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地下鉄サリン事件=振り返ると多くが符号する現在進行形の事件? [社会政治]

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地下鉄サリン事件=振り返ると多くが符号する現在進行形の事件?

酷い事件であったことは言うまでもないが、人々の反応が僕には驚きだった。ご存知のように僕は捻くれ者。人が右!と言えば、左と言いたくなる。NHKでは絶対に働けない。

しかし、ジャーナリスト、作家、アーティスト、そして脚本家や映画監督という仕事はそれではいけない。多くの人と同じことを主張していたのでは意味がない。むしろ、異論、反論、オブジェクションを発信するべき職業なのだ。僕もその1人なので、皆が足踏みを揃えると粗探しをしたくなる。地下鉄サリン事件でもそうだった。数日でオウム真理教による犯行と報道された。すると、多くの人が「オウム許せない」「ひどい奴らだ」と怒りの声を上げる。が、いち宗教団体がサリンという兵器まで作ることができるのか?と疑問を持った。

その後、ワイドショーでは連日。オウム報道。サリンどころかロシア製の銃、軍用ヘリ。ボツリヌス菌を撒く。VXガス。とテロリスト顔負けの軍備と活動をしていたことが分かる。そして被害者、犠牲者の報道。今も忘れない大衆食堂で流れていたテレビニュース。それを見ていた60代のおじさん。タオルで捻り鉢巻き。ビールを飲みながら、画面に映し出された麻原彰晃の顔写真に向かって怒鳴った。

「俺にも1発殴らせろ!こいつだけは絶対に許せねえ!」

しかし、店の人と話すオヤジの会話から、彼はサリン事件の被害者ではない。家族や友人が被害に遭ったわけではない。また、警察も麻原を逮捕した訳でもない。あくまでも容疑者だ。テレビがそう報道している段階。なのに、なぜ、被害者でもない彼が麻原を殴る必要があるのか? 憤りを感じるのは理解できるが、それは単なる暴力行為であり、犯罪。オウムの実行犯と同レベル。だが、オジサンは「麻原は悪い奴なんだから暴力を加えても許される」という思いを持っているようだ。

そんな話を友人にすると、こう言われた。「お前、オウム擁護派か?あんな奴らは即、死刑になってもおかしくない。国民全員が1回ずつ殴っていいという刑とか作るといいんだよ」おかしい。それは私刑。リンチだ。犯罪者だから、いや、まだ容疑者で逮捕もされていない段階で、リンチを加えてもいいという発想だ。先のオヤジは酔っ払っていたし、テレビを見てヤジることでストレス解消するタイプ。だが、友人はまともな会社員だ。

なぜ、そうなるのか? テレビ報道だ。オウム真理教がいかに狂った宗教で危険であるか?を連日放送していた。そのためにオウムの道場は近隣の住民が立ち退き運動を始め。様々な誹謗中傷を受け始める。サリン事件は麻原を中心とした一部の信者の犯行。多くの信者は計画さえ知らされていない。にも関わらず、テレビは全ての信者が犯罪者であるかのように、オウムの悪行を連日放送した。僕も当時はその背景を知らず、ヤバイ組織であることは理解していたが、何ら被害を受けたわけでもない人たちがオウム憎しと怒りをぶつける姿には違和感を持った。

数年後、森達也監督のドキュメンタリー映画「A 」を見て、その謎が解ける。彼はオウムの道場内から外のマスコミを取材。どのテレビもなしえなかった角度からオウムの実態を描いた。マスコミは信者が近隣の人たちと揉めるとカメラを回す。修行に勤しむ信者は極々、普通の人たち。何も考えずに遊んでいるだけの若者より真面目にさえ見える。近隣住民と問題を起こさず仲のいいオウム施設も紹介される。彼らは施設を出ることになるのだが、住民は彼らにプレゼントを渡し、見送りにまで出る。

しかし、そんな光景はテレビでは絶対に放送されない。オウムは極悪非道、殺人鬼集団でなければならない。その方が視聴率が取れるからだ。その後、僕なりにオウムのことを調べた。これもマスコミで絶対に報じない事実。オウム真理教の原型となるオウム神仙の会は長らく、宗教法人の許可がでなかった。それをある政治家の一言で認可されている。宗教法人になると様々なメリットがある。一番大きいのが法人税の免除。あの有名な新興宗教もそれで大金を持つことができるのだ。話を戻す。

それを許可した政治家こそ、都知事になる前の石原慎太郎である。彼が当時の都知事である鈴木俊一に電話して許可しろと命じたそうだ。そして彼の息子の1人(キャスターや俳優でない方)はオウム信者(幹部)であったと言われる。その辺をマスコミは全く報じない。さらに、オウムのサティアンでサリン製造は無理という専門家がいる。ではどこで? それができるんはあの組織だと言われる。

そして数年前に突然、麻原をはじめとする幹部が一挙に処刑された。まだ残る疑問もあるというのに、もう喋る機会を与えるな!とばかりに口を塞がれた感が遭った。麻原は薬漬けにされて何も話せなくされたとの指摘もある。そして、逮捕前にマスコミに登場した麻原を思い出すと、強がって見せるが、実際は気が弱く繊細。人の上に立てる器ではないように思えた。彼の裏に誰かがいて、何かの組織があって、オウムを動かしているのでは?と感じる。そしてロシアルートもいつしかマスコミは報じなくなり、解明されぬまま終わっている。

そう考えると、サリン事件直後のマスコミ騒動。オウムを悪者にして視聴率を稼ぎ。背後にいる。あるいは関係する人たちの名前は出さない。その報道を見る人たちは「オウム許せねえ」「殴らせろ」と怒りをぶつける。そして「本当にオウムが主犯なのか?」というだけで「お前はオウムの味方か!」「被害者の気持ちを考えたことあるのか!」とバッシングされる。今でこそ、あの事件を冷静に振り返る人が増えたが、当時は「オウム」=「極悪」。疑問を持つだけでも、批判された。

同じではないか?もう一度、いうが「戦争に疑問を持つだけで、戦時中は非国民!と言われバッシングされた」日本人はマスコミに誘導され、都合のいい方向に連れて行かれる。同調圧力が働き、意見の違うものはバッシング。黙るしかなくなる。オウム事件はもう26年前。だからこそ、この記事を読むあなたも「そう言えば、あの時はちょっとおかしかったなあ。処刑の時期も疑問だよなあ」と思うだろう。

だが、もし、今、同じような誘導が起きているとしたらどうだろう? 一部の日本人は気づいている。が、マスコミは一切触れない。多くは疑問にも思わない。気づいた一部の人をバッシング。沈黙せざるを得ない。「オウム憎し」同じことが進行している。でも、まだ、疑問にさえ感じないだろう。恐怖と憎しみは判断力を鈍らせる。さらに「考える力」を育てない日本の教育。そして信頼度抜群のマスコミ。日本人を誘導するのは簡単なことなのだろう。

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