オリンピック強行開催が過去最大の感染を起こした?!=検証する。 [オリンピック問題]
昨日の新規感染者2858人。過去最高だ。なぜ、ここに来てこんな新記録が出たのだろう? もちろん、感染が拡大しているということなのだが原因を考えよう。まず、夏休みに入った。子供たちがあちこちに行く、家族と旅行をする。それが背景か?
しかし、現在は緊急事態宣言下。旅行や行楽という場合ではない。にも関わらず、街に出れば多くの人が行き交う。以前のような緊張感がない。皆、マスクはしているが「マスクさえすれば大丈夫」という安心感も漂っている。結果、マスクさえすればどこでも行っていい。街に人が溢れるということに繋がったのだろう。
ウイルスはマスクでは防げない。マスクを通り抜ける。ただ、くしゃみをした際に飛沫が飛ぶのを多少抑制する。ほぼ気休めなのだ。しかし、マスコミや政府がマスクを推奨したことで「マスクすれば大丈夫」という安心感も広めてしまったのだろう。(手洗いうがいもね。だから外出しても大丈夫になる)あと、いい加減。部屋に籠るのは嫌だ。そして何度も出される緊急事態宣言に慣れてしまったのもあるだろう。
そして何よりオリンピックが大きいと考える。「オリンピックするくらいだから、もう大丈夫だろう」と思う人も多いだろう。大丈夫な訳はない。緊急事態宣言も出ている。にも関わらず、スポーツの祭典が出来るのなら大丈夫という心理的影響は出てしまう。
また、「運動会はダメで、オリンピックはいい?」という疑問も生む。そのことで旅行や外出の罪の意識が下がる。「なんで民間だけが自粛なんだよ」という反発からも、これまでのような抑制効果をなくしているだろう。そんな背景があり、感染が増えた。過去最高になったと考えられる。ここから分かること。オリンピックで海外のマスコミが来る。海外の選手が来る。そのことで外来種?や新型ウイルスが持ち込まれ感染が広がらないか?を心配されたが、それはまだ分からない。
だが、開催により、テレビで派手な(地味な?)開会式が放送。連日、朝から晩まで中継。メダル獲得のニュース。テレビも新聞も感染情報がほとんどなくなり(国民に忘れさせ、オリンピックを盛り上げるための操作)余計に開放感が溢れる。感染拡大が終わったかのような錯覚を起こす。
そのために外出、旅行。そのことが過去最高の感染者を出した理由なのだろう。つまり、オリンピックを強行したために感染者は急激に増えたと思える。菅首相のいう「安心安全」は保たれなかった。いくら選手や記者を閉じ込めても(いや、外出15分ルールすら撤廃。自由に外出できるようになった)国民が浮かれてしまい感染拡大。
当然の結果なのに、それを想定せず、開催を強行した菅政権の責任なのだ。これが海外選手や記者に感染。閉会後にそのウイルスを持って母国へ戻る。そしてまた感染拡大。日本だけの問題では終わらない。さらに、国外の人たちが持ち込んであるであろう感染も、これから広がる可能性がある。オリンピックが終了しても問題は拡大する。
ならば、今すぐに中止。対応策を実施するべきなのだ。そんな事態になっているのに昨日の菅総理は「オリンピックの中止はない」と発言。まだ、事態を理解していない。こんなアホは1秒でも早く、引き摺り下ろすことが大事だろう。
「全裸監督」シーズン2。後半、オリンピックがダブる? [オリンピック問題]
「全裸監督」シーズン2。後半、オリンピックがダブる?
