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何もせずに批判ばかりする人たち。本当に情けない=子供食堂と「朝日のあたる家」 [心理を分析]

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何もせずに批判ばかりする人たち。本当に情けない=子供食堂と「朝日のあたる家」

記事=> https://citrus-net.jp/article/90752?fbclid=IwAR205erGKH6GMXEzF9sDpXZr75pRR7-lISyQ71d0ZVGkfL1kptSnBVs1PUQ

この記事を読み、憤りを感じた。貧困層の子供たちのために「子ども食堂」を始めたのに、来るのは裕福層の子供たちばかり。塾に行く前に食べに来たり、肝心な貧困層の子供が来ない。なのにこんなことを言う人たち。

「子ども食堂こそ、和食の手作りにこだわるべきだ!」「無農薬にすべき!」「勉強も教えろ!」

口うるさく言うのに、金も労力も提供しない人達のたまり場になり、スタッフが1人、また1人と減っていったとのこと。似たようなことを僕も経験した。「朝日のあたる家」で原発事故の悲劇を描いたとき。映画界では「原発映画はタブー。監督は2度と商業映画が撮れなくなる」と言われていた。が、チャレンジ。

企業は一切、金を出さず、全て個人からの寄付で製作費を集めた。地元の協力を得て超低予算で撮影。ようやく完成したら、多くの映画館が上映拒否。途方に暮れていたら、新聞や雑誌がそのことを記事にしてくれた。それを見た心ある全国の映画館からオファー。最終的には27館で公開できた。

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宣伝費も少なく、僕が1人で1つ1つの映画館を訪ねて舞台挨拶。地元の新聞社やラジオ局にお願いして宣伝をさせてもらった。街角でチラシも配った。しかし、映画を見た客の中には、こんなことをわざわざ言いに来る人がいた。

「この映画はダメだよ。描かれていることは全部知っていた。初心者向けなんだ」「内部被曝が描かれていない。これでは意味がない!」「311で原発問題に関心を持ったんだろうけど、遅いんだよ。俺はチェルノブイリ事故から注目してんだよ」「不勉強な映画だね〜もっと勉強して作らないと」

そんなことを伝えに来る人たちがいた。でも、その人たちは何ら行動を起こしていない。反対運動をする若者さえ否定。先の子ども食堂であれこれ言う人たちと同じ。なぜ、何もしないくせに、行動する者を批判するのか? 子ども食堂反対、原発賛成と言うのなら分かるが、そうではない。にも関わらず、頑張る人をわざわざ批判しに行く。

結果、記事の子ども食堂はやめてしまった。僕も行き先々であれこれ不満をぶつけてくる観客に嫌気がさした。「文句を言うなら、お前が金集めて、理想の原発映画を作れ! いちいち俺に言ってくれるな!」と言う感じ。記事を読んで、そんな人たちはどこにでもいると言うことが良く分かった...。

記事=> https://citrus-net.jp/article/90752?fbclid=IwAR205erGKH6GMXEzF9sDpXZr75pRR7-lISyQ71d0ZVGkfL1kptSnBVs1PUQ



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新しいことを淘汰するムラ社会ルール。それが日本を経済大国にし、自滅させようとしている? [ムラ社会ルール]

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「将来、映画監督になる!」

高校時代。そう言ったら多くの大人たちに反対された。親、教師、親戚、先輩たちが「子供みたいなことを言うな!」「現実を見ろ!」と意見し、止めようとした。何ら迷惑がかかる訳でもないのに? 大人たちはあれこれ言って邪魔をした。

背景にはまず「優しさ」がある。「この子が嫌な思いをしないように」との願い。だが、同時に新しい何かをしようとする人を阻害し、潰そうとする心理も感じる。それこそが「村社会」ルール。人と違うことをする。新しいことを始めると排除する。「優しさ」からスタートしたように見える「お節介」は、村社会の安定を維持するためのメカニズムなのだ。アメリカ留学中にも、同じ発言。

「将来は映画監督になりたい!」

そのときの反応は日本とは180度違った。「凄い!」「いいぞ!」「がんばれ!」「応援する!」「ハリウッドの友人を紹介するよ!」誰もが前向き、忠告したり、説教する人はいなかった。日本のそれは、非常に土着的な背景から来たものと痛感した。

