。僕もLA時代はプール付きのアパートに住んでいた。ランドリー、サウナやジムまで付いている(電気代、駐車料金はコミ)。当時の東京のアパートでいうと、風呂付きワンルームくらいの家賃だ。これも山本太郎が指摘していたが「日本は家賃が高すぎる」その通りだ。

契約するだけで敷金、礼金、と3ヶ月分くらい取られる。更新でまた1ヶ月分。LAではデポジット(敷金のようなものー1ヶ月分の家賃の何%か)のみで入居できる。駐車場も無料。それを思いうと、普通の日本人が普通に働けば金持ちなれるLAと、どんなに長時間働いても貯金もできない日本。これは個人の責任ではなく、政府に問題があること。ハッキリする。

そう。あなたが今、真面目に働いていれば、それなりの生活ができるのが当然。それなりの部屋に住み、貯金もできる。あなたは悪くない!それができないのは、必要以上に金を取られ、それを政府が別のことに使っているからだ。だから日本人は貧しい。山本太郎の指摘は正しい。



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僕がブログ記事を書くようになった理由?③ 今は「本質を見つめる」大切を伝えること? [my opinion]

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僕がブログ記事を書くようになった理由?③ 今は「本質を見つめる」大切を伝えること?

その後、記事は読んでもらうと言うより、自身が疑問に思うこと。関心を持ったことを記事にした。少し前で言うと「アッキード事件」「日航123便墜落事件」「トランプ大統領」もっと前だと「イスラム国事件」。さらに「村社会ルール」についても何回も記事を書いた。地方ロケの時に感じた違和感を考えていくと、そこに突き当たった。それを様々なケースで解明。地方だけでなく今も日本人を縛る古いしきたりであることを感じた。

「境界性パーソナリティ障害」

についてもかなり書いた。この病気(正確には病気ではないが)のことまるで知らなくて、トラブルに巻き込まれたことで興味を持った。以前から精神病には関心があり、双極性障害や統合失調症は勉強していたが、まだまだ知らないことあると痛感。

タイトルを並べてみると、普通の人は興味を持たないものが多い。「イスラム国」研究は後藤健二さんが処刑された頃であり「そんな記事を読みたくもない!」とあの時も読みもせずに批判する人が多かったが、追求していくと、テレビでは報じられない事実も見えてきた。

そんな延長線で先日は「N国」

(イスラム国の延長でN国はゴロがいい?)を取り上げたら、久々に辛辣な批判や誹謗中傷が来た。毎回、告知しているのに「私は賛同しません!」と何度も書き込む人とか。どうも、N国支持の記事だと思われたようだ。それなら「イスラム国」記事はイスラム国支持になるのか? 「アッキード事件」は昭恵夫人支持か? 以前もそうだが、イスラム国時もそうだが、批判をしてくる人のほとんどは記事をしっかり読んでいない。

イスラム国だって、

アメリカを攻撃するテロ組織だと思っていたら、実はそのアメリカが、ヒラリーとオバマが作った組織であることが今ではバレている。その辺から、いかに人は、特に日本人は騙されているか? 誘導されているか? 思想コントロールされているか?に興味を持った。

「ドキュメンタリー沖縄戦」

では戦時中の皇民化教育の凄まじさを痛感した。が、似たようなことは今も行われている。原発安全神話もCMによる洗脳。現代の教育も同じ。これは何度も詳しく書いた。そのことに気づいていない人が物凄い数いる。山本太郎がれいわを通じて指摘しているのも同じ。知らないところで搾取されていると言うことだ。その参議院選からかなり「友達」が増え、そろそろ上限だ。なので、いかに日本人はフェイクニュースとデマ。思想コントロールにかかっているか?を伝えたいと思った。それでちょっとヤバいものを続けて紹介した。

「新聞記者」がフェイク映画であること

は意外に拒否感がなかった。が、「N国」は一部の人たちから批判。でも、ほとんどがいつも読んでくれている人たちではなかった。その人たちこそ「思い込み」で決めつけず、いろんな角度から物事を見ることの大切さを伝えなければならない層なのだろう。

まあ、あまりに繰り返し無神経なコメントを書いてくると削除せざるを得ないが、むしろ今後も僕の記事を読んで「本質を見ること」に気づいて欲しい。題材がムカつくものでも、その本質を考え、多角的に見つめる記事を書いている。特に今は時代の変わり目。価値観が急激に変わっている。過去の価値観で物事を判断してはいけない。


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僕がブログ記事を書くようになった理由?②ルール作り? [my opinion]

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僕がブログ記事を書くようになった理由?②ルール作り?

