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567の脅威はすでに終わっている=ホントは枠てん要らん説? [コロナウイルス]

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567の脅威はすでに終わっている=ホントは枠てん要らん説?

テレビや新聞。最近は567で死亡した人の具体的な報道はほぼされていない。昨年の志村けんや岡江久美子のような悲しい報道はない。感染した芸能人で死亡した人は聞かない。皆、すでに完全回復して元気にしている。なぜか?もしかしたらウイルスの猛威は衰えているのかも。

しかし、567は怖いよ! 感染爆だよ!と国民をビビらせたい人たちがいる? だからマスコミが感染者数のみを発表。そんな数字はPCR検査を増やせばいくらでも上がる。1%の誤差がある検査法。陰性でも1%は陽性と出る。1万人検査すれば100人はミステイク。5万人検査すれば500人の陽性者が誕生する。

視聴率を取りたいマスコミ。テレビ朝日のようなところは恐怖を煽り、視聴者を追い詰める。国民は出口を探す。そんなところに「枠てん接種が始まります〜」通常、開発には3年5年の歳月がかかる。それが1年ほどで? 副作用や死亡者の例をたくさん聞く。説明書を読めば「効果は分からん」「何が起こっても知らんで〜」と言う意味のことが書かれている。

完全に警告だ。それを読まずに、その意味も理解せずに、接種する人たちがいる。なんか、全て仕組まれているような気がする。最初から枠てんは用意されていた。もちろん予防効果はない。目的は別にある。それを国民が積極的に打つように、恐怖を煽るために生物兵器を使う。ファウチ博士が中国武官の研究所に委託した新型567を使ったものだ。

でも、人工のウイルスは寿命が短い。サーズも1年ほどで消滅した。567もすでに?だから、具体例をマスコミは報道できない。だが、昨年の恐怖がまだ効いている。そこで枠てん登場!「おー天の助け」と群がる。全て仕組まれているように思える。見事な計画。ビルの笑い声が聞こえてくる。すでに海外のメディアは生物兵器説を報道している。wジャーナル。ワシントンポスト 。報じないのは日本のメディアだけ。むしろ、感染危機を煽る「モーニングショー」と言う番組まである。

ミステリー小説の論理で考えてみよう。得をするのは誰か? もし、接種で多くが死亡した場合。政府はとても助かる。接種するのは高齢者が多い。年金を払わずに済む(使い込んでほとんどないし)福祉の予算を削減できる。それらを合わせると莫大な予算を別のことに使える。日本の経済再生に回せる。菅がそれを計画したとは言わない。が、黙認。協力しても損はない。計画したのはビル君といあれている。ただ、これはよく言われる説でしかない。あれこれ考えて欲しい。


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映画監督の仕事は娯楽作品を作るだけではないーマスコミが伝えない真実を伝えるのも仕事? [映画業界物語]

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僕はジャーナリストではない。映画監督だ。映画館で2時間の間、ドキドキ、ワクワクして、感動。泣ける作品を作る。文芸作品と言っても退屈なものは作りたくない。テーマは「親子に伝える大切なこと」「幸せって何だろう」というもの。題材はエンタテイメントでも、そのテーマを毎回語っている。

原発事故の悲劇を描いた映画「朝日のあたる家」を作ってからは社会派作品も手がけるようになった。昨年公開の「ドキュメンタリー沖縄戦」もその路線。劇中で紹介したエピソードは新しく発掘したスクープではないが、多くの人が知らない衝撃の事実が多数あった。いかにマスコミが報道しないか?伝えないか?ということ。毎年、夏になると終戦記念日前後にいろんなドキュメンタリー番組が放送されるが、多くが上部だけ。政権に都合の悪いことには触れない。悲しい歴史の1ページ的なノリで、責任追及や原因解明はしない。

