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Facebook記事「私は陰謀論なんて信じません!」=この人の背景を推理した?信じているのはマスコミ?! [FB問題]

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Facebook記事「私は陰謀論なんて信じません!」=この人の背景を推理した?信じているのはマスコミ?!

続きの文章を読むと、陰謀論を信じる人たちがいかに愚かであり、自分は非常に賢明で常識ある人間であることが綴られている。50代くらい。男性。会社員だと思える。

こんな記事を読むとまた、分析したくなってしまう。その人の他の記事を読んでみた。菅政権に対する批判、コロナ対策の不備への批判。んー確かに常識ある人だ。だが、常識を疑っていないところは、本人の言うのと違い「賢明」ではない。この人を攻撃したい訳ではない。この手の人が今、とても多いので取り上げさせてもらう。

ネトウヨとか、差別主義者。国粋主義者というタイプは分かりやすい。どこか片寄っていて思いこみが激しい。昔から存在する。だが、今回取り上げたタイプは、カテゴリー分けは嫌いだが、その論法で行くとリベラルであり、一番まともな心ある人たちのグループに属するだろう。だが、その層が今一番、誘導されており、間違った方向に進んでいるように思える。

解説しよう。この方。非常に真面目である程度の情報もお持ち。だが、日本の教育とマスコミ洗脳で気づかない内に誘導されている。「私は陰謀論なんて信じません」この言葉の定義から考える。「陰謀論」というのは、世間一般にいう陰謀論と同じ定義。「ある事件の裏側、背景をありもしないことをあれこれ言って、妄想や想像で面白おかしくしたもの。事実ではない」という意味だ。

だから、「私は信じません」と断言。解説を始める。この文章の「陰謀論」は「デマ」と置き換えることができる。どちらも「根拠のない事実ではないもの」であり、同義語だ。置き換えてみよう。「私はデマなんて信じません」同じ意味になるが、ちょっと違和感を感じる。それはデマを信じないのは当たり前のこと。「私はデマを信じます」という人はいない。つまり「陰謀論」を信じる人だっていない。その人たちは「陰謀論」と思っていないから信じるのだ。

原発事故が発生した時。あるジャーナリストが「メルトダウンしている!」と伝えた。それに対して多くが「デマをいうな!」「メルトダウンはしてない!」と批判。その人は何年も先まで「デマ野郎」と言われた。が、今は誰でも知っている。メルトダウンはあったのだ。「メルトダウンしていない」の方がデマだった。だが、その時点では誰も燃料が格納容器の中にあるのか?ないのか?確認できない。にも関わらず、デマと決めつけた。なぜか? パニックになるのを恐れて、その真実を隠したかった。あるいは信じたくなかった。だからデマと決めつけたのだ。

だが、デマではなかった。事実だった。時間の経過と共に真実は明らかになった。つまり、その時点でデマか真実か?を多くの人は判断できないのだ。「メルトダウンしているんじゃないか?」「いやいや、そこまで行かないだろう」意見が分かれるのが普通。そんな時に「これが知れるとヤバイ」と考えたマスコミや政府が使うのが「デマ」。そして「陰謀論」である。

それら言葉はマスコミ等が貼るレッテル。先のFBの人は「陰謀論」と書いているが、彼が判断したことではない。記事をあれこれ読んだが、事件を分析して陰謀論と判断したものはない。「陰謀論は信じません」と自分の固い意思表示のように書かれているが、正確に書くなら「マスコミが陰謀論だと言うものを、私自身で確かめた訳ではないですが、それは陰謀論だと思うので信じません」が正解なのだ。

だが、マスコミが言ったらからと正しい訳ではない。メルトダウンは事実だったにも関わらず、多くのマスコミはデマだと否定。あるいは沈黙。福島から北に避難する人たちが大勢いたが、爆発で放出された放射能も北に吹かれた。が、それを政府もマスコミも発表せず、多くが被曝した。

マスコミや政府は都合の悪いことを黙っていたり、デマや陰謀論として封印しようとするのだ。彼らを信じていてバカを見るのは国民。デマや陰謀論という言葉で都合の悪い現実を隠そうとする。なのに国民が「私は陰謀論を信じません」=「デマを信じません」とわざわざfbで主張するなら、政府やマスコミは大喜びだろう。マスコミが「デマだ。陰謀論だ」と言えば国民は受け入れるのだ。その手の人がとても多い。

