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国民を誘導するには「恐怖」を使うのが一番。誰も逆らわず、思うがままに動いてくれる? [社会政治]

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多くの人を誘導、動かすにはどうすればいいのか? 人はわがまま。なかなか言うことを聞かない。それが1万人、100万人、1億人となると、さらに困難。軍隊を使っても従わず、むしろ抵抗する人たちも出てくる。だが、そんな人たちの多くが従う方法がある。「恐怖」を使うことだ。つまり、軍隊が銃を突きつけて強制するのではなく、恐怖を演出することで、多くの人は。誘導している方向に積極的に動いてしまうのだ。

思い出すのは911。あの時、アメリカは揺れた。大きなショックを受けた。南北戦争以外に戦争を経験したことがない国民。他国がどんな酷い目に遭っても平気だが、自分の国が攻撃されると、驚くほど取り乱した。それもニョーヨークを象徴するワールド・トレード・センター。恐怖に打ちのめされた。その後、イラクが大量破壊兵器を所持していることが報じらた。国連でさえ武力行使を躊躇したのに、アメリカは単独で戦争を始めた。多くの国民はそれを支持。

その背景には911があった。あの時の恐怖に支配され、同じことが繰り返されてはいけないと、不確かな情報を信じて、戦争に賛同。政府はあの事件のどさくさに紛れて、愛国法まで通している。そして、911はビンラディンの仕業とされているのに、なぜ、イラクなのか? フセインとビンラディンは関係ないのに、恐怖で冷静さを失い、戦争に雪崩れ込む。そしてフセインは殺され、アメリカの軍需産業は大儲け、イラクには多くのアメリカ企業が参入。そして大量破壊兵器は見つかっていない。

先の手法と同じ。恐怖を使い国民を誘導。戦争で儲け、イラクを支配、アメリカ企業が大儲けした。911がなければ国民は不確かな情報を信じて参戦支持はしなかった。まんまと恐怖に操られて、一部の企業、政治家たちに莫大な利益を与えることとなった。そこで儲けた人たちこそが、国民を誘導する「恐怖」=911を演出したと思える。それにはマスコミも加担。恐怖を拡散するには彼らの力が必要。昔で言えば真珠湾奇襲で、日本がどれだけ悪逆非道か?を国民に伝え続けたのが米マスコミ。911でも同じことをしたのだ。

そんな風に大きな政治力ある人たちと、大企業。マスコミが組み、恐怖を煽れば、国民は思考停止となり、理屈に合わないことで積極的に参加する。その代表が「戦争」。さて、似たようなことが現在も起きている。政府があれこれ理不尽な要請を国民にしているが、恐怖に支配され、日本人のほとんどが従っている。先の事件と似てはしないか? だとしたら「恐怖」を演出している人たちは誰? 目的は何か? 誰が儲けているのか? 

911、今では旅客機の激突ではなく小型核爆弾によるWTCの破壊だと言われる。飛行機はCG合成。テレビで何度も放送すれば見た気になる。壮大なデモンストレーションだと言うことが次第に分かって来た。やはり、イラク戦争のための誘導が目的だったのだろう。同じように現在のコロナ禍も何かフェイクがあるのではないか? そんな気がしてならない。


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的外れなコメントをする人が多い=その背景を探った? [FB問題]

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この数日。長めの記事を続けて上げた。今の時代に切り込むものだ。が、コメント蘭には首を傾げる文章が並ぶ。記事を理解していないのか? 「政府がマスクを強要する背景」を推理し記事にしたのに、その辺の感想や意見は1人だけ。あとは「僕はマスクしません」「**ではマスクしてませんよ」と言う意味不明のコメント。マスクするかどうか?ではなく、その背景を書いたのに?そこに対するコメントは1件だけ。

今日またドラマの感想を上げたが、そこにもトンチンカンなコメント。記事の意味分かってない。例えると「なぜ、バイデン は菅にハンバーガーを出したのか?」と言う記事を書けば、自分なりの意見や推論がコメントされるもの。だが、最近は「私もハンバーガー好きです」みたいのが多い。

僕のFacebook友達は非常にレベルが高く、かなりヤバイ記事でも多くが理解してくれていたのだが、最近どうも、非常にレベルが落ちているように感じる。で、考えた。頓珍漢コメントは記事が長いので読まずに、タイトルだけ見てコメントしているのだろう。だから、「マスク」の話も背景につて触れることができない。マスク!と聞いて「俺はしないよー」とか、そこから連想したことをコメントしてしまう。

しかし、記事を読まずにコメントしてどんな意味があるのか? それとも読むけど内容が把握できず、あの種のコメントになるのか? Twitterもそうだが、短い文章しか読まない人が多い。長文が読めない、理解できない人も多い。だったら長文の記事に無理にコメントする必要もないだろう。

「いいね」を確認すると、いつも鋭い記事を上げている人たちから「超いいね」がきている。が、コメントはない。もしかしたら、的外れなコメントが多いので、書き込んで絡まれたり、質問されたりするのが嫌なのかもしれない。