やがて、ブログだけでなくFacebookでも記事をアップするようになった。「友達」がどんどん増えた。が、「友達」が2000人を超えたあたりから、会ったこともないのに馴れ馴れしいコメントをする人。「映画の上映は何時からですか?」みたいなことまで聞いてくる。自分で調べろ!という世界。また、「女優の***さんは本当に性格悪いんですか?」とか、なんでそんなことをあんたに教えにゃならん?Facebook友達になると、本物の友達になったと勘違いする連中も多かった。ある友人に言われた。

「無名監督でも知り合えば、あれこれ聞きたくなるさ!」

 しかし、その後も次々にトラブルが起こった。

「会ってください」「シナリオを送るので読んでください」「映画に出してください」「曲作ったので映画に使ってください」

等の連絡が何度来た。それでなくても映画が始まると数年間、やすみなしなのに、返事しないと

「失望しました!」

「監督なら絶対に会ってくれると信じていたのに!」

とか、勝手に信頼して勝手に失望される。そしてネットで誹謗中傷を書きまくる。「友達」たちに悪口をコメントして回る。

ただ、無神経な人ばかりではない。真剣に応援してくれている人もいる。記事を楽しみにしてくれている方も多い。そして本物の悪人ではなく、思い込みが激しくて勘違いをする人もいる。あれこれ考えて、僕にも原因があることに気づいた。質問に受け応えをすることで親近感を感じ、本物の友達と勘違い。だから、あれこれ質問、頼みごとをしてくる。そこで質問には一切答えない。返事もしないというルールを決めた。

記事を読んで感想をコメントするのはいい。でも、質問はなし。議論もしない。誹謗中傷や批判はなし。読んで「なるほど」と思ったり「それは違うと思うな」と感じたりしてくれればいい。

「私はそう思いません!」「お前、何もわかってないな!」

はなし。それは自分のFacebookで書いてもらう。また、その手の反論、批判で「なるほど、それは気づかなかったなあ」というのは一度もない。そもそも僕の記事を理解していない。誤解している。批判になっていないということばかり。

また、その種の批判が入ると、他の「友達」も不快な思いをする。上から目線で「あんた誰?」というコメントを読むのはうんざりだ。なので、復活してから数週間に一度、そのことを告知するようにした。

「質問には答えない」「批判はいらない」「反論は自分のFacebookで」

「友達」激減か!と思ったが、ほとんどの人は理解。その種のコメントは無くなり、「友達」はさらに増えた。でも、上から目線で書いてくる奴がいたら、警告なしに友達削除。少し前には山本太郎さんを皮肉るコメントを続けて書き込んだ人がいたが、僕が太郎さんを応援しているのは分かるはず。それはもう嫌がらせ。友達削除させてもらった。

もともと多くの人と交流したい。同じ趣味の人と語り合いたいという思いはない。そして議論に意味はないと考える。押し付けることもないし、押し付けられるのも好きではない。僕の意見に賛同するもよし、違うと思ってもいい。いちいち「賛同できません」と言ってくる必要はない。

そんな告知をするようになってからトラブルは激減。現在、友達は4961人。多くの方が毎日、読んでくれている。が、最近は気になることがある。続きは次回。


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僕がブログ記事を書くようになった理由?① [my opinion]

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僕がブログ記事を書くようになった理由?

ある「友達」から連絡を頂いた。「アーティストらしく、さまさまな事を、自分の中で完璧に納得しようといつも細かく考えておられると思ったからです」私信なので短い引用にしたいが、書いた記事に対して、いろんな人から批判を受けたりもするだろう。との心使いでもあった。で、なんで僕がブログをするようになったか?について書いてみる。

そもそもは僕が監督する映画。

企画時から、脚本、キャスティング、撮影、編集、宣伝、公開までを監督日記として綴っていた。ひとつには記録として残したいこと。また、映画の舞台裏は本当にいろんなことがある。いろんな人たちの支援と協力があって完成する。が、それは表に出ない。それを映画日記として紹介することで、彼ら彼女らの活躍も伝えられる。そして、映画製作のディテールを知ることで、多くの人に興味を持ってもらうこと。ま、これは宣伝だ。

