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あの人の背景ーだから森羅万象。嘘をつくのではなく副作用? [A政権について]

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あの人の背景ーだから森羅万象。嘘をつくのではなく副作用?

潰瘍性大腸炎の治療薬として、ある特効薬が使われると聞く。抗うつ剤として有名な薬品。それを使用すると症状を抑えることができる。が、副作用として双極性障害の躁状態のようになるらしい。抗うつ剤の効果で、鬱の逆になるということ。では、具体的に双極性障害の躁状態とはどんなものか? 精神科医師に聞いた。

ー患者は何でもできると言う万能感を持ってしまい。自分ができるはずのない仕事、経験のない事業を突然に始めたりする。借金までして大金を注ぎ込んだり、家族や友人が止めても聞かず、暴走することがある。

例えば家族や社員にも相談せず。必要のない高額な機械を購入、できるはずのない仕事を始めたりするので家族や会社が混乱する。患者が会社トップの場合は、社員の反対を押し切って無意味な新事業を始め、膨大な借金をし倒産したり。家長なら貯金をはたいて会社を立ち上げ大失敗。無一文になり家族を路頭に迷わせるたりもする。

自分の発言を後になり「そんなことは言っていない」と言ったり、言ったこともないことを「私は前々からそう発言している」と言い張る。そんなふうに周りをかき回すのも症状の一つ。皆で決めたことを後になって、無断でひっくり返して「新しい判断です」と言い出したりもする。

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また、他人の立場や苦痛が理解できず、冷酷に見える。説明を求められても意味不明なことを長々と話し「誤魔化さないでください」と注意したら「私は誠心誠意、説明している!」と怒り出す。散々、無意味な発言をしておいて、それを指摘すると「お前こそが無意味だ」と言い返す。周りを怒らせ、混乱させる。多くの場合。患者とは気づかれず「おかしな人」「冷淡な人」と嫌われるが、悪意はなく全て症状。また大人気ない行動もあり、立場を考えず、はしゃいだりもする。

それが双極性障害の躁状態。個人差はあるが、それらが主な症状例。が、マスコミはこの種の精神病、精神障害には一切触れないので、多くの人は病状を知らず気づかない。それがあの人の奇行の理由。

ーと言う話を複数の精神科の先生から聞かされて驚愕。「でも、日本中の精神科医は皆、知っているはずです」といわれた。繰り返すが、以上の指摘、説明は医学素人な私の推測、意見ではなく精神科の医師から聞いた説明。要はそんな状態の患者で、判断力のないことを知りながら、取り巻きが煽てて、利用し、焚き付け、常識を超えることをさせ、甘い汁を吸っていると言う構図なのだ。

ちなみに、その薬の投与を減らすと鬱状態になり、やる気をなくし全てを投げ出してしまうらしい。そしてヒットラーはドラッグを常用。妄想で判断ができず暴走し、国を滅ぼしたという説があるが、似た構図だ。トップが病気だと国が巻き込まれ崩壊に向かってしまう。


参考ー 治療に抗うつ剤が使われる

https://www.morisawa-mental-clinic.com/post/2018/11/03/%E8%85%B8%E3%81%AE%E7%82%8E%E7%97%87%E6%80%A7%E7%96%BE%E6%82%A3%E3%81%AF%E6%8A%97%E3%81%86%E3%81%A4%E8%96%AC%E3%81%A7%E9%98%B2%E3%81%92%E3%82%8B%E3%81%8B%EF%BC%9F

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自分のことが分かるのは50代を過ぎてから② 傷つきやすい感性があるから感動作ができる? [my opinion]

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自分のことが分かるのは50代を過ぎてから② 傷つきやすい感性があるから感動作ができる?