前半は「黒い半沢直樹」ともいえる展開で、アダルトビデオでのし上がって行く主人公の痛快物語。ところが、後半戦になり、衛星配信に莫大な金がかかり、その調達に苦労。そんな中で信頼していた社員に会社の金を持ち逃げされたから転落。見ていて辛い展開となる。
それでも衛星にこだわる村西とおる(山田孝之)はヤクザから金を借り、裏ビデオに手を出す。その辺から仲間が次々に去って行く。主人公の村西はアダルト業界ではあるが監督。ドラマでは無茶無茶な存在として描かれてはいるが、現実社会でも監督は無茶無茶な存在だ。その意味では共感するところがある。
彼は自分で資金を集め、AVを撮り、大ヒットさせて、会社を大きくし、数億円の費用がかかる衛星配信まで始めた。が、1つのトラブルが雪だるま式に大きくなり崩壊して行く。他人事ではない。僕はAVではないが、大手映画会社が資金を出してくれる恵まれた立場ではない。だのに既得権益を派生させない。誤魔化しをしない。中抜きをさせない。観客が喜ぶ映画を作ることをモットーとしている。すると残るは借金だけということになる。その上、既得権益者たちには嫌われる。
大手の映画はほとんど、がんじがらめ。だから、マイナーでやっているのだが、それでも資金は必要だ。企業からの依頼なんてごく僅か。それも理不尽なものだと断ってしまう。まあ、金持ちになろうとか、安定した生活を送ろうとか、長生きしたいとか思っていないので、その映画を完成させたら過労で死んでもいいのだが、その遺作を撮るにも資金が必要。それが567で映画界は大変。多くの映画制作が中止。無機延期。俳優もスタッフもどん詰まり状態。映画館も経営が危ない。
「芝居をしたい!」「映画を撮りたい」という仲間たちが仕事ができずにいる。テレビは無理して感染対策班まで作り撮影している。毎週の放送。止める訳にはいかない。ある有名Pはそれでも収束を期待して映画の準備を1年進めた。が、先日、秋の撮影を断念。スタッフを解散した。断腸の思いだろう。再スタートさせるのは至難の技。それが映画だ。物理的なものだけではない。
今、地方ロケが嫌がられる。東京から多くの人が来るのを拒否。エキストラも集まらない。だから、みな中止にする。延期するのはもっと大変。そんな中でまたまた緊急事態宣言。なのにオリンピックは開幕。この1週間。怒りが止まらない。選手がインタビューに答える
「この1年間。苦しかったので、メダルが取れて嬉しいです!」
と笑顔。めっちゃ腹が立つ。苦しいのは日本人皆同じ。俳優だって幾つの舞台が飛んだか?何本の映画が中止になったか? 居酒屋だって、喫茶店だって同じ。なぜ、スポーツだけが許される? それを考えたら、あんな言葉は出てこない。話が逸れた。
ラスト近く。昔の友人が村西と再会する。彼は浮浪者のようになっている。決して同情できるような人物ではないのだが、自分の未来を見るよな気がした。理不尽がまかり通る世の中。メダル取った選手の発言聞き「元気をもらいました!」とネットで書く人。馬鹿すぎる。自分たちは自粛。オリンピックは開催の不公平。五輪強行は利権のため。踏みつけられていることに気付いず大喜びの人たち。ドラマの内容とは関係ないのだけど、没落して行く村西と、今の日本がリンク。そこに自分も重なり、やりきれない。
ただ、思うのは沖縄戦時の沖縄県民も、同じ気持ちだったのだろう。沖縄を救うつもりのない日本政府。県民の犠牲の上に本土を守ろうとした。そのために様々な理不尽を県民に強制。最後は死ぬことまで押し付けた。今と同じことが行われたこと。それも忘れてはいけない。
五輪開会式の裏。利権に群がる企業=映画の世界にも近いものが?! [オリンピック問題]
五輪開会式の裏。利権に群がる企業=映画の世界にも近いものが?!
オリンピック。開会式だけは見た。緊急事態宣言下で強行する無謀な式典で何を見せるのか?という興味と、前日に演出家がクビになったが、そのままのプランでやるという部分。結果は非難轟々。ただ、僕はかつて五輪の開会式というのを見たことがないので、過去と比べて批評できない。そんな真っ白な状態でショーとして見ての印象だが、国際的なスポーツの祭典なのに、アングラ芝居のパフォーマンスみたい。スケールも小さく、渋谷の小劇場を見ている気がした。160億かかったというが、どこにかかったのか?
