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五輪開会式の裏。利権に群がる企業=映画の世界にも近いものが?! [オリンピック問題]

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五輪開会式の裏。利権に群がる企業=映画の世界にも近いものが?!

オリンピック。開会式だけは見た。緊急事態宣言下で強行する無謀な式典で何を見せるのか?という興味と、前日に演出家がクビになったが、そのままのプランでやるという部分。結果は非難轟々。ただ、僕はかつて五輪の開会式というのを見たことがないので、過去と比べて批評できない。そんな真っ白な状態でショーとして見ての印象だが、国際的なスポーツの祭典なのに、アングラ芝居のパフォーマンスみたい。スケールも小さく、渋谷の小劇場を見ている気がした。160億かかったというが、どこにかかったのか?

その開会式の内幕を伝えるYouTubeを見た。もともと演出はMIKIKOという舞踏演出家が担当していたのだが、電通が送り込んだスタッフが追放。あとは電通が勝手放題したようだ。演出方向や趣味嗜好の問題ではなく、電通は利権が第一なので、スポンサーにおべっか、忖度、金が派生する。そんなことを優先したかったのだ。そういえばMISHAが何でレインボーカラーのドレスで歌うのか?と思ったら、五輪のアメリカ放送権を何百億円も出して買ったのがNBCテレビ。そのロゴデザインと同じだった。それ喜ぶのは局の人だけ。観客関係ない。

同じことは日本の映画界でもある。大手映画会社の大作はほとんど同じ。原作は人気漫画、主演はテレビによく出ている人気俳優。メインどころはその俳優と同じ事務所。出て来る車は製作委員会のスポンサー。食品も同様。コーラ会社が参加してれば主人公はコーラばかり飲む。他社の製品は登場しない。(五輪でも同じことあった)舞台がなぜ、この市なのか?と調べるとスポンサーの会社社長の故郷だったとか、物語と関係ないところで決まる。なぜ、ヒロインがこの俳優?原作とイメージ違う?と思ったら、スポンサーのCMに出演中とか!

全てが内内で決まる。原作のイメージ。監督の意図ではなく、いろんな利権を持ち込めるか?という発想で作られる。だから、僕のようにワガママな監督はこの種の映画には起用されない。観客が見て感動する演出をする人ではなく、スポンサーや関係者に配慮して、利権を作り出すタイプ(まさに電通の仕事)でなければならない。そのために先の演出家を追放し、言うことを聞く者を送り込んだ。その結果があの小劇場のような開会式なのだ。

映画の世界も感動作を作るより利権や繋がりを優先される。僕も経験あるが、Pが俳優のプロフィールを差し出していう。「この役はこの人でお願いします」日本映画は監督がキャスティングする。それをPが「この人」と命令。でも、僕は芝居を見たこともない人は受け入れられない。その後も「この人で」「この人で」といろんな俳優を押し付ける。全部断った。気づいたのは全員同じ大手事務所。1人入れたら「いくら」という話になっていたのだろう。あるいは今後も仲良くしてもらえるとか。

新人俳優にとって小さな映画でも、現場を経験できるのは大きい。勉強になる。なので大手事務所は自社の有名俳優が出る作品には新人や売れない俳優をバーターで押し込む。あるいは裏でつながっているPを使い、無理やり入れる。監督はまた仕事をもらおうと思うのでPには逆らわない。こうして、その役に相応しくない俳優が決まって行く。どんないい俳優でも監督が気に入らないと、映画の中で輝かない。作品クオリティも落とす。大作でも退屈なものが多い理由の1つ。

僕はPの指示でも断る。だから、二度と仕事をくれない。「あー分かりました!」と笑顔で従う方がまた仕事をもらえる。Pの発想は電通と同じで、観客の感動とか作品のクオリティは考えない。いかに利権を持ち込み、儲けるか? 金を派生させるか? あるいは大手の俳優事務所やスポンサーのご機嫌を取り、また仕事ができるか?それしか考えない。作品の評判が悪いと「あの監督ねー。いい奴なんだけど才能ないですよね〜」と監督の責任にする。それが多くのPだ。もちろん、そうでない人もいる。でも、少ない。

監督業の1番の仕事は「観客が喜ぶ映画を作ること」なのに、Pや会社は「関係者やスポンサーが喜ぶこと」を大切にする。作品を優先すると、五輪の演出家のように追放される。「ユダヤ人惨殺ゴッコ」のような人は使いやすいのだろう。大手の映画に面白い作品が少ない理由も、五輪開会式と同じだろう。160億円かかったというが、実際に現場で使えたのは10億円くらいだと聞く。

映画製作も大手が作ると最低でも製作費は1〜2億円。普通に取れば5億ほど。大作なら10億。五輪と同じように寄生虫が集まってくる。何もしないで1億ほど抜いて行く会社やスタッフもいる。それでいいものは出来ない。だから、僕が監督するときは、その種のこと、ごまかしは絶対に許さない。初期の頃はそんな寄生虫たちとの戦いに、演出以上のエネルギーと時間を必要とした。だが、彼らも従わせようと、汚い手を使ってくる。嫌がらせ、悪い噂を流す。「監督、身勝手何だよね〜。ワシらの気持ちを汲んでくれない」とか関係者に言って回る。

そんな戦いが何本か続いた。一度仕事をした会社とその後、関わることはなかった。ただ、妥協しなかったので作品の評判はよく、新たなスポンサーとの出会い。町との出会いがあった。それで6本の映画を監督した。ま、それもいつまで続くか分からないが、今でも「一切、口出し無用」で監督させてもらっている。ラッシュも見せない。編集途中の映像も見せない。僕だけではなく監督が「これ!」と思う演出をすることで、観客が喜ぶ映画ができる。関係者があれこれ口出しして、いいものは撮れない。だから、利権優先の人たちから嫌われる。そんなこと、開会式の裏事情を聞いて思い出した。

開会式の裏事情ニュース=>https://bunshun.jp/articles/-/47353



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