なのに日本はなぜ? 考えた。狭い村の中で勝手なことを始めると、いろんな弊害が出る。秩序が乱れ、安定が壊れるかもしれない。だから始める前に止める。新しいことを真似たり、あとに続いたりする人も出て来る。子供たちにも影響がある。だから潰しておく。田舎特有のメカニズムではないか? それを個人個人は「村の調和のため」とは思わず「本人のため」と思い説教する。

江戸時代からの村社会。その習慣。それが今も日本人の中で生きている。さらに学校教育。同じ制服を着て、同じ髪型。同じ学科を勉強して、同じように良い成績を求める。そんな学校生活のあとは、サラリーマン生活。同じようなスーツを着て。似たような髪型で、スタンドプレーはしない。目立ってはいけないという社会生活の中で、新しいこと。前例がないことをしてはいけないという意識が育つ。

結果、彼らは新しいこと&前例のないことをする者がいると、その行動を止め、潰し、排除。誰が指示しなくても、自発的に新しいことをする人を淘汰する。それが村社会システム。でも、そのことで嫌なことでも一致団結。みんなで突き進み、経済大国となった。だが、激動の時代になると、次々にアジアの国々に追い抜かれた。新しいことをすると潰されるから、新しい時代に乗れない。それが今、日本をダメにしているメカニズムではないか? それがムラ社会ルール。


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新しいことを淘汰するムラ社会ルール。それが日本を経済大国にした? [ムラ社会ルール]

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新しいことを淘汰するムラ社会ルール。それが日本を経済大国にした?

高校時代「将来、映画監督になる!」と言って多くの人に反対された。もしかしたら人がやらないことをやると言うと、大人たちは、あれこれ言って邪魔をするものなのか? 何ら迷惑がかかる訳でもないのに、親でも先輩でもない人たちまで、あれこれ意見し、止めようとする。

理由は以前にも説明した通りに背景に「優しさ」がある。嫌な思いをしないようにとの願い。同時に新しい何かをしようとする人を阻害し、潰そうとするものではないか? それこそが「村社会」ルール? 人と違うことをする。新しいことを始めると排除する。「優しさ」からスタートしたように見える「お節介」は、村社会の安定を維持するためのメカニズムなのではないか?

アメリカ留学中にも、同じ発言をした。「将来は映画監督になりたい!」そのときの反応は日本とは180度違うもの。「凄い」「いいぞ」「がんばれ」「応援する」「ハリウッドの友人を紹介するよ」誰もが前向き、忠告したり、説教する人は誰もいなかった。日本のそれは、非常に土着的な背景から来たものと痛感した。

考えよう。日本の場合、狭い村の中で勝手なことを始めると、いろんな弊害が出る。始める前に止める。新しいことを始める奴がいると、真似たり、あとに続いたりする人も出て来る。村の調和が乱れる。だから潰す。そういうメカニズムではないか? それを個人個人は「村の調和のため」とは思わず「本人のため」と思い説教する。

江戸時代から村社会の習慣。それが今も日本人の中で生きている。さらに学校教育。同じ制服を着て、同じ髪型。同じ学科を勉強して、同じように良い成績を求める。そんな学校生活のあとは、サラリーマン生活。同じようなスーツを着て。似たような髪型で、スタンドプレーはしない。目立ってはいけないという社会生活の中で、新しいこと。前例がないことをしてはいけないという意識を持っているからだろう。

その結果、彼らは新しいこと&前例のないことをする者がいると、その行動を止め、潰し、排除。誰が指示しなくても、自発的に新しいことをする人を淘汰する村社会システム。そのことで嫌なことでも一致団結。みんなで突き進み、経済大国となった。だが、激動の時代になると、次々にアジアの国々に追い抜かれてしまった。新しいことをすると潰されるから、新しい時代に乗れないのは当然なのだ。


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人は誰でも、ありもしないことを思い込み。信じてしまうことがある?=精神病、恋愛、あれこれ考えた。 [心理を分析]

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人は誰でも、ありもしないことを思い込み。信じてしまうことがある?=精神病、恋愛、あれこれ考えた。

ここ何回か「思い込み」が強い人の話を紹介した。書いてもいないことを批判してくる。会ったこともない人なら即、無視するが、1、2度会った人、映画のお手伝いをした人だと、悲しい。いい人だったのに、なぜ、そんな的外れな批判をしてくるのか? 詐欺師に騙された、フェイクニュースを信じた、はまだ分かるが、他の人が誰も思わないことを思い込み、真剣に怒りをぶつけてくる。