さらに映画の仕事をしたい人たちには、映画がどのようにして作られるのか? を知ってもらえる。特撮の研究本はあるが、映画の舞台裏を紹介する書籍は多くない。僕も学生時代に伊丹十三監督の「映画日記」を読み勉強した。「マルサの女日記」「お葬式日記」等。監督が何を考え、どのように映画は作られるか?とても勉強になった。同時に、映画ファンもその辺は興味を持つだろう。だが、メイキングビデオでは主に撮影風景しか紹介されない。それ以前、それ以降を知ることで映画の面白さが倍増するはず。

そんなことが目的で始めた。

やはり、伊丹十三監督の映画日記の影響が大きい。僕はこれまでの映画6本、すべての映画日記を書いている。それはすべてブログで今も読める。ここまで詳しい監督日記は他にはないはずだ。しかし、映画の進行を詳しく紹介できない時期もある。キャスティングだと候補段階で実名を上げるのはご法度。絶対にしてはいけない。決まっても、先方の事務所、製作会社等と万全を期してからしか発表できない。あるいは、まだ正式にスタートしていない映画。「新作やりまーす」とすら言えない時もある。あと、あまりないが、完全に何もしていない時。(今です)

そんな時は映画について書くことがない。書くことができない。で、映画以外のことをあれこれ書き始めた。映画の感想。書評。最近はまっている歌とか。その内にルポや疑惑解明まで書き始めてしまった。というのは、映画監督になる前、さらに脚本家にもなる前、僕はライターという仕事をやっていた。映画監督を目指しながらシナリオを書いていた頃だが、ふとしたことで(書くと長いので省略)雑誌に記事を書く仕事をしていた時期がある。

インタビュー、書評、ルポ、映画解説等、

あちこちの雑誌で書かせてもらった。連載もあった。取材もした。ある出版社でベテラン編集者さんが厳しく鍛えられた。お陰で今も書くのは苦手ではない。なので、映画製作がない時は、あれこれ別のことを書く。それもまた「友達」が面白がってくれればと思った。また、それが映画仲間、応援してくれる人、友人たち、等への近況報告。過労死していないという報告にもなっている。が、ここ数年、書く意味が少し変わってきた。それは次回に!


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なぜ、人は安易に乗せられるのか? 確信もないのに騒ぐのか?=原発事故・鼻血事件から考える [事件]

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なぜ、人は安易に乗せられるのか? 確信もないのに騒ぐのか?=原発事故・鼻血事件から考える

「美味しんぼ」鼻血事件のとき。思い出したことがある。実はその漫画が出版される以前に製作した映画「朝日のあたる家」でも鼻血を流すシーンを描いている。

あの映画で描いたエピソードはほとんどが事実。いくつかの家族が経験をしたことを一つの家族にまとめてはいるが、創作はない。それがFacebookだったか、ブログだかに、ある女性からこんなコメントが届いた。

「私は福島に住んでいますが、鼻血を出した人なんていません。聞いたこともありません。私の周りにもいません」

これは特殊の人からの批判コメントではなく、本当に福島に住む人の言葉と思えた。それを読んだ他の人からもコメントが来た。

「ほら見ろ。地元の人もそう言っているだろ!」「不安を煽るな」「デマを振りまくな」

鼻血のことは福島から避難してきた人たちから聞いた。何人からも聞き裏付け取材もしている。また、その手の話はあちこちで聞いている。井戸川元町長は写真入りで記事をアップした。創作ではないし、伝聞でもない。鼻血を出した本人に確認している。では、先の女性コメントは何か? やはりネトウヨか?

