映画「新聞記者」に感じた疑問③ この映画は安倍政権に斬り込む物語でもない? [「新聞記者」検証]
映画「新聞記者」に感じた疑問③ この映画は安倍政権に斬り込む物語でもない?
前回はこの映画のヒロインのモデルは望月衣塑子さんではないということを説明した。解説にも、パンフレットにも、モデルであるとは書かれておらず、彼女の本が原案だが、そこからエピソードは使われていない。女性記者という部分だけが映画になっている。つまり映画のヒロインは完全な創作であり、望月さんがモデルとかベースではない。ただ、なぜか、彼女の本が原案としてクレジット。特別出演しているので、彼女の物語か?と勘違いする観客が多くいたということ。
では、物語を見てみよう。ヒロインが追求する政府というのは安倍政権がモデルと思える。これも検証してみよう。まず、伊藤詩織さん事件をモデルにしたと思えるものが劇中で紹介される。が、その事件をヒロインの女記者は追わない。ただ、紹介されるだけだ。本筋は家計学園をモデルにした事件。
そして望月さんをモデルにした訳ではないにしても、彼女の本を「原案」にしているのなら、官房長官の会見の場面をなぜ入れなかったのだろう? 疲れた死神のような俳優。例えば故・天本英夫さんのような俳優に官房長官を演じさせ、ヒロインが食い下がるような場面があれば盛り上がる。が、それはない。菅官房長官を思わす役も登場しない。菅だけでなく、安倍総理を思わせる役も登場しない。もし、安倍政権をモデルにするなら、あの2人を思わせる役は欲しい。なぜ、登場させなかったのか?
先の伊藤詩織さんがモデルの事件でも劇中で報道されるだけであり、ヒロインの女記者が会見に臨み、直接質問したり、本人の話を聞くという場面はない。事件の再現場面もない。あの事件を思わせる報道が劇中であるだけで、ヒロインは切り込まない。総理も官房長官も出てこない。伊藤詩織さん事件にも切り込まない。もしかしたら、ヒロインが望月さんだと勘違いしたように、劇中で描かれた政権も安倍政権という訳ではないのだろうか?
加計学園を思わせる事件も、総理と友人による癒着という説明はあるが、総理役と加計孝太郎をモデルにした人物がゴルフをしたり、ビールを飲んだりする場面もない。言葉による説明だけだ。もしかしたら、これも観客が加計学園問題だと勘違いしているだけで、架空の事件という設定なのではないか? もし、加計学園がモデルであり、現実ではできなかったことを追求する物語なら、それらしさを出すはずだが、内容的にもテレビで報道された程度のものしか描かれていない。
では、内調のネット工作の場面はどうか? 他は安倍政権でなくても成り立つが、あのネトウヨ作戦はあの政権が始めたことだ。が、ここもおかしい。実は政治の舞台裏で活躍する知人がいて、その話を聞いた。ネット工作は職員ではなく、一般の人をうまく巻き込んで政府批判者を叩くというやり方。
つまり、白いYシャツの公務員があんな風に官庁内でネット工作をしているわけではないそうだ。他からも聞いたが「内調はいろんな省庁からの出先機関。あの手の作業をするとすぐにバレる」とのこと。つまり、あの場面も創作。
また、ヒロインの新聞記者としての振る舞い、記事が掲載されるまでの経緯もおかしい。「本物の記者に取材してないな!」と元新聞記者がどこかでコメントしていたが、その通りだろう。劇中で編集長らしき男性が承認するだけで簡単に一面トップの記事になっていたが、そんな簡単には行かない。
また、ヒロインは事件の裏付け取材もしていない。この辺はもう創作というより脚本家が調べずに書いたのではないか?と思えてくる。だとすると、加計学園を思わす事件が物足りないのも、新聞やテレビの情報だけでシナリオを書いた。さらに望月さんにも取材していない? 望月さん本人も「映画を監修していない」という。
安倍政権に斬り込む物語と思いきや、安倍も菅も登場せず、家計事件も輪郭だけ、新聞社の描写も取材せずに、想像で描いている。内調のネット工作も想像。ほとんどが取材せずに、想像で書かれていることが分かる。もし、政権に斬り込むのが目的なら、徹底的に取材して、僕らが知らなかった暗部を暴く展開をフィクションとして見せるはず。でも、それはない。全てが創作なのだ。何なのだろう?
総合すると、この映画は安倍政権の暗部に斬り込む話ではないということ。従来のエンタテイメント。新聞記者が実際にはない架空の事件を追い、解決する昔ながらの物語であるということだ。では、なんでそんな映画にしたのか? 別方向から見ると答えが出る。
(続く)
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