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ANAインターコンチネンタル・ホテルへの批判するのはおかしい=状況を整理してみよう! [事件]

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ANAインターコンチネンタル・ホテルへの批判するのはおかしい=状況を整理してみよう!

「圧力に負けた」「ニューオータニと同類」との批判が出て来た。が、その批判は的外れであることに気づいて欲しい。比較しよう。ニューオータニは最初から官邸に忖度して口裏合わせをした。が、ANAホテルは明細、領収書等で「どこも特別扱いはしていない」ことをメールで辻本議員に伝えた。

対して総理はホテルに電話をさせて回答を得る。「営業の秘密で含まれないものもあると」とホテル側が言ったとしたが、その後マスコミの質問に対してホテル側は「営業の秘密とは言ってない。例外はない」と回答。総理発言を否定した。

その後、再びマスコミがホテルに連絡したが「業務内容に関しては個別のことは口外できない」と返事をされる。ここで「圧力だ」「政権に屈した」「ニューオータニと同類だ」と言う人が出て来た。が、よく考えて欲しい。オータニの場合は圧力を食らう前から忖度して5000円のバイキングの件を明快に答えていない。対してANAホテルは領収書、見積もりの件を正確に答えている。

そして最初から「前夜祭のこと」とは言っておらず、基本姿勢を伝えている。圧力があった後も「個別のことは口外できない」と言い。姿勢は変わっていない。どちらも「前夜祭」の件には触れていない。にも関わらず「圧力に負けた」との指摘はおかしい。もし、ホテル側が「例外もありました。訂正します」と言うなら「圧力に負けた」白を黒と言ったことになるが、そうではない。

では、なぜ批判が出たのか? まず、マスコミが関心を持たれるように官邸の圧力で答えが変わったかのように報道。世間も「どーせ、ニューオータニと同じになる」と言う先入観から「負けた」と思い込む。それが今回の構図。そこで間違った批判が出た。ただ難しいのは「圧力」は実在したと言うこと。「それなりの人が謝罪に来た」と自民側が発言。呼びつけてあれこれ怒りをぶつけたのだろう。脅しもあったはず。

ホテル側は報復をされないように注意する。が、「先の発言を撤回」とは言っていない。なのにANAホテルをツイートやFacebookで批判するのは違うだろう。考えて欲しい。あなたが書いた首相批判ツイートを官邸の関係者が読み。電話がかかる。「あのツイートについてお話を伺いたい。明日、官邸まで来て欲しい」と連絡があったらどうだろうか?ツイートの削除要請、「勘違いでした」とツイートして欲しいと言われたらどうするか?

「それでも戦う」と言うのならいい。そのことで別件逮捕されたり、国税庁が査察に来たりする可能性もある。勤める会社に官邸からクレームが行くかもしれない。そのくらいのことは朝飯前の政府だ。にも関わらず、ANAホテルは前言を撤回していない。それを評価すべき。もちろん、今後、本当に圧力に屈して前言撤回することもある。その時こそ「同類!」と批判すべきなのだ。でも、現段階ではそうではない。安易な批判をしてはいけない。


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あの人の背景ーだから森羅万象。嘘をつくのではなく副作用? [A政権について]

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あの人の背景ーだから森羅万象。嘘をつくのではなく副作用?

潰瘍性大腸炎の治療薬として、ある特効薬が使われると聞く。抗うつ剤として有名な薬品。それを使用すると症状を抑えることができる。が、副作用として双極性障害の躁状態のようになるらしい。抗うつ剤の効果で、鬱の逆になるということ。では、具体的に双極性障害の躁状態とはどんなものか? 精神科医師に聞いた。

ー患者は何でもできると言う万能感を持ってしまい。自分ができるはずのない仕事、経験のない事業を突然に始めたりする。借金までして大金を注ぎ込んだり、家族や友人が止めても聞かず、暴走することがある。

例えば家族や社員にも相談せず。必要のない高額な機械を購入、できるはずのない仕事を始めたりするので家族や会社が混乱する。患者が会社トップの場合は、社員の反対を押し切って無意味な新事業を始め、膨大な借金をし倒産したり。家長なら貯金をはたいて会社を立ち上げ大失敗。無一文になり家族を路頭に迷わせるたりもする。