その開会式の内幕を伝えるYouTubeを見た。もともと演出はMIKIKOという舞踏演出家が担当していたのだが、電通が送り込んだスタッフが追放。あとは電通が勝手放題したようだ。演出方向や趣味嗜好の問題ではなく、電通は利権が第一なので、スポンサーにおべっか、忖度、金が派生する。そんなことを優先したかったのだ。そういえばMISHAが何でレインボーカラーのドレスで歌うのか?と思ったら、五輪のアメリカ放送権を何百億円も出して買ったのがNBCテレビ。そのロゴデザインと同じだった。それ喜ぶのは局の人だけ。観客関係ない。
同じことは日本の映画界でもある。大手映画会社の大作はほとんど同じ。原作は人気漫画、主演はテレビによく出ている人気俳優。メインどころはその俳優と同じ事務所。出て来る車は製作委員会のスポンサー。食品も同様。コーラ会社が参加してれば主人公はコーラばかり飲む。他社の製品は登場しない。(五輪でも同じことあった)舞台がなぜ、この市なのか?と調べるとスポンサーの会社社長の故郷だったとか、物語と関係ないところで決まる。なぜ、ヒロインがこの俳優?原作とイメージ違う?と思ったら、スポンサーのCMに出演中とか!
全てが内内で決まる。原作のイメージ。監督の意図ではなく、いろんな利権を持ち込めるか?という発想で作られる。だから、僕のようにワガママな監督はこの種の映画には起用されない。観客が見て感動する演出をする人ではなく、スポンサーや関係者に配慮して、利権を作り出すタイプ(まさに電通の仕事)でなければならない。そのために先の演出家を追放し、言うことを聞く者を送り込んだ。その結果があの小劇場のような開会式なのだ。
映画の世界も感動作を作るより利権や繋がりを優先される。僕も経験あるが、Pが俳優のプロフィールを差し出していう。「この役はこの人でお願いします」日本映画は監督がキャスティングする。それをPが「この人」と命令。でも、僕は芝居を見たこともない人は受け入れられない。その後も「この人で」「この人で」といろんな俳優を押し付ける。全部断った。気づいたのは全員同じ大手事務所。1人入れたら「いくら」という話になっていたのだろう。あるいは今後も仲良くしてもらえるとか。
新人俳優にとって小さな映画でも、現場を経験できるのは大きい。勉強になる。なので大手事務所は自社の有名俳優が出る作品には新人や売れない俳優をバーターで押し込む。あるいは裏でつながっているPを使い、無理やり入れる。監督はまた仕事をもらおうと思うのでPには逆らわない。こうして、その役に相応しくない俳優が決まって行く。どんないい俳優でも監督が気に入らないと、映画の中で輝かない。作品クオリティも落とす。大作でも退屈なものが多い理由の1つ。
僕はPの指示でも断る。だから、二度と仕事をくれない。「あー分かりました!」と笑顔で従う方がまた仕事をもらえる。Pの発想は電通と同じで、観客の感動とか作品のクオリティは考えない。いかに利権を持ち込み、儲けるか? 金を派生させるか? あるいは大手の俳優事務所やスポンサーのご機嫌を取り、また仕事ができるか?それしか考えない。作品の評判が悪いと「あの監督ねー。いい奴なんだけど才能ないですよね〜」と監督の責任にする。それが多くのPだ。もちろん、そうでない人もいる。でも、少ない。
監督業の1番の仕事は「観客が喜ぶ映画を作ること」なのに、Pや会社は「関係者やスポンサーが喜ぶこと」を大切にする。作品を優先すると、五輪の演出家のように追放される。「ユダヤ人惨殺ゴッコ」のような人は使いやすいのだろう。大手の映画に面白い作品が少ない理由も、五輪開会式と同じだろう。160億円かかったというが、実際に現場で使えたのは10億円くらいだと聞く。
映画製作も大手が作ると最低でも製作費は1〜2億円。普通に取れば5億ほど。大作なら10億。五輪と同じように寄生虫が集まってくる。何もしないで1億ほど抜いて行く会社やスタッフもいる。それでいいものは出来ない。だから、僕が監督するときは、その種のこと、ごまかしは絶対に許さない。初期の頃はそんな寄生虫たちとの戦いに、演出以上のエネルギーと時間を必要とした。だが、彼らも従わせようと、汚い手を使ってくる。嫌がらせ、悪い噂を流す。「監督、身勝手何だよね〜。ワシらの気持ちを汲んでくれない」とか関係者に言って回る。
そんな戦いが何本か続いた。一度仕事をした会社とその後、関わることはなかった。ただ、妥協しなかったので作品の評判はよく、新たなスポンサーとの出会い。町との出会いがあった。それで6本の映画を監督した。ま、それもいつまで続くか分からないが、今でも「一切、口出し無用」で監督させてもらっている。ラッシュも見せない。編集途中の映像も見せない。僕だけではなく監督が「これ!」と思う演出をすることで、観客が喜ぶ映画ができる。関係者があれこれ口出しして、いいものは撮れない。だから、利権優先の人たちから嫌われる。そんなこと、開会式の裏事情を聞いて思い出した。
開会式の裏事情ニュース=>https://bunshun.jp/articles/-/47353
菅がオリンピックを中止しない理由を考える?=利権、意地、IOC、ワイロ、業界? [オリンピック問題]
菅がオリンピックを中止しない理由を考える?=利権、意地、IOC、ワイロ、業界?