「そんな言動は許せない」「そんな人とは思わなかった」「映画監督失格だ」などと言いだす。何か誤解される経緯があればとにかく、怒り心頭。そんな時は説明を聞きたいので、連絡するがたいていは返事がない。「そんな奴と話したくない!」と思われたのか? それで終わってしまう。

誰でもその種の人が1人くらい身の回りにいるだろう。根拠もないのに言い張る「絶対に違う!賭けてもいい」とか言う。いつもは温和なのに、何かのことになるとムキになり言い張る。そんな「思い込みの心理」とはどう言うことなのか?あれこれ考えた。

先に挙げた人たちは病気ではないが、精神病のことを考えてみたい。精神障害はウイルスに感染するとかではない。いろいろある例えば統合失調症患者は「電話を盗聴されている!」と不安になる症状がある。が、調べても事実ではないが、「そんなはずはない!」と認めない。

そう思い込む原因は電話中のノイズ。バリバリ言う。盗聴じゃないか? でも、俺なんか盗聴して誰が喜ぶ。女子大生やOL。あるいは国家機密を握るVIPなら分かるが、そんなバカな。単なるノイズだな。と普通は判断する。が、患者はそこから「盗聴に違いない」「と言うことは、俺は特別な存在なのでは?」「もしかしたら、さる国王の息子で、密かに日本で育てられた」とか想像してしまう。常識でそれを否定せず、ノイズだけでそう考える。

統合失調症は情報処理能力の欠如と言われ、知能が低下する訳ではないが、情報処理が苦手になる。間違った結論を導き出す。そんな状態を「病気」「障害」と診断するのだ。だとしたら、その基準には達しないが、思い込みが強い人もいるだろう。それがいい方に伸びれば想像力豊かな芸術家になって、様々な物語を生み出す作家になる。間違った方に伸びれば社会生活が難しくなる。

実際、芸術関係の人には思い込みが激しく、困った人も多い。僕もその1人かもしれないが、映画監督でも、意味なく、ある部分へのこだわりを見せたりする。スタッフは大変。でも、そこから名作が生まれることもある。恋愛もそうだろう。相手を好きになった理由を把握しなくても、身を呈して愛する人に尽くそうとする。病気でなくても、同じ構図だ。やはり、人にはそんな「思い込みの心理」があるはずだ。また、考えてみる。


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被害者にしか分からないことがある。でも、第三者だからこそ気づくこともある。=原発と沖縄戦のことから [原発問題]

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被害者にしか分からないことがある。でも、第三者だからこそ気づくこともある。=原発と沖縄戦のことから

沖縄と原発の問題には共通点がある。どちらも被害を受けている人たちが特定の地域が中心で、他のエリアに住む人たちは他人事となりがちなこと。「気の毒」とか思うが、当事者の気持ちを理解しづらい。また、深刻な問題なので当事者でない者が安易にあれこれ言いづらい側面もある。

スピルバーグが子供の頃。おじさんさんの腕に数字が刺青されており、何だろうと聞いたことがあるそうだ。それがアウシュビッツに収容された祖父が刻印された数字。終戦が遅ければガス室送りになったかもしれない。そんな記憶と自身がユダヤ系であることがきっかけで彼は「シンドラーのリスト」を作る。

そんな風に何か繋がりがあることで、思いを持てると言うことがある。だから「朝日のあたる家」を作る時。自分に資格があるのか?と考えた。福島出身ではない。福島の友達も当時はいない。彼女が福島育ちということもなかった。でも、原発問題は福島だけのことではない。あれこれ考えて、やろう!と思った。

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沖縄戦も同様。沖縄との繋がり何もなかった。そんな自分に資格は?と考えた。が、まず知りたい。沖縄戦を知りたい!という思いがありスタートした。そんな取材の中で、ある研究者の方に言われた。

「近年、戦争体験の方々が高齢でどんどん亡くなっています。あと10年ほどで皆いなくなるでしょう。私たちの世代はよく、お前らは戦争を体験していない。何が分かるか!と言われてきました。でも、それだと体験者がいなくなれば、沖縄戦を伝えられなくなる。そんな事はない。僕ら戦後の世代にもできることがある。そして戦争を体験していない僕らだから、できることもあると思うんです」

