有名人を知事に選ぶ東京都民。次もタヌキを選ぶのか? [緑のタヌキ]
有名人を知事に選ぶ東京都民。次もタヌキを選ぶのか?
緊急事態宣言が解除。東京都も都知事選が迫っているのでコロナ感染はもうないことにしたいようで、連日感染者が20人を超えても無視。都民も「なんかコロナも終息だね」という気分が強い。それならこのまま行ってまた大変なことになっても知ーらない!と思うのだが、日本人は本当に能天気な国民だと感じる。
そして多分、都知事選では小池百合子が圧勝するだろう。これもパフォーマンスに騙される都民が多いからだ。だが、忘れてはいけない。小池はオリンピック延期が決まるまでは一切、コロナに触れず。感染が広がっているのに無視し続けた。それが延期が決まった途端にテレビで出ずっぱりで「ロックダウン」「三密」「アラート」「クラスター」と得意の造語を連発してマスコミの注目を集めた。が、検査数を発表せず、感染者数のみ。
和歌山県では知事の決断でPCR検査が拡充されたが、都内では死にかけても検査が出来ない状態が続いた。店舗に自粛要請をしながらも、補償はわずか。東京都は国よりは対策を打ち出したが、200軒店舗がある商店街に100万とか200万しか支給しない。一軒数万円。そんなで店閉める訳にいかない。それでも小池が注目されたのは、政府がそれ以上にダメ過ぎたからだ。
アベノマスク 。10万円の給付金にどれだけ月日をかけるのか? それに比べると連日テレビに出てパフォーマンスする小池が頑張っていると錯覚する都民も多かったはずだ。その上、東京は以前から都知事に有名人を選びがち。石原慎太郎、猪瀬、舛添、青島幸男。テレビにどれだけ出ているか?が大事なのだ。(大阪もそうだけど)「女帝」を読んだ人の多くは「小池ひどい」というが、彼女に騙された国民がアホとも言える。
さあ、次の都知事選緑のタヌキでいいのか? ぜひ、多くの人に「女帝」を読んで頂きたい。こんな時こそワイドショーがこの本を紹介すべきと思えている。
嫌いな人のことを知ろう。騙されないために大切なこと。=女帝・緑のタヌキ? [緑のタヌキ]
嫌いな人のことを知ろう。騙されないために大切なこと。=女帝・緑のタヌキ?
小池百合子は非常に興味深い存在だ。とかいうと「支持してんのかよ!」とか「あんな奴は最低だ」というコメントがよく来るが、なぜ、「好き」「嫌い」だけで判断して、自分の嗜好と違うと否定したがるのか? そして「嫌い」なら余計にその人物を深く知るべきだと思う。
あの総理、N國、橋下、ホリエモンは記事に書くだけで「俺は嫌いだ!」と書き込む奴がいるが、自分の好き嫌いを人のFacebookのコメント欄に書くことで何かプラスがあるのだろうか? 「憎しみ」というのは非常に利用されやすい。太平洋戦争では「米英鬼畜」といい、アメリカ、イギリスを憎む政策が取られた。
アメリカでは「リメンバー・パールハーバー!」と日本人への憎悪を忘れないためのキャッチフレーズが繰り返された。そして最近では小沢一郎、トランプ。要は彼らの存在が都合悪い人たちネガティブキャンペーン。「嫌い」「最低だ」「差別主義者だ」と批判したが、多くが誘導されていたことは次第に分かってきた。
もちろん、小池百合子が実は素晴らしい政治家!ということはない。が、彼女の何を知っているわけでもないのに「嫌い」「最低」という人はとても誘導されやすいタイプだと思える。湾岸戦争だって、911だってそう。単純なアメリカ人の気持ちを逆なでする事件を起こせば簡単に戦争を始められる。だからこそ、嫌いな存在こそ、あれこれ調べて知るべきなのだ。
そして、分析、どうすれば問題を多くの人が知るか?を考える。そんな彼ら彼女らを知ろうと本を読んだ感想を書くと「私は絶対に読みません」「そんな人の写真見るだけでムカつく」とコメントが来る。日米共に、誘導されやすい人が多いことを感じる。
小池とアヘの違いを上げる [コロナウイルス]
「ドキュメンタリー沖縄戦」東京の映画館で公開決定! [沖縄戦]
「ドキュメンタリー沖縄戦」東京の映画館で公開決定!
