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N国ー立花孝志を考える。=オプエドで見た意外な側面?! [my opinion]

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N国ー立花孝志を考える。=オプエドで見た意外な側面?!

今の時代はフェイクニュースが横行している。ネガティブ・キャンペーンも行われる。ネットではデマが飛び交う。多くの人が誘導され、利用されていることに気づかずに、正義を振りかざして、特定の人物を攻撃する。ネトウヨなら分かるが、それなりにリテラシーがある人でも乗せられているから、今の時代は難しい。

トランプがそうだったように、多くの人に嫌われている人物は必ず何かある。あの聡明な前川さんでさえ、トランプと安倍を同列で批判している。真偽を確かめるのは難しい。そんな1人に「NHKをぶっ壊す」のN国、立花孝志がいる。この人もいろいろ問題があるのに99万票を取って議員となり「N国」は政党となった。だが、暴力行為寸前の動画が流し、私人逮捕と称して、一般人に暴行。候補者が被り物をしての政見放送と、かなり評判が悪い。

そんなN国にあの上杉隆さんが幹事長として就任。話題となった。そのこと先日、記事にしたので、今回は立花孝志側に目を向けてみる。どう考えても愚連隊。NHKをダシに金儲けのための政党を立ち上げたのではないか?と思えた。が、決して彼はバカではない。かなり計算していることを当初から感じていた。おさらいすると、真面目な政見放送をすべきなのに「NHKをぶっ壊す!」とやれば、単純な人たち、政治に興味のない人は

「おもしれーな。一票入れてやるか!」

とウケる。また、そこそこ考える人たちはNHKの大本営化に懸念がある。受信料払うのも疑問。N国に賛同する。そんな2つの層を取り込める。もちろん、そのことで嫌う層も出てくる。けど、強く嫌われることは強く支持する人たちもいるということ。それが99万票だ。ここまでは商売上手な愚連隊と思えていた。が、「オプエド」に出演した彼を見て印象が変わった。

簡単にいうと、籠池さんだ。森友学園問題で子供たちに「安倍首相頑張れ!」と言わせていたとんでもないおっさん。その後、菅野完さんが登場。彼が籠池さんの印象を語った。

「普通の大阪のおっさん。でも、なかなか頭がいい」

ーはあ、そうなのぉ?と思えたが、その後、彼の会見やインタビューを見ていて、それを実感。国会喚問の時は

「籠池、頑張れ! 本当にことを言ってくれ〜」

とまさかの応援しながら見てしまった。N国党首・立花孝志も近いものがある。「結構、考えている」レベルではなく、ものすごく考えている。「ぶっ壊す」も被り物もやはり全て演出。ただ、目立てばいいというだけではなく、具体的な戦略をあれこれ考えて、よく勉強している。菅野さん風に表現するなら

「大阪のやんちゃな兄ちゃん。かなり頭いい」

という感じだ。彼の言葉からも権力や金ではなく、NHKの解体、改革が目的だろう。「本当は金と権力じゃねえの?」という人もいるだろうが、人相で決めてはいけない。「オプエド」を見て欲しい。彼は悪役レスラーを演じている。

「猪木。てめえ。俺と勝負しろ!」

とマイクを奪って叫ぶ感じ。それによって国民の注目を浴びることが目的。かなり過激なやり方ではある。N国をオウムの再来と批判する声もあるが、全然違う。ただ、悪をも恐れぬところがある。危険な部分も多い。

ただ、そこを上杉幹事長がコントロールすれば、NHK改革の大きな力となるかもしれない。大本営発表が止まれば安倍政権の崩壊に繋がる。毒を以て毒を制するだ。ぜひ、一度、YouTubeではなく、立花孝志の話を聞いてみて欲しい。彼を嫌う多くは「ぶっ壊す!」と暴力ビデオしか見ていないと思える。多分、今後は真面目なスピーチをするはずだ。今回の件について、あれこれ異論反論はあるだろう。が、いつものように反論や質問は求めていない。あれこれ自分で考えるきっかけにして欲しい。



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夏が終わって行く、、、まだまだ暑いけど。 [2019]

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夏が終わって行く、、、まだまだ暑いけど。







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映画「新聞記者」に感じた疑問⑤ー終 スポンサーを見れば一目瞭然。政府批判の映画でないことは分かる? [「新聞記者」検証]

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映画「新聞記者」に感じた疑問⑤ー終 スポンサーを見れば一目瞭然。政府批判の映画でないことは分かる?