野党。立憲や国民まで「五輪中止は現実的ではない」と言い出している。彼らの主張の多くは利害関係。つまり、今、五輪を止めたら恨まれる。どこかの利害を損なうということだろう。
先日、記事にしたがスポーツ通の友人の意見。利権より菅政権の「意地」で開催では?との記事を書いた。だとすると、野党も中止反対派おかしい。その意地を粉砕して、「こんな五輪を開催した与党は最悪」と攻撃材料に使えるはず。それをしないのは巨大な利権。しがらみがあるはずだ。
観光業。旅行業はアウト。海外からの客を当てにしていたが、そこは567感染で儲けなし。ゼネコンはすでに競技場を作り儲けた。中止でも損はない。スポンサーはあの恥ずかしい聖火レリーで宣伝。でも、トヨタはCMをやめた。今、「頑張れニッポン」と宣伝してもマイナスだ。となるとスポンサーも違う。
五輪を中止せず、続けることでメリットがあるのは誰か?どこか? IOCか? 何百億円という放送量がアメリカNBCから入る。だが、それはIOCにほとんど入るのではないか? 東京都も少しはもらえるのかな? あと、バックマージンとしてIOCから森とか小池に少々? それが億単位なら、国民踏みつけても中止にはしないよね。
ただ、数億円もらっても、そのために総理や都知事を辞任せねばならない可能性がある。億単位のマージンのためにそこまで体を張るだろうか? 初の女性総理を目指す小池には大きな痛手となるはずだ。金より地位だろう?あの緑さんは。だとすると、なぜ、中止しないのか? 小池は中止決断の方が株が上がるはずだ。菅は愚かだからムキになっている。意地もあるだろう。ここで辞めたら責任とって総理辞任。でも、閉会後も感染拡大なら同じく辞任だ。
そうなると、先のスポーツ通の友人の説通りに「意地」というのが一番正解かもしれない。それなら野党は何を恐れているのか? もし「意地」が正解なら、太平洋戦争も同じ。負けを認められない軍部。武器もないのに突撃命令。今回もインパール作戦@五輪ということか?
反安倍の人から僕のFBに批判コメント!=背景にあるのは正義中毒? [社会政治]
反安倍の人から僕のFBに批判コメント!=背景にあるのは正義中毒?
ここ数日、毎日、おかしなコメントが来る。例えば「安倍の怖さが分かってないな?」とか。僕のFBを読んでくれている人なら知っているだろうが、安倍分析、批判、論は10年近く記事にし続けている。マスコミが絶対に指摘しない事実から、事情通からもらったマル秘情報。一時は毎日のようにアップしていた。ブログやTwitterも連携。そのためにネトウヨに総攻撃され炎上したこともある。なのに「分かってないな?」ー「誰に言うてんねん?」という感じだ。そんなおかしな人たち。背景を分析すると色々見えてくる。
嫌われ者の安倍も辞任。開会式でマリオを演じることもなく欠席。行方不明? 今は彼より菅が問題。あのおっさんが東京の1日の感染者=3000人を超えてもオリンピッックを中止せず、続けていることが問題。それを批判するべき時。そこに「安倍の怖さが分かってないな?」とコメントしてきた。何の意味がある?いつもコメントをくれる常連さんではない。
コメントの内容からタイムラインの記事から、「一番酷いのは安倍だ!」という思いがおありなのだろう。その通りだ。が、すでに表舞台から消えた安倍を今、批判しても始まらない。問題は菅だ。いち早くオリンピックを中止して、ウイルス対策に専念すべき。そのために管批判の記事を上げたのだ。そこに「安倍の怖さ」?何の意味があるのか?
