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20%に好かれる人になること。=久米宏に学ぶ、これからの時代で大切なこと? [社会政治]

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20%に好かれる人になること。=久米宏に学ぶ、これからの時代で大切なこと?

「誰にでも好かれる子になって欲しい」

親たちはそんなことを子供に期待する。でも、子供たちがそれを実現しようとすると、自分のことより人のことを優先し、嫌なことがあっても我慢する。下手すると八方美人となる。そんな子になることを親たちは期待しているのか?

久米宏が「ニュースステーション」をやっていた時、20%の視聴率がいいと考えた。つまり、日本人の20%に好かれる番組。それだけの支持があればやっていける。100人いたら20人に好かれる。これが100人に好かれるということは、薬にも毒にもならない放送(要はNHK)をしていることになる。というようなことを言っていた。

人間関係も同じだ。「あいつ嫌い!」という人がいるということは「あいつ好きだ」という人がいる。「好き」も「嫌い」も感じない人は「どうでもいい人」ということなのだ。ただ、日本ではそれを「いい人」という。「(どうでも)いい人」なのだ。

自分の意見を主張すれば、反論される。嫌われる可能性がある。でも、意見を言わなければ、反論も批判もされず、嫌われることはない。言われた意見に賛同だけしていれば「いい奴だ」となる。つまり、自己主張をせず、意見を持たず、他人に迎合していれば「いい奴」になり「嫌われない子」にはなれる。

日本人は「誰にでも好かれる子」を目指し、要は「嫌われない子」になっている。だから、意見を言わない。自己主張をしない。言われたことに従順。久米宏の話を続ける。

「ニュースステーション」の視聴率が30%になると、やりにくくなったという。より多くの人が見るので、あれこれ批判が増えた。影響力も大きい。当初は打倒NHKを目指して個性的な報道番組を目指していたが、30%を超えるとNHK的な毒にも薬にもならない報道にせざるを得なくなる。と久米は語っている。

その意味では人間関係も「誰にでも好かれる」は危険であり、20%に好かれる形が自己主張ができて、個性的でいられるのではないか? つまり「誰にでも好かれる子」というのはあり得ず、意味がない。大切なのは20%に好かれることではないか?と考えている。



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人との距離の取り方。感謝の気持ちが恨みを買う?=ミック・ジャガーから学ぶ対人関係 [my opinion]

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人との距離の取り方。感謝の気持ちが恨みを買う?=ミック・ジャガーから学ぶ対人関係

学生時代。音楽雑誌とかを読んでいると、デビッド・ボウイも、プリンスも、ミック・ジャガーも仕事以外で人前には現れず、コンサート時にしかマスコミのインタビューも受けないという話が載っていた。マスコミやファンにプライベートが阻害されるので人前に出ないのだ。

日本の矢沢永吉も週刊誌に山中湖の家を激写されたことで、連日ファンが集まった。家族は外にも出られない。妻はノイローゼ。結局、数億の豪邸には1年ほどしか住まずに引っ越し。有名人ならでは苦悩がある。

だが、それは有名人だけではない。僕のような映画監督レベルでも近いことがある。通常監督は撮影後にロケ地で挨拶回りはしない。製作担当が回るのが慣習。でも、感謝の気持ちを伝えたくて同行していた。懐中電灯1個借りても挨拶に行った。が、次に街を訪れた時には打ち合わせをする主要メンバーのみに会う。すると、懐中電灯の方が「何でウチに挨拶に来ない!」と激怒したという。

常識で考えれば、何度も挨拶に行くケースではない。でも、その人は「監督がわざわざ挨拶に来てくれた。感動した。懐中電灯1個なのにいい人だ。これからも応援しよう!」と思ってくれた。親しい友人のように感じたという。なのに次は訪ねて来ない。「裏切られた!」「利用された!」「騙された!」その方は本来、とてもいい人。感受性豊かであり、芸術を理解する。でも、思い込みが強いので「親しい友人」と考えてしまった。そして「裏切られた」と思ってしまった。