さあ、ここからが大事なところ。その女性も嘘はコメントしていないだろう。彼女の周りでは本当に鼻血を出した人はいなかったと考える。では、どういうことか? 彼女は福島に住んでいるというが、福島のどこに住んでいるのか? 福島市? それとも福島県のどこか? 福島県には被害がほとんどない街もある。

もし、その女性がその街なら納得できる。あるいは福島市でも、全員が鼻血を出した訳ではない。ある地区ではゼロということあるだろう。また、ご近所づき合いが乏しい家族もいるだろう。鼻血を出しても他人には語らない人もいる。そんな環境にいれば「聞いたことはない」は嘘ではない。

ロスアンゼルスは犯罪が多い街。僕が留学した時にも犯罪被害に遭った友人もいれば、6年もいて全く被害なしという人もいた。その友人が「ロスは安全ですよ。犯罪なんて見たことありません」と言ったらどうだろう。彼は嘘をついていないが、犯罪が多いのが事実だ。僕自身も強盗に遭ったことがある。

その女性は嘘はついていないと考える。が、問題は別のところだ。そのコメントを見て「ほら見ろ。地元の人もそう言っているだろ!」「不安を煽ることを言うな!」と言ってくる人たち。その人たちはその女性のコメントを精査せず、真偽も確かめず、福島のどこに住んでいるか? 本当に住んでいるのか?も確かめずに「ほら見ろ」と言ってしまう。

もしかしたら、彼らは原発推進派で鼻血をデマにしたいのかもしれない。でも、そうでなければあまりにも安易に物事を信じ込み、発言している。多分「美味しんぼう」鼻血事件も同じ構図だろう。人気漫画でもあり、世間に対する印象が強いので、推進派が組織的に抗議をしたとも思えるが「酷い」「かわいそう」「デマだ」と言うツイートに乗せられて批判した人も多いはず。

原作者の雁屋哲さんがのちに経緯を説明しているが、漫画に描かれたことは全て事実に基づいている。雁屋さん自身が鼻血を出したこと。同行した記者も同様であること。それを元に主人公が鼻血を出すエピソードを入れたのだから問題はない。なのに「不安を煽る」「許せない」と批判したのがあの事件だ。乗せられてはいけない。裏を考えよう。具体的に考えよう。その言葉が本当に事実か? もし、

「あの人、嫌い!」「許せない!」「最悪!」

そう思った時は冷静に考えよう。戦時中の「米英鬼畜」も同じだ。アメリカ人は酷い。許せない!と言うプロパガンダに多くの国民が乗せられ一億総火の玉になろうとしたのだ。そのために多くの犠牲を出した。もう、乗せられてはいけない。


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「N国」記事反響で分かったこと③ 読解力とリテラシー? [my opinion]

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「N国」記事反響で分かったこと③ 読解力とリテラシー?

常連さんはほぼ理解。批判をしてきたのは、見たことのないアイコンの方ばかりだ。先にも書いたが、最近、僕が書いた「リテラシー」シリーズ(そんなタイトル?)は一度も読んだことがないと思える。たまたま、タイムラインに僕の記事が流れていきて

「何、立花!ムカつく!誰だ。こんな記事書いている奴」

と感じたのだろう。これがもし、常連さんなら、もし、立花嫌いでも、ここしばらくの「123便」「トランプ」記事等を何度も読んでくれている。

「今回はN 国〜かあ。でも、あの監督が書くのだから、何かあるだろうなあ」

と好意的に読んでくれたはず。もし、立花が嫌いでも「本質は分からないけど考えてみようか?」と思ってくれたはず。いきなり「賛同できません!」なんてコメントを書き込んだりしない。そこがポイント。常連でコメントを下さる方々の文章はそこそこ長い。かなり長い方もいる。が、逆に超短い方は少ない。長い文章を書くには「書く力」が必要。そして僕の記事はいつも長いので、当然「読解力」がないと内容を分かってはもらえない。ところが、批判コメントをくれた人たちのほとんどはコメントが短い。

「賛同できません」「私はそうは思いません」「朝日のあたる家を見るのをやめました」

数行だ。好意的なコメントは長め。批判的は短めが多い。読み取れるものがある。先にも書いたが、批判コメントを書き込む人は「読解力」がない人が多い。僕が「立花氏の分析」をしているのに、褒めている、評価していると誤解。僕の文章は長いので正確に理解できないのだ。あるいは名前を出すだけでムカついた。

だから批判する。が、読解力がない人は表現力も低い。短い文でしか批判できない。「なぜ、賛同できないか?」「どこが賛同できないか?」「その理由は何か?」を書いてくる人がまずいない。「私はそう思いません」も同様。「朝日のあたる家ーを見るのをやめました」に至っては、意見を伝えるより個人攻撃に移っている。何か?と言うと、読解力と表現力の両方が低いのだ。学力ではない。日本の教育が問題なのだ。同じような人たちがいる。自民支持者だ。NHKを見て、読売新聞を読み

