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地下鉄サリン事件=振り返ると多くが符号する現在進行形の事件? [社会政治]

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地下鉄サリン事件=振り返ると多くが符号する現在進行形の事件?

酷い事件であったことは言うまでもないが、人々の反応が僕には驚きだった。ご存知のように僕は捻くれ者。人が右!と言えば、左と言いたくなる。NHKでは絶対に働けない。

しかし、ジャーナリスト、作家、アーティスト、そして脚本家や映画監督という仕事はそれではいけない。多くの人と同じことを主張していたのでは意味がない。むしろ、異論、反論、オブジェクションを発信するべき職業なのだ。僕もその1人なので、皆が足踏みを揃えると粗探しをしたくなる。地下鉄サリン事件でもそうだった。数日でオウム真理教による犯行と報道された。すると、多くの人が「オウム許せない」「ひどい奴らだ」と怒りの声を上げる。が、いち宗教団体がサリンという兵器まで作ることができるのか?と疑問を持った。

その後、ワイドショーでは連日。オウム報道。サリンどころかロシア製の銃、軍用ヘリ。ボツリヌス菌を撒く。VXガス。とテロリスト顔負けの軍備と活動をしていたことが分かる。そして被害者、犠牲者の報道。今も忘れない大衆食堂で流れていたテレビニュース。それを見ていた60代のおじさん。タオルで捻り鉢巻き。ビールを飲みながら、画面に映し出された麻原彰晃の顔写真に向かって怒鳴った。

「俺にも1発殴らせろ!こいつだけは絶対に許せねえ!」

しかし、店の人と話すオヤジの会話から、彼はサリン事件の被害者ではない。家族や友人が被害に遭ったわけではない。また、警察も麻原を逮捕した訳でもない。あくまでも容疑者だ。テレビがそう報道している段階。なのに、なぜ、被害者でもない彼が麻原を殴る必要があるのか? 憤りを感じるのは理解できるが、それは単なる暴力行為であり、犯罪。オウムの実行犯と同レベル。だが、オジサンは「麻原は悪い奴なんだから暴力を加えても許される」という思いを持っているようだ。

そんな話を友人にすると、こう言われた。「お前、オウム擁護派か?あんな奴らは即、死刑になってもおかしくない。国民全員が1回ずつ殴っていいという刑とか作るといいんだよ」おかしい。それは私刑。リンチだ。犯罪者だから、いや、まだ容疑者で逮捕もされていない段階で、リンチを加えてもいいという発想だ。先のオヤジは酔っ払っていたし、テレビを見てヤジることでストレス解消するタイプ。だが、友人はまともな会社員だ。

なぜ、そうなるのか? テレビ報道だ。オウム真理教がいかに狂った宗教で危険であるか?を連日放送していた。そのためにオウムの道場は近隣の住民が立ち退き運動を始め。様々な誹謗中傷を受け始める。サリン事件は麻原を中心とした一部の信者の犯行。多くの信者は計画さえ知らされていない。にも関わらず、テレビは全ての信者が犯罪者であるかのように、オウムの悪行を連日放送した。僕も当時はその背景を知らず、ヤバイ組織であることは理解していたが、何ら被害を受けたわけでもない人たちがオウム憎しと怒りをぶつける姿には違和感を持った。

数年後、森達也監督のドキュメンタリー映画「A 」を見て、その謎が解ける。彼はオウムの道場内から外のマスコミを取材。どのテレビもなしえなかった角度からオウムの実態を描いた。マスコミは信者が近隣の人たちと揉めるとカメラを回す。修行に勤しむ信者は極々、普通の人たち。何も考えずに遊んでいるだけの若者より真面目にさえ見える。近隣住民と問題を起こさず仲のいいオウム施設も紹介される。彼らは施設を出ることになるのだが、住民は彼らにプレゼントを渡し、見送りにまで出る。

しかし、そんな光景はテレビでは絶対に放送されない。オウムは極悪非道、殺人鬼集団でなければならない。その方が視聴率が取れるからだ。その後、僕なりにオウムのことを調べた。これもマスコミで絶対に報じない事実。オウム真理教の原型となるオウム神仙の会は長らく、宗教法人の許可がでなかった。それをある政治家の一言で認可されている。宗教法人になると様々なメリットがある。一番大きいのが法人税の免除。あの有名な新興宗教もそれで大金を持つことができるのだ。話を戻す。

それを許可した政治家こそ、都知事になる前の石原慎太郎である。彼が当時の都知事である鈴木俊一に電話して許可しろと命じたそうだ。そして彼の息子の1人(キャスターや俳優でない方)はオウム信者(幹部)であったと言われる。その辺をマスコミは全く報じない。さらに、オウムのサティアンでサリン製造は無理という専門家がいる。ではどこで? それができるんはあの組織だと言われる。

