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「原発映画を作ったら、ニ度と商業映画は監督できないぞ!」と言われ作った「朝日のあたる家」=あの頃を振り返ってみた。 [映画業界物語]

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「原発映画を作ったら、ニ度と商業映画は監督できないぞ!」と言われ作った「朝日のあたる家」=あの頃を振り返ってみた。

今から8年前、テレビを見ているだけでは分からなかったが、福島の原発事故。あれこれ情報を調べていくと大変なことになっていることを知る。大変では済まない。多くの人が苦しみ、子供のたちの健康が脅かされていた。映画で見たパニック映画のような危機的な事態。当時、東京ではこう言われた。

「福島の人たち。可哀想だね...」

他人事。東京の街で輝くネオンも、電車を動かすのも、テレビが見られるのは福島で作った電気のお陰。福島は大きなリスクを抱え原発を受け入れた。だが、その電気を福島では使っていない。東京に送られる。なのに「可哀想」「気の毒」でいいのか? 何より原発事故の恐怖や悲しみを理解しているのか?

何かしたい。何かせねばならない。そう感じた。でも、何もできない。いや、そうだろうか? 僕の仕事は映画監督。映画を作ればいい。原発事故の酷さ。悲しさをを伝える映画を作ろう!テレビや新聞。ネットは情報でしかない。だが、映画は体験だ。他とは違うことが伝えられる。

ただ、映画は監督が望んだからと作れるものではない。巨額の製作費が必要。そしてもう一つ。映画界では昔から言われていたことがある。

「原発映画を作った監督は二度と商業映画を撮れない」

それは何度も聞いた話だ。先輩たちにも止められた。「せっかく青春映画の監督として評判が上がっているのにダメだよ」そう言われた。が、僕の映画のテーマはいつもこれ。

「親子に伝える大切なこと」

原発事故は特に子供達に大きな被害を与える。なのに「二度と商業映画を撮れない」からと知らないフリして過ごし、将来また「子供達に伝えること」なんて偉そうに映画を撮っていいのか? それともう一つ。毎回、監督するときに「今回は遺作」と考える。「次がある」と思うと「今回は難しから妥協して次、頑張ればいい」と考えてしまう。

遺作なら次はないから全力でかかる。そう思って仕事をする。なら、原発映画が遺作と思えばいい。遺作なら商業映画が撮れなくなっても困らない。そう考えて「朝日のあたる家」を制作、監督することを決めた。今から6年前。2013年のことだ。

だが、日頃映画に出資する大手企業は出資拒否。大手どころか会社というところから一切金が出ない。その後、市民の寄付を集める形でスタートした。今度は出演者が出演拒否の連続。完成後は映画館が上映拒否。様々な困難を超えて最後は心ある全国の映画館23館が手を上げてくれて公開。大ヒットした。企業映画では絶対に描けない内容が高く評価。その後、世界6カ国で上映された。

そして今年、原発事故と同じく、

世の中に伝えられず封印されている感がある歴史「沖縄戦」のドキュメンタリーを完成。あるスポンサーからの依頼。中身も横槍が入らず、素晴らしいものになった。原発事故と同様。沖縄の人たちの悲しみ苦しみを多くの日本人は知らない。それを伝える作品だ。秋には沖縄で完成披露試写会が行われる予定。多くの皆さんに見て頂きたい。衝撃の1時間45分となっている。



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「とんねるずが消えた理由」と言う記事を読んだ=年齢に合った芸風、歳を取ると言うこと? [映画業界物語]

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「とんねるずが消えた理由」と言う記事を読んだ=年齢に合った芸風、歳を取ると言うこと?

お笑いは好きで、1980年のMANZAIブームから芸人さんを注目していた。あの頃、イチ押しだったのはツービートでなはなく、紳助竜介だった。少し前だと「そんなの関係ない」の小島よしお。ギター侍も好き。ただ、とんねるずには昔から関心が持てなかった。

彼らの人気が出た「夕やけニャンニャン」「オールナイトフジ」が放送された時期に日本にいなかったこともあるだろう。何が面白いのか?分からない。1980年代後半にブレイク。90年代、2000年代、とテレビで冠番組を持ち続けた。凄いことだ。それが最近、気づくとテレビに出ていない。ま、テレビ見ないし、彼らの番組も見ていなかったからだが、CM等でも見ない。ある記事にその背景が書かれていた。