自分の発言を後になり「そんなことは言っていない」と言ったり、言ったこともないことを「私は前々からそう発言している」と言い張る。そんなふうに周りをかき回すのも症状の一つ。皆で決めたことを後になって、無断でひっくり返して「新しい判断です」と言い出したりもする。

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また、他人の立場や苦痛が理解できず、冷酷に見える。説明を求められても意味不明なことを長々と話し「誤魔化さないでください」と注意したら「私は誠心誠意、説明している!」と怒り出す。散々、無意味な発言をしておいて、それを指摘すると「お前こそが無意味だ」と言い返す。周りを怒らせ、混乱させる。多くの場合。患者とは気づかれず「おかしな人」「冷淡な人」と嫌われるが、悪意はなく全て症状。また大人気ない行動もあり、立場を考えず、はしゃいだりもする。

それが双極性障害の躁状態。個人差はあるが、それらが主な症状例。が、マスコミはこの種の精神病、精神障害には一切触れないので、多くの人は病状を知らず気づかない。それがあの人の奇行の理由。

ーと言う話を複数の精神科の先生から聞かされて驚愕。「でも、日本中の精神科医は皆、知っているはずです」といわれた。繰り返すが、以上の指摘、説明は医学素人な私の推測、意見ではなく精神科の医師から聞いた説明。要はそんな状態の患者で、判断力のないことを知りながら、取り巻きが煽てて、利用し、焚き付け、常識を超えることをさせ、甘い汁を吸っていると言う構図なのだ。

ちなみに、その薬の投与を減らすと鬱状態になり、やる気をなくし全てを投げ出してしまうらしい。そしてヒットラーはドラッグを常用。妄想で判断ができず暴走し、国を滅ぼしたという説があるが、似た構図だ。トップが病気だと国が巻き込まれ崩壊に向かってしまう。


参考ー 治療に抗うつ剤が使われる

https://www.morisawa-mental-clinic.com/post/2018/11/03/%E8%85%B8%E3%81%AE%E7%82%8E%E7%97%87%E6%80%A7%E7%96%BE%E6%82%A3%E3%81%AF%E6%8A%97%E3%81%86%E3%81%A4%E8%96%AC%E3%81%A7%E9%98%B2%E3%81%92%E3%82%8B%E3%81%8B%EF%BC%9F

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自分のことが分かるのは50代を過ぎてから② 傷つきやすい感性があるから感動作ができる? [my opinion]

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自分のことが分かるのは50代を過ぎてから② 傷つきやすい感性があるから感動作ができる?

これは注意して書かねば、また誤解する人が出てくると思う題材。ある人に言われた「太田くんは感動屋ね」つまり、些細なことでも感動すると言う。当時は思い当たることがなかったが、あるときセミの抜け殻を見つけて感じた。「このセミはあと1週間の命なんだ。やっと地上に出て、広い空の下にいるのに1週間か...」

友人に話すと「そりゃセミの宿命や、しゃあないやんけ!」と言われた。ああ、あの人が言ったのはこう言うことか?と思えた。そして、お笑い芸人の上岡龍太郎が昔、ある番組で言ってたことを思い出す。

「夜、怖くてトイレに一人で行けない子供がいる。お化けが出ると言う。親はそれではダメだ。と厳しく叱って一人でトイレに生かす。お化けなんかいないと諭す。でも、そんな感性のある子供が将来、作家になったり、芸術家になる素質がある。それに気づかない親がその感受性を潰して平凡な子に育ててしまうんですよ」

なるほどね。そう考えると、僕は人より些細なことで感動するが、さほどでもないことで激怒したりもする。許せない。殴りこみだ! でも、友人は理解してくれない。「しゃあないやんけ」と言う。似たような話は芸能界ではよく聞く。

些細なことでアーティストが激怒。周りが右往左往。「あの先生。本当に面倒だよなあ」という話。プロデュサーや出版社の編集者から聞く。つまり、彼らからすると「そのくらい我慢すればいいのに」と思う。ワガママだと解釈する。が、当人にすれば我慢の限界を超えた絶対に許せないことなのだ。感じ方が違う。多分、クリエーターやアーティストは人の2倍3倍に感じてしまう。

