反対派を2つに分け、いがみ合わせる作戦?=国や企業がよく使う手法に注意! [社会政治]
反対派を2つに分け、いがみ合わせる作戦?=国や企業がよく使う手法に注意!
歴史から学ぶーと良くいうが、学校の歴史で学んだことってほとんど役に立ってない?いやいや、歴史の事実を情報として記憶するだけだから役に立たないのだよ。最近、よく思うのが支配者が国民を統治するための手法。支配者は数少ない。国民は圧倒的多数。反乱が起きれば簡単に絞首刑だ。が、支配者層はずる賢い。自分たちに不満や怒りを向けない手法を使う。
その1つが、大きな勢力を2つに分けていがみ合わせること。そうやって支配者層(政府、企業等)ではなく、互いに憎しみ合い、争い、自分たちに怒りが向かないようにする。戦国時代。織田信長は宗教団体の抵抗で苦労した。特に石山本願寺。それを見ていた秀吉は、その後、本願寺を西と東に分けてしまう。そのことで両者がライバル心を持ち、いがみ合わせて、矛先を自分たちに向けないようにしたのだ。その効果は的面。両者は今日でもいがみ続けていると聞く。
同じ手法が東西ドイツ。ナチスドイツの台頭で危険極まりなかった国。連行軍は2つに分けることで、押さえ込んだのだ。国鉄民営化の時に、JR東海、JR西日本、と分けたのも近い手法だ。国鉄は親方日の丸で膨大な赤字を垂れ流していた。それを民営化し、それぞれを競わせることで、国が赤字補填をせずに済み、むしろ税金を収める企業にしたのである。これはいい例だが、この手法を取らずとも、同じ構図に陥り争う人たちがいる。
反原発運動でも、同じ場所で抗議行動をしながら、2つのグループがいがみあっている話をよく聞いた。どちらも「原発を無くそう」と主張するのに、わずかな違いから仲違い。また、僕が「朝日のあたる家」を作った時も反原発の人たち、一部ではあるが、一番批判をしていた。その多くは年配の人たち。チェルノブイリ時代から反対している層。「俺たちは昔から反対している」「今頃何だ!」「努力が足りない」「反対する資格はない!」と言うもの。原発反対をしながら若い層をバッシング。無意味だと思えた。
近親憎悪と言うのか、人はすぐに線を引いて似たもの同士で批判し憎み合う。支配者層はその習性を利用して、国民同士をいがみ合わせて、怒りの矛先が自分たちに向かいないようにする。チッソの裁判、原発事故訴訟でも、原告側を分断し、いがみ合わせる手法を取っていたと聞く。それにより原告たちを疲弊させ、怒りを失わせ、諦めさせる作戦。同じことは今もまさに行われている。
国が弾圧するのではなく、マスコミの誘導で国民自身に国民をバッシングさせ、発言させてないようにして、真実を隠し。支配者層の安泰を図る。自粛警察もその一環。でも、多くの国民はその手法に気づかず、簡単に誘導され、自主的に自らの首を閉めることを始める。
日本人は本当に愚かなのか?=背景にあるのは江戸時代と同じ統治手法? [日本の教育]
日本人は本当に愚かなのか?=背景にあるのは江戸時代と同じ統治手法?
日本人は愚かだ!ーとよく聞く。昨年は東京都知事にミドリのおばさんを選んでしまう。直接選挙法ではないが、総理はあの人だ。あれだけ問題起こして、あの人まだ議員しているの?という輩も多い。それは彼ら彼女らの選挙区で投票する人が数多くいるから。多くが政治家を批判をするが、そんなダメ議員を選んだのは国民。だから「日本人は愚か」ということになるのだろう。
でも、そこで終わってはいけない。「なぜ、日本人は愚かなのか?」を考えてみよう。日本人はバカなのか? そんなことはない。一時は世界1の経済大国になったし、電気製品、自動車は優秀なものを作っていた。文盲率もアメリカに比べてもずっと低い。勤勉。長時間働く。バスや電車が来る時間も正確。アメリカは時間通りに来ないことが多い。いろんな国の人と話したが、その辺は世界的に凄いレベルだ。
そう考えると「日本人は愚か」とは思えない。むしろ「優秀」だ。そんな優秀な国民がなぜ、ミドリのおばさんや、あの総理を選んでしまうのだろう。自分たちのためにはならない。むしろ国民を搾取、利用する人たち。それを選んでしまうのはやはり「愚か」と思える。では、具体的にどこが愚かなのか?分析する。
日本人は勤勉だし、器用。よく学びよく働く。背景にあるのは学校教育だろう。その教育というのは「与えられたことを確実にこなす」人間を育てること。あれこれ記憶する力。教えたことを再現する能力。つまり、優秀な会社員を育成するためのもの。どんな仕事であろうと、その工程を理解、把握し、与えられた作業をミスしないでこなすための練習が学校教育なのだ。
