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僕がブログ記事を書くようになった理由?③ 今は「本質を見つめる」大切を伝えること? [my opinion]

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僕がブログ記事を書くようになった理由?③ 今は「本質を見つめる」大切を伝えること?

その後、記事は読んでもらうと言うより、自身が疑問に思うこと。関心を持ったことを記事にした。少し前で言うと「アッキード事件」「日航123便墜落事件」「トランプ大統領」もっと前だと「イスラム国事件」。さらに「村社会ルール」についても何回も記事を書いた。地方ロケの時に感じた違和感を考えていくと、そこに突き当たった。それを様々なケースで解明。地方だけでなく今も日本人を縛る古いしきたりであることを感じた。

「境界性パーソナリティ障害」

についてもかなり書いた。この病気(正確には病気ではないが)のことまるで知らなくて、トラブルに巻き込まれたことで興味を持った。以前から精神病には関心があり、双極性障害や統合失調症は勉強していたが、まだまだ知らないことあると痛感。

タイトルを並べてみると、普通の人は興味を持たないものが多い。「イスラム国」研究は後藤健二さんが処刑された頃であり「そんな記事を読みたくもない!」とあの時も読みもせずに批判する人が多かったが、追求していくと、テレビでは報じられない事実も見えてきた。

そんな延長線で先日は「N国」

(イスラム国の延長でN国はゴロがいい?)を取り上げたら、久々に辛辣な批判や誹謗中傷が来た。毎回、告知しているのに「私は賛同しません!」と何度も書き込む人とか。どうも、N国支持の記事だと思われたようだ。それなら「イスラム国」記事はイスラム国支持になるのか? 「アッキード事件」は昭恵夫人支持か? 以前もそうだが、イスラム国時もそうだが、批判をしてくる人のほとんどは記事をしっかり読んでいない。

イスラム国だって、

アメリカを攻撃するテロ組織だと思っていたら、実はそのアメリカが、ヒラリーとオバマが作った組織であることが今ではバレている。その辺から、いかに人は、特に日本人は騙されているか? 誘導されているか? 思想コントロールされているか?に興味を持った。

「ドキュメンタリー沖縄戦」

では戦時中の皇民化教育の凄まじさを痛感した。が、似たようなことは今も行われている。原発安全神話もCMによる洗脳。現代の教育も同じ。これは何度も詳しく書いた。そのことに気づいていない人が物凄い数いる。山本太郎がれいわを通じて指摘しているのも同じ。知らないところで搾取されていると言うことだ。その参議院選からかなり「友達」が増え、そろそろ上限だ。なので、いかに日本人はフェイクニュースとデマ。思想コントロールにかかっているか?を伝えたいと思った。それでちょっとヤバいものを続けて紹介した。

「新聞記者」がフェイク映画であること

は意外に拒否感がなかった。が、「N国」は一部の人たちから批判。でも、ほとんどがいつも読んでくれている人たちではなかった。その人たちこそ「思い込み」で決めつけず、いろんな角度から物事を見ることの大切さを伝えなければならない層なのだろう。

まあ、あまりに繰り返し無神経なコメントを書いてくると削除せざるを得ないが、むしろ今後も僕の記事を読んで「本質を見ること」に気づいて欲しい。題材がムカつくものでも、その本質を考え、多角的に見つめる記事を書いている。特に今は時代の変わり目。価値観が急激に変わっている。過去の価値観で物事を判断してはいけない。


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僕がブログ記事を書くようになった理由?②ルール作り? [my opinion]

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僕がブログ記事を書くようになった理由?②ルール作り?

やがて、ブログだけでなくFacebookでも記事をアップするようになった。「友達」がどんどん増えた。が、「友達」が2000人を超えたあたりから、会ったこともないのに馴れ馴れしいコメントをする人。「映画の上映は何時からですか?」みたいなことまで聞いてくる。自分で調べろ!という世界。また、「女優の***さんは本当に性格悪いんですか?」とか、なんでそんなことをあんたに教えにゃならん?Facebook友達になると、本物の友達になったと勘違いする連中も多かった。ある友人に言われた。

「無名監督でも知り合えば、あれこれ聞きたくなるさ!」

 しかし、その後も次々にトラブルが起こった。

「会ってください」「シナリオを送るので読んでください」「映画に出してください」「曲作ったので映画に使ってください」

等の連絡が何度来た。それでなくても映画が始まると数年間、やすみなしなのに、返事しないと

「失望しました!」

「監督なら絶対に会ってくれると信じていたのに!」

とか、勝手に信頼して勝手に失望される。そしてネットで誹謗中傷を書きまくる。「友達」たちに悪口をコメントして回る。

ただ、無神経な人ばかりではない。真剣に応援してくれている人もいる。記事を楽しみにしてくれている方も多い。そして本物の悪人ではなく、思い込みが激しくて勘違いをする人もいる。あれこれ考えて、僕にも原因があることに気づいた。質問に受け応えをすることで親近感を感じ、本物の友達と勘違い。だから、あれこれ質問、頼みごとをしてくる。そこで質問には一切答えない。返事もしないというルールを決めた。