その人は「俺は安倍の問題点をよく把握している。あいつは本当に酷いやつだ」という自負があるのだろう。だから、「安倍よりも菅の方が酷くなりそうだ」という僕の記事を見て「分かってないなあ」と思いコメントしてきたのだろう。安倍方が酷いことは分かっている。しかし、今、安倍にオリンピックを止める力はない。止める力があるのに止めないで、感染拡大を容認する管はある面で、安倍を超える存在になる可能性がある。ーという意味のことを書いたのだ。
言い換えれば安倍は震災。その後に、管台風が来た。震災は終わっているが、台風がより大きな被害をもたらす可能性があると書いたのだ。それを「震災の方が怖いんだよ。分かってないな」とコメントする意味がないこと。分かってもらえるだろう。視点がずれている「酷いやつ」大賞。1等賞は誰か?という話ではない。オリンピックの中止を訴えることが大事。
つまり、彼の興味はオリンピックではなく安倍なのだ。でも、表舞台に彼はいない。もちろん、森友、家計事件の追求はせねばならない。これまでの悪行を明らかにする必要がある。忘れてはいけない。でも、今ではない。今は567とオリンピックだ。そんな時期になぜ、「安倍の怖さ」を言ってくるのか? 似たような人は実は多い。安倍は確かに酷かった。弁護の余地がない。正真正銘の悪党。その言葉では弱いくらい。だから、ある意味で安心して批判できる存在だった。
現代社会は複雑に入り組んでおり、完全な悪というのが成立しにくい。時代劇のような悪代官はいない。ある面では正義でも、ある時には既得権益に成り下がる。その意味で安倍は24時間。どんな場所でも常に悪として存在した。遠慮なく、心置きなく、誰に気にすることなく批判できた。ただ、批判というのは怖いもので、特に地位のある政治家を叩くと、正義を行っている気分になる。自分が社会のために戦っている気持ちになる。それが正義中毒。
危険な部分がある。ドーパミンが出るので批判する気持ちいい。また、批判したくなる。自分が偉くなった気分になる。その安倍が舞台から降りてしまった。次に出てきたのは菅。見るからにダメそう。支持率もどんどん下がる。安倍とは比べ物にならない小悪党でしかない。叩きがいがない。そんな時、政治中毒の人たちはどうするか? 次の敵を探して叩こうとする。今回の場合はさらに「俺は安倍には詳しい。あいつの悪行はよく分かっている」という自負がある。
そんな時に見つけた記事「菅は安倍を超えるかも?」こう思う。「分かってないなあ。安倍の怖さを。教えてやろうか?」というのがコメントした動機だろう。当然、僕の過去記事は読んでいない。多分、彼の知らないことも多いはずだ。でも、「安倍を超える」だけで判断。「分かってない」と書き込んできた。日頃なら反論は無視。即、削除するのだが、反安倍の人だろうから、敵対したくはない。安倍が最悪なのは分かる。でも、今は菅だ。ということを説明。
すると「俺は自分の意見をどこでも主張する」とか何とか、長々と演説のようなコメント。ああ、説明は無駄だったな。と、全て削除した。この3日毎日「反論はいらない」「質問は遠慮して」と告知していたのに、また同じ繰り返し。つまり、僕の記事を日頃から読んでくれている人ではない。何かのきっかけで「友達」になった。たまたま、菅批判記事を見た。「安倍の怖さが分かってない」と感じ、コメント。という流れだろう。
要は正義中毒。安倍がいなくなり敵をなくした。無意識に新たな敵を探す。例えば安倍を理解していない奴を叩く。「不勉強だ!」と。そのことで「俺は安倍に詳しい。お前はダメだ。もっと努力しろ」という優越感を持つことができる。自己満足。本来は社会のため、未来のために安倍批判をしていたのに、いつしか批判することが生きがいになっている。その背景にあるもの。生活や仕事で満足できてない。仕事で認められない。友達が少ない。でも「俺は凄いんだぜ」と思う。評価されたい。それで他人を攻撃するのがネトウヨ。その反対で、最近多いのがネトサヨ。ジャンル分けするのはよくないが、そういう種類の人たち。