映画でも沖縄戦で有名な作品は「ひめゆりの塔」と「沖縄決戦」しかない。他にも少しばかりあるが、多くの人は知らない。「沖縄決戦」でさえ映画ファンでも知らないことが多い。広島、長崎の原爆。東京大空襲。真珠湾奇襲、ミッドウェイ海戦。多くが映画やドラマ、漫画になっているのに、沖縄戦が描かれないのはなぜか? だから現在も続く沖縄の苦悩に多くの人が無頓着なのだ。

その背景にあるのがマスコミも、映画も、ドラマも、漫画も、沖縄戦を伝えないということ。伝えると都合の悪い人たちがいるということでもある。当時、軍は沖縄で何をしたのか? その軍に命令した大本営は何を考えていたか? それを多くに知られたくない人たちがいる。封印しておきたい団体がある。再び戦争をしたい勢力にとっては、その辺を知られることを危惧する。歴史を書き換え、日本軍は素晴らしかった!としたい人たちもいる。

だから映画も、ドラマも、漫画も、沖縄戦に触れずらいのだろう。テレビや大手映画会社はしがらみがある。基地問題にも繋がる。だから慰霊の日も上部だけしか報じない。「ドキュメンタリー沖縄戦」はそれを破る作品を目指した。実はかなり危険な作品。テレビでは絶対に作れないドキュメンタリーだ。それを映画館で全国公開すれば、嫌がる人たちも出てくるだろう。邪魔もされるはず。

ましてDVDにして全国でレンタル。地上波、ケーブルで放映されたら堪らない。映画館公開どころでない反響がある。多くの日本人が沖縄戦を知ってしまう。実際、見てくれた人のほとんどが「知らなかった。ここまで酷いことが行われていたなんて...」と驚愕したという。そして誰もが「多くの人が見るべきだ!」という。逆に「これを見せてはヤバイ」と思う人たちもいるだろう。「主戦場」も未だにDVDになっていない。あちらはあれこれ事件になり、話題になったが、内容的にはこちらも近いものがある。よく、特殊な団体が街宣車で来なかったなあ?と内心思っていた。

公開をほぼ終えたとき考えた。映画監督の仕事はエンタテイメントでお客を楽しませることだけではなく、封印された、多くが知らない現実を全国に伝えるという仕事もあるのだと。本来、それはジャーナリズムの仕事だが、テレビ、新聞はすでに、その使命を果たすことができない。巨大組織は管理され、政府の広報機関でしかない。が、フリーの映画監督がインデペンデントで作るなら、真実を伝える作品作りがまだ可能だ。

そんな仕事も、今の時代は映画監督の仕事の一つなのだろう。幸い、僕は失うものはない。妻も子もいない。コンクリート詰にされて東京湾?ーーでも、止める気はない。「朝日」のときから、その覚悟でやっている。だが、敵は様々な手で足を引っ張り、真実を伝えるのを止めようとする。心なき人たちがあれこれ、陰口を振りまいている。でも、心ある人たちの支援や応援があれば出来る! 戦いは続く。


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監督第1作「ストロベリーフィールズ」 その時代から応援してくれている方から [2021]

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僕の監督第1作「ストロベリーフィールズ」

その時代から応援してくれている方から頂きました。

バレンシア・オレンジです。

あれから16年。

毎年、本当にありがとうございます。

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山本太郎を支えるものは何か?=彼はなぜ自分を批判する愚かな人たちをも、守ろうとするのか? [原発問題]

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山本太郎を支えるものは何か?=彼はなぜ自分を批判する愚かな人たちをも、守ろうとするのか?

山本太郎を支えるものは何か?=彼はなぜ自身を批判する愚かな人たちをも、守ろうとするのか?