大切なのことは自分で考えて、その情報が「デマ」なのか? 「陰謀論」なのか?を判断することだ。政府やマスコミが決めたことを素直に受け入れることではない。「陰謀論なんて信じない」という人の多くはマスコミや政府を信じているということ。自分で考えずに誘導されているということなのだ。ちなみに僕は捻くれ者なのでマスコミが繰り返し「デマ」「陰謀論」というと「そこに真実があるはずだ!」と思ってしまう。そして真相にたどり着くことが多い。


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なぜ、効果のないマスクをするのか? その背景に政府とマスコミの無能政策が見えてくる? [コロナウイルス]

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なぜ、効果のないマスクをするのか? その背景に政府とマスコミの無能政策が見えてくる?

(ちょっと長いが面白いのでぜひ)

先日、久々に見たテレビのニュース番組。記事で紹介した。レポーターが繁華街に行き、マスクをしていない人の人数を数える。そして「マスクをしない不届き者を探す!」とは言わないで単に「マスクをしない人がどれだけいるか調査しました」と説明。そして道行くマスクをしない人にはインタビュー。「あなたはなぜ、マスクをしないのですか?」と質問。これも質問している建前で、晒し者にしている。「全国の皆さん。この不届き者の弁明を聞いてください!」と言うのが狙いだろう。

なぜ、ニュース番組でこんなことをするのか? 答えは簡単。これを見た視聴者はどう思うか?「あー店でマスクもせずにしゃべっている〜。だから、感染が広がるんだよ」あるいは「やっぱ、道でもマスクしなきゃいけないんだ。私も気をつけよう」と思うだろう。スタジオのキャスターは言葉にしないが「マスクしない人は不届き者です。皆さん。マスクを必ずしましょう!」と言たいのだ。もし、これが実態調査なら、マスクしている人にもインタビューして「なぜ、外でマスクをするのですか?」と質問する。が、しない。そこに「マスクはせねばならない」という番組意図があるからだ。

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これは報道ではなく「マスクしなさい!」という国民に向けたキャンペーン。「欲しがりません。勝つまでは」「生きて虜囚の辱めを受けず」とか戦中に行われた刷り込みと同じ。国民をある方向に誘導するためのもの。もし、マスクが感染予防に絶大な効果があるのなら分かる。が、コロナウイルスはマスクの生地を通り抜けるので無意味。せいぜい、感染者の唾が飛ばないだけ。最近では多少の量では飛沫感染は起きないとも言われる。つもり、マスクはぼぼ効果なし。そんなものをなぜ、マスコミが自粛警察役まで演じて広めるのか?

ここからは推理だ。マスコミが自主的にキャンペーンをしているのではないだろう。得するものはない。感染の怖さを煽り視聴率を上げるのは分かるが自粛警察役はメリットがない。誰が得するか? 国民もプラスなし。予防にはならない。例えば政府はどうか?昨年の緊急事態宣言で大きな経済的打撃を被った。感染を止めるには経済を止めねばならない。経済を動かすと感染が広がる。その両方を同時にしたい。そのための「マスク作戦」ではないか?


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昨年、小池都知事は夜の新宿、渋谷。繁華街。若者が感染拡大の原因と発表した。「夜の新宿には行かないように」とアナウンスした。が、コロナに昼、夜関係あるのか? コロナは夜行性なのか? おかしな話だ。さらに、当時から今に至るまで、通勤電車やパチンコ店での感染はほぼ報道されていない。どちらも三密、四密どころではない。理由はもうお分かりだろう。パチンコ店からは多額の献金が政府関係にされている。だから、危険な場所と指摘できない。通勤電車が危険と言うと人々は恐れて電車に乗らなくなる。経済が回らなくなる。