そして数年前に突然、麻原をはじめとする幹部が一挙に処刑された。まだ残る疑問もあるというのに、もう喋る機会を与えるな!とばかりに口を塞がれた感が遭った。麻原は薬漬けにされて何も話せなくされたとの指摘もある。そして、逮捕前にマスコミに登場した麻原を思い出すと、強がって見せるが、実際は気が弱く繊細。人の上に立てる器ではないように思えた。彼の裏に誰かがいて、何かの組織があって、オウムを動かしているのでは?と感じる。そしてロシアルートもいつしかマスコミは報じなくなり、解明されぬまま終わっている。

そう考えると、サリン事件直後のマスコミ騒動。オウムを悪者にして視聴率を稼ぎ。背後にいる。あるいは関係する人たちの名前は出さない。その報道を見る人たちは「オウム許せねえ」「殴らせろ」と怒りをぶつける。そして「本当にオウムが主犯なのか?」というだけで「お前はオウムの味方か!」「被害者の気持ちを考えたことあるのか!」とバッシングされる。今でこそ、あの事件を冷静に振り返る人が増えたが、当時は「オウム」=「極悪」。疑問を持つだけでも、批判された。

同じではないか?もう一度、いうが「戦争に疑問を持つだけで、戦時中は非国民!と言われバッシングされた」日本人はマスコミに誘導され、都合のいい方向に連れて行かれる。同調圧力が働き、意見の違うものはバッシング。黙るしかなくなる。オウム事件はもう26年前。だからこそ、この記事を読むあなたも「そう言えば、あの時はちょっとおかしかったなあ。処刑の時期も疑問だよなあ」と思うだろう。

だが、もし、今、同じような誘導が起きているとしたらどうだろう? 一部の日本人は気づいている。が、マスコミは一切触れない。多くは疑問にも思わない。気づいた一部の人をバッシング。沈黙せざるを得ない。「オウム憎し」同じことが進行している。でも、まだ、疑問にさえ感じないだろう。恐怖と憎しみは判断力を鈍らせる。さらに「考える力」を育てない日本の教育。そして信頼度抜群のマスコミ。日本人を誘導するのは簡単なことなのだろう。

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お待たせしました!「ドキュメンタリー沖縄戦」のイベント上映募集開始。 [告知]

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お待たせしました!「ドキュメンタリー沖縄戦」のイベント上映募集開始。

昨年夏に全国20館の映画館で公開。大ヒットしました「ドキュメンタリー沖縄戦」今年に入って東京でアンコール上映もありました。多くの方から自主上映したい!イベントで上映したい!という声を頂いておりました。ようやく、準備ができましたので告知させて頂く。

原発事故の悲劇を描いた劇映画「朝日のあたる家」の太田隆文監督が3年をかけて取材した沖縄戦のドキュメンタリー映画。この作品を見ればとりあえず沖縄戦がほぼ分かる!構成になっている。また、これまでのドキュメンタリーでは描かれなかった部分も多数あり、公開時に話題となった。なぜ、学校教育で沖縄戦を詳しく教えないのか? なぜ、沖縄戦を題材とした映画やドラマが少ないのか?この作品を見れば理解できるだろう。

対馬丸撃沈事件、集団強制死、米軍の上陸作戦。嘉数高地の戦い、シュガーローフの戦い、首里城の攻防、アメリカ軍の被害、当時の皇民化教育、アメリカと日本の思惑、様々な現実を鋭く描いた作品。公開時にはテレビ、新聞、ネットから取材殺到。NHKで3度に渡ってニュース番組で紹介。読売テレビの報道番組では12分の特集として放送。他、多くの新聞が記事掲載。多くの文化人、著名人も称賛。ロスアンゼルスの映画祭ジャパン・フィルム。フェスティバル2020では最優秀ドキュメンタリー賞を受賞している。

この作品のイベント上映募集を開始。グループで、イベントで、学祭で、講習会での上映に映画をお貸しします。

上映依頼の詳細、問い合わせは=>https://okinawasen.com




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この1週間。犯人探しをしていた。なかなかの難事件? [2021]

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この1週間。犯人探しをしていた。なかなかの難事件?

と言っても犯罪ではない。僕は少々腐ったものを食べても、若い頃から鍛えているので(?)酷い下痢にはならない。グループで食事して、全員が下痢しても、僕だけ平気と言うこともあった。トイレに行った時に「あれが柔らかい!」と思う程度で済む。それが先日、酷い下痢になった。コレラか!と思うほど酷かった。コロナか!とも思ったが、下痢の症状は聞いたことがない。それでもお腹が痛いとか、生活に影響が出たりはしない。ただ、トイレに行くと「かなりヤバイ」と痛感するだけ。原因を考えた。いや、容疑者を考えた。何を食ったのがいけないのか?