時々、疲れ果てて未来が見えなくなることがある。滅多にないが、5年か10年に1度ある。信じてやって来たことに意味があったのか?と思えることがある。映画監督として今後は「原発や沖縄戦ではない、一般企業が資金を出しやすい映画を作ればいいか?」と考えることがある。繰り返してはいえけない歴史を伝える重要な作品ができても「劇場公開しない。DVD化しない」と言い出す団体。さらに地元自治体に煮湯を飲まされてまで、続ける意味を考えしまう。残るのはいつも多額の借金だけだ。

そんなとき思い出すのが山本太郎だ。よく彼は心折れないで、頑張っている。自公に攻撃されるのはいい。悪の権化だから。ただ、以前に彼を応援していた人たちが批判するのは見ていて悲しい。支持を止めるのは自由だが、一時は応援していた人を誹謗中傷する心が分からない。それも的外れ勘違い、デマに誘導されて攻撃する人もいる。見ていて辛いが本人はもっと辛いだろう。

そんな彼は国政を変えたい人。国民のための政治をしたい。でも、東京都のコロナ対応が許せなくて、苦しむ都民を守りたく、昨年の都知事選に出た。本心は国会議員になって日本を良くしたいのに、出てしまった。彼らしい行動だが、本当は出馬の必要はなかった。でも、じっとしていられなかった。一緒に映画を作り、彼がそういう人であること。僕はよく分かる。目の前で苦しむ人を放っておけないたちなのだ。

彼は総務省と徹底して話し、月10万円の給付金は可能だと確認。それから出馬した。そうしたら「後出しジャンケン」と批判され「刺客」と言われた。ライバル候補となった盟友には彼が出馬宣言する前に自分も立候補すると伝えている。後出しではない。それを知らない人たちが「汚い!」「ずるい!」と批判した。何の確約もなく、美しい言葉を上げるだけの候補もいた。だが、太郎は確約をとってから出馬。できない公約を掲げたくなかったのだ。

だが、多くの都民は街頭演説もしない。前回の公約で果たしたものはゼロ。地上波のテレビ討論出演も拒否した小池百合子を選んだ。ニュース番組に出てカタカナ言葉を並べて、コロナ対策やってる感出してているだけの狸に多くが投票した。ある番組の街頭インタビューで年老いた女性が答える。「山本太郎? 言うんだけなら何でもいえますからね〜」背景をまるで分かっていない。彼の街頭演説を聞いたこともないだろう。その人に聞きたい。「だったら、あなたは誰に投票したんだ?」

その都民は今、コロナで苦しんでいる。4回目の緊急事態宣言。その上、オリンピックを強行開催。世界から選手やマスコミもやってくる。当然、新種ウイルスや別株がついて来るだろう。太郎の公約であった月10万円給付は当然、行われず。居酒屋はまたアルコール販売自粛を要請された。売り上げがさらに減る。従わないと金融関係から圧力をかけると脅迫する政府。そんな中、公務を投げ出して入院した小池知事。退院した途端「倒れてもやる」と宣言。いや、もう倒れたでしょう?

そんな知事を選んだのは都民だ。なぜ、都民のことを考えて、国政に戻りたいのを止めて都知事選に出馬した太郎より、緑のタヌキを選んだのか! そして、そんなひたむきな太郎を多くの人が批判するのか!「あんたら攻撃する相手を間違ってるぞ!太郎さんもいい加減。そんな国民を見捨てればいい!」とさえ思える。守りたい人たちが批判するのなら、もう守らなくていい。大変な目に遭って貰えばいいのだ。

なのに彼はいう。「そんな、あなたも守りたい!」彼の思いを支えるものは何か? 金や名誉のためーではないことは分かる。政治家を長く続けたいだけの、どこかの党首と違う。では、何のために? これほど汚れた日本と、私利私欲のためにしか動かない政治家たち。そして何より、そんな連中に誘導されて自分で自分の首を閉める国民。希望が見えない。そんな国で太郎は何を支えに戦っているのか?そんなことを考えてしまう。


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議論のできない日本人が多いのに、素敵な「友達」が訪ねてくれた? [FB問題]


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議論のできない日本人が多いのに、素敵な「友達」が訪ねてくれた?