「とんねるずは従来の芸人のように芸がある訳ではない。でも、大学の運動部。そこの面白い先輩。コンパや宴会を盛り上げてくれるタイプ。そんな親しみやすさが受けた」

なるほどそれなら分かる。では、なぜ、テレビから消えたか? 人気がなくなったのか? 記事にはこう書かれていた。

「とんねるずはこれまで公開番組で観客に絡んだり(オールナイトフジでは生放送でテレビカメラを壊したことがある)ベテラン芸人に食ってかかったりと普通やらないことをした。それを若い人たちはいいぞ〜と声援を送った。そんな型破りなところが人気につながる。

でも、彼らも50代になり大御所タレント。それが若い芸人に絡んだりしていると、イジメに見てしまう。声援を送れなくなった。彼らの型破りが許されたのは若さゆえであり、今の年齢では単なる非常識に見えてしまうのだ」

これは納得。すでに引退したが島田紳助が昔、同じようなことを言っていた。

「20代の頃は紳助アホやな〜で笑いを取れた。けど、30代になり、40代になって、アホなだけではアカン。タレントも芸人も、その歳なりのものを要求される。漫才ブームはすぐに終わった。司会業をする。アホなだけでは司会はできへん。寛平さん。もう50や。でも、未だに若い頃と同じことしてる。アカンで〜」

と言うようなインタビューを昔、読んだ。その後、紳助さんは報道番組のキャスターを務める。政治経済のクイズ番組を企画。スーツ姿。もう、ツナギを着てリーゼントで暴走族漫才はしなかった。その彼の指摘がまさに、とんねるずに当てはまる。

映画の世界も同じだろう。俳優も、脚本家も、監督も。特に監督業はそれが言える。若い間は鋭い感性で若い世代に支持される。が、40、50代になると、さらなる若手が現れて単なるオヤジになってしまう。感性では敵わない。それで消えて行った先輩たちも多い。

僕もあと数年で60代。えーーまじかよ?と言う感じだ。あれこれ自分を見つめ直してしまう。


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監督業は「物事の本質を見抜くこと」=イーストウッドから教わったのはトランプの正体? [【再掲載】]

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監督業は「物事の本質を見抜くこと」=イーストウッドから教わったのはトランプの正体?

映画監督の仕事は「俳優への演技指導」と思っている人がいるが、芝居をしたこともない監督が指導なんてできない。伊丹十三やC・イーストウッドなら元俳優なので可能かもしれないが、演技指導というのは違う。ただ、その芝居が素晴らしいか? ダメか? を判断するのは監督。つまり、本物か? 偽物か?を見抜くのが仕事。

もちろん、人を殺すシーンで本当に相手を殺すわけではないので、演技はどこまで行っても嘘。でも、限りになく本物に近い嘘が素晴らしい演技。そのために俳優はずば抜けた演技力が必要であり、監督もまたずば抜けた「見抜く力」を要求される。

つまり素晴らしい映画を撮れる監督というのは、物事を見る目もあると言うこと。でも、トランプが大統領選に出た頃。「とんでもない奴が出てきたのなあ」と世間と同じように、僕自身もそう感じていた。その見方が変わったきっかけは、2人の名監督の言葉。C・イーストウッドとオリバー・ストーンである。

2人はアメリカの巨悪や醜い現実を抉り出す社会派作品を作り続けている監督。一番にトランプを批判しそうなのに、認めていた。逆に名優のロバート・デ・ニーロやメリル・ストリープは完全否定。公の場でトランプを否定した。これら俳優の発言を見て日本ではこう言われた。

「俳優があそこまで言うのだからトランプはよほど酷い奴。その発言をした俳優たちは素晴らしい!」

でも、それはおかしい。元々、アメリカの俳優は政治的な発言をする。日本の方がおかしいのだ。政治と宗教は語らない方がいいと言う変な空気がある。だから、ローラの辺野古発言とか批判される。そのくせデ・ニーロが言うと褒めるのはおかしなもの。また、俳優は若い頃から演技!演技!で社会を知らない人が多い。

デニーロが名優だからと、彼の批評が正しいか?は別問題。作家や評論家と違い、俳優は政治や社会を見つめ発信する仕事ではない。日本でも政権に利用され、PRに一役買う有名俳優やタレントがいる。同じように世間のことが分かっていないので、乗せられているのだ。実はデニーロも同じであること。あとで知るのだが、イーストウッドに話を戻す。彼は言う