昨夜、食べた肉。数日前に買った30%オフのもの。それを数日に分けて焼いて食べた。その間に腐敗していた? でも、匂いはおかしくなかったが、原因はそれしか考えられない。翌日、残りを食べると翌日も下痢。犯人は肉だ!と確信したが、その翌日も下痢が続いた。「おかしい。犯人は肉ではないのか? 昨夜、食べたものを調べると、厚揚げの賞味期限が1ヶ月前だった。「犯人はこいつだ!」が、一昨日は食べていない。となると、肉&厚揚げの両者による共同犯行となる。

4日目。下痢は続いた。肉も厚揚げも食べていない。が、腸に残留物? 5日目、下痢は続く。これは肉と厚揚げが犯人ではないな? これまで下痢は続いても1日。こんなことは人生初。どこかに真犯人がいるはずだ。毎日食べているもの。腐ったもの。しかし、メニューは毎日違う。外食もあり、自炊もあり、ファーストフードあり、それらが5日続いているものはない。で、気づいた。毎日食べるもの!ではなく、毎日飲むものはどうだ?

ビール。ワイン? これも毎日、銘柄が変わる。ワインも3日あれば1瓶空ける。でも、下痢スタートからすでに6日。違うか......いや、水はどうだ? 実は水道水を汲み置き、備長炭でカルキーを抜いて飲むようにしている。その過程で水が腐ったことが過去にあった。その時も下痢をした。そこで備長炭を全て煮沸。それを入れるポットは洗剤で洗う。綺麗にして水を飲む。これでOKだ。ところが翌日も下痢は続いた!

もう容疑者はいない!真犯人はどこにいるのか? 下痢が続くので、もおう20年以上飲んでいない正露丸を飲む。そして考える。毎日、食べるものはない。毎日、飲むものも全て確かめた。水でも、アルコールでもない。あーーーもう一つだけあった。毎朝、飲むトマトジュース。スーパーで安売りしていた濃いめのトマトジュースをこの1週間。朝だけ飲んでいた。一度、それを止めてみた。翌日は下痢しなかった。やはり、こいつが犯人か!しかし、まだ、決定的ではない。そこで、翌朝、そのトマトジュースを飲んでみた!

これで下痢が再開されれば、犯人はこいつだ! 朝、飲む。夜、下痢再発! 「犯人はお前だ!」1週間の捜索によりついに真犯人が捕まった。では動機。いや、原因は何か? 賞味期限も切れていない。味もおかしくないそのトマトジュースが、下痢に強い僕をここまで追い詰めた理由は? 科学的なことは分からないが、腐ってはいない。でも、通常のトマトジュースではない。かなり濃い。濃縮した感。その何かの物質が僕の体質と合わなかったのだろう。こうして事件は解決した。考えれば必ず答えは見つかる!めでたし。めでたし。1週間の戦いはこうして幕を閉じた。


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国民を誘導するには「恐怖」を使うのが一番。誰も逆らわず、思うがままに動いてくれる? [社会政治]

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多くの人を誘導、動かすにはどうすればいいのか? 人はわがまま。なかなか言うことを聞かない。それが1万人、100万人、1億人となると、さらに困難。軍隊を使っても従わず、むしろ抵抗する人たちも出てくる。だが、そんな人たちの多くが従う方法がある。「恐怖」を使うことだ。つまり、軍隊が銃を突きつけて強制するのではなく、恐怖を演出することで、多くの人は。誘導している方向に積極的に動いてしまうのだ。

思い出すのは911。あの時、アメリカは揺れた。大きなショックを受けた。南北戦争以外に戦争を経験したことがない国民。他国がどんな酷い目に遭っても平気だが、自分の国が攻撃されると、驚くほど取り乱した。それもニョーヨークを象徴するワールド・トレード・センター。恐怖に打ちのめされた。その後、イラクが大量破壊兵器を所持していることが報じらた。国連でさえ武力行使を躊躇したのに、アメリカは単独で戦争を始めた。多くの国民はそれを支持。

その背景には911があった。あの時の恐怖に支配され、同じことが繰り返されてはいけないと、不確かな情報を信じて、戦争に賛同。政府はあの事件のどさくさに紛れて、愛国法まで通している。そして、911はビンラディンの仕業とされているのに、なぜ、イラクなのか? フセインとビンラディンは関係ないのに、恐怖で冷静さを失い、戦争に雪崩れ込む。そしてフセインは殺され、アメリカの軍需産業は大儲け、イラクには多くのアメリカ企業が参入。そして大量破壊兵器は見つかっていない。

