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議論のできない日本人が多いのに、素敵な「友達」が訪ねてくれた? [FB問題]


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議論のできない日本人が多いのに、素敵な「友達」が訪ねてくれた?

昨日の「ドキュメンタリー沖縄戦」舞台挨拶にFB友達の方が何人か来てくれた。そのお1人が終了後に声をかけてくれる。いつもコメントをくれる常連さんだったので、時間をもらいお茶。FB友達はいろいろ。頭脳明晰。情報豊富。理路整然とめっちゃ鋭い方から、筋の通らぬイチャモンをつけて、上から目線、感情的で思い込みの激しい方まで多種多様。昨日の方は前者。情報豊富で理路整然。お話ししていて楽しかった。

以前に記事にもしたが、日本人は議論が苦手。本来の意味を知らずに、勝ち負けにこだわる人が多い。感情的になる。最後には人格攻撃。議論しても嫌な思いをするだけ。それはアメリカと違い子供の頃からディベート教育を受けておらず、議論を戦わす意味や方法を学んでいないから。そのFB友達。そんな教育を受けていた訳ではないが、それらを把握した方で、意見を聞いてもなるほどと思うことが多い。

僕はアメリカの大学でその種の授業を受けたことがあるし、仕事柄、議論をせねばならないことが多い。だが、多くの人はディベートを学ぶ機会はあまりない。なぜ、その「友達」はそれを把握しているのか?と聞いてみると、大学の専攻が「法律」であり、お仕事が「論理性が不可欠」なものだという。そういうことか!と感心した。どちらの分野も「感情」ではなく「論理」が優先されるもの。そんな背景をお持ちだったのだ。

567感染から、寅梅騒動、オリンピックまで。マスコミ報道では絶対にしない情報も把握されており凄いと思った。ディベートで大切なのは情報と知識。そのレベルが近い者同士でないと成り立たない。1人が圧倒的知識があり、もう一方にそれがない場合。議論ではなくレクチャーになってしまう。FB上でよく議論を挑む人、反論してくる人がいるが、彼らの知識がどのくらいか分からない。それどころか年齢、学歴、背景、職業も分からない。

しかし、彼らは僕の職業も、年齢も、経歴もプロフィールで知っている。意見を綴った記事も読んでいて、それを読み「分かってねえなあ。教えてやるか!」と、どこかで聞きかじった情報を鵜呑みにして挑んでくる。それでは議論にならない。彼らは顔写真も出していない。年齢も職業も分からない。そんな人に対して、的確な例題をあげることができない。なのに、あれこれ言ってくる。

「陰謀論だー」「****さんはもうダメだな」「***なんて存在しないんだよ!」

できたら、そんな人たちには1から解説、いかに間違ったことを主張しているか?を説明したいくらい。だが、背景の分からない人にそれをするのは、とても難しい。途中で取り乱し、嫌な思いだけして、無意味に終わることが多い。

なので、論理性を重んじて、知識もある人と、ここ1年くらい考えている件の意見交換できるといいなあ〜と思っていた。昨日の方はまさに理想の存在。長々と話してしまった。本当に感謝感謝。議論は勝ち負けではなく、自分の意見を伝えることで、自分の思いが明確になることも大きい。1人で考えると、矛盾に気づかないことがある。客観性を失う危険性もある。意見を相手に伝えることで、また知らない情報を提示されることで、見えなかった側面が見えて来たりする。

おかげで、抱えていたいくつかの疑問が解けた。それはまた記事にして紹介する。その「友達」には本当に感謝するばかりだ。



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望月記者のアカウントを停止したTwitter社!FBに続いてまた!言論封殺 [マスコミ問題]

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望月記者のアカウントを停止したTwitter社!FBに続いてまた言論封殺!