しかし、そこに抜け落ちているもの。自分で「考える力」を育てる教育だ。与えられたことをする、指示されたことを遂行するのでなく、自分で状況を判断し、問題を把握し、選択、決断、行動する力は教育で育てない。なぜなら、そんな力が育つと会社に逆うこともあり得る。命令が間違っていれば、不利益をもたらすものなら、従わず、反発する。だが、会社側は間違った指示でも疑わずに、反発せずに従って欲しい。
だから、学校では、そのような力を育てないようにしているのだ。要は会社ロボットを育てるということ。指示されたことを疑わない。拒否しない。素直に従う。上からの命令を守る大人にするため。言われないことはしない。勝手な行動は取らない。学校ではそんな従順なロボットになる教育をしている。
上からの命令。会社トップ。政府。マスコミからの指示を素直に受け入れ、従う。反感を持っても「小池百合子、当確」とかマスコミが報じると「どうせ、そうだろうな」と投票しない。「問題あるけど、現役だしな」と投票してしまう。深く考えようとしない。他の候補を調べない。テレビによく出ている小池だけしか知らない。だから、あんなのが当選。
つまり、日本人は労働者や技術者としては有能なのだが、自分で考える力が弱い。教育によって育てられていない。そのため自分で状況把握ができない。物事の本質が見抜けない。だからマスコミに誘導される。これって江戸時代と同じ手法。
農民には読み書きを教えず、情報や知識を得られないようにして、ひたすら米を作らせたのと同じだ。そのバージョンアップ版。当時、一部の侍が多くの農民を支配したように、今は考える力を奪うことで、一部の政治家、企業トップが国民を支配しやすくしている(その誘導役がマスコミ=国民の味方の振りをしながら誘導する)戦争をする時も、似たような手を使うしね。そういうことではないかな?
自分のことが分かるのは50代を過ぎてから?=10代はそれが分からず苦労するのよね [再掲載]
自分のことが分かるのは50代を過ぎてから?=10代はそれが分からず苦労するのよね
自分のことってなかなか分からないものだ。が、50代になった頃から少しずつ自分ってこう言うタイプ?と思えることがある。
高校時代。毎日が地獄だった。最低の日々。勉強が嫌ということではない。勉強に意味がないと思えたのだ。10年以上勉強しても話せない英語。社会に出て使わない数学の公式。年号を覚えるだけの歴史。もっと意味あることを教えろ!と感じていた。が、教師たちはいう。
「お前は勉強するのが嫌だから、そんなことを言っているだけだ」「怠け者の言い訳」「楽をしたいだけだ!」
でも、今、映画を撮るとき。原発問題でも沖縄戦でも作品に必要なことは徹底して調べる。かなり勉強した。つまり、教師の言うように勉強するのが嫌だったのではなく、意味のないことをするのが嫌だったのだ。与えられた学科や題材を学ぶことに意味が見出せなかったのだ。だからやる気が起こらなかった。
また、学校生活も好きではなかった。毎朝、8時半に登校。6時間の授業を受け。月曜から土曜まで。制服を着て、厳しい校則があり、成績で順位をつける。
そんな学校システムに不満があったのだ。効率的でない。無駄が多い。生徒のためより管理しやすいための校則。意味が見出せなかった。そして教師たちは「お前は怠け者だ」「勉強とは嫌なことでも、我慢して続けるもの。自分を律するものだ」と言っていた。
今となっては分かるが、それは与えられたことを確実にこなす優秀なサラリーマンを育成するための教育であったこと。意味や効率を考えない、ひたすら従うだけの会社員を育てるためのものだった。それを抵抗なく受け入れられれば、日本社会で会社員になれる。その意味で僕は不適合者であり、会社員にはなれないのは当然。だから、今は一般とは違う世界ー映画業界で仕事をしているということなのだろう。
10代から与えられたことをするのは嫌。無意味なことはしたくない。でも、興味を持てば意味を見出せば人の倍やる。「給料分、以上の仕事はしない」と言う会社員の友人の気持ちは分からない。過労で倒れるまで働くので、理解ある友人からは「あまり頑張るなよ」と言われる。あの頃教師からは「怠け者」「楽したいだけだ」と言われたが、そうではなかった。ただ、親を含めて大人は誰も理解してくれず、自分が何者か?分からなかった。今、50代を過ぎ、少しづつ自分が分かって来た。