「悪くないと思う。まあ、しばらく見てみようじゃないか?」

慎重な言い方だが、かなりの評価だ。尊敬する2人の監督が認めたと言うことで、僕も毛嫌いするのを止め、トランプ研究を始めた。巨匠が言ったからと正解とは限らないからだ。

その後、いろいろ情報を集め、事情通に聞きトランプはアメリカのドブさらいが目的であると分かる。彼のイメージを落とす大ネガティブキャンペーンが行われていたことも知った。多くの日本人、そしてマスコミまでもがそれに引っかかっている。それを詳しく書いた記事が先日の「トランプの目的」だ。2000「いいね」をもらった。多くの人が賛同してくれたが、今も「トランプは大嫌い!」と言う人は多い。

そのほとんどが断片的に見た彼のスピーチや否定的なマスコミの論調を鵜呑みにしている。巨大勢力は都合の悪い人たちを、思想操作した国民に攻撃させる。利用されてはいけない。そんなとき、また、超評判の悪い奴が登場した。「N国」の立花孝志である。これもとんでもない奴だ!が、同じくYouTubeや政見放送。暴力動画だけで決めつけず、研究してみたい。

トランプ記事=> https://cinemacinema.blog.so-net.ne.jp/2019-06-30-2



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患者に悪意はないが、対峙するとトラブルが起こりがち。=でも、当事者は患者であることに気づかない? [精神病&精神障害]

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患者に悪意はないが、対峙するとトラブルが起こりがち。=でも、当事者は患者であることに気づかない?

精神病について、もう少し書いてみる。精神病患者と対峙することで揉め事が起こりやすい。「狂っているから?」と言われそうだが、そうではない。精神病=狂うというのは違う。多くの精神病は「情報処理能力の欠如」なのだ。統合失調症の例を紹介する。

例えば電話をしている。ノイズが入る。普通なら「電波状態がよくないのだろう」と考える。ところが患者の場合は

「なぜ、ノイズが入るのだろう?」=>「盗聴されているのではないか?

と考える。ま、これは僕もよく考える。実際、LINEは韓国の会社なので、そのサーバーに情報が送られ韓国がそれを管理する。だから、日本政府関係者はLINEを使わないという。アメリカではNSAが電話を傍受し、テロ対策をしている。日本でも同じようなことは行われているだろう。しかし、患者はさらにこう考える。

「なぜ、盗聴されているのか?」=>「俺はもしかしたらVIPなのかもしれない」=>「だから盗聴されているんだ!」=>「今はしがないサラリーマンだが、本当はある国の王子なのかも?」=>「そういえば両親とは顔が似ていない」=>「俺はかの国の跡取りなのだ」=>「だから、盗聴されるんだ」

と結論し、「俺は人と違う」「お前ら庶民とは別世界の人間だ」という上から目線で、傲慢な発言をするようになる。

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「それって単なるバカだろ?」

精神病を知らない人は必ずそういう。しかし、その手の人が患者に会うとどうなるのか? 「その手の人」を2流会社のサラリーマンとしよう。「患者」は取引先の3流会社の社員とする。情報処理能力のない患者は先の電話ノイズの件で「本当はかの国の跡取りだ」と思っている。2人が仕事で商談をする。

患者は悪意がある訳ではないが、態度がでかくなる。自分は彼の国の跡取りだと信じている。だからしぜんと上から目線。相手は「三流会社の社員なのに、何を偉そうな!」とムカつく。「バカにされた」「何なんだ!」と怒りだけが残る。患者とは気づかず「ムカつく嫌な野郎」という認識になってしまう。

「なぜ、三流会社の人間が上から目線で偉そうに話しをするか?」

を疑問に思わない。

「一流会社ならそれを鼻にかけて偉そうにいうのはまだ分かる。が、三流の奴がなんで上から目線で話すのか?ムカつく」

と常識的な考えをする。他者の社員ならいいが、同僚なら大変。そのことで毎日、諍いが起こる。思わず殴りそうになる。でも、トラブルを起こしたらクビになるかもしれない。上司からは「仲良くやれ」と言われる。次第に患者から人格否定が始まる。我慢ならねえ!そんな経験がある人もいるだろう。

こんな風に患者には悪意がなくても、その症状が原因でトラブルが起きることがある。ただ、多くの人は相手が患者とは気づかずに終わる。精神病をマスコミが伝えず、学校でも教えないからだ。


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映画「ジョーカー」を見てはいけない。心の闇に陥り、帰って来れなくなる? ただ、今年一番の傑作だ。 [【再掲載】]

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映画「ジョーカー」を見てはいけない。心の闇に陥り、帰って来れなくなる?

