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ノンフィクションは憎しみで描いてはいけない。ただ、怒りこそが作家の原動力? [緑のタヌキ]

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ノンフィクションは憎しみで描いてはいけない。ただ、怒りこそが作家の原動力?

「女帝」は面白く読んだ。2日ほどで読みきった。が、引っかかったのは著者の意図だ。なぜ、彼女はこの本を執筆したのか? 原動力は何か? そして小池と同居していた女性はなぜ、彼女に資料を託したのか? 後者は途中で明らかになる。都知事の重大な過去を知っている存在として、恐怖を感じた。そこから逃れるにはそれを公にすること。では、著者の意図はどこにあるのか?

この種の本は「悪徳政治家の真実を暴く」と解釈され、読者は「事実」だと思って読みがち。確かに書かれていることは、ほぼ事実だとは思う。情報通の知人から聞いていたこととも多く符合した。ただ、この著者の文体はいかがわしい部分がある。ノンフィクションにも関わらず小池の心情を代弁する。彼女を憎まずにはいられない見事な誘導。まるで小説のように描かれている。面白く読めるが、本来その手法をノンフィクションに使うべきではない。

最後まで読んで感じたのは、著者は「小池に政治家を続けさせるべきではない」という強い使命感を持ったであろうこと。また「女として許せない」という思いもあったかもしれない。その強い思いが「ノンフィクションではない表現」をしてしまうという暴走をしたのだろうと考える。そのために冷静さに欠ける部分があり、懐疑的にもなった。以前に読んだ現総理の本。1冊は男性作家。もう1冊は女性記者。比べると後者の方が著者の「怒り」を感じた。

また、山本太郎さんのことを書いた本。著者は強い共感を持ちながらも、どこか自身をアピールする記述が多かった。「これ誰のことを書いた本なの?」という感じ。決して太郎さんを利用している訳ではないのだろうが、本来は黒子に徹するべき作家が、強い怒りのために自分を押し出したのかもしれない。以上の3冊は全て女性作家。もちろん、たまたまだろう。日航123便事件を追求した本を書いたのも女性。作家の強い憤りを読んでいても感じるが、勤めて冷静に追求していることを感じた。

女性作家だから!ということではないが、先の3者は感情に走り、いくつかの部分で冷静さを失い、暴走している記述が見られた。そのために全部を信用できないと思えた。いずれも大きな敵の姿を浮き彫りにし、国民に伝えようとする作品なので否定はしないが、感情に走ると、いくら事実を描いても読者が納得しないことも出てくる。「本当に事実だろうか?」という疑念を持ってしまう。ワルを悪であると説明するのは難しい。ワルを暴くには「怒り」が原動力となるが、怒りが強いと感情的になり伝わらない。難しいものだ。



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