映画「マッドシティ」=マスコミは白を黒と報道する。国民はそれを信じ込む? [映画感想]
映画「マッドシティ」=マスコミは白を黒と報道する。国民はそれを信じ込む?
コスタガブラス作品にしてはエンタテイメント色が強い作品か?と思って見ていた。ダスティンホフマンがテレビのレポーター。ジョントラボルタが人質事件の犯人。クビになった彼が働いていた博物館に銃を持って抗議に行ったことから事件になる。居合わせたホフマンがそれを中継。「狼たちの午後」のような話か?と思いきや...
この作品が描くのはマスコミの暴走。視聴率を取るためには白を黒と報道。黒を白と伝える。ウケればいい。そのためにトラボルタは次第に極悪人に仕立てられていく。逆にいうと、真っ黒でもマスコミが扱えば真っ白になる。日本の政権がまさにそうなっている。そのマスコミをうまく使えば、真っ黒が緑になり都知事になれたりする。
マスコミ酷い。許せない!と感じる人もいるだろう。しかし、それに振り回され、安易に喜んだり声援を送るのは我々、市民なのだ。私たちが乗せられなければ黒を白にはできない。あの政権がこの間まで圧倒的な支持率があったのも同じ。フジサンケイグループのように嘘のデータを出していても、それを信じ込み。「やっぱ人気あるんだな」と思っていた人は多いはず。
そんなことを感じながらこの映画を見た。ラストはやはり悲惨なもので、同じ結末を日本でも現実の中で何度も見ている。
「ホロコースト アドルフヒトラーの洗礼」あの政権と重なるナチスの暴走? [映画感想]
「ホロコースト アドルフヒトラーの洗礼」あの政権と重なるナチスの暴走?
このタイトルからすると、ヒトラーの名前を利用したB級映画か?と思えるが、やはりコスタガブラス監督。かなり重いリアルな社会派。第二次大戦下。ナチスのSS隊員だった主人公はユダヤ人虐殺の事実を知り、告発を決意。ホロコーストものは多いがドイツ人の視点から描くのは珍しい。そして彼に協力するバチカンの若き神父。
だが、バチカンも、アメリカ軍も、彼らの告発には耳を貸さない。証拠を出しても無視。暴走するナチスを恐れて教会も、マスコミも、見ないふりをする。まさに、今の日本。暴走する政権をマスコミも検察も止めようとはしなかった。国の暴走とは理不尽がまかり通り、多くの人が目を塞ぎ、協力してしまうものなのか? これから見る人。この先はネタバレ。
最後にドイツは敗北するが、バチカンの態度に失望した神父は自らアウシュビッツに送られ、そこで死を受け入れる。主人公は捕虜になりナチスを告発する書類を作成するが、ホロコーストの関係者の1人として告発。絶望した彼は自殺。その彼の上司だったまさに責任者は医者を語り、バチカンの力を借りて国外逃亡。
「これでいいのか!」という結末を迎える。これもまた日本と同じ。公文書を改ざんした理財局長は長官になり、政権のために不起訴を続けた検事長は膨大な退職金をもらった。総理を告発した籠池夫婦は長期に渡り拘束。全てを失った。元法務大臣逮捕という展開があり期待が持たれるが、ナチスの暴走と重なるものが多い。
コスタ=ガブラス監督「ミッシング」見終わって怒りと悲しみが込み上げる....。 [映画感想]
コスタガブラス監督作品を続けて3本見た。 [映画感想]
「朝日のあたる家」を監督して以来。いろんな業界の方が応援してくれる。 [2020]
「朝日のあたる家」を監督して以来。いろんな業界の方が応援してくれる。
映画界だけでなく、マスコミ関係、政治家、医学関係、原発関係と、僕の知らない情報や裏話を教えてくれたりする。もちろん、それら情報を鵜呑みにはせず、テレビ、ネット、新聞等でも確認。フェイクニュースでない裏付けをできる限りしたものに、僕の推理を加えた記事を書いている。
僕の場合。監督業になる前にはライター業をしており、「週刊プレイボーイ」や「cosmopolitan」「PENTHOSE 」等に記事を書かせてもらっていた。事件や人物を追跡し、取材し、インタビューして記事にした。レギュラーで書かせてもらった雑誌のある編集者さんには、本当にお世話になり、いろいろ教わった。学校を卒業してそのまま映画界に飛び込んでいては学べないことを学んだ。
そんな経験があるので「朝日のあたる家」の時は原発取材をかなりしたし、「ドキュメンタリー沖縄戦」のような作品も撮れる。そんな意味でブログと言えども、いい加減なことは書かない。なんで結構、あれこれ調べて書くこと多く、時間がかかる。職業病?とは言え、編集者もいない。校閲もない。あれこれ間違えても確認してくれる人もいない。なかなか、大変ではある。そうそう、何を書こうとしたか?忘れていたが、ある情報通の方から聞いた話を書こうとしたのに話が逸れた。本題はまた別の機会に。
この議員、何を言ってるのか?! 都民よりオリンピックが大事? [社会政治]
この議員、何を言ってるのか?! 都民よりオリンピックが大事?