前回までで疑問は全て解けた。

この映画は「安倍政権批判」とか「政治の闇にメスを入れる」という映画ではなく、昭和40年代に人気だったテレビドラマ「事件記者」タイプの物語を現代版として焼き直したもの。エンタテイメントとして見るべき映画だ。演出もいい。俳優も素晴らしい。カメラもいい(ただ、新聞社内のシーンだけ「24」的な手振れ感を出そうとしてやり過ぎて船酔いする)面白くできた映画だ。ただ、シナリオはしっかり取材して書いてほしい。まして「原案 望月衣塑子」と謳うのなら記者、新聞社に関しては調べて書くべき。

良くないことだが日本映画では

題材を調べずにシナリオを書くことが結構ある。僕が以前に担当した「女子高生コンクリート詰め殺人事件」Vシネマだが、意欲作で実際にあった事件を実名で描くというもの。僕はその脚本を担当した。

が、プロデュサーが「時間がないから調べずに書け」と言い出した。「実名で描くのにそんなことは出来ない。あとで告訴されて困るのはあんただ!」と毎日のように衝突。が、彼だけでなく別の作品でも似たようなことがあった。他でもサッカーの物語なのにサッカーを取材せずにシナリオを書けと言われた友人がいる。取材費がないからだ。

だからライターにはサッカー漫画を読んで書く。ネットで適当に調べて書く。脚本家もPも、取材する大切を理解しない人がいる。この「新聞記者」もその1本。思わせ振りの宣伝も問題だが、僕はそちらが気になる。

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それも朝日新聞と東京新聞が協力している作品。いくらでも社内取材は出来たはず。そして内調のあのネット工作部屋を見て爆笑した人も多い。調べる気ゼロ。ネトウヨを想像だけで描いたのだろう。つまり、新聞記者という仕事。新聞社という組織。記事がどのように決まるか?(映画のように上司が納得しただけで一面トップに記事はでない)そして政府側、総理、官房長官も描いていない(調べていない)。ほとんど取材せずに作られるドラマ。

昭和40年代に流行った物語の焼き直し。

観客に「安倍内閣を斬る」「タブーに挑んだ」と勘違いさせてヒットした作品なのだ。解説に4回も費やしたが、実は簡単に説明することができる。スポンサーを見れば一目瞭然。

まず、KADOKAWA。角川である。

そしてビデオ会社。朝日新聞。多分、こんなやりとりがあっただろう。朝日には「政権を鋭く批判する新聞社が活躍しますと説明。イメージアップになるので出資。角川には「原案を貴社の本にします。映画化すれば売れますよ」そう望月さんの本「新聞記者」は角川書店。だから、全く引用しなくてもクレジットから外せなかったのだ。(さらに角川はあのフェイク映画「Fukushima50」を作った会社でもある)そして、もう1社。それがイオン・グループだ。

「参議院選前に公開します。政権の腐敗を描いた映画です」

そう言われれば「いいねー」と思うだろう。イオンは元民主党の岡田さんのファミリー会社。全員がニコニコ。あと、大事なのは政権を本気で批判しないこと。安倍政権がモデルだと思われないこと。横槍が入るとマズイ。だから官房長官の会見シーンはないし、総理も登場しない。伊藤詩織さんの事件もヒロインは追求しない。まして劇中で分かりやすく解説しない。そんな風に各方面から文句が出ない対応。そして観客には「安倍政権を斬る社会派」というイメージで売る。