東京都議会選投票日の前日。オリンピック反対候補を応援する人たち。シェアが出来なくなった。FB社が制限したからだ。ーTwitter社も負けじと、望月記者のアカウントを止めている。彼らの使命がよく分かる。

個人に自由な発言の機会を作り、多くにそれを知らせるメディア。Facebook、Twitter、YouTube。マスコミを頼らずとも、大切なことを主張できる。が、それは建前。そんな場を個人に与えておき、体制に不利なことを言い出すと口を塞ごうとする。それが彼らビッグテックのやり方。

自由な発言ではない。国民を誘導するためのツール。その代表がこの3社。その彼らが今、アメリカで訴えられているのが興味深い。反撃喰らって事実が暴露されて、ヤバいことになるだろう。


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久々に雑誌を読み、その内容の無さに驚愕!=もはや出版業界の限界? [マスコミ問題]

久々に雑誌を読み、その内容の無さに驚愕!=もはや出版業界の限界?

髪を切りに行った。以前は店にいろんな雑誌が置かれていたのだが、今はiPadがあり、それでいろんな雑誌が読めるようになっていた。「週刊文春」「週刊新潮」「週刊プレイボーイ」「SPA」「FRIDAY」その他、女性週刊誌も多数。仕事でパソコンを使うが、どうしても読書だけは今も紙でないとピッタリ来ない。だから、本はkindleではなく、紙の本を買う。

話はそのことではなく、いい機会なのでいろんな雑誌を読んでみた。この10年ほど、雑誌を読むことがほとんどない。れいわ新選組の記事でも出れば買って読むが、それ以外は読まない。なので、今はどんなことが書かれあるのか?興味惹かれた。

ところが、今時の雑誌って何と退屈な記事にしか載っていないのか? 昔はテレビでは扱えない事件や背景を掘り下げるものがあったのに、なんてことないものばかり。567、菅内閣支持率低下、枠てん、芸能人の不倫。567後の仕事。ほとんどYahoo!ニュースと変わらない。コラムを読んでも著名人が無難なことを書いている。クレームが来ない。訴えられない。炎上しない。批判が来ない。そんなものばかり。「567は生物兵器だ!」という指摘はない。

つまり、多くの人が受け入れやすい、無難な記事ばかり。まあ、テレビ報道のようなもの。対してネットではその辺を流した上に、TwitterやFacebookでは個人が鋭い指摘。あるいは支離滅裂の説を主張している。テレビや雑誌が取り上げると大波乱になりそうなものもネットには存在する。個人の意見であり、名前も顔も隠しているからできる主張もある。そして、そちらの方が断然面白い。

事実かどうか?ではない。とんでも論の中には大嘘、デマもあるが真実もある。それを見抜くのは我々の才覚。対して雑誌は文句の来ない。無難な記事ばかり。おまけに金を払わねばならない。(この時は店が契約しているサイトをiPadで見たので料金いらず)ネットはタダだ。もう、出版文化は終わるな。。。。と痛感した。

雑誌は立場的に書けないこと。訴訟される。雑誌はクレームが来る。余程、確証がないと記事にできない。対してネットではマル秘情報を持っている人が名前を隠して記事をあげることもできる。デマも多いが、そこから宝探しする方が面白い。ここ数年。そんな生活に慣れてしたので、雑誌って、なんと詰まらないものか?と思えてしまった。

実は僕も90年代は雑誌ライターで3〜4誌で連載やレギュラーをさせてもらった。そんなこともあり、Facebookに毎日、あれこれ書いている。当時に学んだこと、今生きている。表現。書く力。伝える力は熟練しないと育たない。編集さんに厳しく指導されたのと思い出す。そのお陰で、今も記事を書く。Facebookでもブログでも、僕が書くような内容はメジャー雑誌では絶対に書けない。寅問題でも、567でも、オリンピックでも、まず編集会議で却下される。いろんな意味で問題を指摘されるだろう。

でも、ネット時代になり、それがアップでき、多くが読んでくれる。ブログは毎日1000件アクセス。Facebookは5000人ほどの「友達」がいる(まあ、100分の1くらいしか読んでくれてないと思うが)雑誌の購買者数に比べれば微々たるものだろう。でも、毎日読んでくれる人がいるのは、やはり新聞や雑誌が詰まらないからだろう。無難なことしか書かない。裏付けの取れた信憑性のあるものしか記事にしない。スポンサー批判はできない(だから、聖火リレー批判できない)その辺で雑誌を読む必要性がなくなってきているのだろう。これも時代なのだ。


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