山本太郎が提案する「都民に10万円給付する」を批判している。その理由は「今まで五輪のためにかけてきたコストが無駄になる」「豊かだった東京都の財政が一気に赤字に転落する」というもの。はあ? 言ってること分かっているのかな? コロナで仕事失い、収入が激減した都民が数多くいるのに、それを援助すると「五輪にかけた金が無駄になる」という。
どっちが大事なの?今、苦しむ都民とオリンピックにかけた金と?つまり都民よりオリンピックが大事ということね? そして「豊かだった東京都が赤字に転落」も同様。都民が苦しむ、会社や店が潰れる危機に瀕しているのに、それを僅かでも支援することで「都が赤字に転落」してはいけないと言うこと。アホなの?
簡単にいうと、都民の生活よりオリンピックが大事。都民を援助するより都が赤字になるのが心配ということ。それを議員が言うか? 建前でも都民のために、区民のために何かしたい!と言うのが議員ではないか?本音言ってそうする。
そんな彼女のTwitterプロフィール「正直者が馬鹿を見る、そんな社会は許せない。最小の税金で最高のサービスを!」笑わせるなあ〜。言ってること反対やんか? 杉並区の皆さん。この人。どうなんです?ん? フォロワー見ると、杉田水脈、佐藤正久の名前。なるほど、そう言うチームか...。
黒澤明を目指した若者たち=100点満点を求めると自分の首を締める? [映画業界物語]
黒澤明を目指した若者たち=100点満点を求めると自分の首を締める?
「世界のクロサワ」と呼ばれる黒澤明監督は「完璧主義者」として知られている。撮影で家が邪魔だと言って取り壊したり、俳優に日頃から着物を着せて生活させたり、スタジオ内の酸素がなくなるほど強力なライトを使ったり、都市伝説とも言えるエピソードが多い。
そんな黒澤監督に憧れた若者たちは、映画は「完璧主義」でなければいけない!と思い込んだ。が、10万円程度の製作費で作る学生映画で「完璧」などできるはずがない。妥協の連続でないと完成するできない。
僕が8ミリ映画を作った時もそれを痛感。50人のエキストラを集めたいが、来てくれたのは5人。それでは迫力は出ない。が、ギャラも払えない。飯も出せない。交通費もなしで1日付き合ってくれる友人は5人でもやっと....。スタッフである友人たち。映画学校の生徒の彼らはいう。「あーまた妥協した!」映画監督を目指す彼らはこういう。
「映画を作る以上、いい加減なものはできない。真剣にやる。10万円では俺のイメージを映像化できない。最低でも10億かかる。何より俺はプロを目指す。8ミリ映画なんて子供の遊びだ。16ミリでもダメだ。やはり35ミリか70ミリでないと! 俺は完璧主義だからな....」
てなことを言って学生映画を撮ろうとしなかった。そんな輩は多い。「戦前の中国を舞台にした超大作を作る!」とか「1950年代のアメリカを再現した暗黒街ものをやりたい」と大きな話をする。「俺は妥協しない。それなりの製作費が出ないとやるつもりはない」すでに気分は「クロサワ」だ。だが、黒澤だって最初から100点だった訳ではないのだが....
気づくことがある。まず、彼らは映画学校の学生。そんな連中に10億もの製作費を誰が出すというのか? 何の実績もない、学校の実習さえやったことがない若者に、映画会社が製作費を出さないことはすぐに分かる。次に、奇跡が起こり10億円が出ても、映画スタッフ経験もない。現場も知らない。演出をしたことのない若者に素晴らしい映画......いや、完成させることができるのか?