残念なことだ。ただ、その人を批判したくない。悪意ではなく好意だったのだ。ではどうすればよかったのか? 挨拶に行くべきではなかったのだ。そのことがきっかけで起こったトラブル。その時は喜んでくれても、過剰に期待されたり、勘違いが起こったりするのなら、行くべきではない。だから映画界では監督が挨拶回りをしない慣習ができたのかもしれない。似たようなことは何度もあった。その度に悪意のない人が傷ついたり、いわれもないことで批判されたり。周りにも迷惑をかけた。

ミックやボウイ。そして矢沢もレベルは違えど、誰かと関わることで似たようなことがあり、やがて人前に出なくなったのだろう。ファンが喜んでくれるからと思っても、結果トラブルになったり、誰かが嫌な思いをする。芸能人は孤独というが、孤独でいないと迷惑をかけるということ。

芸能人だけでなく、一般でも言えることだ。若い女性がどこかの飲み会で男性に親切にする。その男は自分に気があると思い、その子を追い回す。ストーカーのようになるかもしれない。同情してある人の悩みを聞く。「親切な人だ」と、その後、何かあると電話して来られて、どうでもいい話を長時間される。電話を切ろうとすると、「裏切られた」と言われるかもしれない。良かれと思ったことで悩まされることになる。誰も悪くないのに、困ったことになる。人との距離の置き方。ミックに学ぶ必要がある。


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原因を把握できず、怒りに駆られる人たち。これってジョーカーの思う壺パターン。 [双極性障害]

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原因を把握できず、怒りに駆られる人たち。これってジョーカーの思う壺パターン。

血圧がまた上がっている。とても言えない値。クソ野郎と対応していると、結局こうだ。僕は滅多なことでは怒鳴りつけたりはしないが、先日はもう乗り込んで大暴れしてやろうか?と思うほどだった。クソと対峙するのは健康に良くない。今回は患者ではないが、似たようなことが10年ほど前にあった。その社長は双極性障害の患者。だが、周りは誰も気づいていない。

皆が、散々振り回された。

必要のないことを独断で進め、製作費が無駄に消えていく。必要なことをしようとしない。指摘すると「もうやってある」というが、取引先から「何の連絡もない」と怒りの電話。僕が謝罪して、あと始末をしてまわる。さらには先回りもして社長がトラブルを起こせぬようにし阻止してまわった。が、社長に悪意はない。症状。

そのことには誰も気づかなかった。「嫌な奴」「2度と仕事しない」と毛嫌いするだけ。その後、僕は半年ほど寝込んだ。当時は血圧計がなかったが、危険値の連続だったのに違いない。

その後も、大変なことがあった。

別の症状だが、トラブル自体の大きさよりも、周りの人たちが相手が患者であることに気づかず、激怒してしまう。例えば外国人が家に来て、靴を脱がずに畳に上がっても「ああ、習慣が違うからなあ」と思い、激怒はしないで、優しく注意する。が、日本人の大人がそれをすると意図的な嫌がらせと思ってしまい、いきなり殴る人もいるだろう。

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それと同じで、相手に精神障害があった場合。悪気がなくても、事実ではないことをあれこれ言い出す。前回、言ったことをなかったかのように180度違うことを言い出したりする。が、相手は患者とは分からないので、嘘、誤魔化しと解釈。病気だと分かると「ああ、そういうことね」と理解するが、見た目は元気な社会人ので病気とは考えない。

患者が同じことを続けると、相手は激怒し、恨み、疑心暗鬼

となる。何か思惑があり、騙しにかかっているとさえ想像してしまう。が、そういうことではなく障害があるので、発言が一貫しないだけなのだ。悪意も騙す気もない。これも相手が外国人なら言葉のコミニュケーションが問題なのか? 生活習慣が違うからか?と考えるが、日本人同士だとそうは考えない。結局、諍いとなる。

患者の方も自分が病気だと気づいてないことが多く、自分が一貫した発言をしていない。矛盾した発言をしている自覚がない。

「嘘を言うな」「誤魔化すな」

と言われると

「僕は誠心誠意やっているのに、なんて酷い人だ!」

と思い、感情的になり、諍いがエスカレートする。そもそもの問題は患者なのだが、それに気づかぬ相手はこう考える。

「嫌な奴だ」「失礼だ」「常識がない」「許せない」

患者も自分の病を自覚していないと

「あいつこそが失礼だ。許せない」

と考える。患者は思考の一部に問題があるだけで、他は人と何ら変わりにない生活ができる。もともと悪意はない。常識に照らしても相手が悪いと判断する。患者はまず自分が病気だと気づかない。相手がそれに気づくしかない。