これは注意して書かねば、また誤解する人が出てくると思う題材。ある人に言われた「太田くんは感動屋ね」つまり、些細なことでも感動すると言う。当時は思い当たることがなかったが、あるときセミの抜け殻を見つけて感じた。「このセミはあと1週間の命なんだ。やっと地上に出て、広い空の下にいるのに1週間か...」

友人に話すと「そりゃセミの宿命や、しゃあないやんけ!」と言われた。ああ、あの人が言ったのはこう言うことか?と思えた。そして、お笑い芸人の上岡龍太郎が昔、ある番組で言ってたことを思い出す。

「夜、怖くてトイレに一人で行けない子供がいる。お化けが出ると言う。親はそれではダメだ。と厳しく叱って一人でトイレに生かす。お化けなんかいないと諭す。でも、そんな感性のある子供が将来、作家になったり、芸術家になる素質がある。それに気づかない親がその感受性を潰して平凡な子に育ててしまうんですよ」

なるほどね。そう考えると、僕は人より些細なことで感動するが、さほどでもないことで激怒したりもする。許せない。殴りこみだ! でも、友人は理解してくれない。「しゃあないやんけ」と言う。似たような話は芸能界ではよく聞く。

些細なことでアーティストが激怒。周りが右往左往。「あの先生。本当に面倒だよなあ」という話。プロデュサーや出版社の編集者から聞く。つまり、彼らからすると「そのくらい我慢すればいいのに」と思う。ワガママだと解釈する。が、当人にすれば我慢の限界を超えた絶対に許せないことなのだ。感じ方が違う。多分、クリエーターやアーティストは人の2倍3倍に感じてしまう。

だから、作品が作れる。書ける。演じられる。その作品を人は感動するが、その元となったものだけでは感動できない。ただ、その種の人は「悲しみ」や「怒り」も人の2倍3倍感じてしまう。だから、些細なことで傷つき、落ち込み、絶望する。それを癒すためにアル中になったり、ドラッグに走ったり。新興宗教に助けを求めたりする。

一般の人たちには分からない。「なんでドラッグ?」「芸能人で常識ないよね」と思う。その傷つきやすい感受性があるから素晴らしい作品が生まれることに気づかない。作品を見ると「すごいね。才能だよね」と賞賛。ドラッグに走ってしまう傷つきやすい感性と素晴らしい作品を作り出す感性は同じとは思わない。「才能」なんてありもしないものを言葉にして、納得しようとする。

だからドラッグに走ってもいいーと言うことではない。それほどビビットな感受性があるから作品が作れる。それゆえ、傷つきやすく、苦しむことになる。それほどではないが、僕も本当に些細なことで、人間関係が嫌になることがよくある。無神経な奴と関わりたくない。若い頃から「許せない」ことが多いが、理解されなかった。と言うことは多少、その種の素質はあると言うことだろう。だから作品を作れる。でも、人生生きずらい? それがクリエーターの宿命なのだろう。


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自分のことが分かるのは50代を過ぎてから?①=10代はそれが分からず苦労するのよね [my opinion]

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自分のことが分かるのは50代を過ぎてから?=10代はそれが分からず苦労するのよね

自分のことってなかなか分からないものだ。が、50代になった頃から少しずつ自分ってこう言うタイプ?と思えることがある。

高校時代。毎日が地獄だった。最低の日々。勉強が嫌ということではない。勉強に意味がないと思えたのだ。10年以上勉強しても話せない英語。社会に出て使わない数学の公式。年号を覚えるだけの歴史。もっと意味あることを教えろ!と感じていた。が、教師たちはいう。

「お前は勉強するのが嫌だから、そんなことを言っているだけだ」「怠け者の言い訳」「楽をしたいだけだ!」

でも、今、映画を撮るとき。原発問題でも沖縄戦でも作品に必要なことは徹底して調べる。かなり勉強した。つまり、教師の言うように勉強するのが嫌だったのではなく、意味のないことをするのが嫌だったのだ。与えられた学科や題材を学ぶことに意味が見出せなかったのだ。だからやる気が起こらなかった。

また、学校生活も好きではなかった。毎朝、8時半に登校。6時間の授業を受け。月曜から土曜まで。制服を着て、厳しい校則があり、成績で順位をつける。

そんな学校システムに不満があったのだ。効率的でない。無駄が多い。生徒のためより管理しやすいための校則。意味が見出せなかった。そして教師たちは「お前は怠け者だ」「勉強とは嫌なことでも、我慢して続けるもの。自分を律するものだ」と言っていた。

今となっては分かるが、それは与えられたことを確実にこなす優秀なサラリーマンを育成するための教育であったこと。意味や効率を考えない、ひたすら従うだけの会社員を育てるためのものだった。それを抵抗なく受け入れられれば、日本社会で会社員になれる。その意味で僕は不適合者であり、会社員にはなれないのは当然。だから、今は一般とは違う世界ー映画業界で仕事をしているということなのだろう。

