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日本人は「空気を読む」のは得意だが、「状況把握」の能力に欠ける人が多い? [社会政治]

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日本人は「空気を読む」のは得意だが、「状況把握」の能力に欠ける人が多い?

会社内での対人関係は空気を読んで、同僚とはうまく付き合うのに、海外に行ってバッグをテーブルに置いて席を取る人。そんなことをして盗まれない国は僅かしかない。多くの日本人が状況を把握する力に欠けている現れだ。

マニュアル社会も状況把握力を育てない背景の一つだろう。こういうときは、こうしろ。こんな場合はこう説明しろ。とか、やるべきことが全て書かれてある。状況を把握し、対応を考えなくても、マニュアルに従って話し、動けばいいのだ。大学時代からバイトをして、それに慣れてしまう。学校では与えられることだけすればいい。会社に入っても同じ。そんな環境で育つので、状況把握力が当然、乏しくなる。

高校時代の後輩。ある高名な作家さんと会うときに連れて行った。いろんな話を聞くことが出来る。友人もその手の話が好き。会話中。ふと横を見ると後輩がスマホでメールチェック。何を考えているのか!テーブルの下で足を蹴る。「なんですか!」という。まるで気づいていない。作家さんから見れば「自分の話が詰まらないので、スマホを見ているんだな」と思える。失礼極まりない。あとで友人を注意したら、こう言われた。

「退屈なんかしてませんよ。ちゃんと聞いてましたよ。メールチェックはいつものことだし。それってダメなんですか?」

呆れた。ま、彼はどちらかというと、他人の反応に無頓着なタイプではある。僕が作家さんとあれこれ話しているので、自分はスマホいじっても問題ないと思ったそうだ。状況把握の力が低いために起こる行動だ。ま、それ以前に常識がないとも言えるが、周りの状態や意識を解釈する力に欠けている。

また、空気は読むけど、問題を見て見ぬふりをする人も多い。その場ではそれで済んでも後のことを考えると、必ずトラブルになるのに知らないふりで終わらせようとしたり。これも本当の意味での状況把握ができていないということ。コロナウイルスの件でも政府の対応が問題になっているが、これも状況把握ができず。その場その場の対応をしているからではないか? 日本人の状況把握力。また、考えてみたい。


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「状況把握力」とはどんな能力か?=日本人に欠けるその力がやがて重要になる? [社会政治]

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「状況把握力」とはどんな能力か?=日本人に欠けるその力がやがて重要になる?

これは心理学にある正式な用語ではなく、僕が勝手によく使う言葉なのだが、日本人にはこの能力が低い人が多いという話と、その背景を以前に紹介した。

状況把握力とは文字通り、状況を把握する力だ。ただ、日本で一般的な生活をしていると、あまり必要ない能力でもある。状況を把握しなくても、会社で仕事するのに困らない。与えられたことをしっかりすればいい。雨でも風でも、ビルの中で仕事をするのなら大丈夫。だが、映画の世界ではとても重要。監督は特にその力を要求される。

撮影のときは様々なことを考える。まず、状況把握だ。明日の撮影。天候不順で撮れないでいる場面がいくつかある。それも俳優のAさんが出番。

「この俳優は思った以上にこだわる人だ。集中する時間を取ればいい芝居をする。でも、時間をかけないと難しい。ただ、スケジュールは押している。撮影3週目。強行軍でスタッフはかなり疲れ、テンションが低い。明日はスケジュールとは違うが、Bさんの場面を先に撮り、その間にAさんに集中してもらい。そのあとで一気に撮ってしまおう」

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天気、俳優の性格、スタッフの体調。あれこれ監督は考えて判断する。一番効果が上がる選択して撮影せねばならない。スケジュール通りに、それも効率だけ考えていたらダメ。そんな中で最大限に俳優の力を引き出して、作品のクオリティも上げねばならない。とすると、何を優先し、何を後回しにするか? 何を諦めて、何に時間を使うか?それを決めるためには、まず状況を把握する必要がある。

野球選手も同じ。ピッチャーはただただ速い球を投げるだけでなく、状況を把握する。ツーアウト、満塁。次の打者は***。その性格や能力を考え、どんな球を投げるか?考える。三振を狙うか?打たせておいて球を取るか? それによって投げる球が変わる。同じことはいろんな業界である。が、日本では多くの仕事でその能力が必要とされない。

これまでは問題はなかった。が、令和時代。大きな変革が進む中で、変わり行く時代の状況を把握できないと困ったことになるだろう。例えば子供達。彼らが社会に出る頃にはAIが普及し、今ある職業の多くがなくなっているだろう。にも関わらず、そんな職種を目指して勉強していたら何にもならない。親が状況を把握できないことで、子供達が無意味な勉強を続け、社会に出てもそれが生きないということが出てくる。状況把握能力。大事になってくるはずだ。


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毎日、ブログ記事を上げる理由?=いろんな意味があるけど、一番はあれ! [映画監督のお仕事]

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毎日、ブログ記事を上げる理由?=いろんな意味があるけど、一番はあれ!