お陰様で公開が決まった。今はコロナ禍の真っ只中だが、夏の公開なので、その頃には緊急事態宣言も解除されて映画館も通常営業していると思える。さて、多くの皆さんから応援、心配を頂いたので、ここまでの経緯を説明しておく。
いつもは劇映画を撮っている僕だが、初めて長編ドキュメンタリーに挑戦した。3年がかりの取材。勉強で昨年の春に完成させた。ある団体から依頼された作品。教材として利用する。が、非常に出来がいいので映画館公開を提案した。団体側も了承。その方向で動き出した。
というのも、僕は学校の授業で習った程度しか沖縄戦について知らず、今回の取材でゼロから勉強した。それは想像を絶したもので、まさに地獄絵巻。ここまで酷い現実があることを思い知った。
学校の授業では「沖縄で唯一の地上戦があった」ということくらいしか教えられず、過酷すぎる沖縄の状況を知ることはなかった。また、映画でも「ひめゆりの塔」(リメイクが数本)「沖縄決戦」くらいしか沖縄戦を描いたものはない。広島、長崎の原爆投下を描いたものは映画でも、テレビでも、漫画でも数多く存在するが、なぜか?沖縄戦を描いたものはほとんどない。
また、ドキュメンタリーでも個々の戦闘や事件を描いたものは多く存在するが、沖縄戦の全貌を描いたものはほとんどない。今回は戦争体験者のインタビューがメインだが、全体の流れも紹介。この1本である程度、沖縄戦が分かるという作品を目指した。十数人の体験者と専門家の証言は胸を打つ。涙なしでは聞けない。それを3年がかりで取材。昨年、3月に完成。スポンサー側からも高い評価を頂いた。
12月に地元沖縄で完成披露試写会が行われた。2日間、3回の上映で、1000人を超える観客動員。全ての回で上映終了後に伯叔が起こった。絶賛の嵐。多くの観客から「ぜひ、全国上映してください」「映画館で公開してください」「沖縄戦を伝えてください」との声をいくつも頂いた。が、その後、スポンサーが映画館上映を中止。教材のために作られたものだから...という理由。
そのことで多くの人から「ぜひ、映画館上映を!」「お願いします」「これは多くの人に見せるべきです」との声が届いた。また、スポンサー内でも「多くの人に見てもらえる全国公開は意味が大きい」との意見が出て、今春に映画館公開が決定。が、コロナ感染の拡大。現在、映画館は休業中。
そのためにこの発表も1ヶ月以上遅くなった。が、幸い地方では宣言が解除され始めた。東京公開は夏なので、それまでには都内の映画館も営業再開しているはず。ということで今回の発表となった。まず、お礼を言わねばならないのは、上映中止の際に声を上げ、応援してくれた方々。スポンサー側から聞いたが届いた声は「批判」ではなく「お願い」という形。それが関係者の心に届いたようだ。
あとはコロナ感染が終息に向かってくれれば、映画館公開は実現する。7月25日から新宿Ksシネマ。秋には名古屋、大阪での公開も予定されている。単に歴史を知るだけの作品ではない。未来を見つめるきっかとなるはず。多くの方にご覧頂きたい。
記事1=>https://natalie.mu/eiga/news/379346
記事2=>https://moviche.com/contents/news/161312/
記事3=>https://cinefil.tokyo/_ct/17363748?fbclid=IwAR2Bzy6KCwvUDCoo2QrLPKIT30fesVPHOhUPQ7DGIsiQJL09vp8VUFOmuao
予告編=>https://youtu.be/ftxymqbKWk8
男社会なので女が得? =小池百合子流、権力を掴む方法。女を売り物にして階段登る! [緑のタヌキ]
男社会なので女が得? =小池百合子流、権力を掴む方法。女を売り物にして階段登る!