なのに彼らは「10億出せば撮ってやるよ。俺はできるんだよ!」と言い切る。例の「認めたくない。若さゆえの過ちを...」というやつ。経験がないからこそ言えることだ。この手のタイプは俳優の卵にも多い。演劇学校等で教えていても、真面目にレッスンをしない若者がいる。明らかに手抜き。注意すると「映画で役をくれたら、凄い芝居を見せますよ。ただ、俺は主役しかしませんけどね!」と言っていた。勘違いもここまで来ると凄いが、そんな若者は意外にいる。
先の学生たちも同じ。まず「俺は才能あるんだよ」「10億あれば凄いの作ってやるよ」という何の根拠もない自信。「飛行機事故にあっても俺は死なない」「コロナに私は感染しない」という思い込みと同じもの。多くの若者はそう思いがち。自分は特別。だから彼らは10万円の学生映画を作らない。「俺は完璧主義だから、そんな額ではやらねえんだよ」という。
ただ、これらの若者は結局、何もしないまま消えて行く。当然、映画会社からの依頼もなく、彼らからアプローチしない。「依頼があればやってやるよ」というばかり。高いプライド。「俺は第二のクロサワだ。完璧主義だ。妥協はしない。だから、学生映画はしない」「100点取らなきゃ意味がない」と思っている。結果、自分を高いところに置き縛ってしまう。俺は凄いんだから(本人が思うだけ)いずれ大手が認める。でも、何もしないから認められない。
やがて学生映画を作った友人が賞を取る。「あんなものを作ってるようじゃダメなんだよ」友人がプロデビューする。「どうせダメになるよ」別の友人がデビューする。でも、誰も自分を認めてくれない。その段で10万円の学生映画を始めるのはもう恥ずかしい。そうやって友人たちを否定するばかりで、何もせず。就職せねばならない年齢になる。僕の世代の映画監督志望たちのよくあるパターンだ。
最初から100点を求めた若者たち。「最初は30点でいいじゃん?」とは思わない。30点取るだけでも大変なことを知らないからだ。その繰り返しで得点を挙げて行く。なのに努力をしたことのない者は他人の点数を平気で踏みつける。似たような人たちを最近見た。
「現総理はダメだ。でも、石破もダメだ。野党もダメだ。だから俺は投票しない」100点取れる政治家がいないという意味だが、その結果、あの人を応援していることに気づいていない。30点の政治家でもいい。マイナス100点の現職よりずっといい。でも、100点取れる人を求める。映画も政治も1回勝負ではない。最初は30点、次に40点と進めばいい。だが、最初から100点を目指す人がいる。結果、どちらも自分の首を絞めているだけだということに気づかない。
山本太郎はなぜ、知事選に出馬したのか?=彼が言葉にしにくい側面を推理。 [都知事選 2020]
山本太郎はなぜ、知事選に出馬したのか?=彼が言葉にしにくい側面を推理。
昨日のFacebook、Twitterを見ていると山本太郎、応援と批判の声を数多く見た。アンチからの批判はいつものことだが、太郎応援団でも批判する人がいた。中には「金集めのため」「党の名前を売るため」と指摘するものもあった。何が根拠なのだろう? 出馬表明後にあれこれ調べて「実は〜」というのなら分かる。が、出馬会見前に、その手の批判が出ていた。要は「印象」「マイ推理」ということだ。
ただ、僕も「何で知事選?」と思ったが、会見を聞き納得した。一部の人たち。会見も見ずに想像で批判をしてはいないか? しかし「宇都宮候補と票を取り合うことになるのでは?」という不安はあるだろう。あるいは「野党共闘を断って、れいわに固執した」というニュースも聞く。だとすると、調和を考えず自分勝手に出馬したと思う人もいるだろう。
でも、野党同士が仲良くすることが大事ではない。勝つための共闘だ。そこで知事選。過去の投票数を見直してみた。以下のデータを見てほしい。
ー2012年都知事選ー
●猪瀬直樹 4,338,936
(公明党、日本維新の会 支持・自民党 支援)
宇都宮健児 968,960
(日本未来の党、共産党、社民党、緑の党、
新社会党、東京・生活者ネットワーク 支持)
ー2014年知事選ー
●舛添要一 2112979
宇都宮健児 982594
(共産、社民推薦)
ー2016年知事選ー
●小池百合子 2,912,628
(かがやけTokyo・自由を守る会 支援)
鳥越俊太郎 1,346,103
(民進党・日本共産党・社会民主党・生活の党と山本太郎となかまたち・新社会党・緑の党グリーンズジャパン・生活者ネットワーク 推薦)
細かく見よう。2012年に宇都宮候補は多くの野党推薦を受けながら残念ながら落選。2016年には鳥越俊太郎も多くの野党推薦を受けながら落選している。女性スキャンダルもあったが、小池の半分だ。その影響だけではないだろう。また、2014年には共産と社民の推薦で宇都宮は出馬しているが、舛添票の半分も取れていない。逆に2016年には小池百合子が推薦わずかでも290万票を取り大勝利。ちなみに2011年は石原慎太郎。野党共闘で勝利した候補はこの10年では1度もない。
そう考えると山本太郎が野党共闘推薦を受けなかったことに大きな問題はない。では、知事選で勝利する要因は何だろう? 歴代の都知事の名前を上げよう。青島幸男、石原慎太郎、猪瀬直樹、舛添要一、小池百合子。全てテレビで名の売れた有名人だ。つまり、都民は有名人が好きということ。どんに素晴らしい政策を打ち出すより、どの党が推薦したか?より都民は有名人が好きなのだ。情けないがそれが現実。(大阪もね!)
