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「ユダヤ人大量惨殺ゴッコ」が許されない理由=日本にいては実感できない部分?(より詳しく) [オリンピック問題]

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今朝から日本中を走り抜けたこのニュース。数時間で担当者の解任速報が流れた。が、著名人の中にも「切り取りで批判するべきではない」等の擁護論を出す人もいた。その分野で著名な方でも島国発想から抜け出せないことを強く感じる。そもそも「ユダヤ人大量虐殺」とは第二次世界戦でナチスドイツがユダヤ人を大量に虐殺したことを指す。収容所に入れ、青酸のシャワーを浴びさせたり、大量に銃殺したりして、罪のない多くのユダヤ人を虐殺した歴史がある。

あのスピルバーグ監督のおじいさんもアウシュビッツに収容されており、手に番号を刺青に刻まれていた。そんな経験から彼はのちに「シンドラーのリスト」を監督する。同じ過ちを繰り返さないように映画やドラマで繰り返し伝えられる。が、日本人が「シンドラーのリスト」を見ても、その種の話を聞いても、「へーー酷いねえ」と他人事としか感じないのではないか?

しかし、日本にいるユダヤ人は少ない。馴染みがない。だから、「惨殺ゴッコ」と言われてもピンと来ない。それも90年代のこと。「そんなに怒ることないんじゃない?」と思う人も多いはずだ。30年前だと、まだまだ狭い日本の価値観だけで生きていたかもしれない。当時は問題にならなかっただろう。多くの視聴者は深く考えずに笑ったはずだ。

では、こういい変えよう。日本人は子供の頃から広島原爆の酷さを学校でも学び、修学旅行で訪れ、映画やドラマ、そして「はだしのゲン」のような漫画でその悲しみを学ぶ。それを外国人が「広島原爆、日本人惨殺ゴッコ」というギャグをしているとしたら、どう思うだろうか? おじいちゃん。おばあちゃんが広島出身の人もいるだろう。広島だけでなく長崎の人でも同じ境遇の人はたくさんいる。

家族や親戚にいなくても、原爆は「戦争を終わらす」という名目で、アメリカが行った人体実験である。広島に落とされたファットマン。長崎がリトルボーイ。それぞれにプルトニュウムとウランを原料にしている。その違いを知るために日本が降伏する間も無く、短い期間で落としたのである。広島だけで14万人が犠牲になっている。同じ日本人だ。

それを「虐殺ゴッコ」などというギャグとして、テレビや舞台で笑いを取った者が、世界のアスリートが集まるオリンピック開催式の演出をするというのをどう思うだろう? 国辱もの。絶対に許すことはできないだろう。

同じように「ユダヤ人大量惨殺ゴッコ」もギャグにはならない。アメリカやヨーロッパには多くのユダヤ人。ユダヤ系民族が生活している。僕も留学時代にユダヤ系アメリカ人の友人がいた。その人のおじいさんはポーランドの収容所にいたと聞く。そんな人たちが東京オリンピッックの開会式の演出をするのは「大量惨殺ゴッコ」という台詞で、笑いを取った元コメディアンであると聞いたら、どういう気持ちになるだろう。

憤慨するに違いない。絶対に許さないだろう。ユダヤ系の選手。各国にいる。彼ら彼女らが皆、出場辞退をしてもおかしくない。そんな輩に開会式の演出をさせるなんて国辱的な対応だ。これが日本の「おもてなし」なのか?

今の時代。この国際時代に国際的なスポーツの祭典で、過去とは言え、そんな島国の価値観で国辱的なギャグをしていた人物を演出家として採用することは問題。もし、これが韓国人、中国人差別をギャグにしていたらどうか?そう考えると実感するだろう。アメリカ大会でKKKメンバーが開会式の演出をするようなもの。過去のことと言っても許されない。

世界の人たちが集まる祭典に、そのような狭い歪んだ発想で、無知をひけらかし、他民族を馬鹿にし踏みにじる言葉をギャグにした人物に演出を任せるべきではないのだ。今から罰しろとは言わないが、今日のオリンピック演出に参加させるべきではない。

そして問題は彼だけではなく、障害者をいじめたことを雑誌で自慢していた人物が、同じ開会式の音楽を担当。数日前に辞任したばかり。オリンピックだけでなく、パラリンピックも開かれるのに、その2人はまさに大会のテーマと真逆の存在。ただ、同じくらい恥ずかしいのがバッハや日本の委員会メンバーや丸川大臣、そして菅総理。もう大会自体を中止するべきである。


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