商売として見事。

通常、政権を批判する映画は先のような大企業が出資したりしない。スポンサーの名前を見れば「政権を斬る」とか「タブーを破る」という映画でないことはすぐに分かる。物事を見抜く目の大切さ。騙されやすさ。この映画からも多くを学んだ。


追記

「日本の女優は政権を恐れて出演を拒否。

だから韓国から呼んだ」というようなことを関係者が言っていたが、そんなはずはない。探せば「出る」という知名度ある女優が日本にはいる。俳優にも根性ある人は多い。だのに、韓国の女優。その理由。その後、分かった。

この映画が公開後。韓国での上映が発表された。それを考えてのキャスティングだったんだろう。「だから韓国でも受けるように主演は韓国俳優にした」とは言わず「日本の女優は政権を恐れて出演を拒否。だから韓国から呼んだ」と言った方が宣伝になる。「日本の俳優が出演できないセンセーショナルな映画」「暗部に切り込む作品!」というアピールもできる。でも、そんな映画ではなかった。

つまり、日本の女優の多くに拒否された訳ではなく、最初から韓国公開を考えてのキャスティングだと思える。全て計算ずく? 多くの観客が見事に乗せられてしまった。




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映画「新聞記者」に感じた疑問④ 思い込みで見に行き、思い込みで賞賛。観客が誘導される? [「新聞記者」検証]

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映画「新聞記者」に感じた疑問④ 思い込みで見に行き、思い込みで賞賛。観客が誘導される?

これまでのまとめを書く。この映画のヒロインは望月衣塑子さんではない。劇中に登場する政権も安倍政権と似た部分はあるが、モデルにしているわけではない。物語は完全にフィクション。新聞記者や新聞社のあり方を徹底取材したものではなく、作家が想像で書いたものである。それは作品を否定することではなく、同じような映画はたくさんあり、エンタテイメントとして楽しまれている。

言ってみればこの映画は昭和40年代に流行った「事件記者」もの。僕もよく見ていた「特捜記者」もそうだが、記者が政界の腐敗ネタを掴み記事にしようとするが、横槍が入ると言う王道の現代版。今風にするためにネット工作のエピソードや伊藤詩織さんを思わせる事件を取り入れるが、それほど深くは切り込まない。それを多くの人は「望月さんをモデルにした女性記者が安倍政権を斬る映画」だと勘違いしたと言うのが真相。というところまで書いた。

つまり、この映画は娯楽映画なのだ。ではなぜ、望月さんがモデルでもなく、著書からエピソードを借りるわけでもないのに「原案」とクレジットしたのか? 彼女や前川さんまで特別出演させたか? そしてヤバイ話でもないのに、「ネットで攻撃を受けた」と関係者が発言したり、雑誌が「有名女優が出演拒否したので、韓国の女優を起用した」と記事にしたりしたのか? そのために観客にこう思ったのだ。

「望月さんがモデル。安倍政権に斬り込む。かなりヤバイ物語なので有名女優は出演拒否。韓国から呼ぶしかなかった。ネットで攻撃もされるし、伊藤詩織さん事件も描かれている。望月さんや前川さん本人が出ているし、かなり本格的な社会派だろう」

でも、そうではなかった。一般的な娯楽作品。政治や新聞についてもさほど取材せずに、想像で書かれた脚本だった。誤解したのは観客の勝手だ。制作サイドは単なる娯楽作を作ろうとした? そうだろうか? だったらなぜ、フィクションである娯楽作品に望月さんや前川さんを出演させたか? そんな形を取ることはあまりない。また「原案」と言いながら、何の引用もしない望月さんの本。

これらから言えるのは作り手も「リアルな政治ドラマ」と誤解してもらおうという意図があったのではないか? もっと、うがった見方をすれば、「これはタブーを超えた安倍政権批判」と話題にさせたい。ただ、映画がヒットして急に官邸から電話が来て「反政府映画だ!」と言われると困る。だから、物語には安倍も菅も登場しない。伊藤詩織さんの事件も詳しく説明しないし、追求もしない。批判されたら「いえいえ、これは安倍政権がモデルではありません」と言う。実際、架空の政権を架空の記者が追う物語なのだ。