だから、その2つを感染拡大の危険な場所と絶対に言えない。マスコミも報道しない。しかし、感染は広がっている。誰かを生贄に、スケープゴートしなければならない。「原因は分かりません」では都も政府も面目が立たない。その生贄が夜の新宿、渋谷。そして若者。そう報じれば「アホな若者が飲み屋に集まって感染が広がるのか!」と多くが解釈するだろう。新宿の居酒屋や若者は献金していない。渋谷の店がいくら潰れようと東京都は困らない。だから悪役にされた。それが去年の構図。

だが、その新宿、渋谷も客が激減。(気持ちが緩んで一時よりは客足は増えているが)次なる生贄を探す必要がある。そして感染拡大を止めながらも、経済も動かさなければならない。そこで当時からマスク、マスクと騒いだのを利用して、次なるキャンペーンを始めたのではないか? 感染原因はマスクをしない人たち。その輩のせいで感染拡大が続いている!とマスコミを通じて直接的ではなく、遠回しに印象操作を続けているのだ。先の番組はまさにそれ。

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先に書いた僕の記事「誰もいない道路で、マスク外すな!と指示するオヤジ」を覚えているだろうか? あれはキャンペーン効果が浸透したという現れ。防止効果は関係ない。マスクしない奴は許せねえ!と言うレベルにまで多くの人が誘導されているのだ。そのことで「コロナ感染が止まらない理由は、マスクをしないバカがまだまだいるから!」という印象操作をしている。それを推進するためにニュース番組では、マスクしない人を探して突撃インタビュー。自粛警察と同じことをする。その人を全国ネットで晒し者にする。「悪いのはマスクをしない人たち!」

そのことで政府に対する批判を少しでも避ける。同時に「マスクしてりゃ大丈夫。満員電車も、パチンコ屋も安全ですよ〜」と事実ではないことを庶民に刷り込む。マスク=安全ではないのに、「自粛させず、通勤させて、会社で働かせて、経済を回そう」と言うのが目的。だが、マスクは無意味。街を歩いてもほとんどの人がマスクをしているのに、感染は今も止まらない。マスクは無意味と言う証明だ。本気で感染を止めるには経済を止め、国民に金を配るしかない。

でも、その金を渋り、効果のないマスクを強要して経済を回そうとするのが今の政府のやり方。そこに多くが気づかず、マスクが意味ないと分かるのに、必死にマスクをして。しない者に強要。指示までする。これ何かに似ている? 戦時中の日本だ。国民に竹槍を持たせてアメリカと戦えと命じた。竹槍で米兵は倒せない。なのに必死に練習した国民。この国は75年経っても変わっていないのだ。

あと、別の視点から「コロナの正体?」も後日、検証してみたい。


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コロナ禍ではあったが、沖縄戦について勉強を続けたこの1年。 [2021]

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コロナ禍ではあったが、沖縄戦について勉強を続けたこの1年。

Facebookの「1年前の今日」が毎日、掲示される。とうとう、1年前の今頃も「コロナ感染」の記事が出てきた。つまり、コロナが1年続いていると言うことだ。様々な仕事が中止、延期になり、あれこれ厳しい状態。ただ、それでも良い方に解釈すれば、この1年。かなり勉強ができた。映画製作の繰り返しであった15年。それ以外のことをする時間が全くなかったので、その時間ができたのだと考えることにした。

「ドキュメンタリー沖縄戦」を完成、公開したので、(DVDは未だに出せていないが...)ほぼ終了と思ってもいい。通常なら次の題材探しだが、「朝日のあたる家」の題材である原発事故も、映画を作ればおしまいということではなく、その後の展開も見つめることが大事。

今は汚染水を海に流そうとしているし、「F50」と言うプロパガンダ映画をテレビ放送して、多くがそれにダマされて感動。「東電社員が日本を救った」と印象操作されたりしている。それは原発再稼働の布石として利用しているはず。

同じように沖縄戦の勉強も続けている。戦闘自体の流れや実態は3年に渡る取材でかなり把握した。が、疑問が残った。その当時の住民の意識、生活、価値観等はどうだったのか? そして、沖縄戦を見つめるだけでなく、太平洋戦争、大東亜戦争、日中戦争、をも見て行くことで、さらなる意味や隠されたものが分かってくる。原発も簡単には勉強できない大きなカテゴリー(政治や国際問題も含まれる)だったが、沖縄戦はさらに大きなカテゴリーであることを感じた。