だから、作品が作れる。書ける。演じられる。その作品を人は感動するが、その元となったものだけでは感動できない。ただ、その種の人は「悲しみ」や「怒り」も人の2倍3倍感じてしまう。だから、些細なことで傷つき、落ち込み、絶望する。それを癒すためにアル中になったり、ドラッグに走ったり。新興宗教に助けを求めたりする。

一般の人たちには分からない。「なんでドラッグ?」「芸能人で常識ないよね」と思う。その傷つきやすい感受性があるから素晴らしい作品が生まれることに気づかない。作品を見ると「すごいね。才能だよね」と賞賛。ドラッグに走ってしまう傷つきやすい感性と素晴らしい作品を作り出す感性は同じとは思わない。「才能」なんてありもしないものを言葉にして、納得しようとする。

だからドラッグに走ってもいいーと言うことではない。それほどビビットな感受性があるから作品が作れる。それゆえ、傷つきやすく、苦しむことになる。それほどではないが、僕も本当に些細なことで、人間関係が嫌になることがよくある。無神経な奴と関わりたくない。若い頃から「許せない」ことが多いが、理解されなかった。と言うことは多少、その種の素質はあると言うことだろう。だから作品を作れる。でも、人生生きずらい? それがクリエーターの宿命なのだろう。


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自分のことが分かるのは50代を過ぎてから?①=10代はそれが分からず苦労するのよね [my opinion]

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自分のことが分かるのは50代を過ぎてから?=10代はそれが分からず苦労するのよね

自分のことってなかなか分からないものだ。が、50代になった頃から少しずつ自分ってこう言うタイプ?と思えることがある。

高校時代。毎日が地獄だった。最低の日々。勉強が嫌ということではない。勉強に意味がないと思えたのだ。10年以上勉強しても話せない英語。社会に出て使わない数学の公式。年号を覚えるだけの歴史。もっと意味あることを教えろ!と感じていた。が、教師たちはいう。

「お前は勉強するのが嫌だから、そんなことを言っているだけだ」「怠け者の言い訳」「楽をしたいだけだ!」

でも、今、映画を撮るとき。原発問題でも沖縄戦でも作品に必要なことは徹底して調べる。かなり勉強した。つまり、教師の言うように勉強するのが嫌だったのではなく、意味のないことをするのが嫌だったのだ。与えられた学科や題材を学ぶことに意味が見出せなかったのだ。だからやる気が起こらなかった。

また、学校生活も好きではなかった。毎朝、8時半に登校。6時間の授業を受け。月曜から土曜まで。制服を着て、厳しい校則があり、成績で順位をつける。

そんな学校システムに不満があったのだ。効率的でない。無駄が多い。生徒のためより管理しやすいための校則。意味が見出せなかった。そして教師たちは「お前は怠け者だ」「勉強とは嫌なことでも、我慢して続けるもの。自分を律するものだ」と言っていた。

今となっては分かるが、それは与えられたことを確実にこなす優秀なサラリーマンを育成するための教育であったこと。意味や効率を考えない、ひたすら従うだけの会社員を育てるためのものだった。それを抵抗なく受け入れられれば、日本社会で会社員になれる。その意味で僕は不適合者であり、会社員にはなれないのは当然。だから、今は一般とは違う世界ー映画業界で仕事をしているということなのだろう。

10代から与えられたことをするのは嫌。無意味なことはしたくない。でも、興味を持てば意味を見出せば人の倍やる。「給料分、以上の仕事はしない」と言う会社員の友人の気持ちは分からない。過労で倒れるまで働くので、理解ある友人からは「あまり頑張るなよ」と言われる。あの頃教師からは「怠け者」「楽したいだけだ」と言われたが、そうではなかった。ただ、親を含めて大人は誰も理解してくれず、自分が何者か?分からなかった。今、50代を過ぎ、少しづつ自分が分かって来た。


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映画レビューに「突っ込みどころ満載!」と評論家気取りのコメント=背景にある悲しいもの。 [FB問題]

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映画レビューに「突っ込みどころ満載!」と評論家気取りのコメント=背景にある悲しいもの。

いろんなサイトに映画の感想を書くページがあるが、特にyahoo!に書き込む人たちの映画鑑賞眼は低い。別にyahoo!が悪い訳ではなく、その種の人たちが多いということ。どんなコメント? 例えばこんな風なのが多い。