昨日の「ドキュメンタリー沖縄戦」舞台挨拶にFB友達の方が何人か来てくれた。そのお1人が終了後に声をかけてくれる。いつもコメントをくれる常連さんだったので、時間をもらいお茶。FB友達はいろいろ。頭脳明晰。情報豊富。理路整然とめっちゃ鋭い方から、筋の通らぬイチャモンをつけて、上から目線、感情的で思い込みの激しい方まで多種多様。昨日の方は前者。情報豊富で理路整然。お話ししていて楽しかった。

以前に記事にもしたが、日本人は議論が苦手。本来の意味を知らずに、勝ち負けにこだわる人が多い。感情的になる。最後には人格攻撃。議論しても嫌な思いをするだけ。それはアメリカと違い子供の頃からディベート教育を受けておらず、議論を戦わす意味や方法を学んでいないから。そのFB友達。そんな教育を受けていた訳ではないが、それらを把握した方で、意見を聞いてもなるほどと思うことが多い。

僕はアメリカの大学でその種の授業を受けたことがあるし、仕事柄、議論をせねばならないことが多い。だが、多くの人はディベートを学ぶ機会はあまりない。なぜ、その「友達」はそれを把握しているのか?と聞いてみると、大学の専攻が「法律」であり、お仕事が「論理性が不可欠」なものだという。そういうことか!と感心した。どちらの分野も「感情」ではなく「論理」が優先されるもの。そんな背景をお持ちだったのだ。

567感染から、寅梅騒動、オリンピックまで。マスコミ報道では絶対にしない情報も把握されており凄いと思った。ディベートで大切なのは情報と知識。そのレベルが近い者同士でないと成り立たない。1人が圧倒的知識があり、もう一方にそれがない場合。議論ではなくレクチャーになってしまう。FB上でよく議論を挑む人、反論してくる人がいるが、彼らの知識がどのくらいか分からない。それどころか年齢、学歴、背景、職業も分からない。

しかし、彼らは僕の職業も、年齢も、経歴もプロフィールで知っている。意見を綴った記事も読んでいて、それを読み「分かってねえなあ。教えてやるか!」と、どこかで聞きかじった情報を鵜呑みにして挑んでくる。それでは議論にならない。彼らは顔写真も出していない。年齢も職業も分からない。そんな人に対して、的確な例題をあげることができない。なのに、あれこれ言ってくる。

「陰謀論だー」「****さんはもうダメだな」「***なんて存在しないんだよ!」

できたら、そんな人たちには1から解説、いかに間違ったことを主張しているか?を説明したいくらい。だが、背景の分からない人にそれをするのは、とても難しい。途中で取り乱し、嫌な思いだけして、無意味に終わることが多い。

なので、論理性を重んじて、知識もある人と、ここ1年くらい考えている件の意見交換できるといいなあ〜と思っていた。昨日の方はまさに理想の存在。長々と話してしまった。本当に感謝感謝。議論は勝ち負けではなく、自分の意見を伝えることで、自分の思いが明確になることも大きい。1人で考えると、矛盾に気づかないことがある。客観性を失う危険性もある。意見を相手に伝えることで、また知らない情報を提示されることで、見えなかった側面が見えて来たりする。

おかげで、抱えていたいくつかの疑問が解けた。それはまた記事にして紹介する。その「友達」には本当に感謝するばかりだ。



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望月記者のアカウントを停止したTwitter社!FBに続いてまた!言論封殺 [マスコミ問題]

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望月記者のアカウントを停止したTwitter社!FBに続いてまた言論封殺!

東京都議会選投票日の前日。オリンピック反対候補を応援する人たち。シェアが出来なくなった。FB社が制限したからだ。ーTwitter社も負けじと、望月記者のアカウントを止めている。彼らの使命がよく分かる。

個人に自由な発言の機会を作り、多くにそれを知らせるメディア。Facebook、Twitter、YouTube。マスコミを頼らずとも、大切なことを主張できる。が、それは建前。そんな場を個人に与えておき、体制に不利なことを言い出すと口を塞ごうとする。それが彼らビッグテックのやり方。

自由な発言ではない。国民を誘導するためのツール。その代表がこの3社。その彼らが今、アメリカで訴えられているのが興味深い。反撃喰らって事実が暴露されて、ヤバいことになるだろう。


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久々に雑誌を読み、その内容の無さに驚愕!=もはや出版業界の限界? [マスコミ問題]

久々に雑誌を読み、その内容の無さに驚愕!=もはや出版業界の限界?

