SNSは国民に不満を吐かせるための受け皿?=翌日から我慢してまた仕事をさせるためのツール? [社会政治]
SNSは国民に不満を吐かせるための受け皿?=翌日から我慢してまた仕事をさせるためのツール?
昔は多くの人がテレビを見ながら「こいつ本当にバカだな」「へーー酷い事件だな」「その球が打てねえのか!」とぼやいていた。ブラウン管を通して局には言葉は伝わらないのに、ぼやく。
何の意味があるのか? これはテレビ時代から言われたことだが、「タレントはバカだから、バカをやるんじゃない。バカを演じることで人気を集め、高いギャラをもらうためにやっているのだ」それに気づかず多くが「松村、本当にバカだよな〜」とか言いながらバラエティ番組を見ていた。
そのことで学校で成績が悪くても、会社で業績が悪くても、自分よりもっとバカな存在を見ることで安心し、優越感を持つことができる。まあ、それがテレビの役割でもあった。それを確認するために誰に言うでもなし、言葉にしてしまう。
「タレントって本当に、何も考えてないなあ! 俺の方が遥かにマシだよ」
同じことを今、人はFBでやっているのではないか? 「小池、本当にクズだな」と書くことで「俺の方がマシだよ。俺が知事ならこんなことはしない」と感じ。自分は愚かな存在ではないと確認。だが、それが高じて正義中毒になる。
確かに政治批判は大切。声を上げることは重要。しかし、FacebookやTwitterはそんな風に批判をすることで満足し、また我慢して生活していくための緩和メディアになってはいないか? それが政治や社会に対する不満の吐口ならまだいいが、もっと低いレベルでの吐口になっているような気もする。
昔なら会社帰りに居酒屋で、上司の悪口を言う。でも、仲のいい同僚がいない。1人で作業する人、あるいは内気な人たちは悪口を言う相手もいない。自宅に帰ってSNS で政治家批判。有名人を中傷。著名人の揚げ足取りをする。そのことで欲求不満の解消。自分の名前や顔は晒さずに、安全地帯から批判。罵詈雑言。政治家を攻撃することで、賛同する人も出てくる「いいね」「シェア」ー傷ついた心が癒される。俺って凄いのかも?
調子に乗ってあれこれ書く。会社ではダメな俺が、社会に切り込んでいる。悪徳政治家と戦っているんだ!と感じる。ま、悪口言ってるだけなんだけど....充実感が持てる。革命家か?レジスタンス活動をしている気分。やがて、政治家以外にも目を向け、攻撃を始める、FBで自分と違う意見。あるいは世間で言われないことを主張する人を見つけると、批判コメント。ブロックされたら「逃げたな?俺の勝ちだ」と考える。
何かFacebookやTwitterは歪んだ吐口を求める者の受け皿として作られた部分もあるのではないか? そこで毒を吐くことで、本当の意味での批判はしなくなる。政治家を攻撃するのではなく、市民同士で争うように仕向けている部分もあるような気がする。本人はジャーナリスト気取りでいい気分。それに気づかない。そんなことを考える。
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