最近、毎日のようにコメントしてくれる人がいるが、驚くほど的外れ。空回り。年配の方なので、もしかしたら....とも考えるが、50代以上はテレビ世代。昔からニュース見ながら「この政治家ダメだな」「早く辞めろ」「そんな訳ないだろう!」とか独りで突っ込む人がいる。その感覚でコメントしてくるのだろう。僕へのクレームとか、意見ではなく。ぼやき。

しかし、他の友達がそれを読んでも何のプラスにもならない。それを読み、似たようなコメントを書く人も出てくる。そのせいか、本当にこのところのコメント欄は無意味なものが多い。コメント欄自体を削除できるといいのにと思ったり。ただ、彼らこそが今の平均的な日本人なのだ。そんなことからも時代が見えてくる。


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21世紀を生き延びるのに必要なこと。健康だけではない。新しいことを受け入れられるか?そこが大事。 [my opinion]


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若い頃。友人がいいことを言った。

「20代までは新しいことをすぐに受け入れる。
 30代になると努力が必要になる。
 40代になると拒否し始める。
 50代になると怒り出す」

これ名言だと思う。脳が次第に老化していく様を表している。記憶力もそうだが、新しい習慣、新しい機械、新しい価値観を受け入れらるか?をそれぞれの世代がどう反応するか?も分かる。

CDが登場した時に、僕は20代後半。友人にはCDを嫌い。レコードに固執する友人がいた。早くも新しいものに対する拒否感を持ったのだろう。90年代に入りパソコンが普及。この時も会社のベテランたちが「あんなものはなくても、仕事はできる!」と反発した話をよく聞いた。

Eメールができず、50代の社員が20代に教えてもらうと言う風景もよく見た。僕が30代の頃。シナリオを書き売り込みに行くと、40代以上のPは「詰まらない!」と言うより「よく分からない」と言った。バカではない。映画界で働く第1線のPだ。今なら理由は分かる。

僕のシナリオはSF。当時、日本ではSFはマイナー。子供向けだと思われていた。アメリカでは「スターウォーズ」「ターミネーター」「マッドマックス」と言う映画が大ヒット。SFが主流だったが、日本の40代以上は受け入れることができなかった。もちろん、新しいものを脳が受け付けないのだ。実践したのは大林宣彦監督くらい。

30代前半の若手は理解してくれたが、上が理解できない。「日本でSFは無理ですよ」とさえ言われた。それから30年。今や日本でもSFは主流。タイムスリップもオーケー。「シグナル」だってSFだ。ようやく、そんな時代が来たが、僕も50代。先の格言で言うと「新しいものと出会うと怒り出す」世代。かなりやばい。

編集ソフトを使うのはかなり苦労している。若者のようにすぐに覚えられない。カメラもそう。若いスタッフに教えてもらう。PCもどうにか使っている程度。どのソフトも完全に使いこなせてはいない。

昔は、20代までで覚えたことが、定年まで活用できた。年上の人は若者より知識があった。が、今は違う。年取るほどのダメ。新しいツールを使えない。機械だけでなく、価値観や生活スタイルも変わっているのに、同世代は未だにテレビを見て、新聞を読んで世間を理解した気分になっている。

YouTubeで動画を見る者は少ない。レコードが売れてると聞くと「やはり、いいものは変わらない」と懐古趣味に浸る。NetflixやAmazonプライムを見る同級生はほとんどいない。今もTSUTAYAに行くらしい。なるほど、新しいものが受け入れられないだけでなく、怒りすら感じるのだろう。僕は仕事柄、無理して受け入れるが、次第に同世代とは話が合わなくなってきた。

健康や体力が大切と言うことでジョギングをする年配者は多い。が、頭の方を気にする人はまだまだ少ない。特に男性はアウト。21世紀を生き延びるために必要なのは、体力だけでなく、新しいものを受け入れ、理解する力も大事。そう考えると、日本の政治家。多くがアウトであることも分かる。不況になると公共工事ーいつの時代の話と思える。


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「些細なことが気になる困った性格」を振り返る? [my opinion]

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昔バイト先で「男のくせに細かいのよ!」と中年女性の店長から言われたことがある。だが、細かいことが気になる性格だから、のちに映画の仕事に就けたのだ。監督業は細かいことにこだわる仕事。また、その店長は自分の小さなミスを男性に指摘されたのが悔しかったようだ。「男は黙ってサッポロビール」?であるべき!という古い価値観を持つ人だったのだろう。

ただ、本来なら相手は店長だし「はいはい」と言っておけばいいのに、その女性の心理を分析してしまう。「なぜ、店長のミスを指摘したことで僕を批判するのか? それもー男のくせにーと性別で批判。なぜか? 自分が多少ミスしても女性なのだから、男性は笑って受け止めるべきだ。という男性に対する甘えがある。古い価値観、男は大らかで、細かいことをいうべきではない。という古い発想をするのだろう」とか考えてしまう。

