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「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」東京公開に続き、各地でも! [沖縄戦]

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原発事故を描き話題となった映画「朝日のあたる家」その太田隆文監督が3年をかけて取材。体験者と専門家が語る沖縄戦の真実。日本軍は沖縄で何をしたのか?授業では教えることが出来ない事実とは?戦後75年。「米軍が最も恐れた男 その名は、カメジロー」「主戦場」に続くドキュメンタリー作品。

7月25日〜新宿Ksシネマ 7月31日〜京都シネマ
8月1日〜大阪 第七藝術劇場 8月8日〜沖縄 桜坂劇場
8月8日〜21日 横浜 ジャック&ベティ
8/21~9/3 山形 MOVIE ONやまがた
長野、名古屋、茨城も公開予定。




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ひねくれ者のつぶやき。「時代は変わる」と感じている。 [my opinion]

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ひねくれ者のつぶやき。「時代は変わる」と感じている。

芸術家は変人が多い。捻くれた者も多い。映画監督も同様だ。それで僕もこの仕事をしているのかもしれない。「右と言われれば左」というタイプ。NHKには絶対就職できない。小学校時代は「協調性がない」と毎回成績表に書かれた。それでも日本独特の教育「誰とでも仲良くしなさい」という教えに従い、大人になった。が、映画業界の先輩たちを見て「監督業はわがままでなければならない」ことを痛感。

ただ、今でも更生はしておらず、わがままで世の中を斜めに見て、何事も疑ってかかる。素直じゃない。会社員になっていたら、暴れて、上司殴り、クビになっていただろう。そんな性格だが、映画を作る上であれこれ考える。特にアメリカ留学をして以来。僕がひねくれ者で文句を言っているのではなく、日本の社会が世界から見てもおかしい、異質であることを感じる。

日本にいると分からない。先の「誰とでも仲良くしなさい」要は「ムラ社会ルール」だ。狭い地域で揉めずに生きていくための術である。そんな日本の古いルールは島国のニッポンでさえ次第に通用しなくなっているが、そのことが日本人を縛り、アジアの貧乏国にしてしまった元凶であること。まだまだ気づいていない人が多い。

誰ともでも仲良くする必要はない。仲良くするには「違う」と思ってもNOと言えない。迎合し、多数派に従うことになる。自民はダメと思っても、ご近所の手前そうは言えないとか、宗教グループに入れば教祖様の批判は御法度とか。仲良くするには「見て見ぬ振り」「意見を言わない」「皆と同じに振る舞う」「新しいこと目立つことをしない」が要求される。その教えこそが「ムラ社会ルール」であり。憲法で設定しなくても、日本人は古来からのその風習を受け継ぎ、次の世代に伝えているのだ。

あちこちで綻んで来てはいるが、まだまだ根強く残っている。そして何より、そんなルールに縛られていることに気づいていない人。それこそが常識だと思っている日本人も多い。そんな時代遅れのルールに気づき、「おかしい!」「違う!」と指摘するのが芸術家の仕事なのかもしれない。その意味で捻くれ者の1人として、日頃から「あれ?」「変だな」と思うことを記事にすること。僕の役目かもしれない。

一昔前なら「アホちゃうか?」「何言ってんだ」「非常識な奴」「お前は共産党か?」と言われたことも、最近はFacebookで多くの人から共感のコメントを頂いている。時代が変化している証し。ということで、「友達」の皆さんからも「マジかよ?」と言われること。さらに書いていきたい。


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映画主人公のモデルになった人。シナリオを読んで大激怒!その理由が残念すぎる? [映画業界物語]

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映画主人公のモデルになった人。シナリオを読んで大激怒!その理由が残念すぎる?