でも、観客には誤解してほしい。その意味で「特別出演」「原案」そして「主演女優拒否情報」「韓国から女優を呼ぶ」「ネットで攻撃もされている」さらには「参議院選前に公開」という演出をしたのではないか? いけないことではない。映画はその手のあざといくらいの宣伝をするもの。

その思惑は当たり。大ヒットした。僕を含め多くが思い込みで、期待して映画を見た。が、思っていた物語ではなく失望。何ら安倍政権に斬り込んだ映画ではない。内容は昭和40年代の記者ものだ。十分な取材もせずに、書かれた脚本。ただ、一部はそれに気づかず「安倍政権に斬り込んでいる。今、日本人が見るべき映画!」「よくここまで描いた!」と評価するが、どこにも斬り込んではいない。何ら闇の解明もしていない。作り手は安全地帯にいる。非常に今日的な映画なのだ。(次回完結)


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映画「新聞記者」に感じた疑問③ この映画は安倍政権に斬り込む物語でもない? [「新聞記者」検証]

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映画「新聞記者」に感じた疑問③ この映画は安倍政権に斬り込む物語でもない?

前回はこの映画のヒロインのモデルは望月衣塑子さんではないということを説明した。解説にも、パンフレットにも、モデルであるとは書かれておらず、彼女の本が原案だが、そこからエピソードは使われていない。女性記者という部分だけが映画になっている。つまり映画のヒロインは完全な創作であり、望月さんがモデルとかベースではない。ただ、なぜか、彼女の本が原案としてクレジット。特別出演しているので、彼女の物語か?と勘違いする観客が多くいたということ。

では、物語を見てみよう。ヒロインが追求する政府というのは安倍政権がモデルと思える。これも検証してみよう。まず、伊藤詩織さん事件をモデルにしたと思えるものが劇中で紹介される。が、その事件をヒロインの女記者は追わない。ただ、紹介されるだけだ。本筋は家計学園をモデルにした事件。

そして望月さんをモデルにした訳ではないにしても、彼女の本を「原案」にしているのなら、官房長官の会見の場面をなぜ入れなかったのだろう? 疲れた死神のような俳優。例えば故・天本英夫さんのような俳優に官房長官を演じさせ、ヒロインが食い下がるような場面があれば盛り上がる。が、それはない。菅官房長官を思わす役も登場しない。菅だけでなく、安倍総理を思わせる役も登場しない。もし、安倍政権をモデルにするなら、あの2人を思わせる役は欲しい。なぜ、登場させなかったのか?

先の伊藤詩織さんがモデルの事件でも劇中で報道されるだけであり、ヒロインの女記者が会見に臨み、直接質問したり、本人の話を聞くという場面はない。事件の再現場面もない。あの事件を思わせる報道が劇中であるだけで、ヒロインは切り込まない。総理も官房長官も出てこない。伊藤詩織さん事件にも切り込まない。もしかしたら、ヒロインが望月さんだと勘違いしたように、劇中で描かれた政権も安倍政権という訳ではないのだろうか?

加計学園を思わせる事件も、総理と友人による癒着という説明はあるが、総理役と加計孝太郎をモデルにした人物がゴルフをしたり、ビールを飲んだりする場面もない。言葉による説明だけだ。もしかしたら、これも観客が加計学園問題だと勘違いしているだけで、架空の事件という設定なのではないか? もし、加計学園がモデルであり、現実ではできなかったことを追求する物語なら、それらしさを出すはずだが、内容的にもテレビで報道された程度のものしか描かれていない。

では、内調のネット工作の場面はどうか? 他は安倍政権でなくても成り立つが、あのネトウヨ作戦はあの政権が始めたことだ。が、ここもおかしい。実は政治の舞台裏で活躍する知人がいて、その話を聞いた。ネット工作は職員ではなく、一般の人をうまく巻き込んで政府批判者を叩くというやり方。