昔からそんな風に「え?」と思うと、「まあ、いいや」とは考えず、理由を考えてしまう。その人の心理を分析する。同世代の友達は子供時代は「なんで?なんで?」と疑問を持つたびに大人に質問していたが、高校時代くらいからは理由の分からない理不尽があっても「世の中、こんなもんだよ」と疑問や憤りを持たず、納得するようになった。これも考えた。

大人になると理不尽なことがあっても、個人レベルで解決できないことが多い。学校、会社、国。大きな組織が理不尽を行っていても個人は対応できない。だから、友人たちは諦め、受け入れ、世の中そんなもんだと考える。そして、なぜ理不尽が行われるか?を分析しようとはせず「考えても無駄!」と考える。それがどうやら高校生くらいから始まるようだ。そんな人が30歳を超え、50歳を超えたら余計に「考える」作業をしなくなる。本人は「俺だって考えるよ」とはいうが、「夕飯は何を食べようかな?」というレベルの「考える」。

でも、僕は諦めたくない。些細なことでも、気になることは考えてしまう。答えを見つけたいのだ。そのために嫌な思いをするし、血圧も上がる。が、背景を理由を動機を知りたくなる。そこから解決の糸口が掴めるかもしれない。理不尽を押し返せるかもしれない!そんな性格だから映画業界が向いていたのだろう。

旅客機がWTCビルに突っ込んだ。ビル倒壊?何で倒壊したのか?と気になる。調べると飛行機の機体を作る金属は柔らかく、ビルの支柱となる鋼鉄を砕くことはできない。つまりビル内に飛行機が入り込むことはない。正面で砕け散る。でも、ニュース映像はそうではない(やっぱCGね!)そんな風にあれこれ考えてしまう。原発も、沖縄戦も、同じようなきっかけで興味を持った。それを映画にした。

何年も考える。時間があれば調べる。人に聞く。そうすると、いつか答えが見つかる。ただ、そこまでする人は少ない。「お前、変わっているな〜」と昔から言われるが「些細なことが気になる困った性格なのだ」ただ、映画業界には向いていたようだ。



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SNSは国民に不満を吐かせるための受け皿?=翌日から我慢してまた仕事をさせるためのツール? [社会政治]

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SNSは国民に不満を吐かせるための受け皿?=翌日から我慢してまた仕事をさせるためのツール?

昔は多くの人がテレビを見ながら「こいつ本当にバカだな」「へーー酷い事件だな」「その球が打てねえのか!」とぼやいていた。ブラウン管を通して局には言葉は伝わらないのに、ぼやく。

何の意味があるのか? これはテレビ時代から言われたことだが、「タレントはバカだから、バカをやるんじゃない。バカを演じることで人気を集め、高いギャラをもらうためにやっているのだ」それに気づかず多くが「松村、本当にバカだよな〜」とか言いながらバラエティ番組を見ていた。

そのことで学校で成績が悪くても、会社で業績が悪くても、自分よりもっとバカな存在を見ることで安心し、優越感を持つことができる。まあ、それがテレビの役割でもあった。それを確認するために誰に言うでもなし、言葉にしてしまう。

 「タレントって本当に、何も考えてないなあ! 俺の方が遥かにマシだよ」

 同じことを今、人はFBでやっているのではないか? 「小池、本当にクズだな」と書くことで「俺の方がマシだよ。俺が知事ならこんなことはしない」と感じ。自分は愚かな存在ではないと確認。だが、それが高じて正義中毒になる。

確かに政治批判は大切。声を上げることは重要。しかし、FacebookやTwitterはそんな風に批判をすることで満足し、また我慢して生活していくための緩和メディアになってはいないか? それが政治や社会に対する不満の吐口ならまだいいが、もっと低いレベルでの吐口になっているような気もする。

昔なら会社帰りに居酒屋で、上司の悪口を言う。でも、仲のいい同僚がいない。1人で作業する人、あるいは内気な人たちは悪口を言う相手もいない。自宅に帰ってSNS で政治家批判。有名人を中傷。著名人の揚げ足取りをする。そのことで欲求不満の解消。自分の名前や顔は晒さずに、安全地帯から批判。罵詈雑言。政治家を攻撃することで、賛同する人も出てくる「いいね」「シェア」ー傷ついた心が癒される。俺って凄いのかも?

調子に乗ってあれこれ書く。会社ではダメな俺が、社会に切り込んでいる。悪徳政治家と戦っているんだ!と感じる。ま、悪口言ってるだけなんだけど....充実感が持てる。革命家か?レジスタンス活動をしている気分。やがて、政治家以外にも目を向け、攻撃を始める、FBで自分と違う意見。あるいは世間で言われないことを主張する人を見つけると、批判コメント。ブロックされたら「逃げたな?俺の勝ちだ」と考える。

何かFacebookやTwitterは歪んだ吐口を求める者の受け皿として作られた部分もあるのではないか? そこで毒を吐くことで、本当の意味での批判はしなくなる。政治家を攻撃するのではなく、市民同士で争うように仕向けている部分もあるような気がする。本人はジャーナリスト気取りでいい気分。それに気づかない。そんなことを考える。


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