そして、原発を勉強した時に見えてきた裏で暗躍する人たちの存在。それらと同種の人たちが沖縄戦にも深く関わっていることが分かって来る。歴史の教科書にはまるで自然災害のように沖縄戦が書かれているが、そうではない。そして日本は単なる犠牲者ではなく、加害者でもある現実を避けているところがある。

その辺を追求することで、単なる歴史ではなく、現代、未来が見えてくるはず。実際、政府のコロナ対策は沖縄戦当時の住民対応と変わらない。どちらも最初から助ける気がないことを感じる。この1年。その辺をあれこれ勉強できたことはプラスと思える。まだまだ、沖縄戦は原発問題と共に見つめて行く。


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マスコミがコロナ感染で恐怖を煽る理由? [コロナウイルス]

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マスコミがコロナ感染で恐怖を煽る理由?

その報道番組。あるコーナーでは若い女性レポーターが街に出て、いくつもの店を回り、マスクをしていない人が何人いるか?を検証するものだった。ある居酒屋では「1、2、3、4、5、かなりの人がマスクをせずに話をしていますね〜」とレポート。街角ではマスクをしない人にインタビュー。「なぜ、マスクをしないんですか?」と質問。見ていて疲労感が込み上げる。

 このコーナー。「マスクはせねばならない」という前提で作られているだろう。そして「不謹慎にもマスクをしない人がこんなにいます!」と告発。街角インタビューでは「マスクをしないのには不謹慎ですよ!どう考えてますか?」と糾弾。しかし、この番組は前提を伝えない。「この時期、マスクをしてコロナ感染を抑えなければなりません。それが守られているでしょうか?」とはいわない。

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スタジオのキャスターが言ったのは「街角でどのくらいの人がマスクをしているか?検証してみました」だ。検証と言いながら、これは摘発や糾弾。言葉には出さないが「あんた不謹慎だよ」と指摘しているのだ。それによって視聴者は「いつでもマスクせねばならない!」という思いを強くするだろう。

 そこがマスコミの汚いところ。クレームが来れば「あれは検証です」というが、実際にやっていることは「摘発」であり「糾弾」。お前らマスクもせずに何考えてんだ!感染したらどうすんだよ! と主張したいのだろう。しかし、おかしい。

感染したくなければ街に出なければいい。その人たちの責任は責めず、マスクをしない人を糾弾している。居酒屋で飲んだり食べたりで、いちいち話すたびにマスクはしない。また、客もそれを覚悟で来ているはず。それを「マスクをしない人たち」と指摘することにどんな意味があるのか?

 北朝鮮なら分かる。「この店にいるお客。1、2、3、4、5人も金総書記のバッチをつけていません! 許せません!逮捕です」その番組がやっていることも、限りなく近い。いや、北朝鮮で金正恩を支持しなければならないというのは、あの国なら理解できる。が、日本で必ずマスクをする、というのはどういう意味か? 

 ウイルスはマスクを通り抜けること、医学的に正しい。ただ、飛沫感染が言われるので、唾が飛ばないという利点はあるが、「マスクでコロナは防げない!」は医学の常識。なのに北朝鮮のバッチのように「つけなければならない!」という意識が蔓延している。(先日の自転車オヤジもそう)それを推進しているのがマスコミ。

 どうも、コロナに関しては疑問が多い。これは昨年から指摘していることだが、最近はマスコミの煽動が気になる。なぜ、コロナ感染で騒ぐのか? 一つは視聴率が取れるから。だが、それだけではないだろう。不安を煽ることで、マスクを強要することで何か別の目的があるに違いない。

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どこからか指示されてやっている? それはまた次の話になるので、今回はこうまとめる。テレビを見なければ、コロナで怯えることはない。死亡者数も実は多くない。例年のインフルエンザの方が多く亡くなっている。何だか、これも沖縄戦がダブる。