髪を切りに行った。以前は店にいろんな雑誌が置かれていたのだが、今はiPadがあり、それでいろんな雑誌が読めるようになっていた。「週刊文春」「週刊新潮」「週刊プレイボーイ」「SPA」「FRIDAY」その他、女性週刊誌も多数。仕事でパソコンを使うが、どうしても読書だけは今も紙でないとピッタリ来ない。だから、本はkindleではなく、紙の本を買う。

話はそのことではなく、いい機会なのでいろんな雑誌を読んでみた。この10年ほど、雑誌を読むことがほとんどない。れいわ新選組の記事でも出れば買って読むが、それ以外は読まない。なので、今はどんなことが書かれあるのか?興味惹かれた。

ところが、今時の雑誌って何と退屈な記事にしか載っていないのか? 昔はテレビでは扱えない事件や背景を掘り下げるものがあったのに、なんてことないものばかり。567、菅内閣支持率低下、枠てん、芸能人の不倫。567後の仕事。ほとんどYahoo!ニュースと変わらない。コラムを読んでも著名人が無難なことを書いている。クレームが来ない。訴えられない。炎上しない。批判が来ない。そんなものばかり。「567は生物兵器だ!」という指摘はない。

つまり、多くの人が受け入れやすい、無難な記事ばかり。まあ、テレビ報道のようなもの。対してネットではその辺を流した上に、TwitterやFacebookでは個人が鋭い指摘。あるいは支離滅裂の説を主張している。テレビや雑誌が取り上げると大波乱になりそうなものもネットには存在する。個人の意見であり、名前も顔も隠しているからできる主張もある。そして、そちらの方が断然面白い。

事実かどうか?ではない。とんでも論の中には大嘘、デマもあるが真実もある。それを見抜くのは我々の才覚。対して雑誌は文句の来ない。無難な記事ばかり。おまけに金を払わねばならない。(この時は店が契約しているサイトをiPadで見たので料金いらず)ネットはタダだ。もう、出版文化は終わるな。。。。と痛感した。

雑誌は立場的に書けないこと。訴訟される。雑誌はクレームが来る。余程、確証がないと記事にできない。対してネットではマル秘情報を持っている人が名前を隠して記事をあげることもできる。デマも多いが、そこから宝探しする方が面白い。ここ数年。そんな生活に慣れてしたので、雑誌って、なんと詰まらないものか?と思えてしまった。

実は僕も90年代は雑誌ライターで3〜4誌で連載やレギュラーをさせてもらった。そんなこともあり、Facebookに毎日、あれこれ書いている。当時に学んだこと、今生きている。表現。書く力。伝える力は熟練しないと育たない。編集さんに厳しく指導されたのと思い出す。そのお陰で、今も記事を書く。Facebookでもブログでも、僕が書くような内容はメジャー雑誌では絶対に書けない。寅問題でも、567でも、オリンピックでも、まず編集会議で却下される。いろんな意味で問題を指摘されるだろう。

でも、ネット時代になり、それがアップでき、多くが読んでくれる。ブログは毎日1000件アクセス。Facebookは5000人ほどの「友達」がいる(まあ、100分の1くらいしか読んでくれてないと思うが)雑誌の購買者数に比べれば微々たるものだろう。でも、毎日読んでくれる人がいるのは、やはり新聞や雑誌が詰まらないからだろう。無難なことしか書かない。裏付けの取れた信憑性のあるものしか記事にしない。スポンサー批判はできない(だから、聖火リレー批判できない)その辺で雑誌を読む必要性がなくなってきているのだろう。これも時代なのだ。