それでいうと山本太郎という元芸能人のカードも有効だろう。昨年の衆議院選では個人で最高の96万票。選挙期間中、テレビはほとんど彼を無視したのにあの数字。全国であの数字なら東京ではもっと行く。今回の選挙で一番大事なのは緑のおばさんを下すこと。パフォーマンスだけで何もしない人を都知事にしておく意味はない。そう考えると、今回一番、有効なのは山本太郎ではないか?
会見で彼は「目の前に飢えている人がいる。それを次の選挙まで待っていては救えない」と言っていたが、それは本音だろう。彼は目の前の悲しみを見ない振りして未来を語ったりしない。そして熱い思いだけでなく考える。「宇都宮さんは知事に相応しい。けど、」そして先のデータを確認。「元芸能人の俺ならどうやろ?」と考えた? しかし、それを言葉にするのは彼に失礼。会見では触れていない。「小池の票を奪える1人」と言った。都民は政策より有名人。「それなら奪えるかも?小池を止めて、苦しむ人たちのためにできることをしたい!」そう考えたのではないか? あれこれ推理している。
有名人を知事に選ぶ東京都民。次もタヌキを選ぶのか? [緑のタヌキ]
有名人を知事に選ぶ東京都民。次もタヌキを選ぶのか?
緊急事態宣言が解除。東京都も都知事選が迫っているのでコロナ感染はもうないことにしたいようで、連日感染者が20人を超えても無視。都民も「なんかコロナも終息だね」という気分が強い。それならこのまま行ってまた大変なことになっても知ーらない!と思うのだが、日本人は本当に能天気な国民だと感じる。
そして多分、都知事選では小池百合子が圧勝するだろう。これもパフォーマンスに騙される都民が多いからだ。だが、忘れてはいけない。小池はオリンピック延期が決まるまでは一切、コロナに触れず。感染が広がっているのに無視し続けた。それが延期が決まった途端にテレビで出ずっぱりで「ロックダウン」「三密」「アラート」「クラスター」と得意の造語を連発してマスコミの注目を集めた。が、検査数を発表せず、感染者数のみ。
和歌山県では知事の決断でPCR検査が拡充されたが、都内では死にかけても検査が出来ない状態が続いた。店舗に自粛要請をしながらも、補償はわずか。東京都は国よりは対策を打ち出したが、200軒店舗がある商店街に100万とか200万しか支給しない。一軒数万円。そんなで店閉める訳にいかない。それでも小池が注目されたのは、政府がそれ以上にダメ過ぎたからだ。
アベノマスク 。10万円の給付金にどれだけ月日をかけるのか? それに比べると連日テレビに出てパフォーマンスする小池が頑張っていると錯覚する都民も多かったはずだ。その上、東京は以前から都知事に有名人を選びがち。石原慎太郎、猪瀬、舛添、青島幸男。テレビにどれだけ出ているか?が大事なのだ。(大阪もそうだけど)「女帝」を読んだ人の多くは「小池ひどい」というが、彼女に騙された国民がアホとも言える。
さあ、次の都知事選緑のタヌキでいいのか? ぜひ、多くの人に「女帝」を読んで頂きたい。こんな時こそワイドショーがこの本を紹介すべきと思えている。