先の手法と同じ。恐怖を使い国民を誘導。戦争で儲け、イラクを支配、アメリカ企業が大儲けした。911がなければ国民は不確かな情報を信じて参戦支持はしなかった。まんまと恐怖に操られて、一部の企業、政治家たちに莫大な利益を与えることとなった。そこで儲けた人たちこそが、国民を誘導する「恐怖」=911を演出したと思える。それにはマスコミも加担。恐怖を拡散するには彼らの力が必要。昔で言えば真珠湾奇襲で、日本がどれだけ悪逆非道か?を国民に伝え続けたのが米マスコミ。911でも同じことをしたのだ。

そんな風に大きな政治力ある人たちと、大企業。マスコミが組み、恐怖を煽れば、国民は思考停止となり、理屈に合わないことで積極的に参加する。その代表が「戦争」。さて、似たようなことが現在も起きている。政府があれこれ理不尽な要請を国民にしているが、恐怖に支配され、日本人のほとんどが従っている。先の事件と似てはしないか? だとしたら「恐怖」を演出している人たちは誰? 目的は何か? 誰が儲けているのか? 

911、今では旅客機の激突ではなく小型核爆弾によるWTCの破壊だと言われる。飛行機はCG合成。テレビで何度も放送すれば見た気になる。壮大なデモンストレーションだと言うことが次第に分かって来た。やはり、イラク戦争のための誘導が目的だったのだろう。同じように現在のコロナ禍も何かフェイクがあるのではないか? そんな気がしてならない。


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的外れなコメントをする人が多い=その背景を探った? [FB問題]

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この数日。長めの記事を続けて上げた。今の時代に切り込むものだ。が、コメント蘭には首を傾げる文章が並ぶ。記事を理解していないのか? 「政府がマスクを強要する背景」を推理し記事にしたのに、その辺の感想や意見は1人だけ。あとは「僕はマスクしません」「**ではマスクしてませんよ」と言う意味不明のコメント。マスクするかどうか?ではなく、その背景を書いたのに?そこに対するコメントは1件だけ。

今日またドラマの感想を上げたが、そこにもトンチンカンなコメント。記事の意味分かってない。例えると「なぜ、バイデン は菅にハンバーガーを出したのか?」と言う記事を書けば、自分なりの意見や推論がコメントされるもの。だが、最近は「私もハンバーガー好きです」みたいのが多い。

僕のFacebook友達は非常にレベルが高く、かなりヤバイ記事でも多くが理解してくれていたのだが、最近どうも、非常にレベルが落ちているように感じる。で、考えた。頓珍漢コメントは記事が長いので読まずに、タイトルだけ見てコメントしているのだろう。だから、「マスク」の話も背景につて触れることができない。マスク!と聞いて「俺はしないよー」とか、そこから連想したことをコメントしてしまう。

しかし、記事を読まずにコメントしてどんな意味があるのか? それとも読むけど内容が把握できず、あの種のコメントになるのか? Twitterもそうだが、短い文章しか読まない人が多い。長文が読めない、理解できない人も多い。だったら長文の記事に無理にコメントする必要もないだろう。

「いいね」を確認すると、いつも鋭い記事を上げている人たちから「超いいね」がきている。が、コメントはない。もしかしたら、的外れなコメントが多いので、書き込んで絡まれたり、質問されたりするのが嫌なのかもしれない。

最近、毎日のようにコメントしてくれる人がいるが、驚くほど的外れ。空回り。年配の方なので、もしかしたら....とも考えるが、50代以上はテレビ世代。昔からニュース見ながら「この政治家ダメだな」「早く辞めろ」「そんな訳ないだろう!」とか独りで突っ込む人がいる。その感覚でコメントしてくるのだろう。僕へのクレームとか、意見ではなく。ぼやき。

しかし、他の友達がそれを読んでも何のプラスにもならない。それを読み、似たようなコメントを書く人も出てくる。そのせいか、本当にこのところのコメント欄は無意味なものが多い。コメント欄自体を削除できるといいのにと思ったり。ただ、彼らこそが今の平均的な日本人なのだ。そんなことからも時代が見えてくる。


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21世紀を生き延びるのに必要なこと。健康だけではない。新しいことを受け入れられるか?そこが大事。 [my opinion]


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若い頃。友人がいいことを言った。

「20代までは新しいことをすぐに受け入れる。
 30代になると努力が必要になる。
 40代になると拒否し始める。
 50代になると怒り出す」

これ名言だと思う。脳が次第に老化していく様を表している。記憶力もそうだが、新しい習慣、新しい機械、新しい価値観を受け入れらるか?をそれぞれの世代がどう反応するか?も分かる。

CDが登場した時に、僕は20代後半。友人にはCDを嫌い。レコードに固執する友人がいた。早くも新しいものに対する拒否感を持ったのだろう。90年代に入りパソコンが普及。この時も会社のベテランたちが「あんなものはなくても、仕事はできる!」と反発した話をよく聞いた。