「安倍さん。頑張っているなあ」「代わりはいない」「野党は頼りない」「やっぱ自民でしょう!」

と考える人たち。大本営のフェイクニュースを見抜けない。誘導される。騙される。なぜか? 見る目がない。読解力がない。そして表現力もないから、ワンフレーズに乗せられやすい。「アベノミクス」とか「日本を取り戻す」とか。覚えやすいものがいい(その意味でN国はその層を狙い「NHKをぶっ壊す」を連発した)

ただ、ネットをやっている人たちは、その人たちより情報がある。自民がダメなのは分かる。れいわが頑張っているのも理解。でも、立花は嫌い。そして読解力がない。分析の文章なのに「賛同できない!」なんてコメントをしてしまう。トランプも難度が高かったが、年月と共に情報値が上がり分かりやすくなった。立花は今旬の難度上だ。

読解力がない。リテラシーも低い。そんな人たちが文章を理解できず、当て外れな批判してもおかしくない。だが、問題はある。自民なんかの狡猾な戦略に一番先にダマされるタイプだ。戦時中なら「米英鬼畜」と叫んでいるかも? リテラシーと共に「読解力」の大切さ。そして、そんな人たちでも分かるような表現も考えること大事と思えている。


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N国・立花孝志についての記事② やはり反響が大きい。そこから見えてきたもの。政府に先導されれば一番に引っかかる人たち? [my opinion]

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N国・立花孝志についての記事② やはり反響が大きい。そこから見えてきたもの。政府に先導されれば一番に引っかかる人たち?

先に賛否両論と書いたが、よく読むと、いつも僕の記事に「いいね」をくれる人には「N国」記事も好評。

「監督が言うのだから、単なるバカではないのだろうなあ? ちょっと静観しよう」

と思ってくれた人が多い。やはり、リテラシーが高い。反対に、日頃から「いいね」をくれない。あるいは記事を読んでない人。「友達」でない人たちから抗議のようなコメントが来る。

記事をしっかり読んでいないようで「立花氏を絶賛している?」「彼ならNHKを壊せる」と言っているような勘違いが多い。僕が書いたのは「思ったより賢い。計算している」「毒を持つて毒を制するーでNHK改革に向かわせるのは有効」と言うことだ。もちろん問題点もあげた。

彼らに言えることは、まず長文を読む理解力に欠ける。それと立花氏が大嫌い。感情的。だから、彼を記事にしただけで許せない。強い「思い込み」を感じる。かつて一度もコメントしていない人がなぜ、あれこれ言ってくるのか?「友達」でもない人が、太田個人を批判する? その背景は「立花、許すまじ」という嫌悪感だろう。

アメリカのKKKの発言を思い出す。クー・クラックス・クラン。今も存在するが、南北戦争時代からの有色人種を嫌悪する白人の団体。とにかく黒人が許せない。白人が優れているという勝手な思い込みで、黒人に対して嫌がらせをする団体だ。「理屈じゃない。嫌いなんだ!」という人たち。とても危険な差別主義者。彼らのドキュメンタリーを見た時と似た感覚だ。

僕は分析はしているが、褒め称えている訳でもないのに「私はそう思いません」「賛同できません」というコメントが来る。そもそも賛同など求めていない。そしてその種の人たちは当然、立花氏が出演した「オプエド」も見ていないだろう。暴力動画や政見放送を見て「あいつはこんな奴。許せない。他の情報はいらない!」と思い込んでいるようだ。ここしばらくの僕の記事は

「本質を見つめるためにどうすればいいか?」

を考える記事を書き続けている。それらも読んでいないだろう。なのに「立花」エピソードだけをたまたま読み、あれこれ不満をコメントする。

「私はそう思わない」「賛同できません」

は自由だが、いちいちコメントしないでほしい。記事を読んで「あの立花でもそんな面があるのかなあ?」とあれこれ考えくれればいい。さらにコメントくれた友達に対してまで「私はそう思いません」と書き込むのは非常識。

皆、思い込みが強く、多様な情報を調べず、ひたすら憎み続ける。添加物取りすぎか?食卓塩やめた方がいいかも?大事なのは、いろんな角度から考えること。いろんな意見を知ること。あれこれ考えること。

ムカついたらとすぐに批判せず、その意見や別情報を精査すること。そうしないと政府が思想キャンペーンを張れば一番に騙されるのは、その種の怒りに駆られる人たち。ちなみに、無神経なコメント。大きなお世話、誤解を招くもの、友達が不快に思うものは、これまで通りすべて削除する。

そして「この監督、嫌い」と言う人は「友達」削除自由です。でも、気になったら他の記事も読んでみて、世界観広がるはずだ。あなたが考えるより現実は多様だよ。よろしく!