10代から与えられたことをするのは嫌。無意味なことはしたくない。でも、興味を持てば意味を見出せば人の倍やる。「給料分、以上の仕事はしない」と言う会社員の友人の気持ちは分からない。過労で倒れるまで働くので、理解ある友人からは「あまり頑張るなよ」と言われる。あの頃教師からは「怠け者」「楽したいだけだ」と言われたが、そうではなかった。ただ、親を含めて大人は誰も理解してくれず、自分が何者か?分からなかった。今、50代を過ぎ、少しづつ自分が分かって来た。


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映画レビューに「突っ込みどころ満載!」と評論家気取りのコメント=背景にある悲しいもの。 [FB問題]

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映画レビューに「突っ込みどころ満載!」と評論家気取りのコメント=背景にある悲しいもの。

いろんなサイトに映画の感想を書くページがあるが、特にyahoo!に書き込む人たちの映画鑑賞眼は低い。別にyahoo!が悪い訳ではなく、その種の人たちが多いということ。どんなコメント? 例えばこんな風なのが多い。

「突っ込みどころ満載。あれ? なんで?ということの連続!」

「展開が唐突! 何なのこの映画。展開に無理ありすぎ〜」

ある。ある。と思うだろう。これらに共通するのは何だろう? そう。ほとんどが上から目線。得意げ。鬼の首を取ったような感じ。簡単に言えば評論家気取り。しかし、その映画を見ると、それほど酷いものでなかったり、力作だったりする。そこには2つの背景がある。彼らの心の闇を考えてみよう。

80年代。僕は映画ファンであり、映画学校に通い、映画好きと毎日議論していた。「ぴあ」には毎週、読者の映画批評が載る。がyahoo!的な感想はあまりなかった。同世代の映画評論家さんはいう。

「本来、映画を見ていて、あれ? 何でこうなるんだろう? と思った時に、僕らは伏線を見逃したかな? 説明があったんじゃないか? と考える。映画というのはプロが作るもの。意味が分からないのは素人である自分が、しっかりと見ていなかったからだろうと考える。

でも、今どきの子は分からないことがあると、この映画は説明不足だ。ご都合主義で展開させてんだな〜と考える。つまり、分からなくなるのは自分の不注意や無知ではなく、映画制作側の、あるいは監督がバカだから分からなくなると解釈するんだよ。

そんな解釈をするのが20代とか30代の人たちが多い。作っているのは50代とかの監督で、プロのスタッフ。映画というのは集団作業。例え監督がバカでも、シナリオや現場でおかしな部分が見つかれば、必ずスタッフが指摘する。誰も気づかずにオーケーなんてまずない。それを20代の映画ファンだけが気づく問題点ってあるかな?

実際にその映画を見ると、ちゃんと伏線が張られていたり、前の場面で説明されていたりする。それを見逃していたので展開が分からなくなったのだろう。にも関わらず『無理あり過ぎ〜』と考えるんだ...」

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なるほど。ただ、なぜ「私にものを見る力がないのではなく、説明不足の相手が悪い!」という解釈をするのか? 考えた。それは今は僕らの子供時代以上に管理教育が進んでいる。やるべきことは教師や親から指示される。宿題をしろ。勉強をしろ。教室では静かにしろ。寄り道をしないで帰れ。それをやらないと厳しく注意される。

言われたことさえしていれば問題はない。つまり、考える必要がない。自分で判断しない。なぜ、この学科を勉強するのか? なぜ、この宿題が出るのか? なぜ、こんな規則があるのか? 考えない。背景を想像しない。疑問を持たない。

駅のホームに立てば「電車が来ます。白線まで下がって下さい」とアナウンスがある。ショッピングセンターでは「エスカレーターから乗り出して顔や手を出さないでください」と館内放送。そんな環境で育った子たち。考える力はない。映画には伏線がある。伏線というのはナレーションで

「この主人公は銃マニアである。部屋にはモデルガンが飾られている。大きな伏線になるので覚えておいてほしい」

なんて説明はない。伏線というのはそれとなく描くもの。だから、見逃しがち。若い子は気づかない。展開がある。伏線が生きる。が、伏線に気づいていないので分からない。「なんで、こうなるの? 何の説明もなかった。この映画おかしい!」となる。