日本は男社会。女性はあれこれ差別を受け、制限される。だが、そんな社会を利用し、うまく立ち回ったのがあの人だ。男社会なので女は軽く見られがちだが、逆にいうと女だから許されるということにもなる。女だからトップにいきなり近づいても拒否感を持たれにくい。「おー気が利くなあ」と気に入られる。若くて可愛ければ余計そうだ。「ネクタイ曲がってますよ」と女性なら結び直すことができる。これらは男性だとできない。
権力ある男性がその女性を気に入り、取り立てる。ずば抜けてできなくてもそこそこ出来れば、「できるな」になる。男は女性を甘くみているので少し出来れば「できる」になる。男性はよほどできないと認められない。仕事だけでなく、ネクタイ、髪型、等の生活面も女性なら言える。男が言えば「大きなお世話だ」そうやって世話女房のような存在になると、周りの男どもの扱いも変わる。ヤクザで言えば親分の奥さんは「姉さん」その言葉は親分に近いものとなる。
若い男がトップに認められ引き立てられれば、周りの嫉妬を買い、様々な嫌がらせを受ける。だが、若い女性ならトップとのプライベートな関係を疑う。「愛人かもしれない。彼女に嫌がらせをして、トップに告げ口されたら俺の立場が危なくなる」と不安になり、むしろご機嫌を取る。「女はあれこれ男に喋るから」という思いもある。こうして女性はトップに気に入られれば、男では真似のできないスピードで階段を登り、権力を手にできる。
男社会だからこそ成立する構図。性別の差別がなく、上層部に女性が多くいれば違ってくる。男女平等社会なら周りの目も「女だから」と下に見たり、甘やかしたりしない。先のような行為は見逃してもらえない。そんな男社会を巧みに利用したのが小池百合子なのだ。細川、小沢、小泉とトップに取り入って権力を掴んだ。男には真似のできないもの。周りも「所詮、女だからな」と舐めていた。「気に入られたいだけさ」とバカにしていた。その隙にトップの懐に飛び込んだ。
似たような話を松本清張の小説で読んだ気がする。クラブのホステスが顧客である大企業のトップに近づき、取り入り、店のナンバー1に登りつめる。日頃、自分に厳しいママへの復讐開始。若手ホステスを連れて新しい店に移る。もちろん、先のトップが資金を出してくれた店。こうして復讐と成功を同時に掴む。そのバージョンアップ版を地で行くのが現都知事なのだろう。詳しくは写真の本を読んでほしい。
リモート・ドラマ「同窓会」大好評! 5000回再生達成 [コロナウイルス]
リモート・ドラマ「同窓会」大好評!
「感動した」「泣けた」「昼に観たら目が腫れて外出できない」「同窓会がしたくなった」と多くの感動の声が届いている。
こんな時期に何か多くの人が元気になれることがしたくて、参加した企画だった。その思いが多くの人に届いたようで嬉しい。とにかく俳優陣が素晴らしい。全員第1線で活躍するベテランの方々。僕が1週間で書いたシナリオを読み、2回のリハーサルで本番に挑んだ。というと、お手軽にできたように思うが、まあ、そこまでの準備が大変。
リモート・ドラマなんて俳優さんは初めて。僕も初めて。まず、システム、用法、使用法から勉強せねばならない。従来のドラマでできてもzoomではできないこと。また、その逆もある。特性を把握することが大事。また、シナリオも従来のドラマと同じ発想でではダメ。演じる側もドラマや舞台とは違った制約や背景がある。
僕の場合は説明しても分かってもらえないが、監督と脚本家と編集の3つを1日に代わる代わるやらねばならないのが一番苦しい。監督モードと編集モードは別。通常は切り替えに1週間以上かかる。それを1日に何度もやるのは、神経が切れそうになる。しかし、俳優陣のお陰で完成度は高く、感動の波が広がっているようだ。
ご覧になった方。ぜひ、YouTubeのコメント欄に感想を書き込んで欲しい。コメントは彼ら彼女らが直接読む。ダイレクトに届くので、ぜひぜひ、感想をお願いしたい。
https://youtu.be/W6WVR4OomRQ
女優の卵にも緑のタヌキは多い=小池と卵の共通点「有名になりたい! チヤホヤされたい!」 [緑のタヌキ]
女優の卵にも緑のタヌキは多い=小池と卵の共通点「有名になりたい! チヤホヤされたい!」
小池本を読んで強く感じたこと。女優の卵によくいるタイプだ。彼女のやり方というのは、力ある人に取り入り、権力を得る。だが、そのことで「国民のため国のために何かをしたい」ということではない。権力を持つことで注目を浴び、賞賛を浴びたい。そしてより大きな権力を得て、より大きな賞賛を得たいというものだ。
女優の卵がよくいうのは「有名になりたい」。「演技がしたい」ではない。あるいは有名俳優の名前をあげて「米倉涼子のようになりたい」という。彼女のように有名になり、ドラマに主演し、CMに出て、周りにチヤホヤされ、金持ちにもなりたいという意味だ。この場合も「演技がしたい」ではない。
よく似ている。小池は政治家の階段を駆け上がるが、国民のための政治をしたいとは思っていない。有名になり賞賛を浴びたいだけ。卵たちは女優になりたいというが、演技をしたいのではなく、有名になり、チヤホヤされたいだけ。全く同じ。