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N国についての記事① リテラシーの高い「友達」も今回は感情的?思い込み? [my opinion]

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リテラシーの高い「友達」も今回は感情的?=立花孝志記事の反響。思い込みはやめよう!

ここしばらく物議を醸しそうなネタを続けてアップしてみた。やはり、僕のFacebook友達はリテラシーが高く、なかなか暴言や無礼なコメントをする人はいない。それどころか、かなりヤバイネタでも理解してくれる。凄いことだ。しかし、とうとう、その種のコメントが来た。「立花孝志」の記事である。やはり、あの人は超弩級の存在だったのだ。

意見は賛否両論あっていい。問題はコメントの仕方。「私はそうは思いません!」と一言だけコメント。何なのそれ? 記事のどの部分が違うと思うの? 意見を言うなら、主語、述語、目的語を明確にして、「そうは思わない」「なぜなら****」「しかるに***と考える」てな文章になぜならないのか? 

そしてその種のコメントをしてくる人の多くは、僕が指摘した状況証拠、発言、動画、等を確認することなく、自分の印象で「立花はとんでもない!俺は嫌い」と言うだけで瞬時に批判コメントを入れてくる。なぜ、即、反論するの? それは思い込みが強く、誰がなんといっても「立花は嫌な野郎なんだよ」と言う発想から逃れられないと言うこと。

とても危険。「あの男が真犯人」とか思い込むと証拠がなくても批判し、攻撃し、嫌がらせをしてしまう。それに繋がる。その種の人は非常に利用されやすく、ネガティブキャンペーンにかかりやすい。友人で「小沢一郎は嫌い」と言う奴がいるので「彼が何をしたの?有罪になった」と聞くと答えられない。「でも、嫌いだ」と言う。理由もないのに否定するのは単なる思い込み。

その種の人は間違った方向に暴走する可能性がある。太平洋戦争の時に「米英鬼畜」と教え込まれ、米兵に捕らえられるくらいなら自決した方が....と多くの人が死を選んだ。が、アメリカ兵は降参すれば殺すことも、暴力を振るうこともなかった。間違った教えが多くを死に追いやったのだ。逆に、関東大震災後に「朝鮮人が井戸に毒を入れた」と言うデマが飛び交い、多くの朝鮮人が殺されたりリンチにあったりした。

話を戻すが、最初に聞きかじった情報(デマ)を信じ込み、なんら根拠がないのに信じ続ける。結果は必ず悲しいものになる。思い込みや先入観で判断せず、自分で調べ、考え、人の意見を聞き、判断すること。であれば、アップされた記事に即「そうは思いません!」とか、瞬時にコメントを入れることない。また、立花孝志が良からぬ連中と撮った写真をアップして「これは何?」とかコメントしてくる人もいたが、質問せずに自分で考えてほしい。

少しだけ説明すれば写真なんて一番不確かなもの。宮迫がヤクザの会で写真を撮った。それをネタに反社会勢力と繋がりがあると指摘する向きがあるが、芸能人なんていろんなところで記念写真を頼まれる。その一つの可能性がある。タレントが「熱愛発覚」とフライデーされても、隣にマネージャーや他のタレントがいる写真を2人だけ切り取って掲載されることも多い。が、多くがそれでコロっと騙される。

多面的に検証しよう。僕が「トランプ」や「123便」「美味しんぼ」鼻血事件等を記事にするのは、いかに表と裏があり、デマや嘘が多いか?を知ってもらうためだ。すでに結論が出たものには頷き、今まさに進行するN国になると「嫌い!」「許せない!」と感情的に切り捨てる。まず、本質を見よう。考えよう。いろんな人の意見を聞こう。疑ってかかろう。そうすれば安易に「そうは思わない」とか、失礼なコメントを即時にして来ることはないはず。疑おう、考えよう、それから意見を言おう。


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