その通りだ。原発事故の取材をした時も「私たちの気持ちは分からないでしょう」という人がいた。確かに体験者しか分からないことがある。映画を作った時も「もっと大変な思いをした人もいたんですよ!」と厳しく言われた。が、これが最悪だなんて描いていない。被害を受けた方は傷ついている。理解は難しい。同時に彼らもまた悲しみをどう表現していいか?分からないでいた。

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そんなことがあったので、先の研究者の言葉を実感した。戦争体験者も同じ。彼らしか伝えられないことある。でも、彼には伝えられないこともある。悲しみを伝えることは大事だが、それだけではいけない。なぜ、そうなった? どこに問題があった? 何が背景になった?という側面も探求することが大事。そのためには当事者ではなく、冷静に見つめられる第三者の存在が必要。その研究者は戦争は知らないが沖縄で育ち学んだ自分たちの世代だから、できることがあるという。

だったら、沖縄のことを知らず、ゼロから勉強をスタートする外部の人間でなくては気づかないこと。見えないこともあるのではないか?そう思えて「ドキュメンタリー沖縄戦」の取材を続けた。当事者はいう「お前たちに私たちの気持ちは分からない」その通りだ。でも、理解する努力はできる。そして第三者だからこそ気づくものもあるはず。沖縄、原発に関わらず、それを探して行きたい。


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「ダークナイト」と若き映画監督の悲しみ=そこに山本太郎の葛藤を見る? [映画業界物語]

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「ダークナイト」と若き映画監督の悲しみ=そこに山本太郎の葛藤を見る?

「ダークナイト」あのヒースレジャーがジョーカーを演じて評判となったあの映画。友人が見て大共感したという。彼も映画監督。僕と同じように地方で映画を撮ることが多い。まず、その街を好きになるところから始める。街の風土、歴史、伝統も調べて撮影。その町の魅力を伝える作品を作る。所謂、町おこし映画なので、低予算だが、完成度は高い。そんな彼がいう。

「いつも地元の人たちの応援で映画を作ります。地元の応援なしでは作れない。ただ、どこで撮っても必ず、誹謗中傷する人たちがいます。協力しないのは構わない。でも、邪魔をしたり、デマを振りまいたり。僕はその町の良さを伝える作品を作っているのに、何でそんなことをするのかと...」

いろんな理由があるらしい。映画を作る地元グループと敵対しているグループの場合。自分たちが注目されない。ライバルが賞賛される。だから「ロクでもない映画だ」と吹聴。あるいは店でロケしてもらい宣伝にしようと思ったが、断られた。その腹いせに批判するとか。そんなことらしい。

「よくあるので、受け流すのですが、いつだったの作品。結構、評判になり、地元の人たちも喜んでくれました。それが後になって、俺たちは監督に利用された。この映画で大儲けしているのに、地元には利益が来ていない!監督が横取りしていると言い出した人がいたんです」

映画は少しばかりヒットしても、本当にわずかな利益にしかならない。その上、監督には1銭も入らないシステム。なのに、誰かが勘違いして、ありもしないデマを言い出した。配給会社から地元には興行成績が送られる。それを見れば一目瞭然。なのに、一緒に映画作りにガンバった地元の人たちが、そのデマを否定するどころか。黙り込んで何も言わなかったと言う。

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そんな時、彼が見たのが「ダークナイト」ゴッサムシティのために犯罪者と戦ったバットマン。犯罪が激減。だが、ジョーカーが「バットマンを差し出さないと、毎日1人ずつ市民を殺す」と言えば、多くの市民が市役所を囲んで「バットマンを差し出せ!」とデモ。最後は悪に落ちた検事の身代わりとなり、自ら汚名を着る。街を救った英雄が市民からありもしない批判を受け、身を隠すことになる。それを見た友人は号泣。自分がダブったと言う。

「本当に美しい街だし、その魅力を全国に伝えたかった。監督料も僅か、残ったのは借金だけ。でも、地元の方が喜んでくれればと思っていたけど、まるでダークナイト。やりきれません...」

僕も似たような経験がある。地方では揉めないでおこうと言う意識が強い。トラブルがあっても見て見ぬ振りをする。諍いが起こると同じ町に住む同士。どこかで顔を合わせる。下手すると親子三代に渡る対立。真相を知っていても黙っていることがある。ただ、若く熱い友人にはそれがショックだったのだ。その後も批判グループは無記名で彼に「騙されましたよ」と手紙を書いてきたり、あちこちでいい触れ回ったりしたらしい。応援してくれた人たちからの連絡もなくなったと言う。