が、日本のマスコミはその種の症状を伝えない。蓋をして触れようとしない。だから、多くが気づかず、無意味な争いに巻き込まれてしまう。「ダークナイト」でジョーカーが人々を先導し争いに巻き込んだ方法はそれと同じ手法である。


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映画「ジョーカー」に登場する歪んだ人たち。日本にも大勢いるよね? [映画感想]

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映画「ジョーカー」に登場する歪んだ人たち。日本にも大勢いるよね?

映画「ジョーカー」に登場する歪んだ人たち。日本にも大勢いるよね?

この数年、僕が出会った「クソ野郎」と言いたくなる人たち。「ウジ虫」「困ったちゃん」「アホ」などと呼んで来たが、映画製作を邪魔したり、足を引っ張ったり、心ある人たちを踏みつけたりした連中。ドラマなら悪役となる人たちだ。ただ、昔の映画ならその手は権力欲が強く金のためなら人を殺し、踏みつける金持ち、政治家だった。だが、今の時代は多種多様。そんないろんな「クソ野郎」たちが見事に「ジョーカー」では描かれている。

①ブルース・ウェインの父 本来は街を浄化しようし、息子であるブルースに影響を与えた人物だが、この映画では庶民の痛みを理解しない実業家として登場。日本で言えば経団連会長や大企業のトップ。あるいは官邸にいるあの人のイメージ。ただ、これは従来からいる「クソ野郎」タイプ。そして、この人たちだけが悪でないことを映画は描いている。その他を以下で紹介。

②アーサーの上司 ピエロ派遣会社のマネージャー。彼はアーサーを「皆が君は変だというが、僕は君が好きだ」などと煽てて使うが、アーサーが災難に遭っても(子供たちに看板を盗られ壊されても)理解しようとせず、頭ごなしに非難。拳銃の件では会いもせずに電話でクビにする。社員を労働力としか見ず、問題点や職場環境を考えず、社員の苦労を理解しない。日本にも多い、ブラック企業の上司のような存在。この種のバカヤローが社員を苦しめる。


③アーサーの母 精神病による妄想で、ありもしないことを信じて、周りの人たちを巻き込む。本人は病気であり、悪意はない。が、息子がその妄想を信じたためにトラブルになり、人生が壊れて行く。実際、日本でもその種の事件は多い。患者が「私は酷いことをされた」と妄想し発言。周りが振り回され、罪のない人が加害者だと思われ関係者からバッシングを受け、そして反撃。諍いとなる。病気が原因での発言とは誰も思わず、無意味な争いを続ける。


④アーサー 病気の母の言葉を信じたばかり希望を持ち、そして破滅して、暴走して行く。彼自身が被害者なのに、加害者になってしまう。僕の周りにいた人たちも似ている。善良な市民だが、患者の妄想で酷い目に遭った被害者を加害者だと思い込み、批判、攻撃して追い詰め、孤立させ「当然の報い」と考える。妄想に巻き込まれたジョーカーが自分に正義があると感じたように、彼らも間違った正義を振りかざし、罪のない人を踏みつける自らの行動を把握できていない。

いずれのキャラも悪意はなく、自身の行動が誰かを傷つけていることに気づいていない。悪の組織や悪徳政治家だけではない。その種の人たちもまた、多くの人々を苦しめる。むしろ自分たちが被害者だと感じ、正義を振りかざすので始末に悪い。最後のシーンで暴動を起こす市民もまた同じ。もはや被害者ではなく加害者になっていることに気づかない。

そんな部分まで描かれていることで、多くの人が自分を重ね、いろんなことを感じたのだ。まさに日本も同じ。映画「ジョーカー」はそんな現代を映し出した作品である。



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「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」監督日記、連載中! [2019]

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「ドキュメンタリー沖縄戦 知られざる悲しみの記憶」監督日記、連載中!

ここ=>https://okinawa2017.blog.so-net.ne.jp

2019年秋、沖縄にて完成披露試写会を準備中。




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バカがいるとプロジェクトで事件多発。でも、素人目にはトラブルが見えない?=悪徳も困るがバカも困る! [映画業界物語]

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バカがいるとプロジェクトで事件多発。でも、素人目にはトラブルが見えない?=悪徳も困るがバカも困る!