昨日は1日、気分が滅入り立ち直れなかった。映画「ジョーカー」を見たせいだ。予感はあった。見たらヤバイ。ハリウッド映画の爽快感やエンタテイメントを期待したら大変なことになる。その通りだった。上映中。早く終わってくれと願いながら見ていた。辛すぎる。闇の世界に心が引き摺り込まれていく。

物語は「ダークナイト」等でお馴染み

の悪役ジョーカーの若き日を描いたもの。ノーランのシリーズでいうと「バットマン ビギンズ」以前の部分。青年がいかにして悪のジョーカーになるか?物語にはのちにバットマンとなるブルース・ウェインの幼い頃の姿も描かれ。彼の父、ウェイン財閥の創始者も登場する。だが、ノーランが描いた「ダークナイト」シリーズ以上にダークでヘビーな世界がある。

「ビギンズ」で描かれたブルースの両親の死が、犯罪者側から描かれる。そこに至るまでジョーカーはどんな環境で、どんな生活を、どんな思いでしていたのか? 映画はそれを瞬きせずに見つめる。だが、それはあまりにも悲しく、あまりにも陰惨で、あまりにも希望のないジョーカーの若き日。予想外に自身を重ね共感してしまう。そう、ジョーカーは誰の心にもいる。

この映画は「タクシードライバー」

の影響を多大に受けている。監督自身が愛する作品なのだろう。いたるところにオマージュがあり、先の作品を知っていると感嘆する。ジョーカーは「タクシー」の主人公トラビスでもあるのだ。そのトラビスを演じたロバート・デ・ニーロもこの作品に出演している。そこにも監督の強い思いが感じられる。

「タクシー」を見ていても多分、気づかないであろうところを紹介すると、ジョーカーの職場にいる黒人。衣装やファッションが「タクシー」の夜カフェにいる黒人と同じ。ジョーカーが愛する黒人女性。デ・ニーロが私生活で黒人好きだったことを踏襲? しかし、「タクシー」のオマージュというだけでない、重く、暗く、やり切れない世界が展開する。

それは主演俳優と監督の執念

ともいう「思い」がなし得たもの。アメリカでは上映中の映画館に警察官が配備されているという。「ジョーカー」を見た観客が暴動を起こすかもしれないからだ。実際、映画を見ると闇の世界に引きずり込まれ、皆、ジョーカーになってしまう。人の心に住む邪悪な世界に引きずり込む映画。痛快なハリウッド映画を期待する人は見ない方がいい。だが、今年のベストと言える傑作である。



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人間関係で悩む、あなたへ。我慢せず自分の意見を伝える?=久米宏に学んでみた [my opinion]

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人間関係で悩む、あなたへ。我慢せず自分の意見を伝える?=久米宏に学んでみた。

先に紹介した久米宏の発言。「20%に好かれる番組作り」あれこれ応用が効く。Facebook。友達が1000人未満の頃は、何をどう書いても、「友達」は僕を知る本物の友達や僕の映画を応援してくれる人たちが中心なので問題はなかった。過激な意見を書いても「監督らしいなあー」と好評。

ところが「友達」が2−3000人を超えると、明らかに僕を知らない。僕の映画を見たこともない人たちが増えた。さらに「映画監督? 面白そうじゃん」と友達申請してくる人も多い。それはそれでいいのだけど、中には常識のない人、「友達」承認されると本当の友達になったと思い込み、いきなり「お前さあ」とかコメントしてくる人もいた。

一番多かったのは、「アイドルの**子って、本当に性格悪いんですか?」とか聞いてくる人。「監督の映画はどこで上映していますか?」「上映時間を教えてください」とか、すでに記事に何度も書いてあること。あるいはネットで検索すればいいものを直接聞いてくる人たちが出てきた。他にもプライベートな質問。「どうすれば映画の仕事ができるか?」という相談。「君、全く分かってないね?」という上から目線の批判。誹謗中傷。揚げ足取り。そんなことコメントして何が楽しいの?という人たちが増えた!

