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菅直人・元総理から直接聞いた原発事故時の話。 [原発問題]

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菅直人・元総理から直接聞いた原発事故時の話。

昨年、友人の会で菅直人・元総理とお会いすることがあった。原発問題に関してあれこれお聞きしたいことがあったので超ラッキー。そこでお聞きしたこととほぼ同じ内容が写真の本、巻末のインタビューページで書かれている。(僕がインタビューしたのではないですが)

原発事故に関して僕もかなり勉強した。いろんな資料を読んだ。が、いろんなデマも飛び交い、本当はどうなのか?というところもあり、事故時の責任者である菅総理から直接、お話をお聞きしたいと思っていた。事故はすでに10年前になるが、菅元総理は非常に細かいところまで記憶しており、丁寧に説明してくれた。非常に論理的で分かりやすい。

政治家という人種はよく喋るが、本当に重要なことを言わず、調子のいいことばかり話す印象がある。が、理工系出身の菅さんの話は横道にそれたり、美化したり、誤魔化したりすることなく、事故の展開をストレートに話してくれた。ただ、インタビューではないので、あまり突っ込んだ質問をするのを躊躇したが、せっかくのチャンス。怒られても怒鳴られても聞きたいことがあった。

Speedyの件だ。放射能の流れを予測する機械があった。正確に爆発後の放射性物質の流れ(風で運ばれる)を予測していたのにも関わらず、当初は「機能せず」と報じられた。実際は機能しており、福島の避難民が移動する方向に放射能が流れていた。関係者は知りながら、警告を出していない。Speedyを管轄するのは文科省。そこから米軍と福島県にデータは送られた。が、官邸には上がっていないと聞く。それは本当だろうか? 総理や官房長官はそのことを知りながら、何もしなかったのでは?とも考えてみた。

それを菅さん。本人に聞いてみた。ただ「Speedyの存在は本当にご存知なかったのですか?」と聞くと「はい。知りませんでした」と答えるかもしれない。もし、知っていても「知らない」と答えやすい質問形式。そこで「なぜ、Speedyを活用しなかったのか?」と聞いた。その機械を知っていることを前提とした質問。すると冷静に理路整然と語っていた菅さんが少し感情的になる。

「だって、そんなものがあるなんて、官邸の誰も知らなかったんだよ。斑目さんあたりなら知っていたかもしれないが、誰も教えてくれなかった」

政治家というより学者、専門家のように分かりやすく冷静に話していた菅さんが、近所のオヤジが「知らないものをどうしろってんだ!」と訴えるような口調。その反応は隠していたことを追求されて反感を持ったか? 本当に知らないのに追求されて悔しいか?どちらかである。そこまでの彼の口調からして、もし知っていたのに知らない振りをするなら、感情的にはならず、冷静にその理由を説明したはずだ。

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だが、当時、誰も教えてくれず「悔しかった」という思いが呼び起こされた。だから論理性を失い、感情的になり近所のオヤジになったのだろう。そして、質問から答えまで時間がかかれば、言い訳や別の物語を考えたともいえるが、間髪を入れずに答えた。そのような時は作り話や言い訳ではなく、本音であることが多い。こちとら映画監督だ。嘘を見破る商売。菅さんは本当に知らなかったのだと思える。



そこから推察し、いかに東電、関係省庁から事故と対策に関する情報が上がって来なかったか? 情報網が整備されておらず、危険意識がなかったか?が実感される。官邸が何も対応できないことをマスコミ等は批判したが、前代未聞の事件。その中で彼が行ったことを聞くと、理工系の総理で良かったと思える。

もし、あの総理だったら「放射能が漏れた!だったらマスク2枚配れ〜」と言っていたかもしれない。情報のない中で、菅直人が取った行動が、事故現場に乗り込むということ。それをマスコミは批判したが、そのことで吉田所長との信頼関係も生まれ、現状を把握することもできた。


なのに「総理が作業を邪魔した」「現場に行くからベントが遅れた」とデマを流したのは当時、議員だった安倍晋三である。そのデマを採用、それが事実のように描いたのが「F50」という映画。ただ、事実を見つめると、原発事故を止めたのは菅直人でも吉田所長でも、50人の職員でもない。偶然と奇跡であの程度で収まったのだ(事故は続いてはいるが)職員の活躍で収束したわけではない。水蒸気爆発がなかったのも、いろんな偶然が重なったこと。さらに風向きが太平洋向きだったので、大量の放射能は東京ではなく、海に流れたことも大きい。東京に向かっていれば今頃死の街になっていたはずだ。