ビデオメーカーや製作プロダクションの若いPに多いタイプ。別業種の仕事をしていたが、映画界に憧れて転職してきた連中。大して経験を積んでないのに、先輩がどんどん辞めて行くので未熟な奴でも現場に送り込まれる。そのためにトラブルが起きる。

映画界の常識やルールは他業種。さらに世間とは違う。にも関わらず、彼らは通用しないルールを振り回し、スタッフを逆なで、怒らせる。また、「Pは偉い!」という勘違い。経験もないのに高飛車になる。また、バカでもPと言われるとスタッフは「また、仕事をもらうこともあるだろう」と下手に出ることが多い。そのためにバカPの勘違いがさらに進む。

脚本を書いたこともない。物語作りのノウハウもない。映画のあり方も知らない。そんな連中が自分の趣味でシナリオを指摘。直しを要求。悪徳芸能プロにチヤホヤされて、仕事のない俳優たちを押し付けられたり。映画製作の上で邪魔にしかならない存在となる。むしろいない方がありがたい存在だが、出資したビデオメーカーが送り込んでくるのだ。

映画製作の基本はあるが、臨機横柄に進めなければならない。台風が来れば撮影はできない。俳優が撮影前に怪我をすることもある。腕はいいが気難しいスタッフもいる。Pはその辺もカバーせねばならないのだが、むしろトラブルを生み出すばかりという奴と何度も仕事をした。必要のないことを勝手に始める。やらなければならないケアを全くやらない。そのために協力してくれる会社からクレームが来る。

なので僕は監督なのに、Pが起こしたトラブルの収拾に奔走。謝罪したり、根回しをしたり、それでもPの愚行は続くので、起こす事件を予測。先回りして手を打っていた。監督業だけでもてんやわんやなのに、そのPの対応、後始末までした。当時、血圧を測っていたらやはり200を超えていたと思える。挙句の果てに、そのPは約束のギャラを払わず。経費数百万を不払い。

なのにスポンサーはPの問題点に気づかず。「ま、大きな事件に至ってないんだから問題ないでしょう?」と言い出す。「俺が全て止めたから問題にならなかったんだろ!」と怒鳴りたくなる。Pのやらかしたことを全て暴露してやったが、スポンサーにはどれだけ大きなことか?理解できず、内輪揉めしているだけと解釈された。

その種のトラブルの原因は映画作りを知らない未熟なPが、あるいはアホな奴らがプロジェクト・リーダーとなり製作を推進するから。ただ映画界だけでなく役所や近所にもそんなタイプはいる。そんな頃から僕自身もプロデュサーという肩書きをつけるようにして、Pは入れずに僕がプロジェクトを推進することにした。それ以来、その手の事件は起こっていないのだが....結論まで行かなかったが、今回はここまで。


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どこの業界にも会社に巣食うウジ虫たちがいる?=映画界も同様だ。 [映画業界物語]

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どこの業界にも会社に巣食うウジ虫たちがいる?=映画界も同様だ。

監督業はクリエイティブだ。イメージやセンス。言葉にしづらいものを作品に持ち込み描き出す仕事。しかし、映画はそんな芸術的な側面だけでなく、通常のビジネスと同じプロジェクトでもある。会社で新製品発売プロジェクトチームを作り、推進していくような感じだ。

通常、映画の場合はプロデュサーがチームリーダーとなり、監督の希望を聞いて進める。スタッフ、キャストをどうするか? ロケ地をどこにするか? できる限り監督の要望に応えるようにPは努力する。ただ、監督が「クライマックスは大爆発の連続にしたい!」と言っても予算的にダメな場合、Pがあれこれ説得、代案を出したりする。

ジブリの宮崎駿監督と鈴木敏夫Pの関係をイメージしてもらえると分かりやすいだろう。監督というのは本当に気難しく、製作費のことなんて考えず、純粋に描きたいものを描こう!とする。対してPは現実的に予算や時間を考えて、完成後の興行や宣伝も視野に入れて、監督の希望に沿いながらも、時には止め役にもなり、プロジェクトを推進する仕事なのだ。