かなり前だが、友人の監督が平和活動をしているある中年男性をモデルにシナリオを書くことになった。取材すると「僕がモデルなんて嬉しい話です。でも、まあ、自由に書いてください。協力できることは何でもしますから!」と笑顔で言ってくれた。友人はある程度書けたところで、その人に見せたいと言うので止めた。まず、シナリオを途中で見せるのは危険。最後まで書いてない段階で見せると誤解を生むことが多い。

結末まで読めば納得する物語でも、途中だと「***がいらないんじゃない?」伏線なのに「ここよく分からない」と言う印象を持つ人が多い。分かりやすく言うとカレーライスを作る途中で、野菜を煮込み、ルーを入れる前に試食させるようなもの。「これカレーらしくないね」と多くの人は言うだろう。ルーも肉も入っていないから当然。シナリオも同様の反応になりがち。

おまけにモデルの人は一般の人。シナリオを読んだことがない。小説のつもりで読むかもしれない。登場人物の説明が足りず、分かりずらいとかいうかも? でも、それがシナリオ。小説ではない。僕も学生時代は「いろんな人の意見を聞くことは大事」とシナリオを複数の友人に見せたが、彼らは物語をイメージできなかった。当然シナリオを読んだことはない。なのにあれこれ意見を言う。青春ものなのにアクションシーンが欲しいとか、CIAが絡むと面白くなるとか、自分の趣味を語るばかり。全く参考にならなかった。

シナリオを読んだことのない人に、完成していないシナリオを読ませるのは特に危険。それもモデルとなる人。だが、友人は「とてもいい人で、自由に書いていいと言ってるので大丈夫だよ」と見せてしまった。不安は的中。こんなことを言われた。「この場所で私はこんなことを言っていません。誤解されるので正確に書いてください」「部屋の描写もおかしい。私の家に当時ビデオデッキはなかった」

それらは脚色された部分。映画というのはモデルがいても全て事実通りに描くことはしない。それでは見ている人が混乱する。物事を整理して、集約して、セリフも分かりやすくする。モデルはあくまでもモデル。名前も設定も変えて描くのが通常だ。にも関わらず、その男性は「これは事実ではない」「これは違う」「私はこんなことしていない」とか本筋とは関係ない部分を指摘した。

「これでは活動する仲間から誤解される。ちゃんと正確に書いて欲しい。でないとモデルになるのは辞める」とまで言われた。友人の書いたシナリオは決して彼を悪く描いてはいない。モデルがいるがフィクションの物語。なのに全てを事実で描けと言う。映画作り、シナリオ作りではありえない。

これが彼の自伝なら分かる。が、あくまでもフィクションでありモデル。そこが理解できていない。ただ、問題は友人の方が大きい。シナリオを読んだこともない人に、それも途中で見せること自体が間違い。誤解を生む。これが映画になり俳優が演じ、音楽が入り、スクリーンで見れば「ああ、なるほど、俺がモデルだけど映画になると別物だなあ」と思い。「これ見たら仲間も喜んでくれるだろう」と考えたかもしれない。が、シナリオの段階で読んだので、事実関係ばかりに目が行った。

友人はモデルの人に誤解されないように、より正確な事実を取り込めるように途中で見せた。そこは分かる。彼の誠意でもある。ただ、僕も似たような経験があるので分かるが、映画経験のない人には分からない。映像になるとどうなるか?想像できない。特に途中段階であれこれ感想を求めるのは危険。誤解、拡大解釈、思い込み、偏見、いろんなことで別物を想像。「違う」「これじゃダメ」と思ってしまう。ルー入れる前に味見して、素人が「これはいいカレーができそうだ」とは思わない。思えないのだ。

しかし、調理途中でも「味どうですか?」と聞かれれば、誰だって素直な感想を言ってしまう。つまり、それを聞いたプロがいけない。決局、その人はモデルを降りてしまった、友人はその役を無しにして、別の主人公ー創作したものでシナリオを完成させた。モデルだった人は「絶対にあの映画は見ない!」と憤り。仲間にも「嘘を描いた映画だ。酷い」と言っているという。誰にも悪意がないのに悲しい結末。映画でも料理でも、専門でない人は分からない。それをプロの側は注意すべきなのだ。


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