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ドキュメンタリー沖縄戦 2021年上映館情報 =キネカ大森(東京) 7/9(金)〜7/15(木) [沖縄戦]




ドキュメンタリー沖縄戦 2021年上映館情報


#キネカ大森(東京)
7/9(金)〜7/15(木)   日曜に監督の舞台挨拶予定

#京都みなみ会館
時期調整中

残念ながらDVD発売、衛星放送、ケーブル、プライムでの配信予定は現在のところありません。
ずっとないかもしれません。


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緊急事態宣言の居酒屋とユニクロで感じたこと?=オウム信者以下となった日本人? [コロナウイルス]

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緊急事態宣言の居酒屋とユニクロで感じたこと?=オウム信者以下となった日本人?

ある食堂へ行った。「休業中」との表示はないので、中に入る。おばさん達が掃除をしており、「は?」という顔をする。「店やってませんけど〜」と当然のように言う。休みの日ではない。緊急事態宣言の休業要請を受けてのことらしい。

本来なら「すみません。都の要請で自粛しています〜」と言うべきだろう。通常なら営業している日なのだから。それが「やってませんけど」と当然のように言う。迷惑そう。「店閉めているのに入ってくるな!」と言う感じ。だが、表に「休業日」の札はない。

                    *

次の緊急事態宣言のとき。ある居酒屋に行った。休業しているところもあるが、やっているところもある。「営業中」の看板。でも、アルコールは出していないところもある。表にそんな表示はない。「飲み放題コース」の看板もある。扉を開けた。店のおばさんが走っ出てきた。念のために聞く。「ビール。出してますか?」おばさんは当然のように答える「料理のみ、提供しています」はあ?ここは居酒屋だろ?

それなら「申し訳ありません。都から要請でアルコール販売を控えています」と言えば、そうか、この店も大変だね?と思うのだが、「料理のみ、提供しています」と日頃からいつもそうであるように言われると「いつも酒出してるやろ!」と言いたくなる。

アルコールを提供できない店はかなり客が減っていると聞く。都の要請はかなりの打撃のはずだ。辛そうに「今、ビール出せないんですよ」と言えば同情もするが、涼しい顔で「料理のみ、提供しています」と前からそうであるかのように言われる。二度と来るか!と思ってしまう。ここは都庁経営の店か?どこを向いて商売している。

そこは大手チェーン店。店員はアルバイトのはず。店長から言われたことをそのまま言っているのだろう。だとしたら店長の気が知れない。ビール出さないと売り上げ落ちるはず。表に「飲み放題」の看板まで出して「アルコールは販売していません」との張り紙もない。

店員には「すみません。今、アルコールはお出しできないんです」と言うように指示すればいいのに「料理のみ提供しています」と言わしている。まるで役所のセリフ。客商売とは思えない。そこで思い出したのが先の店。あちらは個人店だったが、同じように営業できないことへの不満が微塵もなかった。都に言われたことを不満も反発もなしに受け入れているようで、休業中との札も出さず、来店した客に不満そうに「やってませんけど〜」と言ってしまう。

                    *

ユニクロでも似たような経験をした。店に入ると検温と消毒を要請される。ショッピングセンター内の店だ。入り口ですでに検温と消毒はしている。

だから、ユニクロにはそのまま入ると、若い女性店員が大きな声で「すみません!すみません!検温のご協力ください!」と言いながら追いかけて来る。ご協力と言いながら、「検温しないなら入らないでください」と言いたいかのようだ。

どの店の店員にも言えることだが、上から言われたことをそのまま客に言っている。ビールが出せないこと、消毒や検温をお願いする申し訳なさはなく、当然だと思っているようだ。若い女性からおばさんまで。昔から男性社員では上から言われてことしかできない輩ー会社に完全に組み込まれたようなタイプがいた。

が、昔から女性は自主性があり、自分は自分。会社は働く場所。「私は歯車ではない」というタイプが多くいた。「いずれ結婚してやめるし〜」と言う思いがあったからかも知れない。が、ここしばらく接した女子社員。アルバイトを含めて、客の立場を考えない、上から言われたことを平気で客に要求するロボット社員が多いと感じた。