彼に伝えた。それなら町全員がお前に感謝し、褒め称えてくれればいいのか? そんなことはあり得ない。山本太郎を見ろよ。国民のために政治を変えようと頑張っている。なのに、その国民の多くが彼を批判し、否定し、誹謗中傷を続けている。デマを信じ、太郎さんのことを何も知らない奴が「目立ちたがり」「政策は無茶苦茶」「お騒がせ野郎」と言う。御用評論家の批判を鵜呑みにして吹聴する。それでも彼は言う。

「そんなあなたも救いたい!」

政権や評論家に批判されるのはまだいい。でも、国民から攻撃される。時には彼の支持者だった人からまで「あいつはダメになった」と言われる。どんな気持ちだろう? そして何が彼を支えているのだろう? 500円ハゲができるのも当然。心はボロボロ。でも、日本を変えたい。国民の暮らしを良くしたい。そんな思いのはず。

映画作りも同じ。その町の人だけの映画じゃない。お前が作った作品を全国の人が見て感動してくれる。心無い批判をする人たちと同じ価値観で考えてはいけない。それが映画だよ。そう話すと彼は黙って頷いた。


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原発反対のオヤジが反原発の若者を叩き。過疎化地域の大人が若者を追い出している=そこに潜む心理を分析? [2020]

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原発反対のオヤジが反原発の若者を叩き。過疎化地域の大人が若者を追い出している=そこに潜む心理を分析?

最近、感じること。先に書いた反原発の男性。チェルノブイリから反対活動をしてきた。だから、311から反対を言い出した若者が許せない。「不勉強な上に目立ちたいだけ!」と否定。だが、その彼の深層心理には原発を止められなかった自分たちの敗北感。政府に対する怒り。それを若者にぶつけている側面がある。

さらに、原発を反対することが自分たちの自己確認になりプライドになっており、そこに不勉強な若者が入り込んでくることに対する嫌悪感もあるだろう。もし、そうでなければ先輩として、指導し、育てて行くのが本当だ。

故郷を出て行った若者に憤る、地元のオヤジも同じ。自分たちも都会に憧れていた。でも、夢を諦めて地元に残る。それを諦めたと思うと悔しい。だから「俺は故郷愛があるから地元に残った」と言うプライドに無意識に変える。なのに若者は都会を目指す。地元愛がないからだ!と怒る。そんなタイプもいる。

その背景にも、自分が夢を果たせなかった悔しさと、それを実践する若者への嫉妬が絡む。でも、それは心の底に沈めて「故郷愛」がない!という大義名分で批判する。故郷のためではなく、個人的な恨み。

実は私怨、嫉妬、羨望が背景にあり、それを若い人にぶつける年配の人たちもいる。それらがいろんな意味でマイナスになっている。原発に関しては、せっかく反対運動に興味を持った若者が離れて行く。都会で勉強し、戻ってきた若者をバカにして、また故郷から追い出してしまう。どちらも、それぞれの年配者が望む逆の努力をしている。

原発を止めること。そのためには若い人たちの力が必要、なのに「不勉強」と批判。故郷には若く優秀な人が戻ってくることで町が発展。なのに若者を追い出してしまう。これらは多くの大人たちが他でもやっていることではないか? 

家庭でも、会社でも、政党が合併できないのも、つまらぬプライドにこだわっているから。大事なのはそこではなく、二大政党制になり、政権交代を迫ること。大切なのは国民。それを見失ってしまうのは先と同じ背景なのだろう。



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役所でムカついたことありますか?=俯瞰して問題を見つめると分かること。 [my opinion]

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役所でムカついたことありますか?=俯瞰して問題を見つめると分かること。

役所に行き、嫌な思いをしたことがある人。いるだろう。映画「生きる」の世界ではないが、事なかれ主義で、職員の対応にムカつくことがある。「税金で食ってんだろ!しっかり仕事しろ」と思えることもある。大抵はその職員に怒りが向かうが、俯瞰で見れば、なぜ、その人がそうなったかが見えてくる。

役所は倒産することがない。でも、頑張って仕事をしても給料は増えない。仕事をどんどんこなしても別の仕事を与えられる。

「それならなるべく労力を使わないように、時間をかけて仕事しようと思っちゃうんだよ」

役所で働く友人はそういう。また、市民のためになると分かっても、それを言いだすと、各部署から「仕事を増やすな!」とバッシングされると嘆く。他にも理由はあるだろうが、そんな背景が役所を今の姿にしてしまったのだろう。友人はいう。