Eメールができず、50代の社員が20代に教えてもらうと言う風景もよく見た。僕が30代の頃。シナリオを書き売り込みに行くと、40代以上のPは「詰まらない!」と言うより「よく分からない」と言った。バカではない。映画界で働く第1線のPだ。今なら理由は分かる。

僕のシナリオはSF。当時、日本ではSFはマイナー。子供向けだと思われていた。アメリカでは「スターウォーズ」「ターミネーター」「マッドマックス」と言う映画が大ヒット。SFが主流だったが、日本の40代以上は受け入れることができなかった。もちろん、新しいものを脳が受け付けないのだ。実践したのは大林宣彦監督くらい。

30代前半の若手は理解してくれたが、上が理解できない。「日本でSFは無理ですよ」とさえ言われた。それから30年。今や日本でもSFは主流。タイムスリップもオーケー。「シグナル」だってSFだ。ようやく、そんな時代が来たが、僕も50代。先の格言で言うと「新しいものと出会うと怒り出す」世代。かなりやばい。

編集ソフトを使うのはかなり苦労している。若者のようにすぐに覚えられない。カメラもそう。若いスタッフに教えてもらう。PCもどうにか使っている程度。どのソフトも完全に使いこなせてはいない。

昔は、20代までで覚えたことが、定年まで活用できた。年上の人は若者より知識があった。が、今は違う。年取るほどのダメ。新しいツールを使えない。機械だけでなく、価値観や生活スタイルも変わっているのに、同世代は未だにテレビを見て、新聞を読んで世間を理解した気分になっている。

YouTubeで動画を見る者は少ない。レコードが売れてると聞くと「やはり、いいものは変わらない」と懐古趣味に浸る。NetflixやAmazonプライムを見る同級生はほとんどいない。今もTSUTAYAに行くらしい。なるほど、新しいものが受け入れられないだけでなく、怒りすら感じるのだろう。僕は仕事柄、無理して受け入れるが、次第に同世代とは話が合わなくなってきた。

健康や体力が大切と言うことでジョギングをする年配者は多い。が、頭の方を気にする人はまだまだ少ない。特に男性はアウト。21世紀を生き延びるために必要なのは、体力だけでなく、新しいものを受け入れ、理解する力も大事。そう考えると、日本の政治家。多くがアウトであることも分かる。不況になると公共工事ーいつの時代の話と思える。


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「些細なことが気になる困った性格」を振り返る? [my opinion]

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昔バイト先で「男のくせに細かいのよ!」と中年女性の店長から言われたことがある。だが、細かいことが気になる性格だから、のちに映画の仕事に就けたのだ。監督業は細かいことにこだわる仕事。また、その店長は自分の小さなミスを男性に指摘されたのが悔しかったようだ。「男は黙ってサッポロビール」?であるべき!という古い価値観を持つ人だったのだろう。

ただ、本来なら相手は店長だし「はいはい」と言っておけばいいのに、その女性の心理を分析してしまう。「なぜ、店長のミスを指摘したことで僕を批判するのか? それもー男のくせにーと性別で批判。なぜか? 自分が多少ミスしても女性なのだから、男性は笑って受け止めるべきだ。という男性に対する甘えがある。古い価値観、男は大らかで、細かいことをいうべきではない。という古い発想をするのだろう」とか考えてしまう。

昔からそんな風に「え?」と思うと、「まあ、いいや」とは考えず、理由を考えてしまう。その人の心理を分析する。同世代の友達は子供時代は「なんで?なんで?」と疑問を持つたびに大人に質問していたが、高校時代くらいからは理由の分からない理不尽があっても「世の中、こんなもんだよ」と疑問や憤りを持たず、納得するようになった。これも考えた。

大人になると理不尽なことがあっても、個人レベルで解決できないことが多い。学校、会社、国。大きな組織が理不尽を行っていても個人は対応できない。だから、友人たちは諦め、受け入れ、世の中そんなもんだと考える。そして、なぜ理不尽が行われるか?を分析しようとはせず「考えても無駄!」と考える。それがどうやら高校生くらいから始まるようだ。そんな人が30歳を超え、50歳を超えたら余計に「考える」作業をしなくなる。本人は「俺だって考えるよ」とはいうが、「夕飯は何を食べようかな?」というレベルの「考える」。

でも、僕は諦めたくない。些細なことでも、気になることは考えてしまう。答えを見つけたいのだ。そのために嫌な思いをするし、血圧も上がる。が、背景を理由を動機を知りたくなる。そこから解決の糸口が掴めるかもしれない。理不尽を押し返せるかもしれない!そんな性格だから映画業界が向いていたのだろう。