 米軍上陸前から県民にはアメリカ軍の恐ろしさを徹底して伝えた。「米軍に捕まると、男は鼻を削がれて、戦車で轢き殺される。女はレイプされて、殺される」県民は恐怖した。彼らが追い詰められた時、軍は自決せよと伝えた(それだけでなく日頃から、生きて虜囚の辱めをうけずと洗脳)。

県民は「アメリカ兵に辱めを受けるくらいなら自決しよう」と多くが集団自決した。そこには軍の思惑があった。足でまといになる。食料を確保したい。捕虜になり情報を米軍に喋らせたくない。そんな目的があったことも言われる。そのためにアメリカ軍を使い恐怖を煽った。実際は投降した県民を彼らは虐待してはいない。怪我を治療。食料を与えている。全て日本軍が流したデマだったのだ。

 恐怖を使い国民をコントロールするのは国がよく使う手。その意味でコロナ感染の恐怖を異常なほどに報じるマスコミ。本当の目的は別にあると思えてしまう。ま、テレビばかり見てると印象操作されて分からないけどね!


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なぜ、記事内容に即したコメントが少ないのか?=これでは連想ゲーム! [FB問題]

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なぜ、記事内容に即したコメントが少ないのか?=これでは連想ゲーム!

先日、「僕のFB友達は思ったよりレベルが低いと感じている」「コメント欄を見ると、記事も読まずにコメントしているか? 読解力がないので、おかしなことを書くのか? 本当に鋭い人たちはコメントしない」と言う乱暴な記事をアップしたら、コメントが減った。hahaha。ただ、本当に最近のコメント欄は「落書きコーナー」に近かった。

通常、コメントと言うと、その人が書いた記事に対して、賛同、感想、感謝。批判(僕の場合はいらない)を書くのが普通。「私もそう思います」「なるほど、そう言うことですね」「私も同じような経験があります」「こんなことも言えますよね?」と記事内容に沿ってコメントする。が、このところは「バイデン はなぜ菅にハンバーガーを出したのか?」と記事を書くと「私もハンバーガー好きです」とコメントが来る。記事の意図を理解していない。

その理由は先に説明した通りだが、今回はなぜ、そんなコメントするのか? 何の意味があるのか?を考えてみる。思うのは、それらコメントは僕に対するものではない。通常は書いた本人へのメッセーを書くのだが、そうでないことが多い。例えば小池知事のことを書いたら「小池、許せない!」「緑の化物!」とか、僕が指摘する問題ではなく、小池に対する印象、中傷をコメントする。

「大統領官邸でハンバーガー」=>「私も好きです」「シグナルのスペシャルはなぜ面白くないのか?」=>「私も毎週見てました!」感想や意見ではなく、連想したこと、思い出したことを書いているだけ。つまり「考えていない」。記事の中の言葉から連想したことを言葉にしているだけ。そこから思い出した体験を上げる。感想、意見ではなく「連想ゲーム」(若い人は知らないかな?そんな番組が昔あった)なのだ。なぜ、考えて思いを文章にしないのか? 

これ学校のテスト例えると「源氏物語と現代を重ねて、感想を書け」と言う問いに対して「高校時代に読みました」と答えるようなもの。これいつも指摘する学校教育の問題がある。考える力を育てない。答えを覚える教育。自分の言葉で表現せずに、三択。つまり、自分で考えて、自分の言葉で思いを伝える訓練がなされていない。

次にテレビ。先に洗脳装置としての役割を記事にしたが、考える暇を与えずに情報を送り込んでくる。報道番組でも賢そうなキャスターが、分かったようなことを言う。切り取り編集された映像でさらに誘導。決められた答えに導かれる。そんな番組をその昔、多くが何時間も見ていた。学校で「考えず」自宅でもテレビで「考えず」与えられることを受け入れるだけの生活が大学時代まで続く。そんな人たちに「考えて」「自身の言葉で表現しろ」といってもできないのが当然なのだ。

だから、連想した言葉をコメント欄に書き込む。本当は何か、自分の思いを書き込みたい。主張したい。伝えたいと言う思いがあるはず。でも、できない。その現れが意味不明、記事の無関係なコメントがよく来る背景ではないか? なんて書いたら、ますますコメントが減るなあ。いや、その方がいい。コメントするより、あれこれ考えることに意味があるのだから。


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