言われないと気づかない。管理教育が行き届いた中で育った結果ではないか? もう一つの悲しい背景がある。人を批判すると、自分が偉くなった気がするものだ。優越感を感じる。次第に上から目線になる。

「俺には分かるんだよ。そんなことじゃダメだろ?」

その誇らしい気持ちを伝えたくて、感想を映画サイトに書き込む。「俺って凄いだろう?」そんな思いを込めて。日頃、誰にも褒められない人たちがいる。彼らは必要とされないダメ自分から逃れ、自分の優秀さを誇るためにコメントする。

だから映画レビューはその手のコメントが多い。が、そのほとんどは勘違い、見る力がない人たち。多くは厳しい管理教育で育った人たちだろう。それが映画レビューに「突っ込みどころ満載!」「唐突な展開!」「捻りがない!」などと、ワンパターンの表現で勘違いなコメントを書き込む人たちの背景だと思える。(2019年の記事より改定)


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山本太郎さんの街頭演説に絡む人=ムカつくが、次第に哀れに思えてくる? [心理を分析]

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山本太郎さんの街頭演説に絡む人=ムカつくが、次第に哀れに思えてくる?

太郎さんの街頭演説。絡んで来た人にマイクを渡して議論するというパターン。それをまとめた動画を見た。どこかの国の総理はヤジを恐れ、親衛隊で周りを固めて、批判が書かれたボードを見えないようにしたりと姑息なことをしている。対して太郎さんはヤジを飛ばした相手にマイクを渡して議論。よほど勉強した上で、相手に対する思いがないとできないことだ。

一つには極端な意見であっても、その人を説得するだけの情報と解決策を持っていることは大事。それができないようで、耳障りのいい抽象的な演説をするだけでは意味はない。太郎さんはそれを自らに課し、ヤジにも答えるという姿勢を取っているのだろう。

そんな問題ある人たちとの議論。動画を見ているとこちらの方が頭に来る。質問ではなく、誹謗中傷だったり、事実誤認。あるいは発言の意味が分からない。背景を説明できていない。思い込み。という人たちがとても多い。そもそも山本太郎は物凄く勉強していて、議員もやっていて情報もある。いろんなブレーンもいる。

対してヤジる人はテレビでニュースを聞きかじった程度。あるいはネットでチョコチョコっと情報を知ったレベル。そこで感じた不満。それも表面的な情報やデマを信じてしまい、それを太郎さんにぶつけているだけ。上から目線。本来、政府にぶつけるべき批判を彼に向けていたり。太郎さんはよく我慢して聞いているなと思える。

ただ、冷静に聞いていると、そのヤジを飛ばした人たちこそが生活が苦しい。10%の消費税に追い詰められ、もう10年以上給料も上がらないのに物価が上がる。なのにマスコミのフェイクニュースに振り回され真実を知らない。そんな人たちを救う政治をしようとする太郎さんに噛み付く。何とも悲しい。

その手の人。太郎さんが言葉を尽くして説明しても結局は納得しない。誹謗中傷を続けたり、同じ批判を繰り返したりで議論にならず。最終的にはマイクを投げつけ帰ってしまったり。それもまた今の日本人の姿を象徴しているように思える。


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「れいわ新選組という党名はダサい!」という人、もう見かけないよね?=背景を映画タイトルのつけかたで説明する [れいわ新選組応援]

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「れいわ新選組という党名はダサい!」という人、もう見かけないよね?=背景を映画タイトルのつけかたで説明する

「れいわ新選組」という党名が決まった時、そこそこ多くの人が反対した。「ダサい」「良くない」「似合わない」「令和なんて入れるな」あれこれ批判する人がいた。が、それらを見て思い出すことがある。映画の新作タイトルを考えるとき、会社員の友人に相談すると似たようなことがある。

「良くあるタイトルだ」「新鮮味がない」「インパクトがない」「見たいと思わない」等々

昔々はそれでまた考えたりしたのだが、最近では相談しないことが大事と分かった。会社員ばかりではない、業界の友人に聞いても同じことが起こる。というのは、人間の脳はまず「比較する」という習性がある。何か新しいものを目にした時、それが何であるか?把握するために過去の記憶と比較するのだ。