旅客機がWTCビルに突っ込んだ。ビル倒壊?何で倒壊したのか?と気になる。調べると飛行機の機体を作る金属は柔らかく、ビルの支柱となる鋼鉄を砕くことはできない。つまりビル内に飛行機が入り込むことはない。正面で砕け散る。でも、ニュース映像はそうではない(やっぱCGね!)そんな風にあれこれ考えてしまう。原発も、沖縄戦も、同じようなきっかけで興味を持った。それを映画にした。

何年も考える。時間があれば調べる。人に聞く。そうすると、いつか答えが見つかる。ただ、そこまでする人は少ない。「お前、変わっているな〜」と昔から言われるが「些細なことが気になる困った性格なのだ」ただ、映画業界には向いていたようだ。



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SNSは国民に不満を吐かせるための受け皿?=翌日から我慢してまた仕事をさせるためのツール? [社会政治]

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SNSは国民に不満を吐かせるための受け皿?=翌日から我慢してまた仕事をさせるためのツール?

昔は多くの人がテレビを見ながら「こいつ本当にバカだな」「へーー酷い事件だな」「その球が打てねえのか!」とぼやいていた。ブラウン管を通して局には言葉は伝わらないのに、ぼやく。

何の意味があるのか? これはテレビ時代から言われたことだが、「タレントはバカだから、バカをやるんじゃない。バカを演じることで人気を集め、高いギャラをもらうためにやっているのだ」それに気づかず多くが「松村、本当にバカだよな〜」とか言いながらバラエティ番組を見ていた。

そのことで学校で成績が悪くても、会社で業績が悪くても、自分よりもっとバカな存在を見ることで安心し、優越感を持つことができる。まあ、それがテレビの役割でもあった。それを確認するために誰に言うでもなし、言葉にしてしまう。

 「タレントって本当に、何も考えてないなあ! 俺の方が遥かにマシだよ」

 同じことを今、人はFBでやっているのではないか? 「小池、本当にクズだな」と書くことで「俺の方がマシだよ。俺が知事ならこんなことはしない」と感じ。自分は愚かな存在ではないと確認。だが、それが高じて正義中毒になる。

確かに政治批判は大切。声を上げることは重要。しかし、FacebookやTwitterはそんな風に批判をすることで満足し、また我慢して生活していくための緩和メディアになってはいないか? それが政治や社会に対する不満の吐口ならまだいいが、もっと低いレベルでの吐口になっているような気もする。

昔なら会社帰りに居酒屋で、上司の悪口を言う。でも、仲のいい同僚がいない。1人で作業する人、あるいは内気な人たちは悪口を言う相手もいない。自宅に帰ってSNS で政治家批判。有名人を中傷。著名人の揚げ足取りをする。そのことで欲求不満の解消。自分の名前や顔は晒さずに、安全地帯から批判。罵詈雑言。政治家を攻撃することで、賛同する人も出てくる「いいね」「シェア」ー傷ついた心が癒される。俺って凄いのかも?

調子に乗ってあれこれ書く。会社ではダメな俺が、社会に切り込んでいる。悪徳政治家と戦っているんだ!と感じる。ま、悪口言ってるだけなんだけど....充実感が持てる。革命家か?レジスタンス活動をしている気分。やがて、政治家以外にも目を向け、攻撃を始める、FBで自分と違う意見。あるいは世間で言われないことを主張する人を見つけると、批判コメント。ブロックされたら「逃げたな?俺の勝ちだ」と考える。

何かFacebookやTwitterは歪んだ吐口を求める者の受け皿として作られた部分もあるのではないか? そこで毒を吐くことで、本当の意味での批判はしなくなる。政治家を攻撃するのではなく、市民同士で争うように仕向けている部分もあるような気がする。本人はジャーナリスト気取りでいい気分。それに気づかない。そんなことを考える。


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Facebook記事「私は陰謀論なんて信じません!」=この人の背景を推理した?信じているのはマスコミ?! [FB問題]

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Facebook記事「私は陰謀論なんて信じません!」=この人の背景を推理した?信じているのはマスコミ?!

続きの文章を読むと、陰謀論を信じる人たちがいかに愚かであり、自分は非常に賢明で常識ある人間であることが綴られている。50代くらい。男性。会社員だと思える。

こんな記事を読むとまた、分析したくなってしまう。その人の他の記事を読んでみた。菅政権に対する批判、コロナ対策の不備への批判。んー確かに常識ある人だ。だが、常識を疑っていないところは、本人の言うのと違い「賢明」ではない。この人を攻撃したい訳ではない。この手の人が今、とても多いので取り上げさせてもらう。

ネトウヨとか、差別主義者。国粋主義者というタイプは分かりやすい。どこか片寄っていて思いこみが激しい。昔から存在する。だが、今回取り上げたタイプは、カテゴリー分けは嫌いだが、その論法で行くとリベラルであり、一番まともな心ある人たちのグループに属するだろう。だが、その層が今一番、誘導されており、間違った方向に進んでいるように思える。