菅さんはそれも把握していた。僕も取材から何年も時間が過ぎているのでおぼろげな部分もあったが、菅さんはしっかりと記憶しており、それを理路整然と語った。「もう昔のことだから覚えていないなあ」とか「事故のことは詳しく言えないんだ」と逃げることもできたのに彼はしっかりと語ってくれた。とても真面目な性格。そこからも他の人が総理なら、事故が余計に拡大したかもしれないと思える。その意味でも、事故時に一番活躍したのは菅直人だったと言える。なのに一番、邪魔をし、混乱させた張本人と言われるのは、理不尽。事故を政治利用する人々の仕業なのだが。

そのプロパガンダがまさに「F50」と言う映画。菅直人と民主党を貶め、頑張ったが結局事故を止めることができなかった職員を英雄にする物語。先にも書いたが津波は予想されていた。防波堤を高くするプランを潰したのは安倍晋三と吉田所長だ。そのことも全く描かず、「東電、よく頑張った」と言う映画を見て感動する多くの人たち。悲しいとしか言いようがない。


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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー2013ー感想「私たち親は、子供たちのために何をすべきなのか?を考える映画」 [【再掲載】]

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by 上杉パパ (2013-07-02 10:28)

行ってきました。静岡県湖西市。
映画朝日のあたる家ジャパンプレミア。
完成披露上映会。

1年以上前から太田監督に構想を聞いていて、この日を楽しみにしてました。
そして実際に観た率直な感想は……心に三打席連続デッドボールを受けた感じがしました。
痛いです。心がひどく痛みました。

原発事故があってからの平田家。
平沢いずみちゃん演じるあかねの『私たち何も悪いことしてないじゃない!』
その言葉で涙ボロボロ。
山本太郎さん演じる光太郎おじさんと
橋本わかなちゃん演じる舞との会話。
そうなんですよ。子供は親より早く死んだらアカンのです。
しかもその原因が原発なんて絶対に許されることではありません。

光太郎おじさんの提案に首を縦にふれない並樹史朗さんが演じるお父さん。
それで仮設住宅から家族が家に戻れるように必死で除線しますが……やがて訪れる絶望。
このお父さんがまた、自分自身とダブるところがあって、他人事とは思えなくなります。

舞がポツリと言います。
『幸せって何だったんだろう?』
何気ないことでも笑いあえる家族。
例え貧乏だったとしてもそれが幸せなんですよね。

他にも衝撃的な、親としたら自分の身体や心が傷つくよりも、
もっともっと悲しい出来事が起こります。

朝日のあたる家は原発事故を題材とした映画です。
あまり難しいことは考えられなくてもわかってる事は
現在、日本に人の住めない土地があるんです。
それはこの先何十年も、いやそれ以上住めないかもしれません。

【収束】ってなんですか?
避難してる人たちが無事に帰宅できて、笑ったり泣いたりして
普通に生活できるようになって、【収束】って言えるんじゃないんですか?
今の状況のどこが収束なんですか?

私たちは何をすべきなのか?
どんな行動を起こさなければならないのか?
朝日のあたる家が教えてくれると思います。
そして、この映画が日本人の心に響き、
原発事情にメスを入れることが出来るのを切に願います。


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原発事故を描いた映画「朝日のあたる家」ー感想「マスコミでは絶対に扱われない事実が描かれている」 [【再掲載】]

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*小田原上映を支える方より*

なぜ、私がここまで「朝日のあたる家」を応援しているのか。
それには明確な理由があります。

それは、「朝日のあたる家」が、福島の現実を、
特に健康被害にまで踏み込んで描いているからです。
これは、今、 一番隠されていること、タブー中のタブーなのです。
マスコミでは絶対に取り扱われない事実。

私は、2年間、ひたすらネットで情報を集めてきましたが、
ネットでも、この話題に触れている人
(特にフォロワーが多いツイッターアカウントや、アクセスの多いブログなど)は、
ものすごいバッシングを受けています。

それは、尋常ではなくて、明らかに組織的な介入が感じるものです。
そんな中、太田隆文監督は、今まで商業映画を撮って来たにも関わらず、
もう2度と商業映画が撮れなくなる、という周りの忠告を無視し、
遺作になってもよいという覚悟で、この映画を作ったということは、
凄いことだと思うのです。

そして、何より、この映画を、フクシマの真実を知らない人
(つまり、ほとんどの 国民)に一人でも多く観てもらうことが、
何より大事だと思っているのです。

「事実を知って、原発に賛成する人などいない」

これが、私の活動のモットーです。
事実をいかに知ってもらうか。
そのために活動しています。

知らない、気づいてない人にこの映画を届けるためには、
まず気づいている人が映画を観て、上映してくれる映画館を増やし、
取り上げてくれるメディアを増やす必要があります。
「そのうち観よう」と思っていらっしゃる方、ぜひご覧になって下さい。

そして、お知り合いに、直接お声掛けして下さい。
何よりも口コミが強いです。
よろしくお願いします。

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日本人は考える力がない?② 国策教育で経済大国になったが、その人材では不況から逃れられない [【再掲載】]