記事を読んで感想をコメントするのはいい。でも、質問はなし。議論もしない。誹謗中傷や批判はなし。読んで「なるほど」と思ったり「それは違うと思うな」と感じたりしてくれればいい。

「私はそう思いません!」「お前、何もわかってないな!」

はなし。それは自分のFacebookで書いてもらう。また、その手の反論、批判で「なるほど、それは気づかなかったなあ」というのは一度もない。そもそも僕の記事を理解していない。誤解している。批判になっていないということばかり。

また、その種の批判が入ると、他の「友達」も不快な思いをする。上から目線で「あんた誰?」というコメントを読むのはうんざりだ。なので、復活してから数週間に一度、そのことを告知するようにした。

「質問には答えない」「批判はいらない」「反論は自分のFacebookで」

「友達」激減か!と思ったが、ほとんどの人は理解。その種のコメントは無くなり、「友達」はさらに増えた。でも、上から目線で書いてくる奴がいたら、警告なしに友達削除。少し前には山本太郎さんを皮肉るコメントを続けて書き込んだ人がいたが、僕が太郎さんを応援しているのは分かるはず。それはもう嫌がらせ。友達削除させてもらった。

もともと多くの人と交流したい。同じ趣味の人と語り合いたいという思いはない。そして議論に意味はないと考える。押し付けることもないし、押し付けられるのも好きではない。僕の意見に賛同するもよし、違うと思ってもいい。いちいち「賛同できません」と言ってくる必要はない。

そんな告知をするようになってからトラブルは激減。現在、友達は4961人。多くの方が毎日、読んでくれている。が、最近は気になることがある。続きは次回。


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僕がブログ記事を書くようになった理由?① [my opinion]

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僕がブログ記事を書くようになった理由?

ある「友達」から連絡を頂いた。「アーティストらしく、さまさまな事を、自分の中で完璧に納得しようといつも細かく考えておられると思ったからです」私信なので短い引用にしたいが、書いた記事に対して、いろんな人から批判を受けたりもするだろう。との心使いでもあった。で、なんで僕がブログをするようになったか?について書いてみる。

そもそもは僕が監督する映画。

企画時から、脚本、キャスティング、撮影、編集、宣伝、公開までを監督日記として綴っていた。ひとつには記録として残したいこと。また、映画の舞台裏は本当にいろんなことがある。いろんな人たちの支援と協力があって完成する。が、それは表に出ない。それを映画日記として紹介することで、彼ら彼女らの活躍も伝えられる。そして、映画製作のディテールを知ることで、多くの人に興味を持ってもらうこと。ま、これは宣伝だ。

さらに映画の仕事をしたい人たちには、映画がどのようにして作られるのか? を知ってもらえる。特撮の研究本はあるが、映画の舞台裏を紹介する書籍は多くない。僕も学生時代に伊丹十三監督の「映画日記」を読み勉強した。「マルサの女日記」「お葬式日記」等。監督が何を考え、どのように映画は作られるか?とても勉強になった。同時に、映画ファンもその辺は興味を持つだろう。だが、メイキングビデオでは主に撮影風景しか紹介されない。それ以前、それ以降を知ることで映画の面白さが倍増するはず。

そんなことが目的で始めた。

やはり、伊丹十三監督の映画日記の影響が大きい。僕はこれまでの映画6本、すべての映画日記を書いている。それはすべてブログで今も読める。ここまで詳しい監督日記は他にはないはずだ。しかし、映画の進行を詳しく紹介できない時期もある。キャスティングだと候補段階で実名を上げるのはご法度。絶対にしてはいけない。決まっても、先方の事務所、製作会社等と万全を期してからしか発表できない。あるいは、まだ正式にスタートしていない映画。「新作やりまーす」とすら言えない時もある。あと、あまりないが、完全に何もしていない時。(今です)

そんな時は映画について書くことがない。書くことができない。で、映画以外のことをあれこれ書き始めた。映画の感想。書評。最近はまっている歌とか。その内にルポや疑惑解明まで書き始めてしまった。というのは、映画監督になる前、さらに脚本家にもなる前、僕はライターという仕事をやっていた。映画監督を目指しながらシナリオを書いていた頃だが、ふとしたことで(書くと長いので省略)雑誌に記事を書く仕事をしていた時期がある。

インタビュー、書評、ルポ、映画解説等、

あちこちの雑誌で書かせてもらった。連載もあった。取材もした。ある出版社でベテラン編集者さんが厳しく鍛えられた。お陰で今も書くのは苦手ではない。なので、映画製作がない時は、あれこれ別のことを書く。それもまた「友達」が面白がってくれればと思った。また、それが映画仲間、応援してくれる人、友人たち、等への近況報告。過労死していないという報告にもなっている。が、ここ数年、書く意味が少し変わってきた。それは次回に!


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