「それでも市民のために働いている姿をアピールする必要はあるので、何の意味もないことをやって、いかにも頑張っています!と誇示するイベントをやったりもする。もっと本当に市民に役立つことできるはずなのに...」

そんな役所。こんな批判も聞く。「1日でできる仕事を1週間かける」「言い訳ばかりで、何もやろうとしない」しかし、それは個人の問題ではなく、様々なルールや習慣。公務員という縛り。いろんな制約があり、職員のやる気を削ぐ背景もある。そんな体質と制約を改善すれば自然、職員たちも変わってくる。

だが、役所内ではこう考えてしまう。「俺たちだって頑張っているんだ。確かにいい加減な職員もいる。それは一部であり、そいつらを見て役所批判をされても堪らない!」という。その通りだが、一部の問題ある人たちの印象が強いので、その事実が伝わりづらい。そのために「よくやっている」「頑張っている」と外部の人は思わないし、賞賛もしない。

問題は当事者が俯瞰して自分たちを見られないこと。同じことはいろんな会社や組織。町や団体でも存在する。第三者の俯瞰した視点が大事。そこに日本の問題点も見えてくる。続きはまた。

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地方で起きた問題を考える=その街の問題ではなく日本が抱える課題だと分かる。 [my opinion]

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地方で起きた問題を考える=その街の問題ではなく日本が抱える課題だと分かる。

このところ、地方で聞いた、見た、体験した問題を考えている。それを「地方をバカにしている」と思う人もいるかもしれないが、そうではない。毎回、記事の最後に書いているが、突き詰めて行くと、地方の問題はその地方だけではなく、日本人の問題だと分かってくる。

どの地域にもいい部分もあり、問題点もある。が、今は「いい部分」ではなく「問題」を見つめることで、それが日本の問題であることに気付く。さらに海外と比較していけば今、日本人に足りないものは何か? 今後はどうすればいいのか?見えてくるはずだ。それが目的である。

昨年、シリーズで掲載したが「ムラ社会ルール」が今も強く地方には残っており、それは会社や政界でも蔓延っていて、新しい動きを潰そうとする。時代にそぐわない古い価値観を温存してしまう。その温床になっていることを紹介した。今はその「ムラ社会ルール」がなぜ、できたのか? 具体的にはどういう構図なのか?を考えている。

ただ、もしかすると、これは日本人だけではなく、狭い地域に長年居住し続けると生まれてくることかもしれない。日本人性ではなく、環境によるもの。日本でも海のある街は外部に対して寛容だと思える。それは港があり、外から多くの人が来るから。昔は新幹線も飛行機もなかったが、港と船は古くから存在する。

そんな何百年もの経験が街の人たちの社交性を育んだのだろう。よく言われるのが京都。信長の時代から、いろんな武将がやってきて街を収め。やがて、別の勢力が来て打ち倒す。そんな繰り返しなので、抵抗するより、受け入れる。誰に対して愛想よく振る舞う。そんな処世術が育まれたという話を聞いたことがる。

だから、京都の人は初対面でも愛想はいいが、三代付き合わないと本当に信用はしないと言われる。それも歴史の中で学び、会得したものだと思える。さらに気温にも左右される。暖かい地方は性格が穏やかと言われるが、確かに思い当たることがある。静岡、和歌山、沖縄で映画を撮ったが、街の人たちはとても明るく、大らかな人が多かった。アメリカでも寒い冬のあるニューヨークと、冬でも暖かいロスアンゼルスではアメリカ人もかなり違う。それも同じ背景だと思える。

ただ、そのような理由で作られた性格や習慣が、どのように発揮され、プラスになること。マイナスになることがある。すでに時代に逆行する習慣も多い。そこを様々な例から考えて行くこと。意味があると思えている。


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「明日にかける橋 1989年の想い出」 本日2月2日 静岡県袋井市 浅羽東コミセンで無料上映 [告知]

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「明日にかける橋 1989年の想い出」上映情報!!

令和2年2月2日午前10時から
静岡県袋井市 浅羽東コミセンにて
映画「明日にかける橋」を上映してくれます。

袋井市、磐田市、森町が舞台の感動家族物語。

浅羽東コミセンさんのご好意にて、無料!
皆様是非ご覧下さい。




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