さらに似ている部分。小池は長らく政治家をしている。自分に注目が集まることには努力する。新語を作ったり、イベントしたり、ファッションにこだわったり。だが、政策に関して努力している話が聞こえて来ない。女優の卵も同様。Pや監督の飲み会があると聞くと駆けつける。有名監督のワークショップに参加する。お礼状を出す(Kさんもテレビ時代、ゲストには必ずお礼状を出していた)有名人と親しくなろうとする。権力者に笑顔で近づく。
しかし、演技の勉強はあまりしない。小さな劇団で頑張ろう!とはせずに、テレビのゴールデンばかり考える。なぜか? 大切なのは演技ができることではなく、有名になることだから。だからテレビなのだ。つまり、Kさんも、よくいる女優の卵も、政治や演技ではなく、有名になり賞賛を浴びたいという思いが異常に強い。本来、素晴らしい政治をし、感動的な演技をしてこそ賞賛を受けるのに、賞賛だけ受けて努力をしたくないという部分も共通している。
ただ、女優の卵が大手テレビ局のPに気に入られゴールデンのドラマに出演しても長くは続かない。演技の勉強をしない実力のない奴はすぐに消えて行く。そんな輩をいつまでも応援しているとPの立場も悪くなる。ところが、小池の場合。公約を果たさなくても、パフォーマンスだけでも、権力の階段を登り続けた。次の都知事選も圧勝と言われる。それはいかに東京都民がアホか?ということだ。
騙されたのは男の政治家たちだけではない。都民もまた小池マジックにかかっている。女優の演技がダメなのは視聴者が見抜くが、小池がいかにダメか?を多くが見抜くことが出来ていないということ。「私は騙されない!」という声をよく聞くが、それでは何も変わらない。どうすれば彼女の実態を多くの人に伝えることができるか? それを都民は考えるべきだ。政治家としての努力をしない者。俳優として演技の勉強をしない者。どちらもその世界にはいるべきではない。
平気で嘘をつく人たち。あの人と都知事を比較してみる?どこが違う? [コロナウイルス]
平気で嘘をつく人たち。あの人と都知事を比較してみる?どこが違う?
小池本を読むと彼女の「嘘」を徹底検証している。カイロ大学を首席で卒業から、「築地を生かす」と言いながら切り捨てたことまで。嘘付きというと、もう1人。あの方の名前も思い出す。「あの2人は同類!」「どちらも確信犯」という声を聞くがそれは間違い。背景が違う。あの方が嘘をつく理由を以前に記事にした。ら、おかしな批判コメントが来た。
「彼が子供の頃に家庭教師をしていた議員の人も言ってました。”宿題したか?”と聞くと”やった〜”といい遊びに行く。でも、本当はやってなくて、彼自身が宿題をやることになった。ということは?もう、わかりましたよね。あの人は子供時代から嘘つきなんです!虚言癖なのです!」
同じようなコメントが別の人たちからも来た。何か「私は真実を知っている。あなたは分かっていませんね?」と上から目線を感じる文章だが、分かっていないのはコメント主の方。この話は何かの番組でその議員自身が話しているのを聞いたことがある。また、望月記者が書いた本でもそのエピソードは取り上げられていた。そのことで、子供の頃から嘘をついていた!という印象を多くの人が持ったのだろう。
だが、考えてほしい。子供頃に嘘をついたら大人になっても、嘘をつき続けるのか? 逆に子供の頃に嘘をついてない人はいるだろうか? 親に言われて「宿題はもうやった」と嘘をついたことのある子供は彼だけだろうか? 多くの子供は嘘をつく。では、その子らは全員虚言癖か? それもあり得ない。つまり、子供の頃に嘘をついたからと、今も嘘をつき続けるとは限らないし、虚言癖であるとは断定できない。
また、その議員以外からその手の話は聞かない。彼の子供時代。嘘つきというより、単に勉強嫌いのお坊ちゃんだったと思える。ある意味でよくいる子供。1人の議員の話だけで「昔から虚言癖」とは断定できない。それはもう思い込み。「総理は頑張ってる。世界が評価している」と、NHKニュースだけを見て賞賛する人たちと同じレベルだ。
嘘というのは大変で、一度嘘をつくと正当化するために延々と嘘をつき続けなければならない。頭の悪い人にはできない。すぐに整合性を失うからだ。裁判で嘘の証言をしても、あれこれ比較していくとすぐにバレる。だが、彼はこういうことが多い。「****とは一度も言ったことがない」それも力説。だが、記録を調べればすぐに分かることだ。
嘘つきは後になって「言ってない」と言ってもすぐにバレるので「あれは***の意味だ」とか解釈を変える誤魔化しをする。あるいは「誤解を招く表現をしてしまった」という。誤解したお前が悪いという意味。が、彼は「言ってない」と断定するのはなぜか? そして聞かれたことに答えないことが多い。それも「誤魔化している」と指摘する人がいるが、まるで違う話を始める。そのようにバレバレの手を使う。ごまかすなら、嘘つくなら、もっとうまくやれとさえ思える。
「嘘付き」とか「虚言癖」とは違う何か?があるのではと思える。その答えを以前、記事にした。情報通の知人から聞いた話だが、簡単にいうと持病を抑える特効薬。その副作用だ。それを聞いて納得。抗うつ剤なので、躁状態になる。まさに彼の言動とピッタリだった。複数の専門医も聞いたが頷けるという。では、都知事の方はどうか?
