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久々に雑誌を読み、その内容の無さに驚愕!=もはや出版業界の限界? [マスコミ問題]

久々に雑誌を読み、その内容の無さに驚愕!=もはや出版業界の限界?

髪を切りに行った。以前は店にいろんな雑誌が置かれていたのだが、今はiPadがあり、それでいろんな雑誌が読めるようになっていた。「週刊文春」「週刊新潮」「週刊プレイボーイ」「SPA」「FRIDAY」その他、女性週刊誌も多数。仕事でパソコンを使うが、どうしても読書だけは今も紙でないとピッタリ来ない。だから、本はkindleではなく、紙の本を買う。

話はそのことではなく、いい機会なのでいろんな雑誌を読んでみた。この10年ほど、雑誌を読むことがほとんどない。れいわ新選組の記事でも出れば買って読むが、それ以外は読まない。なので、今はどんなことが書かれあるのか?興味惹かれた。

ところが、今時の雑誌って何と退屈な記事にしか載っていないのか? 昔はテレビでは扱えない事件や背景を掘り下げるものがあったのに、なんてことないものばかり。567、菅内閣支持率低下、枠てん、芸能人の不倫。567後の仕事。ほとんどYahoo!ニュースと変わらない。コラムを読んでも著名人が無難なことを書いている。クレームが来ない。訴えられない。炎上しない。批判が来ない。そんなものばかり。「567は生物兵器だ!」という指摘はない。

つまり、多くの人が受け入れやすい、無難な記事ばかり。まあ、テレビ報道のようなもの。対してネットではその辺を流した上に、TwitterやFacebookでは個人が鋭い指摘。あるいは支離滅裂の説を主張している。テレビや雑誌が取り上げると大波乱になりそうなものもネットには存在する。個人の意見であり、名前も顔も隠しているからできる主張もある。そして、そちらの方が断然面白い。

事実かどうか?ではない。とんでも論の中には大嘘、デマもあるが真実もある。それを見抜くのは我々の才覚。対して雑誌は文句の来ない。無難な記事ばかり。おまけに金を払わねばならない。(この時は店が契約しているサイトをiPadで見たので料金いらず)ネットはタダだ。もう、出版文化は終わるな。。。。と痛感した。

雑誌は立場的に書けないこと。訴訟される。雑誌はクレームが来る。余程、確証がないと記事にできない。対してネットではマル秘情報を持っている人が名前を隠して記事をあげることもできる。デマも多いが、そこから宝探しする方が面白い。ここ数年。そんな生活に慣れてしたので、雑誌って、なんと詰まらないものか?と思えてしまった。

実は僕も90年代は雑誌ライターで3〜4誌で連載やレギュラーをさせてもらった。そんなこともあり、Facebookに毎日、あれこれ書いている。当時に学んだこと、今生きている。表現。書く力。伝える力は熟練しないと育たない。編集さんに厳しく指導されたのと思い出す。そのお陰で、今も記事を書く。Facebookでもブログでも、僕が書くような内容はメジャー雑誌では絶対に書けない。寅問題でも、567でも、オリンピックでも、まず編集会議で却下される。いろんな意味で問題を指摘されるだろう。

でも、ネット時代になり、それがアップでき、多くが読んでくれる。ブログは毎日1000件アクセス。Facebookは5000人ほどの「友達」がいる(まあ、100分の1くらいしか読んでくれてないと思うが)雑誌の購買者数に比べれば微々たるものだろう。でも、毎日読んでくれる人がいるのは、やはり新聞や雑誌が詰まらないからだろう。無難なことしか書かない。裏付けの取れた信憑性のあるものしか記事にしない。スポンサー批判はできない(だから、聖火リレー批判できない)その辺で雑誌を読む必要性がなくなってきているのだろう。これも時代なのだ。


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