しかし、そんなPにはロクでもない奴が多いというのも現実。本来、ジブリの鈴木Pのように監督の思いを大切にするべき仕事なのに、立場を利用し、悪用し、私腹を肥やしたり、芸能プロダクションと癒着したりする連中がいる。予算はあるのに「もう、お金がありません。無理です」と言って製作費をかなり残して自社の収入にしたり、裏金をもらったプロダクションの俳優を監督の意志に反してねじ込んだり。

何より作品に対する愛情がない。「素晴らしい映画を作ろう!」とか、「大ヒットさせよう」という気持ちはゼロ。目の前にある映画の製作費から金を抜いて、飲み食いに使ったり。芸能プロに接待してもらったり、利権を作ったり。そんなことばかりしているウジ虫のような連中だ。先日見たドラマ「沈まぬ太陽」の舞台となる航空会社でも同じような連中がたくさん登場。

山崎豊子原作なので、モデルとなった日航には本当にあんな社員たちがいたはず。会社での立場を利用して出入り業者からマージンを取る。子会社の経費で買ったクルーザーを私物化する。裏金を作り政治家に取り入る。それでいて安全対策費を削り、大きな事故を招く。これは航空会社だけではなく、宗教団体でも、政治団体でも同じ。今の政権はそれを絵に書いたようなもの。政治の中枢に居座り、一部の人たちに莫大な利益を与えたり。加計学園とかね?

同じ構図が映画界にもある。ここからが書きたい話だったが、長くなったので、またいずれ!


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チャンスは幸せの青い鳥が運んでくるとは限らない? [映画業界物語]

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チャンスは幸せの青い鳥が運んでくるとは限らない?

本当にどうしようもないバカがときどきいる。非常識極まりない。未熟で何の実績もないのに、上から目線。「殴ったろか!」と思える連中。どこの会社や組織にも何人か、そんな輩がいる。

映画監督デビューした頃はそんな連中との仕事が多く、殴り倒したい衝動を抑えることが日課。そいつが起こしたトラブルのために、こちらの作業が遅れているのに、本人がこういわれた。

「いつまでかかっているんですか?締め切りは過ぎていますよ。みんな迷惑しているんですよ」

「そもそもは、てめえのせいで遅れてんだろ!」と、今から会社に乗り込んで反省するまで説教してやろうか!と思うことの連続。血圧計があれば、軽く200を超えていたかもしれない。

そして、彼らの努力不足と間違った対応で結局、プロジェクトが崩壊。こちらは何ヶ月も振り回されたのに、ギャラも払おうとせず、逃げまわることが多かった。映画界は契約書がないので、告訴も出来ない。いや、出来ても訴訟する費用がない。結局、バカを見て終わることになった。そんな思い出話をしていると長年の友人に言われた。

「でも、結局、そんな連中が投げ出したプロジェクトを、形を変えて継続。あるいは、そんな奴らを相手にしながらも、太田は作品を完成させたよね?」

そう言われればそうだ。相手がバカ過ぎるので頓挫しただけで、正当な形で進めて行けば完徹することができるプロジェクトだった。彼らが無能だっただけ。僕の初期の映画はそんな感じ。

友人の指摘を聞き、考えていると、元々は困ったちゃんが持ってきたネタだったが、僕が引き継ぐことで完成したとか。彼らが連れてきた業界の大物さんがいたが、投げ出したので、残った僕が大物さんから可愛がられたりということがあった。

バカが仕事を持ってきて、愚行を続けたが、投げ出しいなくなり。僕がそれを形にしたことで、次のチャンスにつながったということが何度かある。

彼らに感謝しようとは思わないが、チャンス。幸運。というのは幸せの青い鳥だけが運んでくるものではないことを感じる。もちろん、彼らのせいで1年以上を無駄にしたし、巨額の借金も抱えた。約束のギャラももらっていない。

もう2度とそんな連中とは仕事しないが、そこから大きなチャンスに繋がり、飛躍もしてきた。人生分からないものである。



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消費税10%。1万円の買い物ごとに千円。大企業の為に支払う? そのバカらしさを痛感! [れいわ新選組応援]

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消費税10%。1万円の買い物ごとに千円。大企業の為に支払う? そのバカらしさを痛感!