解説しよう。この方。非常に真面目である程度の情報もお持ち。だが、日本の教育とマスコミ洗脳で気づかない内に誘導されている。「私は陰謀論なんて信じません」この言葉の定義から考える。「陰謀論」というのは、世間一般にいう陰謀論と同じ定義。「ある事件の裏側、背景をありもしないことをあれこれ言って、妄想や想像で面白おかしくしたもの。事実ではない」という意味だ。

だから、「私は信じません」と断言。解説を始める。この文章の「陰謀論」は「デマ」と置き換えることができる。どちらも「根拠のない事実ではないもの」であり、同義語だ。置き換えてみよう。「私はデマなんて信じません」同じ意味になるが、ちょっと違和感を感じる。それはデマを信じないのは当たり前のこと。「私はデマを信じます」という人はいない。つまり「陰謀論」を信じる人だっていない。その人たちは「陰謀論」と思っていないから信じるのだ。

原発事故が発生した時。あるジャーナリストが「メルトダウンしている!」と伝えた。それに対して多くが「デマをいうな!」「メルトダウンはしてない!」と批判。その人は何年も先まで「デマ野郎」と言われた。が、今は誰でも知っている。メルトダウンはあったのだ。「メルトダウンしていない」の方がデマだった。だが、その時点では誰も燃料が格納容器の中にあるのか?ないのか?確認できない。にも関わらず、デマと決めつけた。なぜか? パニックになるのを恐れて、その真実を隠したかった。あるいは信じたくなかった。だからデマと決めつけたのだ。

だが、デマではなかった。事実だった。時間の経過と共に真実は明らかになった。つまり、その時点でデマか真実か?を多くの人は判断できないのだ。「メルトダウンしているんじゃないか?」「いやいや、そこまで行かないだろう」意見が分かれるのが普通。そんな時に「これが知れるとヤバイ」と考えたマスコミや政府が使うのが「デマ」。そして「陰謀論」である。

それら言葉はマスコミ等が貼るレッテル。先のFBの人は「陰謀論」と書いているが、彼が判断したことではない。記事をあれこれ読んだが、事件を分析して陰謀論と判断したものはない。「陰謀論は信じません」と自分の固い意思表示のように書かれているが、正確に書くなら「マスコミが陰謀論だと言うものを、私自身で確かめた訳ではないですが、それは陰謀論だと思うので信じません」が正解なのだ。

だが、マスコミが言ったらからと正しい訳ではない。メルトダウンは事実だったにも関わらず、多くのマスコミはデマだと否定。あるいは沈黙。福島から北に避難する人たちが大勢いたが、爆発で放出された放射能も北に吹かれた。が、それを政府もマスコミも発表せず、多くが被曝した。

マスコミや政府は都合の悪いことを黙っていたり、デマや陰謀論として封印しようとするのだ。彼らを信じていてバカを見るのは国民。デマや陰謀論という言葉で都合の悪い現実を隠そうとする。なのに国民が「私は陰謀論を信じません」=「デマを信じません」とわざわざfbで主張するなら、政府やマスコミは大喜びだろう。マスコミが「デマだ。陰謀論だ」と言えば国民は受け入れるのだ。その手の人がとても多い。

大切なのことは自分で考えて、その情報が「デマ」なのか? 「陰謀論」なのか?を判断することだ。政府やマスコミが決めたことを素直に受け入れることではない。「陰謀論なんて信じない」という人の多くはマスコミや政府を信じているということ。自分で考えずに誘導されているということなのだ。ちなみに僕は捻くれ者なのでマスコミが繰り返し「デマ」「陰謀論」というと「そこに真実があるはずだ!」と思ってしまう。そして真相にたどり着くことが多い。


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なぜ、効果のないマスクをするのか? その背景に政府とマスコミの無能政策が見えてくる? [コロナウイルス]

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なぜ、効果のないマスクをするのか? その背景に政府とマスコミの無能政策が見えてくる?

(ちょっと長いが面白いのでぜひ)

先日、久々に見たテレビのニュース番組。記事で紹介した。レポーターが繁華街に行き、マスクをしていない人の人数を数える。そして「マスクをしない不届き者を探す!」とは言わないで単に「マスクをしない人がどれだけいるか調査しました」と説明。そして道行くマスクをしない人にはインタビュー。「あなたはなぜ、マスクをしないのですか?」と質問。これも質問している建前で、晒し者にしている。「全国の皆さん。この不届き者の弁明を聞いてください!」と言うのが狙いだろう。