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「日本人は考える力がない?」②
国策教育で経済大国になったが、その人材では不況から逃れられない

なぜ、日本人は考える力がないのか? その現状はここ何回か記事にした。一時は経済大国として「ジャパン・アズ・ナンバー1」と呼ばれた国であり優秀な国民なのに? そして本当に考える力がないのか? 検証したい。

日本の教育は優秀で文盲率がほぼゼロだ。つまり文字が読めない人はほとんどいない。留学時代に教師に言われたが、アメリカでは文字が読めない人が結構いる。それに対して日本は文章が読めるのはもちろん、足し算、掛け算は暗算でできる。これもアメリカ人が聞いたら驚愕する。分数ができたら「天才」と言われる。

やはり日本人は優秀?

でも、これらは文字が読め、計算ができると言うだけのこと。日本の教育を考えてみよう。僕の高校時代。科目は現国(現代国語)、数学、化学、日本史、英語R(リーダー読み)、英語G(グラマー文法)を中心として学年で多少変わる。古典、漢文、体育、美術(あと音楽、書道と3つから選択)、武道などもある。

大学受験、文系なら現国、日本史、英語が重要だった。それ以外のものは「どーでもいい!」という風潮が生徒にもあった。では、それらメイン科目の授業を思い出してみよう。

現国は近代の文学を取り上げていた。

夏目漱石、森鴎外、太宰治等、新しいものでは北杜夫があった。それらの小説を教師が解説、その文章は何を表現しており、どのようなことを伝えようとしているかを教えてくれる。また、小説に出てくる漢字、熟語、慣用句、等を覚えさせられた。

現代国語なので、目的は近代の小説等を味わい。その意味や主張を理解し、文学の世界を堪能し、読解力や感受性を育てると言うことだと思えた。が、テストになると教科書で習ったのと同じ小説の一部が出て、教師が教えてくれた意味や意図を質問してくる。つまり、読解力ではなく、授業で教わった通りに答えを書けばマル!になる。

あとは漢字や熟語の読み方。

意味。つまり、現代国語と言いながら、記憶力なのだ。「すでに教えられたことを覚えているか?」「その通りの答えが出来るか?」それが当時の現国だった。本当の意味での「読解力」や「文学を味合う感性」は問われない。

英語の授業では

「発音」や「イントネーション」は問われない。ベタな日本語英語でオーケー。教師も日本人なのでネイティブな発音はできない。メインは翻訳だ。英語の文を読ませて、それを日本語にする。単語の意味を問われる。題材はシェークスピアやオ・ヘンリーの短編小説があった。それが「R =リーダー」。

もう一つの「G =グラマー」の授業は文字通り文法。現在完了形。現在完了進行形。過去進行形等の文法を教わる。こちらも発音やイントネーションは関係ない。文法を覚えるだけ。つまり、英語文法を覚え、それに従って英文を翻訳する。単語の意味を覚える。それが英語の授業。英会話もない。自分の思いを英語で表現することもない。ディベートもない。

単語の意味を暗記する

文法を覚える。その文法を使い英訳という作業をする。それを間違いなくすることが「英語」のテストで高得点を取れる。だから、10年勉強しても英会話はできない。外国人が話す英語を聞き取ることもできない。そもそも、英語の授業というのは翻訳家を育てるのではなく、外国語を学び、海外の人とコミニュケーションができるようになり、視野や見聞を広げるための英語教育ではなかったか?

現国、英語以外の授業も同様

数学も、古典も、日本史も、暗記が中心。教えられたことを再現できるか?それをテストで試される。鋭い方はもう、お分かりだろう。これはあることを目的とした訓練になっている。特定の職業のための能力がどれだけあるか?を測るのが、日本の学校教育なのだ。

その成績で大学が決まり、その上位にある大学を卒業をした者を採用すれば、与えられたことを確実にこなし、記憶力優秀なビジネスマンとして働いてくれる。つまり、優れたサラリーマンになる人材を育て、選別するのが日本の教育システム=学校教育なのだ。その優秀な人材を国や大企業が使って、政治や経済を動かして行く。それによって経済大国を目指す。戦後の復興を進める。

それが国策として行われて来たのが日本という国。

その政策は機能し、一時は世界1の経済大国にまでなった。が、世界は変わった。バブル崩壊、リーマンショックで、それまでの発想では立ち行かなくなって来た。なぜか?

日本人は与えられたことはできるが、与えられないことを自分で考える力が育っていない。状況を把握し、新しい方法論で問題を解決することに不慣れなのだ。過去の方法論でしか対応できない。その結果がこの20年の不況。なのに、今も国策教育を続けている。そのこと。次回も詳しく説明する。


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