久米宏はいう「視聴率が30%になると批判が増え、やりづらくなった」その縮小版だ。「ニュースステーション」は当初、打倒NHKを目指し、個性的な番組を続けていたが、次第にNHK的な誰もが文句を言わない報道をせねばならなくなったという。そして、汚染された茶葉問題。そこで久米は「終焉を感じた」らしい。規模は違えど、僕のFacebookも似たような状況だった。

で、数年前に考えたのたこと。誰も批判しい無難な記事を書くのではなく、より個性的な記事を書くということ。こう告知した。「反論、批判は要りません。それはご自分のサイトで」「質問、相談も受けません」「誹謗中傷はすぐ削除」「守れない人は友達削除します」そう言いながら、不安だった。「何様だ!」「偉そうに」と反発を予想した。「友達」が激減するかもしれない。でも、それでいい。テレビ番組ではない。個人のFacebookで自分の意見を言えないようでは意味がない。20%の支持でいい。と考えた。

結果、「友達」は減らず、むしろ増えた。今はほぼ5千人だ。批判や中傷もなくなり、プレイベートな質問や相談もほとんどなくなった。「友達」たちは理解してくれたのだ。ただ、先の「れいわ」ブームで「友達」が数百増えてから、また、似たようなコメントが復活したが、告知を繰り返すことで理解を得られている。それでも非常識なことを書き込む人は削除。テレビの場合ならこうは行かないが、Facebookでは可能だった。批判や中傷を気にする必要はない。自分らしさを伝えれば、分かってもらえること感じる。



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世の中には本当に腐りきった奴らが沢山いる?政治、役所、宗教、企業。巨大組織は必ず腐敗する! [れいわ新選組応援]

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世の中には本当に腐りきった奴らが沢山いる?
政治、役所、宗教、企業。巨大組織は必ず腐敗する!

特に映画界には多い。口先三寸で人を騙し、金を抜いて、楽して儲けようとする輩が多い。作品に対する愛はゼロ。感動作を作ろうという気持ちなんてない。だから、できる限りその種の連中とは関わらずに仕事をしている。いくらメジャーな仕事でも、その種の人たち、その種の会社が絡む場合は依頼を断る。

もちろん、本当に素晴らしい映画人もおり、金や名誉のためだけでない仕事をしてくれるスタッフ、キャストもいる。最近、ご一緒しているのは、そんな人たちだ。だから、いいものが出来る。意義ある仕事ができる。

ところが、映画界以外でも腐った連中がいること。ここ数年、思い知った。政界はすでに腐り切っていること。多くの方がご存知。国民のためではなく、自分たちの利益と自分たちを支援する大企業のための政治。特に現政権は「腐り切り」の極致。

「消費税は福祉に使います!」

と言いながら、ほとんどを企業の法人税値下げの穴埋め。これでは企業救済税。庶民を踏みつける行為。だが、そんな腐敗混濁の世界でも、山本太郎のような存在が登場。どの世界にも「思い」ある人もいる。

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だが、役所は特に腐った奴が多い。映画撮影で協力を求める。地元のアピールのための作品であり、むしろ役所が率先して応援してくれそうなものだが、多くは逆。足を引っ張る。邪魔する。余計な仕事をしたくないのが本音。うわべで協力すると言いながら、できない理由を必死で探す。約束してもやろうとしない。だから、最初から何もしてくれない方がありがたい。もちろん全てではないが、多くがそんな感じ。という話をある映画祭の実行委員長に話していたら、別の委員から

「その人は元市長なんですよ」

と言われた。「あちゃー」えらいこと言ってしまったと後悔したが、彼はいう。「監督の言うとおりです。行政では何もできない。民間でやるべきです」やり手と言われた元市長がそう言うことは、やはり役所というのが本当に市民のためになることはできないということだと思えた。

「市民のために我々は頑張ってますよ」

という振りはするが、形だけで何の役に立たない。

「ポスター貼ってPRしました〜」

というが、人通りのない路地に張っている。要は形だけの実績を作ればいいのだ。そして「何もしないため」の努力は物凄くする。そのエネルギーがあれば十分いろんなことができるのに?黒澤明監督の「生きる」の世界は未だに日本の役所では健在。


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