だから、パソコンを最初知った時。多くは「テレビ」と比較。パソコンは自分で情報を選べる。画像だけでなく、メールが出来、HPも見られると認知。これは特に意識しなくても脳が行う反応。だから、レーザーディスクの時も「絵の出るレコード」みたいな認識だったはず。過去と比べて何がプラスか?確認する。

そのため「れいわ新選組」と聞くと「れいわ」=「令和」を想像し、年号だろ?と考える。「あれは政権が無理やり決めたもの!気分悪い」(実は違う。天皇家の思いを託したものだろう)と連想してNOと思う。「新選組」と聞くと「幕末のあれかよ」と想像する。「山本太郎が出てた大河ドラマ?」とか連想。

つまり「比較」し、その言葉から連想するものを記憶から引っ張り出して、その印象を持つ。いいか?悪いか? それが脳の機能。しかし、最終段階で「れいわは年号だろう?党名にふさわしくない」とか、「新選組は反幕府勢力を切るグループ。政府側という意味?」とか貧しいイメージの連想をした人が多かったのだろう。

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あの党名は非常に計算されている。「れいわ」は令和時代に必ず言われる言葉。式典等では「令和2年2月2日」とか開会宣言で言われる。ニュースでも同様。その度に「れいわ新選組」がイメージされる。新選組は幕府の組織だが、追い詰めたのは長州と維新派である。現代のそれらを成敗するのが党の使命と謳っているのだ。

また、「れいわ」も「新選組」もすでに知名度のある言葉。それを使うことで覚えやすい。なのに政党というと「民主党」「国民党」「立憲民主長」「国民民主党」「自由党」と似たようなものばかり。どれがどれか分かりづらい。けど「新選組」なんて党はない。そして誰もが知る幕末の集団。でも、一字違う「撰」=>「選」

さらにトドメを刺すと、人は新しいものに拒否反応を示す。過去の似たようなものを持ってきて「似ている」「同じだ」と否定。受け入れようとしない。そのくせ全く新しいものを提案すると、意味が分からずキョトンとしてしまう。過去と比較できないからだ。映画のタイトルを相談した時もまさにそれだった。最初は拒否感があっても使い続ければ次第に拒否感はなくなり馴染んでくる。事実、今、「あの党名はなあ」という人はもうほとんどいないだろう。脳の閉鎖性に振り回されているだけということだ。



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あれこれ口を出したい人たち。その心は?=子供食堂で文句を言う大人たちから思い出したこと [心理を分析]

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あれこれ口を出したい人たち。その心は?=子供食堂で文句を言う大人たちから思い出したこと

あれこれ口出しをしてくる人たちの話。少し前に書いた。「子ども食堂」で貧しい子達に食事を振る舞う店主の、何もしない近隣の人たちが「自然食にしろ」「手作り出ないと」「勉強も教えろ」とか言いに来るという。店に集まりたむろする。

彼らはアドバイスをしているつもりなのだろうが、要は安易な承認欲求を求めているだけ。口出しをすることで、自分の存在をアピールしているのだ。深層心理では「俺たちも注目されたい、賞賛されたい」と思っている。それも努力せずに認められたい。だから行動せずに口出ししてくるのだ。

そんな連中はどこにでもおり、僕の周りにもた。学生時代に映画監督になりたい!といえば、頼みもしないのに友人、教師、親戚たちが「現実を見ろ」「子供みたいなことを言うな」「お前、才能があるのか?」「簡単なことじゃないぞ!」と説得しようとした。誰も「応援するよ」とは言わなかった。

「朝日のあたる家」の時も同じ。公開したら、反原発のおじさんが寄って来て「これじゃダメだ」「全部知っていることだよ」「初心者向けだね」「内部被曝が描かれていない」と批判して来た。「だったら、お前らも映画作れよ!自分たちが満足できる作品をやれよ!」そう思えた。

彼らは行動する者を批判することで「自分たちの方が上だ」と満足。「詰まらない映画を作った奴を諭してやったよ」と承認欲求を満たす。「俺はすげーんだよ」と勘違いする若い奴ならまだしも、60代70代のおじさんたちが、そんなことを言ってくる。本当に情けない。しかし、そんな奴はどこにでもいる。そして彼らは邪魔にこそなれ、何の役にも立たない。