つまり、白いYシャツの公務員があんな風に官庁内でネット工作をしているわけではないそうだ。他からも聞いたが「内調はいろんな省庁からの出先機関。あの手の作業をするとすぐにバレる」とのこと。つまり、あの場面も創作。

また、ヒロインの新聞記者としての振る舞い、記事が掲載されるまでの経緯もおかしい。「本物の記者に取材してないな!」と元新聞記者がどこかでコメントしていたが、その通りだろう。劇中で編集長らしき男性が承認するだけで簡単に一面トップの記事になっていたが、そんな簡単には行かない。

また、ヒロインは事件の裏付け取材もしていない。この辺はもう創作というより脚本家が調べずに書いたのではないか?と思えてくる。だとすると、加計学園を思わす事件が物足りないのも、新聞やテレビの情報だけでシナリオを書いた。さらに望月さんにも取材していない? 望月さん本人も「映画を監修していない」という。

安倍政権に斬り込む物語と思いきや、安倍も菅も登場せず、家計事件も輪郭だけ、新聞社の描写も取材せずに、想像で描いている。内調のネット工作も想像。ほとんどが取材せずに、想像で書かれていることが分かる。もし、政権に斬り込むのが目的なら、徹底的に取材して、僕らが知らなかった暗部を暴く展開をフィクションとして見せるはず。でも、それはない。全てが創作なのだ。何なのだろう? 

総合すると、この映画は安倍政権の暗部に斬り込む話ではないということ。従来のエンタテイメント。新聞記者が実際にはない架空の事件を追い、解決する昔ながらの物語であるということだ。では、なんでそんな映画にしたのか? 別方向から見ると答えが出る。

(続く)

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映画「新聞記者」に感じた疑問② 驚愕の事実=あの記者がモデルではない? [「新聞記者」検証]

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現在アンコール上映中の映画「新聞記者」そのフェイクを解き明かす
「Fukushima 50 」と同様の誘導がある。

映画「新聞記者」に感じた疑問② 驚愕の事実=あの記者がモデルではない?

大ヒット映画の疑問を語るのは難しい。が、「私も疑問に思えた」「スッキリしない」とのコメントもたくさん頂き、同じように感じている人もいることを知り、僕だけではないと安心。さあ、続きだ。

前回は望月衣塑子・著の「新聞記者」(彼女の記者生活を描いたエッセイ)を原案として描いた映画なのに、俳優は韓国の人。設定は帰国子女に変更され、望月さんの経験がエピソードに生かされていないことを上げ、製作サイドは彼女に対するリスペクトや関心が薄いことを感じた。

アメリカ映画「大統領の陰謀」は実在のワシントンポスト紙の記者、カール・バーンステインとボブ・ウッドワールドを主人公にした物語で、RレッドフォードとDホフマンが演じた。彼らを日本人にしたり、イタリア人にしたりと言う変更はない。それどころか2人の名優が髪型やファッションまで本人に近づけて演じていた。それに比べると寂しいものがある。

何よりの疑問は望月といえば、官房長官の記者会見を一番に思い出す。無視されたり、質問できてもすぐに「手短に!」と注意を受ける。毎回、まともに答えてはもらえない。なのに望月さんは粘りつよく鋭い質問を繰り返す。そこに共感し応援したくなる。なのになぜ、彼女のそんな行動が描かれていない。そこが一番の疑問点だった。が、あれこれ調べて気がつく...。

日頃から僕は、繰り返しFacebook等で記事にしていることがある。「思い込み」の危険性だ。事実と違うことを思い込み、全体が見れなくなること。それを自身で犯していた。あの映画は望月さんがモデルではない。パンフレットを読み直し、ネットの映画解説、プロデュサーのインタビューも確認したが、モデルとはどこにも書かれていなかった。

つまり、望月さんの本「新聞記者」を原案にしてはいるが、そこから思いついたフィクションの物語。全くの別物なのだ。「でも、原案だろ?」と思うが、映画に生かしたのは「頑張る女性記者」という部分だけ。だから、韓国の俳優が演じてもいいし、設定を帰国子女にしても問題ない。だって、望月さんじゃないから!実在しないある女性記者の物語なのだ。 

もっといえば彼女の著作「新聞記者」が原案だと言う必要もない。女刑事のドラマを作るのに原案はいらないのと同じで、女記者もたくさんいる。わざわざ原案を謳い、クレジットする必要はない。だからリスペクトも感じなかったのだ。ではなぜ、わざわざ原案と謳ったのか? さらに、モデルでもない、原作者でもない望月さん本人をなぜ、映画に特別出演させたのか? 