彼女は非常に巧妙に嘘をつく。正確に言うと嘘と言うより、都民が喜ぶこと。当事者が安心することを言う。その政策を推し進めるつもりもないのに、支持者が欲しくて、人気取りでいう。築地移転問題の時がまさにそうだ。従来の「嘘」とは違い、自分を支持させるためのもの。後で批判されると、無理やり筋が通るような弁解。あるいは誤魔化し、知らん顔をする。触れないという対処。でも、「そんなことを言った覚えはない」とは言えない。知事の発言など調べればすぐに分かる。つまり、その辺は意識している。
病気や副作用で嘘を言うのではなく、自分の利益のために嘘を言って市民を誘導。そのための嘘なのだ。そう考えると2人の嘘は全く質も背景も違うことが分かるだろう。両者を批判する人は多い。でも、本質を分からずに思い込みで批判しても意味がない。まして「子供の頃から嘘つきだった」は批判ではなく、中傷にしか過ぎない。そこは大事な点だと思っている。
「悪い奴」を「悪い奴」だと伝えるのは大変!=この本はそれに挑戦し成功している。 [緑のタヌキ]
「悪い奴」を「悪い奴」だと伝えるのは大変!=この本はそれに挑戦し成功している。
さて、この本はいろんな側面からいろんなことを感じた。人の本質や正体をを伝えるのは難しい。特に「悪い奴」であるのを伝えるのは至難の技だ。例えばあなたが友人に「ある人」が「悪い奴」であることを伝えたい。その際に「ある人」が友人も知っていて「悪い奴で」あることを認識していたら話は早い。「あーいつものパターンね?」「相変わらずバカだね〜」と分かってくれる。
だが、友人がその人を知らない場合は違う。その人物が何者で、何歳で、男か女か? 仕事は何で、どんな立場で、容姿はどうで、自分とはどんな関係で....と、イメージできる情報を与えなければならない。それから、その人物がどう酷いか? どう嫌なのか? どんな風にとんでもないか?を説明する必要がある。
その人が会社の上司なら、上から目線で、偉そうに命令しても「よくあること」であり「嫌な奴」とは伝わらない。だが、後輩であれば「それは常識ない奴だな。先輩に向かってそれはないだろう」と「嫌な奴」であることを理解してくれる。ただ、それが「後輩」だとしても「たまたまかもしれないし、今は反省しているかも?」と言われることもある。毎日なら「とんでもない」が1〜2回ならイライラしていた。虫の居所が悪かった解釈され「嫌な奴」とは伝わらないこともあるだろう。
また、人というのは「苦しさ」や「悔しさ」をなかなか理解しない。大変な目に遭っても「よくあることさ」とか「その程度のことで怒るなよ」と言われることがある。飛行機が墜落、300人が死亡と伝えられても、家族や友人が乗ってなければ「へーー」でおしまい。アメリカで黒人が殺されたと言っても「大変だな」で済ます人は多い。人は自分が苦しい時は声を上げるが、他人の苦しみに共感しづらいところがある。そのため「嫌な奴」のことを伝えても、自分に被害がなければ「世の中、いろいろいるよね〜」で終わってしまいがち。
共感能力がないというより、想像力が貧しいのかもしれない。だから、その「悪い奴」を知っている人ならば、いかにとんでもないか?を話せば「やっぱなあ」と理解、共感してくれる。が、逆に「悪い奴」を「いい奴」と思っている人に「悪い面」を説明するのは、さらに難しい。「そんなことあり得ないよ」「そんな人じゃないね」と否定されてしまう。僕も経験がある。二面性があるP、外には「いい顔」内輪には「鬼」という奴がいて、スタッフから追放しようとしたが、周りから「お前の方がおかしい」と言われた。ギャラを搾取されている者がPを庇ったのだ。
それは都知事も同様。だが、この本はそれを見事に突き崩し、緑のたぬきの正体を暴いている。その難しい作業をするためか? ノンフィクションではやってはいけない禁じ手も使っている。ただ、嘘はない。「悪い奴」「問題ある奴」は「いい人」の仮面を被り多くを誘導する。それを突き崩し正体を暴くのは簡単ではない。ぜひ、この本。読んでみてほしい。