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「クロール」B級映画。台風の日に襲い来るワニの群れ! [映画感想]

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「クロール」B級映画。台風の日に襲い来るワニの群れ!

サム・ライミが製作した作品。出演者は十人ほど。大型台風の日の物語。それもレベル5と昨日、関東を襲ったものと同じ規模。その日にワニ園から逃げ出したワニたちが街へ。

実家に戻った主人公はその地下室で怪我をして動けない父を見つける。雨水が流れ込み、プールのようになり、ワニが入り込んでくる。どうやって父を連れて脱出するのか? 台風で近所はすでに避難済み。というハラハラドキドキのB級映画。親子の絆も描かれていて泣ける。

この手の低予算(といっても日本でいえばかなり製作費がかかっている)はとても好き。


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20%に好かれる人になること。=久米宏に学ぶ、これからの時代で大切なこと? [社会政治]

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20%に好かれる人になること。=久米宏に学ぶ、これからの時代で大切なこと?

「誰にでも好かれる子になって欲しい」

親たちはそんなことを子供に期待する。でも、子供たちがそれを実現しようとすると、自分のことより人のことを優先し、嫌なことがあっても我慢する。下手すると八方美人となる。そんな子になることを親たちは期待しているのか?

久米宏が「ニュースステーション」をやっていた時、20%の視聴率がいいと考えた。つまり、日本人の20%に好かれる番組。それだけの支持があればやっていける。100人いたら20人に好かれる。これが100人に好かれるということは、薬にも毒にもならない放送(要はNHK)をしていることになる。というようなことを言っていた。

人間関係も同じだ。「あいつ嫌い!」という人がいるということは「あいつ好きだ」という人がいる。「好き」も「嫌い」も感じない人は「どうでもいい人」ということなのだ。ただ、日本ではそれを「いい人」という。「(どうでも)いい人」なのだ。

自分の意見を主張すれば、反論される。嫌われる可能性がある。でも、意見を言わなければ、反論も批判もされず、嫌われることはない。言われた意見に賛同だけしていれば「いい奴だ」となる。つまり、自己主張をせず、意見を持たず、他人に迎合していれば「いい奴」になり「嫌われない子」にはなれる。

日本人は「誰にでも好かれる子」を目指し、要は「嫌われない子」になっている。だから、意見を言わない。自己主張をしない。言われたことに従順。久米宏の話を続ける。

「ニュースステーション」の視聴率が30%になると、やりにくくなったという。より多くの人が見るので、あれこれ批判が増えた。影響力も大きい。当初は打倒NHKを目指して個性的な報道番組を目指していたが、30%を超えるとNHK的な毒にも薬にもならない報道にせざるを得なくなる。と久米は語っている。

その意味では人間関係も「誰にでも好かれる」は危険であり、20%に好かれる形が自己主張ができて、個性的でいられるのではないか? つまり「誰にでも好かれる子」というのはあり得ず、意味がない。大切なのは20%に好かれることではないか?と考えている。



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人との距離の取り方。感謝の気持ちが恨みを買う?=ミック・ジャガーから学ぶ対人関係 [my opinion]

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人との距離の取り方。感謝の気持ちが恨みを買う?=ミック・ジャガーから学ぶ対人関係

学生時代。音楽雑誌とかを読んでいると、デビッド・ボウイも、プリンスも、ミック・ジャガーも仕事以外で人前には現れず、コンサート時にしかマスコミのインタビューも受けないという話が載っていた。マスコミやファンにプライベートが阻害されるので人前に出ないのだ。

日本の矢沢永吉も週刊誌に山中湖の家を激写されたことで、連日ファンが集まった。家族は外にも出られない。妻はノイローゼ。結局、数億の豪邸には1年ほどしか住まずに引っ越し。有名人ならでは苦悩がある。

だが、それは有名人だけではない。僕のような映画監督レベルでも近いことがある。通常監督は撮影後にロケ地で挨拶回りはしない。製作担当が回るのが慣習。でも、感謝の気持ちを伝えたくて同行していた。懐中電灯1個借りても挨拶に行った。が、次に街を訪れた時には打ち合わせをする主要メンバーのみに会う。すると、懐中電灯の方が「何でウチに挨拶に来ない!」と激怒したという。

常識で考えれば、何度も挨拶に行くケースではない。でも、その人は「監督がわざわざ挨拶に来てくれた。感動した。懐中電灯1個なのにいい人だ。これからも応援しよう!」と思ってくれた。親しい友人のように感じたという。なのに次は訪ねて来ない。「裏切られた!」「利用された!」「騙された!」その方は本来、とてもいい人。感受性豊かであり、芸術を理解する。でも、思い込みが強いので「親しい友人」と考えてしまった。そして「裏切られた」と思ってしまった。

残念なことだ。ただ、その人を批判したくない。悪意ではなく好意だったのだ。ではどうすればよかったのか? 挨拶に行くべきではなかったのだ。そのことがきっかけで起こったトラブル。その時は喜んでくれても、過剰に期待されたり、勘違いが起こったりするのなら、行くべきではない。だから映画界では監督が挨拶回りをしない慣習ができたのかもしれない。似たようなことは何度もあった。その度に悪意のない人が傷ついたり、いわれもないことで批判されたり。周りにも迷惑をかけた。

ミックやボウイ。そして矢沢もレベルは違えど、誰かと関わることで似たようなことがあり、やがて人前に出なくなったのだろう。ファンが喜んでくれるからと思っても、結果トラブルになったり、誰かが嫌な思いをする。芸能人は孤独というが、孤独でいないと迷惑をかけるということ。

芸能人だけでなく、一般でも言えることだ。若い女性がどこかの飲み会で男性に親切にする。その男は自分に気があると思い、その子を追い回す。ストーカーのようになるかもしれない。同情してある人の悩みを聞く。「親切な人だ」と、その後、何かあると電話して来られて、どうでもいい話を長時間される。電話を切ろうとすると、「裏切られた」と言われるかもしれない。良かれと思ったことで悩まされることになる。誰も悪くないのに、困ったことになる。人との距離の置き方。ミックに学ぶ必要がある。


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