安倍が辞任してからやたらと増えた。山本太郎を叩くのも、その種の人が多い。元々は支持者であり安倍批判のくせに太郎さんを叩き始めた。何かイチャモンをつけて「もう、あいつはダメだ」「***が分かっていない」不満あれば離れればいい。批判は自民公明にすればいい。なのに、身近な存在。自分と関わり合った人を攻撃する。先の人も同じだ。「菅より安倍が酷い」ということで批判してくる。それらは楽して誰かを批判することで優越感を持ち、正義中毒を満喫したいタイプが多い。彼らと話をしても無駄。結局は自己満足に過ぎない。その種の人とは関わらない。時間の無駄でしかないのだから。
本日、国内感染ー過去最多の9000人超え。 「もう中止しないとね〜」 という雰囲気。 [オリンピック問題]
東京の新規感染者、初の3千人超 [オリンピック問題]
東京の新規感染者、初の3千人超
2日連続で最多更新
オリンピックは中止を
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オリンピック誘致〜開催の展開。戦争が始まるのと同じパターン。 [オリンピック問題]
オリンピック誘致〜開催の展開。戦争が始めるのと同じパターン。
戦争はどのようにして始まるのか?ここ数日痛感している。猪瀬知事がオリンピックを招致しようと言い出したときは他人事。関係ないや!と多くの国民は思ってた。そして、「アンダーコントロール」の嘘。あの気持ち悪い「おもてなし」スピーチ。開催決定。でも、国民は覚めていた。大喜びは関係者のみ。
だが、国会で反対したのは山本太郎だけ。全員一致で賛成。ここからはもう止まらない。マスコミが盛り上げ国民を誘導。コンパクトなオリンピックの予定が開会式だけで160億と暴走する。不祥事があっても、止まらない。当初の委員会メンバーが全員いなくなっても止まらない。567感染拡大。医療崩壊と言われても止まらない。
当初は復興五輪とも言われたが、それも置き去り。震災で壊れた家を立て直そうにも建設会社はオリンピックに取られて復興進まずという話も聞いた。全て建前。567患者も置き去り。無観客でも開会式。競技は子供たちを無理やり動員? 飲み物はスポンサーのコカコーラのみ?
バッハ会長はいう「夢を掴むには多少の犠牲は必要だ」つまり、日本人が困っても多少の人数が死んでもオリンピックという夢を実現せねば!と言っているのだ。夢ではない。バッハたちIOCの利権のためだ。アメリカNBCから莫大な放送権を取る。数百億円。それを不意にしたくないだけだ。
海外から選手やマスコミが来る。なぜ、感染拡大になることをあえてするのか? この567禍の真っ只中で? バブル方式で「安全安心」。いえいえ、記者たちは平気で街を歩き回っている。そのルールも緩和され外出15分以内というのも撤廃された。
街の居酒屋への補償金も遅れ、不満が爆発している。病院は病床が足りず医療崩壊だと言われている。収入がなくなり、あるいは激減し苦しむ国民が多いのに、*兆円をオリンピックにつぎ込む。
しかし、開催反対していた国民にはこう言い出すものがいる。
「開催した以上、心を一つに応援しよう」
金メダル獲得、大きな拍手を送る。無観客のスタジアムを囲むように人が集まる。もう、567で苦しむ人たちのことなんて考えない。「ニッポン頑張れ!」と多くが叫ぶ。
「選手に罪はない。政治を忘れて応援しよう」
声を上げる人たち。ここまでバカかと呆れる。終わった後に残るのは、さらなる感染拡大のみだろう。
これを戦争に置き換えると、とてもよく分かる。最初は他人事。国が強行して押し進める。その内、国民は興味を持ち、マスコミが盛り上げる。始めてしまえば反対していても応援するようになる。
「戦争が始まった以上、心を一つに日本兵を応援しよう」
つまり、この日本という国で再び戦争を始めることは容易いこと。誘導は簡単なのだ。太平洋戦争も同じパターンで始まったに違いない。「これなら戦争になっても大丈夫!」と菅政権の人たちは確信を持ったに違いない。