「突っ込みどころ満載。あれ? なんで?ということの連続!」

「展開が唐突! 何なのこの映画。展開に無理ありすぎ〜」

ある。ある。と思うだろう。これらに共通するのは何だろう? そう。ほとんどが上から目線。得意げ。鬼の首を取ったような感じ。簡単に言えば評論家気取り。しかし、その映画を見ると、それほど酷いものでなかったり、力作だったりする。そこには2つの背景がある。彼らの心の闇を考えてみよう。

80年代。僕は映画ファンであり、映画学校に通い、映画好きと毎日議論していた。「ぴあ」には毎週、読者の映画批評が載る。がyahoo!的な感想はあまりなかった。同世代の映画評論家さんはいう。

「本来、映画を見ていて、あれ? 何でこうなるんだろう? と思った時に、僕らは伏線を見逃したかな? 説明があったんじゃないか? と考える。映画というのはプロが作るもの。意味が分からないのは素人である自分が、しっかりと見ていなかったからだろうと考える。

でも、今どきの子は分からないことがあると、この映画は説明不足だ。ご都合主義で展開させてんだな〜と考える。つまり、分からなくなるのは自分の不注意や無知ではなく、映画制作側の、あるいは監督がバカだから分からなくなると解釈するんだよ。

そんな解釈をするのが20代とか30代の人たちが多い。作っているのは50代とかの監督で、プロのスタッフ。映画というのは集団作業。例え監督がバカでも、シナリオや現場でおかしな部分が見つかれば、必ずスタッフが指摘する。誰も気づかずにオーケーなんてまずない。それを20代の映画ファンだけが気づく問題点ってあるかな?

実際にその映画を見ると、ちゃんと伏線が張られていたり、前の場面で説明されていたりする。それを見逃していたので展開が分からなくなったのだろう。にも関わらず『無理あり過ぎ〜』と考えるんだ...」

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なるほど。ただ、なぜ「私にものを見る力がないのではなく、説明不足の相手が悪い!」という解釈をするのか? 考えた。それは今は僕らの子供時代以上に管理教育が進んでいる。やるべきことは教師や親から指示される。宿題をしろ。勉強をしろ。教室では静かにしろ。寄り道をしないで帰れ。それをやらないと厳しく注意される。

言われたことさえしていれば問題はない。つまり、考える必要がない。自分で判断しない。なぜ、この学科を勉強するのか? なぜ、この宿題が出るのか? なぜ、こんな規則があるのか? 考えない。背景を想像しない。疑問を持たない。

駅のホームに立てば「電車が来ます。白線まで下がって下さい」とアナウンスがある。ショッピングセンターでは「エスカレーターから乗り出して顔や手を出さないでください」と館内放送。そんな環境で育った子たち。考える力はない。映画には伏線がある。伏線というのはナレーションで

「この主人公は銃マニアである。部屋にはモデルガンが飾られている。大きな伏線になるので覚えておいてほしい」

なんて説明はない。伏線というのはそれとなく描くもの。だから、見逃しがち。若い子は気づかない。展開がある。伏線が生きる。が、伏線に気づいていないので分からない。「なんで、こうなるの? 何の説明もなかった。この映画おかしい!」となる。

言われないと気づかない。管理教育が行き届いた中で育った結果ではないか? もう一つの悲しい背景がある。人を批判すると、自分が偉くなった気がするものだ。優越感を感じる。次第に上から目線になる。

「俺には分かるんだよ。そんなことじゃダメだろ?」

その誇らしい気持ちを伝えたくて、感想を映画サイトに書き込む。「俺って凄いだろう?」そんな思いを込めて。日頃、誰にも褒められない人たちがいる。彼らは必要とされないダメ自分から逃れ、自分の優秀さを誇るためにコメントする。

だから映画レビューはその手のコメントが多い。が、そのほとんどは勘違い、見る力がない人たち。多くは厳しい管理教育で育った人たちだろう。それが映画レビューに「突っ込みどころ満載!」「唐突な展開!」「捻りがない!」などと、ワンパターンの表現で勘違いなコメントを書き込む人たちの背景だと思える。(2019年の記事より改定)


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