10月1日の消費税値上げから、

あえて外食を続けてみた。ファミレスで千円のハンバーグ定食。10%で消費税は百円。千円札と共に百円硬貨をレジで支払う。

その百円は福祉には使われない。

大企業の法人税を下げて足りなくなった分の穴埋めに使われる。つまり、大企業の代わりに僕らが税金を払わされる。すでに多くの人が知っている事実。

その百円がお年寄りや病人、働けない人たちの支援になるのなら我慢もするが、内部留保を何兆円も溜め込んだ企業の代わりに払っていると思うとムカつく。1万円のHDDを買う。3TB。10%の消費税で千円プラスとなる。千円あればハンバーグ定食を食べられる。これは1万円の買い物をするごとに、千円を企業の代わりに国に支払うということであり、ハンバーグ定食を食べるのを我慢するということ。

Toyotaの車を買う。

100万円。消費税は10万円。Toyotaの車を買い、会社を儲けさせているのに、その大企業Toyotaの法人税は値下げ、代わりに我々が10万円を国に納めるということだ。馬鹿らしい。本当にアホとしか言いようがない。

「だったら、もう本当に必要なもの。最低限のものしか買わない!」

と思うのが普通だろう。多くの庶民がそれを実行したらどうなるのか?不況がさらに深刻になる。物が売れなくなる。給料が上がらない。企業は先行き不安でさらに内部留保を進める。当然、新規の仕事なんて始めない。こうして、さらに10年の不況が続き、日本はさらなる後進国になり、中国、韓国、台湾に完全に引き離されてしまう。完全な貧乏国になる。しかし、そこまで行って初めて日本人は気づくだろう。政府の方針が間違っていたのだと。

「そう言えば消費税ゼロと訴える政党があったな? 次の選挙ではそこのに投票しよう。自民や公明はもうたくさんだ!」

しかし、そこまで追い詰められても、Y紙やNHKしか情報源のない人たちは気づかないのか? 「福祉のためだから仕方ないよ。消費税ゼロなんてできる訳がない」といつまでも騙され続けるのか? 日本人は今、大きな選択を迫られている。アジアの貧乏国になるか? 政権を変えて立ち直るか?



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Facebookのコメント欄。ブログのように承認制にできないものだろうか?  [FB問題]

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Facebookのコメント欄。ブログのように承認制にできないものだろうか? 

このところ、いろんな方々がコメントをくれる。そのこと自体はありがたい。以前のように記事を読まず、タイトルだけ見て「私は賛同しません!」とか「そんな人の本は読みません」とか無責任なコメントをする人はいなくなった。

が、このところ多いのは、勘違いや思い込みであれこれコメントする人。この夏、過労でダウンして自宅入院生活を送っていた。今はもう起きてどこへでも行ける。それを振り返る記事を書いたら「今、寝込んでいる」かのように思い込み、治療法や薬のオススメを書いてくる。以前に書いたが、文章を理解する力が弱い人が多いため。教育がその種の訓練をしないからだ。

その勘違いコメントを見て、別の人が健康について書き込む。もう、元気なのに?「お大事に!」とか書かれる。「ありがとうございます」と答えるべきか? 「もう元気ですよ」と返事するべきなのか?その人は記事を読まずに他の人のコメントだけを読み「監督、病気なんだ! 大変だな」というやさしい気持ちで書いてくれたのだと思うのだが....。

そんな風に記事をしっかり読まずにコメントすると、別の人がそのコメントだけ読んで、間違った認識を持ってしまう。負の連鎖。ただ、間違ったコメントを削除するのも躊躇する。悪意はない。記事を読んではいる。過去の記述を現在だと勘違い「監督は寝込んでいる」と間違った認識を持っただけ。でも、間違いがあるたびに「それは過去の話ですよ」と注意するのも、どうなのか?ブログのようにコメントが承認制ならこの種のことは起こらないのだが、Facebookではそれができない。

他にも悪意はないが、明らかに間違った主張を延々と書き込む人がいる。何より僕の記事とは関係しない、別の話を論じている。飛躍や勘違いが多い。それを「友達」が読む。反論を書き込む。議論になる。無意味な連鎖。どう対処するべきか? ま、そもそもはFacebookの機能に問題があるということなのだが...。



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