なぜ、ニュース番組でこんなことをするのか? 答えは簡単。これを見た視聴者はどう思うか?「あー店でマスクもせずにしゃべっている〜。だから、感染が広がるんだよ」あるいは「やっぱ、道でもマスクしなきゃいけないんだ。私も気をつけよう」と思うだろう。スタジオのキャスターは言葉にしないが「マスクしない人は不届き者です。皆さん。マスクを必ずしましょう!」と言たいのだ。もし、これが実態調査なら、マスクしている人にもインタビューして「なぜ、外でマスクをするのですか?」と質問する。が、しない。そこに「マスクはせねばならない」という番組意図があるからだ。

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これは報道ではなく「マスクしなさい!」という国民に向けたキャンペーン。「欲しがりません。勝つまでは」「生きて虜囚の辱めを受けず」とか戦中に行われた刷り込みと同じ。国民をある方向に誘導するためのもの。もし、マスクが感染予防に絶大な効果があるのなら分かる。が、コロナウイルスはマスクの生地を通り抜けるので無意味。せいぜい、感染者の唾が飛ばないだけ。最近では多少の量では飛沫感染は起きないとも言われる。つもり、マスクはぼぼ効果なし。そんなものをなぜ、マスコミが自粛警察役まで演じて広めるのか?

ここからは推理だ。マスコミが自主的にキャンペーンをしているのではないだろう。得するものはない。感染の怖さを煽り視聴率を上げるのは分かるが自粛警察役はメリットがない。誰が得するか? 国民もプラスなし。予防にはならない。例えば政府はどうか?昨年の緊急事態宣言で大きな経済的打撃を被った。感染を止めるには経済を止めねばならない。経済を動かすと感染が広がる。その両方を同時にしたい。そのための「マスク作戦」ではないか?


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昨年、小池都知事は夜の新宿、渋谷。繁華街。若者が感染拡大の原因と発表した。「夜の新宿には行かないように」とアナウンスした。が、コロナに昼、夜関係あるのか? コロナは夜行性なのか? おかしな話だ。さらに、当時から今に至るまで、通勤電車やパチンコ店での感染はほぼ報道されていない。どちらも三密、四密どころではない。理由はもうお分かりだろう。パチンコ店からは多額の献金が政府関係にされている。だから、危険な場所と指摘できない。通勤電車が危険と言うと人々は恐れて電車に乗らなくなる。経済が回らなくなる。

だから、その2つを感染拡大の危険な場所と絶対に言えない。マスコミも報道しない。しかし、感染は広がっている。誰かを生贄に、スケープゴートしなければならない。「原因は分かりません」では都も政府も面目が立たない。その生贄が夜の新宿、渋谷。そして若者。そう報じれば「アホな若者が飲み屋に集まって感染が広がるのか!」と多くが解釈するだろう。新宿の居酒屋や若者は献金していない。渋谷の店がいくら潰れようと東京都は困らない。だから悪役にされた。それが去年の構図。

だが、その新宿、渋谷も客が激減。(気持ちが緩んで一時よりは客足は増えているが)次なる生贄を探す必要がある。そして感染拡大を止めながらも、経済も動かさなければならない。そこで当時からマスク、マスクと騒いだのを利用して、次なるキャンペーンを始めたのではないか? 感染原因はマスクをしない人たち。その輩のせいで感染拡大が続いている!とマスコミを通じて直接的ではなく、遠回しに印象操作を続けているのだ。先の番組はまさにそれ。

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先に書いた僕の記事「誰もいない道路で、マスク外すな!と指示するオヤジ」を覚えているだろうか? あれはキャンペーン効果が浸透したという現れ。防止効果は関係ない。マスクしない奴は許せねえ!と言うレベルにまで多くの人が誘導されているのだ。そのことで「コロナ感染が止まらない理由は、マスクをしないバカがまだまだいるから!」という印象操作をしている。それを推進するためにニュース番組では、マスクしない人を探して突撃インタビュー。自粛警察と同じことをする。その人を全国ネットで晒し者にする。「悪いのはマスクをしない人たち!」

そのことで政府に対する批判を少しでも避ける。同時に「マスクしてりゃ大丈夫。満員電車も、パチンコ屋も安全ですよ〜」と事実ではないことを庶民に刷り込む。マスク=安全ではないのに、「自粛させず、通勤させて、会社で働かせて、経済を回そう」と言うのが目的。だが、マスクは無意味。街を歩いてもほとんどの人がマスクをしているのに、感染は今も止まらない。マスクは無意味と言う証明だ。本気で感染を止めるには経済を止め、国民に金を配るしかない。

でも、その金を渋り、効果のないマスクを強要して経済を回そうとするのが今の政府のやり方。そこに多くが気づかず、マスクが意味ないと分かるのに、必死にマスクをして。しない者に強要。指示までする。これ何かに似ている? 戦時中の日本だ。国民に竹槍を持たせてアメリカと戦えと命じた。竹槍で米兵は倒せない。なのに必死に練習した国民。この国は75年経っても変わっていないのだ。

あと、別の視点から「コロナの正体?」も後日、検証してみたい。


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