その2つ。原案と特別出演があるから、僕は彼女がモデルの物語と思い込んでしまった。他の観客はどうだろうか? あなたはどうだろう? 「望月さんがモデルではない!」と思って見た人はいるのか? 原案=望月衣塑子。主人公は女新聞記者。本人が映画に特別出演。とくれば多くの人が彼女がモデルであり、主人公だと思うのが通常だ。 

では、なぜ、そんなことをしたのか? 答えは物語をじっくり見ると分かってくる。特に内調のシーンとか...(続く)



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映画「新聞記者」に感じた疑問① 原案となった本。読んでいるが.....次々に疑問が? [「新聞記者」検証]

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①映画「新聞記者」の原案となった本。読んでいるが.....次々に疑問が?

大ヒット中の映画「新聞記者」とても好評だが、僕はかなり引っかかるものがあった。そこで原作ではなく、原案とクレジットされている東京新聞の記者・望月衣塑子さんが書いた本を読んでいる。これは小説ではなく、子供時代、学生時代、東京新聞入社、新人時代から現代までの自伝的なエッセイである。

読むと、なるほど、あの官房長官に食い下がる彼女の背景がよく分かる。記者というと男性というイメージが強いが(もちろん偏見です)それを彼女は覆している。そんな望月さんの葛藤と活躍。挫折と反省が綴られた本でとても興味深い。だが、半分以上読んだが、引っかかるものがある。彼女のエピソードが映画で生かされてない。

もちろん、原作ではないし、原案。原作でも主人公のキャラクターだけ借りて別の物語ということもある。だが、望月さんという実在の人物をモデルにしているのであれば、名前は変え、多少の設定は変えても何か彼女らしいものは残すはず。逆にそれをしなければ望月さんでなくても良かったということになる。検証しよう。

映画のヒロインは帰国子女で父親も記者。その父が陰謀に嵌められて悲しい末路を辿る。その思いを継いでヒロインは記者を続けるという設定。日本の有名俳優には断られたので韓国の女優が演じたらしい。そのことで帰国子女に変更したのだろう。だが、おかしい。

どこかの週刊誌では女優の実名を挙げ「反政府のイメージがつくからと断られた」と記事になっていた。(女優の実名が上がることは通常ありえない。これも不可思議。いずれ説明)それが本当だとしても、記事に出た候補者以外で「やりたい!」という日本人女優はきっといただろう。新人であったとしても日本の女優が全て断った訳ではないはず。

そもそも望月さんがモデルの役。日本人女優で探すべき。なのになぜ、韓国の女優になったのか? そのことで帰国子女に設定を変えねばならない。モデルの望月さんから離れてしまう。ただ、それでも彼女の経験をエピソードに織り込むことはできる。なのに彼女の経験談を綴った本からは、今のところ、それらエピソードを映画に持ち込んでいない。さらに望月さんから離れる。それならオリジナルで女性記者ものにすれば良かったのだ。

彼女の勇敢な活躍が有名であり、その行動に共感するからこそ、映画のモデルに選んだのではないか? なのになぜ、彼女から離れることばかりするのか? もしかしたら、望月さんがモデルではなく、彼女の活躍に触発されて「女性記者ものをやろう」と思いつき、彼女の経験や人生とは関係のない、別物の新聞記者ものを作ったということか? そう思うと、ヒロインが帰国子女で、韓国の女優が演じてもおかしくない。望月さんとは関係のない別物語なのだから。