彼女らが働く店は「酒を売ってお客に飲んでもらう」ための場所。それが出来ない悔しさがない。お客に酒を楽しんでもらえない申し訳なさが感じられない。モール内では何度も何度も消毒させられ、手が荒れる人もいるのに、大声を出して客を追い、検温を迫る女子店員も、上から指示されたこと以外のことを考えていないと思える。

                       *

以前に記事にした誰もいない大通りで「マスク外すな!」と言って来たオヤジ(70代)も同様。テレビで「マスクをしましょう」と言われれば鵜呑みにして、会ったこともない他人に、誰も歩いていない大通りなのに強制する。思い出すのはオウム真理教の信者だ。

尊師・麻原彰晃が言えば、白も黒と信じる信者たち。理由や意味は考えない。サリンを撒けば大変なことになるのに、平気で実行した。それと似たものを感じる。当時「俺はオウムなんかに入らない自信がある」と言っていた人たちがいたが、今の日本は国民総信者と思える。

その背景にあるのは何か? 何度も何度も記事にしてきたが「考える力」を育てない日本の教育だ。「1853年ペリーが浦賀に来航」と教えられれば、そのまま記憶する。背景とか流れとか、関係ない。そんな記憶力を競うだけの教育。与えられことをするだけの授業。「考える力」が育っていない日本人だらけになっていると言うことだ。

考えれば分かるが、今、日本人でマスクはしていない人はほぼいない。それでも感染は広がっている。と言うことはマスクは無意味と言うこと。そのマスクを入店時に強制。検温までさせて。行政に要請されれば、抵抗もなく酒販売や営業を自粛。社長は頭を抱えているだろうが、店員やバイトは何も感じていない。

上司も無神経な客への対応法しか指示していない。「都の要請だから仕方ないでしょう?」と言う割り切り? 酒場での感染率はわずか8%だ。なのにあれこれ自粛させられるのは、政府がアホ。飲食業を生贄にしているだけ。それなら満員電車を止めろ!でも、しない。

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飲食業はそんな踏みつけに遭っている。それに気づかず。「営業してないんですけど」「料理のみ提供しています」「検温の協力お願いします!」と言う店員たちは本当に愚かで、悲しい。オリンピック、枠てんも同様。誘導され、利用され、自らの首を締めているだけ。オウム信者以下だ。

政府が「敵が攻めてきましたから戦争始めます」と言えば、皆、右向け右だろう。救いようのない哀れさ。日本人はそこまで来てしまったようだ。


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コメント欄に長々と批判や主張を書き込む困った「FB友達」=彼らの背景を分析してみた? [FB問題]

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コメント欄に長々と批判や主張を書き込む困った「FB友達」=彼らの背景を分析してみた?

困ったちゃん。というのは尽きないものなのか? ある「友達」が最近、あれこれ批判を書き込むようになった。1〜2年ほど前からのfb友達だが、面識はない。日頃から伝えているように質問には答えない。それは定期的に告知している。FBを始めた頃は答えていたが、やがて午前中はずっとパソコンの前となる。今は5000人ほどの「友達」とても対応できない。何度もトラブルになった。

質問どころか、あれこれ批判して来る奴もいる。「批判、反論はいらない」とも何度も告知してるのに書き込む。昨年暮れからはトランプ批判。そんなことは自分のFacebookで書け! 一時期は山本太郎さん。根も葉もない噂で誹謗中傷。そんな奴は一瞬でブロック。誰を支持して誰を批判するも自由だが、書きたければ他人のサイトでなく自分のページでやれ。

ある時、なぜ、そんな非常識なことをするのか?と考えた。自分の思いを家族に告げるのは分かる。が、他人の家に行って「俺は山本太郎は支持しない」なんていう必要はない。まして、太郎支持の家庭に行って言わない。それをFacebookではしてしまう。先日、ブロックした人もそのタイプ。ここ続けて、批判を書き込んできた人がいる。挙句に「私をブロックしますか?」とまで書くので、お望み通りにしたのだが、その前にタイムラインを確認した。