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学生時代の僕にあれこれ言った大人の中には「俺も昔、小説家になりたかった。でも、なれなかった。それが現実だ。教えてやらねば」と思った連中もいるだろう。それは自意識。深層心理では「こんなガキが夢を実現したら納得いかない。甘いだけだ。俺がダメなんだから余程でないとダメなんだよ」と、その考えを正当化するためにも、成功して欲しくないと言う無意識が働いていることもある。

何れにしても相手のためではなく、承認欲求を満たすため、自分の敗北を正当化するため、であることが多い。そんな連中は本当に始末に悪い。余計なお世話だと言うと「お前のために言ってんだよ」と怒り出す。善意の第三者の振り。そして「親切で言っているのにあいつは失礼だ」と言い触れ回る。金目当て、悪意があるという以上に問題。だが、それが人の本質なのだ。

映画を作るときでも同じ、当事者でない人たちがガタガタ言ってくる。「それじゃダメなんだよなあ」「これもやらないとダメだよ」「分かってないなあ」映画を作り始める時も、作ってからも、そんな輩が寄ってくる。一時期のスピルバーグやルーカスはタイトルさえ発表せずに映画作りをしていたことがあるが、それは正解。大事なのは口しか出さない連中をいかにブロックするか?なのだ。

子ども食堂の記事=> https://citrus-net.jp/article/90752?fbclid=IwAR205erGKH6GMXEzF9sDpXZr75pRR7-lISyQ71d0ZVGkfL1kptSnBVs1PUQ


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昨年12月の那覇上映が大評判!「ドキュメンタリー沖縄戦」上映会、今回は南風原で 2月28日(金)18:30〜  [告知]

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「ドキュメンタリー沖縄戦」上映会@南風原 沖縄

2月28日(金)18:30〜 南風原町立中央公民館にて
入場無料 昨年12月に那覇で上映され大評判となった映画です。


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山本太郎さんの演説を聞いたことのない人のために =「れいわ新撰組」を立ち上げた理由?15分。 [れいわ新選組応援]



山本太郎さんの演説を聞いたことのない人のために
先の参議院選での街頭演説。新宿西口。

撮影 太田隆文

「れいわ新撰組」を立ち上げた理由?15分。


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状況把握力に欠ける日本人?=アメリカでもバッグを置いて席を取る?! [社会政治]

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状況把握力に欠ける日本人?=アメリカでもバッグを置いて席を取る?!

心理学用語ではないが、僕は「状況把握能力」という言葉をよく使う。日本人はその能力が低いことが多い。というか、その能力を育み鍛える機会がほとんどないからだ。日本では与えられたことを教えられた通りにするという教育。それ以前に自分の身の回りの状況を把握するという力を育てようという学科。いや、その発想すらない状態だ。

今、自分の周りでは何が起こっているのか? どんな状態なのか? 危険度は高いのか? 低いのか? 今後の展開はどうなのか? それらを察知し、分析するのが「状況把握」能力である。そもそも、これは野生の王国? サバンナで生きる動物に必要な力。ライオンの動向を知らないとシマウマはヤバイ。雨が降らない時はどうするか? 水が干上がったらどこで水分を摂るか? 野生の動物はそんな対応ができる。

あるいは漁師。天気、雨、風、波。それらを把握して漁に出れるか?中止か? また海の上で天候が変わったらどうするか? を長年の経験から理解している。が、陸の上で暮らす会社員だと、冷暖房の聞いたらオフィスで仕事をするので、雨や風でも心配ない。また、満員電車を避けたくても、午前9時までに会社に着かねばならないので選択肢は少ない。それどころか台風でも出社しなければならない会社もあるので、状況把握する必要がない。

言われたこと。与えられたことをするだけなので、その種の能力はいらない。もっと言えばその力があると、問題が予想され気が重くなるだけ。気づいても問題を避けられないからだ。そんな社会人を育てる教育。そして安全な日本で育ってしまうと、当然、その種の能力に欠ける。ロスアンゼルスに遊びに来た友人たちが、バッグをファーストフード店のテーブルに置いてカウンターに並んでしまう。

周りには危険な人がいっぱなのに、気づかない。散々、映画やテレビでLAは犯罪都市と言われているのに、東京気分。それは状況把握ができないから。日本ではないので注意せねば!という発想すら生まれないのだ。その辺の話。次回、もう少し詳しく書いてみる。


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