だが、映画は望月さんがモデルとアピールしているのに、彼女の存在が映画に持ち込まれていない。製作サイドの望月さんに対するリスペクトや興味が感じられない。他にも映画にはいろんな疑問がある。作り込み、外枠、表現、シナリオ。なのに、その問題点を誰も指摘していない。おかしい。このあとも様々な矛盾、疑問点が続々と出て来た。やがて見えて来る驚愕の事実。分析を続ける。


(続く)




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今夜です! 幻の映画「ひろしま」 NHK Eテレ 2019年8月16日(金)24:00~25:47 [2019]



「ひろしま」(映画)
NHK Eテレ 2019年8月16日(金)24:00~25:47

ETV特集「忘れられた“ひろしま”~8万8千人が演じた“あの日”~」(再放送)2019年8月14日(水) 24時00分~25時00分

番組内容

原爆投下から8年後。広島で空前絶後の映画が製作された。タイトルは「ひろしま」。撮影に参加した人の数は8万8千人。日本映画史上、最大級のスケールを誇る。原爆投下直後の広島で何があったのか?被爆者たちが自ら演じて再現している。この映画は、ベルリン映画祭で入賞。国際的な評価を受けた。しかし今、この映画の存在はほとんど知られていない。いったいなぜか?そこには、時代に翻弄された映画の知られざる事情があった。



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「左派、右派」とかカテゴリー分けする人にはご注意!=時代について行けない人の意見は無意味ぜよ? [れいわ新選組応援]

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「左派、右派」とかカテゴリー分けする人にはご注意!=時代について行けない人の意見は無意味ぜよ?

いろんな人の発言を聞いたり読んだりする。有名な人であろうと、無名であろうと、ある部分に注意して読む。それは「右」とか「左」「ポピュリズム」とか「ファシズム」とやたらにカテゴリーをして説明する人。その手はまず信用しない。もし、これが動物学者ならいい。イヌ科の***という動物。霊長類の***とカテゴリーして分ける。

だが、政治や社会というのはどんどん変化している。複雑に多様化する現在を過去に作られたカテゴリーで分けてどうするの? 共産党といってももはや過去の純粋な共産主義の党ではなく、危険視されたのは昔の話。今は一番、市民目線の政策を訴えている。それを「共産主義」というカテゴリーで分けるの?

山本太郎を「左派ポピュリズムの台頭」というタイトルで記事を書いた人がいたが、これもお笑い。一般市民がなるほどねーとは思わない。左派って何? ポピュリズムは? という人の方が多いだろう。それはジャーナリストというより学者の発想。過去のカテゴリーで分類することで著者自身が把握しようとしている姿勢が見える。

今の時代を走る山本太郎を過去の物差しで測って、何になるというのだろう? それは古い価値観や尺度に縛られているということ。実際、その記事は酷かった。つまり、その人は山本太郎を過去の分類法で分け、過去の価値観で論じているから。

話が難しくなったので映画で例える。例えば映画評論家が「この映画はSFである」と書いたら? これもカテゴリー分けだ。しかし、1977年の「スターウォーズ」(つまりエピソードⅣ)以降。SFは多様な形で作られている。例えば「エイリアン」はSFだが、ホラーと言える。怖い怖い話。でも、「エイリアン2」はホラーとは言えない。「ターミネーター」のJキャメロンが監督したアクション映画だ。

さらにSFだけど文芸作品。ラブストーリー。青春もの。戦争物と、SFジャンルの中に多様なジャンルが生まれている。それを「この映画はSFである」と解説しているような人はかなり遅れており、今の時代についていけていない。それと同じなのだ。

社会を語るジャーナリストや評論家が「右」だ「左」だとカテゴリー分けするのは、いかに時代に着いて行けてないか?の証明でしかない。また、似たような表現で「ヒトラー」を使う人もいるが、その名前が出ただけで「ああ、この著者はその人物のイメージダウンを図りたいのね?」と思えてしまう。おまけにそんな人は、本当に一番ヒトラーに近いあの人を批判しない。