名前とアイコンは本人だろう。年齢は表示されていないが、顔写真から70歳前後、男性。友達も4千人ほどいる。自分のFBで批判を書けばいいのに? 共通の友人は10人ほど。他の友人を見てみて驚いたのが、ほとんど外人。それも若い女性。よく申請してくる怪しい外人女性がいるが、多くがそれ! そしてタイムラインにはスポーツの記事と太郎批判しかない。あー、いつも辛口のコメントを書き込んできたおじさん、こう人だったのか? 大学も有名なところ。仕事、職歴はなし。顔写真から賢そうに思える。なぜ彼が?

想像だが、友達が少ない。タイムライン上ではコメントのやり取りはしているが、趣味のレベル。彼の満足する会話はできていないと思える。誰かと議論したい、「俺の鋭い意見を聴かせたい!」そんな思いがあっただろう。その手の人がよく僕に近づいてくる。

本当は山田洋次や大林宣彦のような大物がいいが、FBをやっていない。「有名監督ではないが、この監督はいつも偉そうに社会に対する記事を書いている」そう思って「俺の意見を聞かせてやろう」「お前の主張はおかしいだよ」とコメントしてくる。そのことで僕を打ち負かしたり、感心させて満足感を得たいのではないか?

「その辺の素人ではない映画監督を論破してやった!」てな感じ? だが、僕は質問に答えない。苛立つ。「質問には答えない」と常に告知しているのに質問する。その人は「反論を受け入れることも大事ですよ」とかコメントしてくる。以前にも同じことを言って来た「友達」がいたが、要は不満や批判を書くと削除されるからだ。自分の反論を多くの人に読んでもらい。「いいね」をもらいたいのではないか? 

本来、それは自身のFBでやるべきことだが、彼の「友達」は美女ばかり。日本語もできないだろう。以前、絡んで来た「友達」は友達がいない。外人だけでなく日本人の友達もいない。寂しい。その手の人は意外に多い。退職して会社に行かない。奥さんには相手にされない。

近所に友達もいない。寂しい。社会に物申したい。それなりの論客だと思っている。が、多くは文句が多いだけ。相手の気持ちを考えずにズバズバいう。だから、現実社会でも友達が少ない。それをFBでもやる。友達は出来ず、本人は「誰も俺について来れねえなあ〜」と勘違い。でも、友達がいないので誰も指摘せず、勘違いが延々と続く。そんな背景がある人たちだろう。ー

そんな人たち。ようやく見つけた映画監督。「結構、分かっているじゃないか? じゃあ、この件はどう思う?」と質問するが答えなし。次第に苛つき。正面切って個人批判を始める。「お前は***が分かっていない」「努力が足りない」それはアウトだといつも告知しているし、本人も把握している。それでも一線を超えるのは、寂しさを癒せない苛立ち。そして自分の優越を確認したい気持ちが異常に強い(裏を返せば「俺は優秀でないかも...そんなことはない...」という不安も強い)からではないか? 

ただ、僕はカウンセラーでもなく、心のケアの仕事をしている訳でもない。それでなくても時間はない。社会正義のためにFBをやっているわけでもない。基本は自分の映画の宣伝。あとは思ったことを綴っているだけ。興味ある人は読んでくれればいいし、「何だこいつは!」と思えば「友達削除」すればいい。友達を増やそうとか、趣味について語り合おうとか思っていない。

人ぞれぞれ、FBの使い方は違う。そこに「ワシと話をしよう。ワシの意見は鋭いぞ。お前も納得するはずだ」という「構ってちゃん」が来てしまうということなのだろう。気の毒とは思うが、お相手する余裕はない。以前は注意や説明をしたが、今は「お願い」を無視した段階で、即「友達削除」あるいは「ブロック」している。ご理解いただきたい。


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