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自分のことが分かるのは50代を過ぎてから② 傷つきやすい感性があるから感動作ができる? [my opinion]

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自分のことが分かるのは50代を過ぎてから② 傷つきやすい感性があるから感動作ができる?

これは注意して書かねば、また誤解する人が出てくると思う題材。ある人に言われた「太田くんは感動屋ね」つまり、些細なことでも感動すると言う。当時は思い当たることがなかったが、あるときセミの抜け殻を見つけて感じた。「このセミはあと1週間の命なんだ。やっと地上に出て、広い空の下にいるのに1週間か...」

友人に話すと「そりゃセミの宿命や、しゃあないやんけ!」と言われた。ああ、あの人が言ったのはこう言うことか?と思えた。そして、お笑い芸人の上岡龍太郎が昔、ある番組で言ってたことを思い出す。

「夜、怖くてトイレに一人で行けない子供がいる。お化けが出ると言う。親はそれではダメだ。と厳しく叱って一人でトイレに生かす。お化けなんかいないと諭す。でも、そんな感性のある子供が将来、作家になったり、芸術家になる素質がある。それに気づかない親がその感受性を潰して平凡な子に育ててしまうんですよ」

なるほどね。そう考えると、僕は人より些細なことで感動するが、さほどでもないことで激怒したりもする。許せない。殴りこみだ! でも、友人は理解してくれない。「しゃあないやんけ」と言う。似たような話は芸能界ではよく聞く。

些細なことでアーティストが激怒。周りが右往左往。「あの先生。本当に面倒だよなあ」という話。プロデュサーや出版社の編集者から聞く。つまり、彼らからすると「そのくらい我慢すればいいのに」と思う。ワガママだと解釈する。が、当人にすれば我慢の限界を超えた絶対に許せないことなのだ。感じ方が違う。多分、クリエーターやアーティストは人の2倍3倍に感じてしまう。

だから、作品が作れる。書ける。演じられる。その作品を人は感動するが、その元となったものだけでは感動できない。ただ、その種の人は「悲しみ」や「怒り」も人の2倍3倍感じてしまう。だから、些細なことで傷つき、落ち込み、絶望する。それを癒すためにアル中になったり、ドラッグに走ったり。新興宗教に助けを求めたりする。

一般の人たちには分からない。「なんでドラッグ?」「芸能人で常識ないよね」と思う。その傷つきやすい感受性があるから素晴らしい作品が生まれることに気づかない。作品を見ると「すごいね。才能だよね」と賞賛。ドラッグに走ってしまう傷つきやすい感性と素晴らしい作品を作り出す感性は同じとは思わない。「才能」なんてありもしないものを言葉にして、納得しようとする。

だからドラッグに走ってもいいーと言うことではない。それほどビビットな感受性があるから作品が作れる。それゆえ、傷つきやすく、苦しむことになる。それほどではないが、僕も本当に些細なことで、人間関係が嫌になることがよくある。無神経な奴と関わりたくない。若い頃から「許せない」ことが多いが、理解されなかった。と言うことは多少、その種の素質はあると言うことだろう。だから作品を作れる。でも、人生生きずらい? それがクリエーターの宿命なのだろう。


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