先日も「ヒトラー」を挙げて太郎さんを批判していた記事があったが、どこか共通するのか?という記述ゼロ。やはり、イメージダウンさせるためのプロパガンダ。記事もネットで調べた情報のみで書かれていたし!(挙げた2つの記事は以前に取り上げ、詳しく解説している)ということで、記事を読む時、話を聞く時、その種のカテゴリー分けや著名な悪人に例える人がいたら、「信頼できる人が書いていないな」と思い読むようにしている。



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監督業は「物事の本質を見抜くこと」=イーストウッドから教わったのはトランプの正体? [トランプ問題]

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監督業は「物事の本質を見抜くこと」=イーストウッドから教わったのはトランプの正体?

映画監督の仕事は「俳優への演技指導」と思っている人がいるが、芝居をしたこともない監督が指導なんてできない。伊丹十三やC・イーストウッドなら元俳優なので可能かもしれないが、演技指導というのは違う。ただ、その芝居が素晴らしいか? ダメか? を判断するのは監督。つまり、本物か? 偽物か?を見抜くのが仕事。

もちろん、人を殺すシーンで本当に相手を殺すわけではないので、演技はどこまで行っても嘘。でも、限りになく本物に近い嘘が素晴らしい演技。そのために俳優はずば抜けた演技力が必要であり、監督もまたずば抜けた「見抜く力」を要求される。

つまり素晴らしい映画を撮れる監督というのは、物事を見る目もあると言うこと。でも、トランプが大統領選に出た頃。「とんでもない奴が出てきたのなあ」と世間と同じように、僕自身もそう感じていた。その見方が変わったきっかけは、2人の名監督の言葉。C・イーストウッドとオリバー・ストーンである。

2人はアメリカの巨悪や醜い現実を抉り出す社会派作品を作り続けている監督。一番にトランプを批判しそうなのに、認めていた。逆に名優のロバート・デ・ニーロやメリル・ストリープは完全否定。公の場でトランプを否定した。これら俳優の発言を見て日本ではこう言われた。

「俳優があそこまで言うのだからトランプはよほど酷い奴。その発言をした俳優たちは素晴らしい!」

でも、それはおかしい。元々、アメリカの俳優は政治的な発言をする。日本の方がおかしいのだ。政治と宗教は語らない方がいいと言う変な空気がある。だから、ローラの辺野古発言とか批判される。そのくせデ・ニーロが言うと褒めるのはおかしなもの。また、俳優は若い頃から演技!演技!で社会を知らない人が多い。

デニーロが名優だからと、彼の批評が正しいか?は別問題。作家や評論家と違い、俳優は政治や社会を見つめ発信する仕事ではない。日本でも政権に利用され、PRに一役買う有名俳優やタレントがいる。同じように世間のことが分かっていないので、乗せられているのだ。実はデニーロも同じであること。あとで知るのだが、イーストウッドに話を戻す。彼は言う

「悪くないと思う。まあ、しばらく見てみようじゃないか?」

慎重な言い方だが、かなりの評価だ。尊敬する2人の監督が認めたと言うことで、僕も毛嫌いするのを止め、トランプ研究を始めた。巨匠が言ったからと正解とは限らないからだ。

その後、いろいろ情報を集め、事情通に聞きトランプはアメリカのドブさらいが目的であると分かる。彼のイメージを落とす大ネガティブキャンペーンが行われていたことも知った。多くの日本人、そしてマスコミまでもがそれに引っかかっている。それを詳しく書いた記事が先日の「トランプの目的」だ。2000「いいね」をもらった。多くの人が賛同してくれたが、今も「トランプは大嫌い!」と言う人は多い。

そのほとんどが断片的に見た彼のスピーチや否定的なマスコミの論調を鵜呑みにしている。巨大勢力は都合の悪い人たちを、思想操作した国民に攻撃させる。利用されてはいけない。そんなとき、また、超評判の悪い奴が登場した。「N国」の立花孝志である。これもとんでもない奴だ!が、同じくYouTubeや政見放送。暴力動画だけで決めつけず、研究してみたい。

トランプ記事=> https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2019-06-30-2



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