「昔の彼女に宛ててメッセージしているんでしょう?」

「あれこれ批評するのは評論家の仕事じゃないか?」

「最近は取材した記事が少ないですよ。努力が足りませんね〜」

とかコメントしてくる人がいる。その意味は「映画監督は作品で語るべき」「ジャーナリストなのに努力が足りない」であり、双方共に勘違いだ。

黒澤明も昔は一切マスコミに登場せず、インタビューにも答えなかった。「作品で語るべき」「宣伝は宣伝部がするべき」と考えていたのだ。が、晩年は積極的にテレビにも出て話をした。監督作をアピールするには監督自身が前に出ることが大事。そんな時代なのだと理解したからだ。「作品で語るべき」というのは映画黄金期1960年代の発想。

また、僕はジャーナリストではない。ただ、以前にはライターをやっており、あれこれルポルタージュも書いたし、インタビューもやった。メジャー誌でも何度か記事を掲載された。そのせいで文体からジャーナリスト?と勘違いする人もいるのだろう。でも、今は映画監督業をする者として、日常を綴る、あるいは考えを語るエッセイのようなものを書いているだけだ。

それと黒澤明も考えたように、作品をアピールするには監督自身が前に出て発言することは大事。現在では宣伝時、監督はあれこれキャンペーンする時代。ただ、映画公開がないときは発信しない。著名な監督はそれでいいが、僕のようなものが宣伝になってから動いても大して注目されない。テレビ番組で番宣もさせてくれない。

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そこで日頃からあれこれ記事を書き、アップすることで、関心を持ってもらおうと、10数年前にブログを始めた。そこにFacebookが加わった形だ。最初は映画業界を目指す人。映画ファンが関心のある映画関係の話を書いていた。が、「朝日のあたる家」で原発問題に取り組んだこともあり、社会派の話も書くようになった。

原発を勉強すると、政治、企業、報道、日米関係、戦争、電力会社、広告代理店、商社、と様々な背景や闇の部分が見えて来た。そして自身の映画のテーマである「親子に伝える大切なこと」は、そんな社会問題をも見つめないと答えが出ないことにも気づいた。今の時代。単なるエンタテイメントでは観客に届く作品ができないことも痛感している。

映画は時代の反映。80年代前半は「嫌な日常を忘れさせてくれる娯楽作品」が持て囃されたが、今は「もう一度、社会を見つめ直す」作品が必要とされているように思える。昨年大ヒットの「「天気の子」も「ジョーカー」も社会性を持った作品だ。社会問題を記事にすることで、そんなタイプの映画を作るヒントになることが多い。

「ネットで愚痴を書くな!」と叱られたこともある。が、愚痴をいくらアップしても問題は解決しないが、文章を書き、問題を考えると論点が整理され答えが見つかる。それが目的なのだ。そして基本は宣伝。文章を読んで「面白い監督だなあ」と思ってもらえれば、映画にも関心を持ってもらえる。公開直前では遅い。そんな思いで毎日、記事をアップしている。


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子供の頃は映画監督ではなく「報道記者になる!」と夢見ていた? [思い出物語]

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子供の頃は映画監督ではなく「報道記者になる!」と夢見ていた?

小学生の頃の文集を開くと「将来の夢」の欄に「報道記者」と書いてある。1960年代の小学生なら「パイロット」とか「電車の運転手」とか、或いは「社長」と言う子もいたが、「報道記者」というのは僕だけだった。

なぜか子供心に「事件を追う」「報道する」ということに興味があったのだろう。でも、刑事とか警官ではなく「記者」というところが子供らしくない。当時、テレビドラマで「事件記者」とか「特捜記者」というのがあったので、その影響かも。

そんな思いが生きたのが、シナリオライター時代に担当したドラマ「女子高生コンクリート詰め殺人事件」実在の事件なので犯行現場あとにも行き、誘拐された場所や移動経路も実際に歩き、関係者に取材もした。「朝日のあたる家」のときは原発問題を調べた。事件や犯罪ばかりではなく「青い青い空」のときは書道が題材だったので、4年取材。近作の「ドキュメンタリー沖縄戦」も同様。3年間、取材した。

何事も、調べ、取材しなければ語れない。そう思えて、シナリオを書く訳でもないのに、選挙となると街灯演説を聞きに行き、マスコミ報道を調べ、Facebookで記事を書いてしまう。まるでフリーランスの記者!トランプが異常に嫌われ、批判されると「何か、おかしい?」と思え、様々な報道を比較。情報を集め、事情通に取材してしまう。ネットや報道の情報を比較。総合するだけでも、いろんな真実が見え、見ないものが少しづつ見えてくる。

僕が作る映画は青春映画や家族ドラマが中心だが、テーマである「親子に伝える大切なこと」そして近年の「幸せって何だろう?」という疑問も、社会や時代を見つめることで、答えが見えてくることがある。マスコミの報道をすぐには信用せず。その背後にあるものも見据えること。そこに未来が見え、子供たちに伝えるべきこと。自分たち大人がしなければならないことが明確になってくる。

そんなこともあってFacebookではあれこれ、いろんなことを書いている。そこから次の作品のテーマも見えてくる。


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