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「女帝 小池百合子」要約するとこんな内容だ。 [緑のタヌキ]

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「女帝 小池百合子」感想。いくら書いても書き足りたない。

いろんな側面で感じることがある。その前に読んでない人のために簡単に要約する。この本が伝えているのは.....

「小池という女は偽の肩書き(カイロ大学を首席で卒業)と片言でしか話せないアラビア語を武器?にマスコミに入り込む。その後は権力ある男に取り入り、気に入られ、取り立ててもらい。パフォーマンスだけで政治家の階段を上がる。利用できるものは何でも利用。敵はどんな手を使っても叩き潰す。利用価値がなくなれば即、切り捨て。

でも、世渡りはうまく。男を次々に乗り換えて大臣まで経験。ポリシーはなく、主義主張もない。国民受けすることを言うが実行力はない。ビジョンもなく、要はスポットライトを浴びたい。権力を手にしたいだけの人。なのに騙される人は多く、都知事にまで上り詰めた。次の目標は総理大臣。こんな女性をのさばらせていいのか?」

と言うのが本の趣旨だ。先に僕が書いたのは「この本自体の問題」「だが、書かれている内容はほぼ事実」「彼女のようなタイプは芸能界には多い」と言う話。だが、まだまだ伝えたいことがある。本を読めば「小池って本当に酷い女だ!」と思うだろう。だが、それにコロッとダマされた国民はどうなのだ? それをなぜ、見破れない。次の都知事選でも圧勝と言われている。

彼女はこれまで国民のためには何もしていない。パフォーマンスだけ。にも関わらず「緑のタヌキ」(?)として人気沸騰。政権から嫌われ者だったにも関わらず、都知事に転身。さらには総理の椅子まであと1歩というところまで迫った。そこにはパフォーマンスだけでなく、現総理というもっとダメな政治家がいることが大きい。あの人も国民のために何もしていないが、パフォーマンスすら出来ない。

そのためにコロナ感染の中。支持は下がり続け、緑のおばさんはコロナを利用して評価を得た。実際は何もしていないのだが、国民の多くは「頑張っている」と勘違いした。(大阪の人も同様)要はいかに国民がアホか?騙されやすいか?ということが問題のようにも思える。


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なぜか1万5千件アクセスのトランプ記事? [トランプ問題]


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なぜか1万5千件アクセスのトランプ記事?

以前にこのFacebookでもアップした「トランプの正体」記事。

なぜか、ブログの方で今頃、アクセス殺到。凄い数になっている?

また、誰か著名人がツイートしてくれたのか?

1万5258件アクセス。こちらでも、もう一度紹介しておく。

ここ=>https://cinemacinema.blog.ss-blog.jp/2020-01-19


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ノンフィクションは憎しみで描いてはいけない。ただ、怒りこそが作家の原動力? [緑のタヌキ]

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ノンフィクションは憎しみで描いてはいけない。ただ、怒りこそが作家の原動力?

「女帝」は面白く読んだ。2日ほどで読みきった。が、引っかかったのは著者の意図だ。なぜ、彼女はこの本を執筆したのか? 原動力は何か? そして小池と同居していた女性はなぜ、彼女に資料を託したのか? 後者は途中で明らかになる。都知事の重大な過去を知っている存在として、恐怖を感じた。そこから逃れるにはそれを公にすること。では、著者の意図はどこにあるのか?

この種の本は「悪徳政治家の真実を暴く」と解釈され、読者は「事実」だと思って読みがち。確かに書かれていることは、ほぼ事実だとは思う。情報通の知人から聞いていたこととも多く符合した。ただ、この著者の文体はいかがわしい部分がある。ノンフィクションにも関わらず小池の心情を代弁する。彼女を憎まずにはいられない見事な誘導。まるで小説のように描かれている。面白く読めるが、本来その手法をノンフィクションに使うべきではない。

最後まで読んで感じたのは、著者は「小池に政治家を続けさせるべきではない」という強い使命感を持ったであろうこと。また「女として許せない」という思いもあったかもしれない。その強い思いが「ノンフィクションではない表現」をしてしまうという暴走をしたのだろうと考える。そのために冷静さに欠ける部分があり、懐疑的にもなった。以前に読んだ現総理の本。1冊は男性作家。もう1冊は女性記者。比べると後者の方が著者の「怒り」を感じた。

また、山本太郎さんのことを書いた本。著者は強い共感を持ちながらも、どこか自身をアピールする記述が多かった。「これ誰のことを書いた本なの?」という感じ。決して太郎さんを利用している訳ではないのだろうが、本来は黒子に徹するべき作家が、強い怒りのために自分を押し出したのかもしれない。以上の3冊は全て女性作家。もちろん、たまたまだろう。日航123便事件を追求した本を書いたのも女性。作家の強い憤りを読んでいても感じるが、勤めて冷静に追求していることを感じた。

女性作家だから!ということではないが、先の3者は感情に走り、いくつかの部分で冷静さを失い、暴走している記述が見られた。そのために全部を信用できないと思えた。いずれも大きな敵の姿を浮き彫りにし、国民に伝えようとする作品なので否定はしないが、感情に走ると、いくら事実を描いても読者が納得しないことも出てくる。「本当に事実だろうか?」という疑念を持ってしまう。ワルを悪であると説明するのは難しい。ワルを暴くには「怒り」が原動力となるが、怒りが